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三十一頁目 最強の術士にして父の手紙。(末期言葉)

 ツエペシュ城の内部はところどころに蜘蛛の巣がかかる、小汚い中古の城である。中世から使われているというこの城は、吸血鬼の住まう悪魔の城として昔は近隣の村々に住む住人に恐れられたものだ。が、今は気立ての良い美人が二人住んでいるということを、少し離れた村の人間が知る程度。その二人が吸血鬼だなどとは、気づかれていない。

 城内はやたらに広く、やたらに天井が高く、やたらに寒い。塔の最上階までは古めかしいエレベーターが通されていて、乗り込んだこの城の主、マリアがボタンを押すと転落防止用の鉄柵がかかる。その鉄柵に、白い息がかかった。

 我慢してはいるものの、左腕を切り落とされたことで額には汗が浮き、呼吸は荒い。大気圧を操り傷口を直接圧迫しているにしても、早めの処置が必要だった。


 石が並び連なり出来上がった廊下を、コツコツと音を立てながら歩く。一階の玄関ホールは見上げるような天井だが、さすがに最上階までくると低くなる。音も響くほどではない。この城の中ではわりと短い廊下を歩ききると、マリアは自室のドアを開けて棚に向かい、薬草や魔道具を使って傷口を塞いだ。痛みが徐々に引いていくのがわかり、血が完全に止まったのを確認すると、包帯を右手と口でグルグルと巻きつける。

 それから天蓋てんがいのある大きなベッドに寝転んで、無くなった自分の左腕を見つめた。


『……このままだと四季折に心配されるわね。いや、いずれはバレるか』


 日本語を使う必要も無くなったので普段どおりに英語を使い、そして枕元にあった三十センチくらいの短い杖を手に取る。くいっとそれを振ると、暖炉にくべてあった薪が浮き上がり、飛んでくる。


『よ、っと』


 そのうち太めのものを左腕のあたりに近づけ、傷口に繋げるように浮かせる。さらに、細かく砕けた木っ端をいくつも連ねて、木で出来た無骨な義手が出来上がる。大気圧で常時形状を維持しなくてはならないが、その魔力を使うのは精霊であるシルフだ。つまりマリア自身はほぼ無償で魔術を行使出来ている。吸血鬼という人外の身で、魔力のさほど多くない彼女が大魔術を使える理由はそこにある。

 もっとも、契約を強めた際に「寿命を払う」という大きなリスクを支払ってはいるが。


『早めに、使いやすい義手でも用意しないとね』


 そう呟いて、袖の片方無くなったドレスを着替える。着替え終わってスグリ色のドレスの裾を翻したところで、ほこりっぽい空気をかき乱しながら白いドレスの四季折がドアを開けた。マリアは慌てて左手を隠そうとしたが、ずんずんと部屋に踏み込んできた四季折に手をつかまれ、観念したらしい。ばつが悪そうに視線を逸らしている。


『この腕はなんですの?』

『……あー、表で有和良斎と戦闘になったのよ。それで、腕を消し飛ばされちゃって』


 こっそりとマリアが娘の表情を盗み見ると、その顔は紅潮して涙が溢れ、金色の瞳の端から一つ筋が伝って落ちた。怒鳴られたりするよりも辛くて、親であり年上のはずのマリアはオロオロとうろたえる。


『ごめんね、四季折。心配かけて』

『……わかってますわ。そう口では言っても、どうせまた危険が迫れば、一人で全てをかえりみずに突っ込んでいくことくらいは。ええ、わかってますわよ。でも、それでも……子供だって、親のことが心配なんですのよ。少しくらい、教えて、くれたって』

『ごめん、ね』


 木製の義手で、マリアは娘を抱き寄せた。黒く細長い髪が宙に浮かび、やんわりと重力に引かれて落ちる。白い陶磁器のような肌の上を滑り落ちてゆく涙は、マリアのドレスの胸を濡らした。か細い手足。不健康なまでに白い肌。熱に溶かされ消える間際の雪のような美しさ。

