茜色、逸る若気と作戦会議
依頼人の農場主に連れられた現場。
当然ながら畑であるのだが、一同の思っていたより酷い光景が広がっていた──つまりは、掘り荒らされていたのである。
惨状に、フィリスが眉を潜めて呟く。
「……中々、やられてますね」
「おー、そうだろ? 土竜だってここまでド派手にはやらん!」
あちこちの畝が崩され、本来なら野菜があったであろう地点がぽっかりと開いている。
根刮ぎ盗っていったのだろう。残っている野菜の葉から察するに、大根であることが窺えた。
「ここ以外もこんな感じなのですか?」
「おー、いや! 何ぞ知らんが大根ばっかり狙っとるのか、ここに集中しとる!」
「大根しか狙わないハーピー?」
アインが不思議がる。さしもの楽天家もこの荒れ具合には思うところがあるようで、その顔は険しい。
ふむ、と考えながらセーマが問うた。
「ハーピーに出くわす状況をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「おー、もちろん! つっても暗がりじゃしあんまり分からんがのう!」
そうして依頼人、農場主ライデルンはいくらかの情報を語る。
出くわした野菜泥棒、その状態を。
「おー、毎日夜に来ては泣いとる! すすり泣きしながら大根齧って飛んで行きおるよ」
「泣いて……?」
「おー、そうじゃ。声からしてありゃあ、まだ若い娘じゃな。哀れなもんじゃよ」
眉を下げ、しょぼくれて老人が言う……本当に心底から、野菜泥棒であるそのハーピーの様子を哀れに思っているらしかった。
「おー、お主らに討伐でなく捕獲を頼むのはのう……せめて事情を知りたいからじゃ」
「事情? 野菜泥棒の?」
「おー、そうじゃ……あんな泣きながら、毎日毎夜大根盗んでフラフラと。怒りより先に可哀想でな。理由によっては、助けてやりたいとさえ思うとる」
「それは……人が良すぎるような」
アインが堪らず呟く。どうにもこの荒らされた畑に怒りを覚えているようで、声音が固い。
農家の出として許せないのだろうか……セーマがそう考えながらもソフィーリアに目配せすれば、彼女は既にアインの手を握り宥めようと努めている。
良いコンビだ。素直にそう感じた。
やはり良くも悪くも直情傾向のアインには、制止役としてのソフィーリアが欠かせない。
強く感じるセーマを他所に、ライデルンは淡く笑って少年に答えた。
「おー、自分でもそう思う。じゃが、理由があるなら聞いて、それから判断したいでな……亜人が畑荒らしなんざ聞いたこともないし、何ぞ事情があるはずなんじゃよ」
「分かりました、ライデルンさん。それではハーピーは捕まえて、あなたの目の前で事情を聞くこととしましょう」
「セーマさん……」
割って入って答えるセーマに、アインが声を漏らした。先程よりかはずいぶん冷静なようだが、軽く肩を叩いておく。
「おー、助かる。何にせよ、年若い娘の泣き声なんぞ聞くのも、こう毎日では疲れるでな。早めに頼むぞ」
「お任せください。今夜には捕まえます」
「おー! 心強い! ……そこの赤毛の子も、わしらのために怒ってくれてありがとうな」
「あ……いえ、すみません、出すぎた真似を」
ライデルンの言葉に、ハッとなって謝るアイン。
農場主は豪快に笑って、その大きな手で無造作に彼の頭を撫でてその場を去っていった──そして残される冒険者たち。
さて、と辺りを見渡すセーマに、アインが頭を下げた。
「すみませんでした、セーマさん! 感情に任せて余計な口を」
「ん? んー……いやあ気にしないで、とはあまり言えないことではあったね、あはは」
軽く笑って少年の頭を上げさせる。
感情に、個人的な憤りに任せて依頼人に口出しをする。冒険者としてはよろしくない行為だ……基本的に、筋合いの通る状況ならばまずは依頼人の意向に沿うものだし、口出しするにしてもプライベートな感情は極力排除するものである。
