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三十頁目 『輪廻転回』と”翠風環”。(史上最強)

 リオが立ち去って。

 よく分からないわだかまりのみが残り。


「……行くか。どうせここに居てもやれることはないし」


 突然にあんなことを言われてもさっぱり飲み込めるはずも無く、俺はみんなを促して先に進むことにした。そう、柊の元へ。柊の居場所は、吹雪の中時折聞こえる、金属のぶつかる激しい剣戟の音が伝えてくれている。あの術士を相手にしていては、いくら柊でもそう長くは保たないかもしれない。出来るだけ早く着かなくては。


「なんであんなことをリオが言ったかはわかんねーけど、気にすんなよ。少なくともあたしにゃ、ひととせの寿命があと二年だとは思えねーもん。他にも気がかりなセリフはいくつも残してやがったけどさ、とりあえず今は、やることがあんだろ」

「わかってる」


 姫にはそう呟きを返しつつ、走る俺はどうにも考えてしまい、しかもそれがまとまらない。なんでリオが俺への刺客を幾人も雇っていたのか。なぜ父さんがリオたちを追っていたのか、そして「たち」という複数形の意味は。なぜ俺が残り二年しか寿命が無いのか。寿命は体が知っている、とはどういうことか。さっぱりわからない。

 ひょっとすると、術士は何か知っているだろうか。


「だとするとなおさら、早く追いつかないとな……」

「なにか言ったー?」

「いや、特には」


 術士が柊と戦ってしまっている理由は、柊からの怨恨が理由でしかないらしく、相手の狙いは元々俺だ。俺が姿を見せれば、間違いなくこちらを襲ってくる。もっとも、それを簡単に許す柊ではないだろうが。一応、術士の攻撃に備えて構えておいた方がいいとみんなに警告しておく。

 ざくざくと雪を踏みしめ、白い視界の中で目を凝らす。闇と雪に満ちた視界は気が重くなり、そして歩きにくい地形のせいで、少し歩くだけで息が切れる。人狼の暗示が切れた俺には、少々辛い道のりだ。早く探そうと焦る俺。さっきから剣戟の音が途絶えている。

 すると、行く先に鋭い殺気を放つ影。黒いシルエットでしかなかったそれに近づくと、柊が全力の気迫を術士に叩きつけているところだった。剣戟の音が止んだのは、攻撃が通用しないと見て気を整えようと間合いを空けたかららしい。術士の方はというとオープンスタンスに構えて掌を突き出し、相手からの攻撃を誘っている。


「柊……」


 その覚悟は、裂帛れっぱくの殺気が如実に語っている。暗殺者としての本懐、気配の遮断すら忘れ、怒りのままに己が全てをぶつけようとしている柊。それを阻むことは誰にも出来ない、そんな風に思えた。

 もちろん、俺の前で人死にが出るのはごめんだ。本当ならもうここで止めるべきなのだろうが……気の済むまでやらせないと、きっと柊は止まれない。それに、俺の予測が正しければあの術士に勝つことは今の柊では不可能だ。とりあえず後ろから追いついてきたみんなには待機するように頼んで、俺はことをギリギリまで見届けることにする。術士も柊もこちらの存在には気づいているようだったが、敢えて無視してもいるようだ。


「ッ!!」


 だん、と地面を踏みつけ、襲い掛かる柊。羽織が風に揺れ、短刀が逆手に構えられる。低い、今にも上体に重心がかかって倒れそうな姿勢で、下からガードを打ち払うような左の手刀。それをいなされ、すぐに反撃。短刀を振り上げる。これもかわされる。

 一際強く踏み込んで跳躍。沖天ちゅうてんの勢いで空へ駆け一回転、空中から振り下ろされる右のかかと落としは岩をも割り砕く勢い。しかし『動きを読んでいる』と思われる術士には通用しない。柊の右側へするりと抜け、踵落としを紙一重でかわすと左の掌底で柊の脇腹を襲った。ぐぎ、と嫌な音が響き、骨が折れたことがわかる。

 だが柊は笑う。笑って、その打ち付けられた左手を掴む。短刀の放棄。捨て身の一撃。反撃の刹那。決死の貫手。

 喉を襲おうと渾身の力で放たれた左の貫手は、狙い違わぬ槍のように術士に突き刺さろうとする。だが無意味。術士はその手を払って止めた。そして左足の前蹴りが既にダメージを受けた脇腹を打ち据え、ボキンというさらなる骨の破砕音と共に柊を吹き飛ばそうとする。

 しかし離さない手。万力のような握力でしっかと掴み続ける。手首の構造上脆い位置を、片手で粉砕しようとする。体に覚えた技術の賜物である。


「邪魔だ、小僧」


 そこで蹴り飛ばした左足を強く踏み込み、絡みつく術士の右手があった。パキン、と簡単に、柊の右腕はへし折られ、手も離れてしまう。それでも柊の心は折れない。足袋たびの親指と人差し指の間で短刀を掴み、蹴り上げる形で切り上げる。脇腹を狙った一閃は……また読まれていた。避けられ、腕を折るのに使った右腕の肘が柊の側頭部を穿つ。ダメージが脳まで突き刺さり、柊の手から力が抜ける。

