45 旅立ち
2017.07.10 改
旅立ちの朝――
見送りに出てきたノーラちゃんと言葉を交わす。
「ハルさん…体に気をつけてね、ご飯ちゃんと食べてね、夜は暖かくして休んでね」
「はい、はい、お気遣いありがとうございます」
別れを惜しむ女の子二人。
俺の疎外感がひどい。
だが今は他にも同行者がいる。
「グエッ」
直立した大型のトガケ、ワークリザードだ。
昨日、二人が旅の準備にと買い込んできた荷物はかなりの量だった。
ハルはそれを自分が背負っていくつもりのようだったが、試しに背負わせてみたら「ひぃ」とか言って潰れてしまった。
おそらく年下のノーラちゃんが軽々運んでいるのを見て自分にもできると思ったのだろう。
でもその子の腕力はちょっと普通じゃないから…
なら24万6800パワーの俺が持てばいいかというと、そうでもない。
以前にも増して俺の世話を焼きたがるようになったハルが「主様に荷運びさせるなんて絶対ダメです!」と言って譲らないからだ。
じゃあしょうがない、出発は延期…いや、中止!中止です!
という流れに持って行こうとも思ったが、ここでまた親父が余計な気を利かせてほんとに荷駄を調達してきてしまった。
なんなの?!もしかして俺を追い出したいの?
……で、このワークリザードだが、はぐれ畜獣を扱う保健所のような施設で譲り受けたらしい。
親父が言うには、はぐれとは思えないほど状態が良いらしく、現に大荷物を積んでもまるで苦にした様子が無い。
これは…何かあるな。
「なあお前」
「グワッ」
「本当は喋れるんだろう」
「グワッ」
あれー?おかしいな?
「ダストさん…何してるんですか」
ひゃっ!ノーラちゃんの視線がとってもクール。
クールキャラも悪くはないけどその氷のような目はちょっと止めて。
「その、こいつの秘められた力を解放してやろうと思って…」
しまった、うっかり思ってることがそのまま口をついて出た。
ノーラちゃんの視線が…おや?いつの間にか春の日差しだ。
「そっか!名前をつけてあげるんですね?」
「…え?」
なんでそうなるの。
「…あ、うん。そうだな、ハルの意見も聞いて考えてみるよ」
ここは話を合わせておこう。
「うんうん!いいと思います」
よくわからないが納得してくれたらしい。
「それで、その…」
ふと、急に声を落とし言いにくそうにもごもごと口をつく。
「また戻ってきますよね?この街に…」
不安げに俺とハルを交互に見やる。
「ノーラさん…」
言外に…というよりはむしろストレートに「戻ってきて欲しい」と言っている。
「戻っては来るけど次はもっといい宿に泊まります」なんて変化球投げたらどうかな。
いや、冗談だよ。俺もノーラちゃんもノーコン、野球嫌い。仲間だ。
「もちろんだ」
この街には快適な寝床と安全な食事、ヒロイン候補に金づるにその他諸々と、手放したくない物が多すぎる。
「目的を果たし、必ずここへ帰ってこよう」
復旧作業が完了したタイミングでひょっこり帰ってこよう。
「…うん、私待ってます。ここで、お二人の帰りを。だから無事に戻ってきてください」
そう言ってしおらしくペコリとお辞儀をする。
半分は客を見送る宿屋の娘として、そしてもう半分は…なんだろう。
「ハルさんこれ、よかったら持っていって」
「ありがとうございます、わたしからも…」
あの…なんか二人でお守りみたいなの贈り合ってるんですけど。
もしかして今の俺ってただのハルのおまけ?
「…実は喋れるんだろ?」
「グワッ」
「気をつけてねー!」
ブンブンと手を振るノーラちゃんに見送られ宿を後にする。
あれが当たると人は死ぬ。
近所の人達も見送りに出てきてはいるが、そのせいで誰も近寄って来ない。
親父?
床で寝てたよ。
◇◇◇
「待ちなさい!」
街外れに差し掛かったところで誰かに呼び止められた。
誰だろう?女性の声だ。俺のファンかな?
「なんでしょ…げえっ!?」
「どちらへお出かけかしら?ダスト・スターさん」
声の主は冒険者ギルドのキレイ系受付嬢さんだった。
相変わらず黒いキッチリ服がビジネスウーマンスタイルで俺の大腸がイグニッション。
「ギルドマスターが貴方に会いたがってるって言いましたよねぇ?」
そんなことありましたっけ。
「記憶にございません」
「あ_ぁ!?」
ひえっ!怒らないでくださいまし、忘れていたのは本当なんです。
意図的に忘却へ追いやったとも言えるが。
「人違いではないでしょうか」
「なんですってぇ?」
以前の営業スマイルはもうどこにも無い。
明らかにお怒りのご様子でズイズイ詰め寄ってくる。
だが待って欲しい、俺はちゃんと逃げ道を用意していたはずだ。
「まだ用件が済んでいな…」
「ふざけないで!あれからどれだけ待ったと思っているの!」
のたくたと白を切り続けていたら、ついに怒りを爆発させた。
あまりの剣幕に周囲の人達――門番さんも何事かと目を向けてくる。
「(…まずいな)」
今の受付嬢さんは明らかな興奮状態にある。
これでは俺がいくら墨を吐いても言い逃れは難しい。
ましてこれだけ目立ってしまうと…
「ともかく今すぐギルドに来てもらいます!いいですね?!」
えっ…それは困る。
魔物討伐の依頼を受けてないのがバレてしまう。
「今はどうしても…」
「従わない場合は冒険者資格を取り消します」
俺が何か言う前にぴしゃりと逃げ道を絶つ。
なんてことを…!