リリーナにもそのように教わっていたゆえ、アインを安易に慰めることはできないが……けれど言いたくなる気持ちも分かるセーマだ。
これ程までに荒らされている畑を目にしてなお、何か事情があるのだろうかと気遣えるあの農場主は特別な人の良さと言えるだろう。
「正直、君の気持ちも分かる。けど俺たちは仕事で来てるからね。そこは弁えよう……かくいう俺も気を付けなきゃな、うん」
「……はい、気を付けます!」
ともあれ、セーマには冒険者の同業として言い含めておく。若さゆえのきらいもあるのだろうが、それは依頼人からしてみれば関係がない話なのだ。
アインも身に沁みたように頷いた。
良い勉強になった、とするしかない。彼にしろソフィーリアにしろ、あるいはセーマにしろ……まだまだ冒険者としては駆け出し、学ぶべきことは多いのだから。
「さーて切り替えていこう! まずは周囲の確認と把握からだね」
「はい!」
「頑張ろうね、アイン!」
ともあれ気持ちは切り替えて、これからが仕事の本番だ。
改めて声掛けを行うセーマであった。
畑の周囲は基本、障害物や見晴らしを遮るようなものは特にない。
木が点々とあるくらいだろうか。とは言えそれも大樹とは程遠いサイズだ……宿り木になるのが精々と言ったくらいの。
「後は柵が少々……うん、ハーピーの降着地点が読めた」
「早っ!?」
「え、すごい!」
早々に呟くセーマにアインとソフィーリアが驚く。中々の初々しい反応に苦笑して、彼は言った。
「ハーピーの生態を知っておけばすぐに分かる話さ、タネが分かればすごい話でもないよ」
「生態、ですか?」
「そう。まあ専門的なことは俺も分からないんだけど」
前置きして説明を始める。時刻は夕暮れ、茜色が燃える頃合い。
遠くに見える町の外周を護る『砦』が照らされて映える光景を、どこかぼんやり眺めたくなる心地に襲われながらセーマは続けた。
「ここに来る前にも言った通り、有翼亜人は飛行の合間合間に休憩のため、地に降りる……特にハーピーは体力が少ないことからその頻度も高い」
「はい。狙うタイミングは多いって話でしたよね」
「その通り」
それは空を飛べる有翼亜人ゆえの特徴……折に触れての小休止。
鳥さながらのその習性、その生態を利用しての狙い打ちが人間側の手札であった。
「で、有翼亜人の中でもハーピーはいざとなればどこでも小休止する。高いところでしか休まないとか、細い枝の先端を好むとかそういう拘りがない……というか、持つことができないくらいに体力がないんだ」
「な、何だか不便ですね」
「せっかく空を飛べるのに……」
「その分どこででも休めるように発達したんだからまあ、善し悪しだね」
忌憚ない少年少女の感想は、かつて同じことを師から教わった時に抱いたものと大差がない。
どこか懐かしいものを覚えつつ、説明は核心へと迫る。
「それではハーピーの降着地点なんか分かりようがないじゃないか……そう考えたくなるけどそれも違う」
「……ハーピーはハーピーで、習性があるということですか?」
「その通り。どこででも、というのはあくまでその気になればという話。彼らは彼らで休みやすいと感じる場所があり、そこを優先して降着する習いがあるんだね」
ソフィーリアの正答に頷く。
つまりはハーピーとて拘りとまではいかないが、休むのに適した場所を求めるということだ。
むしろ体力がなく頻繁に休まねばならない分、そうした場所を優先したい思いは強いのだろう……他の有翼亜人の種族よりも頑なな傾向すらある程だ。
「なるほど……それで、どういう場所なんです?」
「背もたれになる場所があり、かつ雨避け、日射し避けになる場所……この辺りでいうと木の下、木陰だね。あそことか、あそことか」
指差し示すは田畑の間に点在する木だ。それなりに大きいものもあり木陰も広い。休憩するにはピッタリの場所だろう。