 その美しさは、実際もうあとわずかな年月で失われる。処置を施さない限りは。


「…………大丈夫。あと、少しだから。そうしたら、もう戦わないから」

『何を言ったの、マリア母様』

『なんでもないわよ。日本の国の、よく効くおまじないよ』


 日本語を習っていない四季折にはわからないように決意の言葉を一つ吐き、マリアは両腕で娘を抱きしめる。

 決意。たとえ何があってもこの子だけは守る、と。どこの世界の、誰の親でも思うことを。決意するのが必然たる、絶対にして決死の覚悟を心の内に秘めて、抱き寄せた娘の体を離す。平熱も低い四季折の体は、冷たい。しかしその娘を思うことで、マリアの胸には何か暖かいものがこみ上げる。


『夕食を作らないとね』

『片腕になってまで強がりですこと』

『なら少し手伝ってちょうだい、今日はシチューよ。もちろん、無理はしないこと。あなたには体力が無いんだから』

『根性はありますわ』


 するりとマリアの横をすり抜け、オークで出来た扉を開く。その奥は調理場に繋がっており、四季折は椅子に座って包丁を手に、ジャガイモの皮むきを始めた。少し歩いただけで疲れてしまう四季折は、立って作業をすることが出来ない。


『初耳ね。いつの間に根性なんて身についたのかしら』

『んー……でもやっぱり考えてみると、根性というよりは、忍耐といえますわね』

『どういう意味?』


 四季折の横に立って鍋などを用意しながらマリアが尋ねると、四季折はにこりと笑って首にさげていた銀のネックレスに触れる。その様子を見て、マリアが呆れたような笑みを浮かべる。


『なるほどね』

『待つ女は、根性、忍耐が必要ということですわよ』

『いつ帰ってくるのかしらね、リオ君は』


 マリアは娘の大事にしているネックレスの贈り主である少年の、琥珀色の瞳を思い返した。娘と同じ吸血鬼。しかし、彼は既に呪いによるタイムリミットから逃れている。でなければ、自分のために吸血鬼探しをしなくてはならず四季折のことをかまっている暇などないのだ。

 ……吸血鬼。その一族に系譜を連ねる自分が生んだもう一人の子。たった今殺してきた元夫が育てた、娘の実の兄。

 マリアは、その少年の――


『きっと、リオ君は吸血鬼を捕まえてくるわ』


 名前を呼ぶ気には、なれなかった。

 呼べば情がうつってしまいそうで。ありえなかった日常を、過ごさなかった日々を埋めてしまいそうで。


『ええ、きっと』


 だから娘と笑いあう日常を大切に。そのために、

 マリアは息子を、殺す。


        +


 柊は全治三ヶ月ほどの怪我だったらしい。もっとも、天性の体を鍛え上げた結果回復力も並ではないため、それだけの期間に「短縮」出来たのであり、実際のところ常人だったらもっと長くかかるだろう、と医者などには言われていた。

 とにかく助けることが出来たのだから俺としては良かった、と思いたい。だが時折見せる、奴の虚ろで暗く澱み沈んだ瞳を見ていると、修羅の道から救うことまでは出来ていなかったことを痛感させられる。   

 会話も長くは続かない。食事を運んだり手当てをしたりするたびに、ぽつりぽつりと柊は言葉を発した。それは家族のことであったり、自分の学んだ武器術のことであったり。時には、宿屋に居た頃の話だったりした。会話として成り立つというより、あいつが自身の人生を確認しているような「思い出の羅列」。

 長く、長くこいつのこの状態とは付き合っていかなくてはならない。そう思うが、そこまで苦には思わない。帰ってきて、寝入った柊はしばらくの間うなされていた。寝言には、一族と故郷全員の仇である小龍への恨み。呪詛の言葉も多かった。だがそれ以上に、家族や故郷の人間への謝罪が延々と並べられているのだ。聞いているだけで居たたまれない気持ちになる。

