二十八頁目 二階堂家で会いましょう。(討伐乃隊)
川澄の居た暗狩一族の里はぱとりしあの実家からはそう遠くない位置にあったのだが、縛った状態の柊を連れたまま公共交通機関を使うわけにもいかないので迎えの車を出してもらうことになっていた。森の中にある墓地の入り口で延々と煙草を吸い続け、ずっとこちらを睨んでいる柊を無視しながら待つ。
やがて、結界の入り口で色々ひと悶着あったようだが、二階堂家の黒塗りのベンツが現れた。
ぱとりしあの本名は、「ぱとりしあ・さくら・二階堂」である。名を付けたのは母親なのだが、その頃は日本に来て日が浅く、ひらがなしか書けなかったのでこのような名前になったらしい。車内からは礼儀正しい執事の男が現れ、川澄の羽織を受け取ったりする。そして、柊はというと。
「あー、別にそのような扱いにせんでも良いのだがな」
「そうでしたか。では、座席の方に座っていただく、ということで?」
「……いくらなんでもトランクにぶち込むというのはな。人攫いじゃあるまいし」
唸りながら必死でトランクに入れられないよう抵抗していた柊を、川澄は隣に座らせてベンツのシートに沈み込む。高級な車というだけでなんだか落ち着かない気分になることも昔はあったが、対外交渉で高い立場の人間に遭うことが多くなるうち、さほど気にせず堂々と座り込めるようになっていた。相手の空気に呑まれることなく、自分のペースを保てることは、どんな場においても有用なスキルである。
振動も少なく、ベンツが走り始める。このような焼け野原にベンツで乗り込むというのも相当な嫌味に映るな、と川澄は考えながら、スモークのかかったガラス越しに暗狩の里の成れの果てを眺める。そのまま腕を組んで、隣の柊に話しかける。
「おまえが何を考えておるかなど、私にはわからん。それなりに酷い人生は送ったつもりだが、このような経験はなかったのだしな。だが、これだけは言っておくぞ。不条理な出来事に対して燃やした怒りは、結局無為なものとなる」
殺しかねない勢いで柊は川澄を睨みつけ、その殺気と怒気は車内を満たして外へも流れ出す。あまりの気迫に執事は運転を止めてしまい、後部座席に座っている二人を見やる。だが川澄の舌戦は止まらない。柊は今にも拘束を破りそうで、口に噛まされた百足は今にも噛み千切られそうだったが。しかし、川澄も気迫は負けていない。
静かに地の下を流れる、溶岩のような熱い怒り。再び、口を開く。
「甘えるな、敗者。家の言いなりになって生き、やりたくも無いことに手を血で染め。ある日、天災のような物事でその家を失い、指針を無くしたことから自棄を起こして私に斬りかかり。その果てに何を見た? おまえはなんでそこに居る? 何をしたかったのだ? 暗殺などという人殺しで他者に不幸をばらまき、不条理を生み出し続けた。そして自分に不条理が返り、何を怒る権利がある?」
「…………ッ!」
ギチギチと百足がきしむ。ただの力技で、柊はその術式を破ろうとしていたのだった。これが破られたらさすがに手の付けようもないな、と川澄は心中で苦笑する。
川澄の使用出来る術は大きく分けて二つ。多様な生物を模し、その個個が持つ性質を強化した式神術式。そして物理的・魔術的な障壁を生み出す結界術式。前者は二流、後者は三流の腕前といったところだ。
とはいえ、その二つを組み合わせて使用した〝結式〟は真似できた者のいない、間違いなく超一流の技。自律行動する『移動式結界』という本来存在するはずのない術である。これ以上は無い、と本人も気づいている。それを全力でかけているのだ、破られればもはや川澄には打つ手は無い。
今、柊はそれを噛み千切ろうとしている。にも関わらず、川澄は柊を謗る言葉を止めなかった。
