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端書き ヒーローとヒロインの位置。(番外編!)

 ――では始めます。話は少し時間を戻して、春夏秋冬と葛葉が星火燎原を倒したところ、その数日後あたりから。宿屋でケガの療養のために休んでいる二人、さて二人はどう過ごすのか、という番外編。番外編でございます。



          +



 珍しいことに今朝の葛葉は不機嫌だった。いや、普段はうきうきルンルンしてるわけでもないのだが。それでも、表情が固くなっていれば何かあったのかな、程度には考える。どうやら、夢見が悪かったのだと姫に話しているようだが、その内容をよく覚えていないらしい。

 そしてそんな普通の風景を見ながら、俺は松葉杖でひょこひょこと宿の中を移動するハメになっていた。体が人狼の暗示でボロボロというのもあるが、星火燎原に短刀で刺し貫かれた太もものダメージを気にしている部分が大きい。

 だがあまり学校を休むわけにもいかないので、翌々日からは登校した。案の定、要や辻堂に何が起こったのかと訊かれたが、そこはよくある『階段から落ちた』で回答を済ませておく。足の回復には、まあ恐らく一月は要するだろう。


 そして今日は土曜日、作務衣を着て寝転がり、何もしないで体力の回復を待つ。そんな……冗談抜きで辛い状況に居た。何もしないで、とは言っても、三十分に一回はぱとりしあが将棋や囲碁やオセロやチェスやとにかく遊びに誘ってくるのだ。そして密室に奴と二人になることは色々と危険が多い、特に今のように激しい運動が禁じられていると。

 なので俺は人通りの多い中庭に面した縁側に腰掛け、ぱとりしあがやってきても救援を呼べる状態を作った。まだ秋とはいえ時折肌寒く感じさせる風が吹くこともあるが、基本的にはぽかぽかと陽光に照らされて心地よい。吸血鬼の言うセリフではないだろうけれど。

 しかし、最初に話を戻して。夢見うんぬんはともかくとして。やっぱり、ちょっと沈んでる。


「人殺しをしてしまったから、か」


 葛葉が、だ。まだ体はところどころに包帯が巻かれているが、傷は徐々に治り始めている。しかし、心に負ったダメージは。そう簡単には、抜けてくれていないようだ。もちろん、それは葛葉の乗り越えるべき問題だろうとは思うが。辛そうな表情を見るのは、溜め息が出る。

 夢見が悪いと言っていたのも、内容を語りはしなかったが、おそらくは、そこが関係しているのだろう。俺自身も、敵を手にかけた瞬間の繰り返しを、一晩中みることがよくある。


女子おなごの顔見て嘆息とはな。何か思うところでもあるのか? 主人」

「川澄さん」


 どっこいしょ、と俺の横に腰を下ろした川澄さんは、眼鏡を手ぬぐいで拭きながら俺に尋ねた。そして、


「色恋沙汰は、仕事場では感心できん事柄だ」


 まったくそんなことを考えていなさそうな顔で続ける。


「そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと。葛葉、元気ないなぁ、と」

「ふむ。やはり先日の一件が尾を引いておるか」

「みたいだけどね」


 チリッと火を点けて、川澄さんは煙草をふかし始めた。爽やかな秋空に吸い込まれていく煙が、一筋二筋。藍色の着物のたもとに煙草の箱とマッチをしまい込み、俺の方に向き直る。


「終わったことだろうがな、それゆえに心に重くのしかかることは往々にして在り得る。主人にも、何かしら経験があろう。私にも、いくらか覚えはある。だがな、それをどうこうすることは出来ん。折れそうになったら支える、くらいでよかろう」

「それはわかってるんだけど。こう、暇だとね。必要以上に周りを観察してしまって」


 要するに、視界に入ってどうにも、という感じなのだ。それに。


「それになんだか、微妙に避けられてる気がするんだよな……」


 これが、今一番の悩みである。煙草の煙が再び、すぱーと空気を攪拌かくはんする。


「自らの救い手を嫌うことはあるまい」

「でも、実際この二日でかわした会話が両手で数えられるくらい」

「会話の回数など、私だって十回に満たないのだが?」

「違う。会話の返答が両手で数えられるくらいの、文字数なんだよ」


 ええ。はあ。はい。これが最近の主な葛葉の返事。文章ではなく、一単語の発音のみ。


「……葛葉に何事かしたのかね?」

「何事かってなんなんだ」

「無さそうだな。今のは忘れておればいい。なに、対人関係というのは常に何らかの問題を抱えるものだ。あまり深く考えすぎるなかれ、と忠告をしておこう、主人。先人からのお節介だがな」


 溜め息一つ、煙草の火を携帯灰皿で潰し消し、ゆっくりと腰を上げて縁側から立ち去ってゆく。俺はどうしたものか、と迷うものの、あまり動けないのは変わりないためそのままそこでぼんやりする。雲は流れ、空は時間を緩やかに経過させてゆく。いっそ二度寝してしまおうかと思い、俺は頭の後ろに両手を回して、床に背をつけた。

 反転した視界の中に、黒い着物が通りかかる。上に上に視線を上げてゆくと、黄色い帯、胸の前に抱えた瓶、最後にこちらを見下ろす瞳に行き着いた。


「や」


 話しかけると、微妙に曇った表情になる。やはり、何か避けられている感じが否めない。

 そして、表情の奥底には何か黒く暗いものが沈められている。恐らくは、罪悪感。罪に対し自ら背負う鎖。だが、それを口に出そうとはしない。それでどうなるわけでもなく、話さなければ潰れるほどやわではないということだろう。

 乗り越えたわけでは、ない。これからもずっと引きずる。しかし、周りに見せないよう努力出来るくらいには、それを受け止めたのだろう。

 だから、俺もこれ以上心配はしない。互いに深く思いやりすぎることは、時として共有をしすぎ、痛みを深めてしまうことに繋がるのかもしれない。だから、出来るだけ笑顔で話しかけた。


「ダンナ様……こんなところでお休みになられては困ります。眠るのでしたら部屋にお戻りください」


 向こうから話しかけてくるどころか、こちらから話しかけても返答が少なかった最近だが、久々に長文で答えがきた。


「いや、部屋に戻るとぱとりしあが頻繁に来て危ないからさ。ここなら人通りも多いから安心」

「――そうですか。では、何も言いません。仕事に、戻ります」


 一礼して、すたすたと去ろうとする着物の裾。俺は上半身を起こして、その後姿に呼びかける。表情も固く、最近話が出来ていなかったから。久しぶりに話せる機会があったのだから、何か言うべきことがあるように感じた。


「仕事、って言うけど。あんまり根詰めすぎるな。まだ葛葉だって全身ボロボロだろう? 少しは休んだ方がいい」


 はた、と足を止めて、こちらを振り向かず姿勢を正す。その姿は、首筋、手首などの肌が見える部位に白い包帯を覗かせる、まだまだ怪我人のそれだ。歩き方もどこかぎこちない。