 意識は完全にブラックアウトのはず。だが体勢が崩れて地面に落ちるまでのコンマ一秒で覚醒。左手で短刀を掴み、振りぬく力を加えてスペツナズ・ナイフの射出。回転して迫る刃を、危ういところで避ける術士、肩口にかすって髪の一部が切断される。防弾防刃のベストを切り裂くまでには至らないが、確かに一撃入った。


「小賢しい」


 無慈悲な蹴りが柊の体を吹き飛ばす。元々地面に倒れかけていたので防ぐ術も無く、大きく弧を描いて俺たちの近くに落ちる。脇腹を押さえて、カハッと血液を口の端から零した。俺たちは何も言わずにその様を見続ける。全員が心配そうな表情だったが、柊はそれすら無視した。葛葉や姫などは辛そうにしているが、それすらも見て見ぬフリをした。

 俺も見て見ぬフリをする。もう挽回不可能な現実が突きつけられても止まらない柊には、何もかも無意味だ。


「…………く」


 脇腹を押さえてから走り出し、突然屈んでの足払い。避けるため軽く飛んだ術士はタイミングよく払おうとした足を踏み潰す。膝から足首までの骨、脛骨けいこつがぎしりと音を立て、それより早く膝関節がぐしゃりと捻れた。激痛に身もだえする柊、だが雪を投げて目隠しし、その隙に短刀の柄を心臓近くに打ち込もうとする。その腕もとられ、肘を逆方向に捻られた。

 まともに残ったのは右足のみ。それでは攻撃を仕掛けるどころか逃げることもままならない。


「賞賛しよう。その年齢でそこまでの域へ達するのは並々ならぬ才だ。が、その年齢故に状況判断力に欠けたな」


 息の根を止めるための踏みつけ。狙いは頚椎。そこまで見える頃には、俺が二人の間に割って入った。体当たり気味に止めた一撃、そこで術士ではなく、柊の方が俺をにらむ。

 馬鹿野郎。もう、ここらが限界だろ。


「邪魔を、するな!! 我が、復讐を、止めるな!!」

「復讐も何も出来る体じゃないだろ、馬鹿野郎。根性だけで相手を倒せるのは漫画の中だけだ。今のおまえじゃ、何の暗示もかけてない俺にすら勝てない。今のでわかったろう、おまえは弱い。こいつを、倒せない」


 愕然とする柊、しかしその瞳に絶望を映したのは一瞬、すぐに怒りを燃やす。

 と、まだ話しかけている最中だというのに、術士が俺を捕らえようと流星錘を投げつけてきた。空気の読めない奴め。屈んで回避し、木陰に居たみんなに合図する。途端に始まる援護射撃に援護剣戟、二つの壁に守られている間に、俺は柊を抱えて逃げた。


「何を、今さら、逃げる、だと!!」

「勝てないなら逃げるしかない。そういうことだ。俺もあいつには勝てそうに無い……けど、それは一人なら、だな」


 大きめの木の根元にあったウロの中に柊を置いて、俺は呟く。


「柊。お前も一人でなければ、あの男に勝てた。けどそれは単に戦いで得る勝利じゃない。きっと、もっと別の物だ」


 きっとそれは、俺が宿屋に着てから得たもので。一人で孤独に戦い続け、生き延びることだけを考えていた頃には、無かったものだ。生活全てが生きるためだったあの頃。血に塗れ、血をすすり、それでも必死で生きた、その時には。そんな『勝利』は無かった。

 日本に着てからは宗教心の薄さや魔術団体が閉鎖的であったために少しは静かな『日常』を手に入れたが、それでもまだ、まだ。追われることに慣れて、倒すことに、自分のためだけに戦うことを知っていて。それが、宿屋に来てからは変わった。誰かのために誰かと戦うことを、知った。

 今、言ってから気づいたが――それが、葛葉の言うところの、俺と柊の違いだったのかもしれない。誰かのために、戦ったこと。みんなで居られる、楽しさを知ること。常に家では独りだった俺は、誰かと生活することを覚えた。でもきっと柊は心のどこかでそれが出来ていなかった。どこかで、誰より。家族を、求めていたから。

 けれどこれは言うべき事柄では無いだろう。今言っても、理解はされない。そんな気がした。なんとも形容しがたい表情の柊をそこに残し、駆け戻る俺。森の中、開けた場所で総勢八人の手練の者に囲まれ、術士は少しばかり後退していた。

 俺はみんなを少しだけ下がらせ、前に進み出る。

 柊をあそこまで痛めつけたこの男に正直腹が立ったが、そこは理性で押さえ込む。


「さて……改めて挨拶しよう。俺は有和良春夏秋冬。宿屋『紅梅乃花弁』六代目主人、またの名を吸血鬼、絶対為る真理。そちらは大陸の符術士とお見受けするが、名乗りを上げるほどの礼儀も持ち合わせていないのか?」


 挑発すると、術士は構えた掌と視線の一直線上に俺を並べ、そして呟く。


「礼儀としてクライアントの名は上げられん。だが敢えて名乗るとするなれば、道士・李小龍と名乗る他無きことよな」

「なるほど、道士か。だがそれだけの能力では無いだろう」

屍人キョンシーの術式もあるが。それ以上は答えられぬよ」

「ハッ、今さら隠すことも無いって。風水だろ」


 俺がある程度の推測を基にしたハッタリを言ってみると、小龍は動じなかった。それが何か? と言い出しそうな気配。ひょっとして大見栄切ったのにハズレだったか。俺の内心の冷や汗をよそに小龍は軽く笑い、構えを解いて俺に向き直った。


