17 門
朝ですよ。
昨夜はあれ以降狼っぽい獣の遠吠えは聞こえてこなかった。
カラスみたいな鳥も騒いでいない。
どうやら上手くやれたみたいだ。
「お、おい!」
「んっ?あ!ダ、ダスト様おはようございます!」
「え?はい、おはようさんです…」
にしては皆の態度が余所余所しいというか、
なんか拝んでる人までいる気がするんだけど…
「おはようございますダストさん!マジすげえ!」
「ヘイ!ボス!」
うん、気のせいだな。
さて、朝食はまたユリーカちゃんのお手製だろうか。
昨夜は知らなかったから食べられたけど、今回はそうはいかない。
こちとら衛生上問題のある食品を口にできるほど図太くはない。
かといって無理に食べて目の前で吐いたら完全にフラグが消滅する。
「どうしたものか…」
かっこよく吐く方法を考え始めた頃、出発のお声が掛かった。
「は、はひっ!お館様に火急のご報告有りとのことに存知まふっ!」
ガチガチに緊張した若い商人さんから訳を聞く。
どうやら一刻も早く街へ帰りたい事情があるらしい。
「なるほど、承知したと伝えてくれ」
「ひ、失礼いたひまふぁ…!」
安心したようなガッカリしたような。
水龍の舞い(かっこいい吐き方)をしなくて済んだのは幸いだが、
さすがにずっと食事抜きは堪えるな…
早いとこ街に行きたいもんだ。
◇
すっかり元気を失くした俺は馬車の屋根に座って去り行く草原を眺めていた。
今日のうちに街へ到着できるらしいので、見納めのつもりでここに陣取ったわけだが、
揺れる馬車のそれも屋根の上に座り込んでいれば当然のごとく落ちる。
その度に急いで這い上がり何事も無かったかのように振舞う。
24万6800スピードでやっているので誰にも気付かれていないはずだ。
本日何度目かの落下、守も24万6800あるのおかげでダメージは全く無い。
「(でもいい加減、這い上がるのが面倒になってきたな)」
走った方が速いことに気付いたのはそれから7回落ちた後だった。
◇
ぼちぼち日が傾き始める頃、一行は街に到着した。
予想に反して街は草原のド真ん中に造られていた。
見納めだとか感傷的になって損した。落ち損だ。
街を囲む壁の高さは2メートル程と、さして高いわけではないがカバーしてる範囲がすごく広い。
遠くからでも見えてはいたが、近くで見ると中々に壮観だ。
卒業旅行で行った万里の長城を思い出す。行ったこと無いけど。
周囲は相変わらず何も無いただの草原。
この街だけが切り取られたみたいに別世界を形作っている。
箱庭のような小世界。
中々にニート心をくすぐるぜ。
「ダストさんのお陰で無事街に帰り着けましたっすっす!」
え?いま喋ったの誰?
「本当に!ゴブリンにオークに双頭魔狼と、
三度も助けてもらいましたからね。マジすげえ!」
「ヘイ!ボス!」
あ、パシリ君だったのね。
「ヘイ!ボス!」以外にも喋れたのか。
「あの程度ならどうということはない」
所詮は数が多いだけの雑魚モンスターだからな。
っていうか最後の双頭魔狼って何だよ、知らねえよ。
そんな怖そうなのに出くわしたらダッシュで逃げるわ。餌(カイト氏)を置いて。
「さあ参りましょう!」
「ヘイ!ボス!」
門の前には入出門待ちの人の列――この時間だと入門する人の方が圧倒的に多い。
夜の草原は狼っぽい獣パラダイスだもん当然だよな。
出て行く人はたぶんあれだ。
えー…知らん。
「はい結構です、次の方ー」
槍を持った兵士が出入りする人から金属の札みたいな物を検めている。
たぶんあれが身分証なんだろう。
……え?俺はどうするんだ?
そんな物持ってないぞ。
あ!もしかしていつの間にか持っているパターンか?
本当の天国へだって行けちゃう切符みたいに。
ポケットを探ってみる、ガムが一枚出てきた。
「(…これを袖の下にしてなんとか)」
無理だな。
どーするんだよー!
ここまで来て野宿とか絶対嫌だぞ!?
ルチアさんもまさか俺が身分証不携帯の不審人物だとは思ってないだろう。
修行の旅をしてるとか言っちゃったし、きっとフリーパスみたいなの持ってると思われてるに違いない。
なんてこった…このままでは寡黙でダンディーなベテラン魔物ハンターのイメージが崩れてしまう。
俺が住所不定無職の自称プロニートだと知れたら