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ヒメサユリ【1】

「おお!お、お母さん!行ってきます!」


 朝。バタバタと忙しなく栞奈かんなが家を飛び出していく。昨日は一しきり泣いた後、机の上で父から送られたヒメサユリの写真をずっと眺めていた。もちろん、この写真は一体何処で撮ったものなのだろう?と、考えながらも、何よりその凛としたヒメサユリを写した写真そのものに、なんとも言えぬ美しさと、感動を噛みしめていた。―――なんてきれいな写真を撮るんだろう―――そう、栞奈は完全に見とれていた。夢中になっていた。夢中になっていた栞奈はそのまま机に突っ伏していつの間にか本当に夢の中に落ちていった。そんなこともあり、今朝はいつもより少し寝坊してしまった訳である。


「くぅ・・・・。朝のシャッターチャンスなんか狙ってたら学校に間に合わないよぉ!遅刻なんかしたらお父さんに叱られちゃう!」


 栞奈は悔しさを滲ませながら懸命にマウンテンバイクのペダルを踏みぬく。いつも通り土手を走り抜け住宅街の路地に入っていく。


「あ!トラ!おはよう!でも今日はごめんね!私急いでるから、かまってる暇がちょっとないのー!」


 ブロック塀の上で完全にくつろいでいた仮称トラに向かって、かまっている暇はないと言いながらもしっかり声をかけていく栞奈。腹を全開にし、いわゆるおっぴろげ状態の仮称トラは走り抜ける栞奈をしっかり見ながら、急いでいても声はちゃんとかけていくという姿勢に敬意を表したのだろう。栞奈の背中にニャーと返事だけはしてあげた。

 路地を抜け、国道に出て橋を渡る。しかし今日はお気に入りの曲を流し忘れた栞奈だったが、口元からは自然とハミングが聞こえてくる。そのまま、いつもの緩い坂道を下っていくところで、歩いている二人組に声をかけていく。


由香里ゆかり紗耶香さやか!おはよーう!」


「おはようー。栞奈ー?今日はいいの撮れたのー?」


「今日は無理だった―!」


「喋りながら走っていくなんてなかなかね。というかもう学校目の前なんだから少しスピード緩めて話せばいいのに。」


 と由香里はもっともなこと言う。


「ふふふ、でもまぁ、栞奈ちゃんぽくていいんじゃない?」


 と優しくフォローする紗耶香。


「よーし!ギリギリかと思ったけど意外と10分前に到着!流石栞奈選手、ペダル一こぎの重さが違いますね!」


 と、自画自賛しながら下駄箱に向かい、皆と挨拶を交わしていく。教室に入っておはようと言いながら自分の席に座った栞奈は、早速昨日の父から受け取った写真を取り出し、スマホを使ってどこにこの景色がありそうか調べ始めた。


「インターネットをなめるんじゃやないよ、直ぐに見つけてあげようじゃないか。まずは、ヒメサユリ、場所・・・っと。」


 と、自分の能力といえないインターネットの検索サイトを自慢気に使い、探し始める栞奈。そこに隣の席のあつしがやってきた。


「あれ?今日は珍しく現像してきたのか?・・・・それは、ヒメサユリか?」


「あ、敦おはよう!敦、この花知ってるの!」


「おはよう。ウチのばあちゃんが花が好きで小さいころから飽きるほど見せられたんだ。おかげで名前は結構覚えちゃったよ。」


「そうなんだ。あ、この写真は現像してきたんじゃなくて、貰ったの。それで、その貰った人からこの場所はどこでしょう?ってクイズを出されたんだ。でもこんなの私の知る範囲じゃ絶対わかんないから、インターネットさんに御助力をお願いしていたわけで・・・。」


「ふーん、ヒメサユリねぇ・・・。俺も検索してみようか。何かその写真から情報があるとすれば・・・。その背景でぼやけているのは、田んぼか畑かな。」


 敦は写真を見てそう呟く。写真には右寄りにヒメサユリがあり奥の棚田をぼかして、ヒメサユリを引き立たせている写真だった。


「畑?あぁ、なるほど、確かに畑・・・・でもこれ、水が反射してるように見えるから・・・田んぼかな!」


「うん、田んぼだろうね。それじゃ、それを踏まえて・・・・ヒメサユリ、田んぼ・・・っと。えっと・・・新潟の三条市、高城と・・・山形の朝日町。これのどっちか、かもしれないな。」