 星火燎原の狐火によって焼かれ、火傷だらけになった体。川澄さんの持っていた特別な軟膏なんこうや水薬でなんとか動けるようにはなったし怪我の痕も残らないとのことだが、割合ハードな宿屋の業務をこなせるほど回復したとは到底思えない。現に、同じ処置を施された俺は動き回ると節々が痛む。


「……休むのも大事だというのは、わかっているのですけどね」

「ならどうして?」


 松葉杖を支えに立ち上がりながら問うと、葛葉は口元に手を添えて恥ずかしそうにしながら、こちらを向いて呟く。


「楽しくて、嬉しくて、仕方ないんです。もう、絶対に取り戻すことは出来ないと思っていた居場所に、もう一度戻ることが出来て。だから、無理してしまっているのもわかってはいるのですが……働きたくて止まっていられないんですよ。変ですよね」


 前に見せた満面の笑み、とまではいかないが、十分に破壊力のある微笑をたたえながら葛葉は言う。それじゃあなんとも言えないか、と思い、俺も軽く笑いながら肩をすくめる。


「でも無理はするなよ。辛くなったら周りを頼っていいんだ。それとも、俺は頼りないかな」

「その恰好で言われても、頼りないと言わざるを得ませんよ」

「う、やっぱそうか。ひょっとして、頼りにならないから避けられてたのか」


 気になっていたことを会話の流れに織り込んで尋ねると、葛葉は一瞬固まった。

 風が吹きぬけ、一枚の紅い葉を運んでくる。


「……頼りにならないか」

「そ、そうじゃないですけども」


 じゃあなんなんだ、と視線で訴えかける。松葉杖にもたれて背を曲げた俺よりわずかに高い位置にある葛葉の顔は、焦ったようにあちらを見て、こちらを見て、言葉を探している。なんだか見ていてほほえましいと言えばそうだが、あまり困らせるのも悪いので手を振って話を切り上げることにする。


「まあいいよ、頼られても頼られなくても。この宿には俺より頼りになる人なんていくらでもいる」


 そう言って自嘲気味に笑おうとすると、葛葉が俺の目を見据えてむっと口をとがらせる。ようやく言葉が見つかったのか、強い視線で俺を捕らえて離さない。黒い瞳は穏やかに凪いでいるように視えるが、その底では強い何かが眠っていた。


「頼りにしてないわけありません。わたしは、一番ダンナ様を信じています。頼りにもしてます。だって、ダンナ様が、わたしを助けてくれたんですから。あなたは恩人ですよ」

「そうはっきり言われると、それはそれで照れる」

「こっちだってそうですよ……だから、最近はあまり話しかけられなかったんです。なんだか本音をぶつけ合った翌日に会うような、照れくさい気分になってしまって、表情が緩んでしまうものですから」

「笑ってる方がいいと、思うけどね。なんにしても、嫌われたりしたわけではないようで、よかった」

「嫌いになんてなるわけありません。むしろ、その、……えと」


 ぼそぼそと何か言っているようだったが、こちらとしては嫌われていないという事実がもたらした安堵で耳に入らない。そんな状態がおかしくて、ふっと笑いあう。

 だがそこで、葛葉が持っていた瓶を取り落としかける。慌てて俺がキャッチしたが、どうもやはり葛葉は体調が芳しくないようだった。わずかながら顔色も赤く、調子が悪そうだ。


「まだ、火傷による熱が引いてないんじゃないのか」

「い、いえ。そんなことは」


 片方の松葉杖から手を離し、葛葉の額にあてがう。わずかながら熱い。


「正直に言ってくれ。無理、してないか」

「……すいません」

「謝らないでもいいけども。早めに完全回復させる方が、結局早く復帰出来るよ。結局この数日もあまり働けてないの、一応知ってるんだ。別に誰も怒ったりしないんだから、休憩取ってケガを早く治すよう専念してくれ。そうすれば、すぐに働けるさ」

「はい」


 二階にフラフラと上がっていく葛葉。俺は心配になったので、川澄さんを呼んで軟膏と水薬とを貰い、姫に処置を任せた。




「火傷に塗り込んでるあの薬、一体なにで出来てんだ? 塗り込むだけで見る見るうちに回復してんだけど」


 部屋に寝かせた葛葉に、軟膏を処置してきた姫がぼそりと俺にたずねた。しかし塗り直しが必要だったということは、やはり体調の悪化は薬切れが原因だったらしい。


「さあ……なんか川澄さんに訊いても材料は教えてくれないんだよね」

「はあん。でもよく効くってこたぁ、逆に言えばまだ完治はしてねーってことだよな。なのに働きたいってのも大変な話だぜ」

「働きたいって思っちゃうんだってさ、もう戻れないと思ってたそうだから」

「なるほど」


 どこか共感を覚えたような、納得した様子で姫はうなずいた。


「今日一日は安静にしとけってこったな。まあ、こりゃダンナにも言えることか」

「そうだなぁ。まだ貫かれた傷も癒えてないし、今日もグータラ過ごすしかない」

「本でも読んでろ。おすすめの推理小説でも貸そうか?」

「いや、いいよ。どうせ読みきれないだろうから」


 姫には断りを入れて、俺は自室に戻る。そして、閉じてあった経営に関する本を読むことにした。ここ数日どたばたしてることしきりだが、時間が空いた時は出来るだけ読むようにしている。気が付けば、いつの間にやら俺は本気でこの宿屋の主人をやる気になっていたようだ。

 惰性や諦念からこの場所に来たのだが、気づけばここを好きになっている。不思議なこととも思えたが、至極当然のことのようにも思えた。今までとは違う環境、それは俺にそれまで見えなかったものを見せてくれた。


 暗い人生を歩んできた。三年ほど前に日本に来て、少しは楽になったけれど。道を歩いていて襲われ、打ち倒した相手をマンホールから下水に放ったり。学校に居る間に強襲されかけたので、クラスの全員には幻覚を見てもらい、その間に倒した相手を縛って川に流したり。

 なるだけ殺さないよう努めてはいたが、時には後遺症が残りかねない傷を与えないといけないこともあった。自宅には父さんがかけてくれた符札術式があったから落ち着けたが、それでも自分の身は自分で守っていた。

 過去は変えられないし、背負った罪は下ろせないけれど。でもここに来て、わかったこともある。

 決まっていない未来には、手を加えられる。間に合うのなら、助けを求めている人を救うことも出来るのだ、と。これまでは自分で手一杯だったが、俺はこの前ようやく、誰かを助けることが出来た。それは泣きたいくらい嬉しいことで、贖罪とかそういうことは関係なしに、良かった、と思えた。

