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二十九頁目 雪降る森でのウィル・オー・ウィスプ。(鬼火蒼焔)

「気づいてはおるだろうが、柊の一族は裏稼業の名門だ」


 常人の動きではなかったあいつについて、川澄さんはそう語った。忍者、ってやつなのかな。


「柊は実家からの意向に従い、主人を襲った。その一族についても様々な逸話があろうことだ、その上柊自身も幾度も裏稼業で人を殺害しておる。そういう一族に生まれ、柊は自身の才能を開花させ、人殺しの技能に長けた」

「へんな話だし、こんな言い方間違ってるんだろうけど……俺と、少し似てるな」

「ああ。主人と同じ点もある。殺しは嫌いだった、とのことだ。そこはまだ救いがあるが――だがそれは問題ではない、そうであろう? 問題なのは、結局のところ柊は主人ではなく一族を選んだ、ことこの一点に尽きる」


 川澄さんは自分の意見を終えて、また煙草に火を点けた。

 結論は短い。俺は、柊が義を尽くす相手として、選ばれなかったのだ。それだけの話。もっとも、家族か同僚かどちらかを選べ、という選択肢をあの年齢で迫られたこと自体、相当辛いものだろうということは想像に難くない。そういうこともあるのだし、俺は柊に対して怒りを燃やすことはまず、無いだろう。

 その後もしばらく、川澄さんは俺に柊のことを話してくれた。類稀なる才能を有しながら殺しを嫌ったため、一族の中で爪弾きにされていたこと。そのために奉公という形で体よく追い出され、宿屋へと着いたこと。最初は宿屋でも浮いた存在であったこと。だんだん打ち解けていったこと。

 それでも、柊は俺たちから離れることに決めたのだ。その決意を俺は悪く言わない。どんな選択であれ、あいつは自分で選んだのだから。どんな形であれ、表に出した感情こそが、本心と呼んでしかるべきものなんだろうから。




 夕食に呼ばれ、俺と川澄さんは部屋を出た。柊がそこにいなかったことについては、みんな何も訊いてくることは無い。過ぎたことは考えても仕方ない、とは言うが、人間は過ぎたものがあるからこそ成り立つ、だから振り返ることはどうしても多い、と俺は思う。

 ともかく、俺は未だに自分の行動が正しかったのかを考えていた。その時はこれがベストだと思えたことが、たった一言の拒絶だけでどんどん自分の中で価値を失っていく。

 本当に――俺は、何が出来たのだろうか。


「何しけたツラしてんだよひととせ」


 呼ばれて視線を横に下げると、姫の金色の瞳と目が合う。


「聞き耳立てるのは悪いかと思ったんだがさ、聞いてたよ」

「ああ、だからみんななにも言わなかったのか」

「悪いね。でも、あいつも、ぱとりしあと同じだ。ただ仕事だからやっただけで、あたしらのこと心底からどうでもいいと思って、やったわけじゃなかった。それだけでも……だいぶ救われた気がしてんよ」


 強く俺も同意を示した。けど、それでもなお。


「人間、いつまでも一緒に居られるわけじゃねーよ。あいつとは、別れがちっと早かったってだけの話だろ」

「……それはそうだけどさ。違う。俺が思ってるのは別れることじゃない」


 別れなんてものはよく見たし、体験したし、その大半が哀しみの別離だった。

 一緒に居られなくなる。その時笑って別れられる人間なんて、気楽で平和な場所に居る奴だけの特権だ。でも、俺は喉から手が出るほどにその特権が、欲しかった。出来ればまだあいつと一緒に宿屋で働きたかったが、それをあいつが望まないなら俺もそれを望まない。

 でも笑って別れられるくらいの余裕は欲しかった。それを無くさせたのは……なんなのだろう。俺の器が不足だったか。あいつの心に何かあったのか。

 俺には分からない。


「なんでもかんでも、自分の思ったとおりにゃいかねーぞ。別れを望まなくても、自分で作り出しちまってることだってあるんだからな」

含蓄がんちくのある言葉だね」

「――実体験、さな」


 つかつかと前を歩いていく姫。俺はその後に続き、先ほど居たダイニングルームの中に入ろうとした。しかしぱとりしあが後ろから俺たちの襟元を掴み、こっちこっちと方向を変える。ダイニングルームとは反対の方向、しばらく歩くとまたも大きな扉。

 抜けると、天井から大きなシャンデリアの吊るされたダンスフロアがあった。どこからか音楽が流れており、奥を見ると俺たちをここまで送ってくれたカイゼル髭の執事さんがピアノを弾いている。静かな曲が演奏されたいた。


「夕食じゃないのか?」

「夕ご飯だよ? でも、ダンスパーティも兼ねてるの。宿屋ご一行歓迎パーティ~」


 ささ、とぱとりしあに背中を押され、メイドさんたちに引っ張られ。気が付くと別の部屋で、着替えの服を手渡されていた。俺には黒のタキシード。川澄さんには燕尾服。シルクの手袋まで上に置かれていて。

 こんなときにパーティーか、と思ったものの、溜め息を吐きながら着替えることにする。郷に入っては郷に従え、とかいう言葉があったっけ。朱に交われば赤くなる。……これは違ったか。


「遊んでるような場合なのか、今って」


 背広の袖に腕を通しながら俺が問うと、紳士ジェントルマンという形容が相応しくなった男がそれに答えてくれる。


「戦の前には戦勝を祈願し祭事を開くことが多い。それと似たようなものだろう」

「約束を交わし酒を呑み、次に交わすのは勝利の美酒、ってやつか」


 Wineのなかにはwinがある、なんてやつかな。


「何の意味もないが酒を呑むための理由付けとでも考えておけばよいさ。まあ、奴らにとっては本当に、無事を祈ってのものだろうがな」


 鏡を見ながら白いネクタイを整える。川澄さんとは違い、まだまだ俺は服に着られているという印象が強い。せめて、もう少しばかり身長があると助かるのだけれど。もうあと五センチ。そうすれば、俺も今よりは。


「……似合うかどうかは心構えだ。身長が百七十に到達しようがしまいが、な」


 そんな俺の内心を読んだかのように川澄さんが嘆息した。


「百七十ある人はそういうことが言えるんだよ」


 ワックスがあったので使うかどうか迷うが、どうせこのぼさぼさ髪は直らないだろうと諦める。最後にシルクの手袋を付けて、俺は川澄さんの後から部屋を出た。ダンスフロアには壁際のところどころにテーブルがあり食事が用意されていて、立食パーティの形式も取っているらしきことがうかがえる。

 広いフロアは静かな音楽に満たされ、よく見れば隅の方にヴァイオリンやチェロなど楽器も増えている。と、フロアの中央辺りで話していた史朗さんとマリスさんが近づいてきた。二人も既に正装だ。


「どうだ、なかなかのものだろう」

「でもフロアの広さと人数が釣り合ってない様に感じますが」

「やかましい。大は小を兼ねる。そんなに言うなら執事や侍従も躍らせるさ」

「史朗、上手く踊れないのにそんなこと言っていいですかー? メイドの方が上手いですよーきっと」


 軽くそれだけの会話を交わすと、本当に呼びに行ったのか史朗さんは早歩きで部屋から出て行く。その後ろを、小走りでマリスさんが追いかけていった。人数が増えるなら、まあそれはそれで構わない。なんだか沈んだ気分でいるというのに、少ない人数でダンスなんかやってはいられないから。

 とは言ったものの、俺のこの気分が晴れることは多分、無い。一生、心のどこかで小さくでもうずき続ける。心に負った傷というのは、そうやって簡単には治ってくれない。和解出来ず去ってしまったあいつのことは、俺の苦い思い出として延々と残っていくだろう。

 もし、もしも。この上さらに、ぱとりしあまで九尾との戦いで命を落とすようなことになれば。俺は、今度こそ心が折れるかもしれない。


「は、なんでこうも問題が山積みになるんだか」

「何か言ったか、主人」

「別に……ところで川澄さん、ダンスは出来る?」

「フォークダンスならば多少は」

「盆踊りとか?」

「なにをいうか……」


 なぜかぎくりとした表情で、川澄さんは一歩引いた。

 フォークダンスとは土着の踊りのことを指す。つまり、日本固有、土着の踊りという解釈でフォークダンスという言葉を使えば、盆踊りという誤変換も可能になるということだ。川澄さんは少し眉間にシワを寄せながら、テーブルに置いてあったグラスを手に取る。中にはシャンパンが注がれていた。


「踊らずに壁際に居ればよかろう」

「そういう人を、女性だと『壁の花』男性だと『壁のシミ』って言うらしいけどね」


 シャンパンをあおっていた川澄さんはグラスから口を離し、壁に背を預ける俺に鋭い視線を浴びせかける。手元のシャンパンをかけたりしないところが大人な対応だ。やがてふん、と鼻を一つ鳴らし、グラスを一気に傾ける。


「ずいぶんな呼ばれ方だ」

「女性なら立ってるだけで花になるけど、男で独りっていうのはもう見てて痛々しいから」

「詳しいではないか」

「多少は英国の方で踊った経験もあるからね」


 剣舞とかを真剣で殺りあうことの方が多かったが、これは考えても仕方が無い。嫌な記憶を追っ払った。


 やがて、女性陣が更衣室から出てくる。姫は赤いドレスにヒールを履いて、白い花飾りのついたケープをまとっている。赤い髪は団子状に結って留めてあり、細い腕から指先にかけては白い手套。わずかに唇にルージュを引いており、妖艶という言い方はあわないが、可愛らしさが増していた。

 葛葉は肩の大きく出た黒いロングドレスで、体にフィットして体型が強調されている。靴はドレスに合わせた色のヒールで、肩に掛かるくらいの髪は耳にかからないよう、流されている。流し目に侍従の人々がどよめいていた。

 白藤は長い髪を一度頭頂部まで持ち上げてバレットで留め、腰に掛かるくらいの長さに。ドレスと靴は白で、黒い上着を羽織っている。ぱとりしあは俺たちを迎えた時に似た緑色のドレスだったが、レースやフリルの多いものとなっている。


「お待たせいたしました」


 小首をかしげながら葛葉が言う。姫は服が合わないのかもぞもぞとドレスの裾を気にしており、白藤は周囲の様子などどこ吹く風で川澄さんに煙草をねだり、はねつけられている。ぱとりしあはテーブルに並んでいたチーズを口にしていた。


