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最後乃頁 そして誰よりあなたとの。(帰路恋慕)

 完結、フィナーレ、大団円。

 それでは幕引き。気苦労どころじゃなかった宿屋主人乃日記。これにて閉幕、完全燃焼。

 またいつかどこかでお会いしましょう。それでは、ご愛読ありがとうございました。


 目覚めると、俺は姫の膝上で寝ていた。

 起き上がり辺りを見渡すと、俺よりは先に起きたらしいリオが、壁に背をもたせかけて床に座ったまま、こちらを睨んでいた。その傍らには、四季折が座りこんでいる。グングニルとダインスレイヴは俺、リオ、双方から遠く、ホールの中央に転がっている。

 体を起こすと節々、というか全身が痛んだ。特に、脇腹と左肩を刺し貫かれたのがきつい。しかし傷口は一応止血するだけでも、というような形に縫合してあり、今すぐ生き死にを考えなくても良さそうではあった。元々、ケガには慣れている。……ここまでひどいのは久しぶりだけれど。


「……決闘だった、のだが」


 片膝立てて、いつでも立ち上がれそうなリオは、いつまでも俺を睨む。


「本当に、殺さないつもりか」

「言っただろ。俺は殺さない、ってさ。どうしたって、俺はお前らの繋がりを知ってしまってる。それを断ち切るような真似は出来ない、したくない。……多分俺も、ちゃんと目に見える形でそれを知ったからだと思うけど」


 リオにとっての四季折のように、傍らに居る姫を見やって、リオはまた俺に視線を戻す。


「ふん……何にせよ、まさかグングニルの能力、そしてオレの『魔眼』まで切り抜けるとは、な」

「魔眼の能力までは、正直わからなかった。でもあの一瞬、少しでも狙いを外させて接近戦に持ち込むには、ああするしかなかった」

「オレは能力について明言はしない。憶測で次も乗り切れるとは思わないことだ」


 そう、今回は、たまたまだ。

 グングニルの能力――それは空間を司る。

 そこから派生して、あの瞬間移動。壊れたにも関わらず復活。そのことから、俺は恐らくだが、あの槍の持つ能力に気づいた。グングニルが『在る』のはただの空間じゃない。それは恐らく――時間座標、とでも呼ぶべきものだろう。

 A地点に〝零秒〟の時点でグングニルが『在った』とする。次に投擲され、グングニルはB地点に〝一秒〟かけて到達する。この場合『到達までにかかった一秒』は『移動した距離の空間』と同じということ、なのだろう。相対論で空間と時間は同じだ、と以前辻堂だったかが言っていた気がする。

 ともかく、簡単に言えばグングニルは小さな時間移動装置なのだ。発動条件として『在ったことのある座標』にしか次元(時空)移動できないらしいが(だから俺の見たことある空間からの攻撃しかなかったのだと思う、故に俺は『在った』位置を記憶することに努めた)、そういうことだ。そして移動は時間を逆行することにしか使えない(のだと思う)。そして、その逆行の際はグングニルの状態もその『時』の状態に戻る――こんなところだろう。

 攻撃の際は『二秒前に在った位置に槍を戻す』『五秒前に』『七秒前に』などと細かく記憶することで、成り立たせていたに違いない。俺は途中から攻撃を受けないように覚えるだけだったが、それを戦闘中ずっと行っていたリオのセンスは計り知れない。

 ……筋道立てて説明したところで穴だらけだし、わかりにくい話だと思う。たまたま『時間と空間』という単語が引っかかって思いついたに過ぎないのだから。それにこんなことを話したところで意味は無い。だから俺はもう一度、リオと視線を合わせた。奴は嫌悪感を隠しもしないで、俺に視線を合わせる。


「オレは影から幾度と無くお前を狙うぞ。体も薬ですぐに復調する、そうなれば今度こそ」


 首を取る、と続けて、なおも俺を睨む。

 ……仕方の無いことだと思う。俺がリオにしたことは、じわじわと四季折が命を失っていく様を見続けろと、そういうことなのだから。どうやってもそれは取り繕うことが出来ない、絶対なる真理だ。

 けれど。俺はそれを享受してでも。この生を続けていこう、生きながらえてゆこうと、誓った。だから。


「次でもその次でも何度でも来ていい。何度だって弾き返して、俺は生き残る」

「次で終わらせる、その次は無い」


 吐き捨てるように言って、リオは黙り込んだ。四季折がその傍に寄って何か話しているようだったが、距離もある上に小声なので聞き取れない。俺は床に視線を落とす。ボロボロの自分の体が、目に入った。


「……医者、呼んどいたぜ」

「草原は広いし陸路は遠いから、案外ドクターヘリが来るんじゃないか」


 ようやく、姫と顔を合わせる。膝を枕に伏していたという状況には思うところあったが、指摘するだけの体力も残っていなかったのでやめた。さて、軽口を叩いてはみたものの、出血は少なくない。ダインスレイヴに『直飲み』されたリオも相当の血を失っていることだろう、何よりまず必要なのは輸血だ。俺はあー、と溜め息をついて再び寝転ぶ。また膝を借りるのはどうとか、考えるより先に体が倒れた。


「お疲れさん」

「自分の好きでやったことだから、そんな言葉をかけられるのも筋違いなのかもしれないけどね」

「前に進もうとしたら、この道しかなかったんだろ。なら――前に進もうとした、ってことだけでも十分、ねぎらいの言葉を受ける資格はあんだろ。これでひとまず、一旦はケリがついたんだよな」


 姫の言葉に頷いて、全身の力を抜く。ともすれば寝てしまいそうなほど、落ち着いていた。

 あー。

 結局のところ、俺はずっと、こうやって。


「帰ったら病院直行だぞ。でも、約束したからな。ちゃんと言われた通りの献立、持ってってやるよ」

「ちゃんと覚えてるんだろうな」

「ん……。サバの照り焼きと豚汁、手製のぬかづけだっけ」

「全然違う」


 苦笑しつつ、姫と目を合わせる。ケガは少ないものの、姫の着物も擦り切れてボロボロだった。ポニーテールにしている髪も、紐が千切れてしまったのかストレートにおりている。泥だらけで埃にまみれていて、結構汚れている。

