蜘蛛の糸、絡め取られるは若人
新規冒険者登録の際、併せて実技試験が行われる。
新たに冒険者として立つ者がどれ程の実力を持つのか実戦形式で調べ、その評価に応じて今後の評価に補正をかけるのだ。
試験の結果でいきなりS級冒険者へ──と言うものではない。
どんなに腕の立つ者も、冒険者となるからには誰しも最初は最下級であるF級からのスタートだ。
そこから昇級するにあたっての必要な実績に対して、色が加えられるかどうかが実技試験で決まるのである。
戦後間もなくに導入された、全冒険者の実力による級分け制度。
事務的な手続きの関係からベテランも新人も一律でF級からスタートとすることになったがゆえ、急ぎ適切な評価を下せるようにするための苦肉の策──それが実技試験による評定と言えるだろう。
「で、僕はその実技試験の時にセーマくんに変な煽り方をしたわけだ」
「別に変ってことも無かったけど……」
冒険者ギルド内にある酒場にて、三人でテーブルを囲む。
セーマとアリスは果実酒を、そしてクロードは果実水をちびちびと含んでは話の華を咲かせんとしていた。
「お主が煽った結果ご主人はやる気をお出しになり……ビビった試験官が匙を投げた末に、同行しとったリリーナを急遽試験官に据えたわけか」
「S級冒険者三人が揃ってお手上げだなんて、今後一生お目にかかることはないでしょうね……」
アリスの言葉を受けてクロードが、遠い目をしてしみじみ呟く。
当時、クロードは実技試験を前にして昂っていた。
それゆえかセーマにも色々と煽るような物言いをしたのであるが……それを真に受けて彼が本気で試験に臨んだ途端、三人いた試験官が全員、手に負えないと試験を放棄したのだ。
三人ともS級冒険者であったがゆえに、やる気を出したセーマを相手取ることの危険性に本能的な気付きがあったのである。
せっかく本気になったのにと落ち込むセーマだったが、それを見かねた試験官の一人が代替案を提示した。
その時同行していたリリーナが、臨時の試験官となって彼と腕を競ったのである──奇しくも先程、荒野でアインとリムルヘヴンがぶつかり合ったような具合で、だ。
アリスが悔しげに言った。
「羨ましいのう……ご主人とリリーナの戦いを間近で見られるとは。特にご主人が本気をお出しになるなど、滅多にないと言うのに」
「見たと言っても、ほとんど何も見えなかったんですがね……この世の光景とも思えない、まさしく超常の戦いでした」
セーマとリリーナ、そしてマオの三人が森の館における最高戦力と言える。
その内の二人が、試験とはいえ本気で戦ったのだ……立ち会えたクロードを心底から羨むアリスだが、あまりのレベルの高さに目がまるで追い付かなかった彼自身としては苦笑する他ない。
「正直、実技試験にはあまり気分が乗ってなかったからさ……クロードくんのお陰でやる気が出たところもあるし、もっと言えばリリーナさんと腕試しできたんだ。俺としては感謝しかないよ」
「余裕だな、君は……いや、それ程の実力者ならばそのくらいの余裕があって然るべきか」
「どちらかと言えば逆じゃのう」
クロードの呟きにアリスが反応した。
年若い、主の同期たる少年に対して軽い指導を行うように教える。
「何でもそうじゃが、心に余裕があれば視野が広がる。それがひいては身に付けられる物事の幅が増えることに繋がるでな」
「……つまり、実力を備えることに繋がると?」
「余裕のない者は切羽詰まって、何も手に付かなくなるものじゃよ……ふむ、その点ではあのアイン少年は何するにしても余裕のある様子じゃったな。ありゃあ大成するぞ」
どこか牧歌的なのどかさを秘めた穏やかな空気の少年、アイン。
