21 宿
夕暮れの街を駆け抜ける一陣の風――
その名も『黄昏の……』あー…うん。
大きなお屋敷に恐れをなし逃げ出した俺は、高級住宅地を抜けて商業区画に入っていた。
この辺もまだまだ大きな建物が多い。
ほらっ!あのレンガ造りの建物なんて予防接種会場そっくりじゃないか!
幼少期に刻まれた恐怖が身体を突き動かし、商業区も華麗にスルーする。
さて、そろそろ今夜の宿を探さないとな。
街に来た以上は宿をとってベッドでゆっくり休みたい。
というか街中で野宿したら社会的にまずい。
それはもうニートではない別の何かになってしまう。
とはいえ宿の場所も泊まり方も何にもわからない。
誰か知ってそうな人に尋ねてみよう。
ここで「どうせならかわいい女の子に!」とか考えるのは思考回路が変な繋がり方してる人だけ。
こういった場合、人は無意識に自分に近い相手を選ぶものらしい。
俺の場合だと2X歳前後の穏やかであまり声の大きくない非イケメンのお一人様。
それでいてコミュ障ではなく、事務的に対応してくれそうなクールでナイスなガイ。
う~ん……なんか条件厳しすぎない?
俺がいかに希少な存在であるかあらためてよくわかる。
手厚く保護すべき。
「(ん?あの人は…)」
ふと、露店で買い物をしている男に目がいく。
買い求めているのは綿だ、でっかい綿の塊。
あんな物を何に使うのか…
ここでティンときた。
独身男が大量の綿を買い込む目的といえば――
それは空気嫁に詰める以外考えられない。
あの確かな量感は中身が空気では決して味わえない感触だ。
つまり彼は俺の同類、友よ!
「友よ!…じゃない、ちょっとよろしいですか?」
「はい、なんでしょう」
意を決して話しかけると、男は至って平坦な口調でそれに応じる。
笑顔でこそないが特に嫌そうなわけでもない。
まるでコンビニ店員みたいなビジネスライクな対応だ。いいねぇ!
「実はこの街に来るのは初めてなのですが、宿を取るにはどうしたら良いでしょう?」
自分の口ではないかのようにスイスイと言葉が出てくる。
この人は間違いなく、俺にとって“大丈夫な人”だ。
「なるほど、それでしたらモコモコ丸の看板が出ているのが宿屋ですよ」
「モコモコ丸?」
なんだよモコモコ丸って…マニュアルにちゃんと説明しろって書いてなかったか。
「ええ、モコモコ丸です」
聞き返してもオウム返しするだけで説明が無い。
どうもこの世界では誰もが知っている当たり前の物らしい。
「(あ…もしかしてファンタジー生物か)」
あり得る。
確かに異世界にしては何か物足りないとは感じていた。
馬も普通にただの馬だったし。
ここいらで不思議でかわいいマスコットが欲しいと思っていない。
名前からすると綿毛にちっこい手足が生えていて、
空中をフワフワ漂う生き物に違いない。
なるほど、いかにもなマスコットだ。
「いいですよね、モコモコ丸」
「おおっ!ですよね!ですよね?」
なんか急にフレンドリーになったぞ。
そんなにモコモコ丸ってのは可愛いのか、期待が高まるわね。
「え~っと…あ!ほら、あれですよあの看板」
男が指し示した方を見てみれば、確かに動物を模った鉄細工の看板が掛かっている。
「あれがモコモコ丸?」
「あれがモコモコ丸です!」
…どう見ても羊なんだけど。
なるほど、この世界では羊のことをモコモコ丸と呼ぶのか。
ファンタジー生物じゃなくてがっかりだ。
【スキル:鑑定 を発動しました】
〔看板〕
品質:中
効果:なし
価格:金貨1枚 銀貨3枚
備考:羊を模った鉄細工の看板
宿屋の共通標識
おい、普通に「羊」って出たぞ。
どういうこと?
「かわいいですよね…モコモコ丸」
男はうっとりした顔で綿の塊を抱きしめる。
「(お前の造語かよ!)」
俺はこんな奴を自分に近い人間だなんて認めない。
「そ、そうですね。どうもご親切にありがとうございました」
「はぁ…モコモコ」
トリップしたまま戻ってこない男に適当に礼を言って立ち去る。
まったく、いきなり変人とエンカウントで気分が台無しだ。
「ふぅ…」思わず深い溜め息が出る。
◆
「ん…?」
気付くと俺は見慣れない石造りの建物の中にいた。
足元には複雑な模様が描かれ、淡い光を放っている。
これってまさか…
「…異世界召喚魔法陣だ」
なんてこった!
また別の世界に来てしまったというのか?!