 でも綺麗だと思った。

 腕が動けば抱きしめていたかもしれない。


「――姫」

「なんだよ。ひととせ」

「手、握るよ」


 指先だけは動いた。だから近くにあった手に触れ、繋ぐ。暖かな掌は、確かにそこに姫が居ることを感じさせてくれた。姫は俺の言葉に面食らった様子だったが、それでも俺に微笑みかけてくれる。

 ――そう、結局のところ、俺はずっとこうやって、こうしていたく思っていて。だからこそ戦ったに過ぎないのかも、しれない。


「姫」

「何度も呼ぶなっての。照れくさい」


 そんなお前だったから、俺は。その先を口にしようとして、やめておいた。これはもう少し後で、いいだろう。


『――春夏秋冬』


 寝転がっていた俺に、強い語調で言う四季折。正直声を上げるのも辛いので、俺は少し首を浮かせ、視界の端にその姿を捉える。そうして立っているのを見るとマリアにそっくりなあいつは、疲れた顔で、俺を見る。


『今回はわたしたちの、完敗でしたわ』

『次も生き延びてやるから覚悟しておいてくれ』

『生き延びるって。そう、言ったところで――二年後に死ぬのは、回避しようがないのではありませんこと?』

『生く先で死ぬのに意味が無いと思うなら、今すぐ自分が死んだ場合のこと考えてみればいい』

『それにしたって…………わたしたちの命は、短い、ですわよ』


 顔を伏せる四季折。リオは言葉にするまでもなく、そんな四季折を守ってゆこうという、俺を殺してでも命を引き延ばそうという、覚悟が見える。たまらず視線を逸らすと姫と目が合った。言葉は通じていないものの、四季折の悲痛な声から、ある程度内容はつかめているらしい。


『否定はしないよ。もちろん、俺だって長く生きられるならその方がいい』

『……わたしはあと一年もちませんのよ』


 その言葉を聞いたリオはその事実を知らなかったのか、非常に驚いた顔をした。次いでつらそうな表情になり、ますます俺への敵意をむき出しにする。有和良春夏秋冬さえ死ねば、と。そういう、ことなのだろう。


『だとしても、だ。俺は俺の人生とこうやって向き合うことに決めた。お前らも俺を殺す、ということで向き合っている。でも共通点だってあるさ、俺たちは生きたいと思って動いてる。なら――その一年の先も生きるつもりで、でも今も精一杯生きろ。たとえ俺を殺せて寿命が延びても、ひょっとしたら突然事故でお前は死ぬかもしれない。いつ死ぬかなんて、わからないんだよ。だから楽しんで生きろ。その途中、俺を殺しに来い。殺されてやる気はないけど、死んだら、その時はお前の命になってやる。俺はその日が来ないよう生きつつ、それでいていつ死んでもいいように、生きる』


 生と死を同時に感じながら生きる。それは面倒で、厄介で、けれど普遍的なものかもしれない。

 明日もし自分が死んだら、と考えたことがない人間は恐らく、いない。ちょっと規模が違うだけで、俺たちもそんなことを考える普通の『人間』と変わらないんだろう、と俺は思う。そしてそのIfにはきっと、『死ぬかもしれないなら、死ぬかもしれないから、楽しく嬉しむ生き方をしたい』という思いがある。

 ゆえに、俺が言えることは一つ。


「だからお前も生きろ」


 伝えた。四季折は日本語で話しかけられてわかったようなわからないような顔をしたが、リオに英語で訳されてもまだわからない、という顔をしていた。俺を見る金色の目。俺が見たいと思う目とは違う、金色。その輝きの中に、また俺は記憶の支流を見たような気がした。

 その時扉を開けてマリアが入ってきて、ボロボロになったホールと俺とリオを見て、勝敗がどう決したのかを悟ったようだった。すぐにリオに駆け寄ったマリアは体に大事ないか訊いた後、俺を薄暗い目で見据えて、風でリオの体を支え、四季折にもその補助を施した。そのまま部屋を出て行き際に、四季折は俺に返す。


『……わかりませんわ。あなたの言葉も、あなた自身も。あなたは運命を切り捨てて、この道を選んだと――?』

『わからないなら、考えておいてほしい。わかったら、答えを言ってほしい』

『考える他無いようにしておいて……よく言いますわ』


 そうして三人は外に出て行った。残されて、俺と姫。そろそろと、立ち上がりつつ。ふっと、俺は魔眼の存在を『思い出した』。なるほど、ひょっとしてこれがリオの魔眼の効果か。クウハクが埋められたような奇妙な感覚。能力の使用法を忘却させる能力か何かだろうか。ま、今は比較的どうでもいい。

 これ以上体に無理をさせるのもどうかとは思ったが、結局俺は最後の魔眼を使うことにする。一人では歩くことも出来ないようだし、肩を借りるには姫は小さすぎる。転がったままだったダインスレイヴを拾って鞘に納め、ふとみるとグングニルは律儀にマリアが拾っていったようだった。振り返って姫の瞳をのぞきこむ。

 その中に映った俺の眼に、幻視。普段通り、怪我を負ってない自分の姿を。


「うん、これで一応しばらくは大丈夫そうだ」

「ホントかよ?」


 訝しげな姫に苦笑しつつ、扉を目指す。

 普段通りに、俺は声をかけた。


「さ、帰ろう」



        +



 宿屋主人乃気苦労日記。


  最後乃頁おわりのぺーじ そして誰よりあなたとの。(帰路恋慕)


