水の魔剣、リムルヘヴンの進化!
絶体絶命。迫り来る凶刃に為す術もないアイン。
それでもアリスは叫ばずにはいられなかった。
「避けい、アインッ!!」
「く──」
深いダメージのため身動ぎすらできない状態、何ができるでもない。それでも歯を食い縛り闘志を失わないアインの瞳は、たしかにまだ炎が宿っていて。
だからこそ、天は彼に味方したのかもしれなかった。諦めない者は往々にして、運命的な命拾いをするものなのだ。
「『ウォーター・ドライバー』っ!!」
「──何!?」
彼方からクロードを襲う、水の鞭。どうにか反応したものの彼は回避のためアインから飛び退いた。
同時にアリスを阻んでいた暴風が止み、彼女は急いでアインの元へと駆け寄った。慌てて身体を抱き起こす。
「アイン少年、生きとるな!?」
「ぅ、あ……は、い。ぐっ! う、動けないですけど、どうにか」
「そうか、良かった……しかし、どうにかここを切り抜け、急ぎご主人と合流せんとな……今のは一体?」
「『ウォーター・ドライバー』と言ってましたね……もしかしたら、あれは」
呻きながら、先程の横槍の主を探す。クロードも離れた場所から、水の鞭『ウォーター・ドライバー』が放たれた方を向いていた。
暗闇の中から響く足音。徐々に見えてくるその姿──
「ようやく、見つけたぞ……!」
銀髪の少女。水の魔剣を持ち出したヴァンパイアの亜人、リムルヘヴンだ。手にした魔剣からは鞭がしなって唸り、超常の力を発揮させている。
クロードが肩を竦めた。
「……一応、発動はできるんだな。リベンジのつもりかい?」
「リムルヘヴン……! お主、やはりこの近くにおったか!」
「リムルヘヴン、さん……」
「オーナー・アリス! ご無事ですか?!」
クロードもアインも無視して、リムルヘヴンはアリスの身を案じた。見た目ボロボロなのはむしろアインの方であるのだが、恐らくそちらはどうでも良いのだろう……相変わらずのアリス贔屓、相変わらずの人間嫌いだ。
嘆息混じりにアリスが答える。
「情けないが、不意を突かれてのう……アイン少年共々、万事休すって感じじゃ」
「何とお労しい……っ! おいそこの、アインとか言ったな! 貴様も魔剣使いだろうに、何をしていた!?」
「め……面目、ないです……」
いつになく覇気の無い、消耗した『エスペロ』のオーナーを見てリムルヘヴンは激昂した。誰よりも尊敬するアリスがここまで追い詰められたのは誰あろうお前のせいだと糾弾したのだ。
しかしてそれを遮ったのもまた、アリスであった。
「止めよ、リムルヘヴン……わしはこの子を庇ったし、この子はわしを護ってくれた。それでもこの様なのは、誰でもなくわしら二人の力不足じゃ」
「オーナー……いえ! オーナーに落ち度はありません! そもそもを言えばすべてはそこの、卑劣な虫けらが原因!」
「何て口の汚い……いかにもな悪党らしい台詞だね」
やれやれ、と皮肉げに言うクロード。しかしその眼光は鋭く、既に体勢を整えていつでも力を発動できる余裕を備えている。
対するリムルヘヴンは、発動させていた『ウォーター・ドライバー』を消した──そして、凍てつく殺意の視線でクロードを睨んだ。
「リムルヘルと、ついでにあのハンマー女のみならず。オーナー・アリスまでも襲うとは……!」
「僕としてはアインさんが目当てで、『女帝』はどうでも良かったんだが……聞く耳持たないか」
「許せん、断じて。貴様だけは、貴様だけはこの手で引き裂いてやるっ……!!」
かつてアインと試合をした時とは比べ物にならない気迫。
何をしてでもクロードを殺そうと言う決意と共に構えれば、そんなリムルヘヴンに向けて風の魔剣士は力を行使した。
「『第二段階』にも至れていない君では無理だ……諦めろ。『ハリケーン・ドライバー』!!」
再び巻き起こる暴風。あらゆるものを巻き込み、吹き飛ばして引き裂く狂気の風がリムルヘヴンたちを襲う。
身動きの取れないアインとそれを庇うアリス。吹きすさぶ風に、飛ばされないようにしているのが精一杯だ。
「く、う……っ!」
「少年、絶対に諦めるな……! 直にご主人が来てくださる、それまでは!」
「は、はい……!」
アインを励ますアリスに絶望はない。言った通り、直にセーマが来る……気配感知では既に、彼がこちらへ向かっているのを掴んでいた。
元よりこれほどの暴風だ、気付かれないわけもない。後はこの『ハリケーン・ドライバー』を耐えきれれば、きっとセーマが何とかしてくれる。
その確信がアリスを動かし、またアインの希望ともなっていた。
「……この魔剣とやらを手にして、多少でも力を行使するようになり、分かったことがある」
そして、リムルヘヴン。
暴風を前に何一つの抵抗もないまま、項垂れてぼそぼそ呟いている。まさか諦めたのか……そう思うアインとは裏腹に、アリスは息を呑んだ。
「異様な力だ……なるほど亜人とて敵わぬわけだと、嫌でも納得させられる。これで『第一段階』とやらなのだから、さぞかし『最終段階』とは凄まじいのだろう……実際に今、目の当たりにしているように、な」
声音は穏やかだが、長年彼女の傍にいたからこそ、アリスには分かる。
激怒している。今までに見たこともない程に、リムルヘヴンは怒り狂っているのだ、今。
そして彼女の身体から吹き上がっていく莫大なエネルギー。これはアリスだけでなく、アインにも、クロードにも見て取れた。三人揃って見覚えのある状態に、まさかと呟く。
