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十一頁目 戦闘技術は日常には不要だ。(剣術弓術)

バトル有り

葛葉編スタート。


 目が覚めて横で女の子が二人、寝ているというのはどうだろう。あまり昨晩の記憶がない状態なので、正直何か間違いでも起こしたのかと自分を疑いたくなる。

 部屋には朝日が差し込んでいた。地獄のような痛みの夜から明けて、空は白み始めていた。日に照らされる自室、その中央で俺は寝ているわけだが……その両脇にも布団が敷いてあり、右に葛葉左に姫が寝ている。まさしく川の字で、昨晩は寝ていたことになる。


「もう、朝か」


 呟くと、左隣の姫が寝返りを打つ。すやすや眠る寝顔を見ている限りは、とても昨晩の啖呵たんかを切った人物には見えない。年相応どころか実年齢よりも二つ三つ下に見える、小学校高学年くらいに当てはまる外見。

 ふと、かなり近づいてみて今初めて気づいたが、どうやらこの赤い髪は染めているようだ。根元の方が、微妙に白い。多分、昨夜見せた白い尻尾と耳、あの色が本来の姫の毛色なのだろう。多分、葛葉も。

 閉じられたまぶた、気の抜けた様子の眉。白く滑らかな肌、その中で小さく花開いたような、桜色の唇。こうして朝日に照らされている様子は、子供っぽい外見ということを差し引けばかなり絵になる。

 起きなければ。


「……ダンナ、何してんだ?」

「え。えーと」


 ぱちりと開いた金色の瞳。うっとうしそうに俺を睨み、かなり不機嫌な様子。

 そういえば葛葉が、姫は朝弱いと言っていたような。


「……って、なんであたしの部屋にいんだ? 朝っぱらからなにやってんだあんた!」

「いやよく部屋の内装を見ろ。俺の部屋だろ」


 言われて室内を見回し、ああー、と嘆息。しかし、朝っぱらからって。

 夜ならいいのか?


「やかましいです、起きてしまったではありませんか」


 右側でのそりと動く葛葉。三人とも結局起きてしまった。と、葛葉が俺の体をじろじろと眺め回す。なんだか嫌な気分だ。何か疑われてる気分だ。と、葛葉が問いかけてくる。


「お体の方は大事無いですか、ダンナ様。昨晩はここまで引きずってくるのも大変でした」

「あ、うん。それについてはごめん。〝永夜〟の終わった後は体中痛くて動けないからさ」

 そう、そうだった。昨晩、〝永夜〟の終わった後。動けなくなるほどの筋肉痛にさいなまれていた俺を、葛葉と姫がここまで引きずって(引っ張って、ではないところがポイント)きてくれたんだっけ。で、その後は二人もこの部屋で寝ることにして、また症状が起きないか監視してもらったんだ。


「なんだ、結局葛葉も寝たんじゃねーか。あたしが寝てる間は葛葉が起きてる約束だったろ?」

「わたしだって今日は仕事があるのですから、少しばかり寝ようと思っただけなんですけどね」


 なんやかんや言いながら、二人は布団をたたみ始めた。俺はというと、上半身を起こした体勢のまま。まだ布団の中に入ったまま。う、二人がこっちを見てる。言いたいことはわかるけども。ちょっと、待ってくれ。


「早く布団をたたんでくださいますか」

「ほれ、どいたどいた」

「ちょっと待、」


 ドンと突き飛ばされ、布団から転げ落ちる。押された胸のところとか、畳に着地した背中とか、腕とか、足とか、腰とか、簡単に言えば全身が。

 痛い!


