39 黎明
発見されたソードは石畳の上にできた水溜りの淵に転がっていた。
「げふっ…!こ、この剣はまさかっ…?!」
水溜りの真ん中に横たわるカイト氏は腹部から夥しい量の血を流している。
「ボス!?ボース!ヘイ!メディック!メディーック!!」
傍らではパシリ君が必死に止血を試みているが、その甲斐なく出血が止まる様子はない。
どうやら水溜りに見えたのは全て流れ出た血であるようだ。
「(あれが全部血…うっ)」
二重の意味でやばい状況だ。
「ヘイ!ボス!レスキュー!」
パシリ君はカイト氏の肋骨の下辺りに布を当てている。
「(あの位置は…)」
おそらく肝臓だろう。
腹パン図解で見たことがある。
だとすると非常にまずい。
確か肝臓はプチプチ切れやすいせいで縫合が難しかったはず。
すぐに医者へ連れて行っても、この世界の医療技術で治療できるかは疑問だ。
「(あっちの世界ならレーザーで処置するんだろうけど…)」
縫合が難しい傷はレーザーで焼き潰すと聞いたことがある。
レーザーか…
【例の電撃】でも使ってみようか。
要は焼けばいいんだから同じことだよね?
「(…やってみるか!)」
このまま黙って見ていても状況は変わらない。
だったら一か八かやるしかない。
【スキル:例の電撃 を――
いやいやいや、ダメだダメだ!
前に電撃でオークを消し炭にしたのを忘れたのか。
忘れてた。
でもいま思い出したからノーカンだね!
いくら記憶力がゴミクズな俺でもそうしょっちゅう忘れるなんてこと……あっ。
「(回復スキル持ってるの忘れてた?!)」
そういやさっきもルチアさんの怪我を【祈り】で治してきたばかりじゃないか。
肝臓やレーザーなど余計なことを考えていたせいですっかり頭から抜け落ちていた。
……半端な知識が裏目に出てしまったな。
異世界トリップがもたらした不幸な事故といえる。
事故といえる。
ともかく思い出したなら忘れたことにはならない。
俺の記憶力に全く問題無いことが証明された。
「おいっ!どうした!?大丈夫か!」
まるで今来たかのように何食わぬ顔で登場。
「ダストさん!?」
パシリ君は驚きに目を見張るも、すぐさま助けを求めてくる。
「ダストさんの回復スキルでボスを助けてほしいっすっす!」
「お、おう…」
俺が自分でも忘れてたスキルを瞬時に思いつくとは…こいつ天才か。
「任せろ」
急ぎカイト氏の側に駆け寄る。
ササッ!ついでにこっそりソードを回収。
「エクストラホーリーライトヒールリカバリー!」
手を翳して回復の呪文を唱える。
もちろん意味は無い。
【スキル:祈り を発動しました】
カイト氏の全身を柔らかな光が包み込む。
シュワワ…
重傷な個所、特に腹部の傷に多くの光が集まり瞬く間に癒していく。
「すぅ…」
虫の息だった呼吸も徐々に安定してきた。
どうやらなんとかなりそうで一安心。
それにしても近くで見ると本当に酷い怪我だ。
もう完全に腹に穴が開いてたもん。ビームとか出そうな大穴だよ。発射口だよ。
ビーム出ろ!
出ない。
発射口があらかた塞がったところで、辺りの様子を窺う。
俺の過失の証拠になりそうな物は徹底的に排除しておかねばならない。
「(ん?あれは…)」
暗がりの中、よく目を凝らすと有翼獅子の死骸がいくつか転がっているのに気付いた。
そのどれもが翼に槍が刺さり、地面に縫い止められるような形で絶命している。
「(あれは誰が仕留めたんだ?)」
この場に他にも誰かいたのだろうか。
パシリ君は頭がアレだからいいとして、他に目撃者がいたらまずいことになる。
「ここにいたのは君とカイト殿だけか?」
「ヘイ!そうすっす!有翼獅子に囲まれて危なかったっすっす!」
それほんとに危ねえな!?
よく生きてたもんだ…
いやカイト氏は死にかけてたけど。
「ダストさんが剣を投げてくれなかったら今頃ボスの命は無かったっすっす」
うん……?俺が?
「有翼獅子を一撃でバラバラっす!すごかったっすっす!」
パシリ君は興奮した様子で近くに散らばるゴミを指し示す。
「これは…」
よくよく見てみると、血に汚れた毛皮が散らばっているのが判った。
ソードの直撃を受けてギュルルンされた有翼獅子の成れの果てだろう。
「ボスが咬まれてすぐ剣が飛んできて…本当に驚いたっすっす」
心底感心したように俺の腰に下げたソードに視線を注ぐ。
こっそり回収したつもりがバレバレだったようだ。
…ん?ちょっと待て。
カイト氏が怪我を負ったのはソードが原因ではないの?
