64 虎口を逃れて竜穴に入る
草原の空を一直線に横切るカマーラ。
その速さは素晴らしく、さながら流星の如き神速だ。
「ァァァァァァァッッッ!!!!??」
だが残念なことに自らの意思で飛行しているわけではなかった。
彼の誤算は二つ。
一つは彼がユイツではちょっとした有名人であったこと。
◇
ルチアを獲物と定めたカマーラは、逸る気持ちを抑え人間の姿に化けて一行に接触した。
「あのぉ~☆ちょっといいかしら~?」
彼はユイツ潜入中、努めて一般人らしく振舞ったつもりだった。
しかし実際は奇抜な服装と奇妙な立ち振る舞いから非常に悪目立ちしていた。
ユイツから来た一行は当然、彼のことをよく知っていた。
「む、貴様カマーラだな」
「アぁ、あのカマーラね。何でこんな所にいるんだ?」
「捕ら…斬りますか」
案の定、護衛達は最初から警戒心全開だった。
「にょほ!?い、いやですよぉ~騎士様、アタシってばちっとも怪しい者じゃありませんよ~☆」
「あやしい」
「あやしいなぁ」
「あやしいですね」
「ぐ、ぐぬぅ…」
その後も言葉巧みに警戒を解こうと試みるも、強烈な悪印象はそう簡単に覆せなかった。
「もういいだろう、我々は先を急ぐ。道を開けてもらおう」
強引に道の端へ寄せられそうになった段で、とうとう我慢の限界に達した。
「ううっ…うるせえっ!女ァ!いいから咥え込めよオラァッ!」
激昂したカマーラはあろうことか直接的な手段でルチアに襲い掛かった。
「なっ!?」
突然の凶行と人間離れした動きに護衛達の対応が一瞬遅れる。
「くっ…この!」
「にょほほぉ~☆」
抜剣しようとするルチアの手を押さえ込み、その滑らかな肌の感触に恍惚とする。
「ではではお次は~」
続けて下腹部に手を伸ばそうとしたところ――
グンッ
「にょへっ!?」
横合いから凄まじい力で引き剥がされる。
何事かと目を向けると、小間使いの少女に腕を掴まれていた。
「ルチア様に…!」
ミチッ
掴まれた腕に激痛が奔る。
「触るなあっ!!」
ズンッ
大地が割れるような轟音とともにカマーラの体が宙に浮く。
――もう一つの誤算。
彼を殴りつけた小間使いの(と思い込んでいた)少女は、抗うことを許さぬ圧倒的な力の持ち主だった。
「ぐぬぁッ!!」
強烈な殴打を受け、吹き飛ばされそうになるのを、とっさに羽を出して制動を試みる。
「ゥゥゥッッッ!!アァァァァァッッッ!!!!??」
だが気付けば既に大地は遠く、彼は望まずして空の旅人となった。
◇
「うわっ!なんか変な汁がついた!ばっちい!」
カマーラの体液が付着した拳を嫌そうにブンブンと振り回す。
それが魔王の腹心のものだとは知る由もなく、まるで虫を潰したかのような反応だ。
「ノーラさんじっとしててください、すぐ綺麗にしますから」
ユリーカがすぐさま清潔な布を取り出し、ノーラの手を拭う。
「えへへ…ユリーカさんありがと」
優しく丁寧な手つきに、さっきまでの嫌悪感は吹き飛び、心地良さに顔を綻ばせる。
「すごい!やっぱりノーラはすごい!かっこいい!」
窮地を救われたルチアは英雄を見る幼子のようなキラキラした瞳でノーラの両手をぎゅっと握る。
淫魔をも魅了する肌は温かく柔らかい。
「や、やだなールチア様、そんなに褒められると好きになっちゃいますよ」
「いいとも!私もノーラが大好きだ!」
「うぇ?!あ、ありがとうございます…ごにょ」
よもや貴族の姫君にここまで親愛の情を示されるとは思ってもみなかった。
普段闊達なノーラもさすがに頬を紅潮させ口ごもる。
厄介な特性のせいで他人と親しく接する機会の少なかったノーラにとって、
人生の宝といえる満ち足りた瞬間だった。
しかし忘れてはいけない、この場にはもう一人、余計なことをする者がいるのだ。
「ヘイ!ゴリラ!ヘイ!ゴリラ!ヘイヘイ!ゴリーーラッ!!」
パーシーが短槍をチンチンと打ち鳴らし右へ左へ飛び跳ねる。
ノーラを剛力の英雄になぞらえ褒め称えている…つもりらしい。
「うるさい!」
「ヘボァッ?!」
◇
殴り飛ばされたカマーラは、この強制空中旅行をなんとか自分の意思に取り戻そうと試みた。
バサバサと必死に羽を動かすが、どういうわけか空を切るばかりで一向に勢いが衰えない。
「なんで、どうし……て?」
怪訝に思い、その蝙蝠のような羽に目を向けると――
「穴?!」
そこには槍で穿たれたと思しき切創がいくつも見られ、
そのうちのいくつかは皮膜を破り、羽に大穴を開けていた。
「……」
これはいったい何者の仕業か。
あの時、護衛の男達は完全に虚をつかれ動けずにいた。
するとあの恐るべき剛腕の少女の他にも、見た目にそぐわぬ実力を秘めた者がいたということ。
手頃な獲物と思い手を出した一行に、実はとんでもない怪物が紛れ込んでいた。
カマーラの目論見は最初から破綻していたのだ。
「ん~~も~~う!なんでこうなるのよおぉぉ!!」
ついに涙腺が決壊しボロボロと涙をこぼす。
それすらも頬に熱を伝えることなく、風圧によって後方に運び去られていく。
「どうして…どうしてよぉ……ほんとどうして!?おかしくない?!」
あまりの理不尽に信じたこともない天を呪う。
しかし彼の不運はこれで終わりではなかった。
「惨めだわ、このまま勢いが止まるまで飛ばされるしかないなんて…」
ひとしきり涙を流すと、すっかり観念したように身を任せる。
彼はまだ気付いていない。
ヒュゥゥゥゥン
前方から落下してくる物体があることに。
せぃぃぃぃゃゃゃゃぁぁぁぁぁぁ
このままいけばソレと衝突するということも。