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十五頁目 血以外だって呑むけどさ。(皆様飲酒)

 唐突だが俺の魔眼は吸血鬼の能力である。そして、どんな能力でも代価は必要だ。魔術師は魔力を糧に、その力を行使するように。だから俺も、代価を支払わないと魔眼は発動出来ない。当然と言えば当然だが、その代価となるのは血だ。

 正確には血中に含まれている魔力だそうで、まあともかく胡散臭うさんくさい何かを代価に能力を行使しているということさえ分かればそれでいい。ところがその魔力とは体全体に回っている力らしく、無くなると酸素欠乏と同じくらいヤバい状態となる。とくると、消費した分は補充しなくてはならない。


 つい先日あった葵さんと妖狐とやらの襲撃の際、魔眼を四回使いきってしまったのが補充を要する一番の原因だ。

 おまけにそのうち三回は『人狼ワーウルフ』の体を幻視し暗示するというものだったため、体は自己暗示により可能となった人間の限界を超えた運動によりガタガタ。結局翌日も全身筋肉痛及び骨のヒビ割れ刺し傷様々なダメージで休むことになった。だからこそ、魔力を取り入れて眼の方にエネルギーを回したいというか。


「でもなあ。やっぱり輸血パックだのなんだので摂取出来る魔力には限りがあるというか」


 血にこもった魔力なんていうのは、野菜が出荷されてから萎れてゆくように、どんどん少なくなっていく。正直、こうして飲んでいてもある程度渇きが癒せるだけ、根本的な体力回復には繋がらない。

 それでも量を飲めば完全回復も望めないではないし、体内でも多少は精製されるため時間経過で貯蓄を増やすことも出来る。だが。だがしかし。そんなのは大してうまくもない食事で腹を満たすことや、傷が治るのを寝て待つのと同じだ。

 同じ食事ならガツンとステーキとか食べたい。傷を治すならタンパク質だって入用いりようだろう。

 まあともかくなんだ、だれかの首筋から直飲みしたいとか思う。


「ぼんやり校庭眺めて何をやってるんだかね、おまえさんは」


 窓のへりに腰掛けて輸血パックをすすり、外で体育の準備をしてる健康的で血のおいしそうな方々を眺めてるだけだが何か? とは言えない。さすがに色々と非常識度が高そうなこの男相手でも、言えないことは幾つかあるってもんである。辻堂は俺の前の席に座りこみながら、あごに手を当ててははんと笑う。


「……ははぁ。さてはアレだな、女子の体操服姿が眩しいと見える。うむむ、私は体操服姿はあまり萌えないんだが、有和良的にはジャストミートということか……いや、白い半袖シャツにスパッツとかなら私も好きだがね?」

「誰もそんなこと考えてないし訊いてない、ついでに言うならば今すぐにでもこの世の女子全員におまえの歪んだ性癖を暴露、そして訪れる自業自得(天誅)の結末を傍観していたい気分になったよ」


 女子にやられるなら本望だ、と彼女居ない歴史構成を十五年続けている男はぼやく。早生まれのクセに俺より十五センチも身長が高いのが腹立つ。せめて百七十を越えてくれ、俺の身長。止まるな、頑張れ。


「あーくそ、やっぱりこれじゃ足らないな」


 鞄の中に銀色の輸血パックを放りこむ。とは言ったものの、血を誰かから吸うという選択肢は考えられない。考えてはならない。外国を渡り歩いてた頃には何度か吸血行動もやったが、アレはいけない。人によっては酸っぱかったり苦かったり脂ぎってたりとハズレも多いのだが、たまーにとんでもなく美味な血に出会うことがある。そしてそうした血に出会うと、哀しくも自分の中で吸血鬼が騒ぐのを感じてしまうのだ。

 自制心で十分抑えは効くし、一年を通しても二、三回しか来ない〝永夜〟でもない限りは自分から襲うようなマネはしなくて済む。だとしても、血を美味と感じてしまう時点で、やはり人外に位置している自身を思って哀しくなるのだ。外面そとづらだけでも人間で居たい。絶対になることは出来ないけれど、目指し続けることはやめたくない、と切に思う。


