前日の一幕、決戦を控えて
「──というわけだ。急な話で悪いんだけど、三人にはアインくんの護衛を任せたい。頼めるかな?」
セーマの問いに、メイドたちは頷いた。リリーナ、ジナ、アリス。森の館でも指折りの実力者たちだ。
ここは森の館、セーマの部屋。ハーピーの件がひとまず落着して、彼はホームに戻ってきていたのだ。
──ハーピーの身柄はひとまず保安に引き渡された。アインとソフィーリアが連れていったのである。
ギルドの干渉や被害者二人の寛大な姿勢の手前、何より経緯的に保安とて無体な真似はしないだろう……そう考え、セーマたちは事後処理を少年少女たちに任せ、一足先に帰ったのだ。
自室に戻り寛ぎがてら、事情を説明する。
リリーナが発奮して言った。
「お任せください主様! そのような危険な者ども、わたくしが一刀両断してご覧にいれましょう!」
「ボクも頑張ります……アインくんは知らないわけでもないですし、見過ごしたくありませんから」
「わしもアイン少年とは会っとりますしのう……何よりご主人に牙を向けた輩、生かしちゃおけませぬ!」
ジナ、アリスも気合い十分だ……この二人はアインとも面識がある分、より力が入っているらしかった。
よし、とセーマは頷く。そしてもう一人、椅子に座り足組みしている彼女に声をかけた。
「お前にもできれば手伝って欲しいけど……どうだ? マオ」
「愚問だぞ、そんなの。参加するに決まってるだろ」
彼女──魔王マオはふんぞり返って不敵に笑った。
エメラルドグリーンの長髪が床にまで伸びている。幼い見た目にそぐわぬ異様な威圧を出しつつマオは続ける。
「二本目の魔剣に……魔眼ときたか。くくく、本当に好き放題やってくれてるわけだ」
「腹立たしいのは分かるが今は落ち着けよ。漏れてるぞ、威圧」
「失礼……だがなセーマくん。私はあのアインの方には付かんぜ」
憮然として腕を組み、彼女はそう告げた。
まさか『ファイア・ドライバー』の件でまだ何か、アインに思うところでもあると言うのだろうか……そう思い至りにわかに渋面を浮かべるセーマを見て苦笑する。
「あの小僧がどうこうじゃないよ……おそらくは乱戦になるだろう荒野の方より君の方で、スラムヴァールだったか? そいつの与太話を聞いている方がまだ価値がありそうだからな」
「ふむ……だが一対一と取り決めてあるしなあ。約束したからには破るのもちょっと」
律儀に交わした約束を履行せんとするセーマ。約束は守らねばならないという思いもあるが、それ以上にバレた時に相手が何をしでかすか分からないという懸念もあったのだ。
そんな彼を呆れたように眺めつつ、マオは一言呟いた。
「『ミスト』」
「!?」
瞬間、変わるマオ。
一切の姿を霧に変じ──しかもその濃度を下げていく。薄めにさえ何も見えない。
アリスが呆然と呟いた。
「まさか、ヴァンパイアの能力よりも優れた『霧化』をしよるとは……」
「気配もろくにしないだろ? これなら尾行したとしても気付かれない。どうかねセーマくん?」
「ふむ……」
こうまで見事に霧と化すならば、さすがに話も変わってくる。
気配感知にもほとんど引っ掛かっていない……セーマの『五重感知』を以てしてそれなのだ、スラムヴァールにはまるで分かりはしないだろう。
「その状態で『テレポート』はできるか?」
「無論だとも。仮に感知されたとしても即座に離れられるよ」
「……分かった。霧化した状態で同行してくれ」
最後の一押しを受けてセーマは決断した。
霧化したまま『テレポート』ができるのならば、スラムヴァールに感付かれたところで言い逃れもしやすい。
「話の成り行きによっては、すぐさまアインくんの方に向かわなければならない。ついでだからそっちも頼む、マオ」
「銭払いは弾めよ……あと私は戦闘には参加しないぞ? まず間違いなく、敵味方の区別もなく纏めて皆殺しにしてしまうしな」
「相変わらず雑なのだな、お前は……」
リリーナが呆れたように言う。戦争中もこの『魔王』はそうだった……突然現れて敵味方のべつまくなしに大規模災害で皆殺し。そんな戦法しかしていなかった。
対処できたのは自分と主だけだったな──そう思い返すリリーナに、マオは肩を竦めた。
「一々雑兵どものことなぞ構ってやっていられるものかよ。『間引き』だったんだぜ、あの戦争は。誰彼構わず殺し抜く、それが『魔王』の使命なのさ」
「物騒ですね……」
「ぶっちゃけ味方側なのがおかしい奴じゃからのう。成り行きとはいえ」
顔を引きつらせるジナとあっけらかんと言うアリス。
戦争を起こした張本人、マオ──どう考えたところで今こうしてセーマたち家族の一員としているには違和感の付き纏う存在だ。
本来ならば終戦の示しとして『勇者』に殺されているべき者が、何故だか生き延びて身内になっている。
運命とはかくも数奇なものなのか──その場にいる誰もが、それを思っていた。
「ま、ともあれ今は俺たちの大切な家族で、頼りになる味方だ。俺はそれならそれで良いさ」
「セーマくんは判断基準というか、価値基準が明快で助かるよ……さて、話が決まったなら私は引き上げるよ。ショーコやメイドどもとボードゲームやるからね」
立ち上がるマオ。ひらひらと手を振って退室しようとする彼女に、優しくセーマは声を掛けた。
「翔子とも仲良くしてくれているみたいで何よりだ。ありがとな、マオ」
