端書き参 傷だらけの有和良。(日常楽園)
おわりはじまりやりやられ。
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Title:Harem ending
Heroine:All cast
Result:Sorrow ending
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「おはよう姫」
「ぎゃ――――――――――ッ!」
後ろから抱きつかれた姫は、素っ頓狂な叫び声を上げた。抱きついたのは、笑う有和良春夏秋冬である。
「なんだよ、朝のごあいさつじゃないか。そんなにビビらなくても」
「ビビってんじゃなくて怒ってんだよ! いい加減にしろ!」
ぶんっと唸りを上げて放った拳は、虚空に打ち込まされて衝撃を無くした。姫の裏拳を易々とかわした有和良は、既に脇を潜り抜けて遥か前方へと逃げ去ってしまっている。ちなみにここで言う『脇』、姫の体から五十センチ圏内とは死地を意味し獄炎猛る境界だ。そこをあっさりスルーした有和良は、あははあははと笑いながら逃げ去っていく。
「ったく」
「姫さん……またやられたのですか?」
後ろから欠伸をかましつつ現れた柊は、姫を見据えつつそう呟く。ああ、もう頼むからアイツ止めてくれ、と泣きそうになりながら姫がそちらに向き直る。緋色の着物の裾がはらりと宙を舞った。橙色の帯もくるりと半円を描く。
「……あー」
柊はそれだけ言い残すと全力で後退。たった今あとにした自室に出戻り、ぴしゃりとふすまを閉めたと同時に、
姫の身に付けていた帯は完全に床に落ち、はらりと着物の前が開いたために平坦な――そう表現するしかない肌が、露になった。着物より、彼女の髪の色よりなお赤く、その端整な顔がボッと染まる。
「ひっ、ひととせぇ――――――っっ!!」
宿屋『紅梅乃花弁』の朝は、大抵こんな感じで始まる。
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一発殴られた跡を顔に残しながら、有和良はのんびりと中庭を向いていた。その正面にはぱとりしあが座り込み、真剣な顔で有和良の手元を見る。そこにはハーモニカがあり、口許にくわえると有和良は吹き始めた。アップテンポな曲調で、春の暖かな日差しが降り注ぐ縁側に音色が響き渡る。
「上手なの」
「んー。旅して覚えたりした」
「ボクにも教えてよ」
「いいよ。だいじなのは舌だ。舌使いだ」
「その言い方ってなんか勘違いするよ?」
軽快な音を曲調を変化させつつ吹き鳴らしながら、ぱとりしあは苦笑する。有和良は知らんふりして舌の動かし方を指示する。
「もっと使えばうまくなるよ。そうそう、そんなとこ、ジョーズだ」
「絶対狙ってやってるよね、ダンナさん」
「なにもねらってないよ?」
「そういうのもいいね。知らないフリでえろえろなキャラクター。えろえろー」
「……二回言われただけなのに、なんかへんな気分……」
と、わざとらしく首を傾げる有和良の背後に、ゆらりと人影が現れた。洗濯籠を抱えて通りかかった、葛葉だった。やれやれと呟きながら籠を下ろし、腕組みして仕事をサボる二人組を見下ろす。
「……何やらハーモニカの音がすると思ったら。あなたたちですか」
「おはよう、くずは」
座り込んでいた有和良は立ち上がり、葛葉の方向に向き直ろうとする。しかし距離感を誤ったのか、わずかながら確かにある身長差も相まってかなり危険な体勢になる。腕組みしていたために持ち上げられる形になっていたそこ……胸に飛び込み、顔をうめるような形に。
「あっと、ゴメン」
「ゴメンと言いつつなんで腰に手を回すんですか!?」
「はわす?」
「回すも這わすも危ない単語だと思うの。まあでも、実害は無いし、ね?」
「せ、精神が磨り減ります……っ!」
ぱとりしあは笑ったが、葛葉はそれどころではない。腕組みしていたためそこもぎゅっと押さえられ、身動きが取れない。じたばたともがくが一向に外れず、ぱとりしあに頼むことも出来そうに無い。
「ちょ、ちょっとひととせさん、お願いだから離れてくださっ」
「んー。わかった完了」
顔を真っ赤にしながらも、ようやくセクハラより帰還する。が、有和良はそこで動きを止めるだけに留まらなかった。
離れ際に爪先立ちになって背伸びをし、目線が合う高さになると、
「ん」
「……えええええええ!?」
ちゅっ、と。
頬にではあったが。
「おはようくずは。っていうふうに、まだ国外のあいさつしてなかった」
「え、あう、その、えっと」
「ダメだったかな」
「心臓に悪いですよ……」