 つかめる幸せがあるのなら、逃してほしくない、と思う。色々な場所を旅して、色々な人を見てきて。絶望と戦い、幸せを手に入れることは尊いのだと知った。俺の命を懸けてでも、誰かに幸せになってほしい。それは、長い逃亡と戦闘の人生で得た、俺の願いだった。


「っと、考え事ばかりしてちゃダメだな」


 本に視線を戻す。だがそこで、ごほごほと咳き込む葛葉の声が聞こえた。部屋と部屋の間にある壁はそう薄くはないが、叩いて重い音がするというわけでもない。俺は気になって部屋を出て、葛葉の部屋を訪ねる。


「葛葉?」


 さっぱりと片付いて家具の少ない、俺の部屋と似た状況の部屋。唯一、床の間に日本刀が飾ってあることが物騒だ。葛葉は部屋の中央に敷かれた布団に横たわって、額に氷嚢ひょうのうを乗せていた。黒いショートカットは汗に濡れて、赤くなった顔に張り付いている。俺が部屋に入ると、氷嚢で半分覆隠れた葛葉の瞳が、入り口で松葉杖にすがり立ち尽くす俺を見る。


「咳き込んでたけど。大丈夫か?」

「平気、です。わたしは、そこまで体を酷使したわけじゃありませんから。ちょっと、喉が渇いただけです」

「ほら、水」

「……用意のいいことで」


 ガラスのコップに注いできた水を見せると、葛葉はよろよろと上半身を起こす。寝ている間に着崩れたのか、着物の胸元は大きく開いていた。しかし、そこは全て白い包帯に覆われている。腕や背中から、足にいたるまで。軽度から重度まで、数多くの火傷が葛葉の体に纏わりついている。

 手渡したコップの水を、ちびちびと少しずつ飲み込んだ。そして一息ついて、困ったように、照れたように、笑う。

「こんな状態でも、まだ働きたいんですよ」

「正にワーカホリックだな」


 なんですそれ、と横文字に慣れない葛葉は首をかしげる。要するに仕事中毒のことだ、と教えてやると、自分にぴったりだと言って少し喜んだ。


「仕事以外、何もやってこなかったものですから。何か手を動かしていないと、落ち着かないのかもしれません」


 そういえばそうだ。葛葉は幼い日に里を追われ、葵さんに拾われ、この宿に来て、と波乱の人生を歩んだが、どの居場所でも為すべきことは少なく、仕事と呼べるもの以外には何もやれることがなかったに違いない。やがて、体に染み付くように仕事というものを覚え、それだけが生きがいになったとしても無理からぬことではある。

 逃亡と戦闘ばかりで、こうした生活をほとんど知らなかった俺と、少し似ている。


「急に暇、というものが出来ても、使い方がわからない、ってわけだろう」

「そうですね。特に趣味と言えるものもなく、仕事のみをこなすため生きてきましたから。これから自由に時間を使っていい、と言われたら、やることがなくなって迷ってしまいますよ」

「束縛は人生の敵だけども、規制なく捨て置かれるのは自由でもなんでもない、ただ位置がズレただけだからな。将棋で言えば、盤上から外れて床に放り出されて、ルールも何もない荒野にいるようなもの」

「だから、わたしは休むのが好きではないんです」


 布団を口元まで引き上げて顔を赤くしながら葛葉が続け、それで話は続かなくなりそうになる。


「でも、それは違う」


 だから俺がさらに続ける。正座を崩して、あぐらをかく。葛葉は何か物言いたそうな顔をして、こちらに続きを促す。


「休み方のルールを、周りが教えればいいんだからさ」

 

 ルールがないなら作ればいい。ただそれだけの発想。あまりにも小さなことを、大きな溜めを使って言い放つ。葛葉は拍子抜けしたように笑い出し、俺もつられて笑う。


「……なら、教えていただけますか? 休み方というものを」

「ああ。でもとりあえず、もう少し元気になった方がいい」

 

        +


 休むとは、要するに何かしながら何もしない、ということだ。

 ……小難しい言い方になってしまったが、つまりは跳躍のためにバネを縮める、予備動作だ。まだ調子が悪そうだったので昨日はあれからすぐ葛葉には休んでもらったのだが、翌朝、つまり今現在。なぜか葛葉は全回復して、俺の目の前に居る。


「…………どうした?」

「しっかり眠ったら一晩で大体治りました。元々わたしも人外ひとはずれですから」

「いや、俺も人外だけど全然回復してないよ……で、どうしたの?」

「休み方というのを教えてもらおうと思いまして。必要、なさそうですけどね。もう、仕事に復帰してよろしいでしょうか?」

「俺が言ったのはそういう『休む』じゃないから必要性はあると思う。特に今の発言を聞いて余計に心配になった」


 とうの昔に着物に着替え、その上から割烹着を着ていた葛葉は、調理場に立とうとしていたようだががっくりと肩を落とす。そんな様を見せ付けられると俺が何か悪いことをしたような気にもなるが、そうではない、と思いたい。

 生真面目に仕事ばかりしすぎて、葛葉には何か他のものが足りないような、そんな気がする。厨房で向かい合う俺たちの横を、姫がものめずらしそうに見つめながら通り過ぎる。丁度いい。


「なあ、姫。葛葉って、仕事は完璧だけど案外、何かぬけてないか?」


 ぼそっと耳打ちすると姫は、苦笑しながら返してくる。


「んー。仕事以外に打ち込んでるものがねーもん。生活と仕事が一体化してんだ。だから他にやることもねーみたいだし」

「それだ。仕事以外に何もないんだ」

「息抜きとかもしてねーような気がするしな。私事プライベートの生活基準が存在してないし。世間が狭いっつーか、ここしか世界がないみたいな振る舞いも少なくねー。実際、ここが一番いい居場所ってのはあたしも賛成だけど、たまには、自分ん中にある世間を広げてくんのも必要だと思うかな……」

「お二人とも何をコソコソ話しているのですか?」


 少し離れたところにいる葛葉が、なにやら納得いかない様子でこちらを見ている。どうしたものかな、と俺は考え込んだ。

 すると天下無敵のお気楽娘、ぱとりしあが厨房の中に入ってきた。日曜日でも仕事は休みではないので、今も本当は各部屋を回ってシーツを取り替えたり掃除をしたりしなくてはならないのだが、そんなことは一向に気にせず、ここへ堂々とサボりに来ている。

 もっとも、客なんていないのでもう仕事が終わったという可能性もあるにはあるが。そうだとしても、あまりにも自堕落なサボりっぷりだ。机に突っ伏して「葛葉ちゃん、ごはん」などと言っている。


