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二十五頁目 許されし居場所と滅びし居場所。(暗殺反攻)

戦闘パートです

「荒れてきそうな天気だね」


 灰色がかり始めた空を見上げつつ、斎は呟く。眼鏡の奥で光る、肌にしわの寄った黒い瞳は何もかもを見てきた仙人のごとく、疲れ果てている。

 そこに居るのはいつもの、ふざけた様子の男ではない。常に苦悩を抱え、なお独りで居続ける超越者。五代目宿屋紅梅乃花弁主人にして、『輪廻転回りんねてんかい』と呼ばれる五行を極めし術士でもある。

 斎は懐から、有和良に託したはずの台帳を取り出す。黒い革のカバーで覆われた、A4くらいの大きさの台帳。ぱらぱらとそれをめくりつつ、ひどく哀しげな溜め息を吐いた。それは己に向けたものか、それとも今の台帳の所有者たる息子に向けられたものか。


「いつか、ここに僕が帰ってくる時……僕は、春夏秋冬と笑って再会出来るのかな」


 最後に自分の言葉を盛大に嘲るように、嗜虐心に満ちた笑みを浮かべて。

 斎は、台帳を閉じた。


        +


 身に纏う羽織の、大きく広がった袖の中に隠していた短刀を取り出す秋水。それに対して俺は即座にナイフを捨て、無手になる。殺すわけには、いかないから。

 秋水の突進を止めるため突き出す前蹴り。だが距離を見誤ったか、蹴りが当たらない。ここで届く、と拍子を測ったはずの位置に、秋水がいなかった。


暗狩流くらがりりゅう迷走めいそう〟」


 歩幅、だった。

 袴のせいで見づらい足元で、歩幅を細かく切り替えている。大股になったり小股になったりで一歩の距離がでたらめに変わるせいで、距離を測り損ねたのだ。そういう、移動術か。

 空ぶった蹴り足に、右手で逆に構えた短刀を振るわれる。瞬時に前蹴りではなくかかと落としへ移行すれば、足を踏まれると察知し前足を引く秋水、そのまま左の掌で有和良の着ていたジャケットの袖を掴む。


「このっ、」


 俺は袖ごと引いて投げ飛ばそうとする。すかさず手を離し、秋水は肩からぶつかって体当たりを繰り出す。数メートル吹き飛び、俺は骨が折れていない幸運に感謝する。

 五秒ほどの交錯で、既にこのやり取り。


「……おいおい、前に『僕は一応人間です』とか言ってなかったか」

「修行すればこれしきの域には誰しも到達する。種の壁など踏み越えるのは容易い。とはいえ、流石に貴公相手に接近戦を仕掛けるのは辛いものがあるな……こちらで、相手をさせてもらうか」


 短刀が袖の中に消える。同時に、両手に握られるのは短刀より小さめの刀、投擲剣。先端を重くして真っ直ぐ飛ぶよう作られたそれは、よく漫画に出てくる忍者などが使う、『苦無くない』と呼ばれる武器。それを両手の指の間に四つずつ、計八つ握り締め、投げつける。

 慌てて屈み込み回避する俺、しかし追撃の手は緩まない。右と左でわずかな差をつけて投げ放ち、攻撃に転じる隙を与えない。でも、いずれは数が尽きて反撃の機会もくるはず!

 その時まではと逃げ続ける。鬱蒼と茂るしのの中に逃げ込み、少しでも狙いを外させようとする。しかし、憶測で投げているにしてはとんでもなく正確な軌道で襲い来る苦無。ならばとばかりに、後退する。元来た道を戻り、少しでも苦無を無駄遣いさせようと――


「って!」


 左腕が切れた。浅いといえば浅いが、長く細い傷。


「なんだよこれ、ワイヤー?」


 目の前には血の滴る金属線。鋭く、通る者を引き切るそれが苦無の後部につけられ、投げ打った後もトラップとして機能させられていることに気づくのはそう長い思考は要らなかった。そして、再び投げ打たれた苦無が俺の頭上を過ぎ去る。慌てて篠の中から飛び出し、秋水に距離を詰める。その距離、約十メートル。

 苦無などの投擲武器の最も得意とする中距離ミドルレンジ


「『識れ』!!」


 出し惜しみせず、魔眼を発動する。対象はレンガがへこんで出来た水溜り、効果はそれを熱湯だと思わせる。――足をやられれば、機動力も削げるだろ。

 水溜りは足を入れた途端に火傷やけどする温度にまで高められている、と秋水には感じるよう、幻覚がかかる。しかし、苦無を投げるため彼は踏み込んだ。その温度は俺には感じられないが、足は熱に痛めつけられ相当な熱さを感じる、はず。

 だが秋水は躊躇せず、苦無を投げつける。軌道上に切り裂くワイヤーが張られ、その場所への移動を封じる。

 攻撃を線ととらえ、軌道上から横へ体をずらして攻撃をかわす。そこに、下段へ上段へと揺さぶるように連投してくる。飛べば、回避不能な上空で迎撃される。なので、下段への攻撃が来ると途端に後退を迫られる。