「いつ気づいた?」


 当たって、いたらしい。この先の推測も当たりかはわからないが。

 呼吸を整え、話し始めることにする。

 どうせこれは、ただの『時間稼ぎ』。


「一応憶測の域を出ていない推測だけどな。九尾の居た霊地、地脈を荒らした、ってところからだよ。あれだけの神格の化け物も、霊地や地脈を乱されればある程度力が狂う。その隙にキョンシーを操るのと似た術式で操ったんだろうけど……それ以上に風水の能力を強く感じたのは、俺や柊が攻撃を仕掛けた時さ」


 避けられる攻撃も避けない。それは九尾を押さえる術式としての役目も、小龍が担っていたからだろう。だが、それ以上の違和感。まず、なぜ避けられる(、、、、、、、)? 確かにレベルとしては中堅クラス、中の上程度の身体能力は有している。にしても、柊や俺の攻撃を易々と避けられるような特級の使い手ではない。


「地磁気、だったか? お前ら風水師ジオマンサーの得意技。地磁気を視て、その流れを乱すものを弾くことで良い気の流れを得る。同じ要領で、こちらが攻撃のため微弱な地磁気の中を進んでくるのを、その風水師としての知覚で避ける。言ってみれば、お前の周囲全てがセンサー。一挙一動全てをそのセンサーで捉え、攻撃をかわしていた。そういうことだろう」


 来るとわかっている攻撃なら、十センチ動けば避けられる。この術士を相手にするなら、銃などの超高速攻撃、わかっていても避けられないそれを使えば良かったのだ。もっとも、ある程度は見切りをつけられるだろうことは明白な上、対策として防弾ベストまで着ているが。

 俺の回答は完璧だったのか、小龍は笑みを漏らした。そして、流星錘も投げ捨て俺に問う。


「で? 能力を完璧に見切った貴様は、完全包囲され最早打つ手すら与えられぬ哀れなるわしを、どうするつもりなのか」


 その地磁気感知能力があれば多分、と思っていたが、川澄さんの残る力を振り絞った蝿縄で囲んでもらっていたことに気づいたらしい。肩をすくめる俺。

 さすがの感知能力も、全方位からの一斉攻撃は避けられない。あくまでも「回避」が専門なこの男は、「防御」に関しては強化していても技術的には一般人と同じだ。もちろん、それは柊にも言えること。いかに鍛え上げられた暗殺者であろうと、元が十二、三歳のガキの体躯だ。アレだけずたぼろにされた今では、少々危険な状態かもしれない。


「単刀直入に言う。俺を狙ってる奴の名と目的を言え。そうすれば生かして見逃してやる」

「話したからとて助かるかどうかはわからぬ」

「これは頼みじゃなく命令だ。言わないなら即座に生き地獄に落とす」

「プロとして、死んでも話すわけにはいかぬよな」

「交渉決裂か」


 ……正直な話。殺しはしたくない。だが。

 生き地獄、くらいの「言い訳」があればある程度非情に為り尽くせる。

 と、思い込む。もちろんそんなことはしない。だが、ギリギリまで相手を脅しにかける。


「川澄さん蝿縄で両腕と脇腹、左足を喰らってくれ」

「よいのか」

「頼む」


 止むを得まい、という顔で、川澄さんが腕を上げる。蝿の群れが、吹雪に負けない羽音で小龍の周囲に並んだ。


「今のうちに話せば楽だぞ」

「戯言を」


 俺の魔眼にかからないため閉じていた瞳を開く。無表情に無関心に、小龍は己の死を受け入れようとしていた。

 こいつは、話しそうも無い。しかも、「戯言」ときた。嫌でもさっきのリオのセリフが脳裏を過ぎる。

 そして現実、目の前を見て。全く、揺るぎもしない小龍の眼光を正面から受けて立つ。俺が腕を振り下ろすだけ、川澄さんに合図するだけでこの男は蝿の餌食になる。そのことが分かった上で、俺を睨みつけ微動だにしない。

 そんな不毛な時間を十数秒。まばたきすらしない小龍から視線を外し、俺は溜め息を吐く。その昔異端者への風当たりがキツイ地域で、異教を信奉したがために捕まり拷問の末に死んだ男が居た。そいつと、同じ目。あの時は俺はその男を助けられなかった。だが今、今俺はこの男の命を握り締めて、ここに立ち尽くしている。

 俺はこいつを、殺せない。最初から、分かっていたことだけど。


「――ダメだ。仕方ない、川澄さん。こいつはしゃべらないよ。ここは逃がそう」

「逃がすまでせずとも、捕えておけばよかろう」

「そしたら自害するだろ、こいつ。俺はそれをしたくないしさせたくない。だから、この一件は無かったことにしよう。ただ、李小龍。一つだけ。お前の雇い主に、『吸血鬼を何故吸血鬼が狙う』とだけ伝えておけ」