「購買にでも何か飲み物買いに行くかね?」

「そうだな。別にそう余裕ないというわけでもないし。購買、あと二十分は空いてるな」


 デカい眼鏡のブリッジを押し上げ、俺の横についてくる辻堂。長身のこいつが横に居るだけで俺の身長は余計に低く見られる。うざい。


「要、要はいないか」


 だから、俺よりもさらに小さい要を近くに配備。どうだ、プラスマイナスゼロ。だろう。

 ところが小柄な銀髪はクラス内に影も形も見当たらない。


「時計はいないかね? 早く行こう、パンが売り切れてしまう」

「ん、ああ」




 授業終了直後は人の渦で大パニックになっている購買だが、昼休みが二十分も過ぎれば人影はチラホラ居る程度。二階の窓際に陣取った白いカウンターの向こうでは、一仕事終えた戦士の顔をしているおばさんたち。

 一度ここに綺麗なおねーさんが仕事をしに来たこともあったが、二日目で仕事中に泣き出した。今でも、鬼気迫る表情で購買戦争を日々行うおばさん方と生徒達、その狭間にポッと出の一般人は通用しないということの証明になっている。

 はずなのだが。


「い、いらっしゃいませ」

「何やってんだおまえ」

「はうっ? な、なななんでわかった、の?」

「帽子かぶって髪を隠しただけで変装気分とはやすいもんだな。何年の付き合いだと思ってるんだ」

「つ、つきあ…………あう」


 余程見つかったのが恥ずかしかったと見え、湯気を出しそうなほど頬を赤くする。――悪気が無いのは分かってるが。今の俺の前で首筋を赤くされるのはすこぶる精神的によろしくない。


「アセロラジュース一つ、普通のカツサンド一つ。で、お嬢さん。なんでこんなところで働いてるんだ」

「アボガドとキュウリの野菜ジュース、チキングサンド、練り梅おむすび、粗塩やきそば、ハムカツクサンド、梅練りおむすび、しょうゆプリン。最初のと二つ目は一つ、三つ目は二つ、四番目は一つで五番目はまた二つ、残りは一つずつ」


 俺の問いに答える暇もなく、忙しそうにメモを取る要。他のおばさんは手伝おうともしていない。大丈夫だろうか。辻堂の腹も大丈夫なのか? どう考えてもゲテモノが含まれていたが。

 しかし俺の心配などどこ吹く風、鮮やかな手並みで聞き取った品を、十三秒という超高速で揃えた。


「ぬう、完璧だ。というか私自身頼んだかどうかよくわからんが」

「おまえはバカなんだから試すような真似するなよ」

「全部で、お会計、二千百円に、なります」

「むうぬぬ。これで、足りるかね」


 小銭ばかりで払う辻堂、しかし何度も要にせっつかれる。昔から相当な記憶力と暗算能力を持っていたが、今ではここまで出来るようになっていたらしい。誤魔化そうとしてもすぐにバレ、何度も困り顔で辻堂に催促している。


「俺のアセロラジュースとカツサンドは三百十円だな。ここに置いとくよ」

「あ、ありがとうございました」


 まだ辻堂と格闘している要を横目で見つつ、購買横の小さなテラスに入る。おばさん方が吸っていたのか、タバコの吸殻も見受けられるが風通しも見晴らしも良い場所だ。白いベンチに腰かけ、カツサンドとジュースを両手に持つ。さあ食べよう。


「おまたせ、今、終わったよ」


 ようやく辻堂から全額せしめたらしく、購買部関係者のトレードマークである白エプロンを脱いで制服に戻り、駆け寄ってくる。結構似合っていたのに、脱いでしまって少々残念だ。


「おお。あいつはどうした?」

「あはは。おばさんたちに囲まれて、感想、訊かれてる」


 なるほど、後ろを見るとゲテモノに囲まれた辻堂が、ゲテモノ顔のおばさん方に囲まれて平然と買ったものを食している。うあ、アボガドとキュウリのジュースを飲んだ。なんであんな普通の表情で居られるんだ。


「でも、有和良君も、変わってる、よ。アセロラジュース、そんなに、飲まれてない」

「好物にちょっと似てるからな、代替物ってわけだ。でも、おまえも変わってる。なんで接客の仕事なんて?」

「えっと、来月までに、ちょっとお金、貯めたくて」


 うちの高校は公立だが、珍しいことにバイトを許可している。社会貢献によって仕事というものに触れることが出来るだのなんだのと教師陣はご高説をのたまうわけだが、こちらとしてはバイトが出来れば何でもいい、というのが学生の主張。