 飛び込むには、隙を生まねばならない。

 バックステップで距離を置き、その際に足に溜め込んだ力を使い前方へと上体を屈ませたまま飛び込む。低い姿勢を維持しつつ、水溜りに手を差し入れた。そして、下から上へとすくい上げるようにして、投げる。


「くっ!」


 秋水にとっては熱湯に感じられても、俺にとってはただの冷たい水。それを利用し、水を飛ばす。柊は『自分にとっては熱湯』であるはずのそれに手を突っ込み、あまつさえこちらにそれを投げつけたこちらを見て、わずかに引いた。それを見逃す手はない。


「一応、熱さは感じても、我慢してるだけか」

「顔に出さず忍耐するのが忍だ」


 右手を短刀に持ち替え、俺の攻撃に合わせてカウンターの刺突を繰り出す。屈んでその一撃をかわし、踏み込んだ左足から体を旋回させて右後ろ回し蹴りを放った。秋水はそれを上体を逸らして回避、しかしリーチの短さから、カウンターを狙うため深く懐に招きすぎた。胸板に当たる。

 その瞬間に左掌底を地面に叩きつけ、反動を得る。斜め上へと軸足から蹴り足が一本の杭のように伸び、威力を増した蹴りで下から打ちあげる。あの拳士からならった技のひとつ〝却甲きゃっこう〟だ。


「吹っ飛べッ!!」


 後ろ回し蹴りを放った右足で踏み込んで、飛び上がり左の足刀で横蹴り。さらに高く吹き飛ばされそうになるが、秋水は短刀で斬りつけ俺の足に傷を入れる。くそ、こっちの機動力も削ぐ気か。

 おまけに、秋水は自分の投げた苦無に結んだワイヤーを、手元に残していた。苦無は、とてつもない威力で投げつけられたため地面にめり込んでいる。ワイヤーは秋水が引いたと同時にピンと一直線に張られた。

 それがこれ以上空へ飛ぶことを留め、同時に最大限引っ張られたことで生じる張力、それを利用して秋水は空中で突如加速した。


「〝疾走しっそう〟」


 言葉は斬撃で断ち切られる。普通に落ちる俺よりも、ワイヤーを引いて加速した秋水の方が早い。左肩から袈裟に入った一撃は、浅くない傷を残す。そのまま地面に叩きつけられ、止めとばかりに秋水は全体重をかけた突きを放つ。

 横に転がってこれを回避、その回転の動きを縦方向へと無理やり捻じ曲げ、バック転に移行する。その瞬間、横回転したままなら当たっていたであろう位置を苦無が通過した。立ち上がって俺が左半身に構えた時には、既に秋水は両手に苦無を八本、後ろに構えている。そして下手投げで裂空の刃が飛んだ。

 しかしそれらは当たらず遠く、四方八方に乱れ飛ぶ。一瞬、ここに来て狙いを外したか。ならば、いまこそ踏み込めば――


「〝逸走いつばしり〟」


 ――全身を断ち切られる。


 秋水の歪んだ口元に、攻撃されると感づいた刹那。

 ほぼ同時に、四方八方から襲い来る刃。咄嗟とっさに頚動脈などを切られないよう首を両手で押さえ、全身を小さく縮こまらせて防御に入る。回避が出来るような圏内は存在しないと、感覚が告げていた。空気を切り裂き来る鋭い、刀を振るうに似た音。そして全身を、剃刀かみそりを付けた鞭で打たれたような激痛が襲う。


「あぐっ、ぎっ、がああっ!!」


 投げ放たれた苦無が狙ったのは俺じゃない。さっき、俺が散々逃げ回って秋水に無駄遣いさせた苦無。その後部に結わえられていた、ワイヤーだ。

 張り詰めていたそれは切断された瞬間にそれまで蓄えられた張力を運動エネルギーに替えて、数多あまたの斬撃と化して俺の全身を隈なく襲う。叫び声を上げ、屈み込むほかない。背中を中心として、様々な部位を切られている。

 幸い、致命傷には至っていない。切り裂かれた頬から、一筋の血が流れた。


「止め」


 短く呟き、短刀で首をねんとする秋水。乱撃を耐え切ったばかりで動けない俺に肉薄する。その瞬間に――


        +


 突如として感じた殺気、即座にそれに反応。テオドールは振り向きざまに、手にした金属板、護符に向かって文言を唱える。地獄の大王、この世に顕在する最強の化け物の一つ、ベリアルへの指令。『誰だか知らんがとりあえず殺せ』