 Title:True ending


  Heroine:Shiranekomyoujin hime


 Result:Happy ending



        +



 日本に帰ってきて、久々に慣れた空気を吸い込み。

 再開した宿屋での最初の仕事は、白藤の補修だった。


「すまんのぅ」


 悪びれない様子で寝転がっている白藤。だがそのケガはあまり楽観出来るものではなさそうだったので、軽口を叩くことも出来ない。俺が出向いていったあと、宿屋の従業員総出で行った、傭兵との戦闘。その爪痕残るこの宿屋は、白藤の本質なのだから。宿屋が負った半壊寸前のダメージは、白藤の体にケガとして現れる。今すぐどうこうなるというわけではないが、早急に手を打つべき課題だった。

 なので今は大工仕事。屋根に上って仕入れてきた新しい瓦を並べつつ、雨漏りしていた部分なども片手間に直す。姫は中庭で抉れた地面を直したり、葛葉は木材と漆喰を買って来て壊れた壁を補修したり。川澄さんは表玄関の石畳、柊は倒れた樹を直し、ぱとりしあは露天風呂の砕けた部分の手直し。

 万能な連中ばかり集まってるな、と思いながら、俺は板を釘で打ち留めた。まだ傷は癒えてないところもあるが、それはみんな同じこと。柊にいたってはやはり無理をしていたらしく、繋がりかけていた骨がまた折れていた。元に戻らないんじゃないかと心配したが、奴いわく『筋力で絞って骨の位置は固定していた』とのこと。つくづく人間をやめていると思った。


「これで終わり、と」


 瓦や雨漏りの補修も終わり、中庭から一直線にかけたはしごを降りる。左腕はまだ使えないので、片手で降りる。道具は腰に巻いたベルトに収めているので落とす心配は無いが、俺自身が落ちないよう気をつけるのが大変だった。

 降りたところで、姫と目が合う。いつも通りに話しかけてみよう、と思うのだが、なぜか上手くいかない。それは相手も同じなのか、俺の顔を見て動きが止まっている。静止したまま向き合っている、という奇妙な状態をしばらく続け、やがて俺から眼を逸らす。


「……終わったから、露天風呂の方手伝ってくるよ」

「ん、ああ」


 あの一件。リオとの戦いから既に二週間、日本に帰ってから三日が過ぎていたが、それから俺たちはずっとこうだった。

 極限の状態で勝利を得て、もう少し何かあるかと思ったりもしたのだが。逆に、距離は離れていた。あの空気の中で俺も姫も何か言ったわけではなかったのだが、なぜか意識は大きくなっていた。

 理由は簡単。俺は昨日、ある女から告白を受けて、それを断った。その時、その女は断る理由を俺に問い。それに対して俺は――しっかりと、言った。好きな人が居るからだ、と。すると、その女は俺に言った。『それなら早く告白した方がいい』と。

 精神的に動揺を覚えつつも、口にすることで自覚は深まった。その上、ふった相手にそんなことを勧められた日には、内心が混乱状態になっても仕方ないと思う。……でも、その混乱の中でただひとつ。俺は自覚と共に、ひとつ自分の気持ちを知った。だからこそ、余計に――焦ってもいた。

 露天風呂を補修するのに必要な石盤を抱えつつ、考えにふける。


「ダンナさーん。聞こえてる?」

「うん。白い石盤だろ、必要なのは」

「聞こえてるならいいんだけど。ボク、今左半身使えないんだよ? 少しはいたわって自分でやってほしいの」

「それだとお前の仕事が無くなる気もする」

「どうせ効率は悪いと思うの」


 吹き飛んだタイル部分にはめ込む代わりの石盤を渡しつつ、俺は思った。

 どうしようか、と。


「……悩んでるなら相談にのるよ?」

「話したって変わらないと思う」


 冷たく突き放すと、ぱとりしあは溜め息をついて俺に言った。言い聞かせた、という方が表現としては正しそうな声音で。


「話さなきゃ、始まらないよ」

「…………」


 そう。

 そうなの、だった。いや、嫌というほどそれはわかっていたのだが。他人の口から改めて聞かされると、こうまで重く響くとは思っていなかった。しゃがんでいた俺は、岩に腰掛けて作業しているぱとりしあの顔を窺う。無意味に笑うでもなく、どちらかと言えば呆れた表情で、こちらを見下ろしていた。

 黙って、俺に石盤を差し出す。


「……わかったよ。一人で、なんとかやるよ」

「そう。じゃあボクはお役ゴメン、ってわけだね。それじゃあさよならなの」


 とん、と片足でタイルを蹴って車椅子に座り込む。そのまま車輪を回して露天風呂から室内へと消えてゆき、俺だけ肌寒い外に残された。

 はあ。




 結局、どう悩んだところで仕方なく。

 どうしようもなく気持ちばかりが膨らみ。

 俺は、ようやく姫と二人で話す覚悟を決めた。場所は駅前にあるベンチ。昔、姫が俺を呼びに来てくれた場所だ。

 待ち合わせたのは午後七時。早めに来た俺はコートのポケットに手を入れて、緊張と共にまた、考える。

 誰かを、好きになったということ。ずっとそんな、人を想うようなことをせず生きてきたこと。たくさんの、楽しいこと。命が短いこと。そしてこれからのこと。これから先の、未来のこと。短いけれど楽しい、人を想って好きなまま生きていく、未来。それは考えるだけで口元がほころぶ、本当に素晴らしい未来だと、想った。


「……よ」


 そうしている内に姫は遅れず、時間ぴたりにやってきた。俺はベンチから腰を上げようとしたが、その前に姫が横に座り込んでしまったので浮かせた腰を再び落ち着ける。風は凪いでいて、姫は小さな手で髪をかきあげていた。さっきまで考えていたことも忘れ、ひたすらに緊張が高まる。それでも姫は俺に何も言わなかった。催促もしなかったし、問いかけてくることもない。