「しょせんおまえは子供だ。だからこそ、そんな生き方でも良かったのだろう。誰かに従い生きる、それは簡単で確実なものだ。それを私は非難はせん。だがな、人に従うというのは、その従う相手が倒れた時のデメリットも全て請け負う、ということを理解した上でやらねばならん。覚悟せず従い、自分が不利な状況に追い込まれれば怒りを露呈する……おまえはとんだ臆病者ではないか? 重圧に耐え人の前に立つことも、先導者が倒れた時その重荷を背負う覚悟もないとは。これからどうするのだ」
伸びきったゴムを無理やり千切ったような音がした。口から血を流しながら、柊は百足の足を噛み千切る。百足の術式があえぎ、のたうつ。しかし川澄は動じない。柊の紡ぐ言葉に、耳を傾けるのみ。
「……我の命は一族の仕事がためにあった。一族を無くした今、我の命は誰も知らぬ。このまま闇に消え死すれば
「達観したフリをするでないわ、この馬鹿者が」
がばっと柊の前に移動し、顔面を鷲掴みにして、川澄は言葉を遮る。
「目標を立てろ。夢を見ろ。おまえは仕事を失った、ならば宿屋の従業員でもなければ暗殺者でもなかろう。では今度は普通に生きろ。ガキのように毎日遊び狂ってろ。おまえはガキだ、だからそれが許される」
「黙れ! 既に居場所も無いというのに、どこで生きろというのだ!」
「今度は従業員としてではなく、仲間として宿に戻れと言っておるのだこのうつけめが!」
にらみ合い、そして柊から先に視線を外す。視線は窓の外、壊滅した故郷の風景を瞳の中に写し、唇を噛み締める。二人の言い争いが終わったのを機に車は動き出した。柊はシートに百足の間から出た拳を打ち付ける。それっきり、動くことも話すこともなかった。
川澄はその間膝の上に肘を乗せ手を組み、その両手の上に顎を置いて、目を閉じ全ての外界から来る情報を遮断していた。
+
久々の遠出は望外に眠る時間をとれず、俺にとってはいささか満足の出来ない旅だった。部屋に戻っても眠る気にさせてもらえず、かといって車両の連結部でやれることなどなく。電話機の近くで延々と立ち尽くしていると、気が付いたら日が昇っていた。
窓の外は冬景色、白い雪積もる銀の原が広がって、その表面に陽光が反射している。立っている樹木はまばら、生物の少ない静かな世界。ふうと一つ息を吐き、俺は部屋に戻る。朝食の準備はまだだろうが、早めに三人を起こして俺が仮眠をとってもそろそろいいだろう。
「そら、起きろ。朝だ」
カーテンの隙間から手を突っ込んで壁をノック、三人がのそのそと起き上がる。ただ、朝に弱い姫だけは布団をかぶってその音すらも遮断する心持ちのようだった。仕方なくカーテンを開け、布団をはぐことにした。
「な、ちょ、おいこら! 寝起きの顔見るな!」
「そう思うなら早く起きてくれ。こっちは一睡もしてないんだ」
こそっと布団から顔の上半分だけ出した姫は、俺の目の下に出来たクマに気づいたらしい。それから少しだけ頬が上がって、
「……馬鹿じゃねぇの? なんでちゃんと寝てないんだよ」
笑いやがった。なので俺は自動販売機で買ったアイスティーの缶を、布団の隙間から中に突っ込んでやった。
「みひゃあ!? な、なにすんだ!」
慌てた表情の姫を見ることが出来たので、それで俺はベッドの上にかかるはしごを下りた。葛葉と白藤はごそごそと中で着替えているらしく、昨夜のことを思い出した俺はその場から退散して食堂車に向かう。やれやれ、どうやら少しも寝ることは出来ないらしい。
仕方ない、睡眠欲の充実は諦め、食欲を満たすことを考えることにしよう。ぶらぶらと向かう途中、朝食はパンがいいな、と考え、紅茶もあるといいな、とも思った。
俺が四人がけの白いクロスがかかったテーブルの一角で陣取っていると、やがて三人がやってくる。葛葉は既にしゃっきりとしているが、白藤と姫はまだ眠たげだった。席について、軽く水に口をつける。
「相変わらず朝弱いな。少しは改善した方がいいんじゃないのか?」
「うるさいぞ。大体、あたしは猫なんだから寒いの苦手だもん」
昨日はチョーカーをつけていたが、今日は白い大きなマフラーを首に巻いていた。着替えて眠るのが早かったため汚れていないからか、三人とも昨日と同じ服装。かくいう俺も、眠れていないため着替えることも出来てない。大きく一つあくびをかますと、正面に座った葛葉が問いかけてくる。