 けれども、その文言は護符に伝わらない。

 喉を、何か投擲とうてきされたもので潰されたから。


「ァ゛ッ゛…………」


 めり込んだ石ころが軌道をふさいで声を封じられ、指令を出せず、瞬時に間合いを詰められる。相手の姿を見ることは、ついになかった。

 ただの手刀で首をへし折られ。

 何の捻りもなく、テオドール・メイザースは死んだ。所詮、どれだけ強力な魔術師であろうとも。戦闘に特化しているかどうかは、別の話だ。魔術の知識を得るためにテオドールが費やした年月は、長い。六のよわいで模倣から始まり、今の歳に至るまで実に二十五年。その歳月の間、実戦を積んだことは極めて少ない。それでも、遠距離からの共感魔術、そしてきちんと準備を整えてのアブラメリンは最強の一言に尽きた。

 だがそれだけだ。奇襲などに対して強いかと言われれば、そうではない。究極の攻め手、つまり最強の矛を持った者は、その懐に入られれば力を失う。強すぎたから、実戦や練習をしなかった。ただそれだけのことが、テオドールの敗因だった。


        +


 そして夜。狙われていると知りつつ出てきた獲物を観察していたら、案の定出てきた復讐者。

 これもやはり、気配無く背後に立って、瞬時に殺した。容易かった。


        +


 音も無く忍び寄り、あっさりと相手の間合いに滑り込む。短く刈り込んだ髪の下にマントが見えた。相手が正面から秋水の顔を見ることはついになく。

 持っていた独鈷杵どっこしょからして、密教からくる修験道などの流れを汲む術だろうと推測する。こうした僧などの系統の者は、修行により肉体も鍛錬され近接戦闘にも特化しているのだが……今は、あまりにも有和良に集中し過ぎていた。

 注意力散漫で背後への意識がまばらとなっている間合いの中は既に秋水の攻撃射程内。あと十歩、というところまで間合いを詰めると、流石に相手も感づいた。秋水に対して何を感じ取ったかは知らないが、独鈷杵を投げる体勢に入る。


「なっていない」


 まだ執事服だったため、武器など何一つ持っていないが、素手で十全。暗狩流は、あらゆる距離での戦闘を想定した実戦体術の流派だ。その要諦は、相手の心技体を破壊することにある。

 壮絶な殺気は依然としてほとんど有和良に向けられたまま。舐められたものだ、と舌打ち一つ。秋水は、相手が投げるよりも早く動いた。修練を積み、自己暗示により肉体の限界を越えた動きを体現できる秋水だが、その中でも暗殺に特化すべく彼が極めたのは『一歩での加速力』の一点だった。

 易々と相手の投擲動作速度を越えて動き、姿は闇に掻き消える。次に現れたのは一対の腕。闇より伸びたそれは僧の頭を掴み、頚椎をへし折る。有和良のぶつけてきていた気迫が、それに伴って一瞬緩む。しかし再び警戒し、その間に秋水は音も無く木の葉と共に消えた。


「これで復讐とは笑う他無い……折角道に入ったのならば、そのまま恨みを捨て悟りでも開けばよかろうに」


 嘲笑い、死亡した僧を引っ張りながら月夜に舞う。




 二人共、死ぬ瞬間にはこちらに顔を向けようとして、しかし出来なくて。秋水は死して虚ろな瞳を眺めつつ、思う。

 人は皆、死す時に完全なる満足を得ている者など、居ないと。常に死ぬ時は何かを恨み遣り残したことを嘆き、死に怯える。だが秋水は無表情にそれを見る。

 ――興味が無いからだ。


        +


 切り裂いて、切り伏せて、誰しもを例外なく殺して。

 誰もが皆、死ぬ瞬間には哀しそうな顔をした。恐怖に引きつり。

 未練があって。遣り残していて。死にたくない、死ぬわけにはいかないと。

 訴えかけられた。懇願された。けれどそれは秋水の心を動かさない。なぜなら。

 秋水はただ仕事だからやっているだけで、善悪も何もないからだ。


「……」


 しかし今の有和良の目は違う。

 裏切られ、打ちひしがれ、泣きそうな顔だ。前に潜入から入って同年代の標的と生活を共にし、最後標的を殺害した時でさえ、こんな表情は見なかった。その時の標的は裏切られて打ちひしがれ、そして憎悪に燃えていたが。なぜか、有和良の顔は違う。

 短刀は迫る。もう止められない位置。横薙ぎに首を落とす一閃。

 肉を抉り引き裂く音。返り血が顔にまで及ぶ秋水。

 有和良は膝立ちのまま動きを止めている。滴り落ちる血液――犠牲にした左の拳は肉どころか骨まで断ち切られ、左手を押さえていた右手にまで刃が食い込んでいる。完全に、左手は失われた。


「ぐ……ぎっ!」

「大した精神力だ。よもや、左手を喪失してなお動けるとは」


 秋水を睨み付ける有和良。そして。


「――演技だ。残念」


 たった今失われたはずの、左手でぶん殴った。下から顎を打ち上げられ、意識が飛びかける秋水。それ以上に、今起こった有り得ない事象に対して理解が追いつかないことが問題。不敵に笑い、そして、先ほどまでと変わらない、哀しげな顔。有和良はすぐに構えなおす。


