悪魔ドロスとミシュナウム・4
「──とまあ、そんなわけでね。悪魔という種族とドロスの過去と、そしてミシュナウムとクラウシフ。一気に色々明らかになったもんだから、さすがのローランもずいぶんと悩んでいたよ」
「そりゃそうだろ……」
面白がって愉快そうに笑うマオに、セーマを始め森の館のメイドたちは揃って複雑な想いで見つめた。今しがた語られていた、王城での経緯を受けてのことだ。
森の館、大会議室。打ち上げパーティーの翌朝から急遽住人全員を集めたマオは、情報共有と称してそのような話をしていたのである。
難しげにセーマが腕を組み、唸った。
「そんな成り行きで『オロバ』に参加していたのか、あのドロスは」
「道理であの女、やけに『オロバ』を雑に扱うもんじゃと思っとったら……まさかミシュナウムありきでの協力とはのう」
アリスが同じように呟く。ドロスと実際に対峙し、全身の骨を砕きへし折り外してみせた彼女だからこそ、元ギルド長の不可解なまでの『オロバ』軽視が納得できるところがあった。
「それにしても悪魔とは……実在したのだな。しかもギルド長が」
「あれ? リリーナさん、知らなかったんですか?」
「残念ながらな。2000年前など私は生まれてさえいなかった」
「それに天使どものことだ、悪魔の存在なんて記録や伝承から抹消していてもおかしくないだろうよ」
「かつての同胞ゆえ悪し様に言いたくはないが、その可能性はあり得るな……」
深々とため息を吐き、リリーナは同胞への疑念を隠すことなく告げた。
『堕天使』──すなわちかつて天使であった彼女にとり、天使という種がそのような隠蔽を図る性質があることは誰よりも分かっていることだ。
「人間と亜人の、友情……悪い方に転がることも、あるんですね」
「融和、友好といっても生まれ持ったものの差はありますからね。寿命であったり、身体能力であったり」
「ミシュナウムは、それが嫌だったのね……」
哀しげにミリアが呟いた。情の深い彼女にはミシュナウムという、遺すことも遺されることも拒もうとして狂っていった人間が、どうしても憐れなものに映っていた。
フィリスも多少、同情的な思いで反応する。とはいえミシュナウムがその目的のため、1000年にわたり多くの命を弄び踏みにじったこともあり、過度に入れ込めるような話でもない。
メイドたちが皆それぞれの価値観に照らした反応を示す中、マオはドロスの今後についてを口にした。
「これからのドロスなんだがね。まあ裁判を受けるのは当然なんだが、実際に課せられる罰の具合が王国的には色々、悩みどころらしい」
「色々、とは? やはり彼女の過去か?」
「そこは問題じゃないさ……過去がどうあれやらかしたことに変わりはないからね。そのやらかしたこと自体、どこまで罪に問うかって話だ」
ドロスの経歴は複雑だ。悪魔であることを除いても、S級冒険者にしてギルド長であり、しかも『オロバ』に与して最終的にはそれさえ裏切った。
ミシュナウムのため、凡そことごとくを欺いてきた女。だからこそ罪の範囲がややこしいとマオは言う。
「実のところ、『魔剣騒動』に至るまであの女、罪に問われることはまるでしちゃいなかった。権力闘争で相手をやり込めたことくらいはあろうが、それとて法律の範囲内、あるいはギリギリのラインってところだ」
「つまり、ドロスの罪はあの騒動に集中していると」
「ああ、なんだがね……少なくともギルド長という立場については話が別だ。その立場を利用してバルドーに小僧みたいな新米を紹介してたそうだから、しっかり実害も出ているしね」
「やはりアインくんが目を付けられたのは、偶然じゃなかったか……」
疑惑が確定したことにセーマは息を漏らす。騒動の最中、ドロスの裏切りが疑われ始めた頃に推測していたことだ。
すなわちアインやワインドといった無名の冒険者に魔剣が渡されたのは、ギルド長による手引きがあったのではないかという疑念。
その疑いは正しかったのだと、ことここに至り改めて示されたのだ。
「だが他に明確に犯した罪というと、これも微妙なところでね。風の魔剣士を擁して冒険者を襲わせたことくらいか? セーマくんを誘導して『オロバ』を襲わせたこととかリムルヘヴンに魔剣を預けたことなんかは、罪というには当たらないし」
「案外、大人し目なやらかしっちゅうことか?」
「人間を裏切ることへの抵抗感があったかは知らんが、事実だけを抜き出すとあの女、『オロバ』には本当に必要最低限の協力しかしてなかったんじゃないかと私は見ているよ」
マオの言葉は極力、事実のみを考慮している。驚べき過去があったにせよそれとこれとは分けて考えるべきであるし、またそもそもドロスが嘘を吐いていないという保証もないためだ。
その上でドロスの罪は、あまり極端な重さに問われることはなさそうだというのが彼女の見解だった。
アリスが納得いかないとばかりに問う。
「国家に対する反逆には問われんのか? 『オロバ』に与しとったんじゃからそのくらいは」
「その場合『オロバ』が国家転覆まで企んでいたかを立証する必要があるんだが……王国南西部でわちゃわちゃやってただけの連中にそんなつもりがあったか、そこは疑問が残るからね」
「たしかに、奴らは別に王国をどうこうしようという感じでもなかったな。『亜人連合』を利用していたテリオス大臣くらいか」
「あのゴミ野郎は言い訳の余地なく国家反逆罪だ。大臣格でやりがったんだから、そっちは順当に行けばまあ行くとこまで逝くだろうな」
と、テリオスの末路を示唆しつつなおもマオは続ける。
