47 旅程
何も無い草原を道なりに黙々と歩く。
会話は無い。
ハルはさらふわの金毛を揺らして黙って後ろから付いてくる。
危険を知らせる以外では自分からは話し掛けてこない。
宿にいるときはノーラちゃんが騒いでいたので気にならなかったが、
二人きりになるとなかなか会話のタイミングが難しい。
「(飽きた。帰りたい)」
退屈なのもそうだが、既に半日歩いたというのに街や村どころか人の気配すらない。
このままいけば今夜は野宿になるだろう。
この“半日”というのが中々に厄介で、今から引き返せばベッドで眠れる。
そう思うとつい未練がましく来た道を振り返ってしまう。
「…ぁ」
ハルと目が合う。
どうやらずっと俺を見ていたらしい。
退屈すぎてニートになりそうな俺とは裏腹に、ほわんと幸せそうな笑みを浮かべている。
はて?これまでで何か楽しい要素があったろうか。
どうもこいつの感性はよくわからない。
「……」
「グァグァ」
何とはなしに見つめ合っている俺達を、ワークリザードがノシノシ追い越してゆく。
「(こいつが一番旅に意気込みを見せてるな)」
一番やる気が無いのはもちろん俺だ。
「……あ!こら、こら!待ちなさい」
勝手に先に行くワークリザードに気付き、慌てて追いかける。
「しっ!」
ビシッ
「グエッ」
叩いた、意外と厳しいな。
俺も叩かれないように気を付けないと。
まあ俺は先に行ったりしないけどな。
むしろ戻りたい。
あ、そういえば…
「ワークリザードに名前をつけてなかったな」
ぐいぐい手綱を引いていたハルがピタリと動きを止める。
「…お名前ですか」
なにやら複雑そうな表情で振り返る。
「何か問題でもあるのか?」
「いえ、いえ、その…名を授けることで主従に強い絆が生まれるといわれておりますので…」
なるほど、勇者と英雄の故事に倣ってるのか。
ヒカル君(6)が仲間に片っ端からあだ名をつけたあれだ。
そうすることで勇者パワーを分け与えるとかなんとか。
ハルがあだ名に過剰に反応してたのもそのせいか。
生憎と俺が与えられるのは無限の妄想力くらいだが。
しかしそれだとあまり気軽に名付けるのも考え物だな。
「(トカゲとの絆…なんか嫌だな)」
精神に変なバイパスが出来て虫とか食べたくなったら困る。
あ、でもワークリザードは草食だったか。
「(あれ?…草ならありかも)」
ここは見渡す限りの大草原。
草食動物にしたら周り全部が食べ物ということになる。
「(これはもしやニートの究極系では…?)」
一瞬そんな考えが浮かんだが、さすがに草ばかりでは味気無さすぎる。
「やっぱりやめておこう」
「よろしいのですか?」
ハルが心なしか嬉しそうに問うてくる。
俺が草食になったら必然的にハルの食事も同じものになる。
お魚好きのキツネさんにとって辛いことだろう。
「やたらと名付けるものではないからな」
ノーラちゃんが言うには俺とハルは食の好みが似通ってるそうだ。
給仕しながら食べた時の反応を観察していたらしい。
母親と嗜好が一致しなかったせいで苦労した俺にはありがたい話だ。
「俺が絆を結ぶのはお前だけでいい」
親愛を込めてハルの手をきゅっと握る。
「ひゅん」
すると途端に変な声を上げて崩れ落ちた。
◇◇
「もう平気か?」
「…はい、はい、申し訳ございません」
しょんぼりするハルを宥めてここでしばらく休憩をとることにした。
「気にするな、ちょうど休もうと思っていたところだ」
嘘ではない。
俺はいつでも休むことを第一に考えている。
「ふぅ…」
水筒からガブリと水を飲む。