 敦は写真から得られる情報を手早く分析し、あっという間に候補地を二つに絞ってしまった。


「敦!やるじゃないか!インターネットさんを使いこなしているよ!うんうん、私が保証する。」


「そいつはどーも。栞奈、これが田んぼだとしたら、段々になっているから、棚田で検索してみたんだけどそうしたら・・・。」


 敦の手際の良さに、感心していた栞奈をよそに、敦はちゃっかり絞り込みをかけていた。将来的にも彼は仕事のできる男になるかもしれない。


「山形、朝日町の一本松公園!」


「十中八九ここだろうな。」


「敦!ありがとう!君は出世するよ!」


「なら、将来雇ってください。栞奈が社長の会社ならもう出世は約束されたようなもんだ。」


「なにー!私会社なんてもってないよ!」


そうじゃない、と言いたかったがテンションの上がった栞奈にそんなこと言っても聞こえなかっただろう。というか、そもそもちょっとしたジョークに気が付かない栞奈にジョークの説明をしてしまったら自分が恥ずかしいと敦は考えたので苦笑いしながら、喋るのを止めた。


「山形の一本松公園か・・・・。そこに行けばお父さんの見た景色が見えるのかな・・・・!」


 栞奈ははやる気持ちを押さえ、しかし心は少し宙に浮いたよういたような、小さい子供がプレゼントをもらう前日のような、高揚感に包まれていた。




・・・・・・・・・・




 昼休みになり由香里と紗耶香と屋上で弁当を食べていた栞奈は突然ハッとする。


「一本松公園て・・・どうやって行けばいいんだ・・・・?」


「栞奈ちゃん、どうしたの?」


「一本松公園?そこら辺の公園か?」


 いつも突拍子のない栞奈の言動に慣れている二人は、自然と脈絡のない栞奈の発言に対応する。そんな気遣いも知ってか知らずか、ねぇねぇねぇ!と二人に今朝までのあらすじを喋り始める。


「なるほどねー。そんで一本松公園か。」


「ねぇ、栞奈ちゃん。その一本松公園を調べたけど・・・・100kmあるよ?」


 紗耶香がルート検索をしてくれていた。その画面を三人で覗き込む。


「ひひひひひひ・・・・100kmって・・・どのくらい?」


「電車で3時間半て書いてあるわね。車で一時間半かしら?ふふふ、栞奈ちゃん、歩いて1日かかるよ!というか栞奈ちゃん自分で山形のって言ってたじゃない。ふふふ。」


 栞奈は絶望した。歩いて一日って冗談じゃない。なんてことを言ってるんだ。年頃の女子校生が一日も歩いてたら無事に済むわけないじゃない。得意のマウンテンバイクさんだってきっと半日はかかる。もう働きたくないとか言い出しかねないよと、一気に気持ちが沈んでいた。


「あらー・・・紗耶香、あんまり面白がると栞奈が立ち直れなくなるんじゃないか?」


「そんなことないよ由香里ちゃん。栞奈ちゃんはいつも能天気だからすぐ元気になるなる!」


 落ち込む栞奈を面白がる紗耶香の声も栞奈の耳には入ってこず、彼女はお弁当の箸を止めたまま、魂が抜けたような表情をしていた。




・・・・・・・・・



 