俺の現状唯一の身分証を取り上げようとは。
身分証は街へ入るのに必要な、健康で文化的なシティーニートへのパスポート。
それを奪おうと仰るか…
「お、お止めください…!主様がお困りです!」
ここで意外なことに、気の弱いハルが前に出て矢面に立つ。
こと交渉に関しては全く期待していなかったが、少しでもプレッシャーが和らぐのはありがたい。
「関係の無い者は黙ってなさい!」
「…ぁ、でも…あ、わ、わた…うぅっ…」
やっぱりダメか…
受付嬢さんに一喝されて早くも涙目だ。
「ギルドマスターである私を妨げるのなら貴女の資格も剥奪しますよ!」
「な…?!」
今なんて言った?
この受付嬢さんがギルドマスター…?
ギュルルルルン
やばい…!
まさかの肩書きにいろいろすっ飛ばしてお腹が限界だ!
アヌスの丘に噴火の兆候あり!大至急、便座にゲートを開いてください!
くそぅ!負けるもんか!
こんな衆人環視の中で漏らしてたまるかっ!
俺便意と、斯く戦えり…!
そうだ!戦え…!戦うんだ!
やられる前にやる。
漏らす前に漏らさせる。
俺がクソ男になる前に貴様をクソ女にしてやる!
「ちょっと!あなた聞いてるの!私が……ひっ!」
【スキル:謎の光 を発動しました】
有頂天となった怒りを反映するように、朝日にも負けないくらいの強烈な光が立ち昇る。
俺の敵になったことの怖ろしさを、その生意気な排泄器に叩き込んでやる。
「なななななにをしたのよ…!そんな脅しなんて…いぃっ!!?」
【スキル:謎の光 を発動しました】
俺的に大はちょっと無理なので、受付嬢さんの下腹部に視線を注ぐ。
すると青い光が彼女の膀胱から尿道までの排泄ラインをくっきりと照らし出す。
「ひっ、ひう…あぁぁぁ…そんな?!」
その幻想的かつ扇情的な見世物に周囲から「おおっ!」と歓声が上がる。
「い…や!み、見ないでっ!」
たまらずペタリと座り込むも、光は彼女の股下から漏れ出している。
抗ってはなりません。
無限の慈悲を受け入れ全てを解き放つのです。
【スキル:謎の光 を発動しました】
「うっ、くぅ…も…う…ダメ…!」
内股がガクガクし始め、光がいっそう輝きを増す。
さあ!最後の一押し!
「そこまでだ」
【スキル:謎の光 の発動が中断されました】
なにやつ!?
神聖な儀式の最中ですぞ!
「…ゴンゾさん」
割り入ってきたのはハゲでヒゲなゴリラだった。
「どうしてあなたが…」
何ゆえ邪魔立てするか。
貴様とて美人受付嬢のお漏らしシーンを見たかろう。
その顔を見ればわかる。
まあいやらしい!なんて破廉恥なゴリラでしょう!
「あいつ…確か」
「ゴンゾだ、Cランク冒険者の」
「まあいやらしい顔だこと」
「何であいつが」
「それより今気付いたけどあの黒髪の人ってダストさんじゃ…」
「もしや“御使い降ろし”の…?」
俺の疑問は周囲へも伝播し、にわかにざわめき立つ。
なにやら妙な称号も聞こえてきたが気のせいだろう。
「こいつが無理言って困らせてるのはわかる、だがこれ以上は勘弁してやってくれ」
意外なことにゴリラはそう言って頭を下げた。
ふむ…もしかして排泄系はダメなのか?
ゴリラって意外と繊細なのよね。嫌だわ。
だが観客の期待に応えてこそ一流のエンターテイナーというもの。
受付嬢さんには漏らしてもらう、これは決定事項だ。
「こいつは俺の友達の弟の義兄の叔父の息子の妹の元カノなんだ」
「…は?」
いきなり何を言い出すんだこいつ。
気でも狂ったんじゃないのか。
ん?待てよ…
友達の弟の義兄の叔父の息子の妹の……妹の!?
あっ!
そういうことか!
「つまりゴンゾさんの身内でしたか」
「そういうことだ」
うひょ!マジかよ!
この受付嬢さんが例の「妹の元カノ」か!
そう言われてみると急に可憐なお嬢さんに見えてくるから不思議だ。
太ももを必死に閉じてもじもじする姿なんてもう最高にフェアリー。
「…なら仕方ありませんね」
「すまねえ、恩に着る」
周囲から落胆の溜め息が漏れる。
これではプロ漏ら師失格だな。でもいいいんだ。
美しければそれでいい。
「どうして…助けてくれたの」
「もう一度あいつに会って欲しいからだ」
「そ、それは…!」
なんてこった!