「あのー、大丈夫ですか?」
するといま話しかけてきた奴が召喚師か。
お約束の銀髪美少女ではなく、ごく普通の男だ。
「どこなんだここは…」
「ここはユイツの街、西区三番地ですよ」
召喚師の説明ではこの世界はユイツノマチという…
「…ユイツの街?」
「ええ、メルメル子爵領唯一の街です」
男をよく観察してみると…さっき宿の取り方を訊ねた人じゃん。
トリップしていたのは俺の方でした。
「すみません、ちょっと疲れていて」
「そのようですね…今日は早くお休みになった方がいいですよ。
そうだ、これを差し上げますのでお使いください」
そう言って例の綿の塊を手渡された。
正直いらな…いや、シーツにでも包んで使えばそれなりに感触は得られるかも。
「これは大変結構な物を…」
なんていい人だろう。
頭の中で勝手に変人に仕立ててごめんなさい。
「宿でしたらこの先の『ホロホロ亭』が清潔でオススメですよ。
モコモコ丸の看板が出ているのですぐわかると思います」
「ではその宿へ行ってみます、どうもご親切にありがとうございました」
…モコモコ丸?
◆
教わった通りに行ってみると木造二階の建物が見えてきた。
羊の看板が下がっているので宿屋で間違いないだろう。
羊だよな。
「いらっしゃいませ~!」
中に入ると小柄な女の子が元気良くお出迎えしてくれる。
「らっしゃい」
カウンターの奥から厳つい親父が申し訳程度にご挨拶。
あんたはどうでもいい。
【スキル:鑑定 を発動しました】
名前:ノーラ
種族:人間
性別:女
年齢:14
LV: 20
HP*2 40
MP*0 0
力*1 20
技*1 20
守*1 20
速*2 40
賢*1 20
魔*0 0
お出迎えしてくれた子はノーラちゃんというらしい。
ステータスも変わったところの無い、ごく普通の町娘。
くるくる動く度に緩い三つ編みにした濃紺の髪がぱたぱたと揺れる。
濃紺…ノーコンか、きっとこの子も野球嫌いに違いない。
俺とは気が合いそうだ。
というわけで勝手にお気に入りに登録、ブックマーク。
ブックマークお願いします。
もしこんな可愛い子が姪だったら給料の1割と2割と3割と4割くらいお小遣いに注ぎ込んじゃうかもしれない。
「お食事ですか?お泊りですか?」
意訳すると「ご飯にしますか?それともワ・タ・シ?」
お風呂は無いのかな?
そういえばユリーカちゃんはもうお風呂に入っただろうか。
さすがにイカ臭全開のままお屋敷をうろついたら怒られるだろうな。
クリーンなユリーカちゃんは俺的に不満ポイントが一個も無いから機を見て会いに行きたいところだ。
あ、でもお屋敷に入るのは無理だから出てきたところを尾行して人気の無い所で声を掛けよう。
それってなんか…
「あの~…お客さん?」
おっといけね、つい複雑怪奇な思考の罠に嵌ってしまった。
ノーラちゃんが怪訝な顔でこっちを見ているぞ、やべえ。
「宿泊を頼みたい」
かわいい姪に嫌われたら生きていけない。
ダンディーモードをON (にしたつもり)でかっこよく答える。
「はーい、お泊りだけなら一泊銀貨3枚。お食事付きで銀貨5枚でーす」
一泊飯付きで5000円か、よくわからんけどそんなもんだろう。
飯が食えるのはありがたい、なんせこっちに来てからまともに食べてないもんな。
「食事付きで、とりあえず一泊」
「ありがとうございまーす!お部屋は二階突き当たりです、こちらが鍵です」
俺の手を握り込むように鍵を手渡してくる。
どうやら無意識にボディタッチしちゃう子らしい。
勘違いした非モテ男に言い寄られたりしないか心配だ。
ノーラちゃんは俺のことが好きなんだからそういうの止めてほしい(勘違い)
それより案内はしてくれないのか。
お部屋で二人の将来について語り合おうと思ったのに。
まあいいか、それよりお腹空いたな。
「すぐ食事にしたいのだが」
「あ、じゃあお席でお待ちください!すぐ用意しますから」
宿の料理に自信があるのか、ノーラちゃんは嬉しそうな顔で厨房に駆け込んでいく。
どうやらまともな食事が期待できそうだ。
「(ねねっ!お父さん!あのお客さんのご飯わたしに作らせてよ!)」
「(お前まさか…またアレを作るつもりじゃ…)」
「(もちろん!だってホラ、あの人すっごく疲れてそうだもん。きっとバッチリ効くよ!)」
「(いや、しかし…アレは)」
「(はい決まり!ほらほら厨房かして!)」
なんだかとってもハッピーの予感。
姪の手料理とか、この為に生まれてきたと言っても過言ではない。
小さかったあの子が今やすっかり若妻見習い。
そういえばお嫁さんになってくれる約束覚えてるかな。
時効?そんなものはない。
内縁でも全然おっけーです。
だってここ異世界だし姪とだって普通に結婚でき、あれ、ここ異世界、姪?