 寝言をしょっちゅう呟く柊はかなり熱も高かったので、俺たちは交代で看病をした。その間に、姫が掌を柊の額に置いた時があった。濡れタオルを俺がその間に氷水で冷やしていたのだが、その時、柊は呟いた。

「宿屋のみんな、ごめん」と。

 つくった丁寧語でも冷たい暗殺者の口調でもなく、ただの少年こどものような声で。

 それを聴いただけで、俺はこの先の苦も買って出ることが出来るような気持ちにさせられたのだ。きっと、姫やみんなも。




 そして今。俺は曇った窓を手で拭いて、空の月を眺めていた。もう、月は形を失いかけている。部屋に戻ろうと歩き出すと、足元でぎし、と床がきしんだ。十日ぶりの宿屋。二階の廊下で窓のへりに腰かけていたのだが、身に触れる木材の感触すら懐かしい。そう長く離れていたわけでもないというのに。


「……歳くってアルバム開いてるオッサンじゃないんだから」


 感傷に浸るとは自分らしくない。布団に戻って眠ることにする。

 部屋に入ろうとふすまを開けて、ふと廊下の向こうを見ると、みんな寝静まっているのかとても静かだ。柊は、大丈夫だろうか? 寝返りを打って複雑骨折になったりしていないだろうか。いや、自分で考えておいてなんだがそれはないな。


「寝よう」


 最後に空の月を眺める。中空に薄ぼんやりとした光をふくらませているそれは、輝くナイフの刀身のように見えた。ふすまが閉まり、その光を遮る。静けさが染み込んだ空間、俺の部屋の中で。今日の出来事を記録するため、宿屋主人の台帳を開く。黒い革のカバーがかかったそれを開くと、昨日の頁(頁)に挟まっている茶封筒。

 開く気はないのに、開いてしまう。見慣れた字面じづらがインクを伸び縮みさせて、見慣れた文体を構成する。封筒には何も書かれておらず、開いた三枚の便箋のうち最初の一枚に見出しのように大きく描かれた単語。


『遺書』。


 ぱとりしあの家に四日ほど滞在して、宿に帰ってきた日に台帳を開いて初めて見つけたそれ。

 俺に向けての謝罪文から始まり、謝ってばかりの手紙。


『――思えば君には迷惑ばかりかけた、本当に済まない。それどころか、僕は親の役目を果たせなかった。その悔恨を今、この文に表してしまっている。ダメな父親で本当にごめん。僕は、親なのに子である君を、守れなかったようだ。だから、君は今この封筒を手にしている』


        +


 寒い朝だ。わずかながらみぞれが降って、路面は凍りついている。八尾町駅前の喫茶店「アーガイル」に入った俺は、暖気に触れて黒いハーフコートを脱いだ。胸ポケットに入れていた財布の中身とメニューを交互に見ながら、待ち合わせたあいつが来るのを待つ。

 ふと財布の奥の方を見ると、すみっこに辻堂と分けた割符が入っていた。あいつの奇行がそれだけで思い浮かび、笑いがこみあげてきて、財布の口を閉じる。そこで、カランコロンと店のドアについたベルが鳴った。

 銀髪をなびかせながら入ってきた要は、俺の居る座席をきょろきょろと探し、見つけると次いで笑顔になった。俺も片手を上げて笑みを返し、向かい合って座る。白いセーターに身を包み、胸にさげた銀色のペンダントが目立つ。要は紅茶とチーズケーキを頼み、俺はカフェオレだけを頼んだ。


