35 有翼獅子
気がつくと辺りは暗闇。
ぶっ倒れた時のような真っ暗ではないので、単に夜なだけらしい。
近くに人の気配を感じて振り仰ぐ。
そこには緊張した面持ちのハルが、窓の外を窺っていた。
「ハル…?」
「あっ?!主様っ!お目覚めになられたのですね!」
涙ぐんだ瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
「ああ、もう大丈夫だ」
「良かった…本当に…」
手を伸ばしてハルの頬に触れると、俺の手を包んでしっかりと握り返す。
随分と心配させてしまったようだ。
これも全部あの脳筋妄想妹狂エルフのせいだ。
今度会ったら片玉くらいは覚悟しておけよ。
「主様、お水をどうぞ」
「うん」
ハルが木杯に注いでくれた冷水を一気に呷る。
寝起きの体に冷たい水がスーッと染み入る。
2杯目を飲んでいる間、水差しを持ったハルがしきりに窓の方を気にしていた。
「…外が騒がしいようだな」
号令の様な声が飛び交い、時折混じる人の悲鳴。
――そして獣の咆哮。
「魔物か」
「はい、はい、有翼獅子が街を襲っているようです」
なんと!グリフォン!
遂にきました、ドラゴンに次ぐファンタジー定番の乗用動物!
「宿の亭主さんが地下室を開けて待ってくれています、ひとまずそこへ避難いたしましょう」
何を仰るキツネさん。
こんなチャンスを見逃すダストさんじゃありませんよ。
ゲットでもハントでもいいから、とにかく捕まえないと。
「ハルは地下室に避難していろ、俺はちょっと行ってくるから」
「そんな…!危険です!それにまだお目覚めになったばかりで、お身体の具合が…!」
大袈裟だな、ちょっとショックで死にそうになっただけじゃない。
俺が強いのは知ってるはずだけど、ぶっ倒れたことで不安になってるようだ。
「主様はわたしにとって…あっ…んむ」
落ち着かせるためにさわさわと頭を撫でてやる。
「んふ…」
途端に表情がふにゃりと緩んで、口をむにむに動かす。
この子は触ってあげると安心するみたいだ。
たぶん母親がそうしてたんだろう。
さらさらの金毛が手に心地良い。
あとで少し噛んでみよう。
「お前こそちゃんと避難していろよ?」
何よりも心配なのはハルがヒョコヒョコ付いて来ちゃうことだ。
ここは少し脅してでも言うこときかせないと。
「もし従わなかったら…捨てるぞ」
「ひぃぃっ!?そ、そそそれだけは!いやっ、嫌です!」
いやいや言って必死にすがり付いてくる。
これは逆効果だったか。
「嫌ならちゃんと留守番していろ、もしお前を失くしたら俺の帰る場所が無くなる」
「えっ、あの、あの、それは…」
「まあ、その…あれだ、お前は俺の居場所だ」
情に訴えかける作戦。
ちなみに次の手は泣き落としだから、できればこれで納得してほしいところだ。
「…はい、はい、わたしは、主様のお帰りをずっと…いつまでもお待ちしております」
「う、うん、頼んだぞ」
ちょっと効き過ぎた気もするが、とりあえずこれで安心だろう。
俺が側にいない時のハルの安全は今後の課題だな。
「では行ってくる」
「どうか、どうか、ご無事にお戻りください…」
◆◆◆
颯爽と夜の街に飛び出す。
変な意味じゃなくて。
バッサァ
白いマントを夜風に靡かせて華麗な怪盗にでもなった気分だ。
あれ?