 そして、購買部などの手伝いという形で、校内でもバイトが出来るようになっている。不思議な学校だ、とは他の高校に行った中学時代の友人の言葉である。


「あんまり無理しすぎるなよ。ここの仕事はキツいから」

「大丈夫、大丈夫。もう十二月まで、一週間しか、ないから。三週間だけ、お仕事させてもらったの」


 十二月まで、一週間。その言葉が、ふと俺に重要な事実を思い出させる。……期末テストの存在である。中間は宿屋の関係でごたごたしていたためにわりと成績が悪く、父さんに俺のことを任された姫たちに微妙な顔をされてしまったのだ。

 俺は一応諸外国を旅しつつ生活していた経歴もあるので、これでも語学系統はわりと成績がいい。日常会話なら五ヶ国語いけるし、国語もまあまあいける。だが問題は、数学。数字を扱うのがとんでもなく苦手だ。

 とはいえ、今回のテストでも赤点を取ると、担任に呼び出しを喰らう。うちは両親不在親族不知近所付合悪しと保護者がいないため、その場合は一対一で教師と戦わなねばならない。冗談でも考えたくない状態だ。

 その点、要は暗算だけでなくコンスタントにどの科目も成績がいい。料理すると爆発とか掃除でテロ活動とか歌声が超破壊音波とかのオチも存在しない。運動さえ、貧血持ちということを除けば好成績を残せている。……よく考えると無敵超人。


「十二月、期末テスト。正直俺は自信がないんだ」

「え?」


 こちらを向いて、怪訝な顔をされる。


「頼む、勉強教えてくれ」


 軽く頼んだのだが、要は結構真剣に考え込んだ。ここで見放されたら、俺に明日は無いような気もする。

 だが悩んだ割には表情あっさり、要はオーケーを出してくれた。助かる。そして、善は急げ。今日からお願いしよう。


「場所はどうする?」

「図書館は、今日は空いて、ないから。…………わたしの家で、いいかな?」

「構わないけど」


 答えてやると、なんだか嬉しそうにはにかんだ顔を見せる。

 そこで予鈴が鳴ったので、俺は帰ってから四時過ぎに要の家を訪ねることを告げ、教室まで戻った。

 俺たちの横をおばさん方に抱えられた辻堂が青ざめた顔で泡を吹きつつ運ばれた行ったが、それは無視した。


          +


 さて授業も終わり、俺は家すなわち宿に帰る。だが裏口から入って自室に戻るまでに、ふと思う。

 ここ二ヶ月ほどの間、ごく普通に(成り行き上)女の子と一つ屋根の下で暮らしたりしていたわけで、ひょっとすると俺は常識というものが欠けてきているのかもしれない。昔馴染みとはいえ、女の子の家に招待されるというのは……なんだか、深い意味があることのような気もしないでもない。

 いや、考えすぎだな。


「主、邪魔なのです。どいて下さらなければ踏み越えるのですが、いかがしますか」

「これは悪かった、っていくらなんでも踏み越えるとか言うな」


 そう言えば女の子と暮らしてるとは言っても、ここには柊も居れば川澄さんも居る。家族のような形態で暮らしているんだから、何もやましいことはない。ということは、感覚が狂ったわけでもない、のか?


「何か考え事をしているようなのですな」


 視界の下方にある白い三角巾のさらに下から声。こちらを見上げる柊は、片手に持ったそろばんをジャラジャラ鳴らしながら俺に言った。


「バカの考え休むに似たり、という言葉があるのをご存知なのですかな」

「ケンカ売ってるみたいだなガキ」


 とっ捕まえてふんじばってやろうと掴みかかったが、するりと抜けられて階下へ逃げていく。


「いくら考えても結局は無駄なのです。ならば、考えず行動してはいかがですか」


 そんな捨て台詞を残し、執事服の姿は消えていた。あのヤロウ、と俺が歯軋りすると、横のふすまがさっと開く。


「落ち着いて本も読めやしない。なに子供と言い合いしてんの」


 珍しく眼鏡をかけた姫が、本を片手に大あくびをした。その体格で子供という言葉を使うのはどうかと思う。


「んだよ。どうせあたしは見た目が子供だよ。分かってんだから目でものを言うな」


 むっとした顔でこちらを見上げる。ケンカ上等な目つきはさすがに怖い。


「ごめん」


 素直に謝ると、姫は溜め息をついた。部屋の中をのぞくと、以前入った時よりも相当冊数が増えている。渡した給与の大半をつぎ込んでいるんじゃないだろうか。本の虫というかなんというか、一度崩れたら収拾がつかないんじゃないかというくらいにうず高く本が積まれている。