「急に帰って、きたから。びっくり、したよ」

「これでも遅めに帰ってきたんだよ。まあ用事はわりと早く片付いて、すぐ帰ろうとしたんだけどな。向こうでお世話になった人が俺を引きとめたから」


 九尾との戦いの一件で史朗さんとマリスさんは俺にいたく感謝して、「ぱとりしあを嫁にやろう」とか無茶なことを本気で言うので、断るのに苦労したのだ。結局、ぱとりしあ自身が「やっぱりもうちょっと温厚な人がいい」と折れてくれたので、面倒なことにならずに済んだのだが。久々に辛かった。

 というか俺はそんなに激情家のつもりはない。


「学校には、もう、戻る、の?」

「いや、まだだ。もうしばらくは休学だな」

「用事は、終わったのに?」

「終わったけど新たな問題が出来た」

「そう、なんだ」

「うん」


 そこで俺は言葉を切って、運ばれてきたカフェオレを口に含んだ。要も深く訊く気はないようで、黙って紅茶を飲んだ。フォークでケーキを小さく崩しながら、再度開いた口は別の話題を切り出す。なんとなく、俺はほっとした。


「辻堂君、この前テストで、一位だったよ」

「本当か。まあでも元から頭は悪くないから、少しやればなんとかなるんだろあいつは」

「うん。先生達、驚いてた。でも、怒ってた」

「なんで怒るんだ?」

「成績は上がったのに、全部カンニング、だったから」


 バカかあいつは。急に割符を捨てたくなった。


「アホかあいつは」

「あはは……そういえば、今日は。なんで、辻堂君、呼んでない、の?」

「また後で会うことにした。個別で会いたかったからさ」

「そ、そっか」


 要が必死で振ってくれた話題も、これで詰まってしまった。困ったように少しばかり頬を染めながら、要はケーキをもふもふと頬張る。俺はそんな様子を横目で見ながら、カフェオレを飲んだ。砂糖を入れていないのに、やたらと甘い。

 また少し、無言の時間が過ぎる。店内に流れるクラシックが少しボリュームを上げられたように感じた。俺は静かにカップをソーサーに置き、要と目線を合わせた。

 今日、わざわざ呼び出した理由。用件を、切り出すことにする。表の世界に住まう要とこんな話をするとは、とも思ったし、何より、友人である要に心配をかけたくない、とも思った。それが声を出させることの歯止めになりかけたが、そこは自分を律する。話さず消えることは、友人として絶対にやってはいけないことだと思えたから。


「あと三日くらいで、また旅に出るよ」

「……そう、なの」


 明らかにがっかりした様子。フォークがケーキに向かおうとしていたのだが、しおれた花のようにくったりと皿の上に下ろされてしまった。そのまましばらくそうしていたのだが、やがてその手をくいっと上げて、「続けて」と促した。俺は続ける。


「生きて帰れるかどうかも、わからない。でも行かなければ確実に俺は死ぬ、らしい」


 机の上に置かれた要の白い指先が、微かに震えた。しかしすぐに震えは止まり、うつむいていた視線を俺に合わせる。俺は、目を逸らさなかった。今にも崩れそうな要の表情は、それでもぐっと我慢して感情の発露を押さえ込んでいる。重たい言葉が喉から出たがらない。カフェオレに伸ばしかけた手を、俺は引っ込める。言葉を飲み込まないように。


「そういう、運命らしいんだ。吸血鬼として俺は病持ちで、その病があと二年くらいで俺を食い潰す」


 話す。吸血鬼としての俺が持ちえてしまった死の病について。内容は手紙から読み取った文そのままに話した上、俺自身正直信じられない話だけれど。万が一の時のため、俺は話しておくことにした。