「くっ、な、にが!?」

「幻覚だよ」


 一言残し、先ほどの再現。左の足刀で飛び上がりつつ横蹴り。さらに上方へ飛ばされる秋水。空を飛ぶ中で、彼は有和良の魔眼について思いをめぐらした。

 有和良は、落ちていたレンガを左の拳だと幻視させ、秋水はそのように感じつつそれを斬った。その攻撃後の硬直の間にそで中に引っ込めていた拳を再度出し、殴った。それだけのこと。

 激しい戦いの中。小さな細工も、上手く使えば功を奏する。だがしかし三回の魔眼の使用で、有和良の魔力はだいぶ減じられている。まだ自分に勝機がないわけでは、ない。

 顔をしかめながら、有和良はさらに空中で旋回。右回りに体を回転させ、足刀で蹴る時後ろ足にしていた右足を振り上げる。本来の後ろ回し蹴りの軌道ではなく、人間的にはかなり無理をした腰、腿の動きで、軌道をかかと落としに変える。

 さらに。その瞬間に、秋水の瞳をのぞき見る。


「――しの突け」


 蹴り落とす。右の脇腹を蹴られ、半回転しながら落ちる。

 下に見るのは篠の群生。秋水はそこで理解(認識)する。


「ッ!!」


 篠が生えていたと思った位置に、竹槍が密集している。なぜこんなところに、と思ううち、叩き落され、篠へと向かって一直線に落下する秋水。叩きつけられれば、本物と感じうる、痛みが待っている。

 だから秋水は空中で見切る。今まで投げた苦無に結わえたワイヤー、それが在る場所を。そして手を伸ばす。身を切る刃と熟知しながら。掴んだワイヤーは普段から扱いなれていたことであまり深くは手を切らない。しかし、篠、つまり秋水にとっての竹槍にはいささか近かった。足を貫く痛ましい感触。


「でも、今度こそ終わりだ……柊」


 少し遅れて落ちてきた有和良。その拳がこするように胸に触れ、間合いを潰したままの寸勁により、秋水の鳩尾みずおちにめり込んだ。ワイヤーからも手が離れ、篠からも遠く。赤レンガの外壁に向かって、吹き飛ばされた。


「かはっ…………!」


 背中から壁に激突し、咳き込む秋水。足は、幻視の竹槍に貫かれた痛みで動かせない。顔を上げると、竹槍をいとも簡単にへし折りながら、有和良がこちらに歩いてきていた。その顔は、相手をここまで追い詰めたというのに、悔しそうで、哀しそうで。今にも泣きそうだった。秋水は、顔を下げる。


「……辛いよな。傷つけなきゃ止めることも出来ないっていうのはさ」

「何を言う。本気で殺しにかかった、我を。生半可な心持ちで、止められる、と?」


 痛みで時々どもりながら、秋水は辛そうに息を吐き出す。有和良は、そんな秋水を見て首を横に振る。


「違うだろ。本気じゃなかった」

「――何を世迷言よまいごとを。次は、しくじらん」


 懐に手をやって、秋水は一枚の符札を取り出す。

 それに向かって回帰の文言を唱えると、辺りから木の葉が舞った。そしてそれに包まれ、秋水は、消えた。転移用の、用途が限られた分誰でも使える、汎用型の符札。値が張るためあまり使いたくはなかったのだが、このまま戦っても倒せないと判断した以上は、仕方が無い。

 去り際、有和良の口が動いていたが、秋水は無視した。


        +


「……でもおまえ、昨日のやつみたいな殺気、なかったじゃないか……」


 裏切られたことは、今までもないわけではない。吸血鬼だからと一緒に行動して、途中で売られそうになったこともある。でも、経験がその痛みを鎮めてくれるわけがない。辛い。きつい。心が折れそうだ。

 俺はあいつのことは嫌いじゃなかった。仕事はきちんとしてるし、面倒臭がりだが、わりとよく人を見てるところがあった。


「なんでだよ、柊。そういう、一族だからなのか?」


 付き合いは浅い。分かることなんて少ない。でも、悪い奴じゃなかったと思う。宿屋のことは嫌いじゃなかったと思う。それでも、俺に斬りかかって来た。俺へと復讐に来た人も切り伏せて、仕事のためと俺に敵対した。袈裟に斬られた左肩の傷が痛む。足も斬られたし、全身ずたずただ。精神的にも、辛い。今まで近くに居た奴に牙をむかれるのは、痛い。