 小龍はマユをひそめた。その表情に隠された意図が「心当たりがあるため」か「意味が分からなくて」かはわからない。さすがに、ある程度の戦歴がある人間は表情を隠すのが上手い。やれやれ、とんだ敗北だった。


「……気が向けばその言葉、伝えよう」

「ああ、さっさとどっか行け」


 踵を返すと、小龍は森の闇に消えた。これからリオと落ち合うのだろうか、とふと考えて、すぐに憶測ばかりしてても仕方ないと思考を切り替える。今は、何より柊のことだった。みんなを待たせて、木のウロへと歩み寄る。ウロから這い出てどこかへ行こうとしていたのか、少し離れたところに柊は転がっていた。


「終わったよ」

「……、」

「とりあえず連れて行く」


 二度話しかけ、二度返事は無く。柊を担ぎ上げると、微かに、本当にわずかに、その体が震えたような気がした。それは痛みや寒さからくるものではなく、多分――己の不甲斐なさへの苛立ちだろう。あまりにも自分に怒りすぎて、俺が担いでいることにも気づいていないに違いない。俺は黙って歩き、みんなも黙って歩いた。


「……っ」


 呻くような声を漏らし、柊は泣いていた。

 柊は敗北したのだ。そのことがこいつを生かし、そして復讐鬼へと変貌させるだろう。俺は、それを止めたい。かなり難しいことはわかっているが、それでも。わからないことが多い現状、それだけがはっきりしていたから。


「連れて帰る、からな」

「……勝手にしろ」


 冬の森、深夜に歩く吸血鬼。

 とりあえず一つ、戦いが終わった。


        +


「いや、さすがに参るね……」


 果て無く広がる草原の途中にある古城、ツエペシュ城。その玄関前で、壮絶な戦いが繰り広げられている。武士もののふの甲冑を相棒に逃げ回る斎、それを追い身の丈程の杖を振るうマリア。マリアの背後に居る不思議な雰囲気を持つ少女が杖の動きに合わせて腕を振るう度、草原に穴が穿たれる。


「風を操るだけじゃなかったのか、その精霊」


 鈍い音と共に穴が空く草原。草も土も皆一緒くたに『押し潰され』、円形に大地を陥没させる。マリアは無表情、階段の上から指揮者のように杖を振るい、それに合わせて少女が動くことで斎への攻撃が成り立っていた。またも穿たれる穴、ギリギリで避ける斎。


「契約を強めたのよ。四季折を、守るために。この四大精霊の一柱、シルフとね」


 五行を極めし最強の術士、〝輪廻転回〟。

 風を纏いし魔性の吸血姫、〝翠風環(ストームブリンガー〟。


「良いね君は。僕なんていくら修行してもこの程度でしかない。契約なんてものもしていないから、これ以上なんて望むべくも無い。おかげで、このザマだよ。逃げてばかりさ」

「それでもいいじゃない。あなたには、その五行がある。まさか、私の魅了の魔眼まで『消し去る』なんてね」

「いやあ、一応昔は惚れた女だし。その能力にかかると厄介なんでね、真っ先に『消して』おいたよ」


 瞳を閉じると溜め息を漏らす。マリアの持つ吸血鬼の魔眼はそのものずばり、相手を魅了し己に隷従させる能力を有する。しかし、斎はその能力すら遮断しているらしい。瞳に込めていた魔力を、マリアは杖に移した。

 空気が凝縮される。風呂の栓を抜いたらそこに水が流れ込むように、空気が斎の横に流れ込んだ。

 瞬間、斎の横に居た甲冑がその攻撃を身に受ける。但し、これはただの風ではない。圧縮された空気の大気圧である。

 人間は普段大気圧などあまり感じずに生活しているが、上空まで積み重なっているその圧力は凄まじい重さを生む。マリアの契約した精霊、シルフは四大精霊に数えられ、風、空気を操る。その能力で一時的に空気を集め、大気圧で鉄鎚ハンマーを作っているのだ。

 その威力は、硬い地面に直径二メートルもの穴を量産していることを見れば想像がつく。そして、大半の人間が戦慄する。空気が武器ということは、常に全身に銃口を突きつけられているに等しい。


「それにしても、魔眼なんて必要ないだろうに。よく言うよ」


 だからその威力で、鋼の鎧だろうと問答無用で叩き潰す……はずだった。

 甲冑は無傷。甲冑のクセに無手という奇妙な鎧は、両手を突き出しただけでマリアの攻撃を無効化したのだった。予想はついていた結果であるらしいが、表情が険しくなるマリア。反対に、安堵して胸を撫で下ろしている斎。


「良かった。もし五行だけで、四大元素を術式に組み込んでなかったら、さすがの僕も潰されてたね」

「……よく簡単に異郷の術式や考え方を取り込めるわね」

「基本は全てサイクルしてる。その考え方さえ飲み込めてれば、どうってことはないよ」


 そんな考えでなんとかなるほど、魔術というのは甘くないものなのだが。この辺りに、斎の術士としての並外れた才能が窺える。マリアは溜め息をついて、さらに杖を振るう。斎と甲冑を除いた周囲に、穴が出来た。斎は手にした鏡を宙にかざし、それで空気の圧殺攻撃を防いだらしい。鏡には、先ほど斎の羽織の中から飛び出した符札のうち七枚が張り付いていた。甲冑にも、全身に張られている。