魔剣絡みの事件に関わらなければきっと、ソフィーリアと二人でもっと穏やかに過ごしていたのだろう……そんな素朴な彼を評するアリスに、クロードは訝しんだ。
「アイン? 最近話題の『新米亜人殺し』の名前と同じですが」
「おう、そいつじゃのう。何やらおかしな事態に巻き込まれとる奴じゃよ」
「へえ……知り合いだったのかい? セーマくん」
「偶然助けることになって、それからね」
それこそアインが話題となる原因となった事件、新米冒険者を狙って通り魔をしていた亜人に絡んで知り合ったのがセーマたちだ。
軽くながら経緯を話せば、同期の少年はなるほどと頷いた。
「いや、実のところ僕も例の亜人は怖かったんだ。僕だって新米だからね……そのアインさんが倒したって聞いた時は、にわかには信じられなかったけどホッとしたのも事実だよ」
「まあ、人間が一対一で亜人を倒すなんて早々ないものな……」
「それこそ王国騎士団長とか、帝国の『英雄皇帝』とかくらいなもんですのう」
アリスがいくつか、人間の身で亜人を倒すことのできそうな実力者の名を挙げた。
王国騎士団長。人間としては間違いなく世界最強であり、先の戦争でも縦横無尽の活躍を見せた『銀鬼』の二つ名を持つ騎士の中の騎士。
『英雄皇帝』……王国から遠く離れて海の向こう、帝政国家の初代皇帝。亜人を娶った変わり者の男であり、先の戦争でも皇帝にありながら積極的に前線に出張っていた超武闘派。
いずれも人間というカテゴリにおいては極めて強力な存在だ……続けてクロードが補足する。
「それとS級冒険者もですね……取り分け『クローズド・ヘヴン』の10人はそれぞれが亜人にもまったく引けを取らない実力者と聞いています」
「『クローズド・ヘヴン』……ジナちゃんが勧誘されるかも、なんて話もあったな」
「ジナ……『疾狼』か。亜人の冒険者自体が珍しいんだ、その上S級昇格間近とされる彼女が注目されるのも当然だね」
加えて『クローズド・ヘヴン』……S級冒険者の中でも選りすぐりの実力者のみで構成された、人間世界の治安維持のために動く独立集団をクロードが挙げた。
もうじきS級冒険者となるかもと噂されているジナなどは、特に勧誘されるのではないかと聞いたばかりのセーマだ。それなりにその集団への関心は高い。
「加えてセーマくん。君もだな、単独で亜人を相手できる人間なんてのは」
「……あ、あーうん? いやいや、ははは」
忘れてはならないとばかりに眼前のセーマを見据えてクロードが笑った──彼もまた、セーマが亜人であることを知らない。
誤魔化すように曖昧に笑うのだが、それもまた謙虚か謙遜と取ったらしく、苦笑いしてクロードは立ち上がった。
「ご馳走さま。そろそろ僕は行くよ……少し喉が乾いていただけなんだ、実は」
「あ、そうなの? 実は夜から宴会があるんだけど……」
「いや、先約があるんだ。悪いけど今回は」
引き留めるセーマだが、先約があるとのことで大人しく引き下がる。同期と仲良くなりたい思いの強い彼だが無理強いはダメだと自戒する。
「分かった。楽しかったよ、ありがとう。また会おう、クロードくん」
「ああ。それとアリスさんも、参考になるお話をどうも」
「あくまでわし個人の意見じゃからな、鵜呑みにするなよ……あとお主、今更じゃがご主人にはため口でわしには敬語なんか」
本当に今更なのだがアリスが口調について言及した。どうせ敬語というのなら、主にこそ遣うべきだと思う従者の心意気だ。
それに対してクロードは、にこりと笑って答えた。
「セーマくんは同期ですから。それに貴女は『エスペロ』の女帝ヴァンパイアでしょう? 有名ですからね……では」
それだけ言うとクロードは店を出る。
改めて残されるセーマとアリス、二人。