「ぎゃ――――――――ッ」

「どうした?!」

「まだ全身筋肉痛なんだ! ちょっとのショックでも痛いんだからあんまり触るな!」


 面倒なことに。永い苦痛の夜の後には、決まってこうした痛みが残る。風邪ひいてた時の筋肉痛にも似た痛みが、全身に走るのだ。だから、極力体に負担をかけないようにしないといけないわけで。そうしないとこうなる。


「ご、ごめんダンナ……大丈夫か?」

「うぐぐ。ま、まあ一人でも立てるから。とりあえず二人とも出ていってくれるとありがたい」


 二人は一度だけこちらを振り返ったが、俺がハエを追い払うような動作をするとすぐに踵を返して出ていった。ちくしょうめ、のろのろとしか動けない身体が疎ましい。


        +


 白いカッターシャツと灰色のボトムスを着て、痛む身体を表玄関、ロビーまで運ぶ。階段を下りるときに思ったが、手すりというのは本当に便利だ。普段は使わないけれど、あって良かったとこういう時は本当に感謝したくなる。

 ロビーにある大正に贈与されたとの置き時計を見ると、時刻は八時半。そしてこんな状態からだではもちろん、学校には行けない。昨日と同じように黒電話の受話器を取り、ジーゴロジーゴロとダイヤルを回す。

 生まれてこの方、一度も触れたことのなかった、それどころか存在すら知らなかった黒電話だが、この生活の間に随分と扱いに慣れてしまった。


「あ、ハイどうも有和良です。すいません、今日もちょっと休ませていただきたいんですが……え? いや、仮病じゃないんです。全身筋肉痛で歩くのもままならないというか……ハイ、ハイ。あーどうも、じゃあすいません、失礼します」


 がしゃんと音を立てて受話器を置く……仮病と思われたか。まあ、なんとなく理由はわかる。

 さっき洗面所で自分の顔を見たとき、体が辛いわりには血色がいいことに気づいた。恐らくは、声のトーンも明るめだったのだろう。それで、教師は俺を仮病と疑ったに違いない。


「でも、なんでそんな調子がいいんだか」


 のそのそ歩いて廊下を通り、『雪』の棟に戻る。中庭に面した縁側を過ぎると、すぐ先にある一階の厨房から朝食の匂いが漂ってきていた。中に入って席につくと、台所では忙しそうに葛葉が走り回っていた。その脇では材料を出すことや皿を並べるなどの手伝いを、姫が行っている。まだ、他の面子めんつそろっていないようだ。


「ダンナもぼけっとしてないで、少しは手伝ってくれよ。今日に限って従業員全員起きるのが遅いみたいだかんな」

「ん、了解」


 御飯を盛ったり味噌汁をついだり、俺も姫の仕事を手伝う。いつもと変わらない風景。

 ……そうか。これか。


「どうしたよ。まだ本調子じゃないのか? 朝弱いあたしでも動いてんだから、ダンナも動けよ」


 黙って頷き返し、俺は止まっていた手を動かす。徐々に、頬が緩むのを感じた。振り向けば、後ろの台所では葛葉と姫がいつも通りの日常を繰り広げている。

 その輪の中に、俺は入ることが出来ている。人間じゃないけど、俺も姫も葛葉も、誰より人間らしく。

 そのことが、俺にはたまらなく嬉しい。絶対に吸血鬼と人間は相容れることない、そう思っていたから、どこか俺は引け目を感じていた。今は、それが無いのだから。嬉しく、楽しい気分になるのも致し方ない。たまには、そんな気分になることも、どうか許してほしい。


「だーから、止まってないで仕事しろっつってんだろ!」


 頭まで手が届かないからか、背中をバシンと叩かれる。痛い。

 痛い!


「ひ、姫! ダンナ様は今筋肉痛だとおっしゃっていたでしょう!」

「あ! っご、ごめんダンナ!」

「いだだだ、ど、ドンマイ」


 こんな日常が手に入った。

 ……少しくらい浮かれても、許される、よな?