「か、彼女……進化する?!」
「怒りで潜在能力が解放されると言うのか!?」
「馬鹿な……君は、まだ魔剣を手にして数日も経っていないはず」
愕然と目を見開く三人をよそに、リムルヘヴンの放つエネルギーは更に力を増していく。
怒りのままに彼女は叫んだ。大切な存在を傷つけられた屈辱と憎悪に、感情は容易く限界を超えた。
「──貴様はこんなふざけた力を! 私の妹に向けたのかぁッ!!」
『FEELING-FEEDBACK"EVOLUTION"』
「くっ!?」
力の奔流がクロードを、そして彼の放つ暴風を襲う。あり得ない──胸中にて不可思議な事態に戸惑う。
進化のスピードが早すぎる……ここに至るまでドロスからの指導や訓練を受けた自身でさえ、一月近くを費やしたというのに。しかもそれですら異様な早さだと、持てる素質の莫大さについて褒められた程だ。
『2nd phase──Assault-code please』
それが、魔剣を手に入れてわずか数日も経っていないのに『第二段階』へと入るという。
リムルヘヴンが、進化の言葉を叫び、告げた。
「貴様の生み出す風など、押し潰してやる──『タイダルウェーブ・ドライバー』っ!!」
「『タイダルウェーブ』……!? っ!!」
リムルヘヴンが選んだ、水の魔剣の第二形態『タイダルウェーブ・ドライバー』。
それが何であるかクロードが訝しんだ、瞬間──
「な……!?」
「こ、『洪水』じゃと!?」
顕現した大量の水が暴風ごと、辺り一面を飲み込んだ。
突如として遺跡地下を襲う、大量の水。不可思議なことに広い地下空間のみをなみなみと埋め尽くすそれは、上階への通路に漏れ出ることもなく固形のように枠内に満ち満ちている。
この、どこからとも知れない水は状況から察するに、リムルヘヴンが新たに進化した結果生まれた『タイダルウェーブ・ドライバー』の力であることは明白だ。
鉄砲水さながら暴風目掛けて襲いかかる洪水は、その勢いによって発生した風圧と水圧により『ハリケーン・ドライバー』の威を、完全にとはいかないまでも削ぎ落としていく。
「『ウインド・ドライバー』……ふう、どうにか呼吸は確保できるか」
水に襲われる寸前に風を放出してどうにか、水中にあっても呼吸可能なだけの、自身を中心とした球形の空間を確保したクロード。
苦々しい表情と共に言う。
「何て力業だ……大量の水で押し潰しに来るなんて!」
実際、強引な話だった。『ハリケーン・ドライバー』の暴風でもどうにもできない程に大量の水をぶつける、それだけの技だ。
だが結果を見れば『ハリケーン・ドライバー』はたしかに威力が減衰した──さすがに打ち消されはしていない、元々の出力の桁が違う──のだ、有効性については認めざるを得ない。
「それにしても、味方まで巻き込むとは……!」
むしろ恐るべきはその、形振りの無さだろう。躊躇なく行動不能のアインとアリスを巻き添えに大洪水を引き起こしたのは、短絡的な怒り任せのものだとしても常軌を逸している。
そこまで考えて、いや違うとクロードは目を凝らした。アインとアリスが、まるで水の影響を受けていないと驚いているのだ。
「な、何じゃ……? 息ができよる。ふ、服も濡れとらんし、言葉もこうして」
「幻、覚? でも、たしかに水の中にいる感触はあるのに。お、泳げそうなくらいなのに……」
見れば二人とも、水の中にいるのに水の影響を受けていない……つまりは服や身体が濡れるとか、息ができないとか言葉が話せないだとか、そういった当たり前のことが起きていない。
ふむ、とクロードは手を伸ばした。確保している安全空間の外側、水に手を入れる。冷たい。そして引き戻せば当たり前だが濡れている……そこから彼は推測を立てた。
「幻覚、ではないな……対象に応じて水の影響を調節できる、応用性があるのか。怒り任せの進化ではない、のか?」
「そういうことだ! 死ねい虫けらァッ!!」
「! ぐっ──」
考察に割り込む唐突な斬撃。言うまでもなくリムルヘヴンだ……魔剣を魔剣で受け止める。
風の魔剣の力を使おうにも猛攻の勢いがあまりに激しく、その機会を見いだせない。
こうなれば単純な剣技での比べ合いだ……魔剣使いとしては上でも、そもそもの生態からして劣っているクロード。ゆえに単なる斬り合いに勝ち目がないことは重々、承知していた。
「くっ……」
「貴様の魔剣もこれでは形無しだな! 素っ首叩き落として、人間どもへ晒してやろうっ!!」
「舐めるな、亜人め……っ! 所詮『第二段階』だ、『最終段階』に至った僕の敵では、ない!」
ここに来てクロードは余裕を捨てて吠えた。思わぬ進化によって虚を突かれた……しかしそれでもまだ、依然として優位性はこちらにあると叫ぶ。
気合いと共に魔剣ごとリムルヘヴンを僅かに押し飛ばす。その隙を突いて大幅に後退し、十分な余裕を得てから彼は再び、魔剣の力を用いるべく構えた。
「こんな程度の水、吹き飛ばしてやる! 『ハリケーン──」
「──何、水だと?!」
「何だこりゃ、嘘だろ? 遺跡の中だぞ!? 」
今まさに、再び魔剣の力を解放せんとした瞬間に響く声。横目で見れば遺跡地下の入り口の方から二人、セーマとラピドリーだ。
「……ちいっ! 時間切れか!」
思わず舌打ちするクロード。
ここに来て、形成が逆転してしまった……後は逃げるしかないと、彼は素早く決断した。