「列車が着いたら、迎えはあるのでしょうか?」
「いや? 正確な時間とかは教えてないし、大体家の仕事が忙しいから帰ったんだろうし。迎えにくる時間はないだろ」
「しかし侍従や執事に事欠かん屋敷に住んでおるとあやつは言っておったじゃろう? ならば迎えの者くらいは来るのではないかのぅ? というより、来てくれた方が楽で助かるんじゃがな」
禁煙と書かれていることを全く無視して、横で白藤はぷかぷかとキセルを吸い始めた。まだ他にお客は居ないようなので放置するが、もし一人でも他の人が入ってきたら火種のところにお冷をかけよう。
「そうだけど、あんまり手をわずらわせてもダメだろ。位置は聞いたし、タクシーと歩きで行けばいいさ」
と考えたが、先方はその考えを覆した。
駅のロータリー部分には、日本国には不似合いなリムジンが止まっている。黒塗りのリムジンが一台あるだけで畏怖するような日本国民相手に、それが二台。……これはさすがに違うだろう。迎えに来るとしても、もう少し押さえた控えめな車だろう。
「みんな、さがせー。もっとこう、一般的な車を」
そう言いつつ横を通り過ぎようとしたら、中から出てきたカイゼル髭に白髪オールバックのおじさんがドアを開けてくれていた。白いシルクの手袋にテールスーツ、見事に着こなしている。そしてその対応たるや、英国紳士でもここまで出来るとは思えない。
ともかく、居心地が良すぎて一周通り過ぎ、恐縮してしまって居心地の悪い空間となった車内。俺は身を縮こまらせて隅の方に座った。正面には同じように固くなった葛葉。俺たちの間には表面に水滴のついていない、つまり室温で保管された赤ワイン、少し冷えた白ワイン、氷水につけられたシャンパンがグラスと共に置かれていた。スペースはそんなに取っていないそれが、異様なまでのプレッシャーで俺たちを威嚇する。
「……不躾なことを言ってしまいますが、このワイン一本でもわたしたちの月給を上回るんじゃないですか?」
こちらに目を向け、首をかしげる。笑顔が少し引きつっていた。
「さすがにそれはない、と思いたい、けど……あ、ごめんやっぱ無理、ロマネ・コンティだこれ、しかも良い年代の」
薄給とまでは言わないが、そこらの新卒の初任給くらいの賃金しか渡していない宿屋の面子ではしばらく貯金しないとこれは飲めないだろう。置いてあるということは飲んでもいいと言うことだろうが……んなことが出来るほどお金のある一族なのだろうか。
ふと後ろを振り返りたくなる。しかし白藤と姫の座る後部座席は見えない。
遠慮容赦なく白藤は飲んだくれているのだろうか。
「……すいません、こんな待遇で出迎えさせてしまって」
運転している寡黙なカイゼル髭さんに話しかける。濃い髭の下でカイゼルさんは微かに笑った。
「お嬢様から直々に仰せつかった仕事ですので。ああ、それとその酒類は飲んでいただいて構いませんぞ」
俺は未成年だが。そういうのを抜きにしても、丁重に断らせてもらう。
「いや、本当に申し訳ありません。多分後ろに乗ってる眼鏡かけた長い黒髪の奴が勝手に飲み始めてると思います。すいません、高いお酒を消費させてしまいまして」
「ははは、後ろの車両に載せたのは一本千円のワインですので大したことはないですがね」
事前にこっちの人間性は調査済みか。俺はほっと一息つく。葛葉も、胸を撫で下ろしていた。
「でも、こんなことが出来るとは。ぱとりしあの実家は相当なお金持ちなんですね」
少しばかり安心して緊張感のほぐれた葛葉は、カイゼルさんに話しかける。すると彼は髭の下から下唇が見えるくらいには笑った。バックミラー越しに見えたのでわかりづらかったが。
