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五頁目 まさかの反逆いきなり窮地。(宿屋反逆)

「今日の、幸運の、色は。有和良君は、赤だよ」


 教室外にあるベランダに座り込んだ俺と辻堂は、かなめが読む星座占いを拝聴していた。

 このベランダ、教室全てをつないでいるために前を横切る人が多いのが難点だ。しかしそれ以外はとても居心地がよく、特に秋と春はひなたぼっこに最適のスペースだった。昼食後にやることなんて、人間にはひなたぼっこしかないと思うね。


「赤ならさっき有和良は食べてたじゃないか。トマト」

「思い出させんな辻堂」


 俺はトマトが大の苦手、トマトソースすら食べられない。しかし宿題をやってこなかった罰ゲームと称して、今さっき要に食べさせられたのだ。くそう、まだ吐き気がする。あんな赤い色をしやがって、血の色と同義なくらいにおぞましいぞ、俺にとっては。


「辻堂君も、何か、赤いものと出くわす、みたい」

「赤いものと出くわすって。それだけ聞いてると、血まみれってワードしか思いつかないね。辻堂、おまえ誰か殺す気なのか?」

「そんな恐ろしいことするわけないだろ!」

「やりかねない、ところも、ある」


 膝を抱えて座る要は、ふにゃっと苦笑してそう言った。たしかに、考えてることがすぐ変わるし、行動の読めない男だから。何するかわからないという点では、やりかねないとも言えた。こいつの行動分析学でも予想できない気がする。


「時計までそういうことを言うのかいっ! ここには誰も私の味方がいない……」

「どこにもいないかもしれないだろう、辻堂」

「少なくとも、わたしは、味方じゃない、もの」


 いじけた様子で壁に話しかけ始める辻堂。暗さ倍増。すると、慌てた様子で要は言い直す。


「味方じゃ、なくて。友達、だから」

「それ、どこに違いがあるんだ?」


 俺が問いかけると、きっ、とこちらを強い光の灯った目で見据えながら、一言一言かみ締めて言った。


「味方は、誰か、世間とか自分以外の、何か、に、くみするものだから。友達、は与する、わけじゃない。自分の、気持ちで一緒に、いる」

「はは、なるほどね。与するっていうのは惰性だせいでも出来ることだ。でも友達は、ゼロから作るもの。自分で作っていくものだよね。たしかに、そういう見方をすれば友達の方が味方よりも良いものに聞こえるよ」


 俺が続けて補足説明をしてやると、辻堂は振り返ってこう返してきた。


「友達っていいもんだねえー」


 でも目が死んでる覇気のない男なのでそんなに良いことを言ったようには見えなかった。

 すっかり気をよくしてアセロラジュースを飲み干す辻堂。その明るく透き通るような赤色を見て、さっきの要の言葉を思い返す。なんとなく、今は不吉な予言だったようにも思えた。


「赤いものに出くわす、か」


        +


 赤い髪を揺らしながら歩く姫は、中庭にある池在住の鯉たちにえさを与えに行く途中だった。パンくずやペレット、色々なえさを抱えている。可愛がっている様子が、それだけでわかるほどだ。


「愛衣、麻衣、美衣、由有、柚亜、悠、日衣、日厨、日夢、椎、羽亜、葉亜、ごはんだぞ」


 ぽちゃぽちゃと池で跳ねる十二匹の鯉。その元気な様子を見て満足そうに頬を緩める姫。

 余談だが、彼女がこの世から撲滅したい病気は鯉ヘルペスだそうである。


「さて仕事に戻るか」


 一時の心の安息。それを得たあと、上機嫌で姫は中庭を後にする。その時、背後に人影が現れた。瞬間、姫の表情は引き締まる。金色に光らせた目を後ろに向け、一言で接近を阻んだ。