 食後。縁側に腰掛けてぼんやりと経営学の本を眺める。姫は風呂掃除で葛葉は布団干し、ぱとりしあは庭木の手入れで川澄さんは何やらロビーでずっと話しこんでいる。食材の買い付け先と値切り交渉をしている様子だった。


あるじは、暇そうなのです」

「身体が動かないんだから仕方ないだろう。というかおまえは暇じゃないだろ。仕事してこい」


 いつの間にか後ろに立っていたひいらぎは、執事服のすそをはたきながら俺の横に座り込む。よく見るとその右手にはソロバンが握られており、反対の手にはクリップで留められた書類の束。俺が本を一ページめくる間に、三、四枚の書類の計算を片付けていく。パチパチと弾かれるたまと指先は、ブレて見えるほど超高速。


「毎度思うけど、よくそんなの計算出来るな」

「今はまだ精霊とかのお客がいないから楽なのですね。ここに精霊の客が持ってくる料金とかを含めて計算するのですと、さらに複雑な計算が生まれていくのです。絶対、主には出来ないような計算表になるのです」

「あーそうかい。いちいち俺の無能ぶりを指摘するな」


 精霊や人外ひとはずれの客が来ると、その料金の支払い方も特殊なものになることがあるらしい。

 例えば、雷の精霊が客として来た時。料金として、お金ではなく大量の稲穂で支払われたことがあるらしい。さすが、『稲』の『妻』を落とす精霊だけのことはある。でもこれならば、まだ『物々交換』という意味合いとして受け取れるから良い。面倒なのは、『権利』や『情報』または『異能の力』を支払いとして置いていかれる場合だそうだ。

 じつはこの宿屋で一番の収入となるのは、それらの支払いであるらしい。ただ、その収入が莫大ばくだいなものになると、さすがにこちらとしても困る。サービスと等価の支払いでなければ、宿屋の主義に反するのだとか。


「風雨をつかさどる龍が、この宿に泊まったことがあったのですね。その時、支払いに置いていかれたのは『台風回避』『枯れない井戸』『雨乞いの権利』。その年、記録的な干害かんがいで日本列島全域が苦しむ中をです、この宿は庭の水撒みずまきと行水ぎょうずいを毎日やれましたのですよ」


 ジャッ、とソロバンを一振り、珠の位置を初期配置にリセットした。書類の束を放り投げる。ものの十数分で、三十枚近くあった会計の書類を全て終わらせたようだ。化け物。


「それは、確かに。貰いすぎかもな」

「です。結果、会計の表には赤字と記載することになったのです。後からそのお客様が訪れた時、プラスになった分でさらなるもてなしをするため、です……その時色んなところに水を売って回ったのですね、結果、黒字になったのです。今もそれは貯めてあるのですが」


 放り投げられ、空中に舞っていた一枚を掴み取る柊。そしてそれを俺の眼前に突きつけ、低い声音こわねで呟く。


「貯めているお金なので、使えないのです。では心してここを見るのですね、そして驚くです」


 宿屋全体の現在の貯蓄を示す部分。

 そこには、ギリギリで六桁になる。数字が並んでいた。


「無能なバカ主、いい加減客が来ないとジ、エンドなのですな」

 

 きっつい一言を残し、柊は去っていった。……そりゃーそうだよな。七人もの人間が生活してるんじゃ、いくら水道代はタダでも、貯蓄は減る一方。真剣に宿屋としての存続を考えなくちゃいけない。

 冷たい秋風に吹かれて舞い散る書類の束を見て、俺は背筋に寒い冬の訪れを予感した。


        +


「懐具合に秋枯れの到来といったところかの」

「私が交渉しておるから、食事代もそれなりに抑えられてはいるのだがな。やはり、育ち盛りの人間が四人もいると、少々かかる。減価償却もあるしな。水道代が要らない分、普通なら楽ではあるはずなのだが、いやはや」


 俺の部屋にやってきた川澄さんと白藤は、ずず、と茶をすすりながら話し合う。


「そうだ、白藤は憑喪神なんだから、別に飲み食いしなくていいんじゃ」

「却下。わしの生きる楽しみの一つを奪う気か、主人」


 いじけた様子で畳に『の』の字を書き始める。そんな白藤の手元に黒猫のスミスが近寄ってきて、ごろんと腹を見せた。指がそのまま畳からスミスの腹に動き、くすぐるように撫でた。スミスはというと、満足そうにゴロゴロ喉を鳴らしている。