「二階堂家は残念ながら、衰退した一族でございます。古来より続いてきた『そういう』家系は今では大半が前線を離れ魔狩りの職務に就いていないというのに、いまだに続けなくてはならないことがその証拠。もちろん一般の家柄よりは多少なりとも富裕な層といえるのですが、それでもまさか、ロマネ・コンティを毎度お客様に振舞えるほどではありませんよ。あなたがたの人柄を知っていて、お嬢様がからかっただけですからな」
その言葉に頭が痛くなるのを感じる。それから良く見れば、ボトルの先端、コルクの部分には開けてから戻した形跡があった。余計頭痛がひどくなる。栓抜きでコルクを引き抜いて中に入った液体の香りを嗅いで――葛葉に渡す。
「……ぶどうジュース、ですね」
「だな」
「後ろの車両は、安物とはいえワインなのですがね。あなたがたはあまり飲まれないとのことでしたので」
白藤は「ロマネ・コンティを飲んだ」と思い込み、満足した表情で車を降りるのだろう。その気分を害すのも悪いので、俺と葛葉はあいつには酒の正体について何も言わないことにした。
車は雪の積もる山道を登り始める。ぐねぐねと九十九折になった坂をひたすらに上がり続け、そこで三十分を要した。次第に広い道に出て、両側を杉林に挟まれたまっすぐ続く国道が出現。しばらく進んで、林の間に空いた道に入り込む。
三メートルくらいある鉄柵、門。噴水と前庭を通り過ぎると、大きな、本当に大きな洋館があった。二階建て、巨大だが堅牢な様子のそれは、要塞にも見えるが俺の目には監獄と映った。やれやれ、なまじ一度ぶち込まれたことがあると閉鎖的な雰囲気に出遭えばすぐあれを思い出すのが嫌な気分だ。
車から降りると、山の上ということもあるだろうが一段と寒い風が吹く。後ろの車両を見れば、先の九十九折山道で悪酔いしたらしい白藤がぐったりしながら姫に支えられていた。俺たち四人は円柱にテラスを支えさせ、その下に口を開く樫製の重そうな扉に近づく。
「大丈夫か、白藤」
「……うーむ、良い酒は、酔うのも早いんじゃな」
ぐったりと腰を折って姫に身を預けている。間違いなく、悪酒と山道で悪酔いをしていた。真相を知る俺たちはあまりにも可哀想で二の句を継げず、なんだか視線を交わして溜め息をつく他無かった。
間の良いことに、扉の向こうからぱとりしあが現れる。淡いグリーンのロングドレスに身を包み、頭には黄色いカチューシャ。少し印象は違ったが、すぐに持ち前の笑顔を見せたのでそれとわかる、うちの従業員。歩みよってくると、裾の広がったスカート部分やふわふわした金髪がなびいた。
印象が少しだけ違うというのは、真面目そうで気品が漂っている、ということ。一応、格式在る実家に戻れば少しは気も遣うということか。逆に言えば、宿屋では不作法者ということになってしまうが。そっちが本性か。
「ようこそ、二階堂家へ。白藤ちゃん以外は元気そうだね?」
「とりあえずこいつを寝かしつける部屋を割り振ってくれっと助かんだけど」
重そうに白藤に肩を貸していた姫。俺が交代する。ぱとりしあはうーん? と考え込んで、すぐに後ろの執事さんたちを手招きした。どうやらあの人たちが運んでくれるらしい。
扉から入ってすぐのところにあるホールは、姫とか妃とか名のつく人でも通るんじゃないかというほどの階段があり、そこをえっさほいさと白藤が運ばれてゆく。天井近くには山々とその間にある街を描いたクセのあるタッチの絵画が飾られており、その脇には歴代の当主たちと思しき肖像画も並べられている。
ホール内はふかふかの絨毯が敷き詰められ、ぐるりと首を回すだけで高価そうな調度品がいくつも目に入る。……考えるのがちょっと面倒になるくらい、お金持ちな家だった。
「さ、白藤ちゃんはダウンしてたけど、こっち来て。パパとママに会わせたいの」
先を歩いてゆくぱとりしあは、俺たちの右手側に見える扉に近づいていた。両開きの扉は今通ってきた玄関口よりはわずか小さめだが、通る時頭上に見えた札には「Dining room」と書かれている。扉を抜けると部屋は長く広く奥まで続いており、端から端まで二十メートルくらいありそうなテーブルがあった。テレビとか創作で見るたび思うけど、明らかにこれ実用的じゃないよな。
