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給与額がそのままレベルに反映されたら最強っぽくなった  作者: (独)妄想支援センター
Ⅱ.最初の街での怜悧な立ち回り そして商人相手の鮮やかなネゴシエーション
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28 子爵邸

 西日を浴びて橙色に染まる子爵邸。

 その正門前でロレンスは本日5度目となる掃き掃除をしていた。


 本来なら家令である彼がするような仕事ではない。

 しかし謹慎を命じられた彼がどうしてもと願い出たことであった。

 いつあの方が訪れてもいいようにと、これまで培った全てを注ぎ込んで只管に掃き清めた。


 事の発端は一昨日、彼は不埒者と判じた男をいつものように排除しようとした。

 一度も仕損じた事の無い暗器の針は、だが彼の胸ポケットから自慢の髭と共に出てきた。


 実力も実績もある彼だが、その男──ダストは遥か上を易々と超えてみせた。

 髭を毟るという屈辱的な行為を、当人にさえ気付かれることなくやってのけたのだ。


 圧倒的な力の差。

 ダストが本気になれば自身の命など、この塵よりも簡単に消し飛んでしまう。

 それに気付いた時は全身に悪寒が奔ったものだ。


 更に隊商を襲ったオークの群れ、そして双頭魔狼オルトロスの討伐。

 これらが事実であることは隊商に参加した者全員の証言からも明らかである。 


 偵察に赴いた騎士も確かに双頭魔狼の屍骸を確認している。


 ダストは紛うことなき強者である。

 にもかかわらず、彼は金も地位も、あるいは何がしかの便宜も。一切の対価を求めず立ち去った。

 よもや当代にこれ程の気高さと力を備えた英傑が存在しようとは。


 ルチアは彼が勇者であると言う。

 同様のことをカイトも狂ったように主張している。


 ――勇者


 魔王復活が噂される今の世で、その名が持つ意味は非常に重い。


 だがダストの存在を知った今、それもあながち的外れとは言えなかった。

 少なくとも、過去の偉大な英雄達に並ぶ存在であることは間違いないだろう。


 それに害意を持って接したロレンスの行為は、子爵家が恩を仇で返したに等しい。

 今後如何なる災異に見舞われようとも、メルメル子爵領は彼の英傑の庇護を受けることが叶わぬやもしれない。


 測りようもない損失である。


 その責を取るべく、ロレンスは自ら頭を丸め(・・・・)、謹慎を受け容れた。

 いざとなれば首を差し出すことも考慮し、役目はそのままに留め置かれたが。


「せめてルチア様にだけはお怒りが向けられぬよう…」


 子爵の娘であるルチアは、あの日以来自室で塞ぎ込んでいる。

 幼い頃から勇者と英雄の物語に憧れ、剣の鍛錬に励んできた。

 彼女がダストにどんな想いを抱いているかなど、言うまでもないことだ。


 それを知るだけに、何もせずにはいられなかったのだ。





 ルチアはあれからずっと自室に篭っていた。

 

