謎の来客者、不審なる面影
「美味しかったー! ごちそうさまおばちゃん、セーマさん!」
「はいよおあがり。残さず食ったね、偉い!」
「ご馳走様です……すごい食べたなあ、アインくん」
ところ狭しと並べられた料理を残さず食べきり、アインはメリーサとセーマに向けて満天の笑みを見せた。
本当に、見ていて笑ってしまいたくなる程の食べっぷりだった……少食なセーマはともかく、フィリスやミリアも唖然としていたのだからそのすさまじさたるや尋常ではない。
「よほどお腹空かしてたのね、アイン……あっ、おべんと付いてる」
「えっ? あ……ありがとソフィーリア!」
満足げに笑うアインを優しく眺めるのはソフィーリアだ。アインの口元に食べ残しが付着しているのを見付け、それを手に取り食べる。
「……ぅーむ、熱い」
「あら、大胆ねぇ」
「セーマ様にもいつかは……ああ、でもテーブルマナーがしっかりなさっているセーマ様も素敵ですし」
「ま、まあ機会があればよろしく、フィリスさん」
ところ構わず触れあう無邪気な二人。本当にどこでもこの調子なのだから、呆れを通り越していっそ感心してしまう一同だ。
「あんたらねえ……時と場所を弁えなっての! ほら、お連れさんが困ってるでしょう!」
「え、あっ……」
メリーサが二人を叱り付ける。中々の迫力で女傑と言った印象だが、アインが『おばちゃん』と言う程には老けては見えない。
とはいえセーマよりかは歳上のようにも感じる彼女の叱咤を受け、アインとソフィーリアは慌てて引き離れて謝罪してきた。
「す、すみません」
「つい……」
「いやいや、はは。仲が良くて何よりじゃないか、うん」
別に気分の悪いものを見せられたわけでなし、セーマは笑って許す。
若者の、青春の姿だ──何とも眩しいではないかと謎の満足感に浸っていると、メリーサは呆れたように言った。
「お連れさん、そんなこと言ってると四六時中この二人、いちゃついてるよ? 放っといたらソフィーリアちゃんのお腹なんてあっという間にぽっこりだよ」
「え……いや。それ、は……どう、でしょう?」
それは男性であるセーマにはかなり際どいフリだ……答えようによってはアインとソフィーリアに対する侮辱になりかねない。
ハラスメント絶対禁止……脳裏に浮かぶ言葉を胸に曖昧に笑って誤魔化していると、ソフィーリアが顔を赤くして叫んだ。
「ぽっこりなんてなりませんよ! もう、何だと思ってるんですか私たちのこと!」
「ところ構わず二人だけの世界を作るバカップル」
「うっ……」
ズバリ言い切られてソフィーリアが呻く。正直、彼女自身にも身に覚えはあった。
アインといると、どうしても彼しか目に入らなくなる瞬間がある。アインの顔、アインの身体、アインの言葉、アインの心……そればかりを想う時があるのだ。
そうなったらもう止められない。たとえどこだろうがすっかり彼と二人きりな心地になって、他のものが遠い風景に成り果ててしまう。
悪癖とは分かっていても……そんな、アインに夢中な自分がどうにも楽しく嬉しい。そんな思いですらある。
言葉を失ったソフィーリアに深々とため息を吐いて、メリーサは沁々と言って聞かせる。
「あのね、ソフィーリア……アインが大好きで大切なのは分かるけど、それであんたまで周りが見えなくなったら大変だよ?」
「は、はい」
「ただでさえアインは猪突猛進で、しかも間の抜けたところがあるんだから。心から旦那を支えたいなら、女房はしっかりしなくちゃ駄目なんだよ」
熱を入れて語る彼女は何やら振り替えるところでもあるのか、話しながら一人しきりに頷いたりもしている。
何か過去にあったのか気になるセーマだが、神妙に聞き入れているソフィーリアとは裏腹に満足げに膨らんだ腹を叩いて笑っているアインを見て顔を引きつらせた。
「はー、食べたぁ! お腹いっぱい!」
「そ、それは良かった……」
