65 何度もすみません
「カマーラさマ、ダいじょうブ?」
「おネエ様…と、お呼び…な、さい」
満身創痍となったカマーラだが、まだ例の計画を諦めてはいなかった。
「パンデミミックを、呼んできて…」
計画を継がせるべく五人衆の一人を呼び寄せた。
“病魔の壷”パンデミミック。
その名の通り、病の素をたっぷり内包した壷状の魔物である。
その身は脆く戦闘には向かないが、使い方次第では大きな破壊力を発揮する。
普通の壷を装って人家に潜り込み、疫病をばら撒いて集落丸ごと死に至らしめたことすらある。
まさにカマーラの西部平原無人化計画にはうってつけの存在だった。
「目標は西……湖の、畔にある街よ」
「ぷくく、お任せあれぇ」
「頼んだ、わ……」
カマーラはガクリと意識を手放すと、そのまま魔城へと運ばれてゆく。
魔王軍唯一の癒し手――フィーバーの治療を受けるために。
「ぷくく、まあ楽なお役目だよねぇ」
今回は都合の良いことにカマーラが潜入のために掘った抜け穴がある。
これを使えば容易に侵入が可能となるだろう。
「ぷくく……いっぱい人間が死ぬぞぉ。楽しみだなぁ」
パンデミミックは手筈通り抜け穴に潜んで夜を待った。
「ぷくく、ンァ?うげっ!?」
◇◇◇
木立から漏れる日差しを浴びて目を覚ます。
「ん……朝か」
あーびっくりした。
高級宿の壁をぶち破った挙句、口封じのために従業員を2階から突き落とす夢見ちゃった。
あの後、急に自分のしたことが恐ろしくなり夜陰に乗じて街を抜け出した。
少し離れた所にある林で息を潜めているうちに眠ってしまったらしい。
先に起きたハルは横で団子をこねている。朝ごはんかしら。
荷物を無事に持ち出せたのは幸いだった。
しかしやむを得ず、忘れてたとかそんなんじゃなくて荷トカゲを宿に置き去りにしてしまったのは大変心苦しい。
でも大丈夫。
彼の真の名はリュート。
竜人族の戦士でかなりの実力者だ。
あの程度なら自力で切り抜けられるに違いない。
「グワ」
ほらいた。
いつからいたのか、何食わぬ顔で草を食っている。
食ってるのか食ってないのかどっちなんだ。
けど実際のところどうやって宿の厩から抜け出してきたんだろう。
まさか本当に……?
「あの、リュートさん」
「グエ?」
なわけねえか。
草でも食ってろ下等動物。
「お食事ができました」
トカゲなんか放っておいて、ハルが用意した朝食をもそもそ食べる。
街で食べ物を補給できなかったので、穀物粉を水で丸めただけの団子だ。
粉っぽくて味が無い。
「…………」
贅沢を憶えた舌にこれは厳しい。
吐き出して埋めた。
「ひぃ……申し訳ございません」
ハルが真っ青な顔でペタンと地面に頭を着ける。
「……うん。まあ、仕方ない」
別段ハルはメシマズ娘ではない。これは素材の問題だろう。
どんな名コックでも雑草からフルコースは作れまい。
でも客がヤギならその限りではない。
俺はヤギだ、ヤギになるんだ。
「せめてお肉でもあれば……」
ぴえっ!?僕を食べてもおいしくないメェ。
「い、いや、一食くらい抜いても平気だからあまり気にするなメェ」
「ですが、主様がお身体を損ねるようなことになったら私は――」
そこでふと気付いたかのように自分の足をジッと見つめる。
「……主様に治していただいた足」
おいおい。
そんな思いつめた表情でいったい何をお考えなの。
「わたしの体は全部主様の物――」
やめなさい?!
献身のいきすぎたハルをなんとか宥め、日が高くなったところで街道の監視。
お目当ては街に出入りする商人さん。
「商人というのは情報の扱いにかけてもプロフェッショナルだ」
などと賢そうなこと口にしてみる。
感心した風に頷くキツネさんよ、本当に分かっているのか。
「外からやって来る商人、街を出る商人双方から情報を仕入れる。そうして得られた情報を分析することで居ながらにして情勢を知ることができる」
まあなんだ、要するに聞き込みだ。
そして俺は知らない人に話しかけるのが苦手だ。
心酔した風に頷くキツネさんよ、本当に分かっているのか。
つまり貴女がやるんですのよ。
分析は俺にしかできないとか何とか言いくるめてハルを聞き込みに行かせる。
「あの、あの……」
「おや、どうされました?」
「街で変わったこととか、ひぃ、あり、ありませんでしたでしょうか」
俺に劣らず人見知りのハルは最初モゴモゴしていたが結局ずっとモゴモゴしていた。
「おおっ!それならとっておきの話がありますとも」
「なんだ?例の話か」
「それなら俺が詳しい、俺に訊け」
「私は門兵から直接話を聞いている。私が一番の事情通なのは間違い無い」
都合の良いことに、目ざとく聞きつけた商人さんが集まってきて勝手にベラベラ喋りだす。
「魔物の親玉を一撃で粉微塵に吹き飛ばしたと聞いている」
「千匹はいた魔鼠の群れをたった一人で追い散らしたんだ!」
「バーン!てなって、ボーン!魔物は死ぬ」
しかし内容は揃って“雷の大魔術師”とやらのものばかり。
なんでも魔物の群れを蹴散らして街を救ったヒーローらしい。
そんなことより俺が知りたいのは高級宿の壁をぶち破った挙句、口封じのため従業員を2階から突き落とした犯罪者に追っ手が掛かっているかどうかの情報なんだけど。
「それにしたって大したお方じゃあないですか。何の礼も受け取らず立ち去るとは」
「望めば街のオンナ誰でも抱き放題なだろうにな」
「それどころか領主のご令嬢を妻にだってできたかもしれませんよ」
クソッ、誰だか知らないけど羨ましい限りだ。
コソコソ逃げ出した俺とは大違い。
「鳥の魔物もこの街へ向かっていたらしい――」
「例のご令嬢一行はご無事だろうか――」
「湖では亀と鋼の魔物が仲間割れして相討ちに――」
いつの間にか商人さん達の世間話に変わっている。
もうここにいても有益な情報は無さそうだ。
「おいハル、そろそろ行く――」
「そういえば得意先の宿で従業員がひとり2階から落ちたらしいのですが……」
ぎゃっ!?
