二つ目の贈り物
少し自分にとって難しい題材を使って書いてみました。お口にあえばいいなと思っております。よろしくお願いいたします。
「アジサイ・・・うんうん、いいよ!キミすごくいい!も~ちょっと・・・そうそう!」
高校二年生の翔陽 栞奈は朝露に濡れながらほんのりと輝くアジサイに話しかけながらシャッターを切る。父から誕生日に貰った一眼レフをアジサイに触れるかどうかの距離でシャッターを切る。
「うーん、まぁまぁかな・・・。いやちょっと違うかな。もっと奥行き出したいけど・・・。どうすればいいんだろう。」
カメラは立派だが栞奈は撮影という分野に関して全くの素人だった。最近になってオートフォーカスを駆使するようになって来た。しかしそれでも栞奈は写真を撮ることがどうしようもなく楽しくなっていた。何枚も何枚も同じ被写体を撮り続け、稀に自分の思い描いた画と合致する一枚が撮れた瞬間がたまらなく好きだった。
「そうそうそう!これよ!これ!会心の一撃ってヤツ!」
どうやら、納得の一枚が撮れたらしい。撮った写真をチェックしているその顔は満足というものを前面押し出したなんとも痛快な笑顔だった。写真には朝露がしたたり落ちる寸前で少し花弁が首をもたれたようにしなった瞬間を接写で収めた美しいものだった。
「いけない、完全に夢中になってた!学校行かなきゃ!」
栞奈は慌ててマウンテンバイクにまたがり力いっぱいこぎだす。朝のちょっと湿度の高い空気と優しい日の光が照らしている河原の土手を走っていく。頬にあたる水分が妙に心地がいい。なんということはない、彼女の心は朝一番にとれた写真が文字通りの会心の一撃だったからこそ、6月の朝もやですら清々しく感じていたのだ。栞奈はハニカミながら、河原の土手を逸れ、住宅街に入る。
「おはようトラ!今日も元気だね!」
いつも通る路地でいつも塀の上でくつろいでいるどこかの飼い猫に挨拶をする。しかし猫はぶすっとした表情で栞奈を見送る。見送っているのか?いや、たぶん動いているからとりあえず目で追っただけであろう。しかし栞奈はいつも見送ってくれるイイ奴だと思っていた。本当は毎日毎日俺なんかに声かけてご苦労なこった、しかもオレサマはトラじゃないし名前はまだない、などと思っているかもしれないが、これは憶測の域を出ない。それでもそんな想像を膨らまさせられるほどの仏頂面の猫だった。そして仮称トラはニャーと気怠そうに過ぎ去る栞奈に返事をする。
住宅街を抜け車の通りの多い国道に出る。信号待ちで栞奈は片耳にイヤホンをつけ、スマートフォンをいじりお気に入りの曲をかける。
「朝は・・・この曲!うんうん!これこれ!」
信号が変わり、栞奈は自転車をこぎだす。曲の鼻歌を歌いながら、橋を渡る。
「おはよう!由香里!紗耶香!」
「おはよー!栞奈、今日は機嫌いいのー?」
「会心の一撃が撮れたからー!後で見せてあげるねー!」
「会心の一撃って・・・一枚とかじゃないの?ゲームやりすぎか何かなのかな。」
そう言い放ちながら栞奈のボキャブラリーに疑問を持つクラスメイトを颯爽と抜き去り、学校に向けて伸びる緩い坂道を一気に加速する。ブレーキをかけて校門をくぐる駐輪場に自転車を止め、鍵をかけ鼻歌を歌いながら下駄箱へ向かう。おはよう、おはよう、とすれ違う生徒と挨拶を交し合いながら教室へ入る。栞奈は自分の席に座ると真っ先にカメラを取り出し、データを再度確認し始める。
「やっぱこの雫が落ちる瞬間は、最高だなぁ・・・・なんであなたはこんなにも綺麗なの?ねぇ?全くもうやんなっちゃうなぁ!へへへ。」
栞奈は撮った写真を自慢するというより、こんなにも綺麗に世の中の時間の流れが切り取れることをみんなに伝えたかった。それを栞奈はなんと言えば、表現すればいいかは解からず、ただ被写体が綺麗でしょう?とそんな言葉足らずの言い方になっていた。しかし自分の撮った写真を見せるときの栞奈の言葉に嫌味は無く、皆もそれはなんとなく感じ取っていた為、嫌な顔をする人はいなかった。それほどに栞奈の言葉は素直だった。
「おはよう、栞奈。いい写真撮れたのか?」
