決着、邪を浄めるは聖なる紅炎
──ワインドという男はまったくやる気のない、うらぶれた中年冒険者だった。
臆病で小心で、善人というよりは悪人ではない、というだけのしがない男だ。
その日暮らしで依頼をこなし、飯を食い酒を飲み女と触れあうのが日課。大したこともない生活しかしていないのがワインドだった。
そんな彼が道を大きく誤ったのは、半月前にバルドーによって魔剣を渡されたことが何よりもの切欠だろう。
急に降って沸いた強大すぎる力、すなわち水の魔剣を得て、彼の倫理は大きく歪んだ。
『これさえあれば、何でもできる』
『これを使って、君を馬鹿にしてきたすべての者を見返してやれ』
『望むがままに振る舞うが良い。そして至れ──進化へと』
そんな風にバルドーに唆されたワインドの最初の殺しは、名も無き亜人が相手だった。賊ですらない。
切欠も大したことではなかった。冒険中のちょっとした遭遇。敵意がなかったにしろワインドが剣を抜けば最後、未だ力の制御に欠けていたために暴走した『ウォーター・ドライバー』は、何の罪もないその亜人を殺してしまった。
それが切欠だった──罪悪感と万能感、現実逃避が混ざり合い、彼は転がり落ちるように 殺人に手を染めていった。
亜人、犯罪者、冒険者。ありとあらゆる気に入らない者を彼は、すべて斬り殺してしまったのだ。
『そうだ。もっと血を吸わせろ、魔剣に。戦え、そして進化しろ……君は英雄になれる』
そんな甘言に背中を押されるがまま殺せば、その度に心の箍が外れていった。
箍が外れるごとに、更に殺しを重ねる。
血にまみれた循環──彼の心は外道に堕ちた。
そしていつしか生まれた狂気。
最初は小さな、けれど徐々に胸中にて大きくなっていくそれ。
育つにつれて、彼は目に見えて変調を来していった。虚ろになる瞳、歪んだ相貌、ろれつが回らず、どこか途切れがちの言葉。
元の精神を蝕みつくす程の闇。
アインに追い詰められて発狂したワインドの、狂気の本性であった。
「覚悟せいっ!」
「ひあ ひははは」
そして今、この瞬間。
そんな風にして闇で身を隠したワインドの狂気の道に、終わりが訪れようとしている。
アインの新たな必殺剣『プロミネンス・ドライバー』によって『フリーズ・ドライバー』が封殺されている間に、メイドたち三人が肉薄してきたのだ。
「ひひひひゃひゃひゃひゃひゃ」
「その腕、いただくっ!」
ジナが一番槍を務め、ワインドの懐に潜り込む。
すかさず放つ掌底……まずは身体全体を打ち、動きを止める!
「せあっ!」
「ぎゃひ」
鳩尾へ深々刺さるジナの手。狂気に浸っていても痛覚は生きているだけに、ワインドの身体が折れ曲がる。
それを逃さずジナは追撃した。頭、首、胴、両手足──計7箇所、ほぼ同時に痛打を浴びせる。
「『天星・七道拳』!」
「ぅぎ──」
「アリス!」
「応よ!」
目にも止まらぬ打撃を受け全身が痛みと緊張に硬直する……間際を狙い、アリスが翔んだ!
