始まりの冒険、彼の名はセーマ
戸惑う少年に男は告げた。
「おめでとう。君は『進化』に選ばれた」
突然に差し出されたソレを前に、しかし少年は迷わず手を伸ばす。
生きるため。
そして、自分の背で震える女の子を守るために。
差し迫る脅威を退けられるのならばと、少年は選択し──掴んだ。
「手にしたな……選んだな。自分の意志で、求めたな」
男の声がどこか遠く響く。
まるで走馬灯のように脳裏を駆け巡る昔日の記憶。溺れるように溢れる感情の中、少年はたしかにその声を聞いた。
「ならば行くが良い。君が望む限り『進化』は止まらない」
過去と現実が混然となる心の中に、そして。
『1st Phase』
何かが始まる音がした。
王国南西部の国境付近に位置するこの町は、誰が呼んだか『砦都市』とも称される。
かつての戦争の折、防衛の為にと巨額を投じて拵えた外周に沿って天高く聳える石壁が、さながら砦のようであるためだ。
実際のところ王国南西部は戦火とはまるで無縁の地域であり、いかに堅固な砦とてまったく無用の長物であるのだが……これはこれで一種の観光資源としての役割を果たしているらしく、町民からは概ね受け入れられていた。
「んー、相変わらずの賑わい。朝からでもここは人が多いな」
そんな町の内部、賑やかに人や馬車の行き交う大通りをセーマは呑気に歩いていた。
中肉中背、黒髪に平凡な顔立ちと至ってどこにでもいる見た目18歳程度の青年だ。
強いて言えば身に付けている服が、それなりに高級な絹拵えであるところくらいだろうか……その程度しか目立つところのない青年はしかし、道行く者たちの視線を一身に浴びている。
好奇、嫉妬、羨望……多種多様な欲望の視線を受ける理由は、セーマ自身にも既に分かっていた。
己の後ろに付き従う『彼女たち』によるものだ。
「今日はよろしくね、フィリスさん、リリーナさん」
「こちらこそよろしくお願いいたします、セーマ様」
「主様の冒険にお付き添いできること……このリリーナ、恐悦至極に存じます」
セーマが声をかければ、彼女たち──二人のメイドが頷き答えた。
陽の光を受けて煌めく銀の髪が美しい、オーソドックスなメイド服を優雅にも着こなすフィリス。
蒼く揺れる髪が碧空を思わせる、メイド服の上からマフラーを巻いて腰には帯刀などしているリリーナ。
いずれも滅多にお目にかかれない美女であり、周囲の男たちはおろか女たちまでもが熱く視線を注いでいる。
そしてその分だけ美姫二人を侍らす主こと、セーマへの視線も苛烈に集中しているのであった。
「さて今日の依頼は、野に出て薬草採取だったね」
「はい。住宅区の治療院からの依頼ですね」
それらを気にも留めずに確認するセーマに、満面の笑顔で返すフィリス。縦に長く伸びた耳が特徴的な彼女の笑みは、やはり道行く男たちの視線を集める。
セーマ、フィリス、リリーナ。
この三人は今、仕事のために町を出ようと移動していた。
とは言え実際に仕事をしているのはセーマであり、フィリスとリリーナは単なる付き添い、あるいは助手であるのだが。
──冒険者。それがセーマの今の生業だ。
国の定めるギルドにて斡旋される依頼をこなし、時には人助け、時には賊退治、はたまた時には探索に勤しむ。
そうして冒険者としてのランクを上げて生活の質を高めていく、そんな職業だ……もっともセーマの場合、生活向上などは最初から度外視ではあったが。
最近になって冒険者へと転職を果たしたばかりのセーマは未だに最底辺のF級冒険者だ。
しかしそんな現状も楽しんで受け入れながら、彼は日々を過ごしている。
美しいメイドを引き連れ歩く低級冒険者……元よりとある事情から一部で名の売れているセーマだが、町においては分不相応な印象と共に衆目に晒される、そんな立場であった。
さておきそんなことも気にせず歩いていけば、いよいよ町の門を通過して外界へと出る。
今日の天気は少し曇りがかっており、雨が降りそうとまではいかないにしろ少しばかり光量は控えめだ。
季節も夏に近い。にわかに熱を帯びてきている空気を肌で感じつつ、セーマはさてと振り向きメイドたちに確認した。
「それじゃあ適当にやっていきますか。採り過ぎると逆に迷惑になるから、依頼された分だけきっちりと。だねリリーナさん」
「はい。時折余分に取っては依頼者に売り付ける輩もおりますが……そういう者は大抵、ギルドにバレて痛い目をみるものです」
解説するリリーナ。彼女はこと冒険者という職業に関しては他の追随を許さない程に詳しい──何故ならば彼女もまた、セーマと同様の冒険者だからだ。
年季で言えば最近冒険者となったばかりのセーマとは比べ物にならない。『剣姫』という二つ名で世界的にも知られる程にトップクラスの冒険者である彼女は、それゆえに先達として主を導く役目を買って出てもいた。
「阿漕な人間もいたものですね……無論、セーマ様とは無縁の行為ですが」
「勿論だ。あくまでそのような事例があったと紹介しているだけだな」
「そういう小話は嫌いじゃないし、勉強にもなるから助かるよ」
三人で気楽に談笑しながら町からもう少し離れた場所へ進む。
王国南西部は一部の荒野を除き、草木の生い茂る豊かな自然に溢れた地域だ。
町の付近には河川が流れており、温暖な気候も相まってか多種多様な生物が生息し、町においても各種産業が発展している。