俺マントなんて持ってたっけ。
マントっぽい布をよく見ると薄いレースの布地、
これハルを買った時に着てたスケスケ衣装だ。
どうやらあれを切って、寝ている俺に掛けていたらしい。
それをそのまま羽織って出て来ちゃったか。
ともあれ、マントを着けると飛べるような気がしてくるから不思議だ。
屋根の上をピョンピョンと飛び跳ねながら移動する。
これはマントではなくとんでもステータスのお陰だが。
「よっ、と!ここならよく見えるな」
そう思って付近で一番高い建物に登り周囲を見渡す。
…なんにも見えない。
夜だから当然そうなりますよね。
辛うじて視認できるのはあちこちに焚かれた篝火の周囲のみ。
そこを槍を持った兵士が走り回っている。
時折それを黒い影が横切りなぎ倒していく。
どうやらアレが有翼獅子みたいだな。
ガオッ!
想像していた鷲頭のそれと違って顔はライオンだ。
っていうかそのまんま羽根の生えたライオン。
道理で夜目が利くわけだ。
ようやく放たれ始めた矢もあっさり躱され、虚しく暗闇に吸い込まれていく。
敵は闇に身を隠した空飛ぶ魔物。
こちらからは姿が見えず、逆にあっちからは丸見え。
状況はあまり良くない。
このまま放っておいて街に大きな被害が出たらここでのニート生活は難しくなる。
俺が多大な努力を払い手に入れた生活基盤をあのライオンもどきは壊そうとしている。
「(許すわけにはいかない…!)」
具体的に何を頑張ったかはちょっと思い出せないが、それだけたくさんの苦労を積み重ねてきた証だろう。
幸いにも今は夜、【投擲】に加えて【闇夜の狙撃手】の効果も発揮される。
適当に石を投げるだけでグェー!とか言って逃げいてくはずだ。
乗り物用に一頭捕えたら残りは追い払ってしまおう。
そうと決まればさっそく近くに飛んできた一頭に狙いを定める。
篝火に突っ込んで呻いてるあいつだ。
グェー!
どうも有翼獅子は火の側に人がいることを知っているらしい。
「(だからって火そのものに突撃しちゃダメだろうに…)」
ちょっとバカな個体かもしれないが、その方が扱い易くていいだろう。
バカのくせに扱い難いのは俺だけでたくさんだ。
ガフッ
バタバタと転げ回って火を消したところで再び飛び立とうとする。
そこへすかさずとび付いてガッチリホールド。
「そりゃ!捕まえた!」
ガオー!
ガオーじゃないよ、大人しくしろ。
「あっ、こらっ!」
有翼獅子は俺をしがみ付かせたまま空に舞い上がり、上下に激しく飛び回って振り落とそうとする。
ガクガクガク
「(うげぇ、気持ち悪い…)」
おまけに臭い、獣臭い。
ゴワゴワしててベトベトしてて臭い。
しかも少し焦げていて更に臭い。
あぁ…ハルのさらさら金毛が恋しい、噛みたい。
ピョン
んっ?
なんだ、虫…?
あ!?ノミだ!
こいつ汚い上にノミまで飼ってやがる!
焼け出されて俺を次の住処にしようというのか、毛皮の奥から次々と跳び出して来る。
「ふざけんな!潰れろ!」
バシィッ
24万6800パワーの全力張り手をお見舞いする。
グベァッ
「あっ」
やっちゃった。
ノミと一緒に有翼獅子まで叩き潰しちゃった。
「うわっ!?なんだ!」
「肉片が降ってきたぞ!」
下にいた兵士さん達にミンチシャワーが降り注ぐ、ごめんね。
一頭目は見事失敗。
次はもっと慎重に狙いを定めよう。
できれば仔ライオンの方が懐き易くていいと思うんだけど、
よく考えたら飛べる時点で既に成体だよな。
なんかもう面倒になったね。
面倒といえば、ライオンなんか捕まえて誰が面倒見るんだよ。
俺?馬鹿いうな。
自分の面倒も見られないのにライオンの世話なんかできるか。
かといってハルに任せるのは危険だし、その分俺のお世話が疎かになる。
てかあいつらどう見ても肉食だろ?
俺もお肉好きだから食性が被ってる。
するとお腹いっぱい食べられるのは俺かライオンのどちらか一方だけになる。
なんてこった!つまり敵じゃないか!