息遣いを荒くしている葛葉は、出来る限り平静を装うと洗濯籠をつかんでなるだけ早くその場を離れていった。残された有和良とぱとりしあは、また静かになったので縁側をハーモニカの音色で満たす。
「ダンナさんって、なんか上手になったね~」
「そうかな?」
「自覚の無い調教者?」
「ごほん……ちょうきょーってなに? わかんないな」
のんびりとそんなことを言い合いながら。有和良は吹ける曲を全て、その場で吹いた。誰もが知っている有名な曲から、どこかの民族のほとんど誰も知らない曲まで。旅の間に覚えたらしい記憶の中の曲を、吹いていく。
「すごいね。でも、これでおしまい?」
「もうあとは知らない」
「この場で作ったり出来ないの?」
「そっとう?」
「即興だと思うよ……」
ぱとりしあが笑うと、有和良は考え込む。しかし先ほどまで簡単に色々な音を奏でていたのとは別人のように固まってしまい、いつまで経っても一つ目の音さえ出せなかった。適当に吹くことさえ、出来ない。固まった有和良に慌ててぱとりしあはゴメンゴメンと話しかけ、途中で聞いた『ふるさと』を吹いてくれるよう頼む。有和良は承服して、すぐに吹き始めた。
やがて、吹きすぎて少々酸欠になったのか、眠くなったのか。「おねがい」と言い残して有和良は倒れ込む。ぱとりしあは頼まれたことを察してその膝に有和良の頭を乗せてやり、手元からハーモニカを取って自分で吹くことにした。
「んー、んー。難しいねー、これ」
「おお、口風琴じゃな」
通りかかった白藤が、ぱとりしあの奏でる『ふるさと』に釣られてやってくる。水色の着物姿で現れた白藤は、よっこらしょと二人に並んで座る。モノクルを磨いたりしながら、ぱとりしあの演奏を静かに聴いていた。
どう見ても外見は異国の人であるぱとりしあがこの曲を奏でていることも、なぜかしっくりくる風景だった。
「誰の物じゃそれは? おまえは一人遊びの道具など持っておらんじゃろう」
「ダンナさんの。旅の途中で覚えたりしたんだって」
「ふむ……わしも楽器ならば少しは嗜んでおるぞ」
ごそごそと懐を探る白藤。取り出されたのはいくつもの細い竹が円を描くように付けられた楽器。
「笙じゃ」
「渋いよ。というかこんな楽器雅楽以外で使わないよ」
「……西洋人のおまえから雅楽という言葉が出ておる時点で何かおかしい気がするのじゃが」
「それに、内部構造が結露しやすいから暖房器具であっためてからじゃないと使いにくいんじゃないの?」
「なんでそんなことまで知っとるんじゃ」
「一般常識だよ?」
不思議そうに首を傾げるぱとりしあ。そう言えば最近は外国人の方が日本についてよく知ってることも多かったか、と白藤は適当に納得しておく。ちなみにこの知識は全て能や雅楽に造詣の深い彼女の両親、史朗とマリスからの直輸入である。
「まあ良いわ。吹奏楽器同士どこか通ずるものもあるかもしれんしの」
「そうだね。どっちも、ぷあーって音がするし……ふふ。でもダンナさんと間接キスしながら吹いてるボクのハーモニカと白藤ちゃんの笙じゃ、音色の深みが違うの。二人分の思いだよね!」
「主人は寝とって興味も無さそうじゃがその分の思いどこ行った?」
「ボクがカバー!」
「ただの独奏じゃな」
付き合い切れなくなったのか、構えた笙を吹き始める。それにあわせるようにぱとりしあも吹くが、息が合っているのか合っていないのか、音が合っているのかいないのか。奇妙な二重奏はしばらく続き、縁側から厨房へ、二階の各部屋へ、音を運ぶ。
やがて、白藤が笙から口を放すとぱとりしあも演奏を止めた。笙もハーモニカも吹くだけでなく吸うことでも音を出せるため、結局終わるまで二人は一度も楽器から口を離していなかった。
「楽器を手に取ったのも久々じゃった、の」
「なかなか趣があったと思うの」
「……どうじゃろな」
笑う白藤。と、そこで有和良が目を覚ます。かぶりを振って頭から落ちかけた黒い布を巻きなおし、大きく伸びをした。
「ふわぁ。……だれ? なんか聞いたことある楽器吹いてたのは」
「わしじゃが」
「おお、白ふじだ。おは、ようっ!」
ようっ! で飛び込み、声のした方目がけてジャンプ。ひょいっと上半身はかわしたため、有和良はびッたんと音を立てて白藤の太ももに倒れ込んだ。そしてそのまま動かない。
「何やっとるんじゃ」
「……まあこれはこれで」
「うなっ!? 撫でるように触るでない!」
起き上がった有和良は荒っぽい手つきで白藤の太ももを撫で回す。撫でるというよりは確認するような手つきなのだが、ともかくも彼と嫌がる白藤、構図としては完璧にセクハラだなー、とさっきまでの自分を省みることも無くぱとりしあは思う。