「誰だ」

「……まさか一発でバレるとはの。五メートル以内は感知範囲か」


 どっかの色欲魔女に狙われてる身なもんでね、と自分の身の上を考えて少しだけ嘆息、そして振り返る。


「ひさしぶりだな、白藤しらふじ。出てくる時は出てくるって言えよ」

「これはすまんのぅ、わしの方はいきなりというつもりでもないのだが、そちらにはびっくりさせることになって」


 白藤と呼ばれたのは、左目に片眼鏡モノクルをつけた妙齢の美女だった。顔つきは猛々しく、片眼鏡の奥の瞳と共に不敵に微笑むが、獲物を狙う猛禽の目としか思えない。服装は白いカッターシャツに、青い袴と黒い足袋たびを履いており、髪は漆黒、くるぶしまであり三本の三つ編みに分かれて。そこそこに高い身長を纏うように伸びている。


「あんたのこともダンナに紹介しなくちゃいけねーんだ。呼んでる時は来ねーくせにお呼びでない時に出てくんな」

「ダンナ、とな。貴様や葛葉、ぱとりしあは既にあのクソガキを『主人ダンナ』と認めておるのか」

「当たり前だろ。というか今の言葉は撤回しろ」

「いや、当たり前ではない……」


 白藤の意図するところがわからず、姫は首をかしげる。


「わしは、あのクソガキをダンナなどとは認めん」

「だったらなんだよ。追い出すってか」

「当然じゃ。ここ数日、奴が来てよりぬしらの生活の様子をうかがっておったが、あのようなうつけにこの宿、このわしを任せるなどとは言語道断」


 憎々しげに、吐き捨てた。白藤の感情の波にさらされて、さすがの姫もわずか、臆してたじろぐ。


「わしは元々、ここでこうして働くのが嫌で嫌で仕方ない。出来ることなら今すぐにでも出て行きたい気分なんじゃよ」

「……そいつは、無理に決まってんだろ」

「無理ではない」

「なら不可能って奴だぜ」


 もしくは妄言だ、と言い残し、姫はその場を去ろうとする。

 が、その直に聞き逃せない言葉が耳に入った。


「今の主人ダンナが消える時、その時はさすがにわしと有和良の家系にある契約も切れるじゃろう」

「……んだと」


 振り返り、三歩で白藤のところへ間合いを詰める。しかし。既にそこに白藤の姿はなく。どうすれば良いのかわからなくなった姫は、心配になって葛葉のところへと駆けていった。


        +


 今日は生徒会で集まらなくちゃならないとかで、要は一緒には帰らなかった。横にいるのは有頂天になりすぎて逆にうざったくなってきている辻堂一人。一人で帰ればよかった。


「そういえば、おまえさん宿を経営してるんだよな」

「ああ。それが?」

「宿ってどこにあるんだね? 一応経営してるんだからそこに行って仕事するんだろう?」


 まさか自宅、とは言えない。友人待遇で泊めろとか、今のこいつならば言いかねない。それくらい、図に乗っている。


「んー、宿屋はあっち、山の方にある。で、俺は事務的な仕事を務めてる」

「なるほどいい若い者にしては地味な労働作業だねえ」

「ほっとけ」


 眼鏡のブリッジを押し上げながら笑っている辻堂を小突きながら、俺は自宅の前までやってきていた。


「おまえさん、家リフォームしたんだな」

「なかなか洒落しゃれた外観だろう?」

「殺風景としか形容出来んねえ」


 それでも、納得してもらえるならそれでもいいか。やたら質問責めにあうこともないし。お隣さんにはかなり長々と訊かれたから、正直何も訊かれなくてほっとする。窓一つない外観は、勝手口のみがついていてそこが口のようにも見える。

 実際には内部構造はまだ完全に把握出来ていないくらい広いのだが、まあそこは気にしたら負けだ。


「おおそうだ。久々に、おまえさんの家に寄っていこうかな」


 ……はあ?