 信じたかったし、信じてほしかった。仮にも、俺はあいつの宿屋主人だったから。


「……ぐっ!」


 魔眼の使いすぎで頭が痛い。おまけに出血も多い、マズい。

 魔力が足りない。血が足りない。膝を屈する。水溜りに落ちる……違う。水溜りじゃなかった。俺の、血溜まりか……。

 白いレンガで出来た石畳に崩れ落ちる。うつぶせに倒れ、だくだくと血が流れるのを感じる。命が、無くなっていく。


 これは、久々に、やばいな。


 最後に死ぬ場所が教会の前とは、吸血鬼の俺に対してなんたる皮肉だろうか。それとも、最悪と名高い神様とやらが、最後に懺悔する場所を与えてくれたのか。そうだとしたら、やはり余計なお世話だと俺は神を罵るだろう。

 懺悔も、謝罪も。ずっと、俺は続けてきてる。毎日、毎時間、いつだってふと心の中で。それはアンタに対してじゃない。俺が殺した人々に、だ。アンタに言うべきことなんて、何一つない。

 だから。こんな懺悔に向いた場所とか、同僚に殺られるという今までの経歴からすれば自業自得な状況とか。何一つ俺は感謝しないしするべきでもない、お膳立てなんてされたとは考えない。だから、俺は、そうだ。生きる。

 くそ。

 そう決めても、血は止まらない。まだ五分くらいは死なないだろうが、宿に戻れるとは思えない。行きで十分はかかった。おまけに、動けないのだから最初から無理。指先から、動きが鈍く、感覚が鈍くなってきた。じわりじわりと周りを取り囲む黒い影。

 俺が普段相手に視せているのと同じ、それはきっと幻覚。けどそれはこの上なくリアルで、グロテスクで、俺が殺した人々の死に顔にそっくりだった。その黒い影が、彼岸の淵から俺に手を伸ばす。じわり、と俺の周りに黒いしみが広がる。それは俺の血。

 ここまで、か。


「ダンナ!」


 でもそこで、声をかけられて意識が戻る。ほとんど力が抜け切った体を奮い立たせて、首だけ動かして前を向く。見ると、赤い人影が走って近づいてきていた。視界も、かすんできている。


「ひめ?」

「ボロボロじゃねーか、口利くなバカ! ……なんだよ、外に出てくのを見かけてっ、狙われてて、危ない、って昨日言ってた、ばっかなのに。だから追いかけて外に出た、のに。追いつけなくて、どこ行ったかわかんなく、なっちまって。ようやく見つけたら、ボロボロで。なんでだよ、この……心配、かけんな……バカ」


 姫の小さな体に抱えられて、ぽたぽたと、涙が降ってきた。涙は、俺の涙と混じった。

 ああ。そういえば。俺も、泣いてるのか。今、ようやく気づいた。


「ごめん。独りで、なんとかしたかった」

「ばかやろう。あたしらの、心配、すんなって。言ったのに。ぜんぜん、わかって、ないじゃねーか」


 ごめん、と繰り返す他無かった。

 そうしているうち、もう一つ謝りたいことが出来てしまう。最悪なことが起きようとしていた。体が寒い。血液が足りない。魔力も、足りない。そのことが、俺の種としての本能を呼び覚まそうとする。永夜の時以上に、自制を効かせることが難しくなりつつある。おそらく、それくらい今の俺は危険な状態だ。とはいえ、今ここで、その相手に選べるのは。一人しか、いない。

 それでいいのか、と冷静な考えも頭を過ぎる。でも、そんな綺麗事を、言う暇はない。生きたいのであれば、だが。


「……姫」

「んだよ。早く連れて帰んぞ」


 涙を手の甲で拭いながら、姫は俺を立たせようとした。だが、俺は身体に力が入らない。唯一、ちゃんと動いてくれそうなのは。

 この牙と顎に、他ならなかった。


「悪い。もう、そんな時間はないんだよ」

「嘘だろ……やだよ、やめろよ、まだ、まだひととせは、死なないだろ……!」


 ぐすぐすと誰はばかることなく泣き声を上げる姫。俺は今から、俺のために泣いてくれているひとを、毒牙にかけようとしている。それを口に出すのは、辛かった。出来ればこんなことは一生言わないで済んでも良かったのに、と思うくらいに。

 でも、生を掴むため、俺はその言葉を口にした。身勝手に、見苦しき生を晒していくため。


「……血が、足りない。今この場で、いくらかでも回復、させないと。血と一緒に、身体を生かす、魔力も。流れて消えてる。だから……本当に、ごめん。血を、分けてくれ」


 姫は、きょとんとしていた。

 毎度思う。人から、生命の源である血液を分けてもらう行為。それはなんだか卑しいことで、汚いことだと。そのプライドにかけて俺は人からの吸血を拒んでいる。けれど、そういう種族に生まれてしまったから、しなければ、生きることも出来ないから。生きるという、居場所を得られないから。俺はどうしても生命の危機に瀕した時だけ、自分の禁を破って、人から吸血を行う。

 姫は、既にそのことを許してくれたことが二度ほどある。正直、それに甘えたいと思うこともあった。でも、したくなかった。それは軽いことじゃなく、本当に、姫の気持ちがはっきりしてくれた時に、ようやく行うことが許されると思えたから。こういう言い方は当てはまらないのかもしれないが、身体を許すというのは、簡単なことではないと思う。