「全てを循環の一部と為す際限無き環……だったかしら? 反則としか思えないわよね」

「言っただろう? 僕は春夏秋冬を守るため他の全てを捨てた。反則しない、なんて紳士的なプライドは真っ先に捨てたさ」


 その符札は七枚一組。それぞれが火、水、木、土、金の五行を宿し、また最後の二枚が空気、風を宿す。四大元素は火、水、土、空気のため、かぶった火と水は用意していないだけ。その七枚の符札が、斎の〝輪廻転回〟の呼び名の元である、最強の術式だった。


「じゃ……そろそろこちらからも行こうか」

 

 斎の呟きに呼応して、甲冑が動き出す。鬼のような面を付けた赤銅色の武士は、武器も無くマリアの方へと突っ込んでいく。先の攻撃が通用しなかったことで甲冑への直接攻撃は効かないと見たマリアは、甲冑が進もうとした先の地面を押し潰した。甲冑はそこに踏み出したために転がり落ち、一メートル程の深さの穴の中で落ちたかぶとを拾いなおしている。


「本当に、効かないのね」

「もちろん。誰が作ったと思ってるんだい」


 甲冑は穴をよじ登る。そしてその重量を感じさせない機敏な動きで、マリアの居る階段下まで真っ直ぐに走ってきた。甲冑の各金属部分が擦れ、硬質な音を響かせる。死神の足音のように。

 真っ直ぐに跳躍。甲冑はその身の内に隠していた大太刀を振りかぶる。刃紋も何も無い無骨な造りのそれは、切り裂くためのみに作られし純粋な凶器。切っ先諸刃造りの剣先は、マリアの立つ位置へと垂直に振り下ろされる。大理石で出来た床を、一筋の傷でもって切り裂いた。マリアは、風に乗り空へと逃げている。


「対空武器は持ってないのにずるいね、と――うそぶいてみようかな」


 空中へ逃げたマリアを見上げ、ぽりぽりと頬を掻く斎。その懐から取り出した小ぶりなチャクラムを、一気に二つ投げ飛ばす。円形の刃は回転しながらマリアに迫る、だが難なく高速移動されて避けられた。

 その時チャクラムが、爆ぜて方向を変えた。


「?!」

「忘れたかい? 僕はあくまでも『全ての五行を同時に使える』だけであって、同時に使わないことだってあるよ。要は状況に合わせられるということが強みなのさ。たとえば、こうやって火遁かとんのみ使うとか、ね……!」


 迫るチャクラムをかわし、ドレスのスカート部分を少しばかり『消される』マリア。舌打ちして杖を振るい、斎に向けて大気で大瀑布を放つ。地表を等しく、巨人が戦棍で薙ぎ払ったかのような一撃。斎は鏡を正面に構えてそれを打ち消したが、草原に生える草がほぼ全て、斎の後方五十メートルまで同じ向きに潰された。


「……本当、反則じゃないのよそれ……ッ!」

「まあそう言われてもね。反則を目指して作った術式だ、お褒めの言葉と受け取るよ。この相克の環は確かに反則だ。でも、それだからどうしたっていうんだい? 元々、戦いに手段なんて選んではいられないじゃないか。特に、僕と君みたいな理由で争う時は」


 相克の環。それが斎の辿りついた五行の最強術式。

 やっていることは単純明快。ただ、「五行全てをほぼ同時に発生させている」のみ。 

 五行は火、木、土、金、水と五つから成り立ち、その全てが循環している。それは、相互に相互の力が働きあい生かしあうという〝相生〟と、相互が相互を破壊し合うという〝相克〟の二つに分けられる。今の斎がやっていることは後者で、火を燃し水で消し、というサイクルを、超高速で循環させているのだ。

 そこに何らかの干渉が起こる時。この世全ての物は大抵五行のいずれかに属するため、刹那の間にそのサイクルに「巻き込まれる」。瞬間、相克する属性に消され、干渉物は消滅するのだ。そしてこの術式の何が恐ろしいかと言うと、循環しているため魔力の消費がかなり少ない。しかもどんな大質量の攻撃も、少しずつ迅速に削り取って消滅させてしまうということ。無駄が無いのだ。

 もっとも、その相克のサイクルは少しでも力の加減を誤ればどれかの行しか発現させられない。天才的なセンスを持つ、斎だけが使うことを許される能力なのだった。さらに、今の斎は西洋の考え方である四大元素までも術式に組み込んでいる。そのため本来五行の考えにはなかった、風や空気を消し去ることも出来るようになっていた。


「飛び道具に術式を刻めば空気抵抗も無く飛ばせる、だから私の能力でも打ち落とせない。何が対空武器は無い、なんだか」

「チャクラムは循環する環の形だからね。わりと好きな武器なんだ、だから持ってただけだよ。あと、隙だらけだ」


 落ちたチャクラムの位置から、土遁を発する。ぼこりと盛り上がった土を操り足場を作り上げ、五つ、階段状に高くそびえたつ四角柱を構成すると、その上を飛び行く甲冑。最後の足場を先に崩そうとマリアが杖を振った時には、既にその大太刀が振りかぶられていた。刀身には術式が刻まれており、甲冑同様にどんな攻撃も通用しない。


