59 湖畔の夜明け(後)
睡眠不足の体を引きずって、歩くこと半日と少し。
ようやく街が見えてきた。
「あ…!主様、あれは…」
「うん、見えてきたな」
遠くに城壁らしきものが見える、その奥には水がきらめいている様子も。
あれが前にハルが言ってた東の方にある大きな湖か。
きっと魚がいっぱい獲れるんだろうな。
「あの、あの…」
案の定、お魚大好きキツネっ娘がそわそわし始める。
ふふっ…このいやしんぼさんめ、焦らなくても街は逃げたりしませんよ。
「大丈夫だ、心配するな」
「……行かれるのですね?」
おうよ!
今日は父ちゃん、でっかい魚食わしてやるからな!
ハルの頭をぽんぽんと撫でる。
「お供します、どこまでも。わたしの救い主様…」
おお、そうか!
それじゃあ料理屋梯子しちゃおうかね!
◇
あれー?なんかおかしくないですか。
城壁の周りに大きなネズミみたいなのがいっぱい居るんですけど…
「魔鼠があんなにたくさん…」
魔鼠!?なにそれ、もしかして魔物!?!
【スキル:鑑定 を発動しました】
種族:魔鼠
性質:敵性
LV:5
ステータス省略
魔物でした!
あ…もしかしてハルがそわそわしてたのってこれが見えてたから?
草原育ちの視力半端ないな。
うわぁ…そうとは知らずこんな近くまでのこのこ来ちゃいましたよ僕ら。
何がお魚だよ、それどころじゃないよ!
どうしよう、逃げ…
「ハハッ!」
不意に前方から甲高い声が響く。
群れの中から一際でかい、太ったネズミがゆっくり歩み出てきた。
やばい、見つかっちまった。
【スキル:鑑定 を発動しました】
名前:エレキマウス
性質:敵性
LV:125
HP:1875/1875
MP:375/375
力:125
技:250
守:125
速:250
賢:375
魔:625
どうやらこいつが魔鼠の親玉らしい。
体毛は黄色と黒のデンジャーカラー。ヤバイ臭いがプンプンする。
「ハル、下がれ。あの丘の裏に隠れてるんだ」
「はい、はい…主様、お気をつけて」
去り際に袖をキュッてされた。
なに今の、かわいい。後で撫で回そう。
ほわっとした気分になったのも束の間、
周囲に散らばる黒焦げになった人型が目に入る。
うっ!これってもしかして…
1/1フィギュアだ。うん、そうに違いない。
黒焦げになってるけど、たぶんこれ焼却しちゃいけないやつだぜ?
「これは貴様の仕業か」
いけないんだー!
自治体で定められた方法により適切に処分しないといけないんだー。
「やあ、ぼくエレキマウス!」
うわっ!?喋った!
喋る魔物とかもしかしてすごくヤバくない?!逃げる?
「お前も黒焦げにしてやろうか?ハハッ!」
癇に障る声で嗤うデブネズミ。
両頬の赤い魔方陣からパチパチと電気がはじけている。
態度からして敵意満々のご様子。
困ったな、こいつが通せんぼしてる限り街に入れない。
社会人生活で培った交渉スキルを駆使して、なんとか穏便に通してもらえないだろうか。
「思い上がるなドブネズミ、電気の正しい使い方を教えてやる」
「ハハッ!ハハ……ハッ!おもしれぇ!俺様とやり合おうってのか!」
あっ、口調変わった。
煽り耐性ゼロだな。ハハッ!
…えっ?何で煽っちゃったの?交渉は?
まあいいか、やっちゃったものは仕方無い。
たぶん奴のメイン技は10万ボルトだろう。
それに対し俺の【例の電撃】は10億ボルト(概算)、負けるはずがない。
「貴様の電気などレモン果汁の発電量にも劣る」
「ピカァッ!俺様の10万ワットを舐めんなよ!」
え…ちょ、ちょっと待って!単位変えないで。
10万ワットってなに、何ボルト?
わからない、どうすればいい。
思い出せ、ワットの求め方は…
……!
そうだ!ワットはW!ダブルだ!
ダブルということは…
W=電気+電気
これだ!間違いない。
※全然違います
つまり奴の10万ワットとは、10万+10万=20万。
俺の方が強い!
よーしこれで安心して攻撃できるぞ。
覚悟しろ糞ネズミ!
「丸焦げになりやがれ!」
「丸焦げになりやがれ!」
タイミングが同じな上に台詞まで被った。
俺の思考はネズミレベルかよ…
いや、そんなはずない。
今しがた完璧な計算をしてみせたではないか。
これぞ人の力、知恵の力。
ネズミごときには負けん、義務教育の成果を思い知れ!