「これで果物まで成ってたりしたら、畑の野菜じゃなくそっちで済ませた可能性もあるかもね。無い以上は仕方ないけど」
「……となると、木陰に休むところを奇襲するわけですね」
「そうなる。とは言え亜人だから落とし穴や虎バサミのような罠はすぐ抜けられる。気配感知だって当然持ってるから無策に近付くこともできない」
「気配感知……そうですね。あれがある限り、こっちの動きは筒抜けです」
ハーピーの休憩地点を割り出した後は、実際に近付き捕獲するにあたっての策を練らねばならない。
何しろ亜人ゆえ気配感知を持つ相手だ……どこに誰がいるか、何をしてくるかなど大概読まれている。そこをどう誤魔化し無効化するか、それが肝の部分である。
「だからまずは気配感知から潰す……ミリアさん、例のものを」
「はい」
ミリアに指示を出せば、待っていましたと言わんばかりにすぐさま用意してくる。丁々発止の早業だ。
取り出されたそれはアインにもソフィーリアにも見覚えのあるものだった。冒険時、緊急事態に陥った時に近くにいる誰かに助けを求めるため用いられるもので、ギルドからは常備が推奨されている程の基本的なアイテム。
「発煙筒?」
「そう。通常の用途ではないけれどこれを使う。ハーピーの視力を潰すためにね」
「え、でも夜ですけど……真っ暗闇で使うことになるんじゃ」
夜の農業区は暗く、灯火の一つとてありはしない。ランタンが手持ちにあるにしても、それでも基本は暗闇だ。
そんな中で発煙筒を使って視界を潰したところで意味があるのだろうか? そう考えるアインに、ソフィーリアが教える。
「アイン、アイン。ハーピーは夜目が利くのよ。前、講習でやったでしょ」
「そ、そうだっけ……?」
「ハーピーに限らず亜人は概ね、夜でも視界良好だね……とりわけ有翼亜人は特に視力が高い。夜間でも飛行する生態からの発達だろうとも言われているらしいけど、そこはよく知らない」
きょとんと知識不足を露呈させるアインに苦笑と共にセーマが告げる。ソフィーリアも仕方ないと笑ってはいるが、瞳はあまり笑っていない。
命に関わることなのだ、さすがに良しとはできないのだろう……この依頼が終わった後、しばらくアインには勉強の日々が待っているような気がする。
内心で冥福を祈りながらセーマは言った。
「俺もついこないだ悟ったことだけど……気配感知の本質は、発達した五感による周囲の情報把握だ。特に発達している部分を潰せば必然的に無効化される。そしたら後は実力次第さ」
「暗闇の中で亜人と取っ組み合いですか……ゾッとしないなあ」
ぶるりと震えてアインが言う。実際に亜人と相対したことのある彼だからこその恐怖。
しかしセーマはそこについてはあまり心配していなかった。少なくとも今の彼には、ハーピーを相手取れるだけの技があるのを知っているからだ。
「何だったら『ファイア・ドライバー』があるじゃないか。威力を調節した上で寸止めできるなら、今回のケースだと有効だよあれ。何より炎で明るくなるし」
炎の必殺剣『ファイア・ドライバー』。威力さえどうにか抑えられれば、今回のような暗がりでの奇襲には持ってこいだ……突然の視界不良の中、いきなり炎が襲い来るのだからパニックは必至。
加えてアインにとっては明るくなることで敵の位置が掴めるというのが大きい。
このような点から、今回の依頼においては非常に強力な手札なのである。
遅まきながらそれに思い至り、アインもソフィーリアも気付きの声をあげた。
「あっ……そうか!」
「魔剣の炎! 使えますね!」
「そういうこと。せっかくだしこれも修行さ、やってみようか」
感心しきりに頷く少年少女を眺めながらも周囲を見るセーマ。
薄暗がりの中、徐々に茜色から濃い黒に変じていく空を眺めていきながら……かくしてハーピー捕獲に向けての段取りは進んでいくのであった。