「ああ……やたらめかし込んできたな」

「ひととせさんの前で醜態を晒すわけにはいきませんから」

「つっても踊れない時点であたしら確実に醜態じゃねーの?」


 うるさいですよ、と姫に向き直る葛葉。それを無視して、姫はジンジャーエールを注いだグラスを手に取った。すると、フロア内に広がっていた柔らかい光が少し押さえ気味になり、前の方にあるステージに史朗さんが立っていた。

 いつの間にか執事さんやメイドさんもフロアの中に正装で集まってきており、寂寥感せきりょうかんを感じさせない程度には人で埋まる。ライトで照らされたステージ上で、咳払いをすることも臆することも無く、史朗さんは話し始める。


「今日は恐らく、九尾との戦いを前にして騒げる最後の日だ。ひょっとすればお前らもこれで解雇になるかもしれない日だ。だが私はそうさせるつもりは無い、ここに戻る。だからこれは戦勝の前祝だ。そうさせてみせる、――以上だ」


 微塵も揺るがない、強い意志を根底に感じさせる、大きくは無いのに力強い声。真に人の上に立つ者の心が、そこに具現されていた。短い言葉の羅列に、貫禄を感じる。俺にはまだまだ足りないそれだ。


「さて、そうなればこれはただのパーティだ。飲め。喰え。騒げ。我が下に就く者たる相応しい態度を取れ。私も踊る」


 ステージから降りる史朗さん。同時に、音楽が静かに始まった。ステージの下で待ち構えていたマリスさんは夫と踊り始める。俺は壁のシミとしてそのまま料理を愉しもうかと思ったのだが、料理に伸ばしかけた手を取る人物が居た。

 顔を上げれば、こちらを見ている柔らかい表情の淑女レディ


「踊りませんか?」


 ダンスはそこまで得意じゃない。断るか否か躊躇する。が、誘わせておいて断っては面目が立たない。耳を澄まし、知ってる音楽かどうか記憶と照らし合わせる。……曲名は忘れたが、流れているのはワルツの曲。比較的ゆっくりだから、ある程度こちらに合わせてもらえば出来なくはない。


「でも葛葉、踊れないんじゃないのか?」

「だから教えてもらいたいんです。ひととせさんは踊れるんですよね?」

「ヘタだけどな」


 黒いふわふわした手袋越しに葛葉の体温が伝わってくる。俺は壁のシミ役を諦めて、引っ張られるままに反時計回りにフロアを回りつつ踊る人々の中に埋もれた。うろ覚えだが聞き覚えのある音楽に合わせ、単純なナチュラルターン。たまにリバースターン。


「足元より相手の顔見て、距離感を意識して」

「はい」


 右手で葛葉と手をつなぎ、もう片方の手は細い腰に添える。おまけに顔を見合わせなくてはならないから、どうにも顔が赤くなる。三拍子の音楽に合わせ、脚を引き、踏み出し、派手な動きは無いが流れる動きを意識して。

 ヒールを履いていることもあり、少し俺の目線より高い位置にある葛葉の顔をしっかり見つめる。照れくさくなって、後ろに回り込んで腰に手を回し、サイドステップ。左手は少し伸ばして手を繋いだまま。

 ゆっくりした所作の中で、葛葉が口を開く。


「これから、宿屋はどうするおつもりですか?」

「……いきなり重たい話題を振るね」

「柊君のことを、まだ探すと?」

「出来ればそうしたい。でもやらない」


 リバースターンで元の位置。向かい合い、後続の人にぶつからないようにステップで間を空ける。

 葛葉はこちらを真摯しんしな瞳で見つめている。目を逸らせない。


「それは難しいからですか。それとも今度は、川澄さんの情報網でも探し出せないかもしれないからでしょうか。今回は彼の故郷のことや武器術のことから戻る先を算出できましたが、次はおそらく出来ない。だからですか?」

「そうだね。だからやっぱりこの人数のまま宿屋に戻り、急遽新しいメンバーを集めないといけなくなるわけだ」

「良くはないですね、それは」

「良くないな。でもその判断を下さなければいけないんだろう。あいつの〝本心〟を、俺は聞いてしまったから」


 それが普通の「人の上に立つ者」だろうから。

 そして奴はこの居場所に戻りたいと思っていない。本音はどうなのか、わからないけれど。本心として口に出せるということは、軽いことではないはずなのだ。そこは、自分にも覚えがあるからか、葛葉は唇を噛んでいた。

 おそらく柊は、このまま自分の選択に従って生きていくのだろう。それは辛いことだが――義を通すことが奴の信念なのだろう。


「ではぱとりしあのことは? 九尾討伐に手を貸すな、と言われましたが」

「これも難しいな……手は出せない。でも、出来る限りサポートはしたい」

「本当に難しいですね」

「そうだな」

「そうしている内に何もかも取りこぼしたら、どうするんです?」


 沈黙する。曲が終わり、俺たちの動きも止まる。テーブルに近づいて、グラスを手に取った。葛葉もグラスを手に取る。


「したいようにすれば、良いんじゃないですか? 自分の思う通りに」

「それはわがままだ。俺のエゴだよ」

「わたしは、そのエゴを実現させるためならあなたにお力添えをいたします。だって、わたしも同じエゴを持ってますから」


 くすりと微笑みかけてくる葛葉。その表情を見て、何も言えなくなる。


「簡単に諦めてしまわなくても、良いじゃないですか。確かに、柊君は今一人で生きていくことを選び、実際それは彼の本音でしょう。でも、それだけが彼の本当の気持ちだとは限りませんよ? 人間には、いくつもの本音があるはずです。わたしが罪深さから断罪を受けようという気持ちと、ずっと宿屋でみんなと生きていきたい、と思った気持ち、二つを同時に持ち合わせていたように」


 普段と違い、露出の多少大きいドレスを着ている葛葉。肌の出ている部分には、ほとんど消えたが薄い傷痕が残っている。星火燎原との戦いで負った大火傷。じっと腕や背にあるその火傷の跡を見ていると、慌てて葛葉はそこを隠した。掌で覆い隠して撫でさすり、俺も気まずくて目を逸らす。あんまり、女性の傷をまじまじ見るものじゃないな。

 手の中にあるグラス。その泡が浮き出ては消える水面を見つめながら、俺は思い出す。


「……諦めない、か。そうだったな、諦めなかったから、今俺は葛葉と一緒に居る」

「ええ。わたしはそのことに深く感謝しています。これ以上ないくらい、とても深く。あなたはご自分が宿の主人として至らなかったから柊君を引き止められなかった、と思っているようですが、それは違いますよ。あなたには、確かに人の上に立つような素質は無いと思いますが」

「それ、今一番耳に痛いセリフ」


 も、申し訳ありません、と慌てる葛葉。俺は苦笑して片手を振り、続きを促す。 

 フロアに流れる音楽も二曲目の終わりに差し掛かっていた。


「けれど、あなたには人と同じ位置に立つことが出来ます。ひととせさん自身、色々と昔にあったためでしょうが、それとこれはあまり関係ないでしょう。あなたは、自分の確固たる意思で、人のことを思いやることが出来ているんです」

「葛葉の買いかぶりだよそれは」

「そんなことありません。わたしは、この傷跡も、あなたの傷と共有できるものとして、悪いものではないと思っているんです」


 星火燎原に貫かれた太腿に触れて、自分の左肩に触れさせる。共有できるもの、か。

 共有なんていえば聞こえはいいけど、俺はいつでも自分のしたいようにしてるだけだ。不条理が赦せないだけだ――と呟くと、葛葉は首を横に振った。


「多分、今のあなたは柊君に自分を重ねてしまっているんですよ」

「俺があいつに、自分を?」

「きっとそうなんです。身近すぎて、自分のことは気づけない。そういうものでしょう?」

「同意を求められても正に分からない。俺があいつに自分を重ねるほど、共通点があるとは思えないんだけどな。せいぜい、幼い日から殺害に触れてきたこと、殺しが嫌いだったこと、その程度のものだろう」


 いいえ、もっと大きな共通点があるはずです。それがあなたの意思に歯止めをかけている――と葛葉は俯く。

 やっぱり、分からなかった。グラスの中身を飲み下し、俺は窓の外を眺める。雪が降り始めていて、外は寒そうだった。

 奴は今、この寒空の下どこをほっつき歩いているのだろう。


        +


 雪が降り始めたが、それでも柊は歩き続けた。これから先のことなど何も見えて無い。明日野垂れ死んでもあまり気にならないような、空虚な気持ち。今はただ、あの宿屋主人から離れたいとの気持ちだけが、柊を前に進めていた。

 ずたぼろの羽織。袴。草履と足袋の間から沁みこんで来る雪の冷たさ。澄んだ空気の中に次第に雪の混じる割合が多くなり、気が付くと正面を見通すのが難しいほどの豪雪になってきていた。歩くのも面倒になってきたところだったので、そこで歩くのをやめる。深雪の上に寝転んで、曇天の空を見上げた。空は、柊を見下げた。

 果て無く空虚。世界の全てを虚構と感じる。背から滑り込んでくる冷たさ。心臓の鼓動も徐々に弱くなり、このまま死んでしまえばいいとさえ思う。単に歩くのをやめて体温も下がり始めたために心音がスローになってきただけだが、柊はそれを知りつつやはりそう考えた。


 もう生きたくない。行きたくない。

 疲れた。これ以上通す義もない。


「……『僕は結局、一族も宿屋も好きだったのですな』と、我にもなく口走る……もう全て、終わったというのに」


 殺しは嫌いだった。でも家族が好きだった。けれど追い出された。それでも好きだった。宿屋は嫌いだった。でも好きになった。周りが関わってくれた。主人は面白かった。けれど壊した。もう戻れないようなことをしでかした。一族か宿屋かと自分に問いかけた。どうしても一族を選びたくなった。家族だったから。

 しかし宿屋も家族だった。だから刃に力は篭らなかった。主人も手を抜いた。だから僕は生きた。それでも一族を選らんだ。家族だ。けれど一族は滅んだ。今度こそ終わった。闇に消えようとした。殺し続けた報いだと思った。


 それを川澄に指摘された。


 どうしようもなく自分に腹が立ち、八つ当たりして負けた。主人にも情けをかけられたと思った。故に自分はここに居る。そう定義して、柊は袖で視界を隠した。羽織も、既に雪のためにぐっしょりと重たくなっている。頬に、暖かい水分が流れた。吐く息が白く、かじかんだ手先を包み込む。


