荒野の探索、見えた白い影
マオによる奇跡の瞬間移動。
それを目の当たりにしてすっかり気が動転したアインであったが、しばらくセーマの介抱を受けるとやがて落ち着きを取り戻していた。
「信じられません……この世のこととも思えなくて」
「それでも目の前で起きたことが現実だよ、アインくん。どこであろうと行ったことのある場所には一瞬で辿り着ける……そんな力がマオにはあるんだ」
「それだけじゃないから悪しからず。その気になれば何でもできる、万能美少女マオさんなのさ」
胸を張るエメラルドグリーンの長髪が美しい少女、マオ。見た目はアインよりも若く幼げなこの女の子に、どういうわけだか信じられない力があるのだ──アインもいい加減、それを認めざるを得ない。
何者なのか、彼女は。
当然湧き出るその疑問を、しかしセーマは先んじて制した。
「マオが何者か。そこが気になるだろうけど、今はまだ教えられないんだ」
「え……」
「まあ、色々あって」
申し訳ないと頭を下げる。
色々……早い話、マオが『魔王』と知られるのは今のご時世、不都合の多い話なのだ。
先の戦争の首魁。数多の亜人を率いて10年もの間、世界中に戦乱を巻き起こしていた大罪人。世間一般には『魔王』とはそのような存在であるし、実際その通りだ。
そんなマオの素性が今、アインに知られれば……あるいはセーマ諸共に人間の敵だと思われてしまい、まともな関係を構築できなくなる可能性もあった。
魔剣が魔王の力を一部扱っているという点からマオにも付き合ってもらっているし、便利ゆえに魔法まで使わせているが……それはそれとして、可能な限りマオの素性は暈しておきたい。
そんな思惑から、アインには黙っている心算なのである。
はっきり言えば、自分の都合に他ならないのだが……それでもセーマは我を通した。
「今はとりあえず、不思議パワーを持ったいけすかない女だと思っといてほしい……いつか話せる時が来たら話すさ」
「はあ……分かりました、その時を楽しみにしますね」
「いけすかないって何だとこの野郎」
あからさまに誤魔化してくるセーマに、アインはしかしあっさりと頷いた。
マオの素性が気になると言えば気になるのだが、セーマの都合を蔑ろにしてまで騒ぐのもどうかと思う、そんな人の良い彼である。
ともあれ、今は荒野だ──辺りを見回す。
赤焦げた茶色の大地。荒んだ土地には草木も生えず、ただただ剥き出しの岩肌を外気に晒す、そんな風景がひたすらに続く。
ここに来るのは始めてだ。アインは思った。
通常、冒険者が荒野に行くには許可がいる。人間も亜人も問わず賊が跳梁跋扈する無法地帯であるそこは、腕利きでなければ立ち入ることが許されないのだ。
ふと疑問を抱き、彼は問う。
「セーマさん、許可取ってるんですか? 新人二人と付き添い二人じゃ、ここに来て良いだなんて言われるとも思えないんですけど」
「うん? ……ふふふ。それが下りるんだな、これが」
問いかけに不敵に笑い、懐から紙を取り出すセーマ。
じゃん! とアインに突き付けたそれは、ギルド公認の『危険区立ち入り許可証』だ。ギルド謹製の大判のしっかりと付いた、本物である。
「うわわ……すごい、よく下りましたね僕らに」
「ギルドの人たちは俺が、冒険者になる前に戦争に参加してたのを知っててさ。腕前に関してはそれなりに認めてもらえてるんだ。ま、昔取った杵柄、ある種のコネだな」
「ふえー……セーマさん、『出戻り』なんですね」
にこやかにセーマが述べた通り、ギルドはある程度セーマの来歴を知っている。勇者であることは知らずとも、戦争に参加して生きて戻ってきた……所謂『出戻り』と呼ばれる歴戦の戦士であると把握していたのだ。
「それで荒野にも来れるのかあ……凄いなー」
自分とソフィーリアを助けてくれたこの青年が、戦争にも参加した経験のある『出戻り』であったことを知りアインは感嘆の声をあげた。
道理でやけに落ち着きのある態度で、しかも年若いのに大金持ちなだけはあると納得いった様子である。
さぞかし名のある人なんだろうなあ……と若干、ミーハーじみた憧れなどをも抱くアインを他所に、セーマはさてと呟いた。
「それじゃあさっさと調べるか……軽く見て回れば何かしら見つかるだろう」
そして歩き出す。
一行の目的の一つ、突如集団失踪した賊についての調査の開始であった。
赤土の荒野を四人が歩く。時折吹き抜ける風が砂埃を巻き上げていた。
よく晴れた日の午前、果てしない空の青と大地の赤とが綺麗にコントラストを見せている、そんな日中。
「すごいな、本当に人の気配が無くなってる……一月前には結構いたはずだぞ」
「『気配感知』だなんて、すごい技を持ってるんですねセーマさん……ていうか一月前にもここに来ていたんですか?」
呟くセーマにアインが反応した。
気配感知による探索の結果、見事に人っ子一人いなくなっていることを確認した矢先のやり取りだ。
質問を受けてセーマが頷く。
「館の方で用事があったから、マオの『テレポート』でサクッとね……そういやあの時は無許可だったな」
「そ、それってまずいんじゃ……」
「当時はまだ冒険者じゃなかったろ、セーマくん」
「ギルドの許可っても、結局は冒険者にしか強制力がありませんしのう。まあ一般人はこんな危ないとこ、近付きたがらんわけですじゃが」