くすぐったそうな白藤は這いずり回る有和良の魔手から逃れようとしているが、巧みに体重をかけられて動けない。人間、座った状態から立ち上がるには重心を前に傾けないとならないので、それを妨害されている以上白藤はセクハラに耐えなくてはならなかった。
「……ぱとりしあよりちょうどいいかな」
最終的に下した結論は、しかもそれだけだった。
「がーん、捨てられたよ。居心地悪かったかな」
わりと本気でショックの様子で、ぱとりしあは頭を抱える。白藤はというと相変わらずセクハラに精を出す有和良に肘打ちを落とし、その動きを停止させていた。
「居心地というより寝心地じゃろうが。それと、あまりさするでない」
「いたたた。なんでさ?」
「……興奮してくるじゃろうが」
少し目線を逸らして、顔をぽ、と赤くした白藤は呟く。
「あー、そうなんだうりゃ」
それを聞くとセリフの途中で再度攻撃を仕掛ける。だが既に読まれていたのか、立ち上がられてその攻撃は失敗。床目に這った有和良は、ぱたぱたと手を動かして触れた、白藤の足にしがみつく。
「……おいぬしよ。これは、誘ってるということかの?」
有和良を見下ろしながら白藤は呟く。返答は笑顔。
「昼ねなら」
「了承了承。さて布団のある部屋に行くかの……悪いがぱとりしあ、主人は貰ってゆくぞよ」
「うう~。あんなに愛し合った時間はなんだったの」
「ふははは、略奪愛じゃよ」
「あははは、いかりゃく」
「誰か止めるか踏みとどまれっつのこの色ボケナスどもぉぉッ!!」
三人に神がかり的な速さでゲンコツを振るった姫は、うずくまる三人をそれぞれ持ち場に戻させた。
+
「上は天国、下はゴクラク。これなーんだ」
「風呂か?」
「ちがう、ざんねん。でも温かいのは周じかな」
「周じってなんだ、『同じ』の間違いだろ……サウナか?」
「またちがう。答えはひざまくら。下はふともも上は……」
「言わねーぞ」
「そうか……」
そういえば姫には天国がないね、などとぼそりといったが、しっかり姫の耳には届いていた。
「ケンカ売ってんのかひととせ」
昼食を食べ終えて休憩している姫の部屋にやってきた有和良は、開口一番そんなことを話していた。
「富士山、北岳、十勝平野……」
「何ぶつぶつ言ってんだ?」
「十勝平野が姫だよ。残りは知り合いの中から。天国ランキング」
「……あっそう。もう人生に未練ねーんだ。へー」
「豆の畑がよくあるのが十勝平野だってさ。姫はそこの畑の人?」
「あたしが豆だってか。そーか」
拳を振り上げようとする姫、だがその攻撃が届くより早く有和良は懐にもぐりこみ、両腕をつかんで止める。こたつの中に入っているため足は使えなく、頭突きが出来る間合いでも無いため姫はこれにて万策尽きる。
「は、な、せ」
「うん」
あっさり手を放す。拳を押し込もうと前に進むように力を込めていた姫は、動きを止めていたストッパーが無くなって前に転がり込む。春夏秋冬の胸に顔を押し付けるような形になり、慌てて姫は逃れようとするがもう遅い。両側から迫る腕が、ぽふっと密着して姫を抱きしめる。
「よっと、つかまえた」
「おい、こら……」
口調は強めに言うものの、それ以上何も言えなくなる。恐る恐る有和良の表情を窺う姫だが、落ちついた表情を浮かべている彼を見ると何も言えなくなる。はあ、と最近おきまりになった溜め息を一つ吐き、しょうがないかと諦めて為されるがままに。
「あったかいね、姫は」
「あっそ……もう勝手にしろよ」
「おれ今どこさわってる?」
「背中から脇腹にかけて。いちいち言わせんなよ恥ずかしい。あー、あと、アレなんだけどよ……」
「ん?」
顔を赤くして視線を逸らす姫。そんなことも知らず有和良は、首をかしげてみせる。
「ま、いっか。そっちだっていつも突然だし。了解は得ないからな」
ぐいっと小さな手を伸ばして、有和良の背に腕を回す姫。ぎゅっと抱き合った形になり、姫は目を閉じる。心音だけがやたらと大きく聞こえた。二人共そうやって固まったまま、しばらく時間が過ぎる。
「ん。もーいいよ」
「……自分からやっといて唐突にやめるよないつも」
するりと離れていく有和良を見ながら、少しばかり不満そうに口を尖らせる姫。
「まだしてたい?」
「いや、そりゃ別にそーいう意味じゃねーけどさ」
少しだけ距離は空いたが、それでも二人の間は十センチ程度。読みかけだった本を開いた姫は、ぱらぱらと内容を読み進めるがなんとなく横が気になって集中できない。彼はどうなのかというと、頭の後ろに手をあてがって後ろに倒れ込み、寝入ろうとしているみたいだった。
「寝てばっかだな」
「しょうがないだろ、人が横にいてくれないとねれないし」