「まあ、ここまで自堕落になるなんて葛葉には無理だろうけど。少しは見習うべきところもあるよ」

「ところでダンナさん。ボク、お昼からちょっと出かけてきたいんだけど、いいかな?」

「言ってるそばからこれだかんな。おまえ、自由奔放すぎんぞ」

「楽しいのが一番なのー。だから姫ちゃんも一緒に遊びに行こ」


 絡まれて、やめろとばかりにぱとりしあを引き離す姫。相変わらずだな、と思いながら、俺は考えた。

 仕事一筋に生きるのはいいだろう。でも、いつまでもここで仕事が出来るわけでもないし、仕事以外の何かがあってもいいはずだ。今の葛葉がいけないとは言わないが、もっと色々、無駄なことを楽しめるようになってもいいと思う。


「離せ、このバカ! そんなに遊びに行きたきゃ葛葉とでも行け!」

「わたしもあなたと同じですよ姫。ぱとりしあと出かけるのはちょっとご遠慮させていただきます」

「うう、ひどい。なんで二人ともボクを嫌うの」


 普段の行いがなぁ、とはちょっと言いづらいし、言っても今さら意味が無い。


「でも、出かけるのはいいかもしれないな。息抜きにもなるだろ」

「出かけるっても誰も一緒には出らんねーぞ。仕事は、ぱとりしあの奴はサボってやがったが、それでも一応やんなきゃなんねーことはあるんだかんな……そうだ、それならこーすりゃいい。ダンナも仕事出来ねー状態なんだから、二人で行ってこいよ」

「二人ですか」

「ふたり…………えぇぇ?!」


 こっちが驚きの提案だ。姫はさも名案を思いついたかのような顔で、腕組みしてうなずいている。


「いいじゃねーか、結局のところあたしらも外には不慣れだし。買い物に行くとこ以外じゃ、さっぱり門外漢だしよ。ダンナなら外での生活にも慣れてんだし、どこに行けば息抜き出来るかとかもわかんだろ?」

「それはまあ、適当に遊ぶところくらいなら案内出来るけど」


 それなら頼むな、と俺の肩を背伸びしてぽんぽんと叩く姫。いやいや、なんでそうなる。遊びに出かけるって、しかも二人だけって、これじゃどう考えてもアレだろう。相手の意思も問題だし。


「じゃあけってーい! みんなで遊びに行こうー!」

「いや、おまえはダメだぜ」

「なんでなの!?」

「仕事だ」


 ズルズルと引きずられていくぱとりしあ、しかし途中で攻守逆転。引きずられる力を利用して起き上がり、姫を追う。ぎゃー、と女の子があげるにはちょっと凶暴にすぎる悲鳴が聞こえた。

 静寂を取り戻す厨房、葛葉と俺だけが残される。どうしたものかと葛葉の表情をのぞき見ると、あちらもやはりどうしたものか、と言いたげな表情。


「出かけるなら、どこへ行きますか?」


 しかして、葛葉の「どうしたものか」は俺のそれとはちょっと趣きが違った。


「……はあ」

「な、なんで溜め息をつかれるのです?」

「いや、なんだか良い具合に振り回されてるな、と思ってさ。大丈夫。じゃ、どこか行きたいところはある?」

「特には。ダンナ様にお任せします」


 ぺこりと一礼して、葛葉はそんなことを言う。とは言われても、俺は葛葉が行って面白そうな場所などそう思いつかない。こうなったら、さっぱり思いつかないのだし無難に定番なところを回っていくのがベストだろう。


「ん。じゃあ、任された。三十分くらいあとで勝手口に来てくれ」

「そんなに準備に手間取るのですか?」


 きょとんとした顔でそんなことを言う。

 いや、女の子って服を選ぶのとか案外時間かかるものじゃないのか? ひょっとして、要はいつも服選びじゃなく立ち読みのしすぎで遅れてくるが、そういうのが普通なのか? 外で息抜きできそうな場所はともかく、異性のことはこっちがさっぱり門外漢だ。


「いや、葛葉の方が時間かかるんじゃないかと思ったから三十分とったんだけど」

「わたしはこのままの服でも別に構わないのですが」


 気にしなさすぎだろう、それは。着物の袖を持って何かおかしいですか、などと言いながら不思議そうな顔をしている。今まで私服姿というのは、そういえば見たことがないが。着物以外を着たことがない、ということなのだろうか。


「街中に行くと、ちょっと目立つしね。一応、着替えてきた方がいいかなと思う。もちろん、葛葉が着物がいいと言うならそれでいいんだけど」

「では着替えてきます。ダンナ様も、その方がよろしいのでしょう?」

「なんだか服装を強制したようで悪い気がする」

「別に強制じゃありませんよ、ダンナ様がその方がいいとおっしゃるなら、そうするだけです」


 やたらと強情な葛葉。ふと、役職名で呼ばれてることが原因かな、と思い当たる。


「今は勤務時間外だよ。役職名で呼ばなくても、いい。だから、宿屋主人が言ったわけじゃなくて、一個人としての俺が言ったことだと解釈した上で、着替えるかどうか決めてきてくれないか」

「ならばやはり着替えます」


 即答。


「……なんで?」

「着替えてくれとおっしゃったではないですか、ひととせさんが」


 そうですが。俺個人の頼みでも聞いてくれるということですか。


「まあ、なんでもいいか……じゃあ、着替えたら集合、ってことで。解散」

「はい」


 仕事の時とは全然違う対応を考慮しなくちゃいけないな、などと考えながら部屋の中に消えてゆく葛葉の後姿を眺め、その姿がどんな服装で包まれて現れるのか、と少しばかり期待に胸を膨らませた。そして、なんとなくその隣に立つことになる自分を思って、苦笑。


「釣り合わないなぁ」




 ジーンズに黒い長袖のスウェット、その上から濃緑のジャケットを着て、俺は勝手口の横にある壁に背を持たせかけて葛葉を待った。松葉杖を両脇に抱えたままというのもアレだが、そこは仕方がない。と、ようやく後ろにあった引き戸が開き、なんだかんだ言ってきっちり三十分使い切った葛葉が姿を現す。

 素足に皮製のサンダル、わずかにひだの入った白いロングスカート。上は黒いレース地の飾りがついた若草色のキャミソールに、薄黄色の綿繻子めんしゅすで出来た上着。それらを果断なく着こなした葛葉は、うつむいたまま時折こちらをうかがっている。

 化粧気のない顔も、切れ長の瞳が伏せられていて、恥ずかしそうにしているのがどうにもこちらの琴線に触れる。肩で切りそろえた黒い髪には、よく見れば青い花びら型の七宝焼きらしきものがついたヘアピンが留められており、細かいところまで手を入れたことがわかる。

 ただ、キャミソールを着ているせいで首筋が大きく露出して、喉が渇く。最近魔眼を使いすぎたためだ。血を吸って、魔力を補充したいという欲求に駆られ、慌ててそれを忘れるよう努める。――今日一日、辛くならないだろうか。


