18 天声
楚々とした侍女さんに手を引かれゆっくりと歩く、気分は要介護老人。
いつもすまないねぇユリ子さん。
少し前をルチアさんが歩きながら、時折こちらをチラチラ見ている。
なんだろう、気になるな。変顔でもしてやろうかしら。
さて門を抜けるとそこは雪国でもなく夢の国でもなく――草原の延長でした。
疎らに兵舎兼砦みたいな建物が建っているだけであとはほぼ草地。
街は中心部に向かってなだらかに傾斜している。
小高い丘を取り囲むように建設されているようだ。
遠くにはもう一重壁があって、そこから奥が市街地になっているらしい。
都市の割りに狭苦しさは無く、全体に低い建物がゆったりと配置されている。
中世の城郭都市よりは古代の都市国家に近いかもしれない。
よく知らないけど。
ぼけっと眺めていると不意にユリーカちゃんに繋いだおててを指でトントンと叩かれる。
何かしら、離せってことかな?
だめよ!介護放棄は許しません!
あなたは私を扶養する義務があります。
で、なんでだろう?
「ダスト様」
「ん?」
ユリーカちゃんに促され、視線を追っていくと見計らったようにルチアさんが振り返った。
赤ポニテがくるっと弧を描いてまるで花が咲いたみたい。まあ可憐だわ。
「ようこそユイツの街へ!」
両手を広げてウェルカムするように言った。
街なんかよりその胸に飛び込みたい。
どうやらユリーカちゃんとタイミングを図ってたらしい。
「上手くいった!」と言わんばかりの嬉しそうなドヤ顔だ。
領主の娘としては街を自慢したい気持ちもあるんだろう。
う~ん…でもニューヨーク在住だった俺からするとド田舎もいいところなんだが、
まさかそんなこと言えないよな。
もちろんニューヨークなんか行ったことないけど。
「広い街だな」
無難に見たままの感想を漏らす。
無駄に広い、という意味もあるのだが、ルチアさんは肯定的に受け取ったらしい。
「ありがとうございます!ユイツはメルメル子爵領で唯一の都市ですので」
いまちょっと聞き捨てならないことを言ったぞ。
「近くに他の街は無いのか?」
「え…?えぇ、領内ではここだけですが…」
俺の問いにルチアさんが戸惑った様子を見せる。
領内に街が一個だけなのを今さら恥ずかしく思ったのかしら。
「そ、その分多くの機能が集中していますから!ご不便はかけない、かと…」
なにやら慌て出すルチアさんだが、俺的にも少し困ったことになった。
もしこの街でニートデビューに失敗したらどうなる。
他の街へ移らなければならないが、それは他の領地へ行かなければ無いという。
そうなればせっかくのヒロイン候補1号2号とお別れしなければならない。
「(おい待て、2号ってなんだよ。当然ルチアさんが1号だよな?)」
「(ふざけんな、ユリーカちゃんの方が絶対扶養能力高いだろ。ルチアさんはその次でいい)」
「(先に妊娠した方が1号だ!これだけは譲れない)」
どっちが2号かで脳内議員が騒ぎ出す。
「(静粛に!)」
議長が裁判長が持つみたいな木槌をガンガン叩く。
お前が一番うるさい件についてはどう思われますか。
ともかくルチユリゲットを諦めたくなければ、この街で絶対にヘマするわけにはいかない。
今まで以上に慎重な行動が求められる。
「(今まで慎重に行動してきたっけ?)」
「(静粛に!)」
◇◆
街へ入り、すぐお屋敷に向かうのかと思ったら、例の兵舎兼砦みたいな所に通された。
どうやらここでお迎えが来るのを待つらしい。
「よ、よろしければどうぞ…」
「ありがたい」
ここ西門の守備隊に、一人だけいるという女兵士さんがお茶を汲んでくれる。
なんでもあのガクブル門番の縁者だとか。
「(俺のご機嫌を取ろうってわけか)」
意図がわかり易すぎるので、ますます同情心が強くなる。
既に掴まり立ちできるまでに成長した。
「そう固くならずとも、何もするつもりはない」
なのでもちろん手を出したりはしない。
単に度胸が無いとかそんなことはない。
俺はやる時はやる男だって友達に言われたことがある。
宿題見せてやった時だが。
「で、ですがそれではブル兄…いえ、従兄弟のしたご無礼の償いが…」
なるほど、この子は門番さんの従姉妹なのか。
身を挺して守ろうとするあたりな~んか怪しいな。
…やっぱりご馳走になっちゃおうかしら。
「そうだな…」
ルチユリと比べると華やかさには欠けるが、素朴な見た目は安心感を与えてくれる。
「この程度なら嫁に来てくれるかも?」と期待させるものを持っている。
「…貧相ではございますが、未だ手入らずですので…お楽しみはいただけるかと」
そう言ってそっと胸当てを外す。
「ま、待て!」
「はい?」
いきなりの展開に思わず制止してしまう。
ど、ど、どうするんだよこの状況?!