 本来の飼い主であるはずの川澄さんには、悲しくなるほどなついていない。そんな愛猫の様子を見て哀しげに頬を引きつらせながら、メガネのズレを直してこちらに向き直る。


「となると。食事代以外でなんらかの方策を採らねばならんな。主人、やはり客寄せを真剣に始める他なさそうだ」

「そうみたいだなぁ。でもさ、ここの宿屋は常にフラフラ移動してるわけだろう? どうやって客を呼び込んでくるんだ」


 白藤の異能〝流転漂流るろうのたび〟。その発動を止めることは客が逗留期間以外は出来ないらしく、三日に一度の空間転移はどうやっても避け得ない。となると、その三日の逗留の間に客を呼び込む必要がある。


「表玄関から出て、看板でも立てておこうか」

「逆に怪しまれると思うがな。それに今転移している場所など、最悪だ」

「廃墟マニアなら泊まりに来るやもしれんがのう。現在の外は面白い場所じゃな、廃病院やら古い家屋やら、人気ひとけのさっぱりない場所じゃ。……いや、これなら案外客も来るやもしれんな? 幽霊などの人外の客ならばふらりと立ち寄るかもしれん」

「絶対に俺は表玄関から外に出ない。今、心に決めた」

「幽霊は好かぬか、主人」

「痛い目にあったことがいくらかあってね……」


 とにかく、ゴーストタウンと提携は勘弁して。




 昼過ぎになり、昼食のAセットを食べ終える。ようやく身体の痛みも引いてきたので、何か仕事でも手伝おうかと思ったのだが、あらかた仕事は終わったようだ。皆思い思いに時間を過ごしている。

 ここで勘違いしてはいけないのは、コンビニでバイトしている辻堂のように「ダラダラと休憩室でサボって時給を稼いでいる」のではなく「仕事がとてもよく出来るから時間が余っている」状態であることだ。姫、葛葉、ぱとりしあの三人しかいなかった当初は一日がかりで仕事をしていたのだが、柊と川澄さんが戻り白藤や俺も仕事をするようになった今は、相当に仕事時間が短縮出来ている、らしい。


「ダンナさんも暇そうなの」

「いや、暇なんじゃなくて。今はやるべきことの方策を探してる最中」


 自室が「幽霊からの支払いで宿屋を経営するにあたり接客方法は従来通りでよいのか」などと議論を始めた二人に占拠された今、俺は居場所無くさまよう他無かった。というか、幽霊がその辺を行ったり来たりするような宿屋は勘弁願いたい。ホントやだ。


「ボクは今とっても暇だよ。またダンナさんと将棋したいな」


 さまよい始めてはや五秒。廊下を歩いていてぱとりしあの部屋の前を通りかかると、詰め将棋をしていたぱとりしあが俺を呼び止めた次第。このまま拘束されると、五時間弱は勝負相手をさせられる恐れがある。しかも負け通しで。


「悪いけど俺はパス。川澄さんと白藤が俺の部屋にいるから二人に頼んでくれ。川澄さんなんか強そうじゃないか」

「うーん。確かに川澄さんはボクより強いけど、面白くはあっても楽しい勝負にはならないの」


 苦笑して答えるぱとりしあは、金髪をなびかせて後ろへ歩いていき、部屋の隅に置いてあった盤を胸の前に抱えて持ってくる。


「これ、前に勝負した時からそのままなの。六時間も続けたのに全然決着つかなかったんだよー」

「対戦時間の記録延長に挑戦してきてくれ」


 言い残して、俺は廊下の窓から中庭へと飛び降りた。二階分の高さは衝撃として足に伝わったが、慣れればどうということはない。いまだ残る痛みは筋肉痛のものだ。

 そのまま一階縁側の廊下を小走りで駆け、他の棟に向かった。客がいないとしんとしている棟を渡り歩き、『風』の棟に出て、なんとなしにロビーに来た。ついさっき表玄関からは出ない、と決心したばかりなので、そのまま斜め四十五度に進路を曲げる。ロビーからは北東と北西に廊下が作られているのだが、そのうち前者を選んで歩く。突き当たりには大浴場だ。