「でも川澄じゃダメなんだよな」
「オッサンくさいから」
「柊でもダメなんだよな」
「男だし。ねぞうも悪い」
「あとぱとりしあと白藤もダメだかんな」
「いつも思うんだけど、それなんで?」
「知らんくていい」
赤いメガネをかけて、姫は読書に没入するよう努める。有和良はその横でうつらうつらと意識を手放していく。やがて規則的な寝息が聞こえるようになったところで、姫はしおりを挟んで本を閉じた。
「全然変わんねーな、寝顔は」
ふっ、と微笑んで姫も小さく欠伸をする。そしてどうしようかと一瞬迷ったが、有和良の腹に頭を載せて眠ることにした。いつぞや、遊園地に行った時もこんな風にしたっけ、と思いながら。懐かしいような心地がして、笑みがこみ上げる。
「……はは」
と、渇いた笑いを漏らす。
それは自分の内から自然と沸いたものではなく、外的要因によるもの。即ち――
「……なにしてるんですか、姫」
「いや、これはその」
いい加減仕事に戻れと言いに来た葛葉が部屋を覗き込んでいた。そして、有和良を枕に寝ようとしているところをバッチリ目撃。なんとも表しがたい感情に駆られた葛葉は、ふすまを開けて部屋の中に入る。
「とりあえず離れなさい。今日はあなたも接客を手伝ってもらわないと」
「あーそっか。そーいやそうだっけ、でもなぁ、あたし微妙に接客苦手なんだよ、知らなかった?」
「その口調さえ直せば大丈夫でしょう。髪が赤いのは地毛だと言っておけば、瞳の色と合わせて大抵納得。いつも通りに行って来なさい」
「葛葉はどうすんだよ」
「わたしは今まで仕事で今から休憩です。昼食を作っているのが誰だと思ってるんですか、もう」
「あーハイハイ、わぁったってば」
このまま放っておくと仕事についてのグチまで出てきそうだったので、姫は早々にその場を離れる。あとに残された葛葉は、姫が出て行ったのを確認して、さてどうしたものかと眠る有和良を見やる。
「……まったく、ずるいですよ姫は。でも、確かに近くに誰かいないと起きた時良くないですからね」
誰かに言い訳するように呟き、そろそろと有和良に近づく。すやすやと眠る彼は、葛葉の接近にも気づかないで深い眠りの底に漂っていた。なんだかその様子を見ていると葛葉も少しばかり眠気に襲われ、横に伏せる。
「偶には、いいですよね」
眠り込む。
本当は、姫がやっていたようにしても良かったかな、などと考えながら。
+
そして葛葉は声にならない声を発しながら目覚めることになった。寝起きの有和良がぎゅっと葛葉を抱きしめてきて、その衝撃(精神的肉体的両方)で起きたためだ。
寝起きの彼は基本こういうことが多いのだが、少々油断していたらしい。そしてそこに川澄が通りかかり二人を引き剥がして、葛葉はまた仕事に戻っていくことになった。川澄はくどくどと有和良のセクハラ癖について説教をかます。
「大体、寂しいのはわかるがもう少し押さえられんのか?」
「川すみさんでおさえるのはムリ」
「私でやれとは言っておらん……やりすぎるな、と言っておるのだ」
弱り声を出しながら川澄が言うが、そんな言葉はハナから聞く気の無い有和良。今までの会話が全て無かったことにしたように、唐突に笑顔で話しかける。
「ところで、さ。ちょっとおねがいしたいんだけど」
「なんだ」
「さんぽに出してくれないか」
「まあ構わんが……どこに行く」
「要とあいつに会いに行こうかな、とね」
言いながら立ち上がり、またも頭からズレた黒い布を縛りなおす。そしてふすまに一度ぶつかってから階段をそろそろと下り、黒電話をじーごろじーごろと掛け始めた。そして二人に連絡をつけたのか、横に居た川澄に「じゃ、たのむよ」と告げる。
学校まで川澄に付き添ってもらいながら歩いてきて、校門からは一人。帰りは二人に付き添ってもらうことにしているらしく、川澄は校門で折り返し帰っていく。少し歩くと、すたすたと駆け寄ってくる音。辻堂と要が、有和良に呼びかけた。
「ひととせくん」
「久しぶりだな有和良」
「おーう、元気そうだな」
声で位置を判断して、バッと飛びつく。要は特にそれを避けるでもなく、久しぶり、などと挨拶を交わしながら平然と抱き合っている。宿屋の面子とは違い、ハグのようなものだと解釈して自然と出来るようになっているらしい。もちろん、ある程度緊張はしているのだが。
「見せ付けるとはいい趣味しているな、お二人さん」
「なんだよ。胸さわったりはしてないよ」
「ま、まさか……やる気なんじゃ」
「気が向いたら」
「わわ、わ」
ぱっと飛びのいて要が避けたために、つんのめって倒れそうになる有和良。ひどいなーもうなどと嘯きながら、二人の方に向き直る。