「……う、あ」


 声にならない声。自分のここに居る理由。それは、単に悔しかったからに相違ない。心中を見透かされて、宿屋に戻りたいと願う自分を見通されたと思って。それでも家族に対する思いを断ち切れない自分を強く感じ、ここまで駆けてきたのだった。

 もうこの先には痛みしかない。でもそこには義だけがある。一族に、家族に対しての、義が。柊はそう考え、自嘲し、泣き喚き、死にたくなった。もうこれ以上何を求めることも赦されない自分。全てを捨てたのは己が意思。

 最後に求めるとすれば死の安息か、と笑い、柊つまりは暗狩秋水は瞳を閉じる。だが、しばらくして何かの音を聞いた。最初は無視しようとしたが、その音に不穏なものを感じる。まだ眠れないのか、と最後の不運を嘆きながら、身を起こした。

 そこに。

 見たくない。

 ものがあった。


「――蒼い…………焔群ほむら…………」

 

 立ち上がった柊の居る山の中腹辺り、そこから下方に白い世界を踏み荒らしながら近づいてくる、仇。

 重低音の鳴き声を静かに響かせ、口の端から蒼い狐火を漏らす、体長二十メートルを超える巨大な、九つの尾を持つ狐。獰猛な牙をむき、柊と視線が合う。瞬間、あの惨劇が脳裏に蘇り、こみ上げる胃液。液体を口から溢れさせ、柊はひどく咳き込む。同時に、心の中に一つだけ刻み込まれる強い感情。

 あいつにだけは殺されたくない。自分ではおそらく奴には勝てない。ならば、奴から生き延びるという勝利だけでも手にしたい。

 それが家族への弔い。死ぬなら別の場所で、別の方法で。


「……ここを離れねば、な」


 踵を返して立ち去ろうとする。だがそこで、山の上方を見上げてしまう。その方向には、さっき後にしたぱとりしあの家があり、そこには宿屋の面子が揃っており。何も知らないままで居れば、九尾に襲われて全員が死亡する可能性もある。柊の足が止まる。逃げ出したくて仕方ないのに。そうしてその場で止まる間にも、ゆっくりゆっくりと九尾がこちらに歩みを進めている。

 その化け物の背に、ふと柊は何かを見た気がした。ちなみに柊の視力は五,〇である。ある程度距離が離れていても、肉眼で相手を捉えられるよう訓練した成果。その目が、雪が激しく降り積もる中、何かを見据えた。自分の経験則が、見間違いを否定する。

 白い世界の中を、もっとも見たくないものから目を逸らさず、凝視。

 すると……九尾の背には、人間が立っていた。仮にも神格の最上級精霊と言っていいはずの奴の背に、人間という下賎な生き物が卑しくも乗っている。それは本来有り得ない光景。だからこそ、直感が柊に告げる。

 奴が、元凶だと。


「くそっ!!」


 樹の幹を殴りつける。天災と思って諦めようとしていたことに、第三者の関与があった可能性が出てきた。その場合、倒すべき仇は九尾ではなくなる。もっとも、柊たち一族全員を合わせても勝てなかった九尾を倒せる相手を、柊は自身で倒せるとは思わない。

 思わないが、それは九尾を「倒した」相手だった場合だ。あの様子は誰が見ても明白な、操作状態かそれに順ずる物。つまり、力技でなく術により使役しているに過ぎない。

 術士であるから接近戦が苦手、などというゲームの図式が現実に当てはまるは多くないが、少なくもない。現に、柊は少し前にもアブラメリンを操る最強の魔術師をほふっている。ここにきて復讐の相手を見つけ、それに勝てる可能性が見えてきたことで、柊の頭から一時的に死を選ぶ思考が失われた。そしてさらに考えること数瞬、柊は懐から取り出したる符札を殴った樹木に貼り付け、全力でぱとりしあ家に向かって走り始めた。


「――待っていろ。義を果たし、すぐに戻り、コロシテヤル――」


 凶悪な笑みを浮かべた柊の瞳は、虚ろに遠く、九尾を見つめていた。

 その思いが、一時の安息しか与えないと知りながら。


        +


 姫にもせがまれてダンスをし、幾分体が火照ったところで俺はしばらく壁のシミと化すことにする。するとぱとりしあ一家が壁際に集まり、談笑していた。耳を澄まして内容を聞いていると、どうやら宿屋についてのことらしく、時折俺のことも話題に上がったいたがあまり耳に心地よい評価ばかりではない。というか、なんだ「ヘたれ」って。


「愉しんでいるか、宿屋主人」


 にやりと笑いながら、史朗さんは俺に話しかけてきた。軽く会釈して、俺は低い声で返す。


「さっきまでは。俺に対する悪評を聞くまでは」

「先人の意見はしっかり聞け」

「益になるものは聞きますよ」

「なかなかしかかたな人ですねー、主人さん」

「多分、したたかですそれ」


 俺が訂正を加えるとむくれるマリスさん。実年齢がいくつなのかと問いたくなる所作が多い人だ。


「むー、でも最後のパーティになるかもですからー、少しは多目にみてくださーい」

「不吉なことを言わないでくださいよ」

「プロだからね、ボクたち。覚悟して仕事に臨む、真剣勝負なの。だからこういう風なセリフが出ても普通なんだよ」


 それが普通になってしまうことが既に哀しいのだが、それについてぱとりしあは何も思うことが無い。俺たちを頼ってほしいのに、彼女はどこまでもプロであろうとし、そして実際にプロだった。だから巻き込もうとはしない。覚悟を決めてかかる。俺が黙り込んだのを見て、史朗さんは呟く。重々しい口調だった。


「ま……本音を言えば私は怖い。嘲るなら好きにしろ、だが哀しいことにそれが事実。私たちは外国の血を一族に入れたことで、異端扱いされている。故に単独。故に少数。今回の作戦に協力してくれるのも、私の旧知の友だけだ。それ以外の人間は、日本国術法統合協会の者に手を回されて非協力だ。だが、だからと言って逃げるわけにはいかん。私たちが逃げれば、被害は広がり誰かが苦しむ」


 ひげを撫でつつ史朗さんは黙り込む。だからと言ってあなたたちが犠牲にならなくても、とは思うが、俺も同じ立場ならそうするに違いない。だから何もいえなくなる。言葉の重みが、辛かった。するとそんな俺を見て、マリスさんは真剣な面持ちでささやく。


「出来れば、ぱてぃは逃がしてあげて、主人さんと結婚させてあげたかったですねー」

「けっこんって……な、何言ってんですか」

「ね? ボクがアタックしてもいっつもこうなんだよー」

「つまらない男だ」


 思い思い、好き勝手なことを言い合っている。

 こんな人々が、もうすぐ死ぬかもしれない戦いに身を投じようとしている。それが俺には、心苦しかった。

 どうにかして、助けになりたい。さっき葛葉と交わした会話が脳裏に思い出される。まったく、俺と柊、どこに共通点があるというのか。未だに考え続けているが、さっぱり分からない。それが分かれば、俺は柊を今度こそ探しに行くのだが。

 と、音楽を遮るような音量で、フロアのドアが開かれる。今度は何のサプライズだ、と思って全員がそちらに目を向けると、そこには――


「ひ、柊?」


 柊が居た。肩で息をし、ボロボロの服装のまま。そして、一言だけ、フロアに響くような声で叫ぶ。


「――逃げろ。ここに向かって、九尾が進んできている」


 後は何も言わず。また来た時と同じようにドアの向こうに消える。俺は慌てて後を追うが、一直線に長く続く廊下のどこにも、柊の姿は無かった。後ろから追いついた川澄さんが、落ちていた木の葉を拾って舌打ちする。木の葉は、ボロボロの白いクズになって消えた。


「汎用型の符札術式だ。対を成す符札でポイントを設定し、もう一枚でそこへ移動する。斎様が開発したものだが、わりに高価なはずなのだがな」

「じゃあもうここには居ないのか?」

「どこへ行ったのだ、あのクソガキ……!!」


 俺の問いには答えず、川澄さんは走り出す。俺も後を追おうとするが、その前にみんなを呼んでこようと思った。フロアの入り口付近に居た姫、葛葉、白藤に呼びかける。フロア内からは侍従や執事は少なくなっており、柊の言葉に従った史朗さんの指示で、退避をはじめたらしい。


「川澄さんは柊を追った。俺たちは察知系の能力が無いから、とりあえずぱとりしあを呼んできたいんだけど」

「ぱとりしあなら今さっき家族と連れ立って出てっちまったぞ」


 状況は最悪らしい。まだ史朗さんの知人だというメンバーすら居ないというのに、三人だけでも特攻を仕掛けるつもりか。玄関まで行って扉を開けると、雪の上を歩いていったあとが三人分、そしてその上を川澄さんが歩いたあともあった。俺は振り返り、指示を出す。


「あの一家も止める。それに柊も探す。とにかく、用意を整えてこよう。五分後に玄関口ここだ」


 三人が頷き、二階の部屋まで準備をしに移動する。俺は行きで着ていた服に着替え、ダンスフロアにあったナイフを一本ポケットにねじ込む。外に出ると、残りのメンバーも昨日の服装に変えていた。葛葉は刀を、姫は弓箭を背負う。白藤はどこから持ってきたのか、西洋のサーベルを携えていた。


「よし、じゃあ行くぞ」


 玄関の重い扉を開ける。寒風吹き荒れる冬景色の森、その向こうから、蒼い焔が吹き上がるのが見えた。

 葛葉が身震いするのが見えたが、俺と目が合うとある程度落ち着きを取り戻す。俺は姫と白藤にも目線をあわせ、それから足跡が続く方向へ走り出した。雪は降りしきり、気温は氷点下。おまけに、身も凍るような惨劇を生み出した怪物の元へと走っているのだ。嫌でも足が重くなる。


「道中、確認したいんだけど。葛葉、九尾の能力を教えてくれないか」


 奴に対する情報をぱとりしあに以前話していたようだが、俺たちは詳しく聞いていなかった。情報は多ければ多いほど良い、ということで、カードを揃えておくことにする。葛葉は一瞬考え込んで、そして記憶の封を解いた。


「……九尾の能力は当然、狐火です。その温度はわたしたちのような生身では、火傷という過程も無視して蒸発させます。ですから狐火には絶対に当たらないこと。もちろん、媒介を介した魔術攻撃ですので姫の梓弓でも消去は無理です。あとは体格を利用した突撃、そして一番厄介なことは、奴には『こちらの攻撃が当てられない』ということです」