「どーかしたのか? ま、何にしても静かに、な。本を静かに読めないのが、あたしは一番辛いんだぞ」

「その点は大丈夫だ。今から友達の家で勉強してくるから」

「友達? あの眼鏡でノッポの?」

「いや、要。時計要だよ」


 要の名前が出た途端、姫はへえ、と呟きを漏らす。と、そこに葛葉が歩いてきた。学校でも誰かが口ずさんでいた流行歌、題名はなんだっただろうか。ともかく、それを口ずさんでいた。こちらに気づくと慌てて歌うのを止め、イタズラを見つけられた子供のような顔で軽く頭を下げる。


「お帰りなさい、ダンナ様」

「ん。でも、今から出かけてくるから」

「どちらへお出かけですか?」

「ちょっと友達の家に勉強しに、ね」



 すると訝しげな顔をする葛葉。……俺、なんかやったかな。

「外泊ですか」

「まさか」

「だよな」


 力強く発言を肯定する姫。そう気にすることではないのだろうが、勝ち誇ったように嬉しそうな顔でそう言われてしまうとすごく辛い。暗に、モテないよな、と言われてしまったような気分になる。

「夕飯は多分いらないと思う。でも、遅くても八時には帰るから」

 なんとなく居たたまれない気分になったので、話題を切り上げてその場を去る。後ろから突き刺さり続ける視線が、痛かった。


        +


 なんとなく居たたまれない気分のまま、出て行った有和良を見送って。

 言い様のない奇妙な気分に悩み、そのまま宿の中へと戻ろうとする二人。能天気に日曜朝に放映中のアニメ主題歌を歌っているぱとりしあの横も、そんな鬱々としたオーラを漂わせて過ぎ去る。先代の主人であるいつきは、基本的に仕事人間であり、同時に息子を大事にしていた。よって、やることが終わったら速攻で家に帰る男だった。つまり、自分達より上の立場に居る人間が夜誰かに会いに行っている、などという状況には立ち会ったことがないわけで。

 男女関係とかそういうものについての知識もとぼしく、またその少ない知識も白藤などによってある程度歪んだ情報を与えられ、見方を固定してしまっていた二人は、なんだか知り合いが浮気でもしに行ったのを見たかのような気分になっていたのだった。


「……葛葉。あたしちょっと買い物に行ってくるな」


 縁側をうろうろしていた姫は、なぜか葛葉から視線を外しながらそう呟いた。そのまま裏口へと歩き去ろうとする姫の黒いマフラーを、後ろから葛葉がぎゅっと掴む。


「うぐぅっ。あにすんだ!」

「様子見なら二人で行ってもなんら差しさわりはないでしょう」


 遠まわしに『様子見』を口にした姫とは違い、葛葉は直接口に出してそう言った。あん、と姫がすごむ。


「差し障りは十二分だろ。尾行なんて人数が多いのは目立つだけだぞ」

「なら姫が残ってください」

「やだ。なんか気になんだよ。このままじゃ落ち着かないって」

「あとから何があったか教えますから」

「教えるも何も、葛葉は気配消すのも下手だし見つかり易いだろ。見つかったらそれでおしまいだ。その点、あたしの方が見つかりにくいぞ」

「小さいですからね」


 盛大に言葉選びをしくじる葛葉。涙目で犬歯をむき出しにする姫を見て、慌て逃げ惑う。

 だがもう少しで着物の裾に手がかかる、というところで、裏口の呼び鈴が鳴っていることに気づく。


「すいませんがね。有和良春夏秋冬はいますかー。辻堂と申す者ですがー」




 眼鏡をかけたひょろ長い体型の男、辻堂は、玄関の向こうに赤いポニーテールが見えたので内心喜んだ。低身長で童顔で年下の女の子が好き、という困った性癖の持ち主だったからである。ちなみにこのシュミはある程度周りにも露見しており、それでも交友関係を保っている有和良や時計は度量の広い人間だ、とクラス内でも噂されている。


「あー、あんたこの前ボウリングの時に会ったな」

「辻堂という名です。そちらは姫さんでしたっけか」


 にこやかに接する辻堂。しかし先ほどのことで気が立っている姫は、身長のことを笑われているように感じてしまいどうにも表情が硬い。特に、辻堂のように背丈の高い相手となると。