「しかしアレだな、また大きくなったか?」
「うむ。そのようだと聞いておるがね、有和良」
「……それ、わたしの胸の、こと?」
「やだな、キンチョーのことだよ」
「身長だろう。蚊取り線香の会社じゃない」
「……なんだか、会話に入りづらいよ」
呆れたような声を上げる要をよそに、辻堂と有和良はにやにやしながら並んでいる。なんだかセクハラされそうで近づきづらい気もしたが、そこは長い付き合いというプラス点が勝った。一歩二人に近づく要。それを見て、聞こえよがしに辻堂に耳打ちする有和良だった。
「いやあビックリだよ。前はもっと小さめだったのに、今や白藤よりおっきいなんてさ」
「なんだ、実際に抱きついて確かめた結果がそれなのかね。今度私も姫さんに抱きついてみんとするか」
「やめとけってー」
理解したくない領域の会話だったが、要はあまり深入りしないことでそれを回避した。
「ところで、今日はお仕事、無いの?」
「いや、どうかな……お客さんそれなりに来てたらしいけど。おれは手伝いしないしかないし」
「それなりとはどれくらいなのだね」
「んー、たぶんいっぱい」
アバウトな数え方をしているようだった。へー、そう、と流して、三人は歩き出す。要は有和良の手を握って、先導するような形だった。辻堂でもこの役は別にいいのだが、野郎と手を繋ぐなどまったいらだと有和良が言ったためである。恐らく、言葉の真意は『まっぴら』だ。
「さて、行こう行こう」
「ひ、ひととせくん、手、腰に、回しちゃ、だめ、ひやっ」
「この方が歩きやすいかなって」
「あは、はははは! だ、だめ……ちょっと、ひととっ、せくん……ははははは!」
「特殊なプレイを強いてやるな。まだ時計はそれに耐えられるほど改造されてないのだろ?」
「時計だから改造? ざぶとん一まい」
「笑点か」
「ちなみに一まい、もっていかれるからな」
「失笑点か」
「その『点』、別に、点数のことじゃない、あはははははは」
トリオでツッコミは単独。しかも扱いはぞんざいだった。
ちなみに笑点とは『笑いの焦点』という意味、らしい。
商店街まで来てアイスを食べたりしながら、三人は夕暮れ時で客も多くなってきているアーケードの下を歩いた。やがてベンチに座って三人でアイスを食べる。有和良は、のんびりと舐めて食べているのだが服に垂れるアイスに気づいていない。
「ひととせくん。服に、垂れてる」
「ん? どこに」
仕方ないなぁ、と言いながらハンカチを出し、要がジャケットの裾についたアイスを拭いてやる。すると、何か良い考えでも思いついたのかにやりと嫌な笑いを浮かべる有和良。下を向いて拭いている要はそんな表情に気づいていない。
「ありがと、要」
「いえいえ」
そういって、自分の正面に来た彼女に向かって、片腕を伸ばして抱きとめる。わ、と驚いた声を出したものの、なされるがままに要はじっとしていた。横で辻堂がなんともいえない表情をしていたが、有和良はしばらくそのままでいた。
「要も、どこかついてるんじゃない」
「え? ど、どこも、ついてないよ」
「いや、ほらこことか。とっておいてあげるよ」
言っている間にも有和良の指先が近づく。けれど、要はアイスを垂らすようなことはしていないのでふき取る場所などないじゃないか、ということに思い当たる。そう、それこそアイスが付いているのなど唇くらいしか――唇には付いていた。当然。
「ほら」
「あっ、うぅ」
自分のアイスを持っている手をつかまれ、反射的に目を閉じてしまう要。こんな商店街で、いやまさか、と自分の中で諸々の感情がせめぎ合うが、意を決して場の流れに任せてしまう。しかし、いつまで経っても決定的な瞬間は来なかった。あれ? と思いつつ目を開く。
持っていたアイスがほとんど無くなっていた。
「ストロベリー味はおいしかった」
「…………」
有和良の口の端には苺色が付いていた。
「別に有和良はアイスの付いた部分を拭くとは言っていなかったはずだがね?」
「あれ、なんか勘違いさせたかな」
「…………」
完全になめられていた。
「もう、知らない」
サクサクとコーンを口に放り込んで噛み砕き、先に歩いて行ってしまう要。手を放された有和良はあっと短く声を上げたがそのまま黙り込んでしまい、おろおろとうろたえる。ややあってから、かなめー、と彼女の名前を呼ぶが返事は無い。辻堂は要を追いかけて行ってしまったらしく近くに居ない。
一人になってしまった。手を繋いでくれる人間が居ないため、有和良はそこから一歩も踏み出せなくなってしまう。こまったな、という気持ちの横から、焦りと、恐怖が頭をもたげる。つ、と汗が頬を流れ落ちた。