「私は、どうしたら…」


 出来ることなら今すぐダストを追いかけて申し開きをしたい。

 だが、自分にはその資格が無い。


 あろうことか勇者を金で雇うと言い、更には体を使って篭絡しようとした。


「なんてことだ…これではまるで悪女の所業ではないか」


 幾分自虐が過ぎる見方だが、夢見ていた勇者との出会いとはあまりにかけ離れた現実に、思考はどんどん悪い方へ流されていく。


 焦燥感に駆られ、眠ることもできず、いたずらに精神をすり減らしていた。




「うっ…ん?」


 その日の午後、ようやく手繰り寄せた浅い眠りが、中庭から響く喧騒により覚まされる。


「せいっ!せやっ!」


 カイトの声だ。


 木片を振りまわしながら駆け回る、これもあの日から生じた変化の一つ。

 紛れもない奇行であるが、彼の職務能力は健在であった為、子爵も扱いを決めかねている。


 しかし、いい歳をした男の行動としては明らかに異常だ。


「(――本当にそうだろうか?)」


 カイトは道すがら、最も多くの時間をダストと過ごした。

 もしや彼から何らかの力を授けられ、既に英雄への道を歩み始めているのではないか。


 考えてみればその可能性があってもおかしくはない。

 一切の報酬を蹴って立ち去ったダストだが、カイトからの礼はすんなり受け取ったという。


 自分との違いがあるとすれば、カイトはゴブリンに囲まれても戦う姿勢を崩さなかった点だ。

 その勇気は英雄に足る資格といってもよい。


「あっ、商人で英雄…確かここに」


 ふと思い出して本棚から一巻の本を取り出す。


 英雄シリーズ第55巻「ウンテンシュサン」


 ウンテンシュサンは勇者の旅を陰ながら支える行商人であった。


 大所帯の勇者達にとって物資の欠乏は致命的だ。

 ウンテンシュサンは生命線である荷を守るべく奮闘し、その活躍をもって英雄として迎えられた。

 馬上での戦いに卓越し、聖騎士として歴史に名を残している。


「英雄に出自は関係ない、か」


 勇者は身分、種族を問わず志を同じくする者全てを受け入れた。

 その中には改心した魔物でさえ名を連ねている。


「…そうか、そうだった!」


 過ちを悔い、心を入れ替えた者は勇者と共に在ることを許される。

 ならば自分にもまだ釈明の機会は残されているのではないか。

 

 ましてダストは精神的に成熟した大人の男性である。

 少年だったキタミヒカルより大きな器を備えていることは疑いようが無い。


「でも私から許しを請うことはできない…」


 それは許されない。

 だがもし、彼がもう一度姿を見せてくれたのなら。

 今までの非礼を心から詫び、自身の全てを捧げる誓いを立てよう。


「せえいやぁー!」


 先程まで耳障りだった中庭の喧騒が、今では勇壮な調べに聴こえた。 





「はぁ…」


 ユリーカは廊下を歩きながら溜め息をつく。

 気分は晴れない、原因はもちろんルチアのことだ。


 もう丸一日以上も塞ぎ込み、ロクに食事も摂っていない。

 これでは旅の疲れも癒えることなく、身体を壊してしまうだろう。


 せめてもう一度ダストに会うことができれば、何らかの変化を期待できるのだが。

 果たしてそれは可能なのだろうか。


 彼は約束された報酬を受け取らずに立ち去った。

 これはつまり、金にも女にも靡かないということだ。


「ご立派な方です…本当に」


 個人的には大いに魅力に感じるが、今はそれが裏目に出ている。


 一体彼は何を望み、何を欲しているのか。

 知らないことが多すぎる。


「カイトさんが何か知っているといいのですが」


 一行の中で最もダストと話す機会が多かったのがカイトだ。

 男性同士であれば、女には言い難い欲求や願望も口にしているかもしれない。


 もっとも、カイトがあの調子ではまともな回答が期待できるかは疑問だが。


 ともあれ、何もせず見ているわけにはいかないと、

 カイト達メッシ商会が利用する一画へと足を運ぶ。



 だが彼女はそこで、情報などより余程価値あるものに遭遇した。


「あっ…」

「ん?」


 吸い込まれるような漆黒の髪に、見るほどに惹かれてゆく神秘的な面立ち。

 見間違えようもない、ダスト本人だ。


「ダスト様!?いらしておいででしたか!」

「ああ、ユリーカちゃ…さん」


「!」


 彼の声を聞いた途端、鼓動がはね上がる。

 