「いや、書類とかあって結構散らかってるし。一応仕事の書類は、部外者には見せられないから」


 これは嘘じゃない。会計書類とかも一応葛葉に目通しをさせられたが、仕事というものである以上守秘義務によりみだりに情報を漏らしてはいけないのだそうだ。だから、それを理由に辻堂を退かせることにもなんら違法性はない。


「別にそんなもんは見たりしないさ。前に貸したままだった本を返してもらうのが本当の目的なのでね」

「なら取ってくるから待っててくれ」


 二の句を継ぐ前に駆け出し、自宅に入る。敷地内に入った瞬間に走る微かな違和感。世界の狭間に足を踏み入れた俺は、そのまま二階まで駆け上がる。


        +


「なにを焦ってるんだかなあ。ま、見られたくないものが部屋に散乱してるとか、そんなオチだろうがねえ。……私も気をつけないとダメだな。突然に来客があったら困ることになる」


 そんなに来客の多い身でもないのだが、辻堂は一人ボソボソと考え込んでいた。

 彼の脳内は青春真っ盛り、だのにバックに落ち葉が舞っている今の風景が似合うという、まったくもって哀愁漂う、覇気のない男だった。


「あーあ、有和良に貸した本みたく、突如ラブコメ展開が待ってるとかないかねえ」


 と、そこにゴミ出しに出てきた姫が横を過ぎる。厨房にいたため、彼女と有和良はすれ違わなかったのである。よって、外に辻堂がいることも知らされておらず、このように何も考えずに外に出てきてしまっていた。


「……赤い、髪、だな。染めてるのか? きれいな色だな」


 何か、赤いものに出くわす、みたい。

 姫の髪を見て、辻堂の脳裏に昼間聞いた要の言葉が蘇る。


「この子かな」

「?」


 通り過ぎる瞬間、姫は誰だろうという目で辻堂を見上げる。小首を傾げつつ、ゴミの入った段ボール箱をいっぱいいっぱいな様子で抱えて。その所作だけで、辻堂はくらっと体をよろめかす。漆喰で固められた白い塀に背をもたせかけ、ぼそりと一言。


「ジャストミート。ナイス。ストライク」


 要するに、辻堂は少しばかり特殊なシュミの持ち主だった。背のちっちゃい女の子が好きとか。着物が好きとか。しかも自覚していて開き直るタイプなので、なおさらタチが悪い。

 そこに姫が戻ってくる。宿屋勝手口とゴミ捨て場は、距離にして二十メートルほどしか離れていないのだから、早いのも当然のことと言えたが。


「なあ、あんた。そこで何やってんだ?」

「え? あー、私か。いや、有和良が出てくるのを待ってるんだが。そういうあなたは有和良が主人の宿屋、その従業員さんかな」


 そうだけどよ、とうなずく姫。辻堂は心中密かに、一度は泊まりに来よう、と思った。


「ダンナ慌てた様子だったけど、まあすぐに出てくると思う。もう少し待ってな」

「ん。じゃあお仕事頑張って」

「おう」


 うっかりときめいた感じの辻堂のところに有和良が戻ってきたのは、それからすぐのことだった。そして、有和良は開口一番、「大丈夫か犯罪者の顔してるぞ」と呼びかけた。




 その頃の厨房。

 葛葉は夕食の仕込みで忙しく働いていた。姫は風呂掃除、ぱとりしあは客室掃除。せっかく再開業したのだから、そろそろ客が来ないだろうか、などと思っている。

 だが思考は途切れた。長年の経験から、背後から吹く風が途切れたのを感じて振り返る。


「この宿の人間はどいつもこいつも、気配察知に長けた奴らばかりじゃの」

「姫から聞いていましたゆえ」


 袴姿の麗人に、軽く会釈えしゃくする葛葉。その態度を片手で制しつつ、白藤は呟く。


「この宿屋の現在の主人、あのクソガキはまだ帰ってないかの」

「いえ、先ほど帰られたようです。今は自室にいらっしゃるかと……それよりも、白藤様。何ゆえ、今頃になってお出でになられたのですか。あなたが仕事をしないことはわかっていますが、ダンナ様に一度会っていただかないと困ります。それに、ダンナ様にそのような呼び方はお止めください」

