邪悪なる本懐、今こそ叶う時
炎と水の魔剣……アインとリムルヘヴンによるとどめの斬撃は、敵の胴体へと完膚なきまでにクリーンヒットした。
振り抜かれた剣、切り裂かれていくクロード。血が吹き出していく中、彼は静かに呻く。
「何故、だ……僕、は。え、いゆう、に」
「答えは簡単だよ、クロード」
アインが答える。リムルヘヴン共々、振り抜いたまま油断せずに魔剣を構えている。
決着の付いた静かな空気の中、彼は続けた。
「どんな理由があっても……自分一人の都合で関係ない人を傷付けた時点で、お前は英雄なんかじゃない」
「勝手な理想を他者に押し付ける奴が、時代を担うなどと笑わせる。言ったろう……ごく個人的で、恐ろしく薄っぺらいんだよ貴様」
「く……そぉぉぉ……っ!!」
悔しさに呻き、クロードは倒れた。魔剣による傷は深く、焼け焦げた肉体からは血が止めどなく流れ出ている。
最後の一撃は、アインもリムルヘヴンもただの斬撃だった……つまり魔剣の力は引き出していない。
風の魔剣を砕いた一撃が正真正銘、最後の技だった。今はもうこれ以上は放てない。
それゆえにクロードは、思ったよりもダメージを受けていなかった。
もちろん普通の人間ならば即死だろう。だがアインには分かっている……『最終段階』にまで達した魔剣士の肉体は、この程度では死に至りはしない。
だがそれで良かったのだ。クロードは死んではならない。アインは告げた。
「お前は殺さない。生きて、罪を償うんだ……お前が踏みにじってきたすべての命と尊厳に、これからのすべてをかけて贖え」
「……今回はアインに免じてやる。だがまずはヘルだ! 貴様、地獄すら生ぬるい程に詫びを入れさせてやる。楽に死ねると思うな、虫けらが」
リムルヘヴンもそう言って、クロードに生きて償うことを迫る。
当初は殺すつもりであったが、アインがこうまで言うのだ。生かしておくのも已む無しと彼女はあっさりと翻した。
認めた者には寛大な、ヴァンパイアとしての気質の発露だった……彼女は一時の気の迷いでなく、アインを認めたのだ。
「……ぐ」
「! アイン!」
と、そこでアインがよろめき、倒れかけた。慌ててリムルヘヴンが抱き止めるも、彼女自身もバランスを崩して膝を付く。結果として二人、抱き合うような体勢で地面に座り込むこととなってしまった。
「ちっ……エネルギーを、使いすぎたか」
「僕も、だ……『最終段階』、すごい疲れるよこれ……」
疲労困憊で呟く。『タイダルウェーブ・ドライバー』を二発使い果たしたリムルヘヴンは元より、『ボルケーノ・ドライバー』を初披露したアインもまた、その消耗は激しい。
まるで力の入らないまま二人、不本意にも抱き合う形でため息を吐く。
「動けん……くそ。抱き合う程、心を許した覚えもないんだがな」
「いや、本当ごめん。っていうかソフィーリアに誤解されないかなぁ、この状況?」
「……冗談ではないな。オーナーにもからかわれそうで敵わん」
心底嫌そうな顔を浮かべ、アインとリムルヘヴンは間近にある互いの顔から目を逸らした。
ソフィーリアという最愛の彼女がいるアインはもちろんリムルヘヴンとて、いくら認めても男としては何ら意識していない者との間で変に囃し立てられるようなことがあっては堪らない。
昔からオーナーは、人の色恋にはやたらとはしゃぐ気質だった……と思い出しながら恐々と、アリスたちのいる方に視線を向ける。
思わぬ光景が広がっていた。
「オーナー……ギルド長を仕留められたのか。さすがだ」
「ラピドリーさんと、ジェシーさん……何かに覆い被さられているの?」
アインも同じく見やれば、そこにはドロスに複雑な体勢で絡み付いているアリスの姿。
また、何やら粘り気のあるらしい物体に絡まっているラピドリーとジェシー、それをどうにかせんと四苦八苦しているミリアとソフィーリアも見えた。
どうも向こう方も、決戦の最中に色々あったらしい。ひとまずは全員無事のようなので二人、ホッと息を吐いていると──アリスがこちらに向けて叫んできた。
「上じゃ、気を付けいっ!! よく分からぬ化物が来るぞぉっ!!」
「……え」
「上!?」
その言葉にアインは目を丸くしてキョトンと、リムルヘヴンは眼光鋭くすぐさまに空を見上げた。
遥かな天の空高く、奇妙な生物がいた──凄まじい速度で落下してくる!