 今の俺と姫はどういう関係でもない。ただの主人と従業員だ。だからこれは人命救助のための行動、吸血種に生まれてしまったがためのやむを得ない状況。姫の顔色をぼやけた視界の中で窺うと、口許くちもとを手で押さえながら、呟く。


「……うん、なら、はやくしろ。躊躇して死なれたら、やだからよ」


 たった一言。これを得て、さらにさっきの長い前置きをして。

 ようやく俺は俺に言い訳が立った。出来る限り今起こったことは忘れようと心に決めて、姫がマフラーをずり下げてくれたおかげで見える、白い首筋に口を近づける。動悸が早い。これから起こることは、あまり好きではない。けれど、はやる気持ちは抑えられず、動悸の加速という形で身体にも現れる。

 だから俺は、自分が吸血種であることを好きではない。本能に流されるこの行動が、嫌いだ。


「本当に、ごめん。俺を嫌いになっても、構わない」


 それでも醜く生き延びる。最低だ。しかし、遣り残したことが多すぎる。秋水、いや柊にもまだ言いたいことがある。だから。

 だからどうした、という話だけれど。


「――んっ」


 走り回って俺を探していたからだろうか、汗ばむ首筋に口をつけ、牙は一気に柔らかい肌を貫いた。俺の中で吸血鬼が狂喜する。血だけを求めてうごめく闇の生き物に堕ちそうになる。打ち込まれた毒は姫の身体を犯し、感覚神経を研ぎ上げるだろう。吸血種が生き残るため、人間に提供するのは快楽なのだから。

 赤い血が、暖かな血が、口の中に流れ込む。舌を動かしそれを求め、鉄臭い、甘い味をむさぼる。美味しい。それは砂漠を歩き回ってようやく得た水のように、吸血鬼おれの渇きを癒す。液体の滴る嫌な音がした。首から流れ落ち鎖骨へと落ち行くそれを舐め取り、逃げようとする姫の肩を掴んでしまう。わずかに飲んだだけでもこれだけ回復している。

 罪悪感がこみ上げる。

 姫は確実に嫌がっている。けれどこれを止めたら俺は死ぬ。呼吸を止めていたことに気づいて、一旦口を離す。唾液と血の混ざりものが糸を引いた。どうしてこんな生き方しか出来ない、と吐き気を催しながら、しかし舌は血を求めて。甘く錆びた、罪の味。

 姫の顔を見ることなんて出来ないと思っていたが、それもまた生物としての本能か単なる俺の嗜虐心か。覗き見た姫の顔は涙が流れ、荒い呼吸を繰り返していた。その様に気分がたかぶる自分を嫌悪した。


「あ、ふあ」


 また血を貪る。かたかたと小さく震える姫の身体を、無理やりに押さえつけていた。短く上がった嬌声。

 半分以上、吸血鬼として俺はここに居た。いや違う。

 今まで否定し続けてきたが、これは俺だ。別に違う人格でもなんでもない、ただの欲に駆られた俺の姿だ。俺は認めたくなかっただけだ。血に飢えた獣という一面を持ったまま生きている自分がいやだったから、そう思い込んでいただけ。なんでこうまでして生き続けたいのだろう。思考が乱れる。

 ――死んだらもう何も償えない。そんな偽善を胸に抱いているだけか?


「っ、ふくぅ……」


 血をすすったことでさらに身体が激しく動く。抱きしめて動きを抑えた。涙が、頬を伝った。半ば姫を押し倒したような体勢で、血を吸う。短い呼吸を繰り返し、姫は自分の感覚に耐えている。俺の寒かった身体にも十分熱が戻った。姫の身体も、熱かった。柔らかい身体はとけてしまいそうで、俺はそれを逃がさないよう必死に捕まえた。短く息を吸い、姫の喉が動く感触が口に伝わる。

 自制が効かなくなる。もうそれでもいいのだろうか。……いいはずがない。俺は自分の出自が原因でこういうことになってしまっているだけだ。それ以上の何かなどあって良いはずがない。俺は吸血鬼でしかない。

 口を離す。血が、胃の中で熱を持っていた。姫はぐったりとして、荒く短い呼吸を繰り返している。金色の大きな瞳が、俺を捉えた。俺は気まずくて、自分が嫌で、目を逸らす。今回噛み付いたのは防衛のためでもなんでもない。自分が嫌で、涙がこぼれていた。


「……くな」


 姫が、何かささやいた。俺は抱えるような体勢になっていた姫の口許に耳を寄せる。微かな声でささやいた言葉が、例え俺を罵る言葉の羅列だったとしても。俺はそれを受け止めなければならないのだから。

 でも姫の言葉はそんなものじゃなかった。


「……泣くなよ……あたしは、ダンナのこと。嫌いになったり……しねーからさ」


 弱弱しく微笑む。

 姫はどこまでも優しかった。ともすればその気持ちにつけこみ、甘えてしまいそうになるほど。小さな手をこちらに伸ばし、姫は俺の背に手を回す。まだかたかたと震えている体が、俺に抱きついた。


