ひとまずの無事、帰路へ着く者たち
表れた同期の姿に、クロードは思わず舌打ちした。間に合わなかった……むしろこれで、こちらが危険になってしまった。
端的に言って、痛恨の事態だ。
「ご主人!」
「せ、セーマさん……!」
「アリスちゃん、アインくん! 無事か!?」
「水の中にいるのか!? え、何で喋れてんだ?」
対照的に安堵の声をあげるのはアリスとアインだ。セーマも、その声にすぐさま反応して駆け寄る。
水など気にもしない──一刻も早く傍に行きたかった。ラピドリーは人間的なごく普通の感性ゆえ、水に入っていくことに躊躇している。
今のところアリスたち負傷者を優先する様子のセーマ。こちらにも当然気付いているだろうが、やはり優先順位は家族や知り合いの方が上なのだろう。
好都合だ。クロードは笑った。
「……潮時だな。全力でなお彼から逃げ切れるかは微妙だが、今ならアインさんや『女帝』を優先するだろうしな。まあやってみるか」
「貴様、逃げる気か!? そうはさせん、今ここで!!」
「逃げる。君でなくセーマくんからね……レヴィさんや妹君には悪いことをした、その内見舞いに行くからよろしく──『ハリケーン・ドライバー』っ!!」
最後に少しだけ、申し訳なさげに呟いてから……クロードは全開の『ハリケーン・ドライバー』を放った。
『タイダルウェーブ・ドライバー』で発生した水を引き裂く風の渦が発生する。本気で放てばやはり、『第二段階』の魔剣では太刀打ちできないのだ……それを示しつつ、彼は風に乗って舞い上がる。
『ハリケーン・ドライバー』が一部吹き飛ばした天井。そこから外へと逃げるつもりだ。
気付いたリムルヘヴンが『タイダルウェーブ・ドライバー』で発生した水を自在に操り追い落としに掛かるが、紙一重で届かない。
「待て、勝負しろ! 八つ裂きにしてやる、虫けらがっ!」
「小悪党丸出しだな……決着はアインさん共々、また近い内に。じゃあね!」
叫ぶリムルヘヴンをせせら笑う。
そして最後にアインとアリス、二人に駆け付けるセーマを視界に収めてから……風の魔剣士クロードは、その場から離脱した。
「く……っ、おのれっ!! 取り逃がすとは、何たる不覚っ! 」
悔しさに歯噛みする。リムルヘヴンには分かっていた──口でこそ余裕だったがあの魔剣士は追い詰められていた。
セーマが来る前、『タイダルウェーブ・ドライバー』で暴風を押し潰し、その隙を突いて斬りかかった時点でもう、あと一歩だったのだ。
「──いや、無理か。奴にはまだ余力があったが……私の方は、もう」
静かに、リムルヘヴンは現状での己の限界を認めた。アリスやアイン程に目立ちはしないが、彼女もまた、限界寸前だった。
『タイダルウェーブ・ドライバー』が解除され、地下を満たしていた大洪水が一瞬にして消え失せる。
すっかり元通りだ──水の名残一つない、遠い日から続く遺跡の姿へと戻っている。
「くっ……」
同時にリムルヘヴンは崩れ落ちた。疲弊と脱力に片膝を付き、荒く呼吸する。水の魔剣、その新たな力──『タイダルウェーブ・ドライバー』による消耗である。
「こ、これが『第二段階』か……威力は良いが、消耗は、激しいな」
独り言つ。亜人のリムルヘヴンを以てしてもなお、立っていられない程の消費。
初めて発動したというのもあるが、そもそも魔剣を手に入れて数日とまったく身体が適合していないままというのもある。
加えて『タイダルウェーブ・ドライバー』そのものの使用エネルギー量が尋常ではない。空間を埋め尽くす程の水量を生み出す大規模かつ広範囲の技は、単純に比較しても『プロミネンス・ドライバー』の数倍だ。
かつての水の魔剣士が到達した『フリーズ・ドライバー』も広範囲ではあったが、その密度は頼りないものであった分、ここまで多大な消費はなかった。
『ハリケーン・ドライバー』、ひいては風の魔剣をどうにか封殺せんとリムルヘヴンの選んだ進化……すなわち、強引かつ無理矢理な力業。その代償ともいえる負担が今、リムルヘヴンを襲っていた。
「く、訓練次第で、もう少し融通を利かせられれば良いのだが、な……それより、お、オーナー……!」
酷い疲労の中、それでもアリスを気にかかる。霞む視線の向こうには、こちらに駆け寄ってくるオーナーの姿が、微かに見えて。
安堵の微笑みを浮かべてから、リムルヘヴンはその場にて倒れ伏すのであった。
セーマが駆け寄った時、アリスもアインも既に相当、ダメージを負っていた。
そのことに犯人への強い殺意を抱きながらも、彼はアリスを抱きしめた。
「すまない、二人とも……! 気付くのが遅れた!」
「ご主人……何の、来てくださったではありませぬか」
「そう、ですよ……う、うくっ!」
外傷はないが体力がずいぶんと削られているアリスは、少し休めば回復するだろう。と言うよりもう既に息を整え、いつもよりかは弱々しいがしっかりと受け答えもできている。
問題はむしろ、アインだ。全身に傷を負い、かなり疲弊している。
「ご主人、アイン少年はあの……風の魔剣士の『ハリケーン・ドライバー』からわしを護るため、『プロミネンス・ドライバー』を何度も……」
「それで、ここまで衰弱しているのか……!」
「い、一応、命に別状はなさそうなんですけどね……あは、は」