 息を落ち着かせて、声がつまるのを押さえ込む。口の中が渇いていた。


「姫」

「ん」


 何から話せばいいのか迷った。言いたいことだけ言ってしまえばいいのに、それを後回しにしたいと想う自分がいた。

 だから、こんな話題から俺は切り出す。


「……初めて会った日のこと、覚えてるか?」

「忘れられるような日じゃねーよ」


 軽く微笑みつつ、姫は呟いた。その顔に安心させられて、俺は言葉を探し、話を続ける。


「あの日から今日まで、色々あったよ。辛い戦いの時もあったし、安心出来る日常が送れる日もあった。でもその全部、俺は進んできた――選んで、進んだ。そう思ってる。会えたことだけは父さんの差し金で、シナリオは大筋、父さんとマリアの思考に沿って動いてたのかもしれないけど。それでも、俺は自分で選んでたんだと、そう思いたいんだ」

「そっか」


 素っ気無い返事。けれどその声は俺を落ち着かせてくれる、でも同時に高揚させてくれる、不思議な声だった。

 横を見つめることも出来ず、ただ俺は正面を向いて話す。


「だから、訊きたいことがある」

「ん。いーよ、あたしに答えられることなら、何でも」


 もう一度だけ深呼吸。動悸が激しく、体が熱いと感じた。


「……俺は、みんなに誇れる、宿屋主人に――なれたかな」


 今自分がここに居る理由はそのためじゃないけれど。引き合わせてくれた、この俺の生きたいと思えた道は――みんなと共に歩めるものなのか、今隣に居る姫と歩んでいけるものなのか、確かめておきたかった。

 返答は、力強い首肯。


「あたしは、ひととせのその道は、良い道だったと思うぞ。少なくとも、あたしにとっては」


 加えて、そう言ってくれた。

 その言葉だけで、俺は自分の人生を肯定できる。そう、思えるような暖かい言葉だった。――この姫の暖かさに、俺は惹かれた。けれどそれすらきっかけに過ぎなくて、多分、そういうことだから俺は。


「うん、ありがとう」

「礼を言うのはこっちだっての。何度も助けられて」


 そんなことは比にならない。俺が返せたものなんて、もらったものに比べればごくわずかだ。

 以前の俺にはなかったものが、ここにはある。


「なあ、姫」

「ん?」


 それを教えてくれたのは姫だろうし、だから俺は胸を張って言える。

 ずっと言いたかった。そんな言葉。


「――だから俺は、そんな姫のことが――」



        +


 手の中で握っていた割符を、辻堂に投げて返す。奇しくも、桂馬という駒は奇策でしか相手を打倒できない俺には、似合いの駒だったのかもしれない、などと思いながら。


「……これで今回の顛末は全部話したよ。ともかく、俺はあと二年しか命がもたない、ってことだ」

「要点はそこじゃないと思うがね」


 眼鏡を押し上げながら辻堂は言う。ちなみに割符はキャッチできず、額に張り付いていたがやがて落ちた。落ちた時に、着ていたオレンジ色のダッフルコートのポケットに入った。そしてそのポケットに手を入れる。既に奴が持っていた片割れ(文字通り)と繋げたのか、形だけは元通りになった駒が、手の中で弄繰り回されながら出てきた。その桂馬を眺めつつ、辻堂は軽い調子で言う。


「要は、おまえさんは生き定めたのだろう? どうするかということを」

「まあ一応ね」

「なら堂々とそう言うがいい。寿命が二年しかない(、、、、、、、、、)、などという些事(、、)は知らん。どうせ、有和良春夏秋冬には人殺しなど出来んと私は高を括っていたのだよ」

「お前が知らないだけで俺は、かなりの人数を殺してるんだけどな……」


 辻堂は学校の正門で話しているというのに、ためらわずマッチを擦った。点した火を、口元のジタンに向ける。安っぽい煙が、ふっと辺りに広がった。それが消えないうちに、言葉を紡ぐ。


「……誰に命令されるでもなく、お前は自分のために刃を取ったんじゃないのかね。背負うのも覚悟し、どうしようもなく」

「そんな高尚なことを考えるほど大人びてなかったよ」

「何が高尚なものか。人を殺すのは人間社会で生きるならしてはならないことだ、など。あやふやな記憶の中でさえも誰もが悟っていることじゃないかね。そしてお前の周りの世界は、お前に選択を強いたのだよ。『生きるか死ぬか殺すか殺さないか』。実にシンプルだ、そして仕方の無いことだ。そっちの方が困難だろうに、お前はそれを選択して進んだ。そしてここにいるんじゃないのかね」


 煙草を口から放し、ぷかりと煙を浮かべながら。辻堂はそんなことを言った。

 まったく、安全圏に暮らしてそういう場の実情を知らない奴がよく言ってくれる。……もっともその言葉を嬉しく思ってしまう俺は、無知から言葉を紡ぐこいつより遥かにひどい、人外ひとでなしという奴なのだろうけれど。


「お前が生きてて私は良かったと思う。お前は、死ぬべきじゃない」

「何言ってるんだ」

「――ふふん。とりあえずおまえさんには今貸しが一つある。それを返すまでは死ぬべきじゃないのだ」


 にやり、と笑って言う。ああやはり、こいつはそういう奴なのだろう。

 とはいえ、貸しを作ったのも嘘ではないわけで。


「わかってるよ」

「ならよし。姫さんの写真を十枚ほど撮ってきてくれ。出来れば脱衣中希望。完全に脱いだ状態ではないぞ、半脱ぎだ」

「却下だボケ」


 いつの間にか煙草を消して携帯灰皿に入れていた辻堂は、つまらなそうに鼻を鳴らす。もちろん演技だったのだろう、肩をすくめて、俺の前を歩き去る。その際、またも割符を投げつけてきた。

 と思いきやよく見ると、掌の中、なぜか桂馬は割れていなかった。


「餞別だ。死んだら返せ」


 ひらひらと片手を上げて去っていく。振り上げた手の上で、二つの切れ端が舞った。

 会うたび思うことだが、あいつを理解しきることは一生無い、そんな気がする。

 所在無さげにそのまま立ち尽くし、ふと振り返る。通っていた高校が、静かにそこにあった。部活の連中が校庭を所狭しと走り回っているのも見える。もう、俺は戻ることの無い場所。ルーマニアから戻った俺は、そのまま学校を退学することにしたから。