「だからと言って、当たらなければ無意味ね」


 横にかわすマリア。横薙ぎに振るった一刀は空を斬り、マリアは通常の落下速度よりも風で加速を付けて地表へ降りる。もちろん、着地の瞬間はふわりと、空気の球を踏みつけて衝撃を殺す。そして杖を振るい、斎にその先端を向ける。


「……何も起こらないな」


 甲冑は動きを止めない。纏う空気も相克のサイクルで打ち消すため、空気抵抗無く着地し、その速度は速い。そしてすぐに突進し、マリアに刀を向ける。刺突。袈裟切り。逆袈裟。逆風。唐竹割り。横薙ぎ。止まらない連続攻撃を、甲冑の足元を陥没させたり自分に風を当てて高速移動したりすることで華麗に避けるマリア。それを目で追う内、斎は違和感を覚える。


「がっ、は、……!」


 ふらりと倒れかける斎。だがかざしていた鏡を自分の周囲に向けて使った。ぜえはぁと荒い息を吐いて、ごほごほと咳き込む。腕を上げると、一瞬止まっていた甲冑の反撃。腰溜めに構えた刀を振り上げ、手首を返して元の位置まで切り下げる。その両方を地に手をついてバック転して避け、踝まであるカールした金髪を手で払う。余裕の仕草に、斎は苦笑した。


「油断、した」

「そうね。おかげであなたの意思が無ければ甲冑が動かないこと、術式の維持も出来ないことがわかったわ」

「にしても、えげつない、な。……まさか、僕の、周囲だけ……二酸化炭素でも、増やしたか」

「空気を自在に操るのだもの。それくらいは容易いことよ」


 空気中には、普段そこまで多量の二酸化炭素は無い。だがもしドライアイスなどの使用で空気中にその量が増えると、三、四%でめまいや吐き気、頭痛を起こし、七%あれば数分で意識を失い、死に至ることもある。

 今マリアは周囲からできる限りの二酸化炭素を集め、斎の周囲だけ十数秒で危険域になるほどの濃度にしたのだ。もっとも、二酸化炭素は本来空気より重たいため、ドライアイスの使用などではこのような事態にはならない。ひとえに、マリアが気体を操った故の結果だ。


「さすがのあなたも、呼吸のための空気は通している箇所があると思ったのよ」

「ま……呼吸しなきゃ、生きてはいられないしね」

「ということは、こんなことをすればどうなるかしら」


 またも杖を振るう。不吉なものを感じて、斎は走り始める。一箇所に留まればマリアの術の餌食だと。そして片手を振り上げ、甲冑に命令を送る。だが、甲冑はその場から動かない。


「今一瞬、あなたが咳き込んだと同時に止まったのが分かったから、その隙に真空を作って甲冑の足の裏を地表に密着させてもらったわ。もちろん、足回りの符札は薙ぎ払ってね。知ってるかしら、物体と物体の接地面の間に少しの空気も無い真空状態になると」

「周りの大気圧に圧されて、物体同士は密着。離れなくなる……だろう?」


 自分で説明したかったのか、わずかに鼻を鳴らすマリア。引き続き杖の先端は斎を追い、斎はそれから逃げる形で走り続けている。今のところは体に変調は見られないが、いずれにせよ早期に決着をつけないとならないな、と斎は考える。そして実際、それは正しい。

 マリアは周囲から酸素をどんどんと減少させていた。その時、斎が地表に鏡を触れさせて土遁のみ発現、今度は岩人形ゴーレムを作り上げる。二メートルを越えるゴーレムは、走り逃げる間にどんどんと増えてゆく。

 分裂し増殖するゴーレムで視界を覆い、その隙にこちらを狙うのだろう。そう考えて、杖を振るうマリア。後ろで頷いたシルフは、手をかざして大気を圧縮してゆく。その間も、のろのろと動く出来の悪い人形はやたらと長く太い腕を重たそうに引きずりながら、わらわらと増えてゆく。

 それらは端からことごとく薙ぎ払われてゆく。ドミノ倒しのように潰され、倒れ行くゴーレム。そしていつしか、マリアは気づく。何十体と潰すうち、斎の姿が忽然と消えたことに。歯噛みして周りを見回す。空に飛び、土の中に紛れたであろう斎の姿を探す。だがその姿はどこにも見当たらず、マリアは自分が潰したゴーレムの亡骸たちをさらに一撃、地面が深く陥没し軽い地震が起こるほどに叩き潰す。


「どこに……」


 と、マリアの上に影が差した。直感で見上げるより先に体を逸らす。すると、左腕の肘から先が消し飛ばされた。血を噴出すのにも時間を要する、消滅の相克。上を見上げると、減音機サプレッサーのついたオートマチックの拳銃を両手で構えた斎が空に影を躍らせていた。どうやってそこに移動したか、などと脳裏をよぎる考えはあったが、瞬時に回避行動に移る。

 そんなマリアに向け斎はさらに連射。弾丸には細かく術式が掘り込まれているらしく、先ほどまでの相克の環と寸分違わぬ効果をもたらし、大気圧の壁も平気で押し通してくる。マリアは瞬時に周囲の湿った空気を集めて圧縮、水滴を精製。それを今度は四散させて、霧を作り出し狙いを外させる。