こちらの端と反対側にどうやらぱとりしあの両親は座っているらしかったが、全体として部屋が薄暗く、その輪郭もぼやけている。明かりは、テーブル上のロウソクと高い天井に吊り下げられたシャンデリアのぼんやりしてはっきりしない光のみ。
つかつかと歩いてゆくぱとりしあに付いてゆくと、部屋の一番向こう側でパチパチと暖炉の火が爆ぜていた。生暖かい空気の中、その火の光で逆光になっている人物が三人居た。
一人はふわふわした金髪、緑の瞳、ということから電話で俺が話したぱとりしあの母だとわかる。そしてもう一人は、白髪交じりの黒髪を後ろで一つに束ね、顎鬚を生やした厳格そうな男。おそらく、俺の父と同じくらいの年齢。
最後に、テーブルから少し距離を置いて座り、腕組みをしている人物。短い白髪をセンターで分け、フレームレスの眼鏡に暖炉の火を映し、しわの刻まれた肌。この洋館には不釣合いな着物を着ていて、肩に黒猫を乗せている。黒猫スミスは、俺たちを見てにゃにゃ、と鳴いた。
「川澄さん?」
「……私の方が到着は早かったようだな」
ということは、昨晩ぱとりしあに電話した時に言っていた通り、既に柊は捕まえていて、もう探す必要はないということだろうか。俺はあいつのことを考え、一刻も早く会いたいと思ったが、その前にまずは礼儀として前に居る二人に挨拶をするべきだと思った。呼吸を整え、姿勢を正す。
「お父様、お母様。ボクがお世話になっていた、宿屋『紅梅乃花弁』主人の有和良春夏秋冬さん。その後ろの赤い髪の方は、一緒に働いてた白猫明神姫さん。同じく同僚の、背が高くて短い黒髪の方が神代葛葉さん。最後に、長い黒髪で眼鏡をかけているのが、宿屋『紅梅乃花弁』でもあり同僚の、白藤紅梅さん」
順に紹介されたので、まずは俺から自己紹介をする。
「初めまして。宿屋ではぱとりしあさんと一緒に働かせていただいていた、有和良春夏秋冬と申します。よろしくお願いいたします」
「あっ、と、同じく、姫です。よろしくお願いします」
「葛葉と申します」
「白藤紅梅じゃ。ぱとりしあには世話になり、多大な感謝をしておる」
それぞれが自己紹介を終える。ぱとりしあの両親はじーっとそれを見ていたが、やがて背もたれに深くもたれこむ。
「……あまり面白くないですねー」
「そういう席だから仕方ない、マリス。さて、それぞれ席にかけろ。飲み物でも持ってこさせよう、水か麦茶か白湯か、どれでも好きなものを頼むがいい。まずはうちのぱとりしあをこき使ってくれていた君だ」
なんだか色々とぞんざいな口調に圧されて、俺はとりあえず水を頼んだ。するとぱとりしあ父は不機嫌そうに顔をしかめる。
「……何も言うことなし。か」
「ええ? あの、ありがとうございます」
「天然でやってるならつまらないが策略の上でその反応か? なら面白い人材だと言っておくぞ、有和良春夏秋冬。――さて、自己紹介が遅れた。私は二階堂史朗。ぱとりしあの父だ。そしてこちらはマリス。私の愛して止まない嫁だ」
「わたし今年二十八歳ねー」
「若さからの行動だった。後悔はするはずもないが」
…………色々ついていけなかった。川澄さんを見ると、特に何も言う気は無さそう。多分、先にここに着てこの常時ツッコミ待ちの夫婦に振り回され、もう疲れたのだろう。この二人、なんとなく、俺の父を彷彿とさせる具合だった。
「……なんでまず飲み物の選択に白湯が入ってんだよ。しかも愛して止まないって普通によく言えるな。つーか今年二十八だとぱとりしあの奴は十一歳くらいの時の子になんだろーが、そりゃ有り得ねぇっていくらなんでも。しかも後悔するはずもないってなんだよ完全にロリコンじゃんかよ……」
しかし実に丁寧にツッコミを入れる人がここに居た。おかげで、史朗さんとマリスさんは「おやおや?」と言いたげな顔で姫を見ている。こういう人々は完全完璧に無視するに限るというのに、心優しい姫は丁寧に対応してしまった。溜め息をつく川澄さん。