 別に風呂に入るつもりはないのでまたも進路変更。右に曲がり、普段よく見る中庭とは『雪』の棟を挟んで反対側にある中庭に出る。昨晩居た地下倉庫のある、そこには木々が植えられたりとか景観を楽しむような場所ではない。だだっ広い芝生だけがあり、その中央で葛葉が刀を振っていた。


「おうい、もう身体の具合はいいのかよー?」


 横から声をかけられ、そちらに目をやる。棟の影になる涼しい位置にあるベンチに腰掛けた、姫の呼びかけだった。額にはうっすらと汗がにじみ、右肩に数本の矢を入れた筒をかけている。当然、左手には弓。しかし和弓ではなく、洋弓アーチェリーだった。


「大体、走れるくらいには。二人は稽古の最中だったのか」

「うん。前言ったよな、あたしは弓を練習してるって。一応そういうこと」


 一応などと言いながら姫は葛葉を通り越した向こう、ここから三十メートルくらいの位置にある生垣にとりつけてある的を指差した。その的には、矢がハリネズミのように突き立ってほとんど模様が見えなくなっている。


「あれで一応、か」

「加減はしてんだけど。どーにも的の強度が、ね」


 言って、もう一矢いっし。立ち上がって構えて矢をつがえて引いて放つ。その動作にほとんど一秒かけなかった。離れた的からザグン、と丸太になたでも振り下ろしたかのような音が響いてくる。振り向いた瞬間には、的が地面に落ちていた。

 ゴドン、とこれまた的には不釣合いな重い音で。


「おー、最後の一矢は加減しなかったからな。ちゃんと貫通してんよ」

「姫、あの的の材質はなんなんだ」

はがね


 アレは的と言うんだろうか。目算で厚さ二センチはありそうだ。鉄塊と言っても良さそうな鉄板だ。


「貫通してしまってはもう的になりませんね。運びやすいようにバラしましょうか?」

「ん、頼むよ」


 唖然とする俺をよそに、二人が言葉を交わす。なに、バラすって。

 さくさくと芝生を踏んで進み、葛葉がその歩みの間に刀を鞘に納める。そして深く反った刀でもって、抜刀した。

 右手が動き、連動して左手の鞘内で刃が滑る。全身の動きの全てを流れるように行い、見えたのは紫電の残光、一閃。しかもただの居合いじゃない。〝上から斬り下ろす〟という、あまり見ない軌道を描いた。

 それを可能としているのは、絶え間ない修練が刻み込んだ技術によるものなのだろう。あまりにも剣呑な太刀筋は、見ているだけで斬られたような錯覚すら与えてくる。


「四等分したから、ダンナも一個持ってくれな。あたしは一個しか持てないし」

「四等分? いま居合いの一撃だけしか」

「二太刀いれましたよ」


 手渡された鉄板には

 俺がぼんやりしている間に、葛葉はもう一太刀、横に振るっていたらしい。初撃で縦一閃、二撃目で横一線。綺麗に四等分されていた。


「矢ぶすまになった鉄塊なんて初めて見た……」


 しかも、ど真ん中に貫通した矢も、きれいに四等分されていた。ここまで来ると神技とかいうより奇跡と言わせてほしいと思う。何百万分の一の確率で起こることを、修練と経験により引き寄せたという印象を覚える。