「嬉しいん、だぞ」

「……なんでだ」


 泣いていたのは自分への嫌悪だけじゃない。死に瀕したことで昔の自分の所業を垣間見て、生きる価値を見失いかけたからだ。そのことが今の俺の生きる場所、という考えさえ揺るがし、自分の中にあったほんのわずかな自信を粉砕する。柊に裏切られたことも、精神的にかなりきつかった。

 なのに姫は俺に手を伸ばしてくれる。当たり前のように。当たり前じゃないのに。自分の生にしがみつくために、辱めるような真似さえした俺を。許してくれるかのように。少しだけ怒ったような、すねたような顔で、俺に微笑みかけるのだ。


「今まで、あたしは。ひととせを必要としてきて。でもひととせは、あたしらをあんまし必要としてくんなくて。だけど今、ようやく初めて必要としてくれた。だから、嬉しいんだぞ」


 その両手はまだ力を失ったまま。だらりとしそうになるのを、必死で押し止めるように。ごく小さな力で、抱きついてきていた。必要と、してくれていた。こんな経験は無かったから、俺はそれに答えていいのかわからなかった、けど。か細いその身体を、抱きしめたいような衝動に駆られた。

 顔を近づけると、ほのかに甘い、花のような匂いがした。おそるおそる抱きしめると、一瞬体がこわばる。けれどすぐに力は緩んで、俺はふんわりと柔らかい体に触れた。さっき血を吸っている時には感じなかった、鼓動が重なる。重なっているそれが、ここに居ていいという証明のように俺は感じた。口の中に残っていた濃い味を飲み下す。少しして、俺はひどく落ち着いていた。

 同時に、それが軽い貧血によるものだと理解する。頭に上っていた血が下り線に乗り始めた。姫の着る緋色の着物にも、赤い血がしみになっている。くらっとして、俺は手を離してしまった。驚いたように姫がこちらを見上げる。


「どうした、ひととせ」

「いや、血が足りないのは、さすがにどうにもならなくてね……宿に、戻らせて、くれないか」


 頭を手で押さえながら、慎重に呼吸を整える。姫はなんだか少し手間をかけて、俺から手を離す。それから、その小さな肩に合わせるように俺は少し屈んで、肩を借りた。姫は少しだけ俺から顔を背けつつ、歩き出す。


「悪い」

「何言ってんだ。必要としてくれて、いーんだからな…………ひととせは、居なくなんなよ」


        +


 にやりと、嫌な微笑みを浮かべた。


「さて、どうなるのか……あの吸血鬼は」


 窓枠に腰掛けてリオは呟く。視線の先には表玄関の門をくぐって現れた有和良と姫の姿がある。周りに駆け寄る従業員の面々、ぐったりとした様子だが一応息はある有和良。リオは冷ややかにその様子を見ながら、慣れた様子でシガリロをくゆらしていた。上質な煙を肺の隅々まで行き渡らせるように深く吸い、そして名残惜しそうに吐き出す。


「いずれにせよ、命を狙われ続ける哀れな逃亡者。殺人者。生き延びたことが幸運と思えるか否か。いずれ、はっきりすることか」


 小さく笑い声を漏らし、ずれた眼鏡を戻す。その瞳に宿るのは一種の狂気。


「……っと、連絡が遅れてはいけない。しばらくぶりだが」


 リオはカードを取り出してそれに向かって語りかける。言霊を使う、遠距離会話用の道具。二、三言葉を交わして、少しだけ、暖かな笑みを浮かべるリオ。そして、会話の相手が変わったらしい。顔を引き締め、冷徹な声音を舌に宿す。そのまましばらく話し続け、やがて連絡を切った。


        +


 秋水は深く息を吐き出し、鳩尾を殴られたことで詰まっていた息を解放する。次いで咳き込んで、自分の今の身体状況を確かめた。骨・各所折れてはいない。筋肉・右掌にワイヤーで切った傷、二日以内に完治可能。血管・蹴られた脇腹、胸部などに内出血。内臓・寸勁の打撃を打ち込まれた為少々動きを乱されている、しかし内功を練ってはりで調整すれば三日以内に回復可能。

 ――結果・大した損傷は見られず。立ち上がって、秋水は歩き出す。人里離れた山の奥。自分が育った、暗狩一族の住処たる里へ。白い羽織で口許を拭い、残存武器数を数える。苦無が二十八に、ワイヤー十メートルが十五本。短刀が三本に、緊急用の符札が二枚。明らかに使いすぎた。


「不覚」


 呟いて、後ろで団子状に結っていた髪を解く。肩甲骨にかかるくらいに伸ばされた栗色の髪が、風になびいて後ろに流れた。今日は、風が強い。山道を、すたすたと登り続ける秋水。