「んだよそれ。そんなん勝てるわけねーだろうが」


 寒さのためか顔が赤くなっている姫が呟く。俺もそうだと思う、さすがにダメージを与えられないのではちょっと。すると白藤が、呆れたような顔で俺と姫に語りかけてくる。


「ぱとりしあが言っておらんかったかのぅ? 九尾は結界を張っておる、それを解除するのが奴の仕事じゃと。つまるところ、奴の魔力で生み出された結界が、物理的にも魔術的にも攻撃を弾くと、こういうことではないか?」

「その説明してる時おまえ寝てたじゃねぇかよ」


 姫がぼやくと、白藤は肩をすくめた。


「部屋の前でやかましい会話をしとれば気づくわ、阿呆。要するにじゃ、相手は神格の精霊、土地から吸い上げることで一度に使える魔力量も膨大じゃ。その魔力で生み出される結界、無敵の鎧を身に付けておる。これをはがしてからでなければ決定打を与えることは出来ん、そういうことじゃ」

「まったくその通りですよ。そこで、ぱとりしあが必要となるのでしょうね」


 近づくにつれて威圧感を感じるようになってくる。

 俺たちはさらに脚に力を込め、みんなの元へ急いだ。


        +


「戦いの始まり、だな」


 有和良たちが通り過ぎた木の上に、黒いトレンチコートをまとった男が立っていた。

 シルバーブロンドの髪に、琥珀色の瞳。中肉中背だがしなやかな筋力を蓄えた体格をコートの下に匂わせる、リオ・エヴァンス・ド・ブロワ。コンバットブーツで太い木の枝の上に立って、ポケットに手を突っ込んだまま九尾の暴れる方向を見やる。その口許には不敵な笑み。


「さあ、足掻け吸血鬼。お前とオレは相容れない。戦いを乗り越えられたら、そこで全てにケリをつけようぜ。もっとも、それがお前の望んだエンディングに繋がるかはわからんが……そこまでは面倒見切れん。結局、お前はオレの標的だからな」


 意味深なことを言い、闇に解けるリオ。

 誰に気づかれることも無く姿を消し、歩み去る。




「誰なのだ、貴様は?」


 右手で短刀を抜いて、左手で四本の苦無を構え。柊は九尾の背に乗る男と相対した。

 男は年の頃四十かそこいらで、符札を構えた中国系の顔立ち。クセのある黒髪を無造作に伸ばし、瞳は細く感情が無い。体に密着したボディスーツとタクティカルベスト、腰にはいくつもの武具を収めたベルトがかかり、足には脚甲のついた戦闘靴。明らかに、戦う者の雰囲気を漂わせている。


「わしに問うか、小僧」

「でなければ誰に問う。我は暗狩秋水。そこの九尾に滅ぼされた里の生き残りなり」


 九尾は完全に男のコントロールの下にいるのか、よだれと焔を散らしながらも静かに柊の正面十メートルの地点で止まっている。男は柊を見下しながら、ふむと呟き名乗りを上げる。


「わしの名はりー小龍シャオロンとでも、しておくか。わかったならそこを退くが良いわ」

巫座戯ふざけるなよ。我が肉親の仇と思しき人物を、このまま通すと思うか」

「そちらこそ、わしが退くと思うてか。これよりわしには仕事がある。退け。今この時のみ、わしはまだお前に手を出さん。が、この先邪魔をすると言うなら、この場で貴様の居た暗狩一族の時同様、潰す」


 殺気。それは九尾から発せられたものではなく、小龍からのもの。それはたちまち一帯に満ち溢れ、生半かな力量の者では呼吸すら出来ない威圧感となる。正に、伝説の生物『龍』を相手にしたと錯覚しかねないほどの、研ぎ上げられた気迫。絶対者のそれたる威圧が、暴風のごとく柊に叩きつけられる。

 だがそれを飲み込んで余りある怒気が、柊の体から噴き上がる。小龍がほお、と感心した声をあげ、表情に幾ばくかの緊張と笑みとを浮かべる。声音はその年でよくそこまでの研鑽を積んだ、という素直な賞賛、そして表情は柊を戦える敵として認めたもの。小龍の構えていた符札が輝きを放ち始める。柊の構えがより一層の警戒と攻撃性を秘める。


「暗狩一族最終血統、八代目、秋水。貴様の命を狩る」


 名乗りを上げ、瞳に溢れかけていた涙を身の内に閉じ込める。小龍も頷き、低く腰を落とした左半身、中国拳法のなにがしかと思しき構えを取る。九尾は低く小さく唸り声を吐き出し、しかし操られているために強い気配などはない。


「雇われの身故に所属は上げられんが許せ。道士タオシー、李小龍」


 柊が頷きを返す。その表情は狂喜。仇を殺すという偽者の義を真の義と履き違えた。

 その瞬間、激闘が開始された。


 初手は九尾の突進。十トントラックの衝突のような、しかし鋭ささえ感じさせる頭蓋のハンマー。これを跳躍してかわす柊は、ゆるやかに弧を描いて九尾の首辺りに着地、だが見えない壁に当たったかのように張られた結界に弾き飛ばされる。接近は許されないと判断。アンダースローの苦無を四連投する。無論、後部にはワイヤーが取り付けられている。

 体を屈めてそれを回避し、上体を持ち上げる力を利用してアッパーのように符札を巻きつけた流星錘りゅうせいすいを投擲する小龍。この武器は丈夫なヒモの両端に鉛などで出来たおもりを取り付け、殴打や武器捕縛に使用するものである。

 小龍は片方の錘を左の手の内に残し、投げつけた錘をヒモを引くことで操る。正しく流星の様に飛び行く錘を、柊は正確に見切って短刀で弾く。ヒモを切断しようかとも思ったのだが、ある程度固い動きをしたことからして内側に金属線を仕込んだヒモだと見切った。下手に触れれば、斬る前に巻きつかれる。

 そのまま飛び退り、木の枝に乗る。

 相手も自分もリーチの届かない距離まで離れ、体勢の立て直し。柊はまたも左手に苦無を四本構えた。さらに、口に短刀をくわえて右手にも四本。有和良との戦闘でも見せた投擲主体の攻撃スタイル――だが、あのときとは決定的に違う。それは、間違いなく柊が殺しにかかっているということだ。


「死留める」


 呟きを漏らすと同時に、九尾が火焔弾を吐いた。雪を一瞬で蒸発させ柊の居た木を瞬時に焼き尽くす焔。またも跳躍して避け、空中で流星錘を喰らいそうになると苦無を飛ばして弾いた。残りの苦無も同時に投擲したが、九尾に当たると弾かれる。


(九尾の結界は奴の体表のみ、恐らく術者は守っていない。符札を纏った流星錘を使っているが、今のところその符札を使う様子は無い。九尾の狐火の飛距離は二十メートル、それ以降は失速して落ちるが温度が高いためかすってもダメージは大きい。流星錘は最大二メートルほどのリーチ。九尾の動きは術士の指示の後故にわずかに反応が遅い)


 計る。相手の能力を。分析する。相手の弱点を。

 飛びながら方向を定め、またも木の上に降り立つ、と見せかけて先に苦無を投げて木の幹にぐるりと回しておいたワイヤー、それを手がかりに一瞬でユーターン。刹那の間に九尾の焔で木が焼ける。相手もこちらの呼吸を計りつつあると認識。柊、地面に降り立ち走る。速度は尋常ではなく、常人ならば目では追えない。獣のような駆動。


「甘いわ、小僧」


 それでも小龍は修羅場を潜ってきたエキスパート。鍛え上げた動体視力で柊を捕捉、流星錘を放って牽制しながら、九尾の狐火を撃つ時間を稼ぐ。一秒の隙間を縫って、そして放たれた。火炎弾ではなく放射状の焔。だがこれを柊は突然加速することで難なく突破した。むしろ、後ろで急激に温められて膨張した空気の流れに乗り、まんまと九尾の尻尾近くまで到達せしめる。


「〝疾走〟」


 有り得ないはずの加速に目をみはる小龍だが、ワイヤーを手繰り寄せてそれを行ったと観測。その頃には柊は飛び上がり、小龍に苦無を投擲した。八本の刃が一直線に軌跡を描き宙に閃く。

 小龍は流星錘を振るい、四本を撃墜させる。だが残り四本はかわし切れず、右肩に刺さり右脇腹を掠め右脛に刺さり右足の甲を射抜いていた。そこに、柊の追撃。空中に飛び上がり、体を旋回させながら両手の指先を激しく動かし、編み上げる。

 今まで投げた二十の苦無につけられたワイヤーを。


「甘いのはどちらだ? 小僧だと思い舐めてかかったか」


 さながら蜘蛛の巣、だった。そう形容する他無いワイヤーの網が柊の手から放射状に伸び、小龍の周囲を囲む。円錐状に出来上がったその網に囲われ、小龍は顔をしかめた。全方位脱出不可能。九尾の焔で焼けば融解した鉄の雨を食らうことになる、と。

 そして柊はその網を手繰り寄せる。出来る限り標的にワイヤーが引っかかるように、不可避の斬撃連鎖を生じさせる。一本のワイヤーが絡まればもう一本のワイヤーが絡まり、と延々に続き小龍の体を細切れにする。血だらけになったワイヤー。九尾が動く気配も無い。


「〝空走からばしり〟」


 手元に残していた一本のワイヤーを引く。すると、複雑に絡んでいるように見えた網が、快刀乱麻を断つかのように解ける。中からは、小龍の血塗れになった姿が現れた。目を覆いたくなるような惨事……のはず。しかし、違和感を覚える。

 出血が、少ないのだ。


「あやとりは終わったか?」


 ゆらりと立ち上がる小龍。九尾の背の上から、地面に居る柊を見据える。さっき炎上した木の明かりに照らされ、顔の陰影が濃く闇夜に浮かび上がる。確かに小龍は柊の〝網〟により百もの数を持つ斬撃を喰らったはずだが、大して出血も無く平然と立ち上がって見せた。その理由が思い当たらず、疑問符を浮かべる柊。そこに、小龍は声をかける。

 服の裾をめくって露出した手足は、青白く、生きた者の血が通った印象を受けなかった。


「道士、だと名乗った。我が中国符術は屍人キョンシーを操る術にも長けている。その術を応用し、わし自身の手足は戦闘用屍人の硬質なものに換装されているまでよ」

「……流星錘の符札は、自身の強化用か」

「さてな。そこまで明かす義理は無い」


 跳ね上がった九尾の前足が、無造作に柊を蹴り飛ばそうとする。横っ飛びに避けて走り出し、木から上って宙より再び攻撃を仕掛けた。ただし、今度は小龍の真上から。苦無の弾幕で流星錘を防ぎ、逆にその武器を絡めとろうとする。が、これはフェイク。絡まりかけたワイヤーをあっさり手放し、小龍に肉薄する柊。その手に持った短刀を突き出し、その刀身を飛ばす。狙いは、目。