「なんかダンナに用事か?」

「うむ。あいつがさっき時計の家に行くとか言っていたのですがね、時計からさっきメールがあって、今日は予定が入ったと」


 明るい橙色の携帯電話を取り出し、辻堂が送られてきたメールの内容を見せる。姫は額に手をやって、もう出かけてしまった旨を伝えた。辻堂はしかしさほど驚いた様子でもなく、こうしたことは実はよくあることなのだと説明した。


「貧血気味だとかなんとかで、あいつはよく体調を崩すんですな」

「……なんとなく儚げな印象はあるけどよ。そんなに体、弱いのか?」

「ああ、あの銀髪かな? 儚げな印象というのは」


 辻堂は少しだけ目を細め、濁った瞳の奥に何か遠い過去を映す。その所作で少しばかり立ち入ったことを訊いたことに気づき、姫は慌てて弁解する。


「別にアレは関係ないし、あったからといってそう気にするほどヤワな奴でもないんだがね。あまり気にしなくて構わんと思うよ」

「そ、そうか? ならいーんだけど……」

「いずれにせよ有和良も家を訪ねてすぐ、時計がいないのに気づくだろう。そうしたら戻るだろうから、遅くはならない。心配はいるまい、ってね」


 笑って、学生カバンを持ち直す。日も暮れかけ、だいぶ肌寒くなってきた。それに気づいた辻堂は、水色のブレザーの襟を正して帰る支度をする。


「冷え込んできたし、マフラーをしているとはいえ女の子を屋外にずっと出しておくわけにもいかない。そろそろお暇させてもらうかな」

「悪いね、お客人に茶すら出してなかった」

「なら、また近いうちにお邪魔するかね」


 にやっと笑って、辻堂は付け足す。割と本気で言っていることに、姫は気づいていない。

 辻堂が通りの向こうに消えてから、ふうと息を一つ吐き。その白い息が冷たい風にまぎれて消えてゆく間に、歩き始めることを選択した。特にどこか行きたい場所があるわけでもなかったが、なんとなく。足の向いた方向へ。

 そんなことをしていて、ふと自分の今の行動を、どこかで以前も経験したような気がした。それがいつだったのか、記憶をさかのぼる。そうしてみると、案外最近のことだった。つい二ヶ月と少し前、有和良が主人になる前のこと。前主人だった斎が突然旅に出ていなくなった時も、姫は同じようにフラフラと散歩などしようと思ったのだった。――その時は、表玄関から出てどことも知れぬ山間部を散歩(登山)したのだが。


「なんであんなことしてたのか、あたしは」


 てくてく歩く。影が長く伸び、西に大きく日が傾いたことを感じる。吹いてくる風の間を縫うように射す西日は、緋色の着物と赤い髪をさらに真っ赤なものに見せる。宿屋は高台にあるので、振り返ると眼下には小さな町並みが広がり、否応なしに姫は寂しい気分を味わった。

 ふとした瞬間に見れば綺麗な景色でもあるのだろうが、夕日は時として人に寂しさを与える。ぼうっと立っていたら、すれ違った人にぶつかってしまい、小さく謝る羽目になった。男の落とした人形を拾い上げて渡すと、また姫はぼんやりと夕日を見やる。


「早くダンナ、帰ってこねーかな……」


        +


 家を訪ねると要はいなかった。たまにあることだ、体調を崩して病院にでも行っているのだろう。そう思うと、ふとアルビノのように白い、要の髪が思い出される。しかしあれはアルビノではなく、現に瞳は黒い。色素が欠乏しているなら、瞳は赤く染まる。

 ――あの時のように身を切る、寒い風が吹いたからか、一瞬昔のことを考えた。


「これじゃいけないな。さっさと帰ろう」


 独りごちて、踵を返す。要の家から俺の家までは寄り道をしなければ五、六分で着く。急いで帰れば、体が冷える前に門をくぐることも出来るだろう。けれど、それをするつもりはない。でなければ、わざわざ『寄り道をしなければ』などとは考えない。

 ゲン担ぎというわけではないが、こうして血が飲みたいなどと考えるときには、いつも俺はやることがある。

 進路を変更、商店街へ。帰るのは七時を過ぎるかもしれないが、まあいいだろう。夕方遅く、人気も少なくなった商店街。まあ普段からそう客が多くないけど、同じ経営者となってしまったいま、口にすれば言葉はブーメランになる。