「よわったな。うわ、っと!」
歩き出そうとして一歩前に居た子供にぶつかってしまう。子供と判断したのは、頭がい骨だと思われる固い感触がハラに伝わってきたからだった。と、『感じられない』はずだが、なんとなくその子供に見つめられているのに気づく。その子供は、不思議そうに首をかしげた。
そして、唐突に一言を浴びせかけられた。
「目かくしなんかしてるから、ぶつかるんだよ」
男の子だ、と声で有和良は判断した。言われた通りに、目隠しを外しかける。頭に巻いていた、黒い布を。
そこで、隙間から差し入れた手がざらつくまぶたの表面をなぞり、結局外さないで目隠しを強く巻きなおすことにした。
「ごめん、でもこれがないとダメなんだ」
「どうして」
「目におっきいケガがあるから。こわい見た目なんだって」
「ふーん。ケガしてるんだ」
「ああ……うん」
言われたことを言われたままに受け止める子供の素直さ。むしろ有和良はそれにほっとした。すぐに母親が追いついてきたらしく、すいませんと平謝りしながら遠ざかっていった。人の流れの只中に残された有和良は、川の中州に取り残されたような気分を味わう。動くことは出来ない。
有和良は、目が見えなかったから。正確には、両目を潰されている。
「……ひととせくん! ごめん、とっさに、置いて、行っちゃって」
「まったくだ。あまり感情的になるな時計」
辻堂にたしなめられながら、戻ってきた時計。ざわざわと唸る雑踏の中に残されていた有和良の周りで、チューニングが合ったように二人の声のみが拾われるようになる。周囲が居るのにそれを感じられない、奇妙な孤独感から解放された有和良はすぐに表情を取り戻し、作り直す。笑った顔に。
「――ひどいな。本当にひどい。もうダメだ、おれ歩けない」
「ええ! だ、大丈夫?!」
冗談で言っているというのに、要は真剣な声音で言う。なにいってるのさ、おれはだいじょうぶだよ、と返そうとする有和良だったが、そこでようやく自分の呼吸が乱れ、冷や汗が流れ続けていることに気づく。
孤独感に、今の有和良はひどく打たれ弱い。精神的に孤独に耐性が無く、それも体温を感じられるくらいの近くに人が居ないと情緒不安定になるというものだった。もちろんその横に居る人は、赤の他人ではなく親しい人間でなくてはならない。
足ががたがたと震えているのを、ようやく彼は知覚した。
「少し、休むとしよう。それから宿屋まで送り届ければいい」
「ごめんね、ごめんねひととせくん……」
「なに、あやまってるんだ。だいじょうぶ、ぜんぜんこんなのたいした事じゃない……あやまるなら賃し一つだよ?」
「貸し、でしょ。それでも、いいから。今は、休も?」
「……わかった」
押されて、近くのファーストフード店に入る。適当にジュースを買って、飲んで、十分もすると落ち着く。ただ、有和良本人は気づけない、見れないが。その表情はずっと青ざめていて、手足の震えも止まらなかった。
「……そっか。やっぱ孤独を恐がってんだな、ひととせは」
玄関口で疲れた様子の有和良を受け取った姫は、連れ帰ってくれた二人に礼を言いながら後ろを見やる。葛葉に肩を貸りながら、有和良が階段を上っていくところだった。
「それは……その。二ヶ月前の、ルーマニアに行った時の、戦いのせい?」
「そーなるさな。ひどい、戦いだったよ」
ぼやくように言う姫。
ルーマニアでの戦いが終わった後、有和良はすぐに地元の病院に運ばれ、それから一ヶ月面会謝絶になっていた。そしてつい最近、帰国したところだったのだ。辻堂と要の二人はその間に姫から連絡を受け、有和良の両目が見えなくなったことを知った。それと、あのやたらとスキンシップを求める性格のことも。
「だが、その戦いについて私らは何も。聞いてないのだよ」
「……わかってんよ。元々、すぐに説明する気ではあったんさ。あんま責めないでくれ、こっちもキツイんだぞ」
「責めるつもりじゃないのだが……すまない」
「とりあえず上がってけ。茶くらいは出すからよ」
姫は引き戸をからからと引いて、中に二人を通した。
+
その戦いは、姫たちが突入するほんの少し前に、佳境に入りつつあった。
「あ゛ああああっッ!」
「くっ……!」
放たれるは神器〝神威貫きし槍〟。絶対必中の神の槍。それを駆使したリオの猛攻に喘ぐ有和良は、あと少しというところまで追い詰められていた。
だが、有和良も押されっぱなしというわけではない。投槍である以上、接近戦に持ち込む時は。有和良にもわずかながら勝機がある。槍の連投の間をすり抜け鋭い西洋剣を振るい、確実に手傷を負わせつつあった。
「切り裂け……〝血肉啜る牙痕〟ッ!」