 最近は、こうした仕事が無かった。こうした裏の世界で暗殺稼業を営んできた暗狩一族も、仕事が回ってこないのでは餓死して滅び行くのみ。そう感じ、大体の働ける人間は里を出た。働き先は、その高い身体能力を生かせる職場や、はたまたそれまでとは全く違う生き方が出来る何か。しかし秋水の居た場所は、違った。

 暗狩の本家。連綿と伝えられてきた体術、『絶戦之闘法ぜっせんのとうほう』。多人数戦だろうと個人の暗殺だろうとこなせる全方位型の戦闘体系。潜入することで相手に取り入り、心を砕き。近、中、遠の間合いを制し相手の苦手な距離をとることで、技を壊し。最後に鍛え上げた肉体による五つの〝はしり〟と呼ばれる技で、体を殺し。

 心技体を順に攻め崩すこれを学び続け、外に出ることは決して無かった。暗狩の里の人口は減る一方。現在、里に居るのは五十人かそこら。ただの寒村だ。大半の若い人手は外界に出て、そのまま戻ってきていない。秋水はまだ若いが、これは一族に対する裏切りだ、と理解していた。そんな秋水も、いつしか外へ出ることを望まれた。秋水はこれに反発したが、一族に元よりあった奉公の掟、これにのっとり外へ出ることは合法だと諭され、しぶしぶ里を後にして。

 正月だから、と今まで一度も無かった理由で呼び戻され。用件は何かと思えば。


『――おまえの奉公先たる宿屋の主人を殺せ――』


 奉公先であるという恩義はどこへ行ったのか。義無き仕事に意味があるのか。秋水は問うた。しかし返答は一つ。一族の本懐、忘るるなかれ。その本懐も、誰かの為と根ざしたものではなかったか、と秋水は思ったが、反論は許されない。多額の報酬と引き換えに、一族は一族たるプライドを捨てたのだ、と秋水は思った。

 同時に、やはり自分は要らなかったから外に出されたのだ、と知った。武器術に関しては全ての才に抜きん出て、先に習いし兄を抜き去り。十の齢で免許皆伝、しかし。

 秋水は、人を殺すのが嫌いだった。無感情無表情に任に当たってきたが、帰る度にいつも泣く。それでいて、しつけようと捕まえようにも、やはりその能力は一流故に大人がかかっても倒される。面倒で厄介な最強の幼子を抱え、一族は迷った末に奉公に出すことにしたのだと。


 だがそれでも良かった。


 呼び戻され、仕事を申し付けると言われた時。もう一度、目をかけてもらえるチャンスが来たのだと感じた。けれど、現実は甘くなく。大嫌いな殺しの仕事の上には、自分が一緒に過ごした主の殺害、という更なる重石おもしが載っていた。それでも、期待に答えたくて。自分を押し殺して任に当たり。こうして、敗北してここに居る。しかも、手加減された敗北、と秋水は感じていた。その表情は、泣きそうだった。期待に答えられなかったことで、沈んでいた。

 結局。暗狩秋水という少年は、親の期待に答えようと己を殺す、どこにでも居る普通の少年こどもだった。


「父上には、叱られるだろうか……いや、仕方の無いことか」


 自嘲気味に呟き、髪が揺れる。今日は風が強かった。

 里に続く最後の坂。それを乗り越えた先には、懐かしい実家が待っている。しかし、そこで地震が起きた。地が揺れ、バランスを崩す秋水。ぐらりと傾いて、近くの木に手をつく。ふいに、その手が明るく照らされた。蒼い光。上を見ると、木が燃えている。蒼い蒼い、くすんだ焔に燃やされて。


「なにが」


 駆け上がる。坂の向こうから飛んできたと思しき焔。

 駆け上がる。その向こうを見んとするため。

 ――今日は、風が強かった――風は、焦げた臭いと黒煙を運んでくる。

 眼下遠くに見る里は、巨大な狐(、、、、)が暴れまわったことで塵灰じんかいと化し、全てが焼失していた。総毛立つ光景。秋水は、駆け出して自分の家へと近づいていく。本家というだけあり、それなりに大きな平屋造りの邸宅。

 だがほとんどが倒壊し、ただ瓦礫と黒煙で彩られた破壊の爪痕残る廃墟と化している。家で一番太く丈夫だった柱。それだけが残り――それが、秋水の父と母を背から押し潰し、焼け焦げるまでその場に縛り付ける枷となっていた。


「………………ぁ」


 人肉の焦げるすえた臭いが辺りに漂っている。その耐え難い悪臭を放っているのは、愛した家族。後ずさって、そしてかかとが何かに当たった。振り向けば、上半身と下半身を二つに分かたれた兄が居た。鋭い爪で引き裂かれたのか、内臓を辺りに散らしている。


「…………ぁ」


 遠く、巨大な狐。九尾の狐の、咆哮が聞こえた。


「ああああああああッッ」





九尾。


では次回


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