 一年も居なかったとはいえ、辞めるということに思うところなかったわけでもない。しかし、これから俺がしようと思うことに、高校というところはあまり必要がなかった。残念ながら友人も辻堂と要の他はほとんど居ないし、困る人も居ないだろう。だからと言ってやめていい理由になるわけでもないのだが。

 とにかく。学校という場所は、俺にとってはもう戻ることない場所となった。視線を戻す。通りの向こうから、要が歩いてきていた。


「おまたせ、有和良君」

「いや、そうでもない」

「たばこ臭い……」

「さっきまで辻堂が居たからだよ」


 あ、そっかと納得して、要は俺の横に位置する。距離は近くもなく遠くもなく。手を伸ばせば届く距離では、あった。


「宿屋さんの調子は、どう?」

「その訊き方とアクセントだと誰か個人の名前みたいなんだけどな……まあ、順調だよ。客もそのうち入るだろうし。刺客も時折ちらほらとは来るだろうけど。上手くやっていけるさ、きっと」

「ふーん。じゃあ……従業員の人たちとは、どう?」

「どうって」


 微妙に避けようとしていた話題に、要は突っ込んできた。ことが済んでから一週間が経った今も、俺が要を避け気味にしてしまう理由に。

 一週間前――俺は要に告白されて、それをふった。ふった理由は、そう。従業員、というか特定の個人を、俺が。


「姫さんに、まだ。何も言って、ないの?」

「いや、言ったよ。けど……まだ」


 そっか、と呟いて要は嘆息。近くもなく遠くもない距離の間に、沈黙と共に冷たい空気が流れ込む。

 俺のそんな緊張を感じ取ったのか、要は慌てて会話を続けようとする。でもそこに取り繕った笑顔を付属したりしないことが、俺にはありがたかった。もしそんな顔と一緒にこんな行動に出られたら。


「むー……何て言えば、いいのかな」

「さあ、俺はわからないけど」

「……あー。うん、そう。わたし、ね。有和良君に早く結果を出して、ほしいな、って。上手くいくといいな、って、思ってるの。……別に嫌味でも、ひがみでも、ないよ? ただ、利己的に。姫さんと、有和良君が、幸せになってくれれば。わたしも嬉しいし、それでようやく――落ち着ける。正直言うとね。まだ、諦めきれて、ないから」


 だからこその決着を、要は求めているのだろう。それは確かに利己的かもしれないが――やっぱり、要の優しさなんだと、俺は思う。思って、口に出さず、態度にも表さないようにした。要はひょこっと、こちらを見上げつつ続ける。


「正直、もし姫さんが有和良君の告白を、断って。それで、代わりとしてわたしを選んだとしても。それを、受けちゃいそうなくらいには」


 うれしいけれど、重たい言葉だった。


「そんな不誠実な真似はしない。たとえ要が望んできたとしても」

「そういうと、思った。多分、そうやって一緒になったと、しても。どっか、上手くいかない風になると、思う」


 笑顔を浮かべてそう言って、それでこの話題は打ち切ったようだった。その後は最近あったことなどをつらつらと並べ、普通の友人同士として語り合う。いや……まだ、普通の友人同士に戻ることは、出来ないのだけれど。とりあえず今の俺たちの関係は、そうして、成り立っていた。馴れ合いではなく、そうして選んだから。

 要は、何か変わったのだろう。なぜか煙草を吸うようになった辻堂も、そしてもちろん俺も。変わったからといって劇的に違う明日が来ることはないけれど、それでも俺たちは選んで、前に進んでいく。後ろは、振り返るくらいでいい。戻る必要は無い。


 一時間ほど話しこんでから要と別れ、俺は帰路についた。歩く速度は緩やかに。

 宿屋へと続く、夕焼けの照る道を。


        +


〝悪い、考えさせてくれ〟

 そう言って姫が俺とあまり会話しなくなって、五日経った。夕食を終えて、一人部屋でごろりと寝転がっていると、一体どう反応が来るのかと、そればかりが気になった。

 即答させるようなことでもない、と思いその場はそれを承服してしまったものの、今になると問い詰めてでも答えを聞きたかったような心地がして、なんだか胸のうちがもやもやと煙っていた。そうなると相手の返事について考え、考えても仕方ないことに気づいて自分の気持ちを整理して、の繰り返しになる。

 要に、なぜ姫なのか、と問われた。それに対し、返す言葉は一つ。姫だったから。

 宿屋でずっと一緒だったとか。心折れそうな時も助けられたとか。逆にこちらが助けたとか。色々な理由は探せる。心理学でも色々な解釈は出来るだろう。しかし結局のところ、他の誰でもなく姫だったから、理由付けの必要も無いくらいどうしようもなくあいつだったから、としか言えない。それでしか説明は、つかないと思う。

 そう言うと要は苦笑して、「自分とまったく同じだ」と言った。けれど、俺はそれに加えてもう一つ、あった。それは、


「ひととせさん」


 ……思考を中断する。ふすまをすっと開けた葛葉は、寝転んだままの俺と視線が合った。


「や、次代の主人」

「……からかわないでください」


 むすっとした顔で腰に手を当てる葛葉に、悪い悪いと軽く謝りながら起き上がる。この異称の理由は、あと二年しか俺が主人を務められない以上、必然的に次代の主人を決める必要があったためだ。そして次代の主人の自覚は早ければ早いうちからある方がいい、ということで、面子の中からは葛葉が選ばれた。

 白藤は主人をやるかと問われて首を横に振り、川澄さんはあくまでも主人に仕える、という形以外で宿屋に関わらないという信条があるらしい。よって、実務面でも残りの面子の中でオールマイティに出来る、葛葉が選出されたのだ。というか、他にいなかった。