「わしはあんな奴ダンナとは認めておらん。好かん。じゃからの、今から奴には主人の座を降りてもらう」


 飄々(ひょうひょう)とした態度で言い切る。その言葉の裏に隠された真意を、葛葉は正確に読み取った。そうくる可能性は、斎が息子と主人を交代するとほのめかしはじめた時から、思い当っていた。


「手荒なことがお好きなようで」

「ハン。今までは正式に引き継ぎを済ませていたから家系譜に縛られたこの契約を切れなかったがな、今は違うぞよ。先代、いつきの奴は今代の主人、春夏秋冬ひととせに正式な引継ぎをしなかった。ゆえに、わしに対する契約の拘束力も弱まっている。……ここで主人がいなくなれば、わしは晴れて自由の身よの」

「させませんよ。わたしたちはあの方が必要なのです」


 そう言って葛葉が少しだけ身構える。すると、白藤は大声を上げて笑い始めた。


「あのガキでなくとも、貴様らは居場所さえあればそれでいいんじゃろ? 尻軽女ども」


 言葉が耳に届くと同時に、葛葉の持っていた柳葉包丁が、小刻みに震え始める。


「あのガキを危険な役職に就かせ、またその命の危険すらある現在の状況を説明もしない。いい気になってるガキを祀り上げるだけ祀り上げて、自分たちのために利用しようとしている。違うかの、ん?」

「違」

「わないよの」


 言葉を繋げる白藤。葛葉は己が言おうとした言葉を飲み込み、自分を叱咤する。

 今自分は、口先だけとはいえ言ってはならないことを口にしようとした、と。


「なれば、わしはあのガキにこの宿から降りてもらう。無論、貴様らも、じゃ。源一郎には少々申し訳ないが、わしにはわしの悲願の方が優先される。悪いが、わしから降りてもらうぞ」


 顔を上げて葛葉が反論しようとすると、既に白藤は姿を消していた。


        +


 夜。なんだか、今日の食卓は静かだ。この前もぱとりしあの件があったから静かだったが、今日は葛葉と姫、二人が静かだった。ぱとりしあは言うまでもなく元気はつらつなのだが。


「なにかあったの?」

「いえ」

「別に」


 こんな調子。


「なんか今日のごはん美味しくないの。葛葉ちゃん、手抜きしたでしょ?」


 鋭いぱとりしあの質問。それは俺も思っていたことだ。なんだか、普段よりも手を抜いた感が否めない。しゃっきりしていない感じだ。


「いえ、普段どおりです」


 だというのに、反応はこればかり。壁だってノックすれば同じ回数の音を返すというのに、今日の葛葉は十文字(句読点含む)の反応以外返さない。もちろんのこと、姫も同じ状態だ。感情の起伏が感じられない食卓。ぱとりしあでさえ押し黙る。

 なんだか食べた気がしない食後、いたたまれない空気から逃れるように中庭に出る。冷たい空気に体をさらし、竹箒をなんとなく手に取る。何か仕事上トラブルがあったのだろうか、いやしかし客もいないのにそれはないだろう。ならば二人の間に何かあったのか? それにしては二人共何か共感を覚えているような雰囲気もあった。

 まさか、俺のことについてもうバレた、というわけではないと思うけど……


「わからないなあ」


 と、眼前の池に波紋が広がる。

 見れば、波紋の中心にパンくず。誰か鯉にえさでもやっているのか。視線を少しずつあげていくと、池の向こうに人影が見えた。そちらから、声が響く。波紋のように、こちらへ伝わる。


「こんばんは、初めましてになるのう、有和良の主人よ」


 さらに顔を上げると、池を挟んで反対側に人が立っていた。俺と同じくらいの身長、片眼鏡モノクルが光る、袴姿の女性だ。三つ編みが三本、体を纏うように伸びていた。暗がりにいるのでよくわからないが、うっすらと白い肌が輝いていて、かなり整った顔立ち。ただ、目つきだけが、凄まじい威圧感をはらんでいた。