「何だ!?」
「ふ、伏せろ!!」
『──うるぅぅぁああああぁぁぁがぁぁあああ』
轟く異質の唸り。咄嗟に伏せる二人のすれすれを過る、圧倒的スケールの存在感。
それはアインとリムルヘヴンを通りすぎ、クロードへ向かった……そして彼らは見た。
「空飛ぶ、蜥蜴っ!?」
「何だ? あれは……いや、それよりコバエ野郎を掴んだ!?」
翼を生やした、空を飛ぶ蜥蜴……そうとしか形容できない姿の、見たこともない怪生物。クロードをその前足二つで掴み、また空高くへと飛び上がる。
一瞬のことだった、だがあまりにも前代未聞の事態。どうにか身を起こしてアインはその蜥蜴を見上げた……背に老婆がのっている。
『オロバ』大幹部の一人、ミシュナウムだ。
「まさかドロスのお気に入りを打ち倒すとはの、小童。やはり貴様、何かがおかしいな」
「何を、いきなり……! クロードを放せ! 彼はこれから、町に戻って罪を償うんだ!」
深刻に体力も削られた体で、それでもどうにか立ち上がりアインは叫ぶ。風の魔剣が粉砕された今、既にクロードは利用価値に乏しいだろう。それなのに何故か助けに入ることがどうにも訝しく、彼は続けた。
「クロードをどうするつもりだ!? まだ何か、彼を利用するつもりなのかっ!」
「それはドロスに聞くが良い……わしは奴のお気に入りを持ち帰るだけだ。ほれ」
「ぐっ──」
老婆が一つ、蜥蜴の背を叩けば……怪物は空高くから、クロードを崖下の海へと投げ捨てた。
目を見開くアインとリムルヘヴン。ミシュナウムはニヤリと笑った。
「海中にもわしの可愛い『魔獣』はおる。『特3型112号』……奴が海路で連れ帰ればほれ、わしは余計な荷物を担わずに済む。間違っても貴様らに取り返されることもない。合理的じゃろう」
「『魔獣』……?! どこへクロードを連れていく気だ!?」
「それは言えぬよ童。知りたくば自分で調べよ、くくく」
からかうように嘲笑う老婆。どこまでも、どこまでも他人を悪用しようとするその姿勢に、アインは叫んだ。
「魔剣騒動はもう終わりだ! もうお前たちの言いなりに、魔剣を振るう者なんてどこにもいない! クロードももう、何もできない!」
「そうだの、童……『プロジェクト・魔剣』はここに完遂された。いずれかの魔剣を『宿命魔剣』のコアとなるまで鍛え上げる、その全工程が終了したのだ」
「……『宿命魔剣』だって?」
聞き覚えのない魔剣に、アインが戸惑う。まだもう一本あるのかと考え……リムルヘヴンが力の抜けた体をどうにか起こし、まさかと問う。
「勇者が言っていた……謎の魔法を使うとか言う貴様らの親玉、首領の使っている魔剣か!?」
「ふん……亜人めが、さすがに気は付くか」
「『オロバ』首領の武器……宿命魔剣! それを完成させるために、お前たちはこの騒動を起こしたのかっ!?」
アインは愕然とした。
かの『オロバ』首領……すなわち王国南西部で引き起こされた魔剣騒動、そして各地で計画されている気配のあるいくつかの邪悪な企みの首謀者。
その者が使う武器を完成させるため、この魔剣騒動は起きたのか……多くの人間と亜人をも巻き込み、数多の犠牲者を出したこの戦いは、そのためにあったというのか。
「──その通りだアインくんっ!」
瞬間、吹きすさぶ突風と共に声が響いた。ゾッとするような、狂喜の気配。
思わず振り向けば、そこには。
「……バルドーっ!?」
「まずは魔剣を返してもらうっ!」
『プロジェクト・魔剣』リーダー、つまりは魔剣騒動の担当者たるワーウルフ・バルドーがいた。猛烈な勢いで、アインに走り寄ってくる。
獣化による、常軌を逸したスピードだ……そのまま少しも減速せずにふらつく少年の胸ぐらを掴み持ち上げ、その手に握られていた炎の魔剣を掴み奪った。