 シャッターが閉まり始め、多くの店がピークを過ぎた頃。寂れた商店街についた俺は、果物屋を探した。




 探していたものを紙袋に入れてもらい、我ながら運がいいと思う。なかなか、果物屋でも置いていないだろう品だ。さて帰ってきたことだしのんびりとこれを食べよう、などと思いつつ角を曲がると、小さな影にぶつかる。一瞬よろけたものの、軽い体を押し返すようにその場で踏ん張り、荷物も落とさないようにバランスを取る。胸の辺りに見えた赤い髪は、この近辺でなくてはそう見かけない。


「何やってるんだ、姫」


 追突者は何か含みのある表情でこちらを見つめる。膝を手で押さえて同じ目線になると、膨れっ面が目に入る。


「何やってるんだ、じゃねーよ。どこ行ってたのさ」

「出る前に言っただろ? 時計の家だよ。で、いなかったからちょっと寄り道をね」

「真っ直ぐ帰って来いよな」

「まあまあ、一応土産を買ってたんだから」


 袋から取り出す、赤い果実。珍しいからか、しばらく考え込んでから答えを呟く姫。


石榴ざくろ?」

「そ。ギリシャ神話ではこれを食べたせいで一年の一定期間を冥界で過ごさなくちゃならなくなったとかいう奴も居たけど、そんな話よりはこっちの方が聞き覚えあるんじゃないか? ……人肉の味がするとか」


 鬼子母神の元である可梨帝母だったかは人の子をさらって食べる悪鬼だったが、神様に自分の子をさらわれて嘆き悲しみ、それからは人肉代わりに石榴を食べるようになったとか。日本ではこちらの方が有名な話かもしれない。あの見かけといい、色合いといい、たしかに人肉を連想させないわけでもない。


「ちょっと今血が不足してて、それをまぎらわすために石榴でも食べようかなと。みんなの分も買ってきたから、一つどうだ?」


 紙袋からもう一つ取り出して、俺よりも一回り小さな手に渡す。しばらく姫はそれを眺めていたが、じきに笑い始めた。


「どうした?」

「土産、ね。なんでも、ないぞ。……ダンナ、ダンナは、いなくなったりしないよな」


 真剣な瞳。俺は思わずたじろいだが、質問自体は簡単に答えられるものだったので、すぐに返す。


「永久に、とは言わないけど、これから数年はその予定はない」

「そっか」


 ふっと息一つ吐き出し、タタッと駆け出していく姫。その歩幅にあわせて俺も走り、最後には宿に着くまでの競走になった。




 夕食を食べてから風呂に入り、縁側を歩いていると白藤が晩酌をしていた。傍らにはぶっ倒れた柊と、まだまだ元気そうなぱとりしあ。濃厚な酒の臭いは離れた位置に居る俺にも香ってくるキツイものだ。

 あ、やっぱり。あの薄い山吹色の酒は、沖縄の泡盛、古酒クースーだ。数十年もののアルコール度数がかなり高い奴。前に父さんに飲まされて今の柊と似た状態になったのを良く覚えている。


「ダンナさんも飲もうよー」


 朱色に染まった頬、少し呂律ろれつが回っていない様子。近寄るだけで鼻を刺す臭い。ああ、飲んでる。これは酒がぱとりしあを飲んでる。酒は飲んでも飲まれるな、が持論の父さんが見れば「日本の酒飲みも地に落ちた」とか言いそうだな。どう見てもぱとりしあは日本人じゃないが。


「少しだけな」


 そう言って座り込んでしまう俺も俺だが。横に居る白藤はほとんど酒を飲んでいることを感じさせない、いつも通りの平然とした顔だ。モノクルの奥にある黒い、澄んだ瞳は庭の鯉を眺め、くるぶしまである長い黒髪を片手でもてあそんでいる。


「柊君も寝ちゃったし、白藤ちゃんと二人だけだとつまんないの」

「つまらん呑み相手で悪かったのう」

「川澄さんはいないのか?」


 お猪口に一杯だけ注いでもらい、それを飲み下しながら尋ねる。……うん、芳醇な香りというかなんというか、すっきりと呑み易くそれでいてくどさがない深い味わいが舌に広がりそれよりも早くアルコールが体に回る感じだ。もうやめとこう。


