幕間の荒野、大幹部たちの思惑
朝が来た。黎明の空に夜明けの涼しさを孕む風が一陣吹いて、荒涼の大地に砂塵を巻き上げる。
王国南西部は町から遠く離れた荒野──先日セーマたちが訪れた場所の、すぐ近くにその洞穴はあった。
岩陰に隠れた巧妙な入り口だ。一見すれば何もないようにも見えるがたしかに人一人分入れる程度には大きな穴が開いている。
その中こそが、彼らのアジトであった。
「……偶然で出会うか、この時間帯に。つくづく間の悪い鉢合わせをするものだな、奴とは」
穴へ潜って遥かな地下、あるいはセーマの気配感知ですら届かない程のはるか地の底。
まるで蟻の巣のような、いくつもの部屋が細い道で繋がっている本拠地の一番奥深くの部屋で、ローブ姿の男は嘆いた。
目の前にはローブの女スラムヴァールとスーツの少年レンサス、そしてくすんだ緑髪の女と魔剣の男が座り込んでいた。
疲れきっていた……勇者セーマとの思わぬ遭遇と交戦、そして危うく全滅しかけたことへの恐怖。
どうにか生き延びられたことへの安堵で、彼らはまったく動けずにいた。
「し……し、死ぬかと思ったぁ……!」
「ぁ、はぁー……いやぁ、直に対面すると本っ当にヤバイですねぇあの人、マジでぇ……」
レンサスが胸を押さえて息も荒く呟き、スラムヴァールもまた、身体中の冷や汗に震えながら乾いた笑いを漏らした。
両者共に尋常でない様子だ……男は腕組みをして、土を固めて作った椅子に腰かけながら言う。
「普段から鼻持ちならないお前たちが、そこまで怯えるとはな。気分は良いがいよいよ洒落にならん」
「まったくその通りだよ……お前みたいな犬コロだと、相対したらそれだけでショック死するかもね」
「最低でも一瞬で身体中の毛が抜けると思いますよー? ワンちゃんには手に負えませんねー間違いなくぅ」
「貴様ら……」
少し嫌味を言えば倍以上になって返って来た……顔を引きつらせつつ男は堪える。
下らない言い争いをしている場合ではないのだ、建設的な議論を始めなければ。
「ふん。それで、奴はどうだった」
「どうもこうも、まともに敵対したらどうしようもないよあんなの。こうして生きて帰れたのだってまぐれだよ、まぐれ」
「レンサスくんの『魔眼』に私のエーちゃん……『魔人』。あの人の想定外だったこれらでの奇襲が成功したから、運良く逃げられたに過ぎませんよねぇ……」
「奇襲に成功したのか。よもやと思うが手傷を負わせたりしたか?」
分かりきった問いを掛ける。偶発的な事態とはいえ『魔眼』に『魔人』……『魔剣』もその場にいたので計三つ。
それぞれ未だ完成ならずとも『悲願』に至るための最重要ファクターだ。
それらが今回初めて対勇者に投入されたことになるのだが──それでも届きはしなかったのだろうと、疲弊しきった面々を見れば嫌でも分かる話だ。
苦々しく顔を歪めてレンサスが答えた。
「バカ言え犬ッコロ。身を守るのと数秒隙を作るのとで精一杯だったっつうの。そこのポンコツどもの負傷具合見りゃ分かるだろ」
「エーちゃんをポンコツ呼ばわりは止めてもらえるぅ? 今回ポンコツだったのはぁ、魔剣を玩具にして振り回してたそこのおじさんだけだよー?」
スラムヴァールが抗議と共に、座り込んでいた緑髪の女……エーを抱きしめた。
側頭部から流れる血──セーマの『完全反射体質』によるオートカウンターで負ったものだ──を確認しながら彼女は呟く。
「エーちゃん、状況はぁ?」
「頭部損傷度75%……自動修復機能破損。その他運動中枢の6割に異常。及び視覚機能全損、頚椎半壊」
「そっかぁー……えっぐぅ。蹴り一発で脳味噌から頚椎までグッチャグチャにされてますよこの子ー」
「『シールド』で防御してそれかい……何の躊躇もなくいきなり僕らの首を落としに来たことと言い、イカれてるよあいつ。まともな生命倫理持ってない」
レンサスが顔色を失ってぼやいた……勇者の行動の躊躇と加減のなさに戦慄を禁じ得ない。