 スペツナズ・ナイフ。刀身を強力なバネを内蔵したつかから発射する暗器である。

 小龍は迷わず左腕を捨て、防御した。刀身は深くめり込まない。たった五ミリ、皮膚に食い込んで終わり。

 だがその上から、全体重をかけた柄頭での一撃が加われば、また話は別だ。ほとんど間隙を入れずに叩きつけられた重たい一撃は、釘にハンマーを振り下ろすように小龍の腕を貫く。しかし、これもまだ一連の動きの途中に過ぎない。柊はそのまま小龍の上に降り立ち、前から肩車をかけたような体勢になる。

 そのまま上体を後ろへ逸らし、柊は小龍の視界から消える。そして両腕で小龍の脛を殴り脚払いをかけ、それと同時に相手の肩にかかっている両膝を引く。頭から、九尾の背に叩きつけられそうになる小龍。だがその時、九尾が突然跳躍した。そのために急激に負荷がかかり、柊は技をかけ損ねる。結局、九尾の結界に弾かれて、また地面に戻ることとなってしまった。

 おまけに、脇腹を押さえている。そこからは出血しており、穴が開けられていた。


「…………技をかけた瞬間に親指を突きこむとは」

「指での突きこみなど、どの武術でも使われよう?」


 軽く手を振り血を散らす小龍、そして腕に刺さっていた刀身を引き抜き、柊に投げつける。これを掴みとり、柄の中に再び収める柊。

 力の差はあまり無い。だが相性が悪いというのか、こちらが一方的にダメージを食らっていくこととなってしまう。しかも脇腹のダメージは、浅くは無い上に攻撃動作における「腰のひねり」が上手く使えないようにしている。

 手をいくつか熟考。と、そこでようやく、ぱとりしあ一家が現場に到着する。背後十メートルのところに現れた三人、史朗は独鈷杵を、マリスは三十センチほどのワンドを、ぱとりしあは本を構えている。三人は一斉に、文言を唱え始めようとした。だが、


「手を出すな!!」


 柊の一喝。しかし詠唱は止まらない。舌打ちして向き直ると、九尾がまたも火焔弾を放ってきていた。それを斜め後ろにバック転して避け、柊は自分の後ろに居たぱとりしあ一家を見やる。が、既に詠唱は完成しており、ぱとりしあが片手を上げると見えない防壁が張られた。火焔弾は防壁に当たって弾け飛び、辺り一帯を照らす火の粉の雨と化す。


「Invoke a sacred magic,exertion of my authority. Seventh heaven's spirit will convict the accused of your existence,because you had sin against man and god. So you should confess one's sins to a priest……」


 その間にもマリスは高速詠唱を続けている。膨大な詠唱術式を並べないと粛聖魔術は使えない。

 その間、彼女を守護する盾として史朗が前に進み出るのだ。同時にぱとりしあも。まず史朗が独鈷杵を投げつけて九尾の足元に四方陣を張る。空中にも投げられた独鈷杵、それらと光の糸を出し合い連結して、四角錐の結界が完成。その間にどこから取り出したのか、日本刀を一振り構えている。

 が、史朗の張った結界は容易く破られた。


「急場しのぎの独鈷尖殻どっこせんかくでは一秒しかもたんか」


 襲い来る九尾。だがその一秒で、ぱとりしあの次の詠唱が完成する。


「Invoke a bless magic,exertion of my authority. You are veiled in mystery,and you are veiled in mist……This lance's name is "rampart breaker"……I'll penetrate the enemy's defenses!!」


 城壁破壊の大槍。結界を破るための術式が、九尾の鼻っ面に命中する。

 ――だが破れない。甲壁は硬く、一瞬突撃を止めただけ。史朗がすかさずフォローに入り、ぱとりしあを抱えて攻撃圏外へと逃げる。マリスは自分で逃げ、木陰に身を隠しながらさらなる詠唱を続行した。


「残り一分三十秒。それを耐え切り、その間に何としてでもお前があの壁を破れ」

「わかってる、パパ」


 散開して、二人も詠唱に入る。暗い森の中は燃え上がる木々で照らされる場所でなければ、今も暗鬱とした闇が包んでいる。白い息を短い間隔で吐き出しながら逃げるぱとりしあ、しかし後ろから伸びた手に口を塞がれる。


「ふむっ?」

「――手を出すなと我は言ったはずだ。あれは我が仇敵。もし邪魔立てするのであれば、我は貴様も殺す」


 柊は短刀をぱとりしあの首に食い込ませながら、ドスを利かせて唸る。しかしぱとりしあはそれに動じることなく、平然といつも通りに柊を見つめた。瞳が細くなり、声音が冷えてゆく。


「どうして君にそんなこと言われなきゃいけないの。ボクはボクでプロとして、命賭けてこの仕事を遂行しようとしてるんだよ」


 短刀が首の皮を切る。血が一筋流れた。


「知ったことではない。我が思うは奴への復讐」

「じゃあ協力すればいいでしょ?」

「それではダメだ。我が怒りも、恨みも、それでは晴れぬ」


 九尾の火焔が空気を爆発させる音が聞こえた。こうしている間にも、ぱとりしあの両親は危険な目に遭っている。にもかかわらず、冷えた表情、冷めた思考。ぱとりしあは己の意識を殺し、唯独りのプロとしてそこに居る。故にこそ柊がこうして自分を縛ることが鬱陶しいと感じる。


「……君だけが必死なんだと思わない方がいいよ。ボクだって早く加勢しないとパパとママがやられちゃうんだから」

「だから貴様ら全員手を引けば良い。何としてでも我が奴を仕留める」


 するとぱとりしあは珍しく嘆息、そして柊から視線を外し、九尾の姿を木々の間から見つめた。


「シビアな話するよ。それだとね、ボクらはお金が入らないの。九尾討滅はボクらに回されてきた厄介で成功率の低い仕事だけど、果たせばそれなりのお金が入る。そうすれば、まだまだこれから先もボクら一家は食べていけるし、お手伝いさんたちもやめてもらわなくて済むの。でも、君が倒しちゃったらボクらは何もしなかったことになる。お金が入らなくなる」

「俗物が。金、金、金と、汚い考えだ」

「それは生きることの否定だよ。お金が無くちゃ、生きていくことは出来ないもの。居場所だって与えられない。……ああ、でも君は否定してもいいよね。どうせ、死んでるんだから」

「どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。復讐に憑りつかれて生きてるだけで、これから先を生きるために行動してるわけじゃないもん。実益なんて何にも無いんだから、そっちこそ引いてよ。ボクらが生きるために、邪魔だよ。障害だよ。目障りだよ。生きる気も無いくせに生きてる気になって、死んでる人のためと言い聞かせて自分のために剣を振るって、かっこ悪いよ。気持ち悪いよ。単に君は……自分の後悔を埋めたいだけなの」


 短刀が闇に閃く。だがその前に、ぱとりしあの持っていた書から光が放たれる。防壁の文言を、会話しながら書に指先で書いていたらしい。短刀は弾かれ、柊は後退を迫られる。ぱとりしあは無造作に髪をかきあげながら、柊に向けて閉じた本を突き出す。


「……ムダだよ。君には、後悔以外何も残ってない」

「ほざけ!」


 走り出すぱとりしあ、追う柊。だがぱとりしあが文言を唱えると、書の頁から小人がわらわらと這い出てきた。この書、名を「クロムウェルの書」と云う。その効力は小人を召喚し様々な仕事をさせるというものであり、彼らを柊の足止めに使う。

 その間に逃げるが、柊相手では小人の足止めなど大きな障害にはならない。次々と蹴飛ばされ薙ぎ払われ消えてゆく小人。そして、ぱとりしあの背に手をかけようという距離にまでなった時――有和良たちが、九尾との戦場に追いついた。


「柊……!」

「有和良、春夏秋冬」


 苦虫を噛み潰したような表情の柊は、振り上げかけていた短刀を下ろした。


        +


 ぜえはあと息を切らして走り続け、ようやく追いついた。そこには、柊に追われるぱとりしあがいた。


「柊……おまえ、何してる」

「大したことではない。復讐の邪魔立てをする者は、誰であろうと切り払うのみだ」


 短刀だけでなく、苦無も構える。それに復讐という言葉。今の柊の目は、怒りに憑かれた憎悪の化身のそれ。止める方法は復讐を果たさせその空虚さに気づかせるか、説得して徐々に思いを崩させるか、力ずくで止めるか、それか殺すかの四つだ。

 やはり、ぶつからなくてはならないのか。いまだに葛葉に言われた「俺と柊の共通点」もわからないというのに。


「おい、お前ら! そこをどけ!!」


 が、そこに九尾の突撃。史朗さんの声にハッと我に返り、勘だけでバックステップすると目の前を通り過ぎてゆく九尾。どっと吹き荒れる凍てつく風、凄まじい質量を感じさせる。ポケットからナイフを取り出し、俺は刀身を見て人狼を幻視。やれやれ、まだ傷も完全に癒えてないというのに。

 そして後ろに居た葛葉、正面方向に逃れていた姫に目線で指示。ここに来るまでに適当に立てておいた作戦を実行に移す。木をなぎ倒し一直線に砲弾が突き進んだかのような傷痕を森に残した九尾。奴が後ろを向いている間に、攻撃。


「ったくなんだよあのサイズ。反則だろ」


 構えて即座に矢を放つ姫。その矢が、空気を吸い込み鳥の鳴き声のような高い音を響かせる。それは先端に穴を穿うがち、放つと空気が通り抜ける際音を響かせるよう細工した矢。「蟇目ひきめ」という。これもまたその音で場を清め魔術効果などを看破する類の武器で、梓弓と合わせて使えばその効果は絶大なものとなる。