アリスからの説明に、アインのダメージの理由が分かった。セーマは彼の手を握り、頭を下げる。
「ありがとうアインくん……! 君のお陰で、アリスちゃんは助かった!」
「お主は命の恩人じゃ……ありがとう、アイン少年。わしにもようやっと、ご主人やリリーナ、ジナの気持ちが分かった。お主は、紛れもなく英雄じゃ」
「お、大袈裟ですよ……それにほら、その前に、アリスさんに命を救われてますから。お互い様ですよ。ありがとうございます」
弱々しくも嬉しそうに照れ笑いを浮かべるアイン。その笑顔がまたセーマとアリスの胸を打つ。
命を懸けて、誰かを護る……言うのは容易いがいざとなれば中々にできないことだ。それでも果敢に風の魔剣に立ち向かい、アリスを庇うべく消耗しきったその姿こそ英雄と呼べるものだと、セーマはもちろんアリスも深く感じ入る。
ともあれ持参していた応急の薬でひとまず応急処置を行うセーマ。一方でアリスは別の方向……リムルヘヴンの元へと歩いていった。
既に意識を失っているのか、片膝を立ててピクリともしない彼女を見てセーマは呟く。
「まさかこのタイミングで鉢合わせるなんて、な……」
「彼女が横槍を入れてくれなければ、僕はきっと、死んでいました……『第二段階』に進化までして、さっきの水も、彼女が」
「あれはやはり、魔剣の水か……道理で息ができるわけだ。敵対者以外には影響をもたらさないのは、君の『プロミネンス・ドライバー』と同じだな」
「ええ……」
探しに来たはずのリムルヘヴンに、逆に守られた。それをにわかに悔しがるアインを優しく抱き起こして介抱する。
その内にラピドリーもやって来た。おっかなびっくり『タイダルウェーブ・ドライバー』に触れていたのだが、それが消失したことでようやく入ってこれたのだ。
「おい、アインは大丈夫なのか!?」
「命に別状はありません。ですがあちこち怪我はしていますから、なるべく急いでミリアさんの元へと連れていくべきですね」
「そうか、生きてるんならひとまず良しだな。そんでアリスの嬢ちゃんは……」
ラピドリーがアリスの方に眼を向ける。釣られてセーマも視線をやれば、彼女は彼女でこちらへ向かってきていた──水の魔剣を握りしめたままのリムルヘヴンを、その背に負っている。
「リムルヘヴンちゃん、どうかしたのか?!」
「ああいえ、ご主人。寝とるだけですのう……『タイダルウェーブ・ドライバー』でしたか、それを使ってずいぶんと、消耗したみたいですじゃよ」
ゆっくりと起こさないようにセーマたちの元までリムルヘヴンを連れてくる。そして静かに横たわらせれば、たしかに彼女は穏やかな寝息を立てている。
魔剣の力の行使で疲れきったのだろう……二人を助けてくれたことに感謝しつつも、セーマはしかし呻いた。
「『タイダルウェーブ・ドライバー』……『タイダルウェーブ』か! またとんでもないものが」
「どんな魔法なんですか、それ」
「大洪水を引き起こす魔法だ……戦争時には戦場の後始末に使われるのを何度か見た。すごい水圧で遺体を軒並み粉々にしてたよ」
「うえぇ……?」
「何だそりゃ、とんでもねえな……」
質問したアインと、聞いていたラピドリーが顔をしかめる。
たしかにあまり耳障りの良いものではないが……戦場での死体の山など疫病の元だ。処置する必要があるのは人間側も亜人側も同様であった。
その面倒を省いてくれるかの魔法は、敵の首魁ながら気の利く話だと当時から戦士たちが冗談めかして言っていたのを小耳に挟んだこともある。そんなことを軽く説明しつつも、セーマはアインを抱えた。
「とりあえず急ぎ、村へ戻ろう……アインくんとアリスちゃん、そしてリムルヘヴンちゃんの治療をしてもらわないと」
「ギルド長はともかく水の魔剣は確保できたしな……よし、このリムルヘヴンとやらは俺が運ぶ。アリスの嬢ちゃん、村まで歩けるか?」
「ったりめーじゃろ若造……お主、寝てるからって背負ったリムルヘヴンに悪戯するなよ? そやつ大の人間嫌いじゃし、下手こいて起きられるとそのまま膾にされるぞ」
「しねーよ! ってか怖いな、起きてくれるなよ……?」
恐々とリムルヘヴンを背負うラピドリー。これで後は少しでも早く、村へと戻るだけだ。
「アインくん、なるべく痛みのないように動くが……痛かったら遠慮なく叩くなりして知らせてくれ。この中で一番重傷なのは間違いなく君なんだ」
「ありがとうございます……ところで、さっきの大穴の底、何かありました?」
おぶられながら、アインはセーマに問うた。身体はあちこち痛むが耐えきれない程でもない。
ならば気紛れにと聞いたのであるが……答えは思わぬものであった。
「ん……あったというか、いたというか。『オロバ』の首領とやらがいたよ」
「へえ……えっ、ええっ!?」
「しゅ、首領!? トップがおったのですか、あの中に!?」
「ああ。まんまと逃げられたけどね……何だか胡散臭い男だったよ。見たことのない魔法まで使って」
遺跡から外へと出ながら、セーマは語った。自分とラピドリーの見た、敵組織の首魁……謎の魔剣、謎の魔法を用いたスーツ姿の中年男性。
「何て言うべきかな……自分以外は誰も信じてなさそうな、そんな目だった。渇いた目が印象的だったよ」
『オロバ』の首領をしてそう述べつつ、村へと向かうセーマであった。




