遥かなり大森林、厳かなり『森の館』
王国南西部の国境を跨ぎ広がる大森林。
遥かな昔から存在しているこの樹海のある一点には、馬車が通れるだけの道がある。
この道こそがセーマの拠点『森の館』への直通ルートであり、彼に仕えるメイドたちによって切り拓かれた道であった。
侵入者を拒むために巧妙に偽装された入り口を、しかしフィリスの操る馬は迷いなく進む。
そうして馬車ごとその道へと進入していけば、天高く聳え立つ木々に覆われた薄暗い光景が広がっていく。
三人にとっていつもの風景だ……軽く息を吐き、セーマは言った。
「ここまで来たら、あー戻ってきたなーって感じ、しない?」
「そうですね。後は道に沿って進むだけですから、気持ちは落ち着きます」
フィリスもいくぶんか気を緩めたようで、肩の力がやや抜けている。
唯一リリーナだけは周囲を警戒しているのだが、彼女のメイドとしての役割を思えばそれも仕方ないとセーマは承知していた──『館』の警備、及び戦闘行為を担当する戦闘防衛班の責任者として、五人いる幹部格メイドの一角を担っているのだ、彼女は。
馬車は問題なく進む。樹海の光景はどこを切り取っても鬱蒼と薄暗く、僅かに差し込む光がむしろ静けさを演出している。
虫や動物の鳴き声、羽音があちらこちらで絶えず響いてくる。夏も近づき活気付いてきた生命の、躍動感に満ち溢れる樹海の様子であった。
「見えてきました」
「ん、到着か……」
一時間程馬車を走らせれば、いよいよ自宅が見えてきた。
大きめの公園程に拓かれた場所に厳然と佇む、豪勢な建築物。門があり、塀があり、そして内部には荘厳な館が雄々しくも聳える。
これぞ『森の館』……セーマの資産によって戦争中期から末期にかけて建てられた、王国貴族とて中々用意することの叶わない最新設備を多く取り入れたまさしく豪邸。
ここにセーマは、50を下らない数のメイドと数人の食客と共に住んでいるのだ。
──と、館の手前まで来た辺りで門が開かれる。
セーマたちが何かしたわけではなく、内側からの働きかけによるものだ。
そしてそのまま矢継ぎ早に、館からメイド服の女たちがやって来て門前に並ぶ……一人残らずフィリスやリリーナに匹敵する美女、美少女である。
特筆すべきは整列するメイドの結構な割合に、何かしら人間にはない特徴が散見されるところだろう。
人の耳とは別に獣の耳が生えているメイドや、スカートから尾が垂れ出ているメイド──あるいは羽が生えている者もいる。
これらは明らかに人間ではなく、亜人にカテゴライズされている種族に多く見られる特徴だ。
そう、セーマの住むこの館には亜人が数多く存在している。人間社会に友好的な亜人たちがメイドとして働く、ここはそんな場所でもある。
先程までセーマと共に町にいたフィリスやリリーナでさえもそれぞれエルフ、堕天使という種族の亜人なのだ。
──人間はたった一人しかいない、亜人だけの館。
それこそが『森の館』であった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
立ち並ぶメイドたちの中、三人のメイドが前に出る。小柄な少女が二人と、妖艶な女性が一人。
彼女らもリリーナと同じく幹部格メイドだ……セーマは笑って迎えを喜んだ。
「ただいま、ミリアさん。ジナちゃんにアリスちゃん、それに他の皆も。俺たちの留守中、何か変わったこととかあった?」
「至って平穏無事でした……ああでも、やはりご主人様がおられないので皆、寂しく過ごしていましたね」
メイド服に白衣を纏う、風変わりな格好の美女ミリアが答える。サキュバスという種の亜人である彼女は、妖しくも熱意の篭った視線でセーマを愛しげに見詰めていた。
そんなミリアの左と右で、今度は少女たちが喜び一杯に言う。
「ボクも寂しかったですよご主人さん。お帰りなさい」
「うん、ただいま。お土産も買ってきたから後で渡すよ、ジナちゃん」
「やたっ! ありがとうございます!」
茶髪のロングヘアに緑のメッシュが一筋入った、つぶらな瞳に溌剌とした表情が眩しい、幼げな顔立ちの少女。
館の掃除や洗濯を担当するメイドたちの纏め役、掃除洗濯班責任者のジナだ。
彼女はワーウルフに属する亜人であり、人間の耳とは別に頭部に二つ、狼の耳を生やしている。
ミリア、ジナと続いてその隣、メイド服に黒いマントを羽織った少女が笑った。
見た目はジナよりやや上目で、金髪のポニーテールがいくぶん成熟した印象を持たせる、自信に溢れた顔付き。
ヴァンパイアという種の亜人にして、館の料理担当メイドを束ねる料理班責任者、アリスである。
無邪気に喜ぶジナにちらりと視線をやり、からかうように言う。
「やれやれジナめ、お子様じゃのう……ご主人、おかえりなさいませ。まずはご無事でお戻り下さったこと、何よりですじゃよ」
「ありがとうアリスちゃん。デザートあるよ?」
「甘味! いやはや、ありがたいですのう!」
古めかしい口調のアリスだが、大の甘いもの好きということもあってかセーマの言葉でジナと変わらぬはしゃぎぶりを見せる。
今度はジナがそれを見て彼女に絡んだ。
「アリスも十分お子様みたいじゃないか」
「うっさいわい、甘味は別じゃ別。大体わしはお主よりずっと年上じゃぞ、もうちょい敬意を払え敬意を」
「分かったよおばあちゃん」
「おばあちゃん言うなー!」