 いや、万が一、なのか? 俺は、本当に、そう思って? ……やめよう。これ以上考えるのは。




 話し終わると要の平手が拳に変わり、ぎゅっときつく握られた。

 俺はそれ以上何も言えず、冷めたカフェオレを喉に流し込む。今度は、味があまりしなかった。要も拳を開いてカップに手を伸ばし、一口紅茶を飲み、そして俺の目を覗き込む。


「それは、わたしには。どうにも、出来ないん、だよね」

「……こっちの世界のことだからな。表の世界に居る要には、何も出来ない」

「そう、なんだ」


 言葉に詰まる。落胆した様子の要。でも俺にとって、要に何か出来るかどうかは問題じゃない。


「……いいんだよ、こっちで何も出来なくても。要が要で居てくれて、表の世界で俺の帰る場所になってくれるなら。それ以上に望むものはないし、それこそが要に出来ることなんだから」

「……そっか。良かった。わたしの思ってた、ことは。ひととせ君と、同じ考え、だったよ」

「どういう意味だ?」

「帰る場所、って言葉」


 にっこりと屈託の無い笑みを浮かべて、要は俺に囁いた。俺もそれに笑顔で「そうか」と返し、それからはいつも通りに談笑した。

 ――このいつも通りというのがどれほど大切なのか、俺は既に知ってしまっている。魔術師のはびこる裏世界では、団体同士で戦争をしていることもあった。いまだに種族間での差別があった。それは表世界でも変わらないかもしれないが少なくともこっちではずっと顕著で、それ故に俺は表でのうのうと生きる奴らを恨むこともあった。

 でも。いつだってどこだって人は戦ってて、休まる人々にあこがれるあまり、俺はそこばかり見ていたのだと、ここに来て気づいた。それからは、裏に居る時でも少しだけ余裕が出来た。確かな心境の変化だ。

 だからこそ、無事に帰ってこようという気にさせられるのだ。


 店を出るとすっかり日は暮れていて、駅前は明るい光で楽しげな雰囲気に満たされていた。しまい忘れたのかつきっぱなしのイルミネーションは一月も中旬のこの時期に輝きを放ち、まだここはクリスマスのような空気が流れている。


「寒くなってきたな」


 ハーフコートをまとい襟を立て、寒風から素肌を守る。屋内から出るだけで渇き冷やされた空気が体中を撫で回し、その余韻として鳥肌が残る。要も同じように寒そうにしていて、白いロングコートの前ボタンをきっちり全部留めていた。さてどうしたものかと俺は迷ったが、そのまま帰路につくことを選ぶ。要も横に並んでついてきて、知らず、互いの間の距離を詰めて俺たちは歩いていた。


「月、もうすぐ。なくなっちゃうね」

「ああ。もう、危ないな」


 明日になれば永夜が来る。吸血鬼がすべからく受ける羽目になる、呪いの一夜。今考えてみると、リオが言っていた言葉の意味もわかったような気がする。もっとも、父さんからのあの手紙を信じるならば、だが。

 ――自分の体が一番、自分の寿命に正直だぜ――


「あの言葉も照らし合わせて考えると、信じざるを得ない、か」


 それでももちろん、父さんが死んだとは思えない。どんな相手と戦おうとも、俺が窮地になろうとも。いつだってにやりと笑みを浮かべながら、符札を片手に並み居る敵を薙ぎ倒す。その術式のためについた二つ名が〝輪廻転回〟。日本に生まれた、世界でも屈指の最強術士。俺の父さん。

 死ぬわけが無い。

 だからアレはただの手紙だ。

 遺書なんかでは、断じて、無い。

 そのはずだ。アレは何かの、間違いだ。


        +


 ――さて、先ほどまで書いた文面で僕の意図は伝わったと思う。これを君が読んでいるということは、僕、有和良斎は戦い、負けて、この世を去った。つまり死んだということだ。その原因は僕にしかなく責任も僕にしかない。勝手に戦って勝手に死んだ。それだけだよ。


 ……そも、戦った理由を書いていなかったか。まずは、そこから話そう。これを語るにはかなり昔までさかのぼらなくてはならないのだが、最後まで読んでほしい。……事の発端は、僕がとある吸血鬼に恋をしたことから始まる。色恋部分はなるだけ端折はしょるので頼むから読んでほしい。真面目な話だ。