「ぐぁ──!?」
「受け取れミシュナウムっ! 風の魔剣は駄目だったのだな!?」
そのままアインは天高く持ち上げ、炎の魔剣は怪生物の背に座るミシュナウムへと放り投げる。
結構な勢いのそれを難なくキャッチして老婆は、うむと頷いた。
「そうだ。風の魔剣はもちろん、予備に炎か水かが出来上がるかと見ておったがの……まさか魔剣そのものが砕けるとは。その童、何かおかしいぞバルドー」
「ふふふはははははっ! それはそうだろうっ、彼は真なる『進化』を遂げたのだっ! 『オロバ』の求めるものとは異なる、これぞ我が本懐っ!!」
狂ったように笑うワーウルフ。本懐にして本願……その言葉に老婆は得心した。つまりはこの男が『オロバ』に魂を売り渡してまで望んだものが、まさしく今、実現したというのだ。
ならばもう、話はここまでだ。ミシュナウムは告げる。
「……そうかえ。互いにそれぞれ本懐は異なる。精々最期まで気張れよ、バルドー」
「言われるまでもないっ! だがありがとう!! 先に地獄で待っているぞっ!」
応えるバルドー。そして獣化した、ワーウルフとしての身体能力を完全に発揮させた状態のまま、何処かへ走り去ろうとする──アインを連れて。
そうはさせるかとリムルヘヴンが追い縋ろうにも、早すぎてまるで目にも止まらない。
「く……!」
「バルドーッ!! 貴様、アジトでなくこちらに来とったのかっ!!」
と、そこに来てアリスがバルドーの進路を妨げた。彼女は瀕死に追いやったドロスをミリアに任せ、アインを救うべくやって来たのだ。
さすがにアリスは一筋縄ではいかないと立ち止まるバルドー。アインは既に猛スピードに翻弄されて目を回している
「邪魔をするなっ、ヴァンパイア・アリスっ!!」
「アイン少年をどこへ連れていくか知らぬが、貴様の行き先は地獄じゃっ! 他はないっ!」
思わぬ横槍に叫ぶバルドーだが、アリスもここばかりは退けない。目的なぞ知る由もないが、どのみちアインはもう限界だ。ここで助けられねば、間違いなく殺される。
「ワーウルフ・バルドー! 少年を離せぇっ!」
「はあ……『特1型A95号』、やれ」
『ぐぁぅっああああぁるぁぁぁあああっ』
そしてアリスが飛びかからんとするタイミング……蜥蜴が火を吐いた。
信じがたいことに、口から凄まじい熱量の光線を吐き、アリスとバルドーの間を遮ったのだ。
「これはっ!?」
「はよ行け、バルドー。最期の最期だ、少しだけ時間稼ぎをしてやる」
「何から何までありがたい……っ!!」
「き……貴様らぁッ!!」
激怒して吼えるアリスだが、しかして蜥蜴から放たれる熱光線は彼女をして避けざるを得ない程に危険な威力だ。
何しろ、光線が通った跡が熔けているのだ……霧と化して回避しようにも、大地にヒットする瞬間に起こる爆風で霧が散り散りにされ、思うように動けない。
「……仕切り直す! まずは蜥蜴とババアを仕留める! バルドーはそこからじゃっ! アイン、保ってくれよ……っ!」
あっという間にバルドーが去っていく。向かうは遺跡の方面だ……それだけは確認して、アリスは、まずはこの蜥蜴をどうにかすべきだと思考を切り替えた。
体力の尽きたアインを考えればすぐさま追いたいが、ミシュナウムと蜥蜴がいる限りそれも叶わない。
何よりアリスも耳にしていた……『オロバ』首領が武器、宿命魔剣のコアとして炎の魔剣が利用されること。
アインの命に比べればそんなもの、どうでも良いといえば良いが止められるならば止めるべきという思いもある。
ゆえにアリスは、まずは目の前の敵から片付けんと構えた。
「ババア……! 蜥蜴もろとも覚悟せいっ!」
「ふん……『エスペロ』の女帝アリス。お主の戦法は分かっている」