「二人してとんでもない実力だな。俺も多少は武術をたしなんでるけど、到底及びそうにないや」


 本心から感心して俺はそう口にしたのだが、なぜか姫は怪訝けげんな顔をした。

 それはそれは疑いの目を持った顔で。


「白藤は元武家屋敷でな、見ること感じることで稽古になってたらしくて。九十九神の力を使わなくても武芸十八般、弓以外はあたしより遥かに格上だ。徒手での果たし合いとはいえ、そいつを倒せたってのは『多少』のたしなみじゃねぇぞ」

「いや。日本来るまでの旅の途中で会った拳士に、いい加減にいくつかの技だけ教えてもらって、あとはほぼ我流でやってるだけだから」

「我流ですか。大したものですね」


 我流でも戦えてしまう能力と、我流でも常に磨き続けなければならなかった状況のせいだ。

 べつにいまさら、どうとも思わないが。


「二人こそどうなんだ。それだけの技術、普通に鍛錬しても手に入らないだろ。流派は?」


 軽く尋ね返す程度の気持ちで、俺は尋ねた。すると葛葉の顔にかげりが生まれる。姫も多少暗い面持ちになったが、葛葉ほどではない。刀に添えた手が、わずかに震えていた。


「流派は、無尽流むじんりゅうと申します。鍛錬は積みましたが、師と仰いだ方との修行の中で、少々実戦をしたのみですね」


 ……なんだか言葉の中に引っかかるものを感じたが、それ以上聞くのは気が引けた。硬い表情の葛葉は、周り全てを拒んでいるようにも思えた。空から降る陽光さえ、彼女の周りだけ避けているように思えた。

 あまり触れないように、聞いた話の外枠だけをなぞって返した。


「師、か。やっぱ、葛葉にはそういうのがいたんだな」

「当然です。我流で剣を扱う人間は、高確率で死にますよ。剣術とは心理、状況、得物、身体駆動、あらゆる要素を想定して行われる、合理的な術理の存在する肉体運用法にすぎないのですから」


 どこか懐かしむように、葛葉は言う。そこへ噛みついて、姫が腕組みした。


「合理的な術理っても、体が大きい奴のが有利とか、その程度のこったろ」

「体は大きい方が、それはもちろん有利ですよ。腕の間合いは長くなるわけですし、体格に恵まれた方が力も強いですし」

「あーやだやだ、だからあたしは剣だのなんだの、使わねぇんだ。〝魔狩まがり〟の仕事してたころも思ってたけどよ、近付いて危険に身を晒すより、遠間から弓で狙う方が楽さな」

「まあ姫の体格では、仕方ありませんね」

「ふんだ。誰が何と言おうとあたしは弓最強説を唱えるぞー」


 姫が妙なこだわりを主張して、和ませるような方向へ持っていった。おかげで、もうそこには暗い面持ちの葛葉はいなかった。いつも通りの会話が戻り、空気が軽くなる。

 俺もその輪に入ろうかと少しばかり咳払いをしたが、その時、表玄関のインターホンが鳴った。


「?」


 三人全員首をかしげ、五秒静止。二度目のピンポーンでようやく気づく。

 いや、だって。この二週間、一人も来てなかったから。また従業員が帰ってきたのかとか思ったけど、考えてみたらもう全員揃ってるし。そうなると、インターホンを押して表玄関から来るのは。


「客だ」


 慌てて駆け出していく葛葉と姫、その手には刀と弓が握られたまま。あんたらはお客を切り刻むか射殺すかするつもりか。後ろから追いかけ、なんとかロビーに着く前にそれら武装をひったくる――良かった。客には見えてない。

 すでにロビーにはぱとりしあが立っており、玄関の引き戸を開けて入ってきた客に丁寧に頭を下げている。


「いらっしゃいませ、宿屋紅梅乃花弁にようこそおいでくださいました」

「どうも。かわいらしい仲居さんだわねぇ、こりゃ。宿泊、一部屋、一人でお願い出来る?」


 ハスキーで快活な喋り方をする客だった。とりあえず近くにあったリネン室に両手の武装を安置、戻って壁際から、この宿が再開業してから初のお客さまを見やる。

 短かくうなじの見える程度の長さに押さえた黒髪、日に焼けた小麦色の肌。上は白いタンクトップ一枚で下は青いツナギ、腰のところで袖を結んでいる。身長は葛葉より少し小さいくらいで、多分俺と並ぶ。そして一番の特徴としては。