「……変じゃないですか? ひととせさん」

「似合ってるよ」

「そうですか? 普段は洋服を着ないものですから。どうしても、人目が気になります」


 だからと言って着物で出て行こうとするその精神がわからない。だが指摘するほどのことでもないので、そのまま出かける。

 松葉杖なので歩行速度が遅い俺に、葛葉は合わせて歩いてくれている。晴れた秋空の下、向かうのは駅。隣町にあるショッピングモールなら、映画館なども併設されているため遊ぶには最適だろうと思ったのだ。


「この町を出たことも、ありませんからね。どんなところか楽しみです」

「具体的には映画館とかに行こうと思ってるよ」

「映画、ですか」


 嬉しそうに微笑む葛葉。考えてみると、宿屋には客室以外テレビもないため、葛葉は映画はおろかテレビ番組さえあまり見たことがないのだ。はたして楽しんでもらえるかどうか。気になったので、予備知識はあるのかどうか尋ねる。すると、葛葉はやはり思った通りの答えを返してきた。


「どういうものかは知っていますが、一度も見たことはないです」

「きいた話と現物は結構違うと思うな」

「そうなのですか? なんでも、平面なのに奥行きがあって、そこから飛び出してくるとか」

「……まあ前者は大体正解だけど、後者は違う」


 文明から隔絶されて生きていたかのようなセリフを聞いて、軽くめまいを覚えた。そしてそのまま足は進み、気が付くと駅前の、バスが立ち並ぶロータリーに着く。階段を上がって構内に入り、二人分の切符を買う。


「はい、葛葉の分。そこの改札を通して」

「ははあ……歩いてはいけない距離なのですか?」

「そうでもないけど、この方が楽だから」


 ホームに入るとすぐ、突風をまとう濁った銀色の車体が彼方から走り来る。開いたドアの隙間に入り込み、空いた席に腰掛ける。隣に、葛葉もわずかな間を空けて座り、手は膝の上。あまり客のいない車内、がたごとと動き始めた感覚。窓の外に見えた川沿いに生える街路樹は、すっかり色づいている。


「秋だな。紅葉狩りにでもすればよかったか」

「それなら表玄関から出るのがいいと思いますけどね」

「でもあそこは規則性なくどこに出るかわかんないから。俺が前に外に出たら湿地帯だったし」

「運が悪いですね」


 住宅街の中を通り過ぎた電車は、さっき見えた川の上にある鉄橋を通る。風が吹く度に落ち葉が舞い散る様子が、遠目にも見てとれた。川面は穏やかに、俺たちが向いている方向に進んでいく。

 駅を二つ過ぎ三つ過ぎ、地元とは大分風景が変わってきたと感じる頃に目的地についた。アナウンスで気づいた俺は葛葉の袖を引っ張り、列車を後にする。市街地の端に位置する街は、広い土地を持つためショッピングモールを建設することも容易い。この流れを受けて近隣の商店街はシャッター街に姿を変えたとの噂だが、利便性には奇策で持って対抗せよ、と現在宿屋経営中の俺は思う。

 目の前にそびえるのは大手のショッピングモール。中でもここはアウトレットなどを含んでいるためかなり大型。俺は目の前の建物に呆気にとられた様子の葛葉を連れて、モールの中に入っていく。自動ドアを過ぎた途端、外とは違う雰囲気が満たす場所が広がる。軽快なポップミュージックが流れる店内は、家族連れを中心として人でごった返す。


「さて、どこから回るかな」


 人の流れの中で止まる俺たちの脇を、通り過ぎてゆく人、人、人。流れに乗って葛葉が離れていかないように、俺は横に居る葛葉を見やる。するとどうも、周りから見られているのが気になるらしい。俺の傍に一歩、寄る。

 ……すらりとした体躯と服装から受ける清楚な印象、スタイルもいい。顔立ちも整っている。これでは、周りから見られるのも無理はないかな、と俺は思った。そして俺の傍に葛葉が寄った途端、周りの視線が冷たく俺に刺さるのも、予期した通りだ。中には露骨に「釣りあってないない」という声も聞こえた。うるせえ。


「服とか買う?」


 話しかけると、はっとした様子で俺に向き直る。正直手がしびれる。松葉杖をついて歩くのも大変だが、そのまま立ち尽くすのも体重がかかって脇の血管を圧迫するのでよろしくないのだ。


「いいえ、今着ているこの服でさえ、買うのに相当悩みましたので。買うとなると迷ってしまうと思うのですが」

「そういう時間をとるためにここに着たんだ。気にしなくていいよ」

「でも、似合う服があるかもわかりませんし」

「探すのもまた楽しいと思うけどね。そういえば、どれくらい洋服持ってるんだ?」

「……上着は四着、スカートは三着ほど。着物はもう少し多くて、仕事用を除くと五着です」


 少ないな。


「よし、なら服を売ってるところを見て回ろう。お金の方はまあ、俺が払ってもいいけど」

「そんな滅相も無い。基本的に使わないのでお金は溜まってます」

「それはよかった。俺はそんなに潤ってないから」


 なら言わないでくださいよ、と苦笑しつつ言われる。とは言ったものの、財布には一応万単位の金を入れてきてはいる。映画と食事と往復の運賃くらいなら、楽に払えるように、だ。余裕が出来た分は何かのために取っておこう。

 歩き出して、噴水の横を通りながら。さてどの映画を見ようか、と俺は考えを巡らした。


 最初に入った店から葛葉は楽しそうで、案外こういう洋服も好きなのだろう、と俺は思った。三つ、四つと店を見て周り、いくつか試着もして俺が感嘆するような服装もあるにはあったのだが、値段を見てはそれを元の位置に戻したりしていた。


「これは、どうでしょう」


 そしてその次に試着したのは、店員に勧められたダークブルーの色合いのチュニックと同色だが少し鮮やかなロングスカート。その場でくるりとターンしてみたり、割合気に入った様子だったのだが、結局はやはり元の位置に戻す。店員はにこにこしているが、その奥で微妙に気配が変わったのが感じられる。


「似合ってたのに、なんでやめたんだ?」


 服を元の位置に戻した葛葉に問う。するとはにかんだような顔で、葛葉はさっきの服を見つめる。そして、すぐにこちらを向いた。


「いや、その……なんだか、恥ずかしいじゃないですか。仕事一辺倒なわたしが、洒落っ気を出すというのが」

「それがいいと思えるなら、少しくらい思い切ってみてもいいと思うけど。現に、こうして今も洋服を着てるわけなんだし。本当は、こういう洋服を着るの、好きなんだろ?」


 えと、その、としどろもどろしながら中空に視線を漂わせるが、結局肩をすくめて顔を赤くする。それから視線をさっきの服に戻し、なんだか色々と悩んでいる様子だった。そのままではどちらにも踏ん切りがつかなさそうだったので、俺は背中を押してその服の位置まで葛葉を移動させる。


