二十二頁目 謹賀新年、あけましておめでとう。(初詣賽銭)
確かにこちらも悪いところはあったかもしれない。疑われそうなこと、というのは世間に満ち溢れている。
クリスマス。遊園地(でーと?)。そして紆余曲折の末に、朝帰り。これだけの情報しか与えられていないとそれはもちろん、俺だって勘違いするだろう。しかも、二人の間に微妙な空気が流れているとくれば、これはもう男の方は私刑に遭いその結果が死刑になったとしても仕方ないんじゃないかな、とは思う。
もしも、それが俺の身に降りかかっている事態でなければ、だが。
よろよろとダメージを引きずりながら、宿に戻る。時折姫に肩を借りなければならないのがちょっと哀しかったが、そんなことを気にしていたら多分もうしばらく宿屋には帰れない。そう思って、肩を組んだ状態で電車に乗り、ここまで歩いてきたのだが。勝手口の引き戸を開けて、やれやれようやく休めると思った瞬間。葛葉が目の前に立っていた。
「……遅かったですね」
「………………うん、その、ごめんなさいすいません」
「え? おい、葛葉、どうした……? なんでそんな怒ってんだよ」
「別に」
こちらを見る視線は痛すぎた。いや、落ち着け俺。葛葉は理知的な大人だ。まさか、そんな。
朝帰りをそういう意味なのだと本気で捉えたりはしない、だろう。
多分。きっと。おそらく。
「とりあえず、立って話すのもなんですし。厨房に行きましょう」
「……ハイ」
勝手口から入ってすぐ左横にある厨房までの距離が、やけに長く感じられた。
何も悪いことしてないのに息が詰まるのと、冷や汗が頬を伝うのはなんでだろう。葛葉は七人がけのダイニングテーブルの向こうに座り、俺と姫はその真向かいに座らされた。人数で言えばこちらは二人。しかし、葛葉の放つ圧倒的なオーラに気圧されて発言すら許されない。
「――なぜ、こんなにも帰りが遅くなったのですか、ダンナ様。仮にもあなたはわたしたちの上の立場にいる方です。それなのに、その、姫と……朝に帰ってくるというのは」
「おいコラ誤解だぞ葛葉。ちょっとはあたしらの話も聞け」
顔を少々赤らめながら立ち上がり、葛葉を見据えて怒鳴る姫。いくらなんでも服装で多少は気づくだろう、と思って傍観していたが、ふと自分の体を見ると、そういえば。あまりの汚れっぷりにジャケットは捨ててきてしまったし、そのジャケットの犠牲によりシャツは救済、あまり汚れていない。
ボトムスもまあ汚れてはいるが黒いので目立たない上、体は気分が悪いので銭湯で泥を落としきたのだった。姫も待っててもらったために、風呂に入っていなかったようなので、一緒に銭湯に行ったわけだし。いや、そういう意味じゃなく。
……まあ確かに。朝帰ってきた男女が石鹸の匂いを漂わせていたら、勘違いするしかない流れかもしれない。
「別に、いいですよそれは。クリスマスに出かけるというのも、何か意味のあることではありますし。でも、節度とかそういうものも少しは、大事にしていただきたいと、いうか。ちゃんと、帰ってきて、ほしいと、いうか」
「だーからっ! 違うっつってんだろー、が」
声の抑揚が小さくなる姫。見れば、うつむいた葛葉は、がっくりと肩を落として元気がなかった。でもそれは怒っているとかそういうことではなく、ただ単純に。
「もう少し……早く、帰ってきてくださいよ。心配、しますから」
「……ごめん」
「ごめんな」
俺たちは素直に謝り、そして安堵から急に空腹を感じた。昨日の昼から何も食べていないわけで、気が抜けた途端腹が鳴った。それを聞いて、葛葉は席を立ち冷蔵庫の中を確認する。
「すぐ朝食にしますから。部屋で待っていてください」
ふ、と息を吐いて、葛葉は台所に立ち、包丁を握る。なんだか気まずくて互いに目を逸らしながら、俺と姫はそこで別れた。俺はそのまま葛葉に近づき、後ろから話しかける。葛葉は、こちらを向かない。
「本当に、ごめん。心配かけた。仮にも宿を預かる主人の立場なのに」
包丁がまな板を叩くリズムが、少し乱れる。微妙に震えが混じった声で、葛葉はぽつりと尋ねてきた。