 宿屋を訪れた客だったその吸血鬼、名をマリア・ミハイロブナ・クリアウォーターという。足元まで届く長い金髪をところどころカールさせていて、金色の瞳をした本当に綺麗な女だった。彼女と僕は滞在期間の六日で互いに惚れて、それからしばらく一緒に働いたりした。そして、本格的に結婚の許可を得るため、ある時彼女の故郷であるイギリスまで飛んだんだ。そこまでも色々あったけどやっぱり端折る。


 マリアは貴族だった。どこの馬の骨とも鹿の骨ともしれない僕を、受け入れてくれるかどうかは半々。しかし全く手を出していないという僕の紳士的な態度が功を奏したのか、あちらの両親から了解を得ることに成功した。

 まあ、単に僕が臆病だっただけなんだけどね。ともかく、結婚の許可は下りたし、僕らは二人で宿にて働こうということになった。ところが式を挙げた翌日、マリアと彼女の両親は僕を呼んで、重大な話がある、と言った。


 それが全ての引き金だったね。彼女達一族は隠していることがあったのさ。その隠し事とは、一族が吸血鬼だということだった。別段、僕はそのことについては驚かなかったよ。でも、でもだ。その次に彼女達が言ったことには、さすがに驚いた。そして、それが僕の戦う理由になり、君を守る理由になり、ひいては宿を君に任せた理由でもあった。


 吸血鬼一族には、呪いがかかっている。その呪いは、人間達の血と交わることで生まれたと言われる、血の呪いだ。呪いは体の内から吸血鬼を蝕み、闇の象徴である月の無い夜に発症する。激痛に悶え苦しみ、防ぐ術は無い。この辛い時間は永夜エターナル・ナイト、と呼ばれている。ただ、それだけならば良かった。この呪いには続きがある。


 その呪いに体を蝕まれる吸血鬼は、長くても成人を迎える頃に死ぬ、というものだよ。……ふざけた話だ。余りにも馬鹿げていた。でも、君も思わなかったかい? 永夜のダメージが、年々ひどくなっている、と。

 そして最近。その発症の間隔が、狭まってきていないかい? もし狭まっているなら、それがリミットの合図だ。それから二年、たったそれだけ。長く生きても成人、二十歳まで。そこまでしか、君は生きられない。


 マリアとその両親は言った。


〝だからこそ子供は二人産め。この短命の呪いを回避する方法は、同じく吸血鬼の血を飲ませる他は無い。それも、呪いを回避し、この年齢まで生きているマリアなどのような吸血鬼ではなく、呪いを今正に受けている吸血鬼の血でなくてはならない。故に、二人の子を産み、その片方を捧げるほか無い〟


 と、このようにのたまった。

 そのことを知っていれば、僕は多分、子をもうけようなどとは考えなかった。でも、マリアもその両親も、知っていて何も言わなかった。だから僕は子を宿す行為に及んでしまった。悲劇を生む行為を。彼らに言わせれば、そうしなくては、家柄を継ぐ者がいないから、だそうだ。

 ふざけた話だ。馬鹿げた、救いの無い話だ。だから僕は悩んだ。どうにもならない現実に、ぶち当たって泣きそうになった。


 そして僕は本意でないまま、子を両手に抱いた。

 それが、君ら双子だった。


 ――今、僕は子をもうけたことを後悔していない。君に出会えた。色んなことをできた。時には辛いこともさせてしまった。申し訳ないと思っている。挙句の果て、僕は君を守れなかった。だから君はこれを読んでいる。けれど、知ってほしい。忘れてもいいから、聞いてほしい。情けない、親としては最低の僕だけど、今だけ聴いてほしい。