「わ、あの」

「ほしいなら買えばいいだろう」

「でも、そのですね」


 さっきまでよりもさらに恥ずかしそうに、肩を縮める。どうしたのかな、と思ってひょいとのぞき込んでみると、値札を見ていた。

「別にちょっとくらい高いもの買ってもいいんじゃない?」

「わたしのお金ですしそれはそうなんですけど」

「いや、俺も出すって」

「それはイヤです」


 イヤって。拒絶することもないだろうに。なんだか寂しい。若干傷ついた表情を見せてしまうと、目ざとく察した葛葉が両手を振って否定の構えを見せた。


「ああ、いやその、イヤと言ってもそういうのではなくてですね、悪いじゃないですか、なんだか」

「冗談だよ。わかってるって」

「……意地悪ですね」


 腕組みしながら顔を赤くし、軽く頬を膨らます。あたふたしたり照れたり、表情の変化が大きい。それも、宿屋という枠を外れたからだろうか。だとしたら、今日こうして出てこれたのはよかった、と思う。


「ちょっと、休憩するか? 甘いものでも食べて」

「疲れましたか? すいません、ひととせさんは見てるばかりなのに」

「大丈夫、そういうのを含めてでも回るってことは、それだけ葛葉が楽しめてるってことだろうから」

「疲れたのは否定しないんですか?」

「足が棒だ。棒というか杖だけど」


 葛葉はくすりと笑って、服などが売られているこの二階部分の反対側に位置する、レストランや喫茶店のある場所を指差す。吹き抜けで一階部分が見えるため、橋のようにも感じられる渡り廊下を通ってそこへ向かう。上からはガラス張りの天井を通した陽光と、暖色系の照明が降り注いで気分が浮き立つ。

 レストラン街は時間帯としては昼を少々過ぎて昼食の時間帯ではないため、そこまで人は多くない。俺と葛葉はシックな雰囲気の店に入って四人がけのテーブルをとって、向かい合わせに座った。メニューを開くとケーキ類が圧倒的に多く、スイーツ系統が売れた流れに乗ってメニューを作ったことが窺える。

 俺は抹茶と小豆のケーキとコーヒーを頼み、葛葉はイチゴのミルフィーユと紅茶を頼んだ。松葉杖を傍らにある椅子に立てかけ、俺はお手拭で手を拭いながらようやく一息つく。


「お疲れ様でした。ありがとうございます」

「いやいや、そんなに大したことはしてないから」


 運ばれてくるまでの間、なんとなしに目が合う。葛葉の表情は柔らかで、見ていて気分が軽くなる。


「いや、よかった。楽しいと思ってもらえてるみたいで」

「はい――こういう、ことなんですね。休むっていうのは。体を休めることではなく、単純に、心を楽しませる」

「そうだな。別に無くても大丈夫なのかもしれないけど、あって悪いものじゃないだろう?」

「ええ、本当に」


 顔をほころばせる葛葉。注文された品はまだ来ないが、葛葉と笑いあっているのも良いものだ。


「あれ、おねえさん、どこかでお会いしませんでしたっけ?」


 と、そこでふと後ろから、葛葉に話しかける人影。

 どこにでも居そうで、むしろ目立たない。そんなガラの悪い連中が、いつの間にやら葛葉の後ろに立っていた。影が薄くて気づかなかった。


「注文の品、まだ来ないな」

「ですね」


 無視して話を続けようとするが、どうにもそういう連中の性分として、問題ごとを起こさないと気が済まないらしい。


「あれ? おーいおい、無視しないでくださいよ。ちょっと前お会いしませんでしたっけ?」

「どうでしょ、これからぼくたちとお茶でも」

「あれ? でもひょっとして先客いますぅ? 目立たないんで気づかなかったんスけど」


 俺も絡まれる経験がないわけではないので、もうどういう展開かは読めてしまうのだが――予想通り、葛葉の肩に手をかけようとする一団のうちの一人。予想通りなのだから、対処もする。肩に触れる前に、俺はその手をやんわりとどけた。


「っにすんだおい!」

「いや、なんとなく」

「なんとなく、じゃねぇんだよ! あ゛あ!?」

「なぁ、こいつは放っておいて、こっちの彼女についてきてもらおうぜ」


 ……なんでこうまでパターンが同じなのか。思考回路に同じ配線が仕掛けてあるとしか思えない。

 そう思ってちらりと顔を見てみたら、同じパターンであることに得心いった。こいつら、この前まったく同じやり方で俺と要にからんできた奴らだ。幸いなのか不幸なのか、向こうはまだ俺が誰だか気づいてないようだけど……あれ、もしかして俺って本当に影薄いの?


「それにしても、まだ注文の品が来ないな」

「そう、ですね」


 ちらりと自分の背後に居る不良連中の人数を確認しながら、葛葉は呟いた。相手は五人。こちらは手負いの吸血鬼と無手の剣士。でも俺はともかくとして葛葉がいれば百人力、撃退どころか逆カツアゲだってできるだろう。


「わたしをそんなにアテにしないでください」


 なんでバレた。というのはまあ冗談としてさておき。


「わかってるって。今の葛葉は無手だし」

「無手というのは悪条件にはなりません。ただ、その……」

「その?」


 ちょっとだけ恥ずかしそうに、膝の上に置いた手を動かす。


「今日は、スカートなので」


 あー。なるほど。暴れられない、と。


「おいコラ! シカトしてんじゃねぇよてめぇら」


 俺の肩に手を置き、連れ去ろうとしてくる。さすがにちょっと面倒なので、目線を合わせた二人に魔眼をかける。『水』を『塩酸』に認識を変えて――手が滑ったという風に机からコップを落とし、彼らのサンダルから爪先に塩酸が流れ込む。

 指先は神経が集中していて、特に爪と肉の間なんかは拷問にも使われるほど痛覚が鋭敏だ。ぎゃあと叫んでのた打ち回り、店内がざわめく。わけがわからないものの俺が悪いという結論に帰結したらしい残り三人は、穏便な連れ去りをあきらめたか、テレホンパンチを打ちこもうとしてきた。

 金属製の灰皿を投げつける。先頭の一人に命中、のけぞる頭、崩れる重心。すかさず松葉杖の先端で胸板に向けて突きを放ち、一人撃破。もう一人は松葉づえをつかんでこっちの攻撃を防ごうとしたが、その前に手放して机の上のコショウを投げつける。顔面に当たってひどくせき込み、無防備な頭部をさらしたところでもう一本の杖で殴る。


「て、テメエ……あ。おまえ、あのときの」

「あ、やっと思い出した?」


 最後の一人が忘却の彼方から俺のことを思い出してくれたところで、真後ろに向けて葛葉の裏拳が飛んだ。すとんと隙間を抜けるように鳩尾に拳頭が叩きこまれ、一瞬で男は崩れ落ちる。