実際のところ、これでもセーマは力の大部分をセーブしていたので加減自体はしていたのだが、そんなことはレンサスには知る由もなかった。
「倫理など我らに言えた義理ではなかろう。しかし、そうか。そこまで桁違いか」
「警告しといてやるけどね、犬。アイツだけは絶対敵に回すな……いや、敵対するにしてもまともに戦おうとか思うなよ」
「ここまで私らを圧倒しておいてあの人、『救星剣』もなく素手でしたからねー……そこのおじさんのこともありますし、たぶん今後は最初から使ってきますよー?」
そう言うと揃って三人、黙ったままの魔剣の男に目を向けた。ローブの男はそうでもないが、女とレンサスの視線は特に冷ややかだ。
女が嘲笑と侮蔑の声音で告げる。
「そもそもぉ……あの人が嗅ぎ付けた理由ってぇー、おそらくはそこのおじさんが町中で人を襲ったからですよねぇ?」
「何……そうなのかワインドくん」
「ぁ、う」
険しい表情で詰問する男に魔剣の使い手、ワインドは俯いて震えた。
その腕からは止めどなく血が流れている。勇者が最後に放った一撃……『救星剣・ヴィクティム』による負傷だ。
しかもそれだけに留まらない。手にしていた魔剣さえも……その刀身の半ばに酷い亀裂が走っている。
直に砕けて落ちるだろう。勇者セーマの一撃は、逃亡こそ許したがたしかに、魔剣の使い手に深手を負わせていたのであった。
深いため息を吐き、男は苛立ち混じりに呻く。
「『魔剣』も折られたか……コアをやられていないため修復はできるが君の罪は重いぞ。分かっているのか?」
「そ、そんな、こと言われても……魔剣は、強いって、貴方がっ」
「無敵でもなければ最強でもない、とも言ったぞ。何より……町中で殺しはするなとも言ったはずだなっ!?」
「ひいいっ!!」
激昂した男に、ワインドは身を丸めて縮こまった。中年男性の見るに耐えないその姿……レンサスが鼻で嗤って叫ぶ。
「要するに? このバカ雑魚が欲望のまま考え無しに人を襲って? その結果僕らは死にかけたわけだ? ……ふざけやがってゴミが! 借り物の力で調子乗ってるからだ!!」
「っ! こ、こ、このガキっ──!」
「はん……『停止魔眼"オンリー・ユー"』」
年下の、子供にしか見えないレンサスに虚仮にされてワインドは激昂した。
立ち上がり睨み付けるも……その瞬間、すかさず叫んだレンサスの両目が煌めく。
『停止魔眼』──魔法『ストップ』の力を模倣再現した魔眼。
あらゆる存在の動きを止めるその御業で以て、ワインドは全身を拘束されてしまった。
「ぅ! ……ぐ、あ!? 動、け!?」
「カスが。この期に及んで格の違いも分からない、そんなだから勇者にも平気で喧嘩売って無様晒せるんだよ」
「すごい身の程知らずぅ……何考えてこの人に魔剣渡したんですかー?」
煽るような意図すらなく、完全に呆れ果ててスラムヴァールが男に問う。
貴重な、4本しか存在していない魔剣をこのような愚物に渡す理屈がまるで分からず、ただただ困惑する他ない彼女だ。
それに対して男は頭を掻いて答えた……どこかばつの悪そうな、そんな素振りで。
「たまたま素質があって目についた、以上の理由は無いな……それと」
「?」
「……はっきり言えば当て馬だ。一本目の担い手、アインくんへのな」
後半は声を潜め、ワインドに聞こえないようにスラムヴァールの耳元で囁いた。
目を見開く彼女に続けて言う。
「三本目はドロスに任せたゆえよくは知らんが、アインくんはここに来て成長著しい。勇者手ずから鍛えているのだ、当たり前ではあるが」
「……あのおじさんをアインくんにぶつけて、覚醒を促すと?」
「上手く行けばすぐに『第二段階』に至るはずだ……丁度良い機会も、お前が作ってくれたわけだからな」
その言葉に少し考え、スラムヴァールはすぐに気付いた。丁度良い機会──彼女と勇者の会談、そのタイミングで仕掛けるつもりだこの男は!