油断したところでいきなりクリティカル!
逃げよう、疾風のごとく。
ヒュン
「2階から落ちた程度どうしたというのです、そのくらいよくあることでしょう」
「それが……落ちた先で抜け穴を見つけたそうです。どうも魔物の斥候が出入りしていたようで」
「なんと……」
「おいおい、そいつはおっかねえ話だな」
「まったくです。なのですぐに溶けた鉄を流し込んで塞いでしまったとか」
後の調査で抜け穴から焼け死んだと思しき魔物の死骸が発見された。
それが悪名高い“病魔の壷”であったと判明し、抜け穴を発見した者の功績があらためて評価され、街の守護者の証である銀の盾を授与された。
しかしもう一人の授与者はついぞ現れず、『雷の大魔術師』『三凶鳥の狩り手』と並び、街の救世主として永らく讃えられた。
◇◇
大変だ。
ハルが迷子になった。
ついでに荷トカゲもいない。
俺が今いるのは鬱蒼とした森の中。
道らしきものはどこにも見当たらない。
完全に迷子だ。
いや、俺じゃなくてハルと荷トカゲがだけど。
なるべく人目を避けて逃げようとでたらめに走ったのがほんの少しまずかった。
あと付いて来なかったハルも悪い。
荷トカゲも悪い。
イケ高君が一番悪い。
おのれイケ高……!
なんにせよこのままではいけない。
イケない……
イケ……
おのれイケ高!
いかんいかん、怒ると余計に体力を消耗する。
今の俺は命の危機にさらされているんだ。
なにせ生命線であるミルクサーバとはぐれてしまったんだから。
これはまずい、非常にまずい。
死ぬ。乾いて死ぬ。
びえっ!?やだー!
マ゛マ゛ー!
こわ゛いよ゛ぉ゛!
待て、慌てるな。
こういう時こそ冷静になれ。
そうだ、【サーチ】を使おう。
「【サーチ】!」
そんなスキル無かった。
ど、どどど、どうしよう??!!
ンメェ~
な、なに?
羊の鳴き声!?
もしかして近くに人がいるの?
それなら道を訊けるかもしれない。
良かった、助かった……
これで羊の鳴き真似をする魔物とかだったら許さないぞ。
具体的に何をするかは決めてないけど許さないぞ。
「お~い!そこに誰かいますかー」
ンメェ~
名前:ものまねオーガ
性質:敵性
LV:50
許さない!
△△
それは一瞬のことだった。
ハルはいつものように恋い慕う主の背中を見ていた。
およそ好意に属する感情の全てを傾ける至上の存在。
いつだって彼を、彼だけを見つめていた。
その姿を目に入れていないと不安に駆られるほどだった。
だがその時は草むらに動く影を見つけ、いっときそちらに意識を引かれた。
「(いま動いたのはぶちウサギ……?捕まえれば主様にお肉をお出しできる)」
先だっての失態をすすぐ好機に、ほんの少しだけ目を逸らしてしまった。
「あの……えっ」
捕獲の許しを得ようと視線を戻した彼女の目には何も映らなかった。
光源を失くした世界は澱んだ灰一色に染まっていた。
「主、さま……?」
自身の命よりも大切な宝が忽然と消え失せた。
まるで最初からこの世に存在しなかったかのように跡形も無く。
「……ひ、ぃ、いや」
あまりに突然の別離。
心は目の前の光景を受け容れること拒み、軋みを上げる。
「ど、うして―――?」
――夢。
ひどく残酷な可能性が頭をよぎる。
これまでのことは本当にただの夢幻であったのだろうか。
いま感じている胸の疼痛も全て錯覚だというのか。
「グヘー」
彼女を絶望から引き戻したのは荷駄が上げた間の抜けた声。
「はっ、そ、そうでした。荷トカゲさんがいるのだから……」
魂にまで刻まれた愛おしく満ち足りた記憶。
その端々にこのトカゲの影も見え隠れする。
今はそれだけが主へと繋がる唯一の手掛かりに思えた。
「お願い……」
彼女の意を知ってか知らずか、普段は直立した荷駄がおもむろに地に伏せ、耳孔をピタリと地面に当てる。地面を伝わる微かな音を拾い、主人の居場所を探ろうというのだろうか。
その様子を見るにつれ希望が首をもたげる。
「グエッ」
するとついて来いと言わんばかりに一鳴きし、迷い無く歩み始めた。
「そっちに主様が居られるのですね!」
俄かに差した光明にパッと顔をほころばせる。
「すぐお側に戻ります……!」
後を追って駆け出す彼女の足取りは軽い。
だが先を行く荷駄は決して彼女の求める者へ導くことは無い。
『天の声も鱗には滑る』
――の諺が示す通り、ワークリザードは耳の悪い生き物である。