「姫ちゃんだったか。君にはうちで一番豪華な部屋を進呈してやる。それと、後で私の部屋まで一人で来い」
「ふざけんな。あたしにとって危険ってわかってる奴の部屋に誰が好き好んで行くかよ」
ああ、自分で自分のこと一応ロリだとは思ってたんだ……。
「言い値を払うが」
「『愛して止まない嫁』の前でよく言えんなそんなこと!」
「わたし、第三夫人ねー」
「姫ちゃんは第四夫人になるが、順番は変えられない。我慢しろ」
「ならねぇよ。ってゆーかこの国では一夫多妻は無理だろ!」
「そーそー。第一第二の妻はわたし来日して一週間でデッドしましたー。多額の保険金がかかってましてねー」
「犯罪の臭いがすんだけど……」
「姫、もうしばらく口を閉じてた方がいい。おまえがツッコミを入れれば入れるほどこの二人はつけ上がるよ」
横に居た姫の肩をポンポンと叩く。するとようやく状況が見えてきたのか、暖炉によって逆光になっている二人がにやにやと笑っているのが見えたらしい。しかしまあ、ぱとりしあをあんな人柄に育成した人間が厳格そうだなんて、俺の観察眼も相当に曇ってしまったらしい。
最後に、川澄さんがゴフンと咳払いして、ようやくちゃんと話し合えそうな環境が整った。が、そこでメイドさんが持ってきた飲み物が本当に白湯だったことでしばらく史朗さんとマリスさんが大笑いしていたので、やはり話は進まなかった。
「さて、君らはここまで従業員の子を連れ戻しに来たのだったな。その子は、先に着いた川澄さんが既に捕えている。上の部屋に閉じ込めてあるが、その子を連れて帰れ。以上、解散」
今回は本当に冗談とかツッコミ待ちではなく、心底からそう言っている様子だった。
「パパの物言いは常に命令形だから攻撃的に見えるけどね、いつもはさっきみたいな笑い話大好きな人柄なの。ただ、今はお仕事中だから」
ぱとりしあはそう言った。しかし、蝿を追い払うような動作でしっしっ、と部屋を追い出されると、なんだか釈然としないものはある。ただ、部屋を出て行く時になって、史朗さんは一言、広間の反対側から走ってくると、俺たちにこう言った。
「あーそうだ。まだ言ってなかったな、君ら。いつもぱとりしあが世話になってる。ありがとう」
それだけ言うと、また元の位置にせかせかと戻っていった。まったく、わからない人だった。
「これからぱとりしあはどうするんだ?」
扉を出て、二階にあるという俺たちに振り当てられた部屋に行く途中、問いかける。俺たちを案内するために正面を歩くぱとりしあは、それを聞いて苦笑しつつ、肩をすくめた。
「ダンナさんたちを部屋まで送ったら、パパとママと作戦会議しながら他の討滅メンバーの人たちを待つの。最低でも十人は居ないとね、九尾は倒せないもの。はあ、ああいう力技ばっかりの精霊さんは打つ手が絞られるのはいいけど、その絞られる、っていうのは裏を返したら『限られてる』ってことでもあるしね。手をきっちり考えておかないと、生存確率が減っちゃうもん」
最後、「生存確率」という言葉を口にした時。ぱとりしあの瞳は驚くほど細められ、声はひどく乾いた、冷たいものに感じられた。普段とのギャップでそういうのを見せ付けられると、なんだか怖くなる。
そして、聞かなくてもいいことを訊いてしまう。
「――生存確率、って。今のところ何割くらいなんだ?」
「三割切るよ。正確には、討滅隊のうち二、三人が生き残って九尾を仕留める、っていうパターンしかないから、その二、三人の中に入れる確率のことだけどね。あ、でも役割ごとの生存確率で言ったら、仕上げ役以外は一割以下なの。まあそんなもんだよね」
ぞ、っとした。ぱとりしあの声はあくまでも平坦で冷静で、己の命を天秤にかけることに何の躊躇も無き、自分というものを上手く数えられていない人間のそれだったから。
俺たちの戦慄にも気づかず、ぱとりしあはペラペラと作戦のことについて述べ始めた。