「次代の主人なんて、いい迷惑ですよ。本当に」


 座り込みつつ愚痴を吐いた。が、本当に嫌がっているなら俺たちも推薦しないし葛葉も請け負わないはずで、詰まるところこの職務を果たすつもりは、ちゃんと葛葉にはあるということだ。


「といって俺の後に『有和良』の血を残す方法は閉ざしたんだから仕方ないよ。葛葉には悪いけどこのまま俺は消えて、そのうち吸血鬼自体も多分、この地上から姿を消す。それがいいことか悪いことかはわからないけれど、個々人にとってはそう問題にならないことだしな」

「わたしは、ひととせさんが亡くなったら問題です。悲しいですよ」


 正座を崩しつつ葛葉は俺を見た。――死んだ後。それは考えるのを先延ばしにするには近すぎることで、実感を得るにはまだ遠い。体も、しばらくは弱らないだろう。永夜の痛みはひどくなるようだが。

 何にせよ、死後。残される人の思いをもっと知るべきは、本当は俺なのだけれど。


「しばらくしたら、向こう岸で会えるんじゃないかな」

「言っておきますけどわたしたちは寿命が長いんです。それに、あの世をわたしは信じていません。というか、信じたくないです」

「そうか。って、寿命が長い?」


 それは初耳だった。俺の表情を見て、葛葉も違う風に驚く。


「お話していませんでしたか? でも、白藤という例を知ってるじゃないですか」

「いや、物体に宿る霊のあいつと一緒には考えてなかった」

「ああ、そうですか。でも、本当にわたしたちは寿命が長いですよ。一個体で千年は生きますから」

「千……」


 気長に待つことになりそうだった。まあ俺も、あの世をそこまで信じているわけではないのだが。

 ……霊と言えば。


「父さんは、化けて出たりはしなかったな」


 あれだけ俺なんかのことを気に病んで、最終的に命を落とした父さん。この世には幽霊というものは存在するはずだが(事実、俺は殺した相手の悪霊に何度も憑かれたが、そのたび父さんが祓ってくれていた)、あの人はそういう存在になりはしなかった。夢枕にすら、立たない。


「後の選択は、完全にひととせさんにゆだねていたからですよ。きっと」

「過干渉どころか勝手に殺し合いとか演じておきながら最後は丸投げっていうのも、どうかと思うんだけど」

「なら幽霊になって、延々と宿屋主人を続けてくださいよ」

「……それは無理だな。ああ、そういうことか」


 なんとなく得心して、ふっと笑みがこぼれた。


「でも、千年あっちで待つのもなぁ」

「まだ引きずりますか」

「……ってことは、猫又の姫もやっぱり、寿命は長いのか?」

「そうですね。恐らくは。少なくとも五百は生きるでしょう」


 五百か。千年ほどではないにせよ、随分と長い。そう考え込む俺に微笑みかけ、葛葉は事も無げに言ってのけた。


「長さが問題じゃない、でしょう?」

「それはそうだけど」

「あ。そういえばずっと忘れていましたが、さっき姫が裏口に呼んでほしいと言っておりまして。それでここに来たんでした」

「……早く言ってよ」


 俺は急ぎ立ち上がり、のろのろとふすまに近づく。葛葉も後ろで立ち上がった。

 そして俺の手を、その両手で包み込む。驚いて振り向こうとしたが、その前に葛葉が話し始めた。小さな声ではあったが、とても、切に願いをこめたような、言葉だった。


「……川澄さんやぱとりしあ。柊君に、姫に白藤」


 きゅ、と手が強く握り締められた。


「みんな行って、わたしだけ遅れて行くことになるかもしれません。でも……待ってて、もらえますか。我が主」

「当然だろ。それと、主じゃなくて家族だよ」


 そうでしたね、と軽く笑んだ気色を背に感じて。俺は、ふすまを開けて廊下に出た。


        +


 姫は寒そうに首を縮めながら、裏口から出た脇の外壁に背をもたせかけていた。すっかり新調した橙色の帯と緋色の着物、黒いマフラー。伸びる赤いポニーテール、そして俺を見上げる金色の瞳。最初は恥ずかしくて認めづらかったが、今なら整ったこの顔立ちと佇まいを見て、素直に思える。

 綺麗だ、と。


「……けっこう、考えた」


 静かに切り出す。まだ冬の夜、室外の気温は驚くほど低い。その外気に触れて縮んだかのように、言葉の終わりも小さくなる。


「いや、かなり考えた。ひととせが言ってくれた言葉と、あたし自身の気持ちと。寝る間も惜しんで、っつーか眠れなくて、だからずっと考えた。この前、ひととせが言ってくれた言葉」


 向き合うこの場所は、出会った場所。

 十六年の人生、最初からここまで、ずっと吸血鬼の宿命と、それと戦い続けた両親に動かされた人生。それが、この場所であの時から、少し変わった気がする。選択をすることが、出来るようになった。


「だけどその前に、聞いといてほしいことがあんだよ」

「……聞くよ」


 独りの家に帰ることもなくなった。いつでも誰かが居て、暖かな家。宿屋とは、その暖かさを分けられるものだとさえ、俺は思っている。それゆえ同時に、この宿屋の主人になれたことは俺にとって――誇りだ。


「あたしは嫉妬深い」


 そして姫にとって主人であることは、望みだった。

 だから聞く。聞きたいと、思う。


「元々、猫だから。……んにゃ、それ抜きにしても、白猫明神姫って女は、嫉妬深くて恨み易いのかもしんない。今まではあくまで、その方向性を自分に向けてたから大丈夫だったけどよ。ひととせが他の女と話してるの見るだけで、ちょっとやきもきしないわけでもない」

「なら極力姫だけ見ることにするよ」


 嫉妬なんてしたいだけしてくれていい。

 そんな思いを受けられることが幸せだ。


「あんまし、血もあげらんない。体が小さいから、すぐ血も足りなくなっちまうし」

「我慢する。我慢、出来る」


 吸血鬼としての俺じゃない。だからそれで構わない。


「それに」


 そこで、姫は言いよどんだ。これまで言っていたことは時間稼ぎにしか過ぎなかったように。

 それでも俺は、待った。しばらくして、姫はぼそぼそと小声で話し始める。


「あたしも――人を、殺した。否、食ったことがある」

 