「……本当に、何もなかったのですよね」
「信用ないな俺」
「いえ。信用とかでなく、姫は本当に容姿が整っていますから。例えどれだけダンナ様に鋼鉄の精神が備わっていようとも、劣情にほだされる可能性がないわけではありません。でも、やっぱり何もなかったみたいですね」
「当然だろう。劣情って、なあ」
包丁が、リズムを取り戻す。しかし、まあ、劣情というか、吸血衝動に駆られたといえばそうなのだが。そこまで話す必要はないだろう。
「で、弁解じゃないんだけど。昨日は、前にもあった吸血鬼特有の呪い、永夜が起こってね。そのせいで人気のない場所まで逃げたりしなきゃいけなくて、その後もダメージで動けず。そのために帰ってこれなかったんだ」
「また、あの呪いが?」
くるりとこちらを振り向き、目を丸くして尋ねてくる。俺は頷いて、続ける。
「知ってのとおり、あの状態になると見境無しに暴れまわって血を吸いたくなる。そういう、危険で狂った病だ。それが、なぜか前よりも早い周期で回ってきてね。油断してた、昨日なるとは思ってなかったんだ。だから、ひょっとするとこれからも、満月の時は危ないかもしれない」
「周囲を、襲ってしまうかもしれない、ということですか」
「哀しいけど、あれには流石に逆らえない」
呪いと言える忌むべき病。吸血族に虐げられ、搾取された人間たちの恨みの結晶などと伝承される痛み。
呪いとは、なにも特別なものではない。強い思念でもって他者を思う時、それは十分に呪いとなる。
政財界ふくめ、あらゆる業界で上に立つ者は敵を増やし、呪われる可能性が高まる。それゆえ日本では陰陽寮……現在の日本国術法統合協会により政治と別れたところから呪術師が上に立つ者を守り、見返りとして報酬を得、また呪術師が動きやすくなるように手配させていたのだという。
このため一般の人々に呪術の存在を知られると自分たちの身が危うくなるので、おおっぴらに術を使っても情報が拡散される過程で色々なところの『上』から手が入り、その存在は秘匿されるのだ。これは英国など他国でも変わらない。
吸血鬼がこのような病める呪いを得てしまったのも、『人間』による思念が『人外』『吸血鬼』といった自分たちの脅威へと呪いを向けたためではないか、とぱとりしあに推測を聞いた。俺は自分以外の吸血鬼に遭ったことはないのでよく知らないが、吸血鬼もだいぶ数を減じているようだ。
ちなみに、逆に言うと人望を集めトップに君臨する者は、莫大な呪力を得て国すら強めるそうだ。いまの日本では考えるべくもないが、カリスマ性はさらなるカリスマ性をもたらし、ある種自己陶酔による強制暗示で臣民が強くなることは、戦の多い時代には憑きものであったらしい。
それにしても今までと外れた周期で永夜が起こるなど、考えられないことだった。これまでは年に三回、四ヶ月おきに発症するという程度だったというのに。まだ、前回から二ヶ月しか経っていない。
「ひょっとしたら危ないかもしれないってだけだけど。それも今のところだから、もし発症したら殺す気で押さえ込んでほしい。俺としても、みんなを襲うのは絶対にイヤだからさ」
「……承知しました」
葛葉は心得顔で頷き、俺もそれに頷き返す。
さて、朝食が出来るまでしばらく休むかな。どうせ冬休みだ、少しくらい寝ていてもバチは当たらないだろう。
「ダンナ様」
「うん?」
「おかえりなさいませ」
表情を緩め、口の端を持ち上げながら葛葉は言う。今度は早く帰ってきなさい、と言われているような気がした。
「ああ、ただいま」
ようやく、家に戻ってきた、という感じがした。
「……なんにしても、疑うこたねーよな。あたしとダンナが何してたと思ってやがんだ」
そして姫の部屋。朝食が出来るまで暇なので、手持ち無沙汰に訪ねてくると。紅色の着物に着替え、橙色の帯を締め。真っ赤な髪を白いリボンで普段のポニーテールに戻しながら、姫がぶつくさと文句を言う。髪の先が腰にかかるようになったのを首を曲げて確認し、ようやく俺に向き直る。仕事着に着替えたのもあって、俺に対する二人称も元に戻したようだ。