マオやアリスの言うことも正しかった。
実際、一月前にはセーマは未だ冒険者としての登録をしていない。ゆえにギルドの許可を得るまでもなく、荒野だろうがどこだろうが好きに行けたのである。
「何の用事だったんです? 知り合いに会いにとか?」
「こんなとこにいる知り合いとかろくな輩じゃないな……そうでなく。マオとちょっとした腕試しにね」
「あの時はまだ、あちこちに人の気配がありましたのう。揃ってわしらから逃げようとしとりましたが」
「危うく天変地異に巻き込まれる寸前だったんだ、そこは仕方ないさ」
嘯くマオに、何が何やらとアインが首をかしげる。天変地異……あまり馴染みのない話だ。
そういえば戦争中はあちこちで、地震だの噴火だの嵐だのと災害が発生していたと聞いたことがある──そんなことをふと思い出していると、セーマがその背中を軽く叩いた。
振り向けば、先程までの穏やかな顔から一転して真剣に引き締められた横顔がある。
「セーマさん?」
「向こう、何か変じゃないか?」
その言葉に、彼の視線の先を見据える。
広がる荒野、赤く焦げた大地は変わらないが……仄かに白く霞む地帯が見えた。亜人の目には多少輪郭が分かるのだが、人間であるアインにはほとんど霞のようにしか見えない。
セーマに続きそれを見たマオとアリスも反応する。
「お? おーたしかに。何だあれ」
「ふーむ、何だか折り重なっとるみたいでよう分かりませんのう。マオ、何か遠くのものを見られる技は無いんか」
「あるけどこの距離だし、もう歩いていった方が早いんだけどなあ……まあ良いや、『テレスコープ』」
ぶつくさ言いつつもしっかりと望遠の魔法を使う。亜人ゆえ元より人間に比べて遥かに優れた視力が一気に強化され、対象地点をよりズームし、よりクリアに捉えた。
瞬間、顔をしかめてマオが言う。
「……おいおい、穏やかじゃないな」
「マオ? 何を見た」
「んー、まあ行けば分かるよ。子供には見せたくないかなーとだけは言っておく」
「勿体つけおって、お主一人分かったところで意味無いではないかそれでは」
「えっいや……ていうか皆さん、視力高すぎでしょう?!」
何かしら見えているらしい他の三人に愕然とアインが呟く。
森の館のメイドであるアリスは分かる……あの館のメイドは全員、亜人だと聞いているので、視力も人間以上で当然だろう。
マオもまだ分かる。先程の瞬間移動と同じく、またしても奇跡の技を行使したのだろう。正直意味不明だが、何でもできると言うなら何でもありと思うしかない。
だがセーマは別だ。森の館の主人は人間だと、町の噂では聞いている……だというのに今、目の前の彼はアリスやマオにも匹敵する視力を持った素振りを見せていた。
困惑するアインにセーマが笑う。
「あー、まあ視力も鍛えてるから!」
「いや鍛えるって……そういうレベルじゃないような。動体視力ならともかく」
「いやいや案外できるよ。今度教えてあげよう、きっと役に立つ」
「は、はあ……」
曖昧に頷く少年冒険者に、セーマは頷いた。
実際のところは彼もまた亜人であるがゆえの視力の高さなのであるが……その事実を知らせるつもりはなかった。
アインに限った話ではない。基本的に、セーマは自らの素性……すなわち『勇者』という種の亜人であることを人間相手には言わない傾向がある。
戦後間もない今、そんなことを親しい人間に打ち明けたところで余計な混乱を招くだけという意識的な判断もあるのだが……実のところ無意識では彼自身、未だに自分は人間だという思いもあり、積極的に吹聴する気にはなれないというのもあるのだ。
『勇者召喚術』により、気付いた時には恐るべき力を持った亜人へと改造されていたセーマ。
それにより戦争で殺人を犯さなければならなくなった事実も含めて……人間であることを踏みにじられたショックと哀しみが、あるいはトラウマとなっているのかも知れなかった。
「とにかく行ってみるか。しかし、子供は見ない方が良い光景か……何となく予想も付くな。アインくん、ここで待っとくか? それなら念のためアリスちゃんにも待機してもらうけど」
「あ……いえ! 僕も冒険者の端くれですから。この魔剣で人を殺したこともありますし、今更気後れはしません!」
「……そっか。侮ってごめん」
「いえ! お気遣いありがとうございます」
未だ子供と言って良い年頃であるのを気にするセーマに、アインは毅然と冒険者としての心構えを示した。
それを受け、新米とは言え冒険者に対してさすがに失礼だったか……と反省するセーマ。頬を一つ掻き、気持ちを切り替えてアインに頷いた。
「それじゃあ一緒に行こうか、アインくん」
「はい!」
勢い良く答えるアイン。そんな彼にマオが気もなく声をかけてきた。
「まあ危険は無さそうだし、気楽に行けば良いんじゃないかな」
「じゃから、何があるのか詳しく言わんかいお主」
「あんまり面白くないもの見ちゃったからお裾分けさせてよ。私一人微妙な気持ちになるのやだよ」
「えー……」
意地の悪いことを平然と言う少女に、さすがのアインも引き気味の反応だ。
ともあれ一同は先へと進む──謎の白い地帯に向けて、歩き出したのだった。