「あ、こんばんは。どうも初めまして。主人、って呼ぶということは、ここの従業員?」

「いんや、違う」


 片眼鏡の女性は首を横に振る。そして、苦々しげに、吐き捨てるように返してきた。


「従業員なぞになってたまるか。わしは白藤。今から貴様を打倒し、有和良の家系と共に在るよう架せられた契約を引き千切る。貴様自身にはさほど恨みはない、じゃがしかし。有和良の家に生まれ主人を継いだ以上、恨むことなかれ」

「は?」


 なんて、間抜けな俺の声も、さすがにかき消える。

 池は直径四メートルはある。それを、助走すらつけずに白藤は飛んだ。跳ねた、という表現よりも飛んだ、という表現で正しいと思わされる、軽やかで素早い疾空。五指を開いた右の手が、俺の喉笛を狙っていた。


「んの、バカがッ!」


 ヒュッ、と風を切る音。直感的に飛びこんできたものを後ろに避け、結果的に俺と白藤の間に誰かが立つことになった。赤い髪をポニーテールにしてなびかせる、金色の瞳の少女。姫だ。


「姫。邪魔立てするようならわしは貴様も手にかけねばならんことになる」

「うっせえ! みすみすダンナを殺させてたまるか!」


 姫の乱入に驚いたのか、俺を通り過ぎていく白藤。しかし次の一歩で地を踏みしめ、背後から俺に攻撃を仕掛ける。が、それもまた別の人物の手により阻まれる。


「悪いですが、やはり手出しはさせません」


 厨房の窓からやってきたと見える葛葉が、木刀を構えて立っていた。いつのまに来たのかわからないほどに、物音のしない歩行で近づいてきていた。

 長物を突きつけられ、さすがに白藤の動きも止まる。


「……ほう。つまり、こうして貴様は地位を守られる、というわけか。ええ、有和良?」

「たとえあなたになんと言われようと、こればかりは譲れません」

「絶対にさせねーよ。ダンナはあたしらが守ってやる」


 理由は不明だが、どうやらこの白藤という女は俺を狙っているらしい。そして、それを今目の前にいる従業員達ふたりが守ってくれている、ということか。

 ふうん。

 でも……俺の事情に巻きこんだ、風ではない。


「なあ」

「なんじゃクソガキ」

「なんで俺の命を欲しがってるんだよ? 理由すら分からずに殺されるなんてのは納得出来ない」


 こう言ってみると、白藤は呆気にとられた顔になる。次いで、くくく、と笑い声を漏らした。


「納得できれば死ぬか?」

「心から納得できるなら、な」


 今度は姫と葛葉が、目を見開いて呆気にとられた。俺の言葉を気に入ったのか、またひときわ強く笑みを深めた白藤は、いいだろう、と平手を振るう。


「……まあ、それくらいの説明は、与えてやってもよいかの。しかし、命を狙われておる最中に殺される理由を問うか? くくっ、なかなかに愉快な男じゃのう」


 徒手空拳で襲いかかってきた白藤は、まるで武装解除ギブアップするかのように両手をぶらぶらと振った。俺の前にいる二人はほんの少しも警戒を緩めず、武器を構えたままだ。


「わしの名を名乗るところから、再度始めよう。わしは、白藤紅梅しらふじべにうめ


 紅梅? と頭に閃く疑問。それを自力で確かめる前に、白藤は続ける。


「わしは、この宿屋の従業員ではない。この宿屋そのものなのじゃ」


 意味不明な言葉。理解不能な事態。……と思ったが、そういえば似たような現象は俺も知っている。動く人形みたいに、霊的なものが宿る。その対象が宿屋などという、妙に大きなものだということなのだろう。


「おまえはこの国の外で暮らした年月の方が長いゆえ、親しみの薄い話かもしれんがな。家具や道具などでも九十九年使い込まれたものには意思が宿る、という考えが、この日の本の国にはあるのじゃ。家具にさえ宿るものが、宿という建物に宿ったとしても大差はあるまい……そしてこのわし、紅梅は。宿屋として、貴様ごときに使われることを拒む。終われ、宿屋主人よ」