「普通に朝帰りだったしなぁ。多少は疑われそうな気もしなくもないかもしれなくもない」
「どっちだよ」
笑いながら、しかしわずかに頬染めながら。姫はそう返してくる。俺は姫に近づいて小声で、さらに付け足す。
「でも、正味な話血を吸うって行動はさ。吸血鬼にとっては、わりと大切な事柄だから。そう簡単に勧めないようにお願い出来るか」
わずかに、だった赤みが、ぼっと顔全体に広がる。
恥ずかしいことを蒸し返すようだが、こればかりはどうしても釘をさしておかないとならないのだ。
吸血鬼にとって血とは、ある特定の人間からのみ供給されるべきもの、吸血とは言うなればそれをする相手を定める小さい契約でもある。昔、道中で半分以上魂抜けたかな、というくらい死にかけたり、他に武器がなくなって最後の手段で麻酔を打ち込む牙を使ったりした以外、俺はそういう特定の相手を定めたことがない。古い盟約や慣習に縛られるつもりは毛頭ないが、それでも気になることもあるし。
吸血族において、そうした『相手』というのは例え飼い殺しの血液供給役であれ、『一生涯を通じての相手』だったりするからだ。実際、伴侶として選ぶ事例も少なくない。ゆえにこそこの牙の名は甘き痛みなどと妙に浪漫ちっくな呼称となっているのだ。
緊急時はこの慣習も除外されるらしいし、別に気にしてはいないのだが。なんとなく、やってしまうと責任を負わなくてはならないような奇妙な感覚に襲われる気がする。
「う、うん……なら、あたしも忘れるように努める」
俺の言葉に、こくりとうなずく姫。これでよし。
「悪いな。別にイヤってわけじゃないんだけど、ああいうのは相手を選ばないとダメだ。そういう、大事なものだから」
「そ、そっか。なら、うん。忘れることにすんよ」
なんとなく、沈黙して話が続かない。どうしようか、悩みながら頬を掻いていると、下から呼び声がかかる。朝食が出来たのだ、と思いふすまを開けて外に。やれやれ、気まずかった、ん?
「なにやってんだ白藤、ぱとりしあ」
廊下にはふすまに耳を寄せていた体勢の、白藤とぱとりしあ。最初は聞き耳立ててたことがバレたのをきまり悪そうにしていたが、やがて開き直り、深呼吸ひとつ。んっふっふ、と嫌な笑い方をしながら二人で顔を見合って俺を指差す。
「聞いたのぅ、ぱとりしあ」
「聞いちゃったね、白藤ちゃん」
何を?
「とうとう手を出したみたいじゃな」
は?
「しかも内容から察するに姫ちゃんから襲って、それをやんわりとダンナさんがたしなめた、って感じなの」
「『ああいうのは相手を選ばないとダメだ。そういう、大事なものだから』だったか。かっこいいのう、カッコつけ。手っ取り早く現代風に言ってしまえばへタレ。臆病者。弱虫毛虫、それとも不能か? まあ床に女人と入ったことがないのは既に知ってるがの」
………………………………。
「意外だよ、モテないんだね。ダンナさん、確かに運はなさそうだけど」
「ああいう硬派気取っとる根暗な奴やら中堅どころで良くもなく悪くもない輩は現代でもモテんらしいの。極端な話、ノリの良い奴なら多少脳髄の容量が足りんとて誤魔化して女を捕まえられる。難儀な話じゃが、我らの主人が好かれることなどそうはなかろうよ」
……………………。
「そっかー。女の子に好かれるような人柄じゃない、ってことだね。でもボクはダンナさんのこと好きだけど」
「おまえは多少顔が整った奴なら男女問わず飛びつくじゃろ」
「失礼だなぁ。中身もちゃんと見てるの」
「それで主人を好くというのもどうかと思うがの」
…………おまえらさっきから何話してるんだ。しかも失礼極まりない。
「ダンナ」
「なに、姫」
「食前に軽く運動してーんだけど、やっちまっていいかな?」
「奇遇だな。俺もだ」
さあ、血を見るがいい。
断片的な情報から人間を判断するのはクズの行いだと、気づかせてやろう。拳に息を吐きかけ、必殺の寸勁を放つ準備は完了。というか、なんであんな勘違いしそうなところからタイミング良く聞いてんだよおまえらはッ!