「(ぬるい…)」
汲んだ時は冷たかった井戸水も、半日過ぎてすっかり外気温と同じになっている。
魔法瓶でもないただの陶製の容器では仕方ないとはいえ、こんなところでも旅の不便を感じる。
「主様、お水でしたらこちらをどうぞ」
「ん?」
ハルが差し出してきた容器は表面が結露している。
中身が冷たいお水であることは容易に想像がつく。
「(なるほど氷魔法を使ったのか)」
一口含むと、冷たい奔流が生ぬるい不快感を洗い流していく。
「(うひゃちべたい!お水おいしい!)」
すっかり忘れ…ハルの負担を考慮して控えていたが、
同じ水でも冷えているだけでこんなにも違うとは。
「お前がいてくれて本当に助かる」
「ひゃ」
絶対手放さないぞ。
俺の冷凍庫。
「せっかくだからここで昼食にしよう」
「おべんとう!…あっ、かしこまりました」
思わずはしゃぐハルに釣られて、俺も少しわくわくしながら荷物からお弁当を取り出す。
「これはお魚ですか」
「そうだよ」
持ってきたのは例によって白身魚のフライ弁当。
俺のお気に入りだからきっとハルもお気に召すはず。
「んむ、はむっ」
メインのフライを大事そうに噛みしめる様子を見ていると、
ノーラちゃんの言っていたことが正しかったと解る。
正直言うと人の食事をそこまでじっくり見ていたことにドン引きだったが、
実は客の好みをリサーチしていたのかもしれない。そうであってほしい。
ちらりと横を見ると、荷トカゲことワークリザードが好き勝手にその辺の草を毟っている。
ワークリザードだと長いので、ハルが呼んでいた“荷トカゲ”をそのまま使うことにした。
「(あいつの好みは…草だな!)」
素晴らし洞察力に自画自賛しつつハルが食べ終えるのを待った。
◇
「東に大きい湖があるそうです」
魚がどこで獲れたものか訊ねたところ、このままいくとその湖の畔にある街へ辿り着くことが判った。
「湖の畔ならいろんな魚が獲れるんだろうな」
もしかしたら米もあるかもしれない。
結局ユイツの街には米が…あー、そういえば探してなかった。
「そ、そうですね…!」
ハルが見るからに楽しみといった感じで声を弾ませる。
聞けば草原でほぼ自給自足のキツネにとって、魚は滅多に食べられないご馳走なんだとか。
その辺は内陸県生まれの俺にもなんとなく理解できる。
「獲れたての魚は別格だぞ」
大人になってから出ちょ…旅行先で食べた魚の旨さに驚いたもんだ。
「ニジクマというお魚がとってもおいしいそうです」
その後は会話も増え、時折休憩を挟みながらバッタを捕まえたり荷トカゲを捕まえたりしてゆっくりと進んだ。
◆◆◆
そして夜――
……案の定野宿になった。
空に煌々と月が昇る。
「(異世界のくせに月は一つなんだな…)」
ただ地球のそれよりも若干小ぶりで、形も楕円に近い。
どこか猛獣の瞳を思わせる薄気味悪さがある。
「あの、あの…主様、あまり月を見ない方がよろしいです」
おずおずと口を開くハルには明確な怯えが見て取れる。
「どうしてだ?」
こいつの気弱は今に始まったことじゃないが、それにしては反応が過剰な気がする。
月に纏わる迷信でもあるのだろうか。
ミミズに纏わる迷信なら知っているが。
「月は悪事を働いて死んだ者が囚われて罰を受ける所だと云われているのです」
「ふむ……」
この世界では月が地獄的な所だと思われてるのか。ちょっと面白いな。
鬼娘の代わりにウサギ娘がいたりするんだろうか?
ハッ!
バニーコス鬼娘!?
なにそれ天国かよ?!
枯れるまで搾り取られちゃうのぉぉぉォォ!?