騒ぐアリスとジナ。平気で数千年生きる亜人ゆえ、一見して少女にすぎないこの二人も実のところ、それなりに長いこと生きている。
アリスに至っては館のメイドでも最年長ですらあるのだが……それでも自分で言う程には年齢差による上下には厳しくなく、むしろ若手のジナ相手に親友じみたやり取りをするのが常であった。
騒がしくも楽しいやり取りに癒される思いのセーマだが、ミリアの方が両手を二、三叩いて二人を制止する。
「はいはい、じゃれずに落ち着きなさい二人とも。まずはご主人様に落ち着いていただかないと。ね、フィリスちゃん」
「ええ、その通りです。ひとまずは馬車を片付けますか」
「それはわたくしがやろう。主様のお付き添いは任せるぞ」
「承りました」
そこからは早いもので、てきぱきとリリーナが馬車を片付けに向かう。館では複数の馬車があり、それらを同時に扱えるだけの数の馬も専用の厩舎にて飼っているのだ。
セーマの隣に立ったフィリスが、各メイドに指示を飛ばす。
「手透きの者は土産がありますから談話室に置いておくように。アリス、ジナはそれぞれ料理とお風呂の準備を。ミリアはこれからすぐにセーマ様の身に異常がないか検診を行いなさい、私も立ち会います」
「分かりました。場所はご主人様の自室でよろしかったでしょうか?」
「ああ、それで良いよありがとう」
いつも外出から戻った際には、ミリアによる簡易的な診察を受けるセーマ──館の医療関係を統括する医療班責任者である彼女に快く頷く。
それを見届けてから、更に指示を出すフィリス。
「他のメイドは各自業務に戻りなさい。何か報告や連絡、相談事項があるなら私や他の責任者格に行うように……では、解散!」
最後に短く叫ぶその声に、メイドたちはすぐさまその通りに動き始める。それから10秒とかからずに全員が館内に入ったのを見て、感心するやら驚嘆するやらのセーマだ。
フィリス──森の館で働く50人以上のメイド全員を統括し、館の財政すら切り盛りする総責任者であり事実上のセーマの右腕。
館が建設された当初からメイドとして働いてきた最古参の一人である彼女は、かくして今日もその統率力を発揮するのであった。
鬱蒼とした樹海に建てられた館の中で、最も陽当たりの良い部屋。それがセーマの自室だ。
ベッドにテーブル、ソファに椅子。そしてクローゼットにタンスとごくごく普通の、素朴だとかシンプルだとか言って良いような内装であるのだが、使われている素材は王国でも最高級の品質ばかりだ。
ソファに座り上半身裸となったセーマに聴診器を当て、ミリアがその反応をたしかめる。
異常はない──それまでに測った体温や血圧、脈拍など各種データを鑑みてもいつもと変わらぬ健康そのものだ。
「特に問題は見つかりませんね。素晴らしい健康体ですわ、ご主人様」
「ありがとう、ミリアさん。毎回悪いね」
「いえ、これが私の使命ですもの」
検診を終えて器具を片付けるミリアに礼を述べつつ、傍に控えていたフィリスによってセーマは服を着せられる。
「……っ」
「フィリスさーん」
「はっ! も、申し訳ありません。あまりの逞しいお姿につい……」
ごくりと生唾を飲み、役目も忘れて上半身裸のセーマを見詰めるフィリスに、彼は苦笑して声をかけた。
鍛え抜かれた肉体、大小諸々傷だらけの身体……フィリスやメイドたちは何やら魅力に感じてくれているらしいが、眺めていてもあまり面白いものでもないとセーマ自身は思う。
我に返ったフィリスに慌てて服を着せてもらい、セーマはそこでふと気が付いて呟いた。
「ところで『マオ』の奴、今日は見かけないな
……それに『ショーコ』も」
『マオ』と『ショーコ』……この館に住む二人の食客がいないのだ。
それぞれ別ベクトルにセーマと深い仲である彼女らは、どちらもいつもなら既に会いに来ているような性格なのだが……何があったか今に至るまで姿を見せない。
何があったかと不思議に思っているとミリアが問い掛けを受けて答えた。
「お二人は今日の昼過ぎから王城の方へ向かいました……徹夜での文献整理となるため、帰るのは明日の夕方になるとのことです」
「そっか。熱心なのは良いけど根を詰めすぎなきゃ良いんだが」
王城──ここから遥か遠くに離れた王国中央部にある王都に存在する、この国の政治を司る心臓部だ。
通常ならば決して、半日で辿り着ける距離ではないのだが……『マオ』ならばそうした不可能を可能にできると知っているセーマは、ごくごく普通のこととして二人を慮る。
「まあ、あの二人ならそんなに無茶はしないかな……それよりご飯にしようか。せっかくの料理が冷めるといけない」
「かしこまりました。既に用意は出来ておりますので、いつでもお召し上がりいただけます」
フィリスの言葉に頷き、セーマは立ち上がる。
これから夕食をいただき、それから風呂に入ってベッドに寝て、ゆっくりと身体を休めるのだ。
こうして数多の亜人を従え、豪邸に暮らして何一つ不自由もなく過ごす。
それは新米冒険者としてはあり得ない程に贅沢な暮らしぶりだ──しかし彼を知る者ならば、誰もが笑って許すだろう。
彼の積み重ねてきたもの、成し遂げたことを思えば……そのような暮らしを送って然るべきだと知っているからだ。
彼こそはかつて、戦争を終結に導いた者。
人間世界に救いをもたらし、光を導いた英雄。
遥かなる異世界よりやって来た『勇者』──その名をセーマ。
数多の地獄を潜り抜けた歴戦の大英雄である彼の、これこそが今現在の日常なのであった。