+
気がつくともう大晦日だった。
普段から大変な宿屋の掃除を、さらに細かく丁寧に行うという殺人的な清掃活動のためにところどころ記憶が飛んでいる。それを平然とこなすほかのメンバーを見て、俺もやはり二ヶ月そこそこの新人と言っていいにわか主人でありこの付け焼刃は本物には敵わない、と痛感した。
というか、俺が持ってるものってどれも付け焼刃だな……戦闘技術も魔眼による裏技でしかないし、仕事も出来ない、勉強も姑息な手の常習犯、ロクなもの身に付けてない……。
「あるじ、そろそろ僕は出るのですが」
「ん? ああ悪いぼーっとしてた。まだ疲れ引きずってるみたいで」
こちらを見上げ、俺の顔をのぞき込んでいる柊。ここ、表玄関から外に出て、実家の方へ帰るらしい。なんでも仕事で呼ばれたとか。
三が日を過ごしたら戻ってくるとのことだが、それなのに、その大荷物はなんなのだろう。三日帰るだけとは思えない。なんだ、その直径一メートルくらい、唐草模様の風呂敷包みは。どう見ても昔の泥棒だろうが。
「貧弱な体をしているのですな。少し鍛えなおすことをお勧めするのです」
「うるさい。俺は基本的なスペックがおまえら化物クラスとは違うんだよ。体術も普通頭も普通の並と凡と平均尽くしだ」
「僕は一応普通の人間なのですが? まあ……大丈夫です。そんな情けない能力値で人の上に立とうとする図太さは僕には真似できないのですから。誇ればいいです、唯一無二の美点と言えそうなのかもわからない部分ですが」
「帰り際までケンカ売ってんだろう、このガキ」
「ケンカするのですか? 一応そちらは人外なのです、只の人間相手にするなら手加減してほしいのですな」
只の人間は跳躍が五メートル越えたり布団たたきの先が布団を貫通したり落とした湯のみの中身を一滴もこぼさず足で弾いて手元に戻すことは出来ないと思うが気のせいか。それともこちらの世界ではそういう人間が多いのか。
「ハイハイ、ケンカはやめましょう。今日のところは見送りですから。手傷を負わせて実家に帰らせるわけにもまいりません」
「葛葉さん、一応僕はかすり傷も負わず勝つ自信があるのですが」
「そういうこと言うからダンナ様も怒ってしまうのでしょう。君も少しは大人になりなさい」
その言い方だと俺が子供のように聞こえるのですが、葛葉さん。
「……ふう。まあいい、道中気をつけろ」
「そちらこそ。新年最初のおみくじで大凶を引いたりしないよう、です」
最後まで憎まれ口を叩きながら柊は表玄関を後にした。山道の向こうに消えてゆく背中を見送ると、さて年越しの時刻まであと二時間だ。のんびりとそばでもつつきながら鐘が鳴るのを待とう。
と思っていたらインターホンが鳴った。そう言えば、初詣は一緒に行こう、と要を誘ったんだっけ。
「ちょっと出てくる。初詣に行く約束をしてたんだった」
黒いハーフコートを身に纏いながら後ろに居る五人に伝え、勝手口に駆ける。外に出るとやはり長い銀髪が目に入り、その横からひょこり、ひょろりとした長身も現れる。なんだ、おまえも居るのか。
白いショール、黒いハイネックのセーターに同色の短いスカート、茶色いブーツを穿いて完全に寒さを遮断した要の服装。対して、辻堂は黄色と茶色のチェック柄クロークに黒いべレットという目立つことこの上ない恰好だ。その視線はなんだ、ツッコミを期待しているのか。
「こんばんは、有和良、君」
「夜分遅くに失礼するが気にするなよ。昨日は姫さんと結局どこまでいったのだね」
後ろからついてきていた姫が盛大に吹き出す。辻堂は俺が影になって姫が見えていなかったらしく、それから白々しい様子であ、どうも、などと挨拶をしている。要は今のセリフで当惑、辻堂を見たりこっちを見たりと急がしそうに首を回している。なんというか……あまり深く考えないでほしい、と切に願う。
「ちなみにデートしていたという経緯は既に時計には話してあるのだよ」
あっけらかんと言いやがったので俺は奴の胸倉を掴む。私刑確定。
「てめーはまたなんで人のプライベートを堂々暴露するんだ? いっぺん臨死体験するか?」
「知られて嫌なことなのか?」
「そうに決まってるだろう!」
すると辻堂は死んだような目をすっ、と細めて、俺に小声で耳打ちする。
「……さて問題だ。今おまえは二種類の殺気を感じているだろうがね、それはなぜでしょう?」
「はあ……っ?」
背筋に悪寒。振り向けば、そこにいるのはやはり見知った二人以外の何物でもなく。だが決定的に何か違うような、そんな気がした。勘でしかないが、一瞬恐怖を感させられるだけの何かを、俺はこの二人にしてしまったらしい。
