戦慄の凍土、魔王の問いかけ
「『フリーズ・ドライバー』ッ!!」
「何──!?」
発動した、新たなる力を示した水の魔剣。
その威はすぐさま、目の前のアインにも知れることとなった。
「こ……これはっ!? 氷が、広がって」
「アインっ、離れて!!」
巨大な氷柱が地面から大量に発生する。
花開くように──ワインドを中心に。
鋭利、かつあまりの冷気にアインが飛び下がる。彼を無視して現象は更に拡大した。
「は──はは、はははひひゃははひははひはは!!」
狂気の笑い声と共に、冷気が広がる。荒野が凍てつき、固まっていく。
アインを、ソフィーリアを、そして更に遠くまで……荒野全土にまで及ぶ、莫大な冷却エネルギー。
瞬く間に凍土と変わり果てていく荒野を呆然と見ている少年少女たち。
意味が分からない、悪夢のような光景だった。魔剣があるとはいえ、人間にできる領域を遥かに越えている。
「ま、まずくないかな、これ!?」
「寒い……! アイン、『ファイア・ドライバー』で火を起こせない?」
「あ……ああ! 『ファイア・ドライバー』! ソフィーリア、僕の傍に」
急速に低下していく気温。それを受けて寒がるソフィーリアの要請に応じてアインは『ファイア・ドライバー』を発動させた。
炎が吹き上がる……やはり出力が上がっている、異様な程に。
それはアインにも分かっていたし、内心では予測付いているところもあったが今はそれどころでもなく、とにかく暖を取るべくソフィーリアを抱きしめて炎を纏う魔剣を維持した。
「これが、魔剣の力……!?」
「魔剣を持っている僕だからか、分かる……」
唖然として恐怖するソフィーリアに、強張った表情でアインは告げた。
それなりに魔剣を使ってきたゆえの、直感からの確信を抱いた……ワインドの現状。
「奴は今、進化したんだ。壁を越えて、次の段階に進んだ」
「次の、段階?」
「間違いない──この剣は、持ち主と共に進化するんだ!」
恐れと共にアインが叫び、そして。
「あは あは あははは」
花開く氷柱が砕け散り、中心にいたワインドが笑みと共に姿を表した。
「えへ えひゃ えひひひひひひ」
「あ、う……」
「こ、われてる……」
寒気のせいではないだろう……アインとソフィーリアの背筋を走ったおぞましさは。
ワインドはここに至り、完全に精神を崩壊させていた。
魔剣によるものか、はたまた生来持ち合わせていた狂気によるものか判然とはしなかったが──もはやワインドは廃人となったことが、二人には分かってしまったのだ。
「あはあは ははは ふふふ うへへへ」
「ど、どこへ行く!?」
「いひ あひひ ふふふふふへへへ」
けたけたと笑いながら踵を返すワインド。
魔剣は『フリーズ・ドライバー』を発動させたままだ──そのまま何処かへ行こうとしている。
アインはソフィーリアを下がらせ、ワインドに問うた。返ってくるはずもない……そう思っていたのだが、微かな返事があった。
「うひゃひゃひゃ めりーさ めりーさ うひうひひうひ」
「めりーさ? ……メリーサ?! メリーサおばちゃんのことか、まさか!?」
「こ、この人もしかして、この間メリーサさんに言い寄っていた!?」
そこで初めて、アインとソフィーリアは気付いた。
数日前、町のレストランの店員メリーサにしつこく言い寄っていた男がいたが……それがこの、ワインドだということに。
「て、てことはこいつ、メリーサさんに会いに、町へ!?」
「きっとそうよ……! だ、だって方角的に……町の方だもの……!」
「めりーさ めりーさ うへはへへ めりーさぁ」
「っ」
ここまで壊れ果ててなお、メリーサに会いたいと想うのか──アインは内心、やりきれないものを感じながらも構えた。
この男が元はどういう男だったのか、どのように魔剣を得て、こう成り果ててしまったのかはもはや、分からない。