血を吸う剣、吸血鬼により吸血鬼のために作られた魔剣が呼びかけに呼応し、刀身の刃紋が現れゆらゆらと揺れ動く。鋭い刃紋は居並ぶ牙のように相手を威嚇し、その切れ味を存分に伝える特徴となる。横薙ぎに振るわれた剣はリオの腹部を一文字に切り裂こうとしたが、手元に戻ってきたグングニルを盾にされて防がれる。
空いていた左手はその一瞬を逃さず、槍を捕らえようと伸ばされる。これを察して引くリオ、バックステップで距離を置かれまたも膠着する互いの足取り。片手正眼に構える有和良と、右手で槍の中ほどをつかんで投擲の構えを見せるリオ。
だがその時、背後の扉が開いた。マリアを下した姫たちが、リオと有和良の決戦場へと入ってきたのだった。
そこでリオはその槍の穂先を姫たちの頭上、天井へ向け幾度か放つ。元々老朽化の進む城の内部である、容易く崩落する瓦礫の渦は姫たちを襲う。それを察知した有和良はほんの刹那、振り向いて姫たちに警告した。その刹那が、命取りとなる。
槍を手に突っ込んできたリオの方へ向き直った時には、一撃目が左肩を射抜いていた。もちろん、向き直る前に回避動作に入っていて、なおこのダメージ。そしてリオが瞬時に手元へと引き戻した槍は、続いて頭を狙い放たれる。これを避け、攻撃後の隙を突いて剣を袈裟に切り下ろす有和良。その一撃は、右手首を完全に切り離した。槍を戻す手元が、存在しなくなる。
ここにわずかながら慢心が出来たことは否めない。だがそこまで読んで、なおかつ犠牲を払えるリオの方が驚愕に値するのだ。彼は、右手すら落とさせる覚悟だった。ここで確実に有和良を仕留めるため。
『――終わりだ――』
残されし左の拳。ただの素手。しかし薬物や魔草毒草で作成したポーションにより極限まで強化された肉体から繰り出されるそれは、一撃で十分な致命打の魔拳と化している。攻撃後の隙に付け入られた。しかし有和良は剣を構える腕を引き戻し腹部や胸部はガードする。
だが軌道はガードした箇所を狙っていない。握られていた拳はふっと力を抜いたように開かれ、気づくと右からも手首を失った腕が伸びて、有和良は苦虫を噛み潰したような顔をする。
(狙いは、耳?!)
パン、と穿たれた空気圧。
椀のような形で作られた左の掌、そして手首のない腕が、両側から有和良の鼓膜を押し潰した。逃げ場無く押し込められた空気圧は行き場を失い、柔らかな鼓膜を押し通して通り抜ける。三半規管も揺れる。平衡感覚を保っていられなくなり、崩れ落ちる有和良。その一瞬前に、
視界に指先が見えた。そして、爪の先が眼球に押し入る。
――どうなった? と有和良は思った。
両耳と両目を潰され、外界の情報は触覚と嗅覚。そして気配は感じる。だがそれがどうなっているのか。
石造りの床を伝ってわずかにある振動、つまりまだ誰か、戦っている。そうだ。そうに違いない、と己を鼓舞する。
立ち上がろうとした。しかし腕に力は入っているのかいないのかも判別できない。三半規管をやられたためだろう、平衡感覚がまったく取り戻せていない。
そして、やはり力は入っていない、と次の瞬間確信する。どたりと頭から床にぶつかる。そして、もう一度立ち上がろうとして、誰かに蹴り飛ばされる。遠くまで跳ねて、落ちる感触。どうにもならない己の体が恨めしく、さらに力を込める有和良。
……ダメだった。
手元から剣も離れてしまい、支えに出来るものが無い。
離れすぎて振動も伝わってこない。どうなっている。今、どうなっているのだ。そんな思考の声ばかりが頭の中に響く。
永遠だ。
この暗闇は永遠だ。有和良は思った。何も聞こえず見えない空間。空間と時間は似ている。なるほど、空間を永遠の時と評しても変わらない、だからこそ体を奮い立たせた。永遠にして終わらない所など要らなかった。ただみんなのそばに行きたいと。姫、葛葉、ぱとりしあ、柊、白藤、川澄。*人の、宿屋の従業員。有和良を含めて*人でずっとやってきた仲間。*人の、友人。
バランスを保てず崩れる体を。彼は這って進ませる。
どれほど進んだのか。どれほど行ったのか。
わからないから思ったことは、恐怖。
みんな死んでしまったのか。
*人の仲間。友人。
自分しかもうここで生きては居ないのか。
それは嫌だ。果てしなく嫌だ。
いやだ、だから信じない。
おれは信じない。
おれは這じない。
そんなことを考える有和良の顔に、ふわりと暖かな手が触れた。びくりとして、抵抗する有和良。だがその腕を抱きとめた掌は柔らかく、小さく、どこかで、触れたことがある気がして暴れるのを止めた。
姫の手だ、と有和良は感じた。だからその手を、こちらも握り返す。姫は手に指先で文字を書いて状況を伝えた。全員で総がかりになり、傷も負ったが死者は居ない。なんとかリオを倒せた、と。