名前なんだっけ姪、とし子…違ったかなユリ子、はヘルパーさんのなまえでおれはごみくずで……やばい、思考が混濁してきてる。なにこれ、もしかして幻惑の魔法とか?幻惑…あ、もしかしてサキュバスちゃん?おーいサキュバスちゃんそこにいるのー?迎えに来てくれたんだね俺はここだぜ一足遅かったな、だってもう姪と結婚しちゃったもんねぇへらえへえへえへえへ…
「お待たせしましたー!薬草とレバーの疲労回復スープです!」
わーい姪ごはんでたー!
おや?なんだか緑色のドロッとしたお汁だわね。
これは青汁かなぁ?うんうん青い汁だねぇ、しるしるチューチューしるズズッ…ぶへっ!
「不味いっ!!?」
「えっ?」
「何の処理もされていない草のペーストが青臭い!青臭くて不味い!
臭み消しどころか血抜きもされていないレバーのコマ切れが鉄臭い!鉄臭くて不味い!
とにかく臭い!不味い!臭くて不味い!ひどい」
「あっ、えっ、あの…」
ちくしょー!俺が何をしたっていうんだ!
この世界は俺にまともな食事をさせない呪いでもかけているのか。
ならば俺は世界を相手にだって戦ってやるぞ!
ワールドスレイヤーとか名乗っちゃうぞ。
ソードでバシバシやっつけちゃう、ぞ…?
呪い…?ソード…?
まさか…
「食事はもういい、部屋に行く」
よく考えたらこのヒーローソードはイケ高君の遺品だ。
俺のあいつに対する怨念が篭っていても不思議ではない。
…ん?それって原因は俺……じゃない!
イケ高が悪い!全部あいつのせいだ!
こうなれば徹底的に調べてやる。
もし悪いモノだったらロマンス執事の枕元に置いてきちゃおう。
「…あの、すみませんわたし、体にいいものをと思って、でも…」
しょんぼりしたノーラちゃんが何かごにょごにょ言ってる。
いま忙しいので、そういう話は親としてください。
「次からは自分で味見を…いや、親父に味をみてもらうといい」
「…はい、そうします。本当にすみませんでした」
何度も謝るノーラちゃんを見て親父が驚いた顔をしている。
きっと普段闊達な彼女にとって非常に珍しいことなんだろう。
よもや味見役を振られて慄いているわけではないだろう。
「気にすることはない、見よう見まねでは上手くいかなくて当然だ」
「えっ」
パッと顔を上げて真っ直ぐこちらを見つめてくる。
こういうストレートな視線も勘違いの原因になる。
親父はもっと危機感をもって指導すべき。
「きちんと指導を仰いだ上でまた挑戦すればいいさ。
まして子供ならもっと親を頼ってもいいと思うぞ、味見とか」
親父が真っ青な顔になって震えだす。
「そうですね…そうですよね!ありがとうございます!」
対してノーラちゃんは元気を取り戻したようで、拳をぐっと握り締める。
どうせなら俺のも握り締めてほしい。
とりあえずノーラちゃんへのフォローはこんなもんかな。
親父が犠牲になった気もするが仕方の無いことだ、諦めてくれ。
「……」
恨みがましい視線を無視し、ひらひらと手を振って部屋へ向かった。
◆
「鑑定!」
両手をパンッと合わせてスキルを発動、こんな動作必要無いけど。
【スキル:鑑定 を発動しました】
〔謎の剣〕
鑑定不可
…あやしい。
絶対何かある。
よし、今夜さっそくロマンス執事の枕元に置いてこよう。
ついでに股間に水をかけておねしょ偽造もしてやろう。
俺は根に持つタイプなんでな。フフフ…
そうと決まれば一眠りして夜が更けるのを待…
コンコン
きゃあ!キツネ?!
ではなくドアをノックする音。
違います!違うんですまだ何もしてません。
いえ、これからやるわけでもなくてですね、その…
「少しいいか?」
ななななんだ宿の親父かよ、驚かせるなハゲ!