 僕は君に出会えて良かった。人生を賭けるに足る最高の息子に会えて良かった。この思いだけは本物で、朽ちないものであるから。


 だから――その君を手放したくなかった。それに、もう一人の子、君の妹、四季折も。二人共命を繋いで欲しいと願った。僕は願ってばかりで何も出来ない愚図だったけど……それでも、守るためにその時、走り出した。マリアの一族から逃げ、どうにかしてこの子供を生かそうと。

 しかし二人を連れて行くのは辛いものがあるし、いずれ方法を見つければ両方救える、と楽観して片方だけ連れて行くことにした。片方を守りながらその病を治す方法を、探そうと思った。そして、春夏秋冬。君と旅した。


 そして随分時が経った。旅の間、好事家の手先だけでなくマリアからの追っ手もあったけど、君には辛すぎる現実を言えず。ずっと旅して、結果、僕は知った。両方救う、そんな都合の良い方法は無い、と。人という種族の、無意識下の思い、吸血種への負の感情が呪いとなって蝕むこの永遠の夜を終わらせる方法は、人間を滅ぼす他にない、と。

 だからそれからは、方針を切り替えた。マリアと同じように、僕は四季折を狙うことにした。最悪の親だ。偽善にも程がある。いざ窮地になって、僕は自分の道を貫き通せなかったんだよ。


 心はそこで置いていくことにした。


 四季折と僕は、赤子の時に会って以来一度も会っていない。それが、僕には好都合だった。マリアにとって春夏秋冬がそうであるように、僕にとっては四季折という子は他人と言って差し支えない関係性。血の繋がりがあっても、絆の繋がりは無い。だから、殺すことにした。


 非道の行為だ。けれど、それでも。僕は君を生かしたかった。マリアも、きっと必死だった。互い、一番大事な子供のことを生かすためと言いつつ、子供のせいにして水面下で戦い続ける。醜い、醜悪な追いかけあいだった。そして、つい三ヶ月くらい前。君の誕生日の前日に、知り合いから情報が入った。マリア達の居所についてだ。


 僕は居ても立ってもいられず、その情報に従って探しに行くことにした。もうわかるだろうけれど、これが僕の宿を君に任せた理由だよ。少しずつ包囲網を狭めていったから割と前から尻尾を掴めそうではあったんだけど、確証が持てないから君に話すことは結局出来なかった。

 それに、君から僕という強力な術師が離れることはあっちにも好機なわけでね。五分五分の賭けだったけれど、僕が追う間に君に攻撃を行おうとすれば、どうやっても人を雇うための接触が生まれる、所在などの痕跡が残る。それを追って、四季折を捉えようと思った。

 それからは向こうでずっとマリアを追って、ようやく居所を把握して。一度、宿に戻ってこうして遺書をしたためている。この後また向こうに渡って、決闘することになっている。


 さて。でも結局、マリアの契約した四大精霊の一柱、〝シルフ〟に僕は敗北したようだ。この遺書は僕が死んだら台帳の中に現れるよう術をかけたから、君がこれを読んでいる以上僕の死は疑いようが無い。万が一とかは考えるな。僕は死んだ。


 この遺書を読んで、君がどうするのかはわからない。君には、最後までこのことを告げたくなかった。出来る限り、もう君の手を汚させたくなかった。汚れ役は僕だけで十分だ。君は、これからマリアに挑みに行くのかもしれないし、そうしないかもしれない。どちらかわからない、僕は怖くて仕方ない。けれど、死者はもう生者に指示を与えるべきではない。

 ただ一つ、最後に。最期まで。僕が祈っていることがある。願っている思いがある。これだけは伝えたい気持ちがある。それは、君の幸せを思うことだ。長生きが幸せかはわからないけれど、僕は君に死んでほしくなかった。生きていれば、きっと幸せだってあるはずだ、と僕は思ったからだ。


