憐れみたもう、とある少女の罪と顛末
0時に投稿するつもりが寝てたやつです
──その日も少女は畑にやって来ていた。ここのところ毎日、食糧を調達している馴染みの畑だ。
両腕の羽根を自在に羽ばたかせて空を飛び、砦を超える。
大空を翔る、という程には壮大な高度ではないが、警備も何もない外壁を軽く飛び越えて内部へ侵入できた。
これ程立派な防壁があるのに、何故こうも杜撰な防衛なのか……それは知る由もなかったが、彼女にとっては幸運な話だ。おかげで安全、かつ確実に食い繋ぐことができるのだから。
しかし彼女の表情は浮かない。涙さえ浮かべている──いつもそうだ。半月前のあの日から、泣かない夜はない。
すべてを失った。たった一晩で、何もかもを。
必死に逃げて、逃げて、逃げて──気が付いたら逃げ延びて。
悲しくて苦しくて辛くて。
それでも、どうしようもなく腹は空いて。
少女一人では安定した食糧を確保できず、苦慮した末の決死の侵入。それが功を奏した。
申し訳なさはある。盗人にまで落ちぶれた己への、惨めさもある。
それでも腹が減るのだ。腹が空いて、死にたくなくて、生きたくて、死にたくなくて。
彼女は今日も、そんな自分を誤魔化すように盗みを働いていた。
「ぐす……うっ、う」
べそをかきながら畑へ向かう。一息に飛べる距離は短いため、やはり頻繁に休憩を入れなければならない。
そんなもどかしさもあってか、彼女は更に涙を流す。
「ひぐ……ぅ、うう、ぁ」
ようやっと畑へ侵入する。
気配感知は二人、人間を感知していたが……いつも見逃してくれる人たちだ。何もないのだろう。
申し訳なさと感謝。きっとこちらの窮状を理解して、情けから恵んでくれているのだという、身勝手な願望が多分に混じった妄想。
しかしそれが己の心を少しでも癒すようにも思え、ありがたく少女は大根を引き抜いた。
「ずっ……すずっ……うう」
土にまみれた大根は、それでも空腹の少女には酷くごちそうに見える。
腹が減り、胃が食糧を求める。
生きるための本能が命じるままに、彼女は土も構わず大根にかじりついた!
「あむ! ……あぐっ! う、おい、しい……!」
土混じりのそれは本来ならば美味しいはずがないものだ。人間も亜人も、味覚は概ね共通している。
それでも少女は涙ながらに貪り、美味として腹を満たし歓喜する。味の良し悪しでなく食べることで生と命を繋げられたことへの安堵が為さしめるのだろう。
がり、ごり。ざり、じゃり。ばり、ぼり。
時間にして10分以上、勢い良い咀嚼音を響かせての食事が続く。その間消費された大根は3本──完食だ。
葉の部分までも食いきっての満足。腹が満たされたことでホッと息を吐き、少女は涙を拭いた。
悲しくても腹が減る。それでも食べたなら生きていかねば……満ち足りたことへの安堵がどうしようもない悲しみを一時薄れさせていく。
さておき人里にいつまでもいるのは危険だと、彼女は羽ばたいた。
帰りも休憩を入れなければならなかったが、それでも空腹と悲しみに急かされていた行きしなよりはマシな心地だ。
少し飛んで、最初の休憩地点と決めている木陰に降り立つ。食べ終えてすぐに満点の星空を見上げられるここは、特にお気に入りの場所だった。
「……ふう」
一息つく。いつまでもこんな風に盗人行為ができるとは彼女も思ってはいない。
どうにかしなければ。そう思いつつも特に妙案も思い浮かばず寝転び、少し瞳を閉じる。
と、その瞬間。
すぐ近くに突然現れた気配と耳元に過る物音に、彼女は飛び起きた。
「え──あ、!?」
気配の先、真上を見る。
いつの間にか男がいた……いや、隠れていたのだろう。冷静な部分ではそう認識しながらも、しかし思いも寄らない事態に少女は声ならぬ悲鳴をあげた。
「っ──!」
たっぷり10秒は硬直してから、少女はハッと我に返る。そうしてからようやく、周囲に立ち込める煙に気付いた。
濃厚な霧にも似たそれは吸い込めば当たり前だが煙たく、厭が応にも咳が出る。
二つ三つ咳き込んでから、悪化していく視界に半ばパニックに陥りながら彼女は羽ばたいた。
とにかくこの場を離れなければ……ただ漠然とした、しかし強い危機感に突き動かされて両腕を動かそうとした矢先。
「ひ」
頬を鋭く掠めた痛み。僅かな風切り音の後、たしかに感じたその感触。
もはや完全に閉ざされた視界ゆえ、その正体が何なのかも分からないまま更なる混乱に陥る。
動揺から身体の動きとてぎこちない──動けない。
「──『ファイア・ドライバー』」
そして、男の声が響いた。
暗闇に立ち込める白煙で何も見えない中、微かに映る揺らめく炎。
唯一見えた灯火に、不思議なまでの美しさを見て……少女は不意に、息を止めた。
「きれ、い」
「動くな」
呆然と呟き魅入られる内に、少女の顔面に突き付けられる炎──纏いし剣先。
やがて煙が晴れ、見えてくる男。
人間の少年。
敵意と困惑と、そして見るからに憐れむように。
複雑そうにこちらに視線をやりながらも、いつでも殺せるよう油断を欠かさない姿がそこにはあった。
「ん、首尾や良し。流石だ、二人とも」
まさしく計画通りにハーピーを詰みへと追いやったことをセーマが褒めれば、アインとソフィーリアは複雑そうに頷いた。
