超音速の会話
1945年8月6日。
広島を原子の炎が破壊尽くしたあの日から世界が変わった。それは原子爆弾の威力に人類が衝撃を受けたのではない。
世界は原子の炎よりなお燃える力によって震撼していた。
1945年8月9日午前11時02分、長崎における世界二度目の原子爆弾投下。
これで戦争が終わると確信していた米軍の目の前で、日本は完膚なきまでに原爆を防ぎきった。
人類の科学を否定する現象が日本が新たに開発した異能の【念力】によって引き起こされた。
その念力によって原子爆弾をしのぐ兵器および超人の手に世界が恐れおののくことになる。
異能集団、元日本帝国軍特務部隊隊長、比留間重之少佐率いる【新日本帝国軍】がクーデターを引き起こし、日本政府の主要人物を殺し尽くしたあと、日本は新たな力を手に入れて世界各国へと逆襲し始めた。
先進国よりも的確な情報収集によってあらゆる国々の暗号と機密情報が漏れ、二十万におよぶ軍隊をたった五人で壊滅し、降伏宣言の秒読み間近であった日本が逆転することになる。
日本の領土から米軍が駆逐され、東南アジアおよび太平洋沿岸部が新日本軍の支配下におかれ、電撃作戦によって崩壊したドイツ国内から自殺したと思われていた指導者を救出し、世界の情勢が変わっていった。
膨大な領土と資源を手に入れた新日本帝国軍はさらなる兵器の改良と量産を加え、破竹の勢いで侵攻を進めていく。
そして六十年が経った現在。
その勢力圏はユーラシア大陸の半分、中南米と米国の一部をその支配権においている。
新日本帝国軍は、天皇を京都の御所へ封殺し、その政権の全てを握ると力ある者だけが生き残れる圧政を敷き、軍国主義へ一挙に推し進めていった。
江戸幕府を打倒し、幕末をくぐり抜けてきた日本国民のほとんどが思う。
これは歴史の繰り返しだと。
この戦は永遠に終わらないと。
我らの苦しみは終わらない。
全人口の0.001%にもおよばない念力覚醒者が富み、それ以外の非覚醒者が虐げられる仕組みに慣れきった日本国民には諦観が支配していた。
一部の者達を除き。
200X年7月4日午前2時05分―――日本、岐阜上空
月夜。
煌めく星空の下、雲の上に影が走っていた。
飛行機、と呼ぶにはあまりにも奇天烈な外観。自由落下しているならまだしもそれがロケットエンジンの炎を吐き出し、超高速で夜空を水平に飛んでいる。
形状は巨人のボールペンのような形。全長約20m、全高6m。1mにも満たない上下左右の尾翼があるだけ。
それが時速約3000km越えを叩き出し、夜空を切り裂く。
複座式の機内には二人の少女が乗っている。
操縦席は刀信と全く同様に、対衝撃用合成繊維に包まれ血液循環装置が座席の後ろで稼働していた。
―――あんたさぁ、もう泣くの止めたら?
そう念話を伝えたのは前列に座っている操縦者の少女、風間陸。
ロケットエンジンの振動と轟音が吹き荒れる機内でため息交じりの思念を相手に送っていた。
―――えっぐ…で、でも相馬さんが…
返したのは陸の後ろにいる遠州朱音。念者である陸の念力を増幅する巫女だった。
―――速度が出ない、機体が安定しない、落ち着いて飛べない。
陸はすかさず愚痴混じりにそう返した。
念話での会話は自分の意識、表層心理がすべて相手に伝わる。ここで言葉を濁して優しい言葉を伝えても、その裏で自分が焦っているのバレてしまう。だからこそ念話で彼女は素直に不満を伝えていた。
そもそも本来、巫女である朱音が機体の速度と姿勢制御等の細かい箇所をバックアップするはずが、精神的に落ち込んでいるためその出力が上がらないのだ。
―――でもでも。相馬さん…死んじゃうかもしれないんですよ?
―――まぁそうかもね。陽動があったとしても敵陣への一点突破。いくら私達の総力をあげた最新鎧だとしても難しいかもね。
―――陸ちゃんまでそんなことを!
自分の一言で膨大な悲しみの念が陸の心をかき乱した。
ガゴンと機体が揺れる。
―――ちょっと! そんなこといってどうにもならないじゃない! アイツは志願したんだ! だから後悔するなら告れっていたんだよ、わたしは!
―――でもでも! …そんなことすれば相馬さんを困らせるだけです…
しゅんと萎んでいく朱音の意識に陸は舌打ちしそうになる。
陸は気にかかっていた。今回の任務より前から相馬刀信という男はどこか自殺願望があるのではないかと。国を守って死ぬ。聞こえはいいが、それは自殺と変わらない。
朱音の代わりに自分がアイツに一言いってやってもいい、アンタの自殺に朱音を巻き込むな。そう声を荒げて言ってしまいそうになるほど陸は彼を憎いんでいた。幼い頃より姉妹のように育った親友の朱音が初めて好きになった人。顔もそこそこいい、真っ直ぐで正義感に溢れ、礼儀正しい。初心な朱音が好きになるのは目に見えていた。
だが、陸には相馬刀信という男が歪に見ていた。
どこが、とはわからない。
自分が所属するレジスタンスの中で、天皇陛下のためなら死んでもいいという奴らなんぞ五万といる。相馬のようなことを言い出す者も、それに既に死んだ者も。
陸には守るべきものがある。
それは後ろにいる朱音だ。
巫女という念者よりも稀少な才能をもつ彼女が新日本政府に見つかれば即時徴収される。その後帰ってきた者を聞いたことがなかった。
だからこそ、彼女はこの機体に乗って命をかけられる。
だが、そういった気概や理屈が相馬刀信からは感じられない。
ただの死にたがり。陸にはそうとしか思えなかった。
―――だったら花道を飾ってやれ
陸の心の底で形にならなかったものが不意に浮かび上がり念に乗った。
―――え?
それに驚きの念を上げる朱音。
そうだと陸は思った。
憎い。それはもしかしたら親友の朱音を取られたからと思ったかもしれない。
これは自分の我が儘だ。
今から死にゆくやつに思うことではない。朱音はヤツのことを思って泣き濡れるだろう。
ならば自分が出来ることは朱音と相馬刀信の運命に花道を作ること。
永遠にもう会えないと朱音がわかっているならそれでいい。精一杯の餞をこの大空の下に咲かせよう。
そう思うと何だか自分の力を誇らしく感じた。
―――だから花道だよ、朱音。いつも朱音がよく言っているだろ? 日本の大和撫子は?
―――三歩下がって旦那様を立てる。
―――そうだ。旦那が命をかけて戦に出るんだ。私達日本の女がすることは何時の時代も決まっている。黙って旦那の身支度をして―――
―――お見送りをする。
―――ああ、巫女のアンタがいまできることは?
―――………。わ、私は相馬さんの花道を作りたい。
どもりながら真剣な心。曇っていた朱音の心が一つの決意で晴れ渡る。
朱音は親友の心が決まったことに微笑んだ。
―――よっっし! なら集中しな、朱音! 私達が相馬のどでかい花道をつくってやんだからさ!
―――う、うん!
力強い朱音の返答。だが、どうしても陸にはその奥で悲しい涙に暮れる大好きな親友の姿がちらついていた。