「カイト殿は有翼獅子にやられた…のか?」
「?もちろんそうっす。正面から挑んだボスにも問題はあったと思うけどっすっす…」
いささか残念そうな目でカイト氏を見る。
「そう…だよな」
よく考えたら有翼獅子をバラバラに引き裂くソードの直撃を受けて、ただのおっさんが原型を保っていられるはずがない。
なんだ…じゃあ俺は最初から無実だったわけか。焦って損した。
それどころかカイト氏を襲った有翼獅子を退治してみせたんだ、むしろ称賛されるべきである。謝礼を寄越すべきである。ピカピカした丸いものを10万枚ほどお気持ちとして差し出すべきである。
「ふふん、獣の一頭や二頭くらい容易いもんさ」
ここは偶然の産物であることを悟られないようビシッと決めよう。ビシッ!
「ヘイ!エクセレンッ!」
パシリ君も釣られてビシッとポーズをとる。
「ダスト、さ…ん」
雰囲気に誘われたのか、カイト氏が弱々しく呟く。
「ボス!」
「わ、はは…さ…すがは、音に聞こえし霊剣…がはっ!」
咳き込みながら必死に言葉を紡ごうとする。
「おい、無理に喋るな」
「ボス…」
傷はかなり深い所まで達していたらしく、今は腹の奥の方に癒しの光が集まっている。
樽腹がぼんやり光ってまるで提灯のよう。大概酷い感想である。
「…天より下されし恩寵、その力…間近で見られたこと、光栄の至り…」
危機は脱したとはいえまだ絶対安静なはずだが尚も喋り続ける。
「叶う…なら、ば…私も、その剣のような、男に…」
そう言って俺が腰に提げたソードに目を向ける。
その表情は透き通るように晴れやかだった。
「(剣になりたいって…いい歳したおっさんの言うことじゃないな)」
俺も小さい頃は消防車になりたいとか言っていたが、あくまで子供の頃の話だ。
今はJKの通学用自転車になりたい。
おそらく出血多量で意識が朦朧としているせいで幼少の記憶と混濁しているのだろう。
元から混濁していたような気もするけど。
「なれるさ」
まあ、ここは酔っ払いのたわ言と思って適当に話を合わせておこう。
「な、なんと…?」
俺の言葉に驚きに目を見張る。
「貴殿の示した勇気はまさしく刃のようであった」
バカに刃物とかそういう意味でね。
【スキル:詐術 を発動しました】
「おお…!おおぉっ!」
スキルの後押しもあってか、カイト氏は俺の戯言を真に受けた。
感動に打ち震えボロボロと涙をこぼす。
それに呼応するかのように提灯の光が強さを増す。
おい傷が開いてるぞ、頼むから安静にしてろよ。
「誠に本懐、なり…ぐぅ」
願いが通じたかは不明だが、満足そうに笑みを浮かべると静かに目を閉じた。
どうやら眠ったらしい。
あとは傷が癒えるのを待つだけだ。
「ゆっくり休むといい」
俺も早く帰って休みたい。
後のことはパシリ君に任せてもう帰ろう。
「ヘイ!ヘイッ!」
なんだようるさいな。
言っとくがカイト氏の運搬なら手伝わないぞ。
その辺から荷車でも借りてきて…
「ヘイ!ダストさん!何かおかしいっすっす!」
なにぃ!?俺がおかしいだとっ!
せめて「面白い人」か「ユニークな子」と言え。
どっちも「変人」の柔らかい言い方だと気付いたのはいつの頃だったか…
「光ってるっすっす!」
光る?
なんだキミは蛍だったのか。
知っているかね、蛍が光るのは求愛のためだが、たまに雄同士で呼び合ってしまうこともあるんだ。
「熱くなってるっすっすー!!」
お、おいやめろ…
そういうつもりは微塵も無いぞ。
「アッー!」
「うわっ?!」
なんだなんだ!?
ほんとに熱いぞ!
目の前にハロゲンヒーターを置いたような暑苦しさだ。
「いったい何が…あっ!」
熱源はカイト氏だった。
【祈り】によって淡く光っていた体は、今では目覆いたくなるほど眩く光を放っている。
「なんだこれは…」
いきなりの事に戸惑っていると、頭の中にメッセージが流れてきた。
【スキルの複合効果により対象に 器人変刃 が発現しました】