「……まあ、そんなに悪い所でもあるまい」
「えっ……?」
【地獄!〇回射精するまで出られない!!】
罪の重さに応じて〇の回数が変わる。間違いない。
「悪いモノを吐き出して許しを得る。あれはそういうものだ」
きっとみんな憑き物が落ちたようにさっぱりしてるだろうね。
「(天の在り様を正しくご存じということ……やっぱり主様は……)」
ハルは何事か考え込んでいる様子だった。
ちなみに女でも生やされて同じ目に遭うからね。気を付けてね。
◆◆◆
「お食事の用意をいたします」
夕食はどうしようかと思っていたら、どうやらハルが作る気らしい。
意外にも慣れた手つきで火熾しを始める。
こっちに来てから女のつくる料理に軽いトラウマを植え付けられてたけど、
これは意外と期待できるかもしれない。
「(さて…俺はどうしようかな)」
もちろん手伝うという選択肢は無い。
かといって近くにいるのに何もしていないと、いかにも役立たずに見える。
事実であるとかそういうことは今は関係が無い。
よし、見回りするふりでもしてよう。
向こうにいた時も設備点検と称してブラブラ時間潰ししてたんだ。
「異常無し!(たぶん)」
少し離れた丘に登り、周囲を警戒するふりをする。
「~♪」
そこから見下ろすとハルが鍋を火にかけているのがよく見える。
ご機嫌な様子で鍋にパッパッと材料を放り込んでいく。
あっ!いま鍋に草入れなかった?草!
…うん、見なかったことにしよう。
「(にしても暇だなぁ…)」
照明の無い夜は景色を楽しむことすらできない。
唯一鑑賞に堪えるのは空に浮かんだ月くらいのものだ。
草の上に寝転んでぼんやりと月を眺める。
はぁー……
あの向こうにバニーコス鬼娘が……
あぁーー……
なんだか見てるだけで吸い取られるような――――
「主様ー、主様ーッ?」
ん……ハルが呼んでる。
「ふぁ~い…」
自分でもびっくりするくらい気の抜けた返事が出た。
きっと月のせいだ。
「どうしたー?」
「あ、お食事の用意が整いました」
「わかったーすぐ行く」
飯ができるのを何もせずに待つ。
今の俺ってばすごくニートしてる。
最高じゃないか。
ハルは俺が来るのをそわそわしながら待っていた。
「どうぞ、熱いのでお気をつけください」
鍋から木器に装って恭しく手渡してくる。
「うん、ありがとう」
…なんだこれ。
器の中身は白いドロッとしたペースト。
湯気からは濃厚な穀物の香りがする。
そういえば旅セットの中に粉の詰まった袋があったな。
もしかしてあれを煮たものだろうか?
「(つまりお粥みたいなものか)」
少なくとも食べられないってことはないだろう。
ともかく一匙掬って口に運ぶ。
「……」
う~ん、思ったとおりの穀物味。
ほんの微かに甘味が感じられる。
「あの、あの…いかがでしょうか?」
ハルがおそるおそる訊ねてくる。
炎に揺れる金色の瞳には不安と期待が入り混じっていた。
「(さて、なんと答えたものか)」
よく考えるとこれも女の子が俺に作ってくれたご飯ということになる。
本来なら喜ぶべきだが、この世界に来てからこの手の料理でろくな目に遭っていない。
ユリーカちゃんもノーラちゃんの料理も結局全部吐いてしまった。
前者は衛生上の理由から、後者は単に不味かったから。
ではハルさんお手製お粥っぽいペーストはどうか?
不味くはない。
でも美味くもない。
「…悪くはない」
「!あ、ありがとうございます…!嬉しいです!」
褒めてはいないのだがハルにはそれで十分だったらしい。
両手を合わせてパアッと顔を綻ばせる。
「いくらか甘味があるな」
「はい、はい!甘草が生えていたので入れてみました」
いくらか突っ込んだ話しをすると嬉しそうに答える。
「(甘草か、さっき鍋に入れてた草はそれだな)」
食べられる野草のようで一安心だ。
「ハルは野草に詳しいんだな」
地味だが意外と役立つ技能だよな。
「いえ、いえ、それほどでもございまふぇん…」
謙遜しつつも顔はふんにゃりと緩んでいる。
口元がムニムニしてる時は喜んでるのだと最近気付いた。
「甘草はどういう植物なんだ?」
「はい、はい、甘草は新しい羊の糞からしか生えないんです。
最近この辺りを通った群れがあるみたいです」
「…………なるほど」
その後は何も考えずお粥ペーストを飲み込んだ。
「食器のお片付けをしてまいります」
「ついでに手も洗っておけよ」
後片付けに取り掛かるハルを横目に、こっそり丘の裏へ回り込んで…
吐いた。