隣でのやり取りもまったく意に介さず豪快に笑ってさえ見せる。
そんな彼を見て、遠い目でメリーサは呟いた。
「……ほら、このマイペース。あんたまでこんなだと収拾付かなくなるんだから。しっかりしなよ?」
「気を付けます……」
それに応えるソフィーリア。
メリーサも含め、そんな三人自体のやり取りそのものがどこか間が抜けて見えて曖昧に笑う、セーマであった。
食後、軽い休憩がてらコーヒーを飲む。
優雅な午後の一時だ……談笑も交えつつ、一同は気のおけない時間を過ごしている。
「『剣姫』様までメイドさんなんですか!?」
「どんな成り行きでそんな、史上最高の冒険者がセーマさんのメイドに?」
「ん……まあ色々あって。戦争で知り合ったのが最初だよ」
アインとソフィーリアの驚きにさらりと返すセーマ。『剣姫』、すなわちリリーナがメイドをやっていることは大概の場合驚かれるなあ、と内心で呟く。
館のメイドの一人、リリーナ。セーマに出会う前から冒険者として名を馳せており、実力者に二つ名を付けることが半ば慣習となったのは『剣姫』と呼ばれた彼女に由来しているとも言われる程だ。
そのような人物が、今になって一人の男に仕えているのだ……二人の驚愕も当然の話であった。
「それにジナさんが『疾狼』だったなんて……」
「ここ数年でいきなりA級冒険者にまで登り詰めた、『剣姫』様の助手……噂では聞いていたんですけどね」
そしてその驚きは『疾狼』ことジナにも向けられている。突如として『剣姫』が助手として連れてきた謎の亜人……巷ではそのような認識であるのだ、彼女も。
新米ながら冒険者として、伝説そのものな『剣姫』とその助手『疾狼』のことは当然知っているアインとソフィーリア。
そんな二人だからこそ、改めてセーマと森の館のメイドたちのすさまじさに感心するばかりだ。
「まあ、皆それぞれの成り行きでそうなったみたいだよ。俺としては、有名だとかはあまり気にしてないし分からないんだけど……館の皆がやりたいようにやってくれるならそれが一番かなー、と」
セーマが片目を瞑り答える。正直なところ、彼としてはリリーナやジナがどのくらい有名なのか、分かりかねるのが本音だ。
そもそもあまり気にもならない。他者の評価がどうあれ、彼にとってはリリーナもジナも森の館のメイドであり家族同然の大切な女の子たちなのだ──それさえ見失わなければ良いと言うのが彼のスタンスだった。
「セーマ様……ありがとうございます」
「お心遣いのお陰で私たちは皆、思い思いに過ごせています」
フィリスとミリアが微笑みを浮かべ、セーマに寄り添い礼を言う。どちらも愛しさと忠誠が淡く滲む、どこか色気のある笑みだ。
妖艶ですらあるそれらの表情もいつものことなので、恙無く笑い返すセーマ。一方で三人を眺めていた、年若く純情なアインとソフィーリアの二人は当てられたようにすっかり顔を赤くして、お互いを見合わせた。
「な、何だか大人だね……」
「いけない空気よね……」
「いやあの、お二人さん? 今昼だからそういうのは違うんですけど」
何やら誤解を受けているようだと察してセーマが否定の声をあげるが、若干否定の仕方もずれている。
昼だからとか夜ならの話ではないのだ──口にしてから気付くものの、青春期の少年少女の鋭敏な感覚はすかさずそこを突いてきた。
「夜なら違わないんだ……」
「身を任せちゃうのね……」
「違うから、任せないから! 食後の麗らかな午後に変な話はよそう、ね!?」
このままこの話題を続けると、完全に変な空気になる……そう思い多少強引に打ち切らんとするセーマ。
どうにかならんものか、誰でも良いから助け船をとメイドたちに横目でヘルプを求めようとした、その瞬間である。
「帰ってちょうだい! 迷惑なのよ、あんた!!」
店の入り口の方から大声が響いた──女の声だ。
一瞬自分たちに言われたかと思い身構えるセーマたちなのであったが、何やら様子がおかしいと声の元を見る──メリーサだ。