「寿命を縮めたくなければ、滅多なことは言わない方がいいと思うのだよ、有和良」
「それは、確かに、そうかも、しれない」
何がなんだかさっぱりだが、どうもこの話題は鬼門らしい。恐怖で呂律が回らず要みたいな話し方になりながら、俺はこの言葉は封じておこう、と固く誓い、そして深呼吸してから顔を上げた。もう大丈夫だ。多分。
「よし、じゃあ俺は行ってくる」
「待て」
やっぱりダメだったようだ。姫に回りこまれた。こちらを訝しげな目で見上げながら、何か言葉を探している。
「初詣か。あたしも行きたいと思ってんだけど」
辻堂が喜色を表す。要はさっきと変わらない顔をしている。俺としては、今の姫と要には逆らいたくないのだが。
「二人とも、いいかな?」
「別に私は構わんとも。むしろ一緒に行きましょう姫さん」
「……あんた、一昨日はよくもおどかしてくれたよな」
まだお化け屋敷でのことを気にしているのか、ジト目で辻堂を見る姫。がっくりとうな垂れ、やっぱやめとけば良かったかね、などと独り言を呟き始めた。全て責任はおまえにある。
「要は?」
「う。別に、いいけれど」
一瞬ひるんだが、こくりと頷く。しかし、見ていると後ろからさらにゾロゾロと続く影。どうやら宿屋一同、総出のようだ。
「参考までに聞きますが何やってるんだみんな?」
「いや、やはり大晦日と初詣くらいは外の神社などに行きたいと思うのでな。しかし私らは場所がわからんから、主人。連れて行ってもらえると非常に助かるのだが」
川澄さんが腕組みしながら物申す。こんな大人数で初詣?
「人数が多すぎはしないか、というかなんで白藤まで出てこようとしてるんだ!?」
「宿の中がわし以外不在になれば家屋体を解いても構わんじゃろう?」
「いや、まあそりゃあずっと縛られたままでいてもらうのも悪いから、こんな機会だし……いいけども」
「契約成立、久々の外じゃ」
白藤が外に一歩踏み出す。途端、後ろにあった敷地はすっ、と音も無く空っぽ、空き地になってしまった。一応ある程度こちらの世界については辻堂と要にも話してあったが、突然目の前で消失マジック(タネなし)をやられては唖然とする他ない。
あー、もう。仕方ない。こんな大人数になるとは思ってなかったけど。
「全員で行くか、初詣」
夜風吹きすさぶ十二月三十一日。残り二時間弱。
「ごめんな、要。なんか大人数で出ることになって」
「あはは、でも、みんなで行った方が、多分、楽しいよ」
そうは言うものの、なんだか表情が険しい。やっぱり悪いことしたかなー、と思う反面、白藤とか普段は宿から離れられない奴も連れて出ることができる機会はそんなにないのだからよかったかな、とも思う。でもやっぱり、要のむすっとした顔を見るのはちょっと精神的に辛い。
「ダンナさ、じゃなかった。今は業務外ですね。ひととせさん、神社とはどの辺りですか?」
一瞬、後ろから葛葉にそう呼ばれた時。要がなんだか泣きそうな顔になった。何かしたのだろうか、本当に。
「普通の神社。社こそそんなに大きくないけど、境内は広いから多分食べ物を扱う屋台とか並んでると思う。そういえばお稲荷様を祀ってる神社だから、少しは葛葉とも所縁があるかもしれない」
「あまり嬉しい縁ではありませんね。この血族の血は」
「油揚げなんて安いもんが好物になってんだから財布は嬉しいんじゃねーの?」
「ひととせさん、今度マタタビ買ってきてください」
「……オイ、わかんだろ。あたし猫だぞ」
冗談のつもりか、ひょこっと耳をのぞかせる。辻堂が顔面を押さえてうずくまる。気持ち悪い笑みが指の間から垣間見えた。ああ、なるほど、姫の猫耳姿を見てどうにかなってしまったということか。つくづく危ない奴め。
「Can you speak English? なーんてね、あはは! ボクぱとりしあ。ハーフだから気にしないで日本語で喋ってね」
横を見ればぱとりしあが要に話しかけて怯えさせている。必要以上にフレンドリーな雰囲気は、人見知りの激しい要にはあまり好ましくないものに映るから仕方ない。おそらく、教えても気にしないで話しかけ続けるだろうが。
「かわいいの、要ちゃん」
「やっぱりか。やめろ狩猟者」
怯える要。ハンターになりかけのぱとりしあを押さえつつ後ろを見れば、川澄さんと白藤が煙草をふかしながら歩き、道行く人がその両方に目をやっては気おされてすごすごと去っていくし。辻堂はカメラ付きケータイで姫を撮ろうとしてるし。姫と葛葉はまだ自分たちの出自からくる本能(マタタビと油揚げ)について話し込んでるし!