 前回の共感魔術師との戦いでは、音がして方向がバレるのを防ぐ意味合いと、所詮梓弓と同じく効果が一瞬であるため使う意味が無かった、という理由で出番は無かったらしい。

 ともあれ、空気を飲み下し音に換えて進む矢は、梓弓の効果と相まって九尾の結界に突き刺さる。


「よし! って……止められてんじゃんかよ!」


 唖然とする姫。しかし気を取り直して、もう一矢。だがその時には既に九尾は飛びのいて方向を変え、こちらに向かって跳躍。

 その所作でいち早く攻撃に気づいた葛葉が、叫ぶ。


「わたしの近くに固まってください! 狐火が来ます!」


 言うが速いか皆が移動、そして次の瞬間には葛葉が溜め込んでいた力を使い全力で解放(抜刀)。鞘走る刀身は不可視の領域に到達、光を、空気を歪ませ振り抜かれる刃。蒼い焔が、小さく強く鞘から吐き出され、後押しした。

 無刃剣戟むじんけんげき。不可視の刃、刀身無き剣戟(衝撃波)が、大気圧の壁を叩き壊しながら上空へと進んでいく。そしてそこに向けて狐火が吐き出され、焔の雨は一刀両断された。結界越しのためダメージは無いが、九尾の頭部に当たった衝撃波はわずかに、奴の動きを鈍らせる。ヘルメットをかぶった相手に石ころを投げつけた程度の効果だろう。そして俺たちの周りだけギリギリ避けて、降り注ぐ火の粉。熱い。


「早く逃げろみんな! ここで追撃を喰らうと全滅する!」


 今度は俺が叫び、全員が散り散りに逃げてゆく。マリスさんはその間も独り詠唱を続けており、ぱとりしあが俺の横に付きながら走る。柊は、みんなに固まれと葛葉が指示したときから既に、いなかった。


「状況は悪いね、すごく悪いよ。みんな死んじゃうかもしれないのに、どうして来ちゃうの!」

「そんなのわざわざ説明するまでも無いし、もう来てるんだから駒として使うことを飲み込めよ。で、状況は?」

「う~……作戦に変わりは無いよ。ボクとパパが術式構成を破綻させて、ママが粛清魔術で決める。あーもうっ! みんな来ちゃったんならしょうがないか…………姫ちゃんの梓弓と術破りの矢、あれもボクらと同系統。単発だと全然歯が立たないけど、同時に当てればあるいは、って感じだよ。でもあの結界壊しても地脈から魔力吸い上げてすぐに張りなおされちゃうだろうから、常に付かず離れずの距離で近距離戦に強い人、葛葉ちゃんと白藤ちゃんが居てくれるとありがたいかな。結界が壊れたらすぐ追撃してもらおうよ。で、中距離に川澄さんで『蝿縄』を攻防両方に回してもらう。ダンナさんも中距離で、魔眼をタイミング良く使って隙を作ってね。柊君は……」


 どもるぱとりしあ。川澄さんいわく、九尾が暗狩一族を滅ぼしたとのことだから、その復讐心に駆られて奴は今動いてる。単独プレーをされると非常に辛いところだ。俺がそう考えを伝えると、


「でも柊君の仇は、九尾じゃぁないの。その背に乗っていた、中国系の術士。あの男の人が、九尾を操っていたみたいなんだよ」

「ならその仇敵さえ柊に渡せば、あいつは俺たちの連携を乱すようなことは無い、と」


 連携を乱す程度ならまだしもこちらの攻撃に巻き込んで柊を殺すような惨事になることが、一番怖いというのもあるが。


「難しいけどね。あの人、相当強いみたいだし」


 そのくらいは覚悟の上だ。背後で木々を薙ぎ倒し咆哮する九尾の声を聞き、俺はそこでぱとりしあと別れる。


「とりあえず、それならぱとりしあは姫、史朗さん、マリスさんと合流して遠距離で術式破綻を狙っていてくれ。俺が何とかして柊の標的は九尾から引き摺り下ろす。その間時間を稼ぐから、お前らの術を完成させてくれ」

「了解! あと、柊君に会ったら謝っといて。元々狙う相手が違うのに、けんかみたいになっちゃったから。あと……ありがとね。来てくれて。なんか、誰一人欠けずに勝てそうな気がしてきたよ」

「そうか」

「うん。ボクらが組むはずだった人たち、みんな接近戦弱いし術士としてもボクらより格下だったからね」


 ……それはまた。

 ぱとりしあが後方に走ってゆくのと反対に、俺は九尾の方向へと戻る。見れば、葛葉が白藤を抱えてこちらに走り来るところだった。川澄さんは既に攻撃圏外へ逃げたのか、『蝿縄』の式神だけが黒い羽音の嵐と化して結界に守られた九尾の顔を狙っている。九尾は鬱陶しそうで、時折それが狐火で焼き払われているのが見受けられた。


「葛葉、白藤はどうした?」

「すいません、不覚を取ったようです。九尾の背に居た術士が、退魔の能力を有していたようでして」


 中国系の術士と言っていたが……道士か。確かにあれは妖怪などの化け物を相手取るのが専門、それにキョンシーなどの使役も得意。直接的な派手さはあまり無いにしても、俺たちのような人外では接近して符札に当たればそれで終了。見れば、白藤は額に付けられた符札のために動けなくなっている様子だった。これと同じように、九尾はより強力な符札で操られているのだろう。


「人外の俺たちだと接近はきついな。まあ、俺は魔眼を使えばいいからそこまで接近しなくてもいいかもしれないけど」

「そうです。だから、もし結界を破れても直接攻撃を仕掛けにいけるのは柊君くらいしか」


 だが今のあいつは復讐以外に興味は無い。とにかく、白藤をある程度離れた場所に置いてから、こちらに戻って結界が破れるのを待つように葛葉に言い残し、俺は駆け出す。川澄さんには会って状況を説明しておきたいが、時間が無い。上手くアシストしてくれると信じる。

 そして俺は九尾の前に躍り出る。奴は俺を見つけた瞬間、背の術士共々こちらを見た。

 左の魔眼が奴を捕らえ、右の魔眼が奴を捉える。


「――『識れ』――」


 だが奴は目を閉じる。こいつ――()っているのか? 俺の能力を?

 そして九尾が突撃を開始。雪が蹴り上げられ、その推進力は留まるところを知らない。俺は跳躍して飛び後ろ蹴りで背に居た術士を攻撃、しかしその脚を流星錘で絡め取られ、腹に膝を喰らってから後ろに投げ飛ばされた。


「く、そっ! 吸血鬼としての俺を、能力を知ってるのか!」

「当然。わしはお前を捕らえに来たのだからな。こちらへ来い、絶対為る真理アブソリュートトゥルース。その牙、わしの主人が貰い受ける」


 地面に降りたち、雪で滑りながらさらに移動。離れた位置から、再度問いかける。


「ならなぜ暗狩の一族を滅ぼした!」

「決まっている。それも、主人の命令だ」


 ……参った。どうやら、柊の一族に頼んだ主人と、今目の前に居る中国符術士の男の主人。今の俺は、二つの派閥に追い回されているらしい。溜め息一つ。もう一度向き直る。相手は視界という重要な感覚を封じた状態で戦うのだ、俺に勝機はある。

 体を沈み込ませ、跳躍。と、苦無が八本、符術士に向けて投擲された。発射位置は俺の右手十メートル、完全に気配を隠していた柊が、梢を蹴って飛び出す。


「有和良春夏秋冬、手を出すな」


 そう言って中国符術の男に刃を向ける。苦無はいくつか叩き落されていたが、三本命中、ワイヤーでの追撃も利いている。しかし、出血は少ない。恐らくは何らかの防御が働いている。だが――それを抜きにしても、何かが、おかしい。

 考えていても仕方が無い。もう既に攻撃の挙動に入ってしまっている。俺は側頭部を刈るように回し蹴りを放ったが、いなされて落ちる。柊もその一瞬後に踵落としを放つが、やはりかわされる。そして俺の横に降り、怒号を向けてきた。


「手を出すな、と言ったはずだ!!」

「知るか。ほら、早く避けろ」


 九尾が振り上げた前足での一撃を回避。続く蒼い焔も、並んで逃げることとなる。


「柊」

「……、」


 返答は無い。俺は一応聞いてるだろうと思い、言葉を繋げる。


「俺たちの狙いは九尾だ。背に居るあいつはたまたま攻撃圏内に居た、ってだけでな。だから、ぱとりしあも詫びてたよ、狙う相手は違うのに喧嘩みたいになった、って。……なあ柊、俺があの術士を落とす。その後、九尾さえ倒せればこっちはそれでいい。そこまででいい、共闘しないか?」

「却下だな」

「そうか。じゃあ好き勝手やらせてもらう」


 急激にブレーキング、俺はまたも九尾の方向へ走り出す。盛大に舌打ちしてから柊はこちらへと進んでくる。

 これでいい。居場所も分からない状態で単独プレーされればそれは辛いことになるが、一緒に動いていれば少なくとも予想外の動きをされても対応はし易い。今は柊の動きに気を配りながら、時間稼ぎしてぱとりしあたちが結界を破壊するのを待てばいい。走る途中、少し離れたところで息を潜めている葛葉も見つけた。川澄さんは相変わらずどこに居るのか分からないが、蝿縄が生きてるから生きてるだろう。

 と、俺を追い越してものすごいスピードで走り去った柊が、蝿にたかられている九尾の頭部を通り過ぎて術士に攻撃を仕掛ける。九尾が焔を吐いてそれを止めようとしたが、蝿の嵐に遮られて焔は届かなかった。

 もう苦無を使い果たしたのか、短刀のみで攻撃を仕掛ける。振りかぶった袈裟切り、返す切り上げ、手首を返して頚動脈狙いの突き。最後の突きまで全て逸らされて、九尾の背中に着地、結界で弾き飛ばされる柊。

 ――やはり、何かおかしい。あの術士、確かに動きは良いのだが――それでもレベル的には中の上といったところだろう。なのに、目を閉じたままで柊の猛攻を防ぎきれている。ひょっとしたら気配を感じる能力に長けているのかもしれないが、本質的に暗殺者であり気配を完全遮断出来る柊に限ってそんな技で防がれることは無い。この謎さえ解ければ、あの男をあそこから落とすことも出来るかもしれないが。


「そうすれば柊の邪魔も入らないから、倒せるのに、なッ!!」


 よじ登った木の幹を蹴り飛ばし、九尾の上に居る術士に枝から落ちる雪をかぶせる。相手は既に視界を閉じているが、全身に雪を喰らえば少しは驚くだろう。そこで、頭上からの一撃。適当に転がして作った、大きな雪球。双掌でこれは破砕される、だが既に俺は相手の下に潜り込んでいる。突き出す拳、右ストレート。踏み込みが無い分軽いそれを、腹で受け止められる。硬い感触。岩のようだ。

 だが、かわせない一撃じゃなかったはずだ。それを、甘んじて受けた。さっきからの違和感。

 この男は、避けきれる攻撃も避けない時がある。っと! 危ない、符札を喰らうところだった。一枚でも身に受ければ、白藤のように戦力外にされてしまう。動けなくなるのはまだ望まないところだ。


「動けない……ってことはあの男、動けない理由がある、のか」


 いっそ蝿縄で囲んでもらえれば楽なのだが、九尾の狐火がそうはさせない上にそれをすれば柊がぶち切れる。

 動けない理由……動けないモノ。動かないモノ?