「別に君の御機嫌伺いで仲良くしてるわけじゃないんだが、そう言ってくれるんならありがたく受け取っておく……じゃあね」
そしてドアを開け部屋の外へ出る。
残されたセーマとメイドたちは穏やかに苦笑して顔を見合わせた。
「ひねくれてる……のとはちょっと違うな。皮肉屋というか、ニヒルというか」
「ご主人と同格であると誇示したい、そんな感じですのう」
「格下扱いは嫌なのでしょうね。ライバルとして並び立ちたい、と」
「今まであいつを下に見たことなんて一度も無いんだけどなあ」
年頃の女は難しい。そんなことを思うセーマ。
ともあれ数日後のスラムヴァールとの会談に際し、森の館の面々は準備を整えていくのであった。
「そら、修復は完了したぞ……受けとれ、ワインドくん」
「あ、あり、がとうござ、います」
荒野の洞穴、底の底──『プロジェクト・魔剣』本拠地。
男が差し出した『水の魔剣』を、ワインドは受け取り大事に抱え込んだ。
心底から大切なものとして、強く強く抱きしめる。
「はん……そんな様であのアインってのと殺り合えるのか? 会ったことないから分かんないんだけど、それなりなんだろ?」
そんな彼を見て部屋の隅、椅子に座るレンサスが嘲笑した。ローブの男が見やれば、何やらテーブルに着きカードゲームなどしている。
「そうですねぇー……私も遠目からだけなんですけどぉ、根性はありましたねー」
同じくテーブルに着く、スラムヴァール──レンサスのカードゲームの相手だ──が、わざとらしくワインドをせせら笑って言った。
「ろくに魔剣も起動できないのに、彼女さんを護るために亜人に立ち向かったのは格好いいですよねぇ……手にした力に浮かれて、宛がってもない亜人の集落襲う人とは大違いですよぉ」
「はあ? そんなことまでやらかしてんのかよ。どんだけ見る目ないんだよ、そこの駄犬」
「ハーピーの件ならば、それなりに有意義なものではあった。一人逃したらしいが、それも大したことではない」
男の言葉に、スラムヴァールもレンサスも内心では爆笑していた──無論、心底から馬鹿にした笑いだ。
渡すべきでない者に渡すべきでない物を渡した結果の、起きるべくして起きた人為的ミス……それがハーピー虐殺だ。
責任者というならば、その時点でワインドを八つ裂きにして魔剣を回収すべきだったのだ──地区は違えど大森林内での惨事、いずれ勇者の知るところとなるのは必定であったのに。
「アインくんとの決戦に備えて最後の調整を行う。来たまえワインドくん」
「は、はい……!」
男はワインドに呼び掛けた。慌てて彼に付き従う中年。
二人はそのまま部屋から出ていった──残されるスラムヴァールとレンサス。
男の気配感知の範囲を出てから、二人はふんと鼻で笑った。
「犬コロが。見通しが甘いんだよ」
「まあ仕方ないよぉ。ワンちゃんに人並みの頭なんか期待しちゃったご老人方がいけないんだからさぁ」
もはや遠慮も何もない、口に直接出しての罵詈雑言。
彼ら二人は既に知っていた。あの、勇者に殺されかけた夜を越えてすぐ、調べあげたのだ。虐殺されたハーピーの生き残りが、人里の農場で盗みを働いていたことも──そしてその結果、アインはおろか勇者とさえ縁がつながる最悪の事態を招いたことも。
けれどそれを伝えはしない。
彼らは彼らで今を楽しんでいた。こと矢面に立たなければ……つまりは勇者と面向き合って相対しなければ、これ程面白い見世物もない。
「それでお前、どのタイミングで『抜ける』つもりだ? 僕はもう、これ終わったら帰るけどさ、馬鹿馬鹿しい」
とはいえ限度があるが。『プロジェクト・魔剣』……この一連の騒動についてこの二人は、既に完全なる見きりをつけていた。
レンサスの問いにスラムヴァールは少し考えながらも答える。
「んーとねぇ……魔王だけどうにか見てから帰りたいなぁって。後はドロスちゃんがコソコソと面白いことしてるみたいだからぁ、彼女に声もかけたいしねぇー」
「ドロス? ふーん……あいつも難儀だね、王国南西部でギルド長なんてやってたばかりにさ」
「さすがにあの子だけはぁ、ちょっとフォローしてあげないとって思うんだぁ。だから『お婆ちゃん』にも声掛けといたのぉ」
その言葉にレンサスが反応した。
異様に顔を歪め、うんざりとしたような、それでいて少しばかり悲しそうにも嬉しそうにも言葉を発する。
「──お前ねぇ。あの子を巻き込むなよ」
「悪いかなぁーとは思ったけどぉ、でもでも、ドロスちゃんのことだしぃ? 言わずに彼女が死んじゃったりでもしたら、たぶんあの子、私らに怒るよぉ?」
「だからと言って、なあ。うーん……まあ、あの子がどうするかはあの子が決めるんだろうけどさ」
カードゲームを机に放り投げる。
そのまま立ち上がり、レンサスはため息混じりに言った。
「あの子が来る前に、さっさと終わらせて帰るよ。今のあの子を見る度に、僕は悲しくなるからね」
「そうしなよぉー。私はあとちょっとだけ、魔王を観察してドロスちゃんとお喋りして帰るねぇー」
「ダラダラ居着いてると犬コロもろとも勇者に……いや、炎の魔剣に殺られるぞ。見切りは付けなよ」
「はぁい」
無垢にスラムヴァールが笑うのを背に、レンサスもその場を離れた。
ある種の決戦が行われる間際、『組織』の大幹部たる三人の、ちょっとした一時であった。