あるいは半ば無理矢理持たされて、戦わされてきたのかもしれない。ハーピーの虐殺も、あのバルドーに脅されて已む無く行った可能性だって……否定はできない。
「だけど……どんな理由があっても、あんたは罪を犯したんだ! そして、罪なき人たちをたくさん殺した!!」
「めりーさ めりーさぁ」
「メリーサおばちゃんには会わせない! お前の行く先は牢獄だ──『ファイア・ドライバー』!!」
決意と共に剣を振るう。纏った炎がワインドを襲う。
しかし──
「あは は」
ワインドの眼前、突如氷柱が突き出て魔剣を防いだ。
『ファイア・ドライバー』の炎を受けてなお、わずかに溶ける程度の超密度の氷。
「っ!?」
「うひ ふへへ」
氷柱はなおも連続して突き出る。アインを狙い、鋭利な氷刃となって足下から襲い来る。
咄嗟に飛び退くアインを追うようにしてそれらは絶え間なく発生する──ワインドに、手が出せない。
「くっ!? ま、待てっ!!」
「めりーさ めりーさぁ」
凍土と化した荒野に無数の氷華が花開く。
もはや元の閑散とした光景などどこからも連想できない程の氷晶高原と化していく中、ワインドは狂った笑みをあげながらゆっくり、ゆっくりと町を目指して歩いていった。
「まずい……まずい、まずい! あいつ、町に行っちゃう!」
「どうにかして追わないと! で、でもどうやって」
アインとソフィーリアが顔を真っ青にして焦りに声をあげる。
追いかけようにも、無造作かつ密に突き出た氷柱に阻まれて思うようにも動けない。
このままではワインドが町に到達する。あの狂った男の異様な力が、メリーサを始め町の人たちに向けられてしまう。
凍土の発現する大地に、事態は着実に悪化していた。
『──参ったねこれは。まさか読まれているとは』
レストランに声が響く。目視のできない程に薄まっていた霧が、セーマとスラムヴァールの眼前で集合して形を取り戻していく。
そして現れるエメラルドグリーンの長髪、貴族服の少女。魔王マオだ。
「気配してたかい? そんなことはなかろうに」
「はいー。まったく気付きませんでしたぁ、霧になって待機してらっしゃったんですねえ」
「……ふん、つまりは読み一つで私を看破したってことかよ。大したタマだな、スラムヴァール」
鼻を鳴らしてマオが言う。その顔は驚愕と感心、そして警戒がそれぞれわずかに入り交じっている。
知ってか知らずか、スラムヴァールはいつも通りに間延びした口調で返事して見せた。
「お褒めに預かり恐縮ですぅ、魔王陛下ぁ」
「マオと呼べ。職業としての魔王はとうに引退した。今は森の館の食客マオだ」
「分かりましたぁ……もうご存じでしょうが、私はスラムヴァールと申しますぅ。よろしくお願いいたしますー」
「よろしくはせんぞ。『オロバ』だったか? そこにいる時点でお前も私の、星の敵だ」
刺々しくも口にするマオに、スラムヴァールはしかし微笑んで頷く。
この手の、どこか飄々として本心を見せないタイプは苦手なタイプだろうな……と、どこか反応に困っている風なマオを眺めてセーマは思った。
助け船をだすわけではないが、スラムヴァールに問う。
「……読んでいたのか? マオが俺に同行するのを」
「まあ、あり得るかなー? くらいですかねぇ」
にっこりと微笑んで女は答えた。
どこか裏があるのは間違いないのだが、それでもたしかな親しみというか、こちらへの友好が感じられる笑みだ……そんな顔を張り付けたまま、彼女は続けて言った。
「お気付きでしょうけどぉ、今頃アインくん、襲撃されてると思うんですよねぇ」
「……やはりか。彼は一般人じゃないしな」
「私としては冗談抜きに止めて欲しかったんですけどねー……貴方たちを面と向かって敵に回すとか心底嫌ですしぃ」
本当に嫌だったのか、げんなりとして肩を落とす。