 告白すること自体が恥だと信じて疑わない口調で、苦々しいものを吐き出すように言う。それは――さすがに。軽々しく返事をすることははばかられる事柄だった。


「……一族の本能が色濃く出ちまったあたしは、子供の頃一緒に暮らしてた同年代の男の子を、ある日何の前触れも無く、食った。確かに一族全体、女は男に対してやたらと食欲は示すけど、それでも自制出来ないわけじゃ、ねーんだ。けどあたしは、忌むべき共食いをしちまった。だからその日のうちに清めを受けて、家から放り出されて、ここに来た」


 くるりと後ろを向いて、一歩離れる。手を伸ばしても、つかめない位置に。ここに来たその日のことを思い出しているのか、それともその生家に居た時のことか。姫は息を吸い込んで、また、続ける。


「危険があるかもしんないってのに、斎はあたしを雇ってくれた。当時は仕事も出来なかったし、雇ったってより引き取ったって感じだったけどよ。とにかく、それからもうずっと。あたしはこのマフラーを肌身離さず、暴走しないように手元に置いてた。何より自分が――怖かった。……なのによ。そんなあたしに、暴走して襲っちまったこともあるあたしに、やたら優しいことばっか言う偽善者が居んだよ。罪に悔やんでも気に病むなとか言う奴が、居るんだよ。そいつは世界の残酷な面を識ってるからこそ、意識してやってる善だ。そんな気持ちを向けてくれるのが、すごく嬉しくてしょうがねーんだよ」


 肩が震えていた。俺は、一歩近づく。すると姫も振り向きざまに一歩、踏み出してきていた。重なる歩幅。重なる位置。涙声の歓喜。大きな金色の瞳と、視線をかわす。何も言わず、互いに抱きしめる、俺と居てくれるひと。そう、ここに居られることが、ここに居ていいと言われることが――



「……一生分尽くすぞ。ひととせが、好きだ」



 理由じゃなく意味がそれを形作る。それを求めてここに居る。俺はここに帰る。

 帰りたい場所が出来た。迷って、悩んで、傷ついて、選んで――その末に、俺は自分でこの場所を得たのだと、そう思いたい。

 帰るべき、場所ひとを。



        +





        +



 ……池で鯉のエサやりを済ませてから、あたしは庭木の手入れを始めた。

 正確にはエサやりをした後休憩を入れようとしていたら、葛葉にそれを見咎められただけなんだけど。確か今日の当番はぱとりしあの奴だったはずだ……逃げやがったのか、あの色欲魔女。当番表も上手くすりかえたな。


「今度見かけたらなるだけ陰湿な手口で仕返ししてやるかんな……」


 暗い覚悟を口に出しつつ、ちょきちょきと剪定する。そういえば、もう金木犀きんもくせいが咲く頃か。鼻をくすぐる甘い匂いで気づく。でも、いくらいい香りでもこの前、庭に自生してたマタタビにゃ敵わねぇ。まだ残っていただろうか。

 剪定のついでにマタタビを探していると、表玄関の方に出た。この辺りも仕事しといてやるか、と思ったが、生憎と全部終わってる区域だった。戻ろうかと思ってくるっと後ろを向きかけたが、表玄関に面した二階の部屋から、にゅっと足が突き出したのを見て足は止まった。見ているとツナギにTシャツを着た短髪の女が、刀を携えて飛び降りようとしている。


「早まんな」

「うわ、っと!」


 下に移動して話しかけると、一応客の一人であるところのこの女、桧原葵は着地に失敗してずっこけた。その鼻先に剪定鋏をしゃきしゃき言わせながら突きつけると、刀からも手を放してギブアップの体勢を取る。


「まだ延長宿泊の代金もらってねーぞ」

「あ、えっと。今からこの刀を質に入れてくるつもりだわよ」


 白々しい、というか刀遣いのくせに愛刀を手放す話なんかすんな。


「早く厨房に戻って葛葉に詫び入れてこい」

「……この宿は怖い奴しかいないわねぇ」

「返事は」

「はい」


 無理やり押し黙らせ、その背中が宿の中に消えるまで剪定鋏を持ったまま。疲れんなぁ、と感じつつも、それが仕事だから仕方ねぇ。あたしも宿の中に戻って、今度こそ休憩を入れることにした。




 正午過ぎ、ぶらぶらと裏口から出る。途中通った縁側では白藤が寝ていたし、川澄もなにやら誰かに電話している。ついでに言えば厨房では葵と、なぜか柊が葛葉に怒られてる最中。つくづく、よくこんなんで宿屋が潰れないと思う。苦笑いしつつ、外に出た。行き先は決まっている、あたしはもって行くものがちゃんとあるか手提げの中を確かめてから、歩き出した。

 思えば、最近は忙しかったから……いや、あんな風な宿屋の中を思うと決してそうだったようには思えねーが、とにかく昨日までは、忙しかったから。最近、行っていなかった。手提げの中の雑巾もかなり汚れるかもしれない。マッチは切らしていなかっただろうか?