「アリスちゃんも割合、有名だよね」
「まあ、この辺りに根を張る組織の頭ァ張っとりますからのう」
他愛もないことをぽつりとやり取りして、またぞろ二人、果実酒に口を付けるのであった。
「どう? クロードくん。何かしら得るものはあったかしら」
「ええ……まあ、改めてあの『勇者』とその一派が恐ろしい連中だと思い知っただけの話ですが」
ところ変わってギルドの最奥。重々しい扉を隔てた個室にてクロードは、女と相対していた。
妖艶な美女だ……醸し出す色香にどこか浮わつく自覚を持ちながら、しかし歓んで流されてしまう程の優しい色気。
実年齢いくつかもクロードには分からないが、少なくとも女は亜人であろう。数十年と美を保つ魔女としてこの町のギルドを牛耳る以上、そう判断せざるを得ない。
「お客人は去りましたか……」
「もちろん。『警告』を受けたばかりなのよ、あの人たち。彼の気配感知圏内に留まるなんて間抜け、さすがにしないわよ」
セーマたちがちょうど荒野にまで出ていた時間帯、この部屋を訪れていたローブ姿の二人組を思い、女は苦笑をこぼす。
つい先日の通り魔騒ぎで、勇者直々の『警告』を喰らうという特大の失態をやらかした二人だ……拠点としている荒野に調査の手が及ぶと知り、この部屋に隠れてやり過ごしていたのである。
いかに勇者であろうと、想像だにしないだろう。
件の通り魔と繋がっている亜人たちが、まさかこうして──ギルドと繋がっているなどと。
こうして色々知った今でも、背筋の凍る心地を覚えてクロードは誤魔化すように続けた。
「ああそれと、『炎の魔剣』の使い手……彼ともやはり懇意のようでしたね、勇者は。特に『エスペロ』の女帝はそれなりに高評価を下しているようです」
「ふうん? アインくん、だったかしら。彼もそれなりにやるってことね……あなたにも負けず劣らずに」
「……負けるつもりはありません」
憮然と答えるクロードに、女は笑った──可愛らしい少年だ。
真面目で、誠実で、優しくて……だからこそ傲慢で、世間を知らない。自分には限界などないと信じて疑わない、無知な愚かさ。
何て素敵で、何て馬鹿で、何てやりやすい子だろう。
女は嘲笑と憐憫と愛しさを込めて笑んだ。
「もちろん負けると思ってないわ? 信じてるもの……あなたと、その『魔剣』は最高よ」
「『勇者』の手前、最強とは言えませんか」
「そこまで命知らずでもないでしょう?」
言葉を受けてクロードは肩を竦めた。認めたくはないが、認めざるを得ない現実もある。
今しがた受け取った、漆黒の魔剣──アインのものと瓜二つ、しかし埋め込まれた宝石の色だけが違う、緑色だ──を眺めながら、呟く。
「アインさんが一人目。僕が三人目……二人目はどうなってるんです」
「さあ? 元々彼の管轄だもの、『魔剣』は。あなたの分だけどうにか、私のこれまでの功績を以て用意できただけ。一人目も二人目も知らないわね」
「そうですか……ご期待には応えます」
自分のために、この女は、色んなものを引き換えにしてこの剣を用意したのだ──匂わすそれを感じ取り、静かにクロードは燃え立った。
意気込む彼を尻目に、女はしかしと考え込む。
「でも、そうね……二人目、何してるのかしら。どういうつもりか物騒な子に渡したみたいだし、また変な事件でも起きるかしらね」
果たして『かませ犬』はどちらであるのか。
それを気にして女は──ギルド長ドロスは嗤う。
どのみち暫くの間、王国南西部全体が巨大な実験場なのだ。
フードを被る、あの二人。いや片方は傍観者ゆえ実質一人。
あの男の思うがまま、人間たちは翻弄されて踏みにじられていくのだろう。
『魔剣』を巡る暗躍は続く。
次なる事態は、もうすぐそこまで迫っていた。