「手を出させないでください」

「惜しい、もう少し葛葉が待ってくれれば全員俺が倒したんだけど」

「本当ですか?」


 疑われるとは哀しい限りだ。幻覚から覚めた最初の二人が起き上がったところで「三人、運んどいて」と俺はお願いしておき、彼らが去るのを見やると、ようやく落ち着いて溜め息をついた。

 俺と葛葉は注文の品が届くのを待つ。ほどなくして届いたケーキとコーヒーは、どちらもまずまずの出来だった。店内の注目を一挙に集めてしまったが、そこは気にしない。


「……映画みたいだな」

「こんな感じなんですか?」

「いや、映画はもっと派手だ」


 真剣に俺が呟くと、葛葉は微笑む。その笑顔は、確かにヒロインのそれだった。




 店を出るともう丁度いい時間だったので、俺たちは上の階にある映画館へ足を向ける。薄暗い映画館の玄関口は広く、天井近くの高い位置にあるスクリーンには映画の予告編が流されていた。

 見れば売られているポップコーンやジュース類に葛葉が目を向けていたが、別段食べたいわけでもないらしい。ただどうしてあれほど高いのだろう、と考えていたようで、しかしそこは雰囲気に料金を払っているのだと言うほかない。

 ひさびさに来た映画館だが、この静かな空間はどこでもそうだが、自分が体験するわけでもないのに「何か起こりそうな雰囲気」というのが満ちている、と思う。


「ジュースとポップコーン、小さいサイズで買おうか」

「やはり買うんですか」

「こういうのは雰囲気、ふんいき。お祭りで焼きそばが高くても、気にして買う人はいないだろ?」

「お祭りも行ったことないんです」

「……うん、いつかお祭りも行こう」


 十人くらいの列に並ぶ間に、映画の予告編を見てどれにしようか決める。某国から上陸、と宣伝されているホラー映画が映った時に葛葉がびくりと体を震わしたので、冗談で提案してみる。


「今の映画にしようか?」

「い、いやです。怖いのはあまり得意でないので」

「俺もあんまり好きじゃないな」

「なら、提案しないでくださいよぅ……」


 なんだかしおらしい。笑ってしまっては悪いので、俺は前を向いた。するとポップコーンを売ってるおばさんと目が合う。


「嬉しそうだね、君。頬が緩んでるよ」

「そうですかね」


 自覚しているのでぐにぐにと顔を引っ張り、しゃんとした顔に戻す。ところが、振り向いて葛葉にポップコーンを持ってもらうと(両手に松葉杖なので持てない)、なぜそんなだらしない顔なのですか、と言われた。どうやら、哀しいことに俺のこの顔はデフォルトでそういう顔らしい。

 そしてチケット売り場におもむき、結局中世ヨーロッパ風の戦記映画にした。いくつかあるシアターの横を通っていくと、それぞれの中から音が飛んでくる。あるところではクライマックスに入ってモンスター同士が激突している音、他のところでは狂った博士の絶叫。葛葉は恐る恐る、というか、ほぼ俺に追する形でぴったりと後ろにつく。


「な、なんだか怖いですね」

「……ホラー映画にしなくてよかったな」

「なんでですか?」


 振り返ると、少し心配そうに首をかしげている。


「端々の音声だけで怖がられてたらキリがない」

「怖いものは怖いんです」


 さいですか。なんだか不機嫌になった葛葉は先を歩いていく。五番シアター、と書いてある入り口に来て、俺たちは中に入る。静かな中にも、これから始まる何かに対して興奮している、客の声がわずか、場内で反響している。俺たちの席は一番後ろ、映写室の窓の直下だった。赤いふかふかした椅子に座り込み、寒そうなのでブランケットを準備する。


「この映画は、怖いシーンはないですよね」


 まだ心配しているのか、ぼそぼそと左隣に座る葛葉が問いかけてくる。


「大丈夫だろ。子供だっているじゃないか」

「ですよね」


 そしてブザーが鳴り、すう、っと照明が消える。同時に、場内も静まり返る。

 ところが、開始三分。結局葛葉は小さく悲鳴をあげて、俺の手をぎゅっと握ってきた。

 映画には怖いシーンは無さそうだった。しかし、映画が始まる前には予告編というものがある。それに出てきた、とある寒村で起こる集団殺戮のサスペンス映画の予告映像を見て、相当怖かったらしい。横を見ると、ぎゅっと眼をつぶって俺の左手に両手をかぶせている。


「あの、葛葉さん? そろそろ本編始まりますが?」


 問いかけると、薄目を開ける。




 始まりは、世界の果てだった。


 でもそれはボクにとっての終わりであり、他の人には日常だった。


 それなら、とボクは剣を取り、銃を構えた。


 生き抜く決意をするために。



 回顧録を思わせる、古めかしい映像に視えるよう作られたそれ。セピア色の背景の中、色を持つ主人公。やがてそれは周りにも広がる。

 横に居る葛葉を見ると、薄目だったとは思えないほど、真剣に映画に見入っていた。俺も内容を目で辿るうち、徐々にその世界観に引き込まれてゆく。主人公は英雄。でも居場所を追われ、途中で嫌われ者の勇者に会う。さらに進んで、没落した王に逢う。もっと進んで、狂ってない狂信者に遭う。その先では、最弱になった最強に遇う。無くした居場所を取り戻すために、奔走する五人。



 どうして苦しいのに殺すかって? 食えなくなったらもっと苦しいだろ。


 くにを助けるためにたみを見捨てる。それが出来なかったから、私は堕ち、王でなくなった。


 もう二度と立ち上がれない。そうか。なら、二度でなく一度だけやってみなさい。


 最強かこにはしがみつけない、だから最弱みらいを掴むのだ。



 やがて居場所は元居た場所でなくてもいい、と気づく五人。五人の間に出来る確かな居場所。たとえそこが荒野であれ、五人で居れば案外、悪くないものだ、と思うようになる。だが訪れる戦火。離れ、離れ、散り散りになる。それでも、最後まで五人は流されない。動くのは自分の意思でのみ、と心に決める。

 率直に、良い話だ、と思った。同時に、なんだかこの前の葛葉たちの一件を思い出す。


「居場所……か」


 横に目をやろうとすると、こてん、と肩に頭が乗る。すやすやと寝息を立て、葛葉は眠っていた。首筋が無防備で、吸血鬼の俺は理性を総動員して視界に映るものを脳でシャットアウトする。

 そこでふと、わずかに汗をかいていることに気づき、額に手を当てると、熱い。熱がぶり返したのか、それとも元々こんな具合だったのか。それはわからないが、とにかく調子が悪化し始めたのは確かだ。だから疲れを取るために、眠りに移行したのかもしれない。

 とは言え、俺は松葉杖で歩いているし葛葉を引っ張っていくことは出来ない。それに両側にもお客さんが詰まっているので、終わるまでは出られそうに無い。もう終盤に差し掛かったのであと三十分で映画は終わるが、それまではこのまま、なんともはや生殺し状態が続くというのか。