ライオンは敵!ニートの敵だ!
ころせー!
【スキル:謎の光 を発動しました】
グオッ!?
ガファッ
グェー!
暗闇のあちこちから怯えたような咆哮が上がる。
今さら焦っても遅い。
俺のお肉を奪おうとした罪は重い。
シャラン
もう追い払うくらいでは許さぬ、鞘からソードを抜き放つ。
石ころではなくソードを全力投擲、確実に殺しにかかる。
「そこっ!」
と言いつつ適当に投げる。
ビュッ
鋭い音を立て夜の闇を裂いて銀色の刃が飛翔する。
ギャッ
危険を察した何頭かが慌てて回避を試みるも、
【投擲】と【闇夜の狙撃手】の効果が乗ったソードからは逃れられない。
ッビャッ
ソードは分厚い獣の皮を突き破り、確実にその心臓を貫く。
ギュルルン
トドメとばかりに高速で回転し、五体をバラバラに引き裂いた。
すげえ!
ただの石ころとは比べ物にならない威力だ。
「おや?」
ソードは有翼獅子を引き裂いても勢いを減じず、そのままの勢いで飛び続ける。
向かっているのは比較的建物の密集した商業区画、その先に有翼獅子の姿は無い。
あ…これまずいかも。
非常に嫌な予感がする。
もしソードの落下先に人がいたら……
「やばっ!」
すぐさまソードを回収すべく全速力で駆け出す。
24万6800パワーで投げられたソードと24万6800で駆ける俺。
単純に考えれば同じ速さだが、俺は建物の壁を蹴ってその都度加速できる。
その甲斐あってか、僅かな光を反射するソードが徐々に近付いてくる。
「(…人がいる!)」
嫌な予感というのは本当によく当たるもので、落ちていく先に人影が見える。
このままだと直撃コースだ。
「危ないっ!避けろ!!」
叫んでみるが無駄だった。
全力疾走する俺のスピードは音よりも速い、声を追い抜いてソードに迫る。
間に合う!あと少しだ!
届けっ!
グッ
硬い物に手が触れる。
「(掴んだ!)」
ブワン
「間に合った!」
「くっ、ぇ…?」
ん……?
何かがおかしい。
俺はさっきまで空中にいたはずなのに、今はどこかの建物の上に立っている。
周囲には白い煙がモクモクと立ちこめ、視界はきわめて悪い。
すぐ近くに人がいるのか、微かな息遣いが聴こえる。
それとは別に正面から荒い吐息と獣の臭気が漂ってくる。
ガヒャア!
煙の切れ目から視界に映ったのは大口を開けた有翼獅子。
掴んでいたのはソードではなく、そいつの牙だった。
うわっ!ばっちい!
ブンッ
たまらず、牙を掴んだまま力任せに放り投げる。
ガヒャァーーーー…………
スキルの効果が乗っていたのか、思ったより遠くに飛んでいった。
あれだけの重量物でも投擲の対象になるのか。
今度カイト氏でも投げてみようか…あれ?何か忘れてるような。
「まさか…そんな…」
宇宙の果てにも匹敵するかと思われる記憶の深淵を探っていると、背後から人の声がした。
振り返ると、そこには一人の女性が驚愕と苦悶の表情を浮かべて座り込んでいた。
どうもさっきの有翼獅子に襲われたらしく、体中のあちこちに大小の傷を負っている。
ボロボロに切り裂かれてはいるが、立派な革鎧を身に着けていることから騎士か兵士だろう。
夜目に判るほど鮮やかな赤い髪が印象的な綺麗な人だ。
いや、この赤ポニテはどう見ても…
「ルチ…」
【スキル:ヒーロー推参 が発動しました】
【速 の数値が一定値を超えたため転移しました】
【魔 の数値が一定値を超えたため特殊効果:スモーク が発生しました】
頭の中に初めて見る三連メッセージが流れてきた。