「いや、今はちょっと…」
ってかダメだよ、何で親父が来るんだよ。
決戦前夜イベントでパーティーの男メンバーが来ちゃったがっかり感だよ。
「代わりの食事を持って来たんだが」
「どうぞお入りください」
これぞ光速手の平返し。
ライトニング・ハンド・リターン・トゥ・マイハートなんとか。
「すまない、娘が迷惑をかけた」
「まったくだ」
親父の謝罪を寛大に受け入れる俺はなんと器の大きい男だろう。
決して根に持ったりなんかしない。
「本当なら俺が言わなきゃいけないことだった」
あ、でもなんか話をするつもりっぽいな。
それより早く飯くれよ。
「あいつの料理が無茶苦茶なのは分かってたんだ、でも手伝ってくれるのが嬉しくてな…ずっと言えなかった」
まあ、あの料理の第一印象は“臭い”だもんな。青臭くて鉄臭い。
まさか女の子に向かって臭いとは言えないだろう。
俺もユリーカちゃんにちゃんと言えなかった、秘めた想いを告白できなかった。
あれ?今なんかドキッとしたぞ。
「アレな、レバーはともかく薬草はどうやっても料理には使えないと思うぞ」
まさか薬草があんなに苦いものだとは知らなかった。
今まで一気食いさせてたゲームキャラ達に謝りたい。
「そうなんだ、でもあいつなりに客の体調を考えてると思うとなかなか言い難くてな」
「…なるほど」
ノーラちゃんなりに客に元気になってもらおうと考えていたのか。
でも子供の発想だよな、いいと思う物とりあえず全部突っ込んでみましたって。
他の客は何も言わなかったんだろうか?
さっきも俺の他に食事をしている客がいたはずだけど。
…まさか「ノーラちゃんかわいいからメシマズでも許しちゃう」な人達だったのか?
おい親父、そっちも気をつけておけよ。あと早く飯くれ。
「続けさせるつもりならしっかり指導するんだな」
「もちろんそのつもりだ、少なくともこれからは食材以外を料理には使わせないさ」
薬草は食材ですらないのかよ!
さすがに止めろよ。早く飯くれよ。
そういえば疲労回復なら門番さんが出してくれたチビ豆はどうだろう?
素朴だけど味は悪くなかったぞ。
「チビ豆なんかは使えないのか?」
「あれか、確かに疲労には効くがな。集めるのが手間な上に幻覚作用があるからな…」
「げ、幻覚ぅ?!」
それ毒じゃねえか!
あのクソ門番めとんでもないもの飲ませやがって!
おねしょ偽造の刑確定だ!今夜行くからな、早く寝ろよな!
「幻覚といっても軽いものだがな、それに薬草を飲めばすぐに収まる。
どこかの村では薬草と一緒に煎じて飲むそうだ」
「なんだ、そうだったのか」
ははぁ…門番くんはそのどこかの村出身なんだな。
悪意があったわけではないようだ。
しかしうっかり薬草を入れ忘れたのは許せぬ。
やはり今夜忍び込んでおねしょ偽造を――
いや、待て。
そういえばあの後、門番と女兵士はどうなっただろうか。
もっと具体的に言うとあの二人は今夜ナニをするだろう。
…ダメだな。
今夜行ったら絶対に腹の立つモノを見るはめになる。
思わず【謎の光】発動で覗いてるのバレちゃうまである。
しょうがない、今回だけは慈悲深い心で許してやろう。クソッ!
「今回のことはいい切っ掛けになった、ありがとう」
「娘とよく話してみることだ」
どうせそのうち口を利いてくれなくなるんだから。
「そうするよ、邪魔して悪かったな」
どうやら親父の話も終わりらしい。
早く飯くれよ。
そうだ…その前にひとつ確認しておかないと。
「ところで親父、手は洗ったか?」
「手?ああ、もちろんだ。衛生には特に気をつけているぞ」
「それならいいんだ」
「食を扱う者の基本…なるほど、これも教えておかないとな」
グッド!グレイト!パーフェクト!
それこそ俺がこの世界の食事に求めている一番のものだ。
「それより早く飯くれよ」
おっと、とうとう口に出てしまったか。
「おお、すまない。ここに置く、皿は後で取りに来るから」
そう言うと親父は料理を置いて出て行った。
取りに来るのはノーラちゃんにしてほしい、できれば深夜に。
「さて食べるか」
ようやく念願のまともな食事にありつける。
内容は堅くないパンとチーズが二切れ。
メインは芋とベーコンのシチューのようだ。
香草が効いているのか、湯気とともに良い香りがただよってくる。
匙ですくって一口すすると…
「…美味い」
感動で涙が滲み出る。
安心して口にできる食事がこんなにありがたいものだったなんて。
衛生は当たり前にあるものではないと、異世界に来てしみじみ感じた。
うん?…そういえばちゃんと普通に食事できたじゃないか。
「…メシマズの呪いなんて無かったんだ」
どうやら世界を相手に戦わずに済みそうだ、命拾いしたな世界。
腹が満たされたことで気持ちも穏やかになる。
そういえばチビ豆のせいでラリった思考もいつの間にかクリアになっている。
薬草の効果があったのかもしれない、ノーラちゃんのおかげだ。
やっぱり俺のこと好きなんだ、今夜が楽しみだぜ。
その後、親父が食器を下げに来たせいで、いくぶん機嫌が降下した。