 できれば生きてほしい。なにを選び、どう生きるかわからないけれど、生きてほしい。


 ではこれで、本当におしまいだ。さようなら、春夏秋冬。

 僕は君のことを本当に大事に思ってる。最愛の息子だ。

 だから、幸せになってほしい。

 これが僕の最期の願い。願ってばかりだった僕の。

 最後の、お願いだ。


        +


 つ、と頬を涙が流れ落ちた。


「ひととせ、君」

「ああ……なんでもない。ちょっと、思い出して」


 まだ涙を流す段階じゃない、と言い聞かせる。父さんはああ言ったが、まだ死んだとは限らない。ボロボロで、術を維持出来なくなったとか。生きている可能性はまだまだある。その可能性が低いことは重々承知だけれど。信じ、られないから。


「この旅は、さ」

「うん」

「俺の命を、繋ぐ旅になるかも、しれない」


 それは、逆に言えば命を賭けた旅路になるかもしれないということ。要は黙って頷き、俺の言葉を反芻はんすうしている様子だった。

 俺はさらに続ける。最後の挨拶。もう家は近い。振り返って、夜闇の中でぼうっと輝きを放つように白い、要の方向に正面を置く。


「最強とうたわれた父さんが負けた相手に、俺の勝率なんてほとんど無い。みんなと協力しても、可能性は低い。出来る限り避けたいけど、戦いになればどう転ぶかわからない。けど、きっと。生きて帰るよ。俺はここが、好きだからさ。絶対、戻ってきたいんだ」

「うん」

「だからまた、ひとまず別れを挨拶しておくけど。心配しないでくれな」

「わかった」


 短いやり取り。俺たちは微笑み合う。それだけで十分。

 やがて要の家の方向と俺の宿の方向、二つに分岐する道に出た。手を振り、離れようとする。だが背を向けて進みだそうとした時、要が声をかけてきた。


「ひととせ、君!」

「ん?」


 胸の前で拳を握り、すう、っと大きく息を吸い込む。元々大きな声でしゃべるのが苦手な要は、少し大きな声を出すにもそれだけの動作が必要になる。冷たい空気を幾度も深呼吸して飲み込み、要が口を開く。


「戻って、きたら。伝えたい、ことがあるの。だから、絶対。戻ってきて」

「……約束するよ」

「ほんとに、ほんとだよ」

「必ずだ」




 そうして俺は帰路に着く。辻堂にはどう連絡しようか迷ったが、結局宿に戻って電話を使うことにした。黒光りする受話器を手に取り、じーごろじーごろとダイヤルを回す。いい加減、プッシュホンに変えてもいいと思う。


「ああ、辻堂か。うん。実はあれなんだけど……俺あと二年くらいで死ぬらしい」

《戻ってきて早々頭が沸いたのかね?》

「話すと長いし重要な話なんだけどさ。端折っていいか?」

《重要そうに聞こえんのだが気のせいか》

「どうだろ。信憑性とかが微妙だから」

《与太話に付き合うほど暇ではないのだが》

「嘘つけ……ゲームのBGM、聞こえてるぞ」


 話すだけ話して、バカなことを言い合い。

 やがて会話は終わった。


「まあ、出来るだけ早くに戻るよ。約束もしたしな」

《……そうしろ。おまえさんには待つ人が居るのだ。それを無碍むげにするようなマネはよせよ》

「ああ。じゃあまたな」

《またな》


 自然と出た、また会おうという言葉。

 受話器を置いてからも、なんとなくその言葉の重みが心地よかった。

 表の世界。ずっと縁の無かった、俺の今の居場所。辻堂も要も他の人々も、みんないい人ばかりだ。この場所は、暖かくて心地よい。自然と頬がほころんで、あの手紙のためにずっと沈んでいた気分が少しだけ上向きになった。

 ――さて。

 待ち受ける先に何があるのかわからないが。蛇が出るか鬼が出るか……

 とりあえず、一歩を踏み出そう。

 

 次回、Avenger ending。可能性の話。



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