「ああくそ、分からない」

「主人」

「うわ!」


 木陰に隠れようとしていたら、川澄さんが居た。いつでも使えるようにいくつかの符札も構えているのだが、その様子が燕尾服とかなりそぐわない。


「九尾はかなり手ごわい敵だな、私の蝿縄は結界などの魔力で出来たものすら食い破ることが出来るのだが、あちらの補修速度が速すぎて喰らうのが追い着かん。かと言って、これ以上の数に増やすと三分と保たないのでな」

「でも結界は姫とぱとりしあと史朗さんが破壊するらしいから。俺はそれまでの時間稼ぎと、柊を遠ざける役目だ。川澄さんは、このまま蝿縄で牽制しててくれ。で、結界が壊れたら目潰し。あと口から入って内部を食わせて」


 了承、と呟き、手で印を組む川澄さん。途端に、離れたところに居た九尾に集る蝿の数が倍加した。


「このペースだと、あと二十分ほど式神使役を続けられる。持続性を考えなければ三分足らずで魔力切れだが、その分あと五倍くらいまでは使役出来る。攻撃の時は任せておけ」

「頼りにしてるよ」


 それにしても、あいつを倒す方法が見つからない。どうやって大したことの無い身体能力で俺たちと渡り合うのか。

 なぜ動かないのか。


「しかし、九尾を従えるとは大した術士だ。私の情報屋しりあいに聞いたところ、九尾は葛葉の一件以来新たな霊地を探し、そこに住まう精霊と化していたそうなのだがな。その霊地を破壊し地脈の流れを崩し、惑った九尾を捕らえた、というところか。まったく、魔狩りに特化した術士だとしても、恐るべき実力だ」


 ……霊地。地脈。


「っと、やばい。まだ時間稼ぎしないと」

「そうか。ではまたな」


 川澄さんから離れ、俺は走り出す。なんとなく、だが。打開策が見つかったような気がした。まあ、実行は難しい、というか、運に賭けるしかないところもあるけれど。今のところ接近戦で失敗し続けているあいつなら或いは、そろそろ中距離ミドルレンジの戦いに切り替えてくれるかもしれない。

 駆け出してすぐ、柊が走るのが見える。好都合。俺は賭けに勝った。奴の両手はワイヤーを掴み、苦無が引きずられていた。


「――っあああああああッッ!!」


 斬空の一閃。振り回したワイヤーに付けられた苦無が術士の全身を隈なく襲う。あの硬い体、防御策を信頼しきっているのか、頭部を腕でガードしたくらい。残りは全て体に受ける。今回は空中に飛ばず、地面から柊はその一撃を放った。そのため踏ん張りも利いて力が込められており、よろける術士。


「残念だな。わしの体にはその程度の斬撃は通用せんわ」


 そのようだ。しかし。

 動けない(、、、、)お前は、今踏ん張るために脚に集中し過ぎた。腕がおろそかになっている。

 全身を襲ったままの苦無、さらに反対方向からも一撃。両側からワイヤーでサンドイッチにされて尚、術士は崩れない。だが、「全身に攻撃を受ける時」お前はそれを避けない。それが俺の見つけた違和感。

 かわしきれないわけでは無いが、避けない。その理由は、「動けない」からと推測される。その位置から動くこと、をどうしても避けようとしている。なら。こうして全身に攻撃された後、お前には、隙が出来る!! 本来ならその『能力』でかわせている攻撃を、かわせない!

 奴が気づいた時には既に遅い。

 俺の爪先が、奴の後頭部にクリーンヒットする――たとえどんな硬い体であっても、脳を揺さぶられれば、関係無い。

 術士は、崩れ落ちた。九尾の背中から、落ちてゆく。


「貴様! 我が標的を、なんとした!」

「気絶してるかなんかだろ。別におまえの復讐を邪魔する気はないから、安心しろ」


 だが落ちた術士は、まだ気絶すらしていなかった。立ち上がり、一瞬よろめいたが駆け出す。柊はすかさずそれを追う。

 出来ればあちらの戦いも止めたいが……今は九尾を倒すこと、が先決か。九尾は、背から術士が降りた瞬間に動きを止めた。そして徐々に体を震わせ、さっきまでの力無い叫びではなく、本気の雄叫びを上げる。

 木が。草が。人が。空気が。戦慄わななく。

 雲まで届いて天を揺さぶるかのような、怒りの咆哮。……俺の読みは当たったらしい。九尾には、どうも符札らしきものが見受けられなかった。それでは普通操作できない、ならば口腔内などに仕掛けたか? とも考えたが、正に猛獣の口に手を差し入れるような行為、出来るわけがない。その上、奴は九尾の背から動こうとしない違和感。そこから出た答えは。

 術士、奴自身が符札の役目も担っているということ。もし俺の考えた奴の『能力』も当たっていれば、それも動かない要因だったろうが。何にせよ、制御装置だった術士がいなくなったことで九尾は暴れる気満々だ。


「さて……じゃあそろそろいいだろ」


 九尾の正面に走り出て、俺は片手を上げる。

 別に示し合わせたわけではない。ただ、もう十分に時間が経ったと思ったから、一方的に合図をしただけ。


「やれ!!」


 飛来する、白き大槍のような太い矢。轟音と共に迫る姫のそれに続いて、それぞれの叫びがこだまする。

「〝貫矢・白鳥衝嘴〟っ!!」

「……Reinforce the oneself's magic,"Rampart breaker full dress"!!」

「生太刀〝絶禍穿孔ぜっかせんこう〟、独鈷〝四迫撃砲しはくげきほう〟」


 明るい光の柱が矢に追随する。その後ろから史朗さんの投げたバカ長い日本刀と独鈷杵も合わさり、結界突破の一撃と化す。

 三点での一撃は、しかし九尾の結界に阻まれている。間でせめぎ合う力と力、そこに、川澄さんの蝿縄も加わる。結界を補修させないよう食い破る群体。そしてガラスをとがったもので引っ掻いたような、鋭くけたたましい音と共に、結界が消失した。

 間髪入れずに追撃。川澄さんが放った符札が九尾の両前足を縛る、百足の式神に変貌。進もうとしていたのかバランスを崩し倒れ掛かる九尾の顎の下に移動し、焔を吐くことが出来ないように俺が飛び込む。

 踏み込んだ爪先から体をひねり、後ろ回し蹴りで蹴り上げ、ヒットした瞬間に地面へ手を突き、反動でさらに強く蹴り込む技〝却甲〟!! これで口を閉じさせる……っ! 準備は整った。最後の止めへと、繋がる。

 合図するまでもなく、白い光に、俺は粛聖魔術の発動を知った。


「Swift is heaven's judgement,〝Divine punishment〟!!」


 全長二十メートルはあろうかという、九尾を一刀両断にせんとする巨大な白銀の十字剣が上空に顕現した。それが神罰の一撃。粛聖魔術。

 巨人が振り下ろしたかのような重い一撃。しかし九尾は一瞬早く結界を出したのか、その一撃に耐える。とはいえ、急いで発したハリボテのような結界で防げるほど、マリスさんの技は甘くなかった。熱した岩に水をかけたかのような、断続的な蒸発の音。結界が、溶けかけている。しかし離れた位置に居るマリスさんも苦しそうで、もう幾ばくかの時間しか保たないだろう。

 ――だから俺が居るんだけどな。符術士が乗っていた時は俺を警戒させて九尾も目を閉じていたが、今はそうでは無い。

 簡単だ。一瞬でいい、驚かせれば。


「『識れ』」


 九尾に向けて悪意や殺気を発しながら、俺は魔眼を発動させる。

 俺という人間を、あの符術士の姿なのだと。今向けている悪意も殺気も、九尾に向けられた術士の威圧だと。その瞬間、九尾の力がふっと抜けた。俺が冷ややかに見つめるうちに、白銀の大剣は九尾の頭蓋に亀裂を入れる。そのまま背から九つの尻尾まで、ぞぶりと刃が入る。死が、九尾という神格の精霊を支配してゆく。膨大な魔力、それが流れ、消えていく。

 剣が消えると同時、九尾が吼えた。最後の、ひとこえだった。俺の方は、語る言葉もない。ただ、終わったと、そう思った。

 その場から歩き出そうとする。

 と、背後でグル、と唸る声がした。


「は、」


 その巨体が倒れたことで辺りに舞っていた雪煙、その向こうから、牙をむいて九尾が現れる。……まさか。ここまでやられてなお、生きてるとは。

 さきほどの魔眼で魔力もガス欠、人狼の暗示も切れかけている。距離が近すぎた。まさか、さすがに、これは、避けきれ――


「〝無双剣戟〟!!」


 葛葉が空中から舞い降り、九尾の首に衝撃波を放つ。微弱ながら残っているらしい結界に阻まれ、不可視の刃は首半分までしか切り裂かない。そこに返す刀で実体ある刃の一閃、二重に連なる剣戟を打ちこむ。

 と、食い込んだ葛葉の持つ刀、その峰に、さらに剣戟。白藤の構えたサーベルが、さらなる一撃を九尾に加える。二人分の力で切り裂かれた結界、首は、俺に牙を届かせることなくごどん、と音を立てて地面に転がった。無言でサーベルを肩に担ぎ、俺に向かってぎろりと鋭い視線を向けてくる白藤。そして葛葉。


「油断してる場合か、主人」「本当に、危なかったじゃないですか!」

「……ごめん」


 素直に頭を下げる。二人は溜め息をついて、刃を鞘にしまった。

 時間がかかった割には終末はあっけないものだったが、策を整えた勝負など大体こういうものだ。

 駆けて来た五人とも合流し、俺は片手をヒラヒラと振ってそれに答えた。


「さて……後は柊か」


 やってきた川澄さんも魔力切れなのか、ぜいぜいと息を荒くしながら、言った。俺はうなずきを返した。


「あの術士、九尾に乗ってなければ相当強くなるはずだからな。手こずってるだろうけど」


 助ける気は、無い。人殺しの手伝いなど冗談じゃない。

 だが止めるつもりではある。復讐など果たしても奴は暗い気持ちを延々と背負うことになるだけで、それ以上の何かには決してならないから。ただ、その後は術士と俺が戦う羽目になる。なんだか、狙われているようだし。