小柄な身体でワインドの身体に組み付き、その間接を極める。首を固め、魔剣を持つその腕をあらぬ方向へと曲げる。
「関節を責められるのは初めてじゃろう!?」
「ぐ お い あ ぁ」
走る激痛。壊れた精神でもなお感じるダメージに、ワインドは暴走した。
辺り構わず氷柱が発生する……もはや針の山と言って良い程の莫大なる発現。
しかし──
「『プロミネンス・ドライバー』ッ! 炎よ吼えろおっ!!」
豪気に叫ぶアインとその一振り。
『プロミネンス・ドライバー』によって生み出された炎の竜が、轟音と共に戦場を駆け抜ける。
次々と氷晶を喰らい溶かして、ワインドの周囲を渦巻くように絡み付く炎……高まる熱気が確実に『フリーズ・ドライバー』を封殺していく。
「リリーナさん!!」
「承知した! 電光よ、今こそ威を示せっ!」
アインの声に応じ、『剣姫』リリーナが愛刀に力を込めた。勢い良く迸る紫電。
狙うは腕……アリスによって極められあらぬ方向に曲げられた、魔剣を持つその手。
「『電光ハザード──」
「ひ あ ああ あひひひい」
世界最強の剣を目の当たりにして、さしもの狂気も笑みが消える。
どうにか回避しようともがくも、ジナの打撃、アリスの万力によって打ちのめされた身体は身動き一つできない。
何よりもう遅い。
リリーナの必殺剣は神速、発動を許したならばもう、逃げる術はないのだから。
刹那の雷光……そして放たれる、必殺剣。
「──クライシスフィニッシャー』ッ!」
炎渦巻く草原の中、眩い電光と共に放たれた『剣姫』の必殺剣。
それは狙い寸分違わずワインドの手、握られた魔剣の柄とそこから先を分断するのであった。
空高く舞い上がる、柄のない魔剣。
水の魔剣は今まさに、リリーナの必殺剣『電光ハザード・クライシスフィニッシャー』によって切断され、ワインドの手を離れた。
本来ならば敵を空中高くに打ち上げて身動きをとれなくした後、更に高く翔んだ場所から全エネルギーを込めて斬り下ろす防御不能の奥義だ。
今回はアリスやジナの補助があり、確定で当てられる状況が整っていたため一部工程をオミットして放たれたが、その威力に何ら減じるところはない。
しかも狙いが緻密である。
莫大なエネルギーが込められ、放電現象まで起こしながら放たれたにも関わらず、ワインドの手にはいささかの傷もない。
完璧に制御された技術により、魔剣の柄のみを切断したのだ──剣技に限ればセーマをさえ上回る技術を持つリリーナだからこその、神業だった。
「あ う ──」
「魔剣は取り除いたぞ! 後は好きにしろ、アイン!」
「はいっ!!」
すぐさま飛び退くメイドたち。
残されるは柄を手に呆然と佇むワインド。
力が失われた──狂気の中、それでもそれだけは理解して立ち尽くしているのだ。
アインは力を込めた。もう一度だけ深く呼吸をする。
最後の一撃だ。
「逃がさない──」
炎竜がアインへと戻り、魔剣へと絡み付いていく。
元より燃え盛る炎の刀身が更に激しく、強く吹き荒れる。
すべてはこれから行う一撃のため……アインは呟いた。
「狂ったから、壊れたからなんて言い訳にさせない。お前は正気のまま生きて、正気のまま罪を償うんだ……踏みにじってきたすべての命に、これからのすべてをかけて贖え!」
度重なる『ファイア・ドライバー』の使用から『プロミネンス・ドライバー』の発現まで──
魔剣を使い続けたアインの体力も、既に限界に近い。
この一撃が終わればもう、魔剣の力を発動することはしばらくできないだろう。
だからこそ、すべてを込める。
目の前の男の逃避を許さぬために。狂気に陥っているからなどと言い訳させないために。
何よりも失われたすべての命、すべての魂のために。
──彼は駆けた。ワインドへ距離を詰め、その剣を振るう。
「これで終わりだ──『プロミネンス・ドライバー』!!」
そして、横に薙ぐ炎剣一閃。
ワインドの身体を真っ二つに切り裂いて、アインは振り抜いたままの姿勢で止まった。