 そんなことを考えつつ角を曲がったためか、正面からぶつかる。ひょろっと背の高い、眼鏡をかけた男。黒いインバネスを着込んだ、怪しい人物。知り合いだから別に警戒はしねーんだけど。


「辻堂さん」

「やあ姫さん。息災かね?」


 こちらも最近は会っていなかった。そもそも、関係性が本来薄い。なぜか、たまに、出くわしてしまうだけだ。


「今日は大学いかねーのか?」

「うん? まあ、そうだな……雀荘で明け方までやってて、今帰るところなのだよ」

「……家にゃ帰った方がいいぜ」


 善処する、などと言いつつ、やる気があるのかは不明だった。まあ、関係ないっちゃないんだけども。気が付くと知り合って三年も経っていることに愕然としちまう。そういえば、もう既に秋。十月だった。

 わりと、好きな月。


「時計さんもぼやいてたぞ。サークル以外で見かけない、ってよ」

「取ってる講義が違うだけだろう。たまたまだよ」

「そういうもんなのか?」

「うむ」


 大学というところのシステムはよくわからない。時計さんも神経質なとこがある、あながち辻堂さんの言ってるとおりなのかもしれない。例え言ってる通りでなく嘘をついていたとしても、過ごし方、生き方なんてのは人それぞれだ。あたしが口出しするほどのことじゃないか。


「そのうち留年になっててもしらねーぞ?」

「……就職先にあの宿屋、という手もあるか、などと最近考えているのだがね」

「怠け癖のある奴は主にあたしと葛葉にしばかれるからやめといた方がいい」

「体力だけじゃダメかね」

「それすら無さそうに見えるんだけどよ」


 ならやはり真面目に勉強する、と言い残して、煙草臭い辻堂さんはそのままあたしが来た方向に歩き去って行った。どう見ても自宅に帰るルートだが、家で勉強するとも考えられる。人を疑いすぎるのはよくねぇ。……ただ、真っ黒な奴を疑うなってのは無理な話だろ。

 そう結論付けて、またあたしは歩いた。秋の空気の匂いがして、時間が過ぎるのは早い、と痛感させられる。ついこないだ夏が、春が、冬があった。こうやって時間が過ぎてゆくのが早いと、気づいたら棺おけの中なんじゃねーだろうか、などと思い苦笑する。

 まだまだ、あたしは生きてく。




 ぱしゃぱしゃと水が跳ねる。桶には水と、ひしゃく。墓石の前に向き直って、あたしは手提げから雑巾を取り出した。が、墓石の天辺に、ひしゃくが届かない。諦めて、遠くから放り投げるように水をひっかける。濡れた墓石が、日の光で輝いた。枯れた花も取替え、水を満たす。少し黒ずんでいた墓石は、磨かれて艶やかに光を反射した。


「ん。綺麗になったな」


 供え物を持ってきていなかったが、別にそんなのを欲していたとは思わない。しゃがみこんで、手を合わせる。特に報告するほどのことも無かったが、とりあえず「みんな元気だ」とだけ念じておいた。届いた届かないは関係ない。結局のところ、墓参りなんてのは故人に対してより、生きてる人間が自分のためにすることだ。

 それから、懐にしまいこんでいた封筒を取り出す。一ヶ月前に送られてきたエアメールだが、忙しかったのでここにこれの報告に、来れて居なかったのだ。既に開けられた封の中から、便箋を取り出す。


「リオと、マリアからだぞ」


 二人の吸血鬼。ずっと恨み続けたはずの彼ら――実際、一度だけだが再戦に来たこともあった――は、何を思ったか今になってこんな手紙を送ってきた。そしてその封が開けられようとした時。あたしは最後の決戦を行ったあの場に居たから、ひょっとしてという予感がした。

 内容は予想通り。あいつらが何より大事にした、四季折という少女。その最期と、彼女の『回答』についてだった。


「……死ぬって、なんなんだろうな」


 問いかけに墓石は答えない。あたしは、手紙を墓石の前に置いた。

 四季折の回答は、それそのものはごく簡単な、どこにでもある真理だった。けど、それを死に掛けの人間が、本当に最期の一瞬を迎える時まで真理だと知り、受け止めたってのは。少なからず、リオとマリアにも衝撃を与えちまったらしい。それからは、今度は二人が回答する番だった。で、四季折の死から一年半かけて得た回答を。今ここに、手紙の形で送ってきたらしい。


「『何もかも上手くいかないとしても、生きている実感を得ようとすること。四季折はそれをつかんだ。けれど……それでもオレはお前を許さない。一生涯恨み続ける。生きて、恨まれ続けろ』……前フリに四季折のこと書かなきゃ、ずいぶんと短い文面だ。真理ってのは……大事なもんってのは、シンプルなもんだよな」


 手紙をしまった。リオとマリアは一度だけこの宿に来たきり、二度と訪れていない。恐らくこれから先も訪れることはない。あいつらが今後どうやって生きていくのかはわかんねーけど、多分四季折の残した言葉は、あいつらにとって生きる道しるべくらいにはなったと思う。多分これで、あたしらとあいつらの接点は、終わった。

 線香に火を点ける際、そのまま点けっ放しだったろうそくの火が、風にあおられて消える。十月の風だ。

 あの十月。ひととせと出会ってから――三年。三年も、経っていた。


「あんたが死んじまって、もう随分経つな」


 それは逆に言えば始まりでもあり。あたしは、生き続けることを選んだ。

 生きて誰かの居場所になること。そのためにゃ宿屋って仕事は、本当にあたしには向いてたと、今なら思える。これからもそうあることを願って、あたしは生きている。一時的でも誰かの、帰る場所に。目印になってやる。それがきっと、あたしとあいつを結びつけた想いだから。

 帰りたくなる。どんな時も。その暖かさが、きっかけで。あたしはあいつを、好きになった。

 そのことが誇りだ。


「さて、じゃあ帰るとすっかな……」


 まだ半分残っているろうそくは手提げの中に戻して。八尾町を見渡せる、高台に位置する墓地を出る。と、風が吹いて、首に巻いてたマフラーが飛ばされそうになった。伸ばしかけた手。それより早く。

 それを、後ろから押さえる手。



「――そろそろ休憩は終わりだ、って葛葉が言ってたよ」



 暖かい声。優しい手。

 あたしは、肩に置かれたその手に自分の手を重ねて、振り返る。

 

「……ん。帰ろうぜ」


 ゆっくりと振り返る。他の誰のためにでもなく、そいつだけにしか向けない笑顔と、共に。

 あたしの大好きな、帰りたい場所ひとが、そこで微笑んでいた。



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