『豊穣王』、その名はローラン
大陸の約6割を占める王国領、そのちょうど中心部に王城はある。
城下たる王都を見下ろす形で鎮座する荘厳な建築物の中で、日夜国政にまつわるすべての取り決めがなされているのだ。
「はわ、はわわ……はわわわ……」
その王城の中枢、国の頂点に拝謁するための謁見の間にて……アインは色をなくした汗まみれの顔で震え、跪いていた。
隣ではセーマが同じように跪き、苦笑とも呆れともつかない表情でそんな彼を見つめている。
無理もない……が、もう少し落ち着けないものだろうか。
そう思いながらも、彼は前を向いた。玉座に座る、一人の男を視界に収める。
美しい少年だった。金髪が黄金よりも煌めき、瑞々しい生命力と生気に満ちた愛らしくも凛々しい表情。折れそうな程に細身の身体は、しかしどこか力強い。
美女とも見紛う程の美貌だが、放たれる覇気、カリスマ性は紛れもなく王の気質だ……当たり前である。
誰あろうこの少年こそが、その小さな双肩に王国を背負う、世界を牽引する新時代のリーダー『豊穣王』として名高い国王ローランその人なのだから。
「よくぞ来てくれた、セーマ……そして、そなたがアインか。その活躍、余の耳にも届いておる。よくぞ町を守り人を救ってくれた。そなたこそまさしく新時代の英雄である」
鈴の鳴るよりなお涼やかで、鐘が鳴るよりなお清らかなその声音。
聞く者すべてを魅了するとまで吟われる声……しかしアインの緊張を解すには至らない。
ガチガチに強張った少年に、王はどうしたものかと頬を掻きながら、とりあえずは名乗りをあげた。
「余が当代国王、ローラン・エルグスト・デア・キャニズムリズム三世だ。此度は遥々王国南西部より参ったこと、嬉しく思うぞ二人とも」
「もったいなきお言葉」
「あわわわ……は、はいぃ。あ、アインと申します、よよ、よろしくお願いいたしますぅ……」
もはや半泣きにさえなりながら答えるアイン。
腹を括ったつもりではいたが……やはり国で一番偉い人間を目の当たりにしては平静などどこかへ吹き飛んでしまっている。
ワインドとの戦いから数日してから──急にセーマに呼び出されたアイン。まさかマオの『テレポート』によって王城にまで連れてこられるとも予想していなかった彼は、そのままなし崩しに、流れるようにこうして国王を前に跪いている。
最初は一大事を終えた後ということもあり何も考えていないぽけーっとした間抜けな顔でフラフラとセーマに付いていった彼ではあるが……これはひょっとして大変な事態ではないのかと、今更になって緊張しているのがアインだった。
已む無くセーマが小声で声をかける。
「そんな緊張しなくても大丈夫だって。案外気にしないんだから、向こうも」
「こ、ここ、こっちが気にするんですよう……! こ、この国の頂点ですよ……!?」
「そりゃまあ、そうだろうけど……」
つい数日前には英雄の気を発し、水の魔剣の使い手ワインドに対して果敢に立ち向かっていった少年が……今では半泣きでセーマに助けを求めている。
小動物のようなアインの姿に、いよいよ苦笑いを深めるセーマ。
そんな彼に、王の側に立つ初老の男性が声をかけた。
「勇者殿、こればかりは仕方ないかと……この国に生まれ育った者ならば皆、今のアイン殿のようになるものです」
「プラムニー大臣。そんなもんですか……」
「ええ。王とはこの国において、それ程までに絶対なのです……良くも悪くも」
男性──プラムニー大臣は穏やかに取り成してみせた。
彼は国王と共に国政を取り仕切る大臣たちを取りまとめるリーダー役であり、ローラン王の右腕とも評される辣腕の政治家だ。
セーマともそれなりに面識があり、ローラン共々良くしてくれている男でもある。
勇者と大臣のやり取りに、国王も肩を竦めて割って入る。
覇気はそのままに、しかし纏う空気は緩くなっている……セーマとプラムニー、そしてアインしかいない空間ゆえの、親愛の発露だ。
「余としてはこれからの時代、王ももう少し民に身近な存在となって良いと思うのだがなぁ。とはいえ神と同一視されてきた歴史があるゆえ、何とも難儀な話だが」
「神様扱いですか。国王も大変ですね」
「……形式ばった挨拶は済んだのだし、堅苦しいのは止めてくれセーマ。ここには口喧しいのもおらんのだ、好きに振る舞ってくれて良い」
敬語のセーマに、嫌そうな顔をして王国のトップは言う。
久しぶりに会った友人への配慮でもあるし、何よりセーマにそのように距離を取られるのが嫌というのもあった。
「……分かったよ。お前もプライベートの口調に戻せよ、ローラン」
「こうして玉座にいる内は、さすがにそれはできんよ……余の部屋で話さねばならぬこともある。その時にはきっと、そうしよう」
砕けたセーマの口調。そして立ち上がり話しやすいように近付いていく彼の姿に、花が咲くような笑顔を浮かべてローランは応えた。
この世界にやって来て以来、たった一人、異邦の兄妹に対して親身になって接してくれたのがこの、年若き国王であった。
つまるところセーマにとっての恩人であり、弟分であり、また無二の親友が彼なのだ。
「せ、せ、せ、せっ」
「よいよいよい?」
「セーマさん! いくら友達でもそんな、お、王様に無礼な口利いちゃったら死刑になっちゃいますよ!?」