「何にしても、こんな仕事に派遣される人が少ないからね。そこでも手は限られちゃうの。それに、限られた人材の中で生かせる能力を測らないといけないしねっ。やっぱり人間、誰でも適材適所が基本だよ? その『適所』がお墓でもある、っていうのも面白い話だけどね。ボクは相手の術式構成の破綻が主な能力で、一番前線で結界を解除しなきゃなの。だから生存確率で言ったら、間違いなく五分以下。五分五分の五分じゃないよ? それから、パパは神道の流れを含んでるから清めとかで結界破壊、あと回復も任されてるの、だからボクよりは後ろで、一割くらい。ママは西洋魔術の中でも粛聖魔術に特化してるから、仕留める一撃を撃つ係、これは三割くらい、でも相撃ちの確率は九割だね。うんうん、これから先被害が広がることは、ほぼ確実に食い止められるの。十人束になってかかるっていうのも、卑怯っぽいけどね。あ、でももしも人が集まらなかったら、無駄にボクらは死」
「やめろよ、そういうの」
痛ましい話を淡々と、何も思うところがないかのように呟き続けるぱとりしあ。俺が止めると、きょとんとして首を傾げた。
「なんで? どして?」
「……予測で出ても、そういう自分が死ぬ話なんて、よせよ」
「でもお仕事は成功させなきゃだから。ちゃんと色んなパターンを考えて、予想外の状況にも対応しなきゃね」
「なら、死ぬ可能性は減らせねーのかよ? それだけきちんと考えてんならそんくらいの方法は思いつくだろ」
姫が問いかけると、ぱとりしあは人差し指を頬に当てて、んー? とうなりながら考え込む。その仕草も、声も、普段のぱとりしあとなんら変わるところはない。しかし、決定的にその瞳からは感情が欠落していた。
自分を、駒の一つとしてしか考えていない瞳。狂信者のそれとも違う、例えるなら未来をうかがい死ってしまった予言者のそれ。
「そうだね……なら、予測じゃなくて予想、Ifの話をしよっか。もし、もっと沢山の人が討滅のために力を貸してくれたら。その時は、もちろんボクの生存確率も上がるよ。十人で行くつもりだから、例えば五倍の五十人。これだけ居れば、きっと生存確率は十倍にも、それ以上にもなるの。でも、『それが何になる』の? 誰かが死ぬことはおそらく変わらないし、そんな仕事をやりたがる人は少ない」
当然でしょ、と苦笑しながらいって、ぱとりしあは笑みを引っ込める。
「ママと結婚するにあたって、向こうの国から優秀な粛聖魔術師を引き抜いたことで、二階堂家はいろいろ疎まれて、そんな仕事ばっか回されるようになっちゃった。だからこそ、こうやってボクらは少数編成のチームで行くことになってるんだね。統合協会としては確実に九尾を疲弊させる役目としての、あて馬だよ。でも逃げることは許されない。だってボクらは、『それがお仕事』だから。誰もやらなきゃもっと『誰か』が死んじゃうよ」
「なら、それなら。今からわたしたちも編成に組み込んでください。そうすればチームの動きを乱さないように出来ますし、それに」
葛葉の言葉を制するように、パン、と手を叩くぱとりしあ。哀しげに笑って、俺たちに背を向けた。
「ボクはみんなが大好き。そして、みんなは部外者。火事場に友達を連れていく消防士さんは、いないよね?」
そこが、部屋だから。そう言い残して、ぱとりしあは去っていった。その肩が小刻みに揺れたのを、俺は確かに、見た。
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部屋は二部屋割り振られていた。なので、男女で二組に分かれる。一番廊下の端に位置するその部屋には、百足にグルグル巻きにされたままベッドに寝ている柊が居た。ベッドは全部で三つ、残る二つに俺と川澄さんが寝ることになった。俺たちは荷物を置いて、俺はベッドに、川澄さんは椅子に座り込む。