「こんな、ギリギリまで奥の手を隠していたとは」

「予想外だったかい? でもこれ、時間をかけないと作れないしそう何度も使えるわけじゃないんだよね。これで弾切れ」

「嘘つきね」

「うん、そうだよ。実はまだマガジンが一つある」


 地上に降り立ち、腕から流れる血を大気圧で止血する。肘から先はどこに落ちたかわからない上、断面は消されているのだから繋げるのも難しいだろうと判断。おとなしく諦めて、空中から降り立った斎に向き直る。油断無くこちらに銃口を向ける斎。


「でもその技、銃弾一発ずつに術式を込めて撃ち出すのなら、魔力の消費が激しいんでしょうね」

「それも難点。僕はそう魔力の多い方じゃないしね、こればかり使うわけにもいかない。これは本当だ」


 けれどそれは関係ないだろう? と笑みをこぼし、眼鏡を押し上げる斎。そう、マガジンを交換したため、あと斎には十一発の攻撃が許されている。これだけあれば、マリアを仕留めることも出来ないわけではない。溜め息を吐き、マリアは尋ねる。


「なら、最後に一つ。どうやってゴーレムの群れから移動したのよ?」

「簡単だね。わずかながら僕も風を操れる。それで飛んでいったのさ」


 それは出来なくは無いだろう。マリアはあくまでも風を操っているだけで、風を感じ取るタイプの魔術師ではないから。自分の風にかき消されそうな力の流れなど、感得するには至らない。だが、それをすればいくらなんでも斎が空へと上がるのが見えてしまう。それをどうやって隠したのか、というのがマリアの一番の疑問点だった。


「火遁、だよ」

「火、を……?」


 こくりと頷く斎。その手に灯った焔が、ゆらめく。そして、焔は地に落ちた。しかし熱が上へと上がっていき、斎の掌の位置を視覚的にずらす。マリアは苦笑して、納得した。


「蜃気楼ね」

「そういうことだよ。火遁で熱を発生させ、蜃気楼を作ってみた。それで僕の姿を見えないようにして、空まで上る。後は、僕の姿が無いことに気づけば、君はうろたえてとりあえず間合いを空けるだろう。君の攻撃手段は遠距離で十分なのだし。お得意の風に乗って空からの鳥瞰図ちょうかんずを見、僕の姿を探すだろうと思ったからね。必殺の武器を構えて、ずっと待ってたわけさ」

「どこまでも嘘吐きね。飛び道具は無いんじゃないの?」

「モラルなんて捨てたからね。じゃあさようなら、僕の元妻。良い黄泉路を」


 引き金に指をかけ、斎は冷たい表情と目つきを宿す。マリアは杖をつき、ちらりと周囲を窺った。さっきからずっと続けていた行動。会話は時間稼ぎ。そして小さく笑った。瞬間、陥没する斎の周囲。斎の乗る円柱のような地面を残し、リング状に穴が空く。困ったような顔で、斎は諦めの悪い元妻を眺めた。


「もう無理だよ。チェックメイトだ」

「ところが、その辺にナイトが転がってたみたいね。予想外の動きをしてくれそうよ」

「知らないね」


 再度、狙いをつける斎。だが、引き金を引く前に、がくんと足場が崩れ落ちた。円柱が、潰される。


「甲冑を見てて気づいたのよ」


 それでも構えは崩れず、斎が三発の弾丸を放つ。そのどれもが、マリアには掠ることも無かった。


「あなたその術式」


 あくまで冷静に。自分の窮地を感覚が知り尽くしているからこそ、止めを早く刺したほうが勝つと。引き金を引き、一発がマリアの髪を捉える。もう一発はドレスの裾を。二発は外し、一発肩を掠める。血が出ても一向に気にしない様子で、マリアは前進を始める。斎はさらに撃とうとするが、弾がジャムまる。先に詰みだと言った人間に対し、なんたる皮肉か。


「――足元には、展開されていない」


 崩れた足場から吹き込む風。

 大気圧に潰され、斎の臓物の全てがひしゃげる。口から信じられない量の血液を吐き出し、斎は平らに押し潰された己の体を見た。頭を潰さなかったのは、何かの慈悲か。一瞬目を向けると、マリアはこちらに向いて微笑んでいる。術式が解けた斎は、その魔眼の効果、魅了に犯される。

 悔しいが完敗だった。斎はもうその気持ちをどこへどうすることも出来ないことに、激しい苛立ちを覚える。後悔と怒りと悲しみとそしてわずかな愛情と。それらを混ぜたような混然とした心持ちを抱え、ふっと思考する。それが最後の思考になるだろうことは分かった上で。


(……負け、か。そも、マリアが女だった時点で、僕の、ま、け――)


 瞼を閉じて倒れる斎。世の全てを皮肉ったかのような笑い顔で、陥没した穴の中に落ちていった。


        +


 それは十六年前。斎とマリアが子をもうけた時のこと。


 斎はマリアが吸血鬼であることを知らず。吸血鬼一族が代々受け継ぐ呪いを知らず、悲惨な運命を辿る子を二人、生み出してしまった。斎は二人共生かそうと主張した。マリアは、それは出来ないと言った。それが、二人の決定的な差。どちらもと言った父とどちらかと言った母。たもとを別った二人は、互いに殺しあう運命を選んだ。