 腰に黒い帯が巻いてあり、そこに深く反った刀が一振り、差してあること。

 形状はまったく、葛葉の刀と同一だった。


「なんだ、あれ」


 葛葉と姫も客の前に進み出る。そして、カウンターで名簿に記録をしていた客が振り返る。途端に、葛葉が驚きに満ちた顔になった。


「おーう、どこかで見た顔だわよ。元気してたぁ、葛葉」


 知り合い、であるらしい、どうも。が、今の葛葉は仕事中であるようだ。


「い、いらっしゃいませ。お部屋の方に、案内させていただきます」

「かたっくるしい話し方も変わってないわねぇ。ま、いいや。でも昔の師匠が来たんだから、一応はそのように反応してくれない? こっちとしても寂しいのよね。これ、命令よ」


 びしっと指を突きつける。葛葉は感極まった様子で、目の前に現れた師匠とやらに頭を下げた。

 ……偶然ってすごいな。まさか、さっき話題にあがってた人物が実際に現れるとは、これが噂をすれば影と言う奴か。


        +


「ご無事でしたか……」

「ん、まぁねぇ。あたしが簡単にくたばったら無尽流の名折れだわよ」


『風』の棟二階の客室で、くつろいだ様子の客は豪快に笑った。現在弟子の世話になってる人間を知りたい、とのことで、従業員全員がその場に揃っていた。本来なら客室に上がりこむというのも不躾ぶしつけな話だが、他にお客さまもおらず、何より当のお客さまからの要望とあっては無碍むげにも出来ない。


「初めまして皆さん、あたしは桧原葵ひのはらあおい。気軽に葵ちゃんとでも呼んでちょうだいよ」


 わははは、と大笑い。無駄に元気な人だった。


「わたしの剣における師です。どんな苦境も乗り越える猪突猛進ちょとつもうしんの抜刀術流派〝無尽流〟の師範です」


 誇らしげに胸を張り、正座した葛葉の横であぐらをかいている葵さんに向き直る。眉は細く短くきりっとした顔で、目は小さいが瞳がやけに大きい。二十歳の葛葉の師匠なんだからある程度年齢いってる人なんだろうが、とてもそうは思えないほど若々しい。


「猪突猛進とは言ってくれるものだわねぇ。まあ言われても仕方ないけど、戦場では香車なんて呼ばれてたわけだし」


 将棋盤の端っこに位置し、直進のみで後戻り出来ない駒に例えられるとはどういう剣術だ。


「で、ここの主人さんが君なのね。どうも弟子がお世話になってます」


 こちらに向き直り、軽く頭を下げられる。いや、俺はそう大した人間じゃないんだけど。


「いえどうも、こちらこそ葛葉にはいつも迷惑かけていまして。この宿で一番よく働いてくれています」


 そりゃ良かった、剣のことばかりでロクに他のこと教えてなかったから、などと冗談か本気かわからないセリフを呟き、またも一人大笑いした。

 不思議なことにその笑顔を見ていると、こちらも笑いがこみ上げてくるから驚きだ。とても、剣客などには見えない。


「ところで、師匠。五年前のあの日、追っ手に囲まれて逃げ場が無かったというのに、どうやって生き延びたのですか」

「んー? ああ、それについてはまあ色々とあるのよ。で、悪いんだけど他の皆さんには席を外してもらえる? 弟子と久々に語り合いたいのだわよ」


 そう言われればこちらも引く。大体、客の部屋にずっと居るのもおかしな話だ。


「じゃあ話が終わったら夕食を作りますので。しばらく空けます、すいません」


 嬉しそうな顔の葛葉。あんなに顔をほころばせたのは初めて見た。


「なんだ、いい笑顔が出来るんだな」

「初めて見たろ。笑ってるとなんか、向日葵ひまわりみたいだよな」


 姫も微笑んだ。


        +


「さってと。他に人もいなくなったことだし、話に入ろうと思うわ。ま、簡単に言うわね。あの日、あたしもさすがに逃げ場が無かった。でも、一つだけ助かる道は、あった。――追っ手の仲間になること」