隣の席に、敦が座り声をかける。
「おー!敦、おはよう!見て見てこのアジサイ!すっごい綺麗なんだよ!この雫が落ちそうな瞬間にこの子達の息遣いが聞こえてきそうで、私はたまらなく胸が締め付けられるんだよねぇ。」
「よく綺麗に撮れてるなぁ・・・。栞奈はセンスあるよきっと。」
「ホント!?いやぁ・・・それほどでも・・・あるかも!よしよし、俄然やる気出てきた、もっと沢山の写真を撮ってやるからなぁ!」
栞奈のテンションはどんどん上がっていき、むしろ今から教室を飛び出して目の前のタンポポでも何でも撮ってやろうかとまで思い立ったところで、先生が教室に入ってきた。ハッとした栞奈は我に返りそれと同時に授業というちょっと憂鬱な時間が始まる。
「早く写真撮りたいなぁ・・・。今日の帰りはどの子にしようかなぁ・・・。ふふふ。」
――――放課後、部活動に属していない栞奈はいち早く教室を後にする。写真部があればもしかしたら栞奈はそこに入っていたかもしれない。一応、一年生の時にバスケ部に所属していたが、カメラを持ち始めたあたりですっぱりと辞めた。およそ二ヶ月足らずのスピード退部。だが栞奈は気にも止めていなかった。カメラに一瞬ではまってしまったからだ。
「さてさて!日が暮れるまでに何枚取れるか競争だよ!お天道様!」
まだ沈むまでに少し時間のある太陽に向かって栞奈は宣戦布告をし、マウンテンバイクをこぎ出し、学校を後にする。坂道を上り、橋を渡り国道へ出る。朝はこれと言っていたが結局帰り道も同じ曲を口ずさむ栞奈。住宅街に入り、またしてもくつろいでいる猫、仮称トラを発見。
「トラ!今日も一日お疲れさま!ちゃんとご飯食べて寝るんだよ!」
相変わらずブロック塀の上で日向ぼっこをしていた仏頂面の仮称トラに声をかける。余計なお世話だとでも言いたかったのか、仮称トラはニャーと、過ぎ去る栞奈の背中に一声かける。意外と仮称トラはお疲れと言ってるのかもしれない。一応返事はしているのだから。
「やっぱ写真撮るならここの河原が一番落ち着くかなぁ。」
栞奈の自転車をこぐ足取りは軽く、朝にアジサイを撮った河原の土手に出てきた。自転車を止め鞄をハンドルにひっかけカメラ片手に土手を駆け下りていく。
「お!キミは今日の朝に会ったアジサイ君だね!だがしかし、一回撮ったら次は別の子を撮らないと不平等というものだ!また今度ね!」
「ママ―、あのお姉ちゃん、お花さんに話しかけてるよー!」
「コラ!暖かくなってきたから、変な人が増えてるの!指をさしちゃダメ!」
土手を歩く幼稚園児とその母親がそんなやり取りをしてしまうほど栞奈の喋りは異質だった。そして年頃の女子高生がそんなことをしていたら、目立つのは当然かもしれない。しかし栞奈はそんな指摘を気にも止めることなく、いや、正確には夢中になりすぎて耳に入っていなかったというのが正しいのだろう。じっくりと土手を上ったり下りたりしながら、草むらをかき分け、獲物・・・もとい、被写体を探していた。
「いよーし!今回は君だ!ツクシ君!キミに決めた!」
栞奈は土手の道際に生えるツクシを撮り始めた。雑草と同じく、アスファルトに舗装された土手の際に生えるツクシ。沈み始めた夕日に照らされ肌色のツクシの表面はうっすらと赤く、オレンジ色に染まる。そのグラデーションを栞奈は収めたかった。
「やばいやばいやばい!お天道様が沈んでしまう!接写ってのはなかなか難しいなぁ!」
栞奈はどんどん姿勢を低くし、ついにはうつ伏せになりながらカメラを構えた。完全にスナイパーの狙撃体制だったが本人は全く気が付いていない。ジョギングをしているおじさんが向こうからやってきて、うつ伏せの女子校生を通り過ぎながらガン見している。最初は死んでいるんじゃないかと思ったが、カメラを覗く女の子の口元がニヤニヤしていたことに気が付き、スルーすることに決めた。おじさんは引いていた。
「うあー!だ、だめだぁ・・・。日が暮れちゃった・・・。今日は諦めよう・・・。またねツクシ君。」