 追っ手は強く。激しく。斎は、貴族の血統でもあり『権力』という別のベクトルに力を持つ者の恐ろしさを、身で以って思い知ることとなった。いや、それを知るのが自分だけならば良かった、悲しいことに彼の息子もまた、そうした恐ろしい戦いのおぞましさを知ってしまうこととなる。殺し合いの渦巻く修羅の巷へと、足を踏み入れさせてしまったのだ。


 聖堂騎士団ホーリーナイツ傭兵部隊マーセナリーフォース吸血鬼狩ヴァンパイアハンターり。ありとあらゆる人脈を使い、攻めて来るマリア。斎は時折息子を守りきれず、結果として春夏秋冬はその手を血に染めた。生き抜くため。


 そのことを知って斎は苦悩した。自分ではなく、子が苦しんでいるという事実に耐え切れなくなりそうだった。だが止まるわけにはいかない。今まで息子にやらせてしまったことを無意味にすることは、親である彼には出来なかった。


 これまで春夏秋冬を襲い来た刺客、そのほとんどがマリアの手の者。それを打ち払い生活を続けてきた斎だが、さすがに限界が来た。そこで急遽、それまで迷惑をかけまいと戻らなかった宿屋へと、戻ることに決めた。これが三年前のこと。


 それからは極力、斎は宿屋を出入りするようにし、春夏秋冬の居場所を隠蔽することに努めた。案の定宿屋が襲撃を受けることは多くなったが、手練が揃う宿屋でなら被害も少なく済む。そう己を偽ることとした。


 斎はマリアと居場所の探りあいを続けた。所在を隠蔽し合う二人、しかし斎は春夏秋冬を敢えて日常の生活流れる学校に入れることで、裏世界にいるマリアはある程度手を出しにくくした。その間に着実に手を伸ばし、そしてつい四ヶ月前の十月。ようやく尻尾を掴んだ。


 斎はこれからは自身で動く方が得策と考え、宿屋を息子に任せて英国を飛び回ることに。それに加えて、宿屋という一定箇所に息子を置くことでエサをちらつかせ相手の攻撃も誘った。なんらかの刺客を送れば行動は誰かの目に、耳に入る。そのわずかな情報を追い、斎は探し回った。


 ただひたすらに、子を救いたいがために。


 愛し合ったはずの女を殺すことも、自分の血を引く娘を殺すことも、いとわなくなった。それは相手も同じことで、両者は似ていた。だからこそ一緒には存在していられなかった。一つしかない『生命』を奪い合い、双親は争いを続ける。どちらも己の子だが、彼らにとって自分の子はたった一人。そんな矛盾も正だと開き直り、相手の子の命を常に狙う。


 なら二人は互いを嫌いあっていたか。それは違った。それはまた違った問題だった。


 とはいえ、この事情が無ければ今も共に仲良く暮らしていたかと言えば、そうでもない。それは両者感じていることだ。なぜなら、決定的に考え方が違い、それは譲ってしまえば自己のアイデンティティーを喪失してしまう類のものだったから。彼らは相容れず、潰しあう運命。それなのに愛し合ったという矛盾。だが矛盾などなんでもない。


 どちらもただの人の親であり、家族であり、恋人であった。それだけ、だった――


        +


 最強の術士、〝輪廻転回〟はそうして息子のために生涯を捧げ、願い叶わぬままに散った。他に誰も知らない激闘の過程と結果を唯一知る女は、元夫でありたった今殺した宿敵を、ゆるりと見下ろす。その目に宿る感情は、他者には窺い知れない混然としたもの。唯一その気持ちを共有した相手を見つめ、マリアは声をかける。届かぬ声と知りつつ、それでも。


「惜しかったわね。最後の銃撃、あなたが蜃気楼の種明かしをしなければ当たっていたでしょうに」


 空気を操り屈折率を上げることで斎の狙いをわずかに逸らしていたマリアは、空気の壁の向こう側から現れる。そしてかつては愛した男の亡骸を前に、片腕でスカートの裾をつまんで持ち上げて見せた。最後の礼。斎は動かない。心臓も肺も肝臓も胃袋も腎臓も腸も骨も何もかも一切合財、叩き潰されたのだ。出血多量などというよりも、激痛によるショック死の方が先に到来したことだろう。


「私の勝ちね、斎」


 最後に大気圧で土を飛ばし、穴を完全に埋め。その上に立ち尽くすと、吹いてくる西風に髪を遊ばせた。

 周囲も凄惨な戦場の痕を残し彼女自身も大怪我を負っている、にも関わらず、涼やかな顔は絵になるそれだった。持っていた杖を、墓標の代わりとばかりに土に突き立てる。背後に居たシルフはそれら一連の作業を何するでもなく見守っていたが、マリアが歩き出したのを見てその後ろについてゆく。


「さようなら、私の愛した男。多分、今でも嫌いじゃないわ」


 どうでもいいか、と一言付け足してマリアは歩き去る。

 我が子の待つ城へ。

 彼女は、誰よりも我が子を選んだのだから。


 ――風が一陣、吹いた。



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