「え、ええ」
「そう、ですね……」
「……素直には喜べないか。まあ、あんなものを見ればな」
無理もない。素直にそう思う。
今やフィリスに後ろ手を極められ、震えるだけのハーピーの少女。ソフィーリアの放った矢が頬先を掠めたのか血が滲んでいるのを、ミリアが手当てしている。
抵抗する様子は見せない。アインの『ファイア・ドライバー』に戦意を挫かれたのか、あるいはフィリスやミリアといった亜人にまで取り囲まれたことで諦めたのか。
そこは定かでは無かったが……それにしても何やら尋常でない目に遭ったのだろうことは分かった。
泣きながら土も構わずに大根を貪る姿。あまりに必死なその姿に、農場主が同情的だった理由の分かったセーマだ。
アインとソフィーリアもそのようであり、だからこそ今、酷く困惑しているのだろう。
努めて明るく少年少女の肩を叩き、セーマは励ました。
「相対した者にも、何らかの事情はある。独り善がりなものから共感すべき大義、正義を掲げたものまで本当に色々と」
「……」
「でもね二人とも。そういう向こう側の事情や理屈は、俺たちがやるべきことをやらない理由にはならないんだ。そこは分けて考えていこう」
な? と朗らかに笑う。戦争の中、ふと考えていたことだ──敵にも敵の事情がある。
けれどそれに翻弄されては何もできない。だからこそ、折り合いは付けるべきだ。そう示すセーマに少年少女は静かに頷いた。
「よし、偉いぞ二人とも……それじゃあ実際の事情を聞いてみようか」
ハーピーへと近づく。頬に軟膏を塗ったその顔は幼く、恐怖に青白く血の気を引かせて呆然としている。
何が何やら分からないまま、気が付いたら捕まっていたのだ。理解が追い付いていないのかも知れない。
ハーピーの眼前にしゃがみ、顔を覗き込む。
愛らしく、幼い顔立ちだ……茶色のショートヘアもぼさぼさで口回りには食べた大根のものだろう、土がついて汚れているがそれでも可愛らしさは損なわれていない。
未だ現状を理解しているのかしていないのか判別のつかない呆とした様子の少女に、セーマは柔らかく笑いかける。
「こんにちは」
「──ぁ、はぃ。こん、にち、は」
親しげだが距離は詰めない。ハーピーが現状を把握するのを待つように、ゆっくりと話を進めていく。
いきなり恫喝まがいの物言いをするのはむしろまずい。ひとまず拘束して事情を聞かんとすべき相手に対し、必要なのは寛大な姿勢だ──殺される、危害を加えられる、そういう恐怖を取り除かなければ話は円滑に進まない。
「今日は夜空がよく晴れてますね……月も星も綺麗だ」
「は……は、ぃ」
「実は星より月の方が好きなんですよ、俺。季節によって変わるものより、変わらず夜になるとそこにあるもの。必ずあるって確実性が、俺は気に入っています」
「わ、たし……星の、方が」
「綺麗ですものね、キラキラしていて」
辿々しく、それでもコミュニケーションが続く。
大切なやり取りだ……混乱から立ち直るまでに、警戒心を可能な限り解す。『危険な存在であっても、傷付けられたり殺されたりはしない』と印象づける。
「いつ頃の星空が好きですか? 俺は……そうですね。夏が好きですから夏で、なーんて」
「……ふ、ふふ。わたしも、な、夏が」
「へえ! お揃いですね、俺たち」
にこりと笑えば、少女もぎこちなく笑い──
ようやっとそこで現状を理解したのだろう、項垂れた。
「……冒険者の、方ですか?」
「危害を加える気はありません。こちらの農場主の方は、あなたのお力になりたいと考えていらっしゃいます」
諦めたような呟きに、正気を取り戻したことを察知してすかさず答える。
そして敵意がないこと、そしてその証拠に、農場主の意向……すなわち少女の事情を聞いて助けてやりたいという旨を伝えれば、少女は目を見開いて喘ぐように言う。
「嘘。どうして」
「毎日毎夜、泣きながら野菜を齧る……土も泥も構わずに。年端もいかない少女のそんな姿は、人間には辛いものなんですよ」
「──っ」
優しく心を労る、そんな声音。哀れな少女に寄り添いたいというその視線。
すべてがハーピーの心を打った。頭では演技だと分かっていても、耐えきれなかった……優しくされること、助けてくれるかもしれないことが、傷付き疲れきった少女には抗いがたい温もりだったのだ。
「ぅ、ぅ……ごめん、なさぃ。ごめんなさいぃ、ごめんなさい……!!」
「事情を聞かせてもらいますか? きっとあなたのお力になれますから」
「ぅぅぅぅ……! ぅぁああああん!」
ついに決壊した涙腺。ずっと堪えて、けれど堪えきれずに啜り出ていた鬱屈がすべて開放され、少女は号泣した。
取り押さえていたフィリスが腕を外し、優しく後ろから抱きしめて安堵させる。ミリアもまた、彼女の手を取り握っていた。
「……ライデルンさんとキアシムさんを呼んできてくれないか? 彼女の気が何かの拍子に変わるかも知れないから、今ここで事情を聴いて片を付けたい」
「分かりました!」
「今すぐ呼んできます!」
立ち上がり、アインとソフィーリアに指示を出す。
一連の懐柔策を感心して眺めていた二人は一も二もなく頷いて、農場主の元へと走っていくのであった。
17時にはまた投稿します