「……え、死刑?」
顔を青ざめさせたアインの心配に、きょとんと目を瞬きさせ、セーマ。
そのままローランとプラムニーの方に視線をやり、問いかける。
「なるの?」
「なるわけが無いだろう……先代の頃とは違う。言動一つで大切な民を傷付けるなど為政者としては下も下だ」
「アルバールの時はなったのか、死刑……」
「死刑はありませんでしたが、まあ逮捕から禁固刑くらいまでは。何しろ先代は、実に支配者らしい王でしたからなあ」
苦笑と共にプラムニーが言えば、ローランは憮然としてそっぽを向いた。
先代国王アルバール……ローランの実父であり、『勇者召喚術』を行使してセーマとショーコをこの世界に拉致した張本人であるその人は、良くも悪くも王であった。
強権的で、自国のために他のすべてを利用し犠牲にする──戦争においても自国の利益のみを追求して人間世界の足並みを乱していた程のエゴイストだが、それゆえに自国民からは愛されていた二面性のある男。
そんな先代を、ローランはどうしても認められずにいる。
「そもそも、セーマを死刑になどできるわけがないだろう……戦力的にも道義的にも」
「物理的に不可能と言うのは置いておくにしても、勇者殿は王国の、ひいては世界の恩人ですからなあ」
しみじみと呟くプラムニー。
そんな彼の言葉に反応して、アインが顔をあげた。困惑と畏怖とを表情に浮かべ、言う。
「本当に……『勇者』なんですね」
「……アイン殿はどこまで知っていらっしゃるので?」
「俺のことについては大体打ち明けました。『魔王』についてや王国についてはまあ、固有名詞を出さない程度に」
答えるセーマ。
今回王城へ向かうにあたり、彼はついに己の素性──すなわち『勇者』としてのこれまでをアインに伝えていた。
異世界からやってきて、亜人へと改造され戦場に投入されたことを、包み隠さず話したのである。
「セーマさんが、戦争からの『出戻り』なのは知ってましたけど……魔王を倒して世界を救った英雄とまでは」
「人間じゃなく……亜人だったことも、きっと驚かせたね」
「あ、いえそこは。あんまり強すぎるんで、何となく人間じゃないっていうのにも納得はありましたし」
あっけらかんと受け入れるアイン。
そして、ばつが悪そうに呟く。
「そもそもその……『勇者』なんて人がいたことすら知らなくって」
「『勇者』の存在は当時から各国の上層部しか知り得ぬよう取り扱われていたゆえ、お主のような一般国民が知らぬのも無理はない。気に病むな」
「戦後大々的に取り上げたかったところですが……諸般の事情によりそれも叶わず」
「は、はあ……はい」
ローランとプラムニーが何やら申し訳なさげにセーマを見るので、アインも釣られて彼を見る。
「何で俺に視線が集まるんだ……悪目立ちしなくて助かってるよ?」
「しかしな……」
「そんなことより。なあローラン、このアインくん、すごいんだぜ」
「え? え?」
アインに近寄り、今だ跪く彼の肩を抱いて立ち上がらせる。
まるで自慢話のように、セーマが言った。
「大事な人を護るため、どんな敵にも敢然と立ち向かう! 炎の魔剣を自在に操る彼こそが、これからの時代を代表する英雄に相応しいと俺は思ってる」
「セーマがそこまで持ち上げるとは……ふむ、アインか。よくよく覚えておこう」
「そ、そんな畏れ多い」
「さっそく町一つ護ったヒーローが謙遜するなよ。なあローラン、一つ頼みがある」
唐突な願いの申し入れに、ローランは目を丸くする。
アインにやけに入れ込んでいる風な兄貴分の青年は、続けてこんなことを言うのだった。
「彼の二つ名を考えてやってくれないか? 『豊穣王』直々に異名を与えられたなんて、すごい箔が付くし」
「え……えええ!? セーマさん、それは!?」
「ほう? 二つ名か……たしか戦後になってできた風潮だな、プラムニー」
「ギルド国営化に伴うものですな……上級冒険者に特別な価値を付与し、冒険者という職業のイメージ向上にも繋がっております」
ふむ、とローランは考えた。
他ならぬセーマの頼みだ、当然応えるが……国政を担う者として、アインに二つ名を付ける行為がもたらす影響にふと、思考が及んだのだ。
二つ名自体がプラムニーの言う通り、冒険者のイメージ向上のためのある種のプロパガンダであるのだ……国王が二つ名を付ければいよいよ冒険者への一般的なイメージも変わるだろう。
これまでも何度か考えないではなかったが、その都度却下されてきたことでもある。
何しろ清廉潔白な冒険者を選んで二つ名を付けなければ、国王に見込まれた者が悪に手を染めるようなことがあっては王権の威厳を損ないかねない。
その点を言えばアインも同様であるが……かつての戦争における大英雄『勇者』が見込んで連れてきた若者ということで、信頼性はある。
頷き、ローランは答えた。
「良かろう。王国南西部を護った冒険者アインの功績を認め、『勇者』セーマの推薦の下、余が二つ名を与えようではないか」
「やったな、アインくん!」
「あわ、あわわわ……た、大変なことに……!」
あまりの成り行きに震えるアイン。
勇者セーマによって見出だされた英雄への道の、大きな飛躍が今この時であることには、未だ気付かないでいるのだった。