これの注文にでも出かけたんじゃないかの。あやつも下戸というわけでなし、わりと飲むほうじゃからな。客に出すぶんの買い付けついでに自分らの分も買ってくるはず」


 そんなことを言いながら徳利とっくりを傾ける。ぱとりしあは寝ている……急性アルコール中毒で気絶、の間違いじゃないと思いたい……柊の顔をいじくって遊んでいるが、片手で時折酒をあおることは忘れない。


「お酒はいくらあっても足りないもんねー。ふぁー、酔っ払ったの」


 大きく伸びをして、床に倒れ込む金髪緑眼の少女。寝巻きらしい薄桃色のネグリジェがふわっと広がり、装飾もへったくれもない白藤の白い着物を挑発しているように見える。よく見てみれば、白藤も肌はほんのりと赤く、わずかでも酔っていることは明白だ。

 ――うなじとか、少し開いた胸元とか。考えないように、見ないようにはしているのだが、血色の良さそうな肌を見ていると唇の下で牙がうずく。これは、長居をすると精神的に苦痛を味わいそうだ。


「ほれ、もう一杯もう一杯」


 そんなことを思って腰を上げようとした途端、徳利から溢れた酒が俺のお猪口を満たし、少しこぼれて作務衣を濡らす。勘弁してくれ。


「待った待った。俺は酔いそうだからこれ以上は要らないよ」

「従業員と酒を酌み交わすのも主人としての勤め、じゃないかのう?」


 からみ酒。元からそんな気質がないとも言えないけど。細い瞳から視線が絞られ、俺に「座れ」とうながす。やめてくれ、明日二日酔いで休むのは御免だ。誰か助けてくれ。


「たまには酒に付き合ってくれてもいいじゃろ。そうじゃ、代わりと言っちゃなんだが、朝まで付き合うぞよ。無論、とこまで、の」


 やめてくれこの痴女、憑喪神つくもがみ


「ダンナさーん。まだ帰っちゃやだよ」


 絡みつく指先、背後からの抱きつき。弾力のありそうな肌に包まれた腕が、俺を捕らえて放さない。背中の感触なり酒の臭いなり感じる血流の脈動なりが、俺を誘って逃がさない。これは拷問だ。対吸血鬼用の自制心破壊行動だ。誰か。たーすけーてくーれー。


「なにやってんさあんたらは……」


 救世主登場。湯上りなのかホコホコした感じの姫。タオルで頭を拭きながら、紺色の甚平を着て現れる。

 でもなぜだろう、その背には湯気とは違った何かが見える。そう、気迫が。


「呑んだくれてちょっとばかし上機嫌なのは分かんだけどな? ちょっと、いきすぎだとあたしは思うぞ……?」


 宿屋の風紀を乱したのがお気に召さない様子。

 ああ、辛い。


「そんなこと言わないで、姫ちゃんもー。ほらほら」


 だがそんな空気を解さない人間が約一名。湯上り姿の姫に何か感じるものでもあったのか、時折見せる狩猟者の目つきで襲い掛かる。片手には白藤から奪った徳利。中身を、無理やりに姫に飲ませようとする。


「なっ! バカ、やめろぱとりしあ、あたしは酒はそんなに強くないって知ってんだろ! や、やめろぉ……泣くぞ!」

「いーからいーから、みんな一緒に気持ちよくなれるよー」


 意図してか知らずしてか、微妙に危ない言葉を口にする。そんなぱとりしあに押さえ込まれ、口に液体Xを入れられる姫。嗚呼、どうにかしたいのはやまやまなんだが白藤が「心配するな、あいつは弱くはない。空気読め」という目線を叩きつけてくるため無理だ。すまない。御免。合掌。


「ふむぐっ! むー、ん、っぐ」


 いきなり飲んでむせたからか宣言通りの状態になったからかは定かじゃないが、姫は涙目だった。そんな様子を見るとさらに罪悪感がこみ上げてきたりするわけだが、周囲の酒乱二人は既に道徳観が欠如してしまっているらしい。わー、一気飲みだー、などと呑気に騒いでいる。……あんなアルコール度数高いのを一気に飲ませたら、笑い事じゃ済まない事態も考えうるのだが。救急車沙汰になったらどうする。