 名を呼ばれた――たったそれだけのことだ。

 だが思い返してみると、これが初めてではなかったか。


 気付いた時にはもう隠しようがないほど頬は赤く染まり、

 心臓は相手に聴こえてしまうのではないかと思えるくらい、煩く早鐘を打っている。


「(ダメ…!抑えて、今はもっと大事なことがある)」


 それでも彼女は自分の役目を忘れることは無かった。


「ぁ…あ!す、すぐにルチア様をお呼びして参りますね!」


 これ以上この場に留まってはおかしくなってしまいそうだった。

 半ば逃げるように、早足でルチアの部屋へ向かった。





「んふっふふふ~♪」


 ルチアはベッドに腰掛けて読書に興じていた。

 先程までの陰鬱な雰囲気とはうって変わって上機嫌だ。


 読んでいるのは英雄シリーズ第1巻「アキノセンセイ」、昔から一番のお気に入りだ。


 勇者のもとに真っ先に馳せ参じ、終生彼を支え続けた彼女は他の英雄と一線を画す存在である。


 強い英雄ならば他にもいる、例えば弟のピーチャンがそれだ。 

 彼は戦いの中で成長し、最終的には勇者に次ぐ力を備えていたとされる。

 にも関わらず、旅の中盤以降はめっきり活躍の機会が減っている。


 これは、勇者が彼にアキノセンセイの身の安全を第一とするよう命じたからだとされている。

 アキノセンセイは勇者にとって最愛の女性であり、弱点と成り得る存在だったからだ。


 その切っ掛けとも言えるのが、今読んでいる「大怪虫」の章に描かれた出来事だ。



 ――魔王リーチの居城“ジャンボ”

 

 それは無数の巨大な虫の魔物「大怪虫」に牽引され、世界の空を我が物顔で飛び回っていた。


 勇者達は魔城を地に落とすべく、大怪虫の供給源である巣を叩くことになる。

 その時、自ら囮となって虫に攫われ、巣の位置を突き止めたのがアキノセンセイだ。

 大怪虫がヒト種の雌を苗床とする習性を利用した危険な役目であった。 


 アキノセンセイの柔肌に虫の毒牙が突き立てられる寸前、霧の中から現れた勇者が窮地の彼女を救い出した。

 これ以降、二人は互いを異性として強く意識するようになり、やがて結ばれることになる。



「ふー…やっぱり何度読んでも素敵だなぁ」


 恍惚とした表情でゆっくりと息を吐き出す。

 淀んでいた懊悩が霧散していくようだ。


 薄暗い洞穴に吹き込む清廉な空気。

 この世ならざる霧は、勇者が放った何らかのスキルであったとされる。

 しかしルチアはこれを愛の奇跡だと信じていた。


「私もいつかダスト様に……あ!いけない!私がダスト様をお助けして差し上げるんだ!」

「ルチア様!」


「そ、それで、もし、もしもだよ?望みなんか聞かれちゃったりしたら、け、け、結こ…」

「ルチア様!戻ってきてください」


「…!ユリーカ…いつから居たんだ」 

「そんなことはどうでもいいんです、それより急いでください!ダスト様がお見えです」

「ちっとも良くな……え?ええっ?!」

「ダスト様がいらしてるんです、お会いになりたくないんですか?」

「もちろん会いたい!あ…でもこんな格好じゃ、髪だって…」

「お手伝いしますから、さあ早く」

「う、うん、わかった!」



◇◆



 ルチアが身支度を整えた頃には結構な時間が過ぎていた。

 令嬢のそれと考えれば破格の短さではあるが、今は少しでも時間が惜しい。


「わっ!」

「足元にお気をつけください、裾を踏まないように」


 落ち着いた群青色のドレスが、着慣れぬ身にはもどかしい。


「いいですか、開けますよ?」

「う、うん」


 部屋の前で息を整え、意を決して扉を開く。


「だ、ダスト様、ごきげんうるわひゅう!」

「(大丈夫ですルチア様、落ち着いてください)」


 緊張で声が上擦る。

 とっさに手を握ってくれるユリーカの存在がとても頼もしい。


「……?」


 しかし部屋の中にダストの姿は無い。

 見るまでもなく分かる、あの圧倒的な存在感を感じられないのだ。


「せいりゃー!」

「ヘイヘーイ!」


 室内ではカイトとパーシーが雄叫びを上げながらソファーの上で飛び跳ね、

 ロレンスが床に倒れ伏して呻いている。


「うぅ…まさか私が一方的に…本当にこの二人はどうしてしまったんだ…」


「せいうぉー!おや、ルチア様にユリーカさん。どうされました?」

 