 白藤が地面を踏みしめた瞬間、ズン、と地響き。

 見れば、中庭のふちに亀裂が入っていた。池の鯉が何事かと騒ぎ跳ね、二階の窓辺にでもいたのかぱとりしあが落ちてきた。


「痛! って、白藤ちゃん! 宿屋やめちゃうの?! そんなの、やめてよ」

「阿呆。貴様らは結局、己がためにそのクソガキを利用しようとしているんじゃろうが」


 怒りの感情と共に浴びせられる、容赦のない言葉。それを聞いた三人は、それぞれ黙り込む。

 ……どういうことなんだ? なんで、三人とも黙る?


「そういうことじゃ、クソガキ。こいつら三人はのぉ、貴様を騙して祀り上げ、主人の座にまで押し上げて。諸々の事情より危険の多いこの仕事をさせんとしてきた。最初から、利用するための演技だったんじゃよ」


 演技? 三人が、俺に?


「――白藤ィ!」

「黙れ、姫。宿無しの猫である貴様でもここなら生活できると思ったか? 甘いんじゃよ、貴様らの自分勝手にいつまでもわしが付き合うわけがなかろうて」


 冷ややかな笑みを浮かべて、白藤は言葉を叩きつける。

 姫はそれを耳に入れた瞬間に泣き出しそうな顔になった。でも堪えた。その分、怒りをたぎらせる。


「うる、せえぇッ!」


 そして、力任せに殴りかかる。

 白藤の動きは流麗かつ、最小で、最大の動きを生む。わずかに駆動した左足で払いのけるように足元をすくわれ、地面に伏し、同じ足で背を踏みつけられる。体勢の崩れもほとんどない、武の体現。


「か、あ……はっ」

「力無きことは哀れよの」


 哀しげに呟き、そのままもう片方の足を上げる。二度目の踏みつけ――


「がっ!」


 それを、俺が受けた。


「何をしているのじゃ、ガキ」

「っつつ、がは。……人を、踏みつけ、るのは、ッ、良くない、ことだ」

「阿呆めが」


 バキャッ、と発泡スチロールの板を割るような、嫌な音を立てる脇腹。蹴飛ばされた。あばら骨のあたりに激痛が走り、立ち上がることすら出来なくする。マズい、折れたかもしれない。


「白藤ちゃん、なんでダンナさんを蹴るの!」


 かすむ視界の中で、緑の着物を着た少女が動いたのが見えた。ぱとりしあが、白藤に詰め寄っている。横には葛葉もいて、俺の脇でも姫が立ち上がっていた。


滑稽こっけいだ、ガキ。憐れみと絶望さえ抱かされるわ。こやつら三人、貴様のために立ち上がったように映るじゃろう。しかして、その実こやつらの頭には自身のことしかない。自身の居場所を失いたくないがため、必死ですがっているだけじゃ。いわば、資格無き者の不法滞在。摂理ルールに触れると知りながら、他に居場所がない。哀れで滑稽」

「でも、でもわたしたちは!」


 叫ぶ葛葉の横を通り抜ける白藤。横に倒れた視界の中を、何物にも捕らわれることなく。何物にも触れることなく。無言で通る。周りが道を作る。

 ただ一人、彼女しらふじのみが進むべき道を。


「貴様らはもう語るべき言葉を持つまい。――どうじゃ、ガキ。有和良の末裔まつえい。裏切られるというのも、中々に厳しい経験じゃろう。もう、この場から逃れたくて仕方ないのではないか?」


 どうなんだ、と上から覗きこまれる。

 問われて、俺は悩んだ。


「どうなんだ?」


 そりゃあ。

 こんな嫌な経験もした。今すぐにここから離れたい。


「さあ、一言。たった一言でよいのじゃ。それで楽になる」


 でもひとつだけある、思いが。


「早く言え!」


 ――楽になるのを拒絶、した。


「嫌だよ」

「なんじゃと」

「イヤだ。大体なんなんだよ、人のこと足蹴にしたりとか散々な目に遭わせておいて。会って初っ端から命狙いに来て。そんな奴の言うことを聞けって、そんなの、無理に決まってるだろ」


