王城にて・3
『オロバ』に便宜を図り、国内でテロを起こさせることで世論を反亜人に傾けようと画策していた青年大臣、テリオスが捕縛された。
現役の大臣が捕縛されたことを受け、城内には一時緊迫の空気も流れはしたが……ローランの速やかな采配により、事態はすぐに鎮静化することとなる。
「テリオスが担当していた環境部門はひとまず余とプラムニー預かりとする。前任からの引き継ぎは近々行うこととして、部門の職員たちには引き続き定常業務を行ってもらおう」
「テリオスの後釜が見つかり次第、私と陛下からその者に対して引き継ぎを行うこととなりますな。本来であればテリオスの補佐役だったシオンに任せたいところでしたが……」
「シオンにはもうこの国を離れますので、そんなことを仰られても正直困りますね」
きっぱりとテリオスの後継を拒否したシオンに、ローランもプラムニーも特に否やはなく頷く。
そもそもが『クローズド・ヘヴン』への依頼として王城に滞在させていたのだ。それをこれ以上、王国に縛り付けるような真似をするわけにはいかない。
ともあれそのようにしてテリオスの後始末について話がすんなりと纏まり、ひとまずの落ち着きを取り戻してから間もなく。
賓客との会食のため専用に設けられた宴の席にて二人、ローランとマオが食事を摂っていた。
「んー美味い! 館の料理より出来良いってすごいじゃないかよ!」
猛烈な勢いでテーブルに並ぶ料理の数々を口にしながら、マオは王城の料理番たちを諸手挙げて褒め称えた。皮肉がちなマオとしては珍しいことなのだが、それ程までにレベルの高い食卓なのだ……アリス率いる森の館の料理班をも上回るクオリティ。
すっかり夢中になって食べ続ける魔王に、ローランは微笑んで応えた。
「喜んでいただけて何よりだ……我が国の誇る超一流シェフたちによる、贅と工夫を凝らした料理。どうか楽しんでいかれよ」
「わっはははっはっはー! こーなると打ち上げパーティーなんぞに参加しなくてむしろ良かったかも知れんな! やっぱり酒がないのが残念だがそこは多めに見てやろう、うむうむ!」
「そこは勘弁していただきたい。我が国の法では人間も亜人も関係なく、成人年齢に達するまでは酒は飲んではいかんのでな。余とてこの通り、果実水だとも」
酒への執着を見せるマオに、セーマから聞いていた通りだと苦笑さえ浮かべつつもローランは取り成した。美味なる食事にすっかり上機嫌のマオもそこはすんなりと受け入れ、二人は食事を続けていく。
ふと、ローランが食事の最中、不意に尋ねた。
「して、マオ殿。余に何か話があるようなのだが……重大事だろうか?」
「あん? ……あー、そうそう。いや、大した話でもないんだけどな?」
テリオスとの対峙の際、ちょっとした話があると何やら用件を仄めかしていたことについて問えば、マオは何でもないように果実水で口の中のものを流し込んで言う。
「んぐぐ、ぷは……ふう。二件ある」
「ふむ」
「一つ目なんだが、私の身分証明書を作ってほしい。こないだセーマくんから、身分証明書の一つくらい持っといた方が良いかもとか言われてな。私自身思うところがあったから、こうして相談してみた」
一つ目の用件、つまりはマオの人間世界における身分証明を行うための書類作成。
先の騒動にてセーマと軽く話した程度ではあるのだが、マオとしてもその手の証書が一つくらい無くては困るかも知れないと思っていたのも事実だ。
ゆえにこうして相談したのだが……ローランは少しばかり考え込み、やがて応じる。
「ふむ……作れないこともないが、正直に言えば不安ではあるな」
「は? 何が」
「王国による身分証明を行うということはつまり我が国が、そして余がマオ殿の身分とある程度の行動について責任を負う立場となることを意味する」
「……王国の身分証明書持ってる私が他所の国で暴れたら、そのままその国と王国とで国際問題になりかねないってことか」
「そういうことだ。『魔王』であることを思えば、そこがどうにもな」
一切の隠し立てなくローランは、マオの身分証明を行うことについての懸念を口にする。マオはたしかに『魔王』として暴虐な一面もあるが、しかし道理を説けばそれに則る知性もある。
だからこそすべてを明るみにして相談、いや交渉を仕掛けた……『王国の身分証明を受けるからには問題行動を控えてもらう』という、条件を突きつけたのであった。
『豊穣王』の意図にはすぐさま気付いた『魔王』。にやりと笑い、足を組んで彼に言葉を返す。
「ふ……一々言い分ごもっともだローラン。セーマくんとショーコの友なだけはあると褒めておこう」
「畏れ入る──して、いかがか?」
表面上は穏やかに、しかし内面では固唾を飲んでローランは返答を求めた。
ここが、このタイミングこそが、『魔王』という国内の潜在的脅威にある程度の枷を掛けられる特大の好機なのだ。いくらセーマが抑えているとはいえ、保険というものは二重三重に用意しておきたい。
緊張の一瞬……そしてマオは、にやりと笑った。
「是非もない。そもそも私にはもう、人間世界をどうこうする意思はないからね。国際問題や国内でも問題になるようなことは極力控えるし、不安だというなら保険を付けてやっても良い」
「保険?」
「私がもしもそういうことやらかしたら……ローラン。お前、私に『封魔の腕輪』付けて良いぜ」
「……、何!?」
一瞬何のことだか分からずにいたローランであったが、すぐに『封魔の腕輪』の何たるかを思い出して反射的に身を乗り出した。