結局納得の行く一枚を撮ることができなかった。日が暮れてしまい、流石にこの暗さでは栞奈がイメージしていた画を撮ることはできなっかった。マウンテンバイクにまたがり、栞奈は力なくこぎ出す。街灯がちらほら明かりをともし始める中、栞奈は少し肩を落としながら家へと向かう。
「ただいまー。」
「あら、栞奈お帰り。・・・どうしたの?元気ないじゃない。」
元気がない栞奈を母親、葉子が迎え入れる。
「聞いてよお母さん、会心の一撃が朝の一発だけで終わってしまった。お母さん、私は悔しい!」
「そうなんだ・・・。あれ?でも栞奈、朝一枚いいの撮れたの?」
「あ!そうそう!撮れたんだよ!見てよこのアジサイ!超綺麗じゃない!?自分でも惚れ惚れしちゃう・・・・。凄くいい表情していると思わない?」
「あらー。凄く綺麗に取れてるわ、あなた、この水の一粒が落ちるまで我慢してたの?」
「当たり前です!栞奈さんに妥協は許されません!」
流石母親とでもいったところだろう。栞奈の何気ない会話から、一瞬で栞奈を元気にさせる会話のポイントを掴んでしまった。すっかり上機嫌になった栞奈はパタパタと二階にある自分の部屋に戻り、データの保存と整理をし始めた。たぶん、いや確実に最後の被写体であるツクシ君は忘れ去られてしまったであろう。
「よーし、これでオッケー!またいいコレクションができたなぁ。」
自分の机のパソコンの画面に表示されている画像フォルダをうっとりと見つめていると、階段のほうから母親が栞奈を呼ぶ声がしてきた。
「栞奈―。ちょっといらっしゃい。」
「はーい!今行くよー!」
パタパタと階段をおりると、リビングにあるソファーに母が腰かけていた。
「どうしたの?」
栞奈が問いかけると母は一通の封筒を栞奈に手渡した。
「お父さんから言われてたの、栞奈にカメラを預けて、一年たったらこの封筒を渡してくれって。」
「お父さんが?何だろう。」
栞奈の父親、春樹は三年前に40歳の若さで胃がんにより亡くなっていた。生前、写真を撮ることを何よりの趣味としていた父だった。その父が亡くなる数日前に、栞奈の16歳の誕生日にカメラを渡してくれと母、葉子に頼んでおり、約束通り栞奈は16歳の誕生日にカメラを受け取った。その父からまた何かの贈り物だという。栞奈は不思議そうに封筒を受け取る。
「なんだろう・・・宿題とかだったらいやだなぁ・・・。」
すると封筒からは一枚の手紙が出てきた。
「栞奈へ。
6月15日、17歳の誕生日おめでとう。父さんの中古、といえば聞こえは悪いかもしれないが、カメラは大事にしてくれているだろうか。写真を撮るという世界はどうだろうか。空、海、山、風、森、草、陽、月、星、そして人。全ての無機物、有機物の一瞬の輝きを写真に収めることは出来ているだろうか。できているならこの続きを読んで欲しい。楽しめているならば読んでほしい。
この手紙と一緒に一枚の写真を入れておく。その写真を何処で撮ったかは内緒だ。栞奈には同じ場所で同じ写真を撮ってほしいと俺は願う。お前に伝えきれなかった、大事なことをその場所に残して来た。母さんには迷惑や心配をかけるかもしれないが、きっと俺の頼みとあれば聞いてくれるはずだ。栞奈にとって、素晴らしく意味のある旅になるともう。
最後に誕生日おめでとう。可愛がってやれなくてごめんな。
愛してる。
父、春樹より。」
読み終えた栞奈は手紙を持って黙ったまま、うつむいていた。すると、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「お・・・お父さん・・・・。お母さん、ねぇ、お母さん、お父さんが誕生日おめでとうって・・・・ぐすっ・・・。誕生日おめでとうって・・・・・ぐすっ。今日は私の誕生日だったんだ・・・。うう・・・ああああああああああああ!」
栞奈は泣いた。母の胸に飛び込んで泣いた。封筒の中には手紙と一緒に一枚の写真が入っていた。青空を映し出す棚田を背景に凛とたたずむ一輪のヒメサユリの写真だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。不定期連載となりますが、なるべく早めの更新を目指して書いていきます。よろしくお願いします。