 葛葉の目が見開かれる。追っ手というのは、葛葉を追って来た者たちだ。それの仲間になるということは。


「安心しなさいよ、弟子を追っ手に引き渡すようなマネはしないわ。ただ、あたしはその部隊に入っただけ。幸いにも追っ手で姿を見られた奴らは全員殺したし。私情であんたを追ってる、とある人物Aとして加わったのよねぇ」

妖狐ようこの村の生き残り……」


 暗い面持ちで葛葉は思い出す。寒くて雪の降る音しかしない寒村。その中央にある牢屋につながれた日々。

 震えが心臓を中心に沸き起こったが、師の手前、心配させるようなことはしたくない。なんとか過去のトラウマを飲み下し、葛葉は神妙な面持ちで葵に向き合った。葵も、あぐらのままではあるが、真面目に葛葉に語る。


「ま。その部隊も今じゃあんたを追うより日々の生計を立てるのに精を出してるんだわね。気づかれない内にあたしも部隊を抜けて、今はフリーの身ってわけよ。そしたら、風の噂で宿屋の話を聞いて、泊まりに来たらあんたが居たってこと」

「そう、だったのですか」


 葛葉の表情は変わらない。そんな弟子を見て溜め息一つ、師は師としてふるまう。つまり、

 根性入魂一撃発奮。ばしんと丸まった背中を叩き、「コラ」と叱る。


「接客業の人間が暗い顔してんじゃないわよ。背筋伸ばして、しゃんとする!」

「は、はいっ!」


 定規を差し込んだように背筋を正した葛葉を見て、葵はよしよしと頭を撫でてやった。


「そんなこんなで今はあたしも仕事ばっかしてんのよ。今も一応、その最中でね」

「なんの、仕事を?」

「あたしに出来ることはこれしかないってもんだわよ」


 ポンポン、と傍らに置いた漆塗りの鞘に納められた刀の鯉口を切る。角ばった鍔とはばきの奥に見ゆる刃は深い反りを持った一振りで、葛葉が所有する一振りとこの刀は、同じ刀工による一品である。修行をひと段落させ、共に旅する仲間として師の背を預かるようになれたころ、無尽流の剣客を名乗ることを許す祝いとして葵より授かったのである。もっとも、葛葉は恐れ多いと思い、自ら流派を名乗ったことはほとんどないのだが。

 桧原葵はただの人間である。人外ではなく、あくまでも剣を修めただけの一個人だ。流派自体も特別なものではなく、古くから存在してはいるが、人間により連綿と伝えられてきた一流派に過ぎない。

 にもかかわらず彼女の名はいまも雷鳴を轟かせており、彼女はその腕ひとつで世を渡り歩く。剣の腕で及ぶべくもない、目指し続ける背中を見せてくれる人だった。


「雇われの、仕事人ですか」

「似たような感じ。でも今回のはちょっと難しいのよねぇ、殺しちゃいけないみたいだわ」


 にまっと笑って、葛葉に膝をすって詰め寄る。

 だが、その能面のような笑みは先ほどまでのような温かみのある、周りも笑わせるような笑顔では、なかった。こそこそと、内緒の話をする子供のように、葛葉の耳元でささやく。


「ここの主人をさ、半殺しにして連れていかなきゃなんないのよ」


 それは。絶望のはじまりだった。


徐々に戦闘シーン多くなっていきます。


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