 助け(られ)なかった俺が言えたギリでもないか。


「うぐ。ぐす」

「お、おい。姫、大丈夫か?」


 その涙は泣き上戸というオチじゃないだろうな。


「ぐす。うぅ」


 ばたん。倒れた。

 倒れたよオイ。


「大丈夫かこれ、急性アル中で死んだりしないだろうな」

「大丈夫だよ? いつも呑んだら姫ちゃんはこうだもん」


 いつもって。無邪気に言うぱとりしあに悪意を感じるのは俺が人間不信になったからとかじゃないと思う。だから、こうした手口で何かぱとりしあが良からぬことを姫にしようとしたんじゃないかと疑ってしまうのも俺が悪いわけじゃないと思う。顔を見てみればわかる。

 無邪気だが、無意識の悪に染まった顔というのは今のぱとりしあを言う。ほら、悪って客観的に判断されるものだから。本人に自覚なくてもたしかに存在するもんだよね。


「こらぱとりしあ。姫に呑ませたので最後の酒だったじゃろ? どうして味を確かめもしないような奴に飲ませるんじゃ」

「あー! 本当だよ、もうお酒がないの! でも、多分川澄さんがたくさん買ってきてくれるよー」


 そういやそうじゃな、と言ってあははと笑いあう白藤、ぱとりしあ。笑ってるなよ。


「少しは反省とかないのおまえら?」

「酒飲みが反省したらこの世の終わり」「なの」


 どっかのバカが言ってたなその台詞。俺と同じ名字を持つ、現在もどっかほっつき歩いてるアホが。


        +


 結局厨房から持ってきたワインでさらに飲み会を続けようとしている二人に呆れが差し、倒れた姫を背負って二階に戻る。酒のためと風呂上りのために、やはり首筋が赤い姫を背負うのは結構頑強な精神が必要だったが、さっきの石榴の味を思い出して耐える。

 早いところ、体内に魔力を溜め込まないといつまでもこう悶々とした日々を送ることになりそうだ。さっきぱとりしあに抱きつかれた時の感触と今背に感じる平坦な感触を比べてしまうのも、多分吸血鬼の血のせいだと思いたい。


「おや、ダンナ様。また白藤様たちは宴会ですか」

「宴会ってよりは二人で盛り上がってるだけだと思うけどね。丁度よかった、姫の部屋の戸を開けてくれないか」


 寒そうに黒い着物の上から羽織を着て、闇に溶けていた葛葉が現れる。背におぶさっている姫を見て事情を察したらしく、本だらけの小さな部屋につながる戸をやや強引に開けてくれた。


「力を入れないと開かないんですよ。本が戸の開閉を邪魔していたりして」

「引き戸だからなぁ」


 布団を出すのが面倒だったし、何より姫が寒そうにしていたので既に出ていたコタツの中に放り込む。むにゃむにゃ言いながら暖房地帯にもぐりこんだ姫は、幸せそうに頬を緩めた。


「一応猫又ですからね。猫といえばコタツ、といったところでしょうか」

「安直だけど合ってるような気もする」


 そのコタツの上にもみかんの他には本しか乗っていない。その、大量に置かれた本の間に、俺はふと一冊の本を見る。昔どこかで見たような。無機質でつまらなさそうな表紙の本。そう、これはつい去年まで毎日目にしていた、中学過程の数学の教科書。


「勉強もしてるんだな」

「こちらの世界に慣れすぎたために、普通に学校に行くことは難しいと思ったのでしょうね。暇な時に、勉学にも励んでいるようです」


 なるほど俺より一つ年下だったはずだから、年齢的にも合った教科書のようだ。古本屋で纏め買いでもしたのか、周りには物理、歴史、国語と色々な教科書、資料集が並んでいる。自主的に勉強とは、見上げた根性だと思う。


「なら葛葉も、学校には行ってないのか」

「う。……恥ずかしながら、わたしは姫より勉強は出来ないと思います。すいません」

「謝ることでもないだろ。色々、人には事情もあるし。勉強が無くても毎日楽しく生きられてるならそれもいいと思うよ」


 本心からそう思う。葛葉は照れたような笑いを浮かべてそうですか、と呟き、とりあえず俺たちは姫の部屋を出た。とんでもない方法で眠りにつかされた割には、姫の寝顔はけっこう幸せそうだったので安心したことだし。

 さて。自室に戻り。やるべきことが幾つもある。なんだか要がいなかったことでうやむやになっていたが。

 もうテストまでそう日がないんだった……。

 柱時計が指す時刻は十一時。日が昇るまで頑張るくらいの心意気でなくてはならない。なにせ、この宿には教えを請うことの出来そうな人が居ないのだから。


新章。次回に続きます。


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