成り行きを見ていたメイドたちがにわかに慌てる。
「き、斬ったのか!? 何をしとるか──」
「待ってアリス、ワインドは切断されてない!」
「これは……!」
勢い余って殺してしまったのではないかと早合点するアリスを止めつつ、ジナも困惑した。
ワインドは真っ二つになどなっていない……けれど、様子がおかしい。炎に焼かれたその姿から、声が漏れる。
「あ う ぎ ぐ う つ う……う──あ、は、あ?」
苦しみもがくその姿。明らかに意識を取り戻したその声音。
燃やす炎がやがて黒へと変じていく。ワインドの身体から染み出た邪悪な気配が、炎と交わり消えていく。
「『邪悪も狂気も浄めて払う、聖なる炎』か」
「マオ……何か分かるのか?」
「ご覧の通りだろ? あの『プロミネンス・ドライバー』は今、奴の狂気を燃やして正気に戻しているのさ」
肩を竦めてリリーナに答える。マオにも信じがたい話ではあったが……目に前にあるものこそが現実だ、受け入れ認めるしかない。
「あ……ぐ、う。俺、は。俺は、今まで、何を──」
狂気を失い、まともな顔付き、まともな声音に戻るワインド。
『プロミネンス・ドライバー』による炎が、彼の正気を蝕んでいた狂気を焼き尽くして正気へと戻したのだ。
唖然としてアリスが呟く。
「そんな……ことが可能なのか? 『プロミネンス』には」
「無理だ。『プロミネンス』だけじゃない……私の魔法に、一度壊れた精神を癒すような芸当ができるものはない」
強張った声音と表情で、マオ。
その顔に余裕はない……遥か予想を超えて見せた魔剣の力に、いよいよ警戒を示しながら推測を述べていく。
「『プロミネンス・ドライバー』を発現する時……あの小僧は『燃やせないものを燃やす』ことを願った。『フリーズ・ドライバー』に対抗するために」
「それに応えて『プロミネンス』に追加効果が付与されたってことですか?」
ジナの言葉に厳かに頷く。
単なる劣化コピーとしか思っていなかった魔剣による魔法再現が……ここに来て、恐るべき可能性の片鱗を見せてきたことでマオの顔は険しいものへと変じている。
「『溶けないものを溶かせ、燃やせないものを燃やせ』……そして極めつけに『邪悪も狂気も浄めて払う、聖なる炎』だ。魔剣が使用者の意図に合わせて既存の魔法をカスタマイズするのならば、なるほど注文通りの炎を生み出してみせるだろうよ」
すっかり正気に戻ったワインドから消えていく炎を見詰めての解説。
人の精神面にまで干渉して見せたアインの魔剣……そのすさまじさに慄然とする一同をよそに、当の本人はワインドに向き直り、言った。
「……正気に戻りましたか?」
「おれ、俺は、俺……ああ、何てことを、俺は」
頭を抱え、絶望に涙する中年冒険者。
やはり、魔剣に魅入られて暴走していたのだ──確信と共に、堪えがたい同情を抑えて、努めて冷徹に少年は告げた。
「貴方は、罪を犯しました。分かっていますよね」
「あ……う。ああ、ああ。何で俺は、何で。バルドー。バルドーさんが、バルドーさんが」
「たとえ狂っていても、壊れていても。貴方がやったことに変わりはない」
「うう、うううう……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!!」
号泣して蹲り、奪ってきた命にただ詫びるワインド。
それを見て、アインはいよいよバルドーへの怒りが膨らむのを自覚して唇を噛み締めた。
自分勝手な目的のため、この男に魔剣を渡し、狂気と大罪の道を歩ませたバルドー。
断じて許せない……この人も含めて尊厳を踏みにじられたすべての命のためにも、必ず奴に落とし前をつけさせる。
そう心に誓いながら、アインは続けた。
「自首しましょう……そして罪を償うんです。貴方が奪ってしまった命と、尊厳に」
「わか、り、ましたぁ……っ!! ごめんなさい、ごめんなさい……っ!!」
慟哭の響く草原。
すべてが決着した一同の間には、達成感とは程遠い怒りと哀しみが渦を巻いていた。