「権力を笠に着て嫌がる相手とする時の作法」なんて習ってないぞ!
高等教育で教えるべきだ、実習付きで。
まずは出してもらったお茶を飲んで落ち着こう。
ズズッ
うん、うまい。
絶食続きの腹に染み渡る。
お茶というよりは炒り豆を食べてるみたいな味がする。
なんていうお茶だろう?
【スキル:鑑定 を発動しました】
〔豆湯〕
品質:やや高
効果:疲労緩和
価格:非売品
備考:草原に自生するチビ豆を炒ったもの
門番さんが非番の時にせっせと集めた
「(精一杯の心尽くし…か)」
やはり一時の欲望に任せて人の情を失くしてはいけない。
まして勤め人の悲哀を知る俺が真面目に仕事をしてる門番さんに酷い真似をしていいわけがない。
俺の心は決まった。
「そこの戸を開けてもらえるか」
「えっ!?で、ですが…」
俺に指示された女兵士が明らかに狼狽の色を見せる。
なぜかと言えば…
「いいから」
「は、はいっ!」
ゴロン
「うわっ!?」
外で門番さんが聞き耳を立てていたからだ。
「も、申し訳ございません!申し訳ございません!」
転がり込むようにして室内に入る形になり、
そのまま頭を床につけて必死に謝り始める。
――土下座だ。
ついに同情心に羽が生えて飛び始める。
「どうか頭を上げてくれ」
「なりません!この上更にご無礼を重ねるわけには参りません!」
「ではそのままで聞いて欲しい。
まず最初に言っておくが、貴方には何の罪も無い」
「…はっ?」
「えっ!?」
門番さんと女兵士が二人同時にこちらを向く。
「職務に精励することは誉められこそすれ、咎められるものではないからだ」
【スキル:詐術 を発動しました】
ここでスキルのサポートが入る。
心にも無いことを言っている証拠だ。
「貴方の働きぶりからは街を守りたいという意志を強く感じた。
どうかこれからもその在り様を失くさないでもらいたい」
この街の規模だと働かない人間を養う余裕はあまり無いだろう。
俺以外のニートが入り込まないようしっかり見張っていてほしい。
「へ、へぇ!ぁざ、ありがとうごぜえますだ!おら…おら!頑張りますだ」
あちゃー地が出ちゃってる。
できる門番の面影はどこにも無い、ただの村人だわこれ。
「良かったねブル兄!あたしも手伝うからね!」
そんな門番さんに寄り添う女兵士。
俺の同情心は瞬く間に地に墜ち、二度と動くことはなかった。
後の大総監――在りし日の門兵、
立身出世の手本とされた彼は、事ある毎にこう語っている。
「あの方のお言葉が自分をここまで導いてくださった」
“あの方”とは誰か?などと問う愚か者はこの街に、いや世界のどこにも存在しない。
偉大な救世主は関わる者全てに多大な影響を残していった。