言うまでもなくマナー違反だが、そうするのも無理はなかった。魔王の持つ万能能力『魔法』を、完全に封じ込める対魔王用兵器──それこそが『封魔の腕輪』なのだから。
唖然とローランが呟く。
「た、たしかに報告では、『エスペロ』に保管されていた『封魔の腕輪』がセーマの手に渡り、一時的にマオ殿の魔法までも封じていたと聞いてはいたが……」
「『魔剣騒動』のちょっと前だな。いやーあの時ばかりは真剣に参ったよ。何しろほんの少しも力を行使できなかったんだ。あの状態の私なら、そこらの雑魚冒険者でも徒党を組めば楽に殺れたろうな」
「それ程までのものなのか……」
『魔剣騒動』の直前。セーマがすべてを取り戻す過程において、『封魔の腕輪』は一度その力を絶大なまでに発揮していた。
一度付けると付けた本人にしか外せないその腕輪がセーマの手によってマオに着けられ、そこから一週間程度、魔王は唯一無二の秘法を封じられて生活する羽目に陥っていたのだ。
そのことはセーマに会いに行ったフィオティナからの報告にもあり、ローランも腕輪の存在と所在は分かっていたのだが……まさかこの場面で、しかもマオから提案されるとは思ってもいなかった。
「契約が成立した時点で『封魔の腕輪』を渡そう。その時にはセーマくんも立ち会わせるから、私が土壇場で踏み倒すんじゃないかとか下らん心配は無用だ」
「……良いのか? 我らとしては好都合だが、そちらは」
「だから言ってるだろ? もう私は、人様に迷惑なんぞかけたりしないって。その自信があるからこういう提案をしてるのさ」
あっけらかんと話すマオの様子からは、何の不安も感じ取れない。心底から、腕輪を嵌められるようなことをしない自信があるのだ。
こうもあっさりと自らの生命線を交渉材料にした胆力。すっかり話の主導権を握られてしまっていることも合わせて、ローランはいよいよ思い知った──この魔王は、魔法だけではない。
むしろ恐るべきは精神性。一切の迷いなく最短距離で目的を達しようという、突き抜ける烈帛の一矢のような信念なのだ。
「……分かった。それで良ければ、後日正式に条件を整えての下、身分証明契約を交わそう」
「助かるよ。あー、それと先に言っとくが、『オロバ』絡みで調査に赴く場合、もしかしたら魔法を使うかも知らんからな? なるべく小規模に抑えはするが、そればかりは特例として欲しい」
「む……そうだな。それに限らず、自己防衛や人命救助に際しては制限は設けない。早い話が節度を持ってくれればそれで良いのだと心得てもらいたい」
「話が早いね、君は。さすがは名君『豊穣王』!」
にっこりと笑うマオに、些か呑まれてしまった気もあるローラン。
やはり亜人の王とは一筋縄にいかんものだと、彼は心中にてため息を吐くのであった。
「さて、そうとなれば二つ目だ。どっちかというとこちらの方が今回、本題じゃないかな」
「……何かな? お手柔らかに頼むよ」
更に続けて二つ目の相談。一つ目の時点で既に大分、気圧されてしまったところはあるが……それでもローランは王として威厳を欠かすまいと努めて応えた。
それに対してさらりと言うはマオ。これもまた、中々奇妙な提案だった。
「『魔剣騒動』で裏切ったギルド長、ドロスとか言ったな……あいつと面会したい。お前も立ち会え。もしかしたら『オロバ』の重要な情報を聞き出せるかも知れんぜ」
「……ふむ。一応数日してから取り調べは行うつもりだが」
「保安だか騎士だかのだろ? 断言するけどそれじゃあ成果はない……あの女の種族を考えれば、まともに情報を引き出せるのは王国内では私くらいだろ」
力強い言い切りにローランが困惑する。推測でも予感でもなく断定、断言。確定した事実のように嘯くマオは明らかに何か、自分たちの知らない情報を知っている。
「種族? 何があるというのだ、ドロスに」
訝しげに問うたローラン。そして次のマオの言葉に、酷く驚くこととなるのであった。
「あいつの種族は、この世のどんな種族よりも契約を護る。その契約相手もな……良くも悪くも杓子定規な連中で、それを承知していなければ取り付く島もないのさ。その辺、自分らの都合であっさり相手を裏切ることもある『天使』とは、やはり対だな」
「……対? 天使と、だと」
聞いたこともない種族の特性に、いよいよ困惑深まるローラン。ましてや『天使』の対など、おとぎ話に聞く『悪魔』くらいしか思い付くものではない。
そんな少年王に、マオは静かに告げた。世界の陰、ひっそりと生き永らえては静かに人間に寄り添ってきた種の存在を。
「『悪魔』……おとぎ話のじゃない。実在する本物の、亜人としての『悪魔』だ」
「……そんな、馬鹿な。作り話ではなかったのか」
「今じゃそう数はいない。絶滅寸前と言っても良いし、だからすっかり幻想世界の住人だ。でもたしかに存在していたし、現に今、この城の牢屋で拘束されてるんだよ──気になるだろ?」
思わずローランは頷いた。王として真実を知りたいという義務感でもあり、少年としての好奇心でもある。
そんな様子に満足し、マオは立ち上がった。すっかりテーブルの食事は食べ尽くされている……膨らんだ腹を撫で擦りながら、不敵に彼女は言うのであった。
「今から行くぜ、ローラン……人間と亜人の融和を目指すのならば王よ、お前は知っておけ。『悪魔』という亜人の在り方をな」
そして歩きだし、ローランも続けて付いていった。
向かうはもちろん城の地下牢──拘束されている元ギルド長、ドロスの下である。