「それにあの女には大切な役目がある。多少の温情はかけてやるべきじゃないかとは、ローランやプラムニーと話したよ」
「役目……?」
「クラウシフだかいう、逃げた悪魔を取っ捕まえるのにね。本人かどうか確認できるのはドロスしかいないわけだし」
「クラウシフ……異世界から人を呼び寄せる術を最初に開発した、悪魔」
ショーコが噛み締めるように呟いた。
『異世界人召喚術』を開発し、あまつさえそれを王国に流出して『勇者召喚術』へと至らせた、ある意味ではセーマとショーコの人生を狂わせた張本人。それがクラウシフだ。
その存在を知った今、捨て置くことなどできはしない。兄妹は顔を見合わせた。
一方でリリーナが問いかける。
「しかし、クラウシフを探すにしても当てはあるのか?」
「無いな。とりあえずしらみ潰しさ……さしあたり元より共和国には行こうと思ってたからね、手始めにそこから当たってみるよ」
「共和国? 何でまたそんなとこ行くんじゃ、お主」
「おいおい。アリスだろ、私にあの国の面白い話を教えたのは」
苦笑してマオは、アリスに答えた。魔剣騒動終結の数日前、全国ヴァンパイア集会から帰還した彼女からもたらされた、とある情報が切欠だった。
「『特務執行官』──だったか。人間の身にしてたった一人、よく分からん武器を用いて亜人と戦いを続けている謎の戦士。気になるじゃないか、実に」
「あ、そういやそんなの話したのう……え、お主其奴を探しにこの館出るんか?」
「旅行がてらな。別に館は出ていかないぞ、こんな居心地の良いところ他にはないからな!」
ともすればそのまま館を出ていくと見なされかねないアリスの発言を訂正しつつ、マオはふんぞり返った。
特務執行官。何者かは分からないが謎の武器を以て亜人と対等以上に渡り合うというのは、まさしく魔剣と魔剣士の組み合わせに酷似している。だからこそマオは調査する必要があると判断したのだ。
「ローランに頼んだ身分証明書が発行できた時点でちょっくら行ってこようと思うんだよね。だからセーマくん、『封魔の腕輪』用意して私と王城行こうよ、今度」
「それは一向に構わないが……しかし良かったのか? 下手すると魔法が封じられるのに」
マオとローランの取り決めに関し、魔法を封じる腕輪が王国に渡ることになる。もしも契約違反が行われた時には、王国の手により魔王の絶対的な力が、半永久的に封印できるようになるのだ。
それに対して案じる思いを吐露したセーマ。一度その絶対的な効果を目撃している分、余計に心配が大きい。
不安げな勇者に、魔王は微笑んだ。
「心配すんなよ。契約内容は極力、最低限の制限で済ませて見せるさ──そんな大それたことに魔法を使う気もないしね」
「……うーん、心配だなあ。そんな風に自信満々だと、ローランに逆にやり込められそうで」
「なんだとこの野郎」
顔をひくつかせるマオだが、しかしセーマの懸念ももっともなことと言える。何しろやけに調子づいて高を括っているのだ、ろくなことにならない気が彼にはしていた。
交渉相手は『豊穣王』ローラン──今や世界経済の中心に位置する一大国家の指導者にして、破竹の勢いで国内外にその名とカリスマ性を轟かせる戦後の国際社会のスターだ。補佐を務めるプラムニーはじめ大臣たちも、テリオスのような輩を除けばなかなかに粒揃いである。
何か返り討ちに遭いそう。
端的にそのような不安がセーマのみならず、メイドたちに蔓延していく。
そんな空気にいよいよマオが腹を立てんとしたその時、アリスが挙手をして発言した。
「マオよ……こう言っちゃなんじゃがな。交渉時に相手を舐めとるようでは、間違いなくやり込められるぞ、お主」
「何だよアリスまで、このマオさんがそんなに頼りなく見えるのかよ」
「そうは言わんが、隙だらけではあるのう。『エスペロ』のオーナーとして交渉なぞにも覚えがあるゆえに言うが、あの『豊穣王』からしてみれば良いカモじゃろうなあ」
「う……」
何を心配症なことを、と言うには──『エスペロ』のオーナーであるアリスの経歴が重すぎた。こと交渉に関してはそれこそマオの数千倍、あるいは『豊穣王』をさえ凌ぐ程に修羅場を潜っている闇の女帝からの警告なのだ、無視することはできない。
言葉に詰まるマオに、いよいよセーマが不安を覚える。そんな主を安心させようと、アリスはならばと笑って言った。
「わしも同行し、交渉のテーブルに着きましょうかのう。『豊穣王』も大臣の一人くらいは連れてきますじゃろうし、こちらもそのくらいは許されましょうて」
「アリスちゃん……大丈夫? 『エスペロ』と王国の関係とか悪くならないかな」
「別に喧嘩しようって話でもありませぬし、何ならごくプライベートな話でさえあります。これで関係を悪化させるなどかえって王国の名に傷が付きますゆえ、ご心配なくですじゃよご主人」
にこりと笑ってアリス。こういった話になればさすがはカジノのオーナー、独壇場も良いところだ。
さしものマオもその頼れる姿には安心感が大きく、侮られたことの腹立ちと裏腹の不安を飲み込んで、素直に申し出を受けた。
「それは……助かる、かな。悔しいけど」
「別段、お主の能力が低いと言っとるわけではないぞ? それを踏まえても油断しすぎで、しかも相手が悪いって話じゃ。ま、今回はわしに任せておけよマオ」
「頼むよアリス」
頭を掻いて己を省みるマオに、アリスは好ましく笑った。
かくして数日後、マオはセーマとアリスを連れて、ローランとの契約交渉に出向くのであった。