腕組みをして眼前の男に叫んでいる。
40前後くらいか、それなりに年を重ねたような男だ……ボサボサの髪に、膨らんだ鼻。そして異様に血走った目をした、有り体ながら不審な見た目だ。
それでもスーツを着込んでいる辺り、あれはあれで男なりの本気のめかし込みなのだろう。
「へ、へへ。そんなこと言うなよ、メリーサさん……僕は本気で、あんたを」
「何回言われても一緒! それをこんな昼間から店にまでやって来て、何のつもり!?」
「僕は、僕は何度でも挑戦するぞ。諦めない……夢が叶うまで、挑むんだ、はへへ」
「っ……」
にたり、にたにた、と。
薄ら笑いを浮かべて呟く男の情熱は、暗い。
その不気味さにメリーサが息を呑み、怖気を走らせる。どう見ても異常な相手だ、まともではない。
それでも気丈に相手を見据え、彼女は言った。
「悪いけどあんたの気持ちには応えられない。迷惑だから出ていって」
「……あは、へ。やった、やった」
明確な拒絶。それを口にするメリーサには少しの躊躇もない。心底からの拒否だ……嫌悪感がとにかくあったのだ、この男に。
しかし男が心からの笑みを浮かべるのを見て、訝しむ。
そして次の言葉に、彼女は今度こそ凍りつくこととなる。
「『悪いけど』……悪いと思ってくれてるんなら、本当は僕のこと好きなんだ。あはは、やった、両想いだ! やった、結婚だ、子作りだ、あは」
「……!?」
意味不明な思考の飛躍。突飛もなく、あまりに独り善がりな結論に達した男。
今度こそ明確な恐怖を感じてメリーサは後退りすれば、周囲の客の何人かが堪りかねて割って入った。
「おいオッサン! いい加減にしろよ、嫌がってんだろうが!」
「振られてんだから現実逃避してないでさっさと次の恋探せって。もうちょい清潔にしてりゃまだ可能性あると思うぜ、俺は」
男性客が数人、男に言う。
セーマやアインたちよろしく冒険者らしい、それなりに物々しい装備を整えている彼らは脅すようにも諭すようにも接していた。
それを受け、不気味な男は嗤う。
「ぼ、僕と、彼女の間に。割って入るなよ、部外者……」
「……間も何もねーだろ、てめえ。一人で盛り上がってんじゃねーよ、舐めてると──」
ぽつぽつと呟くように、憎悪を込めて睨む男。
いい加減痺れを切らしたのか客の一人が腰に帯びた剣に手を伸ばそうとするのをもう一人別の客が制止した。
「待て、落ち着け。店に迷惑がかかる。穏便にいくぞ」
「あ……いっけね」
慌てて手を引っ込める、にわかに怒り始めていた客。冒険者だろうが何だろうが町中での喧嘩は御法度だ……ましてや剣を抜くなど論外。
制止した客は、次いで男にも声をかけた──その声は冷やかだ。
「それとお前、見たことあるぞ。冒険者だな……ギルドに迷惑行為として訴えても良いんだ、ここは退いとけ。な?」
「……覚えとけっ」
「はいはい。お前はさっさとメリーサさんを忘れて次の恋でも探せよ」
手を軽く振り追い出すようにジェスチャーをすれば、男は悔しげに睨み付けつつも、すごすごと去っていく。
残されたメリーサと客二人、ほっと息を吐いた。
「はー、すみませんねお客さん。変なことに巻き込んで」
「いやいや。あんたこそ大丈夫か?」
「しつこいのか、あれ」
「ええ、まあ……一週間前に何やら行き倒れてるところを、少しだけ面倒見たら勘違いされまして。はあ……」
「そりゃー、災難だったなあ」
労い合う三人。何にせよ事態は落ち着いたのであるが……
「セーマさん? どうかしました、そんな深刻そうに」
「……いや。今の男、何だか危ういような気がして」
「それはそうですよ、何回も言い寄ってるみたいですし、危ないに決まってます」
先程の男にどこか、捨て置けない既視感と危険性を感じるセーマ。
一同が不思議がるのも構わずに、一人で静かに考え込むのであった。