【スキル:例の電撃 を発動しました】
ババリバリッシュ
目が眩むような、凄まじい電撃同士のせめぎ合い。
奴も言うだけあって、かなりの電気を放出している。
しかも魔力で指向性を持たせているらしく、微妙に拡散している俺の電撃とは違い一直線に伸びている。
魔力か…なるほど、この電気は魔力で誘導しているんだな。
だから実際にせめぎ合っているのは魔力であって、電気はその中を流れてるだけ。
そういうことにしておこう。
よく解らないことはだいたい魔力のせいにしておけばオッケーだって先生が言ってた。
それなら俺もやってみよう。
イメージとしては口笛を吹く時のように、魔力の出口をキュッと窄める感じ。
ツァーン
できた!
いかにも電撃といった感じでバリバリしていたものが、
一本の細い光の筋に収束し、レーザーのように真っ直ぐ突き進む。
「ハハッ…ハ…!」
均衡はあっけなく破られる。
ジュワッ
電気ネズミは一瞬で蒸発し、地面の焦げ跡だけを残して消滅した。
勢いの衰えない電撃は、背後にいた魔物の群れに襲い掛かり、これも消し去る。
親分が討たれ敗北を悟ったのか、残った魔物が散り散りに逃げ出していく。
良かった…正直ネズミの大群を相手にするとか絶対嫌だったから。
ん?ハルが逃げていくネズミをじっと目で追っている。
え、ちょっと…なんで見てるの。
まさかアレを食べたいとか言わないでよね。
「主様、あれ…捕まえましょうか」
ぎゃー!やめろー!
そんなばっちいもの食べちゃいけません。
タンパク源が欲しいなら俺の××を飲ませてあげるから。むしろ飲んでほしい。
「…なぜ捕まえるんだ?」
「え、え?魔鼠の皮は靴の素材になるので、あの、売れるかなと…」
な、なんだ…そういうことか。
脅かすなよキツネさん。
「お前にそんな苦労をかけるつもりは無い、金のことなら心配するな」
盗賊から巻きあげ…寄付されたお金が結構あるからね。
「今日はもう街に入ってゆっくり休もう」
「っ…勿体のうございます、本当に、その…大事にしてくださるなんて」
ほいきました勿体脳。
素材を見逃すのは勿体無い。
宿に泊まるのは勿体無い。
盗賊さんの善意の寄付を使ってしまうのが勿体無い。
今回はどの勿体脳かしらね。
「では荷物を取ってまいります」
「頼む」
また荷トカゲが勝手に逃げてる。
「こら!待ちなさい、ひゅー」
「グワッヒ」
吹けてない口笛を吹きながら、干し柿みたいなのを持って追い掛ける。
あれは荷トカゲの好物かな?…俺も食べちゃだめかしら。
超高度な計算で頭を使ったから脳が糖分を欲している。
あとでこっそりいただこう。
□■
ルチアの脱出を援けるべく決死の覚悟で陽動に出たハノン兵達だったが、
どういうわけか、遭遇するどころか魔物の影すらも見つけられなかった。
空も白み始めたころ、ようやく発見した魔物の一群は、川を下り湖を離れるところであった。
「なんだこれは…どういうことだ?」
ゴールドタートルが討たれたとは夢にも思わぬ彼らにとって、魔物達の行動は不可解そのものだった。
□■
暖かな環境を好む亀の魔物にとって、この湖の水は冷たすぎる。
指令を下す者が居なくなった以上、留まる理由は無い。
「ゴボゴバッ(おお!魔物共め、この私に恐れをなして逃げるか!)」
水面近くを泳ぐ魔物をカイトは上機嫌で見送る。
ゴールドタートルと共に水中に没した彼は、その鋼の体が災いして湖底まで一気に沈んでいった。
普通であれば死んでいるところだが、もちろんこの男は普通ではない。
今は平然と湖底を歩いて岸を目指しているところだ。
「ゴボボッゴボ(はて?今夜はやけに舟が多いが…)」
ハノン兵の乗った舟が湖面を行き交う。
陽動のはずの自分達が魔物と遭遇しないことに困惑し、魔物を求めて彷徨っていた。
「ゴボバゴボッ(お?あれはルチア様。夜釣りですかな)」
彼らから離れて水上を行く一艘の舟。
そこに乗る熱を視て呟く。
人間の放つ熱を可視化し、パターンから個人も特定している。
本当にどこまで人間離れすれば気が済むのか。
「ゴブゴバ(大物が釣れるといいですなぁ)」
夜明け前、カイトは岸に辿り着いた。
最も危険な存在が水から上がったことで、湖はようやく普段の平穏を取り戻した。
◆◇
「魔物…全然いませんでしたね」
「そうだな…」
多少湖面がざわついていたようだが、魔物そのものとは一度も遭遇しなかった。
「結構なことだ、夜が明けきらぬうちに少しでも距離を稼いでおこう」
ハノンを脱出しただけで終わりではない。
これから王都に赴き、なんとしても国軍を動かさなければならない。
「まだ先は長い、気を引き締めて臨んでほしい」
はい、と全員から応えが返る。
誰一人欠けることなく湖を渡り切れた幸運を実感する。
「(でもこれはきっと…偶然じゃない)」
ルチアはしばし天を仰ぎ、勇者の加護に深い感謝を捧げた。
もちろんただの思い込みだが。