 うずくまったままじゃどうにも威厳がないので、強がって立ち上がってみる。精一杯の虚勢を張ってみる。なんでそこまでするのかはわからない。立ってみても周りはかすんで見えるし、何より脇腹が痛くて仕方ない。

 白藤は――俺の目を見て、少しだけ顔を背けたあと、怒りをにじませ犬歯を剥きだしにした。


「ガキ、最後のチャンスじゃ。ここで全てを放り出せ。さすれば、普通の生活に戻れる」


 わなわなと手を震わせる白藤。正直、あと二発も蹴られたらおしまいだ。確実に、今度こそ立てなくなる。でも。


「まだそんなに辛くない。まだ、最後じゃないな。全部を放り出すなんてことは、本当に何もかもどうしようもなくなってから、だ。引き受けた以上はこんなところじゃ逃げられないよ……みんなとはたった数日しかない付き合いだけれど、見ず知らずでさっき会ったばかりなのに蹴り飛ばしてくるあんたよりは、ずっと信頼できる」


 なんでここまで強がってしまうのか。簡単だ。

 負けん気。あとは白藤コイツが気に入らない。そして宿の三人は気に入ってる。理由なんてそれだけ。なんとまあ短絡な思考回路だろうか。しかしそれだけに扱うのが非常に簡単で、生きるのにも選択で迷わない。そういえば、これは失踪する前の父さんにも言われたことだったか。

 自分が心から賛同できないことには、決して首を縦に振ってはならない、と。


「……それでは、死んでもらう他あるまい」


 芝を踏みしめて詰め寄ってくる白藤の足音が、真剣での一太刀による風斬り音のように、威圧感を発する。

 迷わないのはいいことだけど。今回の選択はちょっと間違ったか、な? まあそんな考えは捨てておこう。踏み出す一歩。が、しかし。その前に、姫が立ちはだかっていた。


「白藤、止まってくれよ。あたしらはもう、ダンナに怪我してもらいたくない……」

「姫、いいからどいてくれ。そんなことしたら、俺も明日からここで暮らせなくなる。この年でホームレスはさすがにキツイ」

「こいつと戦ったら普通に生活することすら困難になるかもしれねぇんだぞ! もういい、引いてくれ、あたしらの最後の身勝手だ。頼むよ……ダンナ」

「わたしたちはあなたをたばかっていました。この仕事についてロクに説明もせず、とりあえずは、居場所を残したいと。そう、思った、だけ」

「そっか。でも――ぶっちゃけると俺も色々隠してること、あるんだよ」


 言うか言うまいか迷ったが、この場を収められるなら、姫たちの懺悔を止められるならと思って口にした。思ったよりも、驚きがあったみたいだな。まあ健全な普通男子高校生にも色々あるんだって、色々。


「ダンナさん、その」

「止めてくれなくてもいいよ」

「じゃあ……ううん。頑張って」


 それはそれで平然と口にするなよ。


「――今生の別れになるやもしれんの。俗世に未練はないか? ないな。ありそうもない。夢希望未来女、何も無さそうじゃ」

「いや、未練たらたらだよ。俗物なんだよ、俺」


 ハ、と白藤は唇の端を持ち上げるだけ、呆れと嘲笑で彩られた笑い顔。

 こちらも似たような表情で接しているに違いない。


「加勢は有りか?」

「ナシに決まっておろう。使いたくはないが、丁度いいものも持っている」


 袴の裾から取り出す、大きめの巻物。紐を解いて中を開くと、そこには有和良の名が。今までの主人の人数分、書き留めてあった。俺の名もそこに刻まれることとなるのか、それとも敗北を刻むのか。


「〝符札術式・契約方陣〟『この場に於いて戦いに参ずること禁ず』……宿を継ぐ際、従業員とそりの合わぬ主人が、従業員を従わせるため結ぶのが契約じゃ。そしてそれは一対一の真剣勝負。敗者は勝者に従う、果し合いよ」