夕方、結局その日一日立ち直ることのなかった栞奈は、トボトボと相棒のマウンテンバイクを押して帰り道を歩いていた。


「100kmってどんだけなんだ・・・・。お父さんは栞奈に何をさせたいのだ・・・・。」


 橋を渡っって国道を抜け、住宅街の路地を歩く。


「おばんです、トラ。全く今日は散々な一日だったよ。ちょっとあなた話聞いてくれる?」


 ブロック塀上で突っ伏している仮称トラに向かって栞奈は一方的に話かける。仏頂面の仮称トラは気怠そうに栞奈のほうをじっと見ている。


「解かる?100kmよ?100km。私が歩いて行ったら1日かかるのよ?」


 仏頂面の仮称トラを抱きかかえながら、ブロック塀を背もたれに、栞奈は座り込んで喋っていた。


「あなたが歩いて行ったら三日はかかるわよ。何よその不満そうな顔は。もっと早く行けるとでも思ってるの?」


 気怠そうに栞奈の顔をみる仮称トラ。そんなんじゃねーよ、とでも言いたそうだ。


「はぁ・・・まったくどうしようかなぁ・・・。まぁ、日も沈んじゃいそうだしそろそろ帰らないとね。」


 そう言って栞奈は立ち上がると仮称トラをブロック塀の上にそっと戻す。


「聞いてるのか何なのかわかんないけど、とりあえずありがとうっては言っておくよ!少し気持ちが晴れたし!じゃあ!また明日!」


 そういうと栞奈は自転車にまたがり、ペダルをぐっと踏み込んで走っていった。見えなくなるまで一応、仮称トラは見送っていた。


「ただいまー。」


「お帰り、栞奈。・・・あなた、最近朝元気に出て行って、帰りは肩を落として帰ってくるわね。ふふふ。どうしたの?」


 我が娘ながら、栞奈の気分の浮き沈みはなかなかどうして、見ていて飽きの来ないものだった。


「お母さん、お父さんからもらった写真、いろいろ調べて場所も解かったんだけど、どうやって行けばいいかわからなくて・・・。そんなにお金もないし、ましてや車だって運転できないし、私は結構打ちひしがれちゃったのです・・・。」


「なるほどね。そっか。お父さん、休みの日になるといつも車で朝早く何処かへ行っていたもんね。」


 栞奈の父、春樹は普通のサラリーマンだった。休日になると朝早くこっそり写真を撮りに行っていた。午前中には帰ってくることが大半だったので、家族サービスがおざなりになっていた・・・というわけでもない。その辺はよくできた父親だったと、母、葉子は言う。しかし、父が写真を撮っている姿を栞奈はあまり見たことがなかった。あったとしても家族写真くらいなものであり、一緒になって写っていることが多く、何かの情景を切り取ろうと真剣にカメラを何かに向ける父をあまり見たことがなかった。


「栞奈、ちょっと待ってなさい。」


 そう言うと、母は引き出しから封筒を取り出し栞奈に渡した。


「ん?お母さん、これ、なーに?」


「いいから開けてごらん。」


 栞奈は言われるまま封筒を開けた。そこには電車の切符が10枚ほど入っていた。


「お母さんこれは!?」


「それは、青春切符って言ってね、普通列車だったらそれ一枚あれば一日乗り放題のすぐれものよ。一日遅れちゃったけど、これは私からの誕生日プレゼント。ありがたく受け取りなさい。きっとその公園にも行けるよ。」


「お、お、お母さん!ありがとうー!!大好き!!」


 栞奈は母の胸に飛び込んだ。昨日とは全く違う満面の笑みを浮かべて。





「葉子へ。


先に旅立つ俺を許してほしい。いや、許してくれなくても構わない。すまない。最後までわがままな俺だが、最後のお願いを聞いてほしい。一つは栞奈が16歳の誕生日を迎えたら俺の使っていたカメラを送ってくれないか。きっと気に入ってくれるはずだ。二つ目は栞奈が17歳の誕生日を迎えたら、俺の手紙が入った封筒を渡して欲しい。きっと栞奈は全ての想いを受け取ってくれるはずだ。最後に、三つめのお願い。俺の手紙を読んだ栞奈はきっと悩んで葉子に相談してくるだろう。そのときはほんの少し助けてやってほしい。一から十まで助けてやる必要はない、あの子は最初の一歩目の足場を作ってやれば、きっとゴールへたどり着ける。あの子は俺とお前の自慢の娘だから。


最後までわがままな俺で本当にすまない。最後の最後まで、お前たち二人を想わない日はなかった。栞奈をよろしく頼む。


愛してる。


春樹より」



 

 父、春樹が母、葉子へあてた手紙に書いてあった通りに。葉子はほんの少し、栞奈の背中を押してあげた。



「あなた・・・。ちゃんとわがまま、聞いてあげましたよ。」


 栞奈の頭を撫でる葉子の目には薄っすらと、涙が溢れていた。



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