なんだ、この引率の先生みたいな苦労は。
「頼むから、せめて静かにして。近所に迷惑だからさ」
俺の懇願も聞き入れずわいわいと騒がしいので、まずはぱとりしあを耳を出したままの姫に差し向けてこれを無力化。辻堂のカメラのシャッター音も耳障りなので、ぶんどって本来は谷折りのところを山折りにする。川澄さんと白藤はライターを取り上げた。
「ようやく、静かになった」
「お疲れ様」
要からお褒めの言葉を頂戴しつつ、俺たちは歩く。神社まではあともう少しと言ったところだ。
「あ、あのね」
「ん?」
「や、やっぱり、なんでも、ない」
口ごもり、うつむいてしまう要。なんなのだろう、と思いつつも踏み込む気が起きず、結局うやむやになってしまう。
誰かが間違えて突いたのか、早くも鐘の音が辺りに響いた。
+
境内も広い神社だが、その境内があるのは小高い丘の上、斜面の上だ。そこに辿りつくまでの階段脇にも、赤いちょうちんの光を主とした屋台のきらめきが満ちている。どこからか、鼻腔をくすぐるいい匂いがした。それと、鼻をつくちょっとクセのある匂い。それに気づいた途端、川澄さんと白藤とぱとりしあはそそくさと匂いのする方角に消えていった。
つまり、酒だ。
「俺たちはもっと厳粛に、年越しの瞬間を迎えよう」
というか、外に出てきても白藤のやることはほとんど変わっていない。
「厳粛っても、あと一時間弱この行列に並んで、賽銭放り込むだけだろ?」
「立っているだけというのも寒いですしね」
ロマンのないこと、というかもはや意義そのものを根底から揺るがす発言だ。それを聞いて周りがこちらを見る。多分、全身真っ赤な姫とか背が高い葛葉とか銀髪の要とか黄色い辻堂とかが居るから、のような気がする。俺は至極普通だ。
「まあ言ってることには一理あるがな。確かに、この寒い中何もせず立ち尽くしているというのは辛いものだよ。だから、誰かが屋台で暖かいものを買ってくれば良いのだよ!」
さも名案を思いついたかのように、黄色いクロークに身を包むひょろ長い変人が手を叩く。
「じゃあ辻堂、頼むよ」
「言うと思ったさ……。長い付き合いだからな、有和良」
「じゃあ早く行け。焼きイカと焼きとうもろこし」
「熱燗と油揚げをお願いします」
「わたがしとりんごあめと甘酒頼むぞ」
「満場一致かね? 特に私はあなたとは二度しか面識がないような気がするのだが?」
葛葉に向かってぼそりと呟く。しかし健気にパシってこようとする辺りが奴のいいところだ。唯一無二の美点かもしれない。
「要は何も頼まないのか?」
「え、えーと。その、量が、多いから。二人くらい、行った方が、いいかなって」
俺の問いかけにあたふたしながら答える。何か他のことを考えている最中だったのかもしれない。しかしそんな優しい言葉は――辻堂には、恥知らずを成長させる栄養剤にしかならないと思うのだが。そんな俺の思いを敏感に感じ取ってくれやがったのか、辻堂は含み笑いとともに復活。要に向かって親指を立て、ナイスサポート! と叫んだ。
「優しいのだな、時計は。すばらしい奴だよ。もしあと少しロリだったらなぁ」
「要よ、もう一度よく考えろ。本当にこんなアホのために仕事を分担してやるのか」
「あうう、後悔し始めた、かも」
そんな殺生な! とまたも叫ぶ。幸いにも回りも騒がしいためあまり気にならないが、それでもうるさいことには変わりない。特に俺たちは至近距離に居るため被害は絶大だ。もう面倒くさいしそろそろ絞め落としてしまおうか?