四季折はどうなったのか宿屋の面子は見つけられなかった。だが後日、城の地下にあった溶鉱炉の横に服の切れ端が見つかり、死後に血を呑まれないようにその身を燃やして自害したのだろうということがわかった。
戦いは、そうして幕を閉じた。
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「まあその間あたしら全員大怪我したし結構大変だったけどよ。わざわざひととせに知らせることも、ねーだろ。余計な心配させたって、仕方ねーんだからさ……そう、思ったんだよ」
「……あの性格の変わりようも、そのためなのかね」
「多分な。明るく振舞って、少しでも、あたしらの気分だけでも、ってよ……そう、思ったんじゃねーのかな。スキンシップをやたらと取りたがるのも、視覚が無いから触れてないと不安なんだと思うぞ。聴覚は戻ったから良かったけどよ」
一度も手をつけられず、お茶はなみなみと注がれたまま机の上に残っていた。既に湯気は消え、温かみを失った湯のみ。それに手をつけ、一口喉を潤してから。揺れる水面を見つめつつ、姫は呟く。
「しかも、ダメージは眼球に留まらなかった。視神経を突き通して骨も砕かれ、前頭葉をやられちまったらしくてよ、数は1か0かたくさんか、でしか捉えられなくなっちまったし、新しく何かを作る、って思考も無理だ。言語能力も落ちて、時々変な言葉遣いになる。眼窩前頭皮質もやられて、規則遵守への意識低下、飲酒や喫煙もするようになったし、会話がやたらと増加するのもそのせいだそうだ」
すらすらと並べ立てる姫。諦めの入ったその語調は、何度も繰り返し確かめた事柄を再確認していることへの苛立ちも含まれていた。その苛立ちには、何もしてやれない己への罪悪感もあるのだろう。
「……となると、独りになると強いショックを受けるのも。その時、戦いの最中に聴覚と視覚を失い暗闇の中で、姫さんたちが全滅していた場合を考えてしまっての症状なのだろうかね」
「ただ一瞬思考するだけならいい。でも、外界からの情報が無い、時間の流れが不明瞭なあの時間を味わったから。その間ずっと思考しちまったひととせにとっちゃ、その想像は延々と永久に繰り返した、最低最悪の悪夢なんだろうさ」
辻堂の問いかけに答え、その恐怖を考えてしまったのか姫も身震いする。永遠とも感じられる時間を、ただ、全滅の可能性という最悪の結末を想像するに使ってしまうということ。その恐ろしさに思い至ると、果てしなく暗い気分に落ち込んでしまう。要もしばし黙り込む。そして、ふと思い当たった事柄。
「しかも……血を吸えなかった、なら。あと、二年しか、生きられない?」
「らしいな」
「そんなのって……そんな」
がくりと肩を落とす要。姫は椅子に深く腰掛け、腕組みしたまま目を閉じる。
辻堂と要は拳を握り締め、友の変容を思い知る。しかも、それだけに留まらず。有和良にはもう、時間すら残されていない。
時間すら。他の、何もかもも。
「『そんなのって』か」
だがそこで、姫は二人に囁きかける。金色の瞳はまっすぐに二人を見据えて、不敵にとまではいかずとも豪胆な笑みを浮かべている。
「『そんなの』で、いいじゃねーか。もうあとわずかしか人生残ってねーのかもしんないけどよ。それでも、ひととせが戦うことに決めた理由っていうのは……きっと、あたしらと、あんたらと、今までの日常を続けて行きたかったから、なんだろうからさ」
口でそういいつつも、唇は絞るようにぎゅっと閉じられる。堪えがたい感情を咀嚼して、飲み込んだように。少しの間を置いて、さらに語りかける。
「あいつがたどり着きたかったはずの日常は、ここにあるんだ。それを、続けていってやろうって言ってんだよ。だって、みんな――ひととせのことが、好きなんだろうからさ」
あたしも――と、口の中で独り言のように囁く。
姫にそう言われて、困惑の色が浮かんだ二人だったが。
最後には、笑みを浮かべて姫に相対した。
「……なら面白くあるべき日常を。面白くあるままにするしかないのだよ」
「うん。わたしも、ひととせくんが、好きだから」
「ああ」
……全ては闇の中。
有和良春夏秋冬の物語は終わりに向けて、こう動くこととなった。
全ては闇の中。
彼が思うことは、彼が闇の中で思うことは、誰も知らない。
わからないからこそ、皆は願う。
せめてそれが、現実と違わず楽しげな表情であるように――。
顔を作る少年の前で、皆願う。
物語の終わりは彼が決めない。
その在り方も、また、正しい。
全く正しい。
正しい。
――――正しいから、なんなんだ。