 

 ぱしっと音がして、姫たち三人が後ずさる。まったく異能の力を感知することの出来ない俺でも、見えない境界線が引かれたことぐらいは判断できた。


「さあ、始めるかの」

「俺の宿屋主人への試験、か?」

「いや、一方的な蹂躙じゅうりんじゃ」


        +


 初手として、俺は清掃用に落ちていた竹箒を拾った。疾走して間を縮め、振りかぶった竹箒は、簡単にいなされて地面に落ちた。剣など習っていないとはいえ、それなりに今の袈裟切りには自信があったのだが。


「予想より、はるかに情けないのう」

「やかましい」


 短く持ち替え、紙一重でかわしていた白藤にによる刺突を繰り出す。竹というのはそれなりに強度のある木材、突きに使えばかなりのダメージを与えることができる。が、それもまた白藤は掌ではたいて後ろへ受け流す。俺はつんのめって転びそうになった、だが。


「む?」


 踏み出していた右足を軸に、左足で回し蹴りを放つ。突きを打つ際に大きく踏み出していたため、当たるのは足の先などではなく膝だったが。腹部に当たるのであれば十分であった。

 はずだが。


「っな」

「阿呆、読めておる」


 衝撃は、完全に消された。殴られる瞬間に同じ方向へ飛ぶことで威力を分散する、そのさらに上の段階。腰のひねり。そして突進した俺の背を押す。それだけで白藤はダメージをゼロに、あまつさえこちらの体勢を崩した。

 間髪いれずに背を襲う蹴り。無情にも踵を叩き込まれ、骨が軋む。悲鳴こそ出ないが、痛みに歯を食いしばる。

 立ち上がるものの、石畳を強く踏みしめ、カラコロカラコロ、と軽い音と共に近づいてくる白藤の動きは読みづらかった。次の瞬間には右足の下駄が目前に迫り、俺は身体を右に大きく反らしてそれを回避した。

 読まれている。ぞくりと肌が粟立ち、回避は失策だったと知る。白藤は空振った右足の膝を曲げ、踵で側頭部に蹴り落としてきた。それを屈んでかわすと、伸びてきた左掌が胸を通り抜けるように強打した。外部からの圧力で、停止しそうになる内臓。


「がっ……」

「甘いわ、クソガキ」


 心臓を殴られると人間は動きが止まる。それどころか、強く殴られればそれだけで死ねる。

 冗談抜きで、俺の対峙している相手は強かった。竹箒一本のハンデなんてぬるすぎる。


「もう立てんのか? ならばこれで幕引きにしてくれようぞ」


 振り上げられたかかと。正確無慈悲に、首を狙って振り下ろす心積もりだ。

 そこに何の迷いも乱れもなく、無感情に。殺す気で。


「……おまえ、斎の息子じゃろう? なれば親は人外ひとはずれ。今までのおまえが、全力ではあるまいて。――どうする気じゃ、本気というものを隠し通したまま、墓場まで持っていくつもりか」


 墓場、という言葉。冗談じゃない。と思った。

 しかし今の俺は死に対して歩み続けていると同義。


「五秒待つぞよ。その間に何も起きなければ、そのままおまえの頚椎けいついはあらぬ方向に折れ曲がる。それで良いと思えるだけの生涯をおまえが歩んできたというのなら、よもやわしはこれ以上何も言わんがね」


 死という恐怖が現実感を伴って俺を襲う。

 目の前に立つのは死神だ。


「五」

 ここで終わり果てるのか。

 そう問いかけてくる自分が居た。


「四」

 なんでこんなに。こんなに。

 理不尽なまでの強さに恐怖する。


「三」

 なによりも、そう何よりも。

 怖くてただ泣きそうに。


「二」

 が、情けないと怒る自分がいた。

 ……泣くくらいなら。

「一」

 

 ――対人戦ではあまり使いたくないけど。

 もう、使ってしまおう。と。


「零」


 瞬間、押し殺した苦悶の声がこだました。



 ではまた次回


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