「ひととせ。いくらなんでも友達なんだろ。後ろから首を絞めようとするのはどうかと思うぞ」
バレてたか。微妙にそういうのに感づくのがうまい、と俺は思う。姫はやれやれ、と肩をすくめて、寒そうに黒いマフラーを巻きなおした。この辺りは人が多いためか、ここまでの道中ほど寒くはないが、それでも寒さが全くないわけではない。
「やっぱり、何か、買ってこよう?」
「そうだな。おい辻堂出番だ、スタンバイしろ」
「安っぽいどこぞの芸人じゃないのだよ。そんなのに乗ると思っているのかね」
だったら乗せたらぁ、と俺が啖呵を切ろうとした瞬間。横合いから手を伸ばしてきた要が、俺の腕をつかんだ。
「あの、その。辻堂君、じゃなくて……ひととせ君と、行こうと、思って」
「俺?」
ぽかんとしているうちに、ズルズルと引っ張られて賽銭に並ぶ列が離れていく。手を振っている辻堂と葛葉、腕組みしている姫。なんだかなぁ、と思いつつ、俺は為されるがまま。引っ張られて、屋台の多く出ている境内近くまで来てしまった。こうして見ると、小高い丘の上にあるだけはあり、杉林の隙間を縫うように八尾町の景色が眺望出来る。
「結局あいつにパシらせることは出来なかったか」
「たまには、こういうのも、いいんじゃないか、な」
そうだろうか、と思いつつ、列に並びに行こうと要を引っ張る。すると、要の方が俺の手を引いた。
「? どうした」
「え、えとね。その、…………これ」
口数少なく、後ろのショールの中に隠してあったのか、取り出される白い紙袋。なんだろう、と思って中を開けてみると、白いマフラーが出てきた。模様はどこかで見たことのある、というか今要が肩にかけているショールと同じ模様だった。わりと複雑な、風にそよぐ草を写したような模様。
「手編み、か?」
「う、うん……まだヘタだけど、クリスマスに、って思って作って、でも渡せなくて、だからその、今。渡す」
「へー……そうか。ありがとう。よく出来てると思うけどな」
顔を赤くして瞳をぎゅっと閉じたままの要。探ってみると、紙袋の中には、他にガラスの小瓶に入ったクッキーもあった。恐らくは前にもらったことがある、あのクッキーだ。どちらも手作りというのは、結構嬉しいものがある。
「うん、本当にありがとうな。そういえば、要は小遣いもらってないんだっけ。だから先月はバイトしてたのか?」
「なるだけ、いい材料を、買いたくて」
ほっとした顔で、柔らかく微笑む要。そうか。なら、無粋だし材料費は聞かないことにしよう。手の込んだことをするのが好きな要のことだ、ひょっとするとちょっと高いものになっているかもしれない。大切にしよう。
「悪いな、いま持ってないんだ。家帰ったら渡すから」
「え、ほんと、に?」
「例の漫画の全巻セット。かさばるから学校でも渡せないし年末で仕事も忙しかったしで渡せてなかった、ごめんな」
「ううん。もらえるの、すごく、うれしい」
俺はもらったマフラーをさっそく首に巻いて、紙袋も丁寧にたたんでガラスの小瓶と一緒にコートのポケットにしまい込んだ。
「吸血鬼がクリスマスのプレゼントもらって、賽銭投げ入れようとしてるっていうのも、ヘンな話だ」
「いいんじゃ、ないかな。神様を、信じて、ないなら。行事、っていうだけで、愉しむのも」
「一応クリスチャンだろうに。そんなこと言ってていいのか?」
クリスマス、ボランティアで清掃に行っていたことを指して、イタズラ心から笑って訊いてやると。
要は神妙な面持ちで、遠く夜空を仰いだ。
「――本当のこと言うと、神様なんて、信じてない。あの日、神様が居たとしても、きっと意地悪だ、って知ったもの」
あの日。それは、要の両親が殺され、この横にある髪が黒色から銀色に変わる要因となった日のことだ。