ゴンゾさんは百合ップルをもう一度引き合わせようとしていらっしゃる!
「でも…」
キー!このお漏らし女!
ゴンゾ様の御言葉に逆らうおつもりですの!
「あの子とはもう終わりにしたんです…だから」
「なら会ってはっきりとそう伝えてやってくれ。曖昧なままじゃあいつは一歩も前に進めないんだ」
なんと深いご恩情!
なんと美しい思いやり!
「……わかりました、会うだけなら」
「すまねえな…本当はただの俺の我侭だ」
ゴンゾ様の慈愛が地に満ちます。
いつしか荒んだ私の心も蒼穹の如く澄み渡っておりました。
受付嬢さん
私は
あなたを
許します
ジュアーン
開門を告げる鐘の音がこの世の全てを祝福しているかのようです。
「さあハルさん行きますよ」
「えっ…?は、はい、はい!」
恐れることはありません。
例え地の果てへ赴こうとも、心に灯る温もりを忘れない限り慈父様の御心は常にあなたと共に在ります。
「お見送り感謝いたします」
「!…勿体無きお言葉」
恭しく頭を垂れる門番の方々に見送られ、大海の如く広大な草原へ足を踏み出します。
この広い世界へ遍くゴンゾ様の慈愛を広めることこそ私達の神聖な使命なのです。
ああ、この陽の温もりもまた偉大な主の慈しみなのですね。
眩く注ぐ朝日に目を細めつつ、布教の旅への第一歩を踏み出しました。
□□
一人の敬虔な信徒が誕生したその頃、ノーラは宿へ帰る道を歩いていた。
「はぁ…行っちゃったな」
ハルがいつまでも手を振り返すものだから、つい遠くまで見送りに出てしまった。
こうして一人で歩いていると、ここ数日の充足感が嘘のように萎んでいくようだった。
「ハルさん大丈夫かな…疲れてないかな、「ひぃ」とか言って泣いてないかな」
さすがに出発したばかりでそれは無いだろうが、ノーラは何かと彼女のことが気に懸かった。
艶美な魅力を備えた女性でありながら気弱で頼りなく、どこか子供っぽい。
奴隷として捕らわれていたという不幸な身の上もあってか、つい世話を焼きたくなってしまう。
ハルの方もそんなノーラを頼りに思い、気付けば随分と親しい間柄になっていた。
そんな彼女から贈られた物をそっと日に翳す。
「きれい…」
別れ際に渡されたのは草の蔓を編んで作られた腕飾り。
財産を持たぬ奴隷の身に用意できる精一杯の贈り物だった。
中に編みこまれた金糸が朝日を受けてきらきらと輝く。
狐の髪――魔力を内包したそれは絹糸以上に価値が高い。
かの種族が人目を避けて暮らさねばならない理由でもある。
「なんだか夢みたい…狐の友達ができたなんて」
狐はその優れた容姿と魔操技術から“草原の黄金”とまで謳われる。
英雄を輩出した種族であり、その康寧は大綱により保護されている。
だが髪一本とっても高値がつく貴重さから、不埒な考えを抱く者は後を絶たない。
ここ西部大平原は最大の居住地だが、詳しい所在は領主ですら知り得ない。
出会えたこと自体が幸運といえる存在だった。
「ハルさん大丈夫かな…怖がってないかな、「ひぃ」とか言って泣いてないかな」
そう思うとますます心配になってくる。
ましてハルが付き従う主人、ダストの旅の目的を思うと…
「やっぱり…そう、なのかな」
あの人智を超越した強さを目の当たりにすれば、彼が何者なのかは凡そ察しがつく。
危険と言うには生温い、過酷な運命が待ち受けていることだろう。
「ついて行く…なんて、無理だよね」
一瞬だけ頭の中に浮かんだ考えを振り払う。
街に住む者にとって“外”への恐怖は絶対だ。
稀な力を宿すノーラとて例外ではない。
「でも一人じゃなければ…」
かつての勇者一行は英雄だけでも80名を超す大集団。
それに加えて様々な支援を請け負う者達が後に続いた。
ダストが同様の一団を形成するかは不明であるが、
「…そのうちの一人くらいにはなれるかな」
一度は否定した思い付きが再び顔を出すのを感じながらぼんやり歩く。
「あれ?」
すると彼女が向かう先、自宅である宿屋の前に人だかりができていることに気がついた。
「なんだろう?」
その多くはよく知る近所の者達だったが、
皆一様に地面に膝を突き、頭を垂れているのはどうしたことか。
その原因はすぐに判明した。
宿の前にはいかにも立派な馬車が停められ、その周囲に数名の騎士が配されている。
侍女の介添えを受け、馬車から降り立ったのは真紅の髪をした若い女性。
「わわわ…!あ、あの人は…」
当然ノーラの知己ではないが、見覚えが無いわけでもない。
むしろこの街の住人であれば誰もが知るその人は――