「……ぱとりしあの両親は、私らが着いた時からずっとあのような調子なのだ。侍従や執事に話を訊けば九尾討伐、いや、あいつら風に言うならば討滅、か。ともかく、その隊に組み込まれてからいつも以上。あれほどに明るく、元気に振舞うようになったそうだ。……辛いのであろうな。自分たちの娘に、前線に出ることを強いるしかないということが」
それが仕事。ならば義務。つまり責任。
普通に暮らす人とそれは何も変わらない。ただ、食っていくため仕事をしなくてはならない。その仕事のリスクが、普通以上に厳しいというだけのこと。生きていくという居場所を維持するために払うコストが、異常に高いということ。
「娘のために九尾を放っておいて逃げることも出来る。でも、それをすれば困る人がたくさん出る。まずは自分たちが食えなくなるし、ここの侍従、執事も食えなくなる。ま、これは戦闘の過程で二階堂家が全滅してもダメだけどさ。そして九尾の被害も広がる。だからこそ、逃げられない。責任感の強い人たちだよ、ホント」
居たたまれなくなって、俺は目を閉じる。すると、もぞりと横で動く音がした。川澄さんは俺の斜め前に座っている、となるとあとは一人しかこの部屋には居ない。片目を開けて隣を見ると、柊が薄目を開けて天井を睨んでいた。
「……仕事は義だ。主義主張も飲み込んでたった一つの義を通す。そういうものだろう」
「そのためにおまえは自分自身を終わらせたわけだがな」
スミスがなーと鳴き、川澄さんがパチン、と指を鳴らす。すると、柊にかけられていた拘束が解けた。
「何のつもりだ? 拘束を外せば、我は貴公らを殺害し逃げるやもしれぬのに」
「逃げるだけなら勝手にしろ、というだけの話だ。もしも主人を殺せば私は貴様を殺すであろう。既に貴様の背中に蝿縄は取り付けたのでな、動作に入った瞬間に殺してやろう」
冷ややかに告げる川澄さんは、次に俺を見た。
「主人。私はここまでこやつを連れてきた。その後の裁定はどうなるか知らんが、ともかく連れてきた。これ以上のことは私は出来んし、するつもりも無い。後は――あなたにお任せするとしよう。老輩はこれ以上口を出さん」
そう言われて。
俺は柊に向き直る。片膝を立てて座っている柊は、俺の視線を気にしながらも川澄さんを見ていた。俺はただ一つ、問いかける。迷う必要も無い。戸惑いも無い。言いたいことは、言うべきことはずっと考えていた。が、この一つしか思いつかなかったから。
口に出すのは結構怖かったけれど。呼吸三回、俺は目の前に居るそいつに問う。
「柊、宿屋に戻ってくる気はないか?」
「言いたいことはそれだけか?」
柊はこちらに手を伸ばす。その速度は凄まじく、何の暗示もかけていない俺では太刀打ち出来ない。突き飛ばされ、倒される。しかし、川澄さんは式神を発動しない――いや、出来ない。元からそんなもの、付けてはいなかったんだろう。きっと、川澄さんも柊を信じていたから。
「……もはや依頼は無くなった故、殺しはしない。だがそれだけだ。我はあの里こそが、暗狩こそが居場所。一族が絶え果てたのなら、それまで」
柊は俺を殺そうとはしない。そのまま部屋の出入り口から出て、窓から飛び降りて出て行った。
「やっぱりダメ、か」
俺たちは柊の居場所に、なってやれなかったようだ。無力感がこみ上げてくる。川澄さんは煙草に火を点けた。
「……力が及ばぬ時だってあろうものだ。自分を責めるでない、主人」
「俺じゃ何もしてやれない。あいつはこのままじゃずっと一人だ。なのに何もしてやれない。時々思うけど、無力って罪なんじゃないかな」
「なれば私も罪人さ、あまり人間というものを高く見るのはいかん。皆が皆無力なもの、時々その無力でも救いを与えることが出来る、というだけ。今の彼奴に必要なのは……時間、なのではないかな。どこかに、そういう風に時間を置くことで己を見つめなおせた奴がおったよ。そいつは結局、手遅れになったがな」
川澄さんは嘲るかのような笑顔を浮かべる。俺は何も言えず、俯いた。
柊の居場所にはなってやれず。ぱとりしあの隣には居てやれない。どこまでもどこまでも、俺たちは無力だった。
去ってゆく者。逝ってゆく者。