 今日のところは疲れたし、戦いたくはないものだけど。柊のためなら、仕方ないとも思えた。


「さて、こっちは片付いたし、柊の方に行こう。殺し合いなんて止めるべきだ」

「神格の精霊倒した後でまだ戦いを見なきゃなんねーのかよ。もうあたし疲れたぞ」


 なんだかんだ言いながらも、みんな付いてくる。俺は一息入れる間も無く踏み出し、どう戦ったものか思案する。

 みんなには話しておいた方がいいだろう。あの術士が、俺を狙っているということを。


「……一体誰なんだか、俺を狙ったりしてるような奴は」

「オレだ」


 その声は、真上から聞こえた。

 顔を上げると、黒い影。枝に立ち木の幹に背を預けていた男は、俺の前に降り立ち進行方向を塞ぐ。

 黒いトレンチコート。その立った襟の中で輝くシルバーブロンドの短髪。眼鏡の奥に見える、琥珀色の瞳。

 ちょっと前まで宿屋の客だった、リオ・エヴァンス・ド・ブロワ。


「リオ?」

「ああ。久しぶり、というほどではないにせよ、この国では短い間離れてもその言い方が通例らしいが…………さて、まさか九尾を倒すとはな。人員が揃っていても成すとは思っていなかったぜ、素直に賞賛しよう。さすがだな、絶対為る真理。やはりお前は十分、警戒に値する獲物()だ」


 声音は強い意志を秘めて。こちらを見据えている。コートの裾が、風にはためいた。


「敵、って。どういうことだ?」

「そのままの意味だ」


 ざくざくと雪を踏みしめながら、リオは近づいてくる。両手はコートのポケットに入れたままで、戦闘態勢ではないのに。威圧感は、さっきの術士のそれと同じくらいに強かった。いや、ヘタをすると九尾と同じくらい。


「オレは、お前を捕らえるため。暗狩一族に働きかけ、道士・李小龍に働きかけた。もっと言えばテオドール・メイザースを雇ったのもオレで、星火燎原もだ。それ以前の襲撃者も、三年前からはオレが雇った者が多く居る」


 なんだ。

 こいつは、何を言っている。


「どいつも失敗したが、だからと言って自分が表に出ることは出来なかった。オレ達が表に出れば、間違いなく狙われる羽目に陥るからな。お前の父、有和良斎に。五行を制した最強の男、〝輪廻転回〟に」


 父さんが?

 なぜ、リオたちを狙う。そして、達? 他にも、居るのか?


「ひととせ、そいつ、嫌な感じがする。離れろ」

「姫、だったか。お前の予想は当たりだな。確かに、オレはこいつを殺そうとしてるが。でも、それは今じゃない」

「近い将来にはやる気、という考えが見受けられますが?」

「勘がいいな、それも当たりだ」


 薄く笑みを浮かべながら、三歩下がるリオ。目線は、俺から一時も離れない。


「さて、オレはこうして今ここで、お前に接触している。その理由は簡単、とうとう三ヶ月ほど前、輪廻転回にオレたちの居た場所がバレたからだ。……この十六年、ずっと続けてきた追いかけ合いも、とうとう終わりを迎えたわけだよ」

「十六年?」

「お前が生まれてから、ということだ。……とはいえオレはお前のことを何も知らんのでな、計りにきた。もしどうしようもなくクズにも満たない奴なら、時が満ちれば即殺そう。だが人格的に問題のさして無い、正常な人物なら……改めて、お前の敵と為ることを宣言した上で、決闘という形を取ろう、と考えてな」


 ポケットから出した手。そこに握られていた白い手袋が、俺にぶつけられる。

 瞳が俺をねめつける。極寒のこの地においてなお、俺はさらなる震えにさいなまれ、たじろいでしまう。


「リオ・エヴァンス・ド・ブロワ。この度正式に有和良春夏秋冬に決闘を申し込む。勝負はどちらかの絶命を決着とする形式」

「……俺にそれを受けなきゃならない必然性は、無い」

「いや、ある」


 状況が飲み込めず、必死で絞り出した俺の言葉は、リオの断言でかき消される。白く息を吐く彼は自分の喉をつかみ、ごほりとせき込んでから、血でも吐きそうな嫌な声でつぶやいた。


「戦いに勝利しなければ、お前は二年程で死ぬからな」


 し、ぬ? ――それは。何の冗談だろう。

 わけがわからず混乱する俺をよそに、リオはあくまでも冷徹に、事実を告げたのみという顔をしていた。そのことがまた、俺の中に困惑を生んだ。

 俺が、死ぬ?

 なぜ?


「戯言を並べて我が主人を振り回すのはやめてもらえんか」

「戯言とはな。吸血鬼のことは吸血鬼が一番よく分かるというのに」

「貴様が吸血鬼じゃと?」

「その通り」


 頬を歪めれば、犬歯がのぞいた。あわてて全員が目を逸らす気配を感じたが、どうやらリオは本当に決闘にしか臨まないつもりであるらしく、隙だらけだったはずの俺に手を下すこともなく、ふんと鼻を鳴らすのみだった。

 そして、リオは俺たちに背を向けて歩き出す。


「期限は一ヵ月後。場所はルーマニアの古城、ツエペシュ城。詳細は追って連絡する」

「ま、待て。さっぱりわからないことばかりで」

「わからない?」


 一瞬だけ振り返って、リオは鼻で笑う。もうお前は答えを得ている、と表情で示す。


「自分の体が一番、自分の寿命に正直だぜ」


 そのまま、リオは雪煙の中に姿を消し。

 俺は成す術も無く呆然と立ち尽くしているのみだった。


        +


 そこは果て無く広がる草原グラスフィールド。低い、芝のような蒼い草を下駄で踏みしめ、黒い羽織に着物姿の男が現れる。

 片手にはトランク。白髪交じりの髪と、四角い眼鏡。疲れた表情が哀愁を感じさせる、中年の男。

 眼前には、巨大で古めかしい、城。その昔に吸血鬼が居住していたという伝説があり、いまも吸血鬼が在住しているという噂のある、城。男はトランクの中身をゴトゴト鳴らしながら、その城へと近づいていく。

 大きな広い大理石の階段の上、三メートルはあろうかという重たい扉を開いて、一人の女性が現れた。黒いロングドレスを纏い、かなり長い、ところどころカールした美しい金髪を持つ、エルフか何かと見まごう程の美女。彼女は金色の瞳で男を見て、ふっと溜め息を吐いた。溜め息は白く曇り、風が吹いて流されてゆく。


「今日は寒いから、外に出たくはなかったわね」

「来客があれば嫌でも外に出るものだよ」

「あなたは客ではないわ。それに、わたしは居留守を使うくらいの度胸はあるもの」

「なるほど。互いに」

「年を取った、とでも言いたいのかしら?」


 セリフを取られて、肩をすくめる斎。対面した元妻――マリアの放つ冷たい雰囲気に、全く動じていない。二人はその身分の差を表すかのように、階段の上と階段の下、二十メートルも離れた位置で会話していた。


「ま……こんな寒い、遠くまで来たことだしね。僕としても早く体を温めたい。用件はさっさと済まそう」

「四季折は、渡さないわよ」

「分かっている。僕も、春夏秋冬は渡さない」


 二人は笑顔で向き合う。マリアは、冷たい空気がさらに凍てつくようになるほどの気迫で以って斎を見た。斎も、全てを飲み込むような暗く、深い瞳で、マリアのことを見つめた。


「君の娘の血を飲ませなくては、僕の息子は死ぬからね」

「あなたの息子の血が無くては、わたしの娘は死んでしまうもの」


 両者、引けない。

 こうして言葉を並べあうのは、決闘すると決めたから。

 全ては予定調和。イギリスにあった別荘に辿りついた斎は、すぐにそこを『消し飛ばした』。そして残っていた執事バトラーから穏便に次のマリアたちの移動先を聞いて、それから郵便で手紙を出した。

 中に、手袋を同封して。


「吸血鬼の悲しきさがか。そんなものが無ければ、まだ僕らも一緒に暮らしていたかな」

「それはないわね」

「無いな。今のは失言だったよ。僕と君は、考え方が対極過ぎた。それで上手く行く人たちもあるだろうけど、少なくとも僕らは無理だった。だから離れた。正直言って、あの時僕は君の考えを非人道的だと思った」

「わたしも信じられないわよ。身勝手なあなたの自己欺瞞のために、二人の子を失わせようだなんて。狂ってる。あなたはあんな行動を起こせた時点で、人間じゃない。悪魔に魂でも売り渡したの?」

「それで息子が助かるならそうしていたさ。でもね」


 ばさり、と羽織が広がり、その中から符札が大量に出現する。斎の周囲を取り囲む符札、百枚。トランクを地面に置いて蹴り飛ばすと、ばかりと開いてそこからひとりでに甲冑が組みあがっていく。あっという間に武者が一体、斎の隣に現れた。


「東洋には、そういう感じの悪魔がいないんだ。猿の手も、望んだものを歪めて現すのみだしね。だから、僕はモラルも良心も捨てることに決めた。息子以外の全てを捨てることにした。――あの時逃げて正解だったよ。これだけ長い時間はなれた子など、我が子とはいえない。だから……殺すにも、躊躇しないよ」

「やっぱり、あなたは狂ってるわね。そして愚かよ。今頃、わたしの考えを認められるようになったの?」

「認めるようになったんじゃないね。僕の中に、新たな考えとして生まれ、育っていったのさ」

「そう」


 マリアは杖を取り出す。身の丈程の長い杖は、金や銀で装飾を施され、頂に緑色の宝玉を輝かせている。マリアの背後に、白いワンピースのみを纏う、透けるような白い肌の少女が現れた。薄い栗色の髪は踵を越えてまだ余り、その幻想的な雰囲気は彼女が人間で無いことを示す。


「じゃあ、やろうか」

「お手柔らかに、ジェントルマン」


 斎は和の形式に則って礼をし。

 マリアはスカートの裾を持ち上げて礼をした。


 子の命を懸けた戦い。


 プライドを捨てた戦い。


 この世で最も美しく、残酷な舞踏会。


 いま、はじまる。


 舞踏会は終わらない。


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