このことは、俺にとっても苦い思い出の残る日付けとなっている。きっと、辻堂にとっても。あんなアホな奴だが、人の傷にはやたらと敏感だったりするから。
「でも、神様が意地悪でも、わたしはいい」
「なんでだ?」
そこで要は夜空を見ていた瞳をこちらに戻し、くすりと微笑む。
「その意地悪を、跳ね返せるよう、わたしは、強くなる。それに、きっと。ひととせ君も、助けてくれる」
「……そういうことか」
「うん」
まあそういうことなら、と思い、俺は要も強くなったんだろうな、と改めて認識する。
哀しいことだが、人は辛い経験によって成長することの方が多い。
「ところでさ。さっきから、なんで名前の方を呼ぶんだ?」
「え? あの、気づいて、たの?」
「俺がどれだけ鈍いと思ってるんだ……」
いくらなんでも普段は名字で呼ばれてるんだから、それくらいの変化には気づく。
「いや、その。特に、深い、意味は、なくて」
「あ、そう」
みんなのところに戻る頃には、賽銭に並ぶ列も随分進んでいた。俺たちは買ってきたものを食べながら(辻堂は注文を聞いていなかったので何もなし)、少し前に鳴り始めた除夜の鐘に耳を澄ます。残る待ち時間を、他愛も無いことを話して潰す。
階段を上りきり、境内を通り。賽銭箱の前まで来て、五円玉を放り込む。たったそれだけの単純作業だが、やり終えると少しばかり達成感がある。特に願うこともなかったので、俺は「宿屋で平穏に暮らせますように」と願っておいた。
神様は意地悪だし何より俺を狙う輩が消えない限りはこの願いも叶いそうにないが、気休め程度だ。横を見れば、みんなそれぞれ願掛けも済んだようで、こちらに歩いてきている。一体、みんな何を願ったのか。
「おい辻堂、早く動け。どんなに願ってもおまえは無理だ」
「やかましい。おまえみたいな良いポジションに居る奴には私の気持ちなどわからんわ。……ツンデレでロリな可愛い女の子が近所に引っ越してきますように。この願いがダメなら、今度発売のゲーム、予約特典が余ってますように……」
結局最終的にちっさい願い事に落ち着いたようだ。
「……予約し忘れたのでね。ひょっとすると、余ってたら店の人が融通を利かせてくれるかもしれん」
「なんか、哀れだなこの人」
心の底から姫の言葉に賛同しつつ、俺たちは境内の端に沿って並ぶ屋台を順繰りに見ていく。その一番端に、テーブルと椅子を並べただけの簡素な作りだが店の様相を呈している場所があった。そこの一角を占領して、さっきいなくなった三人が呑んだくれている。
「目を合わせないようにしてそっと帰りましょうか」
「それがいいような気がすんな。うし、帰るぞ、って白藤も出てきてんだから帰るところがないじゃねーか!」
「あ、それなら、うち、くる?」
「え、いいのか要」
「うん。せっかく、だし」
要の温情に甘えることにしようかと、俺たちはそこを離れようとする。
しかし、運悪く要が金髪の悪魔と目を合わせてしまう。緑色の、酒気で濁った瞳を輝かせながら、突進してくるぱとりしあ。慌てて手を伸ばすが、映画のワンシーンを彷彿させる絶妙な届かなさ、指先は触れ合ったが連れ去られてしまう。唖然としている間に、早くも一杯呑まされそうに。
「……結局こうなるのかね」
「みたいだな」
「ばか言ってないで行くぞ!」
「いきますよ」
溜め息を吐きながら、既に向かって行った姫と葛葉に追随。とっくにでき上がった三人を相手に、攻防を繰り広げることに。
かくして、なんだか意味の分からない幕開けとなってしまった一年の始まり。
――今年も、よろしくお願いします。
年末年始休む宿屋ってどうなんだろ。まあ立地が立地だから……
ではまた次回。