焦りと共に彼女は男に向き直り、直接勇者と相対していないゆえの認識の浅さを指摘する。
「無理ですよそれぇ?! あの人そのくらいは想定してるでしょうし、何ならアインくんに護衛付けますよぉ!? 下手すると『剣姫』とかー!」
「手持ちの駒をぶつければ良い。亜人どもなら大勢いる……それに加えてお前の『魔人』、そしてレンサスも加われば魔剣同士の一騎討ちくらいは実現できるだろう?」
しかし男はまるで問題ないかのように言うのだ……勇者がいなければ後はどうにでもなる。
そのような、ある種の自信からくる発言は続く。
「無論私も参加する。この『プロジェクト・魔剣』の責任者ゆえな」
「いくら数がいたって『剣姫』はさすがにぃ……!」
スラムヴァールはここに至って必死だ……会談の最中にそんなことをして勇者の怒りを買うのも恐ろしいし、更に『剣姫』まで出張ってくるのではないかと考えるのも恐ろしい。
勇者ばかりが驚異であると思いがちだが、手に負えない強さという意味では『剣姫』リリーナも大差なく厄介だ。
かつての戦争でも、勇者セーマと『剣姫』リリーナの二人だけはその際立った強さからそれぞれ単独で遊撃を担っていた程なのだ。
いかに数を揃えたところでまとめて殺られるのが関の山だろうとスラムヴァールには思えている。
「大体向こうにはその『魔王』もいるんですよー? アレこそ出張ってきたらもうお終いじゃないですかぁ……通った後には変わり果てた地獄が広がるだけ、とまで言われた大災害。数の暴力なんか通用しませんよぅ」
そしてもう一押し。『剣姫』だけでなく魔王でさえも勇者の側にいるのだ──魔法を用いての広範囲大量破壊が十八番というのだから恐ろしい。
彼女がアインの護衛に回っていたならば数の優位など何の意味も持たないだろう……そう危惧するスラムヴァールに、しかし男は鷹揚に応えた。
「魔王は問題ない」
「え?」
「あれは人間の大敵だ。星の化身……人間を間引く者。アインくんを守るために動くなどあり得ん。お前も分かっているだろう?」
「……『星は人間を忌み嫌っている』。それは、そうかもですけどぉ」
それは『組織』における最終結論だ──この星は、人間を寄生虫として排除しようとしている。
そのための魔王。そのための魔法。ゆえに男は確信していた……魔王が人間のために動くなどあり得ない。あるはずがない、と。
「たまたま勇者と懇ろになっているだけで、その本質は変わらず絶対的な人類殺戮者だ……奴は動かん。絶対にな」
「……そう、ですかぁ?」
「そうだ。そもそも貴様、魔王目当てにここまで来たのではないのか? 『魔人計画』を一時棚上げにしてまで、『悲願』の要たる魔王を観察しに」
「断じて戦いに来たわけじゃないですー……まったく冗談じゃありませんよぉ。今回の会談が終われば私、また傍観者に戻りますからねぇ?」
「僕もそれ終わったら共和国に帰るからな。冗談じゃないよまったく……『ミッション・魔眼』だってこれからなのに、あんなのと関わってられるか」
ぼやくスラムヴァールとレンサス。特にスラムヴァールは一応最後まで『プロジェクト・魔剣』を見届けるつもりなのでうんざりした気持ちが強い。
観客のはずだ、自分は……少なくとも今はまだ。
それが気まぐれで舞台に上がってみればこのザマで、勇者の恐ろしさ、すさまじさを身をもって味わうこととなってしまった。
またアレと相対するのか──常の嘲笑も忘れて恐怖に戦く。
『組織』が伝えた技法を元に人間が産み出した怪物、その成れの果て。異世界から来た正体不明の生物にただ怯えるばかりのスラムヴァールだった。