例外と言えば先にも述べた荒野くらいなものだろう。そこだけは草木一本とて生えないまさしく不毛の土地、それ故に人通りもなく後ろめたい輩が跳梁跋扈する危険地帯と化していた。
と、ふと思い出したようにフィリスが呟く。
「そう言えばギルドで小耳に挟みましたが……最近、荒野を根城にしていた賊が一人残らず姿を消したらしいのです」
「……そうなの? あそこにはたしか、結構な数の賊がいたはずだけど」
「急に姿を消したと? 奇妙な話だな……たとえ騎士団やS級冒険者が束になったところで、一朝一夕でどうにかできるものではないぞ、あれは」
危険地帯であるはずの荒野。そこを牛耳っていた賊が一斉に姿を消したとの噂に、セーマもリリーナも困惑気味だ。
王国が誇る騎士団や、冒険者の中でも最高級の実力者とされるS級冒険者であったとしても急な短期間にそのようなことは出来ない。
「人間もいるにはいたけど、基本的に『亜人』の住みかでしょ、あそこ」
セーマの言うとおりであった。
騎士団や最高級冒険者でさえも手を焼くその理由。
賊として荒野にいたのは、そのほとんどが『亜人』──数年前に終結した戦争において、人間を相手に殺戮戦を仕掛けた人間ならざる人類だったためだ。
亜人。
人間とは似て非なる特徴、生態、文化、歴史、そして在り方を備える人類の総称。
ゴブリンやオークなど、多くの種族に分かれる彼らは総じて極端な長寿であり、また身体能力においても人間を遥かに上回る。
そのため人間社会においては恐るべき存在として古くから畏怖されてきた。
一方で亜人の方も、そのほとんどの種族が人間の持つ文化や文明の発展スピードに忌避感を覚えている。
何より亜人は大抵の場合、自然に寄り添い生きることを良しとする思想を抱いており……自然を開拓し自分たちの生活圏、文明の範囲を広げようとする人間に対して嫌悪感を持つ者も多いのだ。
そのような思想的理由もあり、亜人たちはそれぞれの種族ごとに独立した形で人間の生息圏から遠ざかり、それぞれの文化に適応した暮らしを良しとしていたのである。
しかし近年になり状況はにわかに変動していた。
永らく相互不干渉の関係であった人間と亜人なのであるが、15年前にその不文律が崩されたのだ。
亜人の約三割の種族が結託し、世界全土の人間生息圏に対して侵攻を始めたのである。
いわゆる戦争──人間と亜人の、血を血で洗う恐るべき戦いの幕開けであった。
結果的に戦争は10年続いた後、亜人側の首魁であった者の死を以て終結した。
それでも数多の禍根は未だに世界各地に残されている……亜人の残党による狼藉と言った形で。
戦火に晒されず、それ故に亜人への悪感情が他の地域に比べても格段に薄い王国南西部においてさえ、賊と化していたずらに人を襲う亜人が危険視されているのだ。
そしてそうした連中が多く活動拠点としていたのが件の荒野なのである。
セーマは唸った。
「うーん……何か気味悪いな。一気に亜人が姿を消すなんて、尋常じゃない」
「もしもお気になさるようでしたら、我々メイドから偵察を出しますが?」
「いや、そこまでしなくても良いよ……やるにしても俺が行くし。『マオ』の力を借りれば一瞬で終わる」
フィリスの提案だがセーマは断った。
彼女やリリーナのようにセーマを主としているメイドたちは大勢いるが……彼女らをわざわざ危険地帯に向かわせるくらいならばいっそ自分で行く、というのが彼の考えだ。
「主様、この辺りはそれなりに薬草が生えているようですね」
「ん……そうだね。じゃあこの辺で必要な分だけ採ろうか」
「鎌と袋はギルドより貸与されています。どうぞこちらをお使いくださいませ」
話をしながら適当に歩いているとリリーナの声。薬草がちらほらと生えているのが見えてきたのを教えてきたのだ。
薬草採取の依頼は難易度も緩く、かつ定期的に発生して金払いもそこそこ良いため低級冒険者から中堅冒険者にまで人気の依頼だ。
それなりに競争率の高いところを、たまたま受けられて良かった……そう幸運を喜びながらもセーマは鎌と袋を手に取り、薬草を集め始めた。
何という程のこともなく、ほとんどただの草刈りに近い。
薬草の外観は一目でそれと分かる程度には特徴的で、特に葉脈の形で他の草花とは区別を付けられる。
後は根刮ぎ、傷を付けないように掘り返して採取すれば良いのだ……これを50束集めるだけ。
一人でも半日とかけずに終わりそうなものだが、三人手分けしてやればものの一時間とかけずに終わりかねない程度のものだった。
のんびりとした心地で、しかし手際良く土を掘り返しながらセーマが呟く。
「いやー、何か故郷を思い出すなあ。夏場になると町内で草刈りやってたんだよ、たしか」
「そうなのですか? どこでも草刈りは総出なのですね……私の故郷でも時折そのようなことをしていました」
記憶にわずか残る故郷の風景。それを思い返して笑う。同調したフィリスもまた微笑み、共に場所は違えど生まれ育った故郷に想いを馳せた。
「むう、わたくしはこのような草刈りめいたこと、初めて行ったのは冒険者になってからだな……くっ」
「何を悔しがっているのですか、リリーナ……」
「別に仲間外れとかそういうことじゃないから……」
二人とは裏腹にそのような記憶を共有できない育ちのリリーナが、疎外感で呻く。
セーマとフィリスが呆れ混じりに取りなしつつも、淀みなく薬草は採取されていくのであった。
新連載ですーお初の方もノクターンからの方もよろしくですー