「勘弁してほしいな」


 乾いた笑いしか出てこない。主人公は、いつの間にやらヒロインに昇格した嫌われ者の勇者を救い出すため、国に決戦を挑んでいた。

 国どころか、俺が挑んだのはヒロインの師匠とヒロインを狙う一族の末裔。しかも結果は敗北。完全にこの映画の主人公には負けたな、と肩にかかる圧力の原因を見て、思う。穏やかな寝顔をさらしながら、葛葉はいまだに俺の左手を握ったまま。結局そのまま映画が終わるまで目覚めなかった。


        +


「結局、最後に主人公はどうしたのですか?」

「さあてね。それは見た人のみが知る」


 ヒロインがさらわれるところまでは見ていたという葛葉が、ショッピングモールの出口を目指す最中に問いかけてきた。俺は適当な返事を返し、そのまま四本足でフローリングの上を歩く。横を歩く葛葉は、口をとがらせる。


「ずるいです」

「そう思うなら見てればよかったのに」

「眠たくなってしまいました」


 葛葉が再び熱を出しているらしいことは、本人には伝えていない。気づいてはいるだろうが、『俺が気づいていない』と思わせるのが大事だ。でないと、せっかく出かけているのに、と無理をされかねない。さりげなく、映画が終わって区切りがいいから、と帰路につくことに誘った。


「ちょっと、疲れてるみたいです」

「そうか。大丈夫か?」


 平気です、と返してくると、そう思って身構えたが。


「……熱が少々。無理しないように、って帰ることにしてくれたんですよね」

「バレてたのか」


 気遣いがバレることほど恥ずかしいものはない。俺は頭を掻いて、溜め息をつく。そんな俺を見て、くすりと笑い声を漏らす葛葉。


「――頼っても、よいのでしょう?」


 風が吹いて落ち葉が舞い。その中に、葛葉が立ち尽くしていた。髪をかき上げ、こちらに向かって微笑みかける。


「そうだな。頼ってくれ、って言ったのは俺の方だった」


 なんてことだ。気遣われてたのは、俺の方か。病人に気遣われるとは。葛葉は満面の笑みを浮かべた顔でこちらに近づくと、うやうやしく一礼、そして礼をした時の態度とは一転、軽やかな足取りですたすたと前に進んで行き、腰のあたりで両手をつないだまま、こちらを振り向いて屈みこむ。普段は少し高い位置にある目線が、下から俺を覗き込む形になる。


「今日は楽しかったです」

「それはよかった」


 それから少しだけ顔が赤い。やはり、熱がまた出始めているのだろう。


「でも、それはひととせさんと一緒だったからですよ」


 最上級の笑顔と共にそんなことを言われると、こちらとしてもなんだかどぎまぎする。やはりここでもそっか、と言うくらいで気の利いたことは何一つ言えず、そんな俺の横に体温ぬくもりを感じられるくらい近づいて、二人てくてくと歩き始める。




 駅に着き、切符を買って。短い息抜きの時間が終わりへと近づく。

 まだ青空が拝める時間帯だからか、プラットホームには人が少ない。そんな中、さらに人のいない隅に俺たちは立って、電車が来るのを待つ。上機嫌な葛葉が横に居るのを見ると、なんだか照れくさくなって、俺はまた頭を掻く。

 と、松葉杖から離れていた手が、戻ろうとした瞬間。葛葉が待ち構えていたかのように俺の左手を掴む。掴む、というのは正しくないか、抱きつく、という方が正しい。


「え?」

「電車が来るまで、こうして居てもいいですか」


 腕を組むという状況のさらに一段上の状態、葛葉の両手が左腕を抱きしめる。なんでこんなことを、と言おうとしたが、息遣いが少し荒くなっていることに気づいて、やめる。顔は真っ赤で、どうやら相当きつそうだ。両手の松葉杖を離すのはちょっと難しかったが、右手で額に触れると、熱かった。


「冷たくて、心地よいです」

「それはいいけど……大丈夫か?」

「大丈夫です。ひととせさんを、頼れますから」


 有無を言わさぬ語調。俺はどうにも出来ない自分を歯がゆく思いながら、そのままで居る。


「さっきの映画の終わり、な」

「はい?」

「最後は、主人公がヒロインの処刑場に飛び込んでくるんだ。それでギロチンの台を壊して、その場に居た王国兵を片っ端からなぎ倒す。で、ヒロインと一緒に入り口を突破するのに協力してくれた三人の仲間と、またどこかへ行こう、って終わり方」


 赤い顔でこちらを見上げながら、葛葉はふっと笑った。


「映画も現実も大差はないですね」

「そうか? フィクションの映画とリアルじゃあ、相当変わると思うが」

「同じですよ。だって、ヒロインが窮地きゅうちに陥れば、主人公ヒーローはいつだって現れてくれるんですから。……自分がヒロインだなんてうぬぼれるつもりじゃありませんが、あの時、確かに。わたしには、あなたが主人公に視えました」


 目の前に居る俺はそんな大層な奴ではないのに、葛葉は今言った言葉を信じて疑わない目をしている。それがいいことか悪いことかは別として、今は、素直にその言葉を受け取っておくべきかな、と俺は思った。熱に浮かされて口にしているのではない、と思える目だから。


「ありがとうございました。わたしは、あなたに会えて良かったです。ここに居られる、落ち着ける。そんな場所をもう一度、わたしに与えてくれた。わたしにとって、あなたは特別で、大切な人になりました」

「こちらこそ。俺は今まで世界の在り様に絶望して生きてきたけど、ようやく、ここに来てやれることがあると気づけたんだ。過去は無理でも、未来を良くしようと動くことは出来るんだ、って。それに気づかせてくれたんだ」


 やがて列車が来る。俺は左腕を葛葉に抱かれたままなので、右手で松葉杖を両方構える。左足にケガを負っているのでそちらには重心をかけられず、仕方なく俺はひょこひょこと片足で進む。


「――すいません、ひととせさん。もうしばらく、このままで居させてくださいませんか」


 座席に座り込むと、横で葛葉がそう呟く。俺としてはさっきよりもひどい生殺しに耐えるのがちょっとな、と思ったが。


「……いいよ」


 葛葉の横顔を見たら何も言えなくなる。穏やかで、それでいて感情が溢れそうな満面の笑みで。きゅっと、柔らかく抱きしめられた左腕。平熱より少しだけ高い体温が、腕を伝って俺の頭を少しばかり熱くする。ふと、映画で見た一節が頭をぎった。


『誰かに必要とされた時、そいつは必要としてくれた人にとっての英雄になるんだ』


 横の葛葉を見やる。うなじが視界に入ったが、無視するよう努める。柔らかく包み込まれた左腕は、ひょっとしたら英雄の証なのかもしれない、と思った。



ではまた次回

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