 何事も無かったかのように話し掛けてくるカイトに軽い恐怖を覚える。

 できればロレンスに事情を訊きたいところだが、ひどく落ち込んでいてまともに話せそうにない。


「ダスト様はどちらに…」

「帰られました」


 入室した時から嫌な予感はしていたが、またしてもこの展開だった。

 ドレス姿のままガックリと床に崩れ落ちてしまう。


「どおしてひきとめてくれなかった!どうし…っひ、自分ばっかり…!」


 涙目になりながら詰問するも、この男からまともな回答が得られるとは思っていなかった。


「ダストさんは仲間を助けに行くのです!引き止めていいはずがありません」


 思っていなかったが、これまた聞き捨てなら無いことを口にした。


「ぇ、ええっ!?な、仲間?」


「そうだカイト殿!先程も言っていたその仲間とは誰のことなんだ?」


 ロレンスがむくりと起き上がり疑問を口にする。

 それはルチアも非常に気になるところである。


「タカシさんです」

「タカシサン?その人がダスト様の仲間なの?」

「私が初めて会った時、二人は一緒にいました」

「そんな話聞いてない!」

「言ってませんでした」

「くぅ…!」


 早くも頭痛がしてくる。

 やはりこの男が英雄であるとは到底思えない、何かの間違いだ。


「…ならいま話して、そのタカシサンはどんな方なの」

「強い方ですな。ゴブリンを素手で一撃でしたぞ、すげえ!」


 ゴブリンは決して強い魔物ではないが、だからといって素手で倒せる相手でもない。

 ならばそのタカシサンは相当な手練れに違いない。

 ダストと共に戦えるくらいには…


「ですが戦いの最中に空を飛ぶ魔物に攫われてしまいましてな。

 ダストさんは心配ないと言っていたので、きっと囮役を務めたのでしょう」


「囮って…まさかそれは…」


 どこかで聞いたような話に冷や汗が流れる。


「年の頃はルチア様と同じくらいですかな。

 ダストさんと同じ黒い髪で、キレイな顔立ちをしていましたよ」


 ドサッ


「?」


 何かが倒れる音。


「あ!ル、ルチア様!しっかりしてください、お気を確かに!」

「…わわわ、私はもうだめだ…ダスト様の隣に置いていただくなど最初から無理だったんだ…」

「まだもう片方が空いています!それに隣がダメなら後ろでも!」

「ユリーカ、そこにはお前が置いてもらってくれ。私は尼になって遠くからダスト様のご武運を祈念しているから」

「そんなのダメです!ルチア様が一緒でないなら私は行きません!」

「頼むユリーカ、私の最後の願いをどうか聞き届けてほしい…」


「(これはまずいですね…)」


 話に聞くタカシサンの立ち位置はまるきりアキノセンセイのそれと重なる。

 ルチアが望んで止まない場所が既に他の女性に埋められている。


 ユリーカとて平静ではいられないのだから、ルチアの受けた衝撃は相当なものだろう。 

 応急処置を間違えれば取り返しのつかない傷を負うかもしれない。


「カイトさんも何か言ってあげてください」

「では私は御者を務めましょう!微力ながら、戦いでは馬を駆って参じます!」

「そうではなくて!」


 カイトを当てにしたのが間違いだった。

 これでは余計にルチアの傷を抉ってしまう。

 

「カイトはタカシサン様と親しいのだな…?なら一緒に行って差し上げるといい。私はダメだけど…」

「ふむ、タカシさんは礼儀正しく人当たりの良い方ですからな、誰とでも仲良くなれますとも」

「それは……素敵な方だな、ダスト様に相応しい女性、だ…」


 絞り出すようなルチアの声は、そのまま消え入ってしまいそうなくらい弱々しい。


「はて?タカシさんは男ですよ」


 だからだろう、その言葉を理解するのに幾許かの時を要した。


「…………ぇ?」

「ほら!ルチア様!タカシサン様は男性だそうですよ!」


「ほ、本当に…?」

「ええ、初めて会った時は兄弟かと思いました。違うそうですが」


「良かったですねルチア様!」

「うん…よかった、よかったぁぁ…」


 再び力が抜けてしまうルチアだが、先程までの悲壮感は無く、安堵した表情だ。

 これならあとは十分な休養さえ摂れば普段の彼女に戻れるだろう。


「さあ、ルチア様、ドレスのまま座り込んではいけません。着替えてお食事にしましょう」

「あ…うん、そうだな。そうしよう、安心したらお腹が空いた」

 

 場の空気が弛む。

 だが、その一方でこれから戦いに赴く男がいることを忘れてはならない。


 ダストの強さなら万一のことも無いだろうが、それでもユリーカは彼の無事を祈らずにはいられない。

 彼女達にとっていろいろな意味で掛け替えのない存在なのだから。


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