ミシュナウムが冷淡に言う。その視線には温度がない……暖かくも冷たくもない、ただ無機質な瞳。
まるでデータを見るような目で、老婆はアリスを見て言った。
「関節をあらぬ方向へねじ曲げる組み付きが主体……かつて何世代か前の魔王と交戦し、相討った経験から編み出したそれは、対魔王に特化した技術だとデータにはあった」
「……勝手に人を分析しおって」
「有名人なら付き物だ、諦めい……さて女帝。そこからわしは考える」
言葉と共に、中空へと飛翔せんとする蜥蜴。その意味するところを即座に理解して、アリスは駆けた。
そしてミシュナウムが告げた。
「超接近戦が得意というならば、そもそも手の届かぬところから攻撃できればそれで良い。相手の領分で戦ってやる道理など、お互いなかろう? くくく」
「──っ!? させるかっ!!」
『ぐぁぅっおおぁあぁぐぁぁぁがあああっ』
蜥蜴が熱線を放つ。今度はアリスの足元に向けてだ……前に進めず回避を余儀なくされる間に、そのまま天空高くへと飛んでいく。
すっかり、手が出せない高みだ……有翼亜人にさえ厳しい高度から、しかし光線だけは的確に降り注いで、アリスは焦燥から自然と息が早まった。
「まずい……! このままではアイン少年も、炎の魔剣も……!! どうする、どうする!?」
状況としては詰みに近い。それを理解せざるを得ずにしかし、それでもアリスは必死で抵抗を試みる。
諦めるわけにはいかない。ここで諦めれば、それこそ何もかもが敵の思惑通りで終わってしまう。
敵わずとも足掻き続ける。絶望の不安にさえ屈せず、最後の最後まで抗い続ける。
わずかでも希望がある限り決して自分から折れはしない、アリスの不屈の精神。
──だからこそ、天は彼女に味方したのだろう。
突然に遥か彼方より極光が迸り、ミシュナウムもろとも蜥蜴を焼き貫いたのだ。
「ぬぐぅああっ!?」
『ぐぴびゃああああああぁぁぅっ』
夜明け前の光が、蜥蜴の身体を消滅させていく。ミシュナウムの身体半分さえも巻き添えるその極光こそは、アリスが待ち望んでいた希望そのもの。
震える声で、呟く。
「あ……あ、あ」
「とうちゃーく。さて、何かよく分かんねーのはー、と」
「……ん、アリスちゃん!? リムルヘヴンちゃんも!」
そして聞こえてくる、気楽な少女の声と……最高最愛の主の声。
──かつての人間世界を救いし者。数多の地獄を乗り越え、この世に平和の光をもたらした大英雄。
「ご……ご主人っ!!」
「待たせた! もう大丈夫……後は任せろ、アリスちゃん!」
力強き宣言。彼を知れば誰もがその言葉に途方もない安堵を得るだろう。
其は『勇者』。森の館の主セーマが、ついに到着したのである。
遺跡の一画、建物の内部。
それなりに広い空間に入り込んだバルドーは、連れてきたアインを無造作に放り投げた。
「うぐっ!」
「ふふふふ……ははははははっ!!」
哄笑。何が嬉しいのか心底から笑うワーウルフに、まるで状況が読み込めないままアインは、ふらふらと立ち上がった。
力が入らない。体力も尽きている。有り体にいって、絶体絶命だ。
それでも気持ちだけは負けるものかと、彼は挑むように問い掛けた。
「僕に……何の用だっ!」
「くく、ふふふ……いや何、簡単なことだよ」
獣化を解かぬままバルドーは告げる。
永年の夢、目標、理想、妄執……すべてが報われると信じきった、ある種無垢ですらある瞳。
「私と最後に殺し合ってくれ、アインくん! 君にはこれから、真の進化を見せてもらうっ!」
純粋なる狂気。
魔剣騒動、その最後の戦いが始まろうとしていた。
明日から最終章です
もうあと10話くらいですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです
よろしくお願いいたします