彼女からしてみれば交渉の最中に裏で喧嘩を売っているようなものだ……交渉相手がセーマという、その気になれば一瞬で全部終わらせてしまえる冗談のような怪物なのだから尚更、勘弁して欲しかったのだろう。
とりもなおさず彼女は重ねて言った。何故魔王が勇者に同行すると読めたのか、その理由を。
「私はぁ、おそらくアインくんには護衛が付いてるだろうなーって思ったんですー。貴方はずいぶん彼を可愛がってるみたいですしぃ、一人には絶対にしないんだろうなぁって」
「……そんなに可愛がってるかな、俺」
「控えめに言ってもダダ甘だぜ君。孫相手にしてる爺さんかよってくらい」
「そんなに!?」
敵であるスラムヴァールはともかく、味方側のマオにまで言われてしまい、さしものセーマも声をあげた。
たしかにアインに関して、その気質や性格から気に入って目をかけている自覚はある。
しかしそこまで言われてしまう程だったかと驚くばかりのセーマだ。
曖昧に苦笑いを浮かべてスラムヴァールが咳払いをした。
「こほん。えーっとぉ、それはともかくですねー。私は多分ー、『剣姫』あたりが護衛に着くだろうなーって思ったんですぅ。森の館から出せる最高戦力は、貴方方二人を除けば彼女でしょうしぃ、そのくらいはしてくるだろうなーって」
「実際、その通りだから慧眼だな」
「……それでですねぇ、次に気になったのがぁ、マオさんの動向なんですよねぇ」
やはり『剣姫』が護衛に着いている──マオの発言から確信に至る。
スラムヴァールは己の駒たる『魔人』エーの身を案じつつ、続けた。
「貴女が万一、護衛に付いてた場合ー、敵味方問わず全滅は免れないんでぇ、それが一番恐かったんですよー」
「ふん……私のやり方も調査済みか。用意の良いことで」
「いえいえー、とにかく派手な大規模破壊なんて目立って当然ですからぁ。戦争での逸話、事欠きませんねぇ」
「目立ってなんぼなんだよ、魔の王様なんだから」
どこか自慢げに述べるマオを、セーマもスラムヴァールも微妙な表情で曖昧に見詰めた。
派手の域を超えているのだ、この少女のもたらす破壊は……かつての戦争にてマオが引き起こした災害は数知れない。地形がまるごと変わった場所などいくらでもあるのだ。
破壊と殺戮の化身──そう呼ぶに相応しい女を前にしてスラムヴァールはなおも説明した。
「でもぉ、星の化身たる魔王が人に味方なんてするわけない、と思いましてぇ。それよりも来るなら私の方、直接対話がメインとなる会談の方かなーって、思った次第ですぅ」
「……来ないとは考えなかったのか?」
「それならそれが一番ですねぇ。もしアインくんの方に付いていたとしてもぉ、そうなれば恙無く会談を終えた後こっそり逃げるだけですしー」
なるほど強敵だ。セーマもマオもそう感じていた。
楽観にも依らず、しかして悲観にも過ぎず。起き得る可能性についてを手持ちの情報からよく考えて動いている女だ。
ふぅむと考えるマオ。
正直なところ、『それゆえの間違え』を見付けはしたが……相手方の大きな弱点となり得るものなため、今ここで正すことはしない。
肩を竦めて、彼女はスラムヴァールを認めた。
「大したもんだよスラムヴァール。私を見抜いたその頭脳、情報と己の感覚を信じたその自信……見事だ」
「お褒めに預かり恐縮ですぅ」
「──ゆえ、改めて問おう」
威圧もたっぷりにマオが言い放った。
魔王の覇気……それを間近に受けてスラムヴァールの顔色が変わる。虚飾を認めぬ凍てつく気迫と共に、マオは告げた。
「述べよ、スラムヴァール。この私に何のようだ。何を話し何をしたくここで私を呼んだのか」
「……!」
「答えよ」
絶対的王者の気風を受けて、スラムヴァールの身が震える。
かつて人間世界をまるごと敵に回した、これが星の化身かと顔を強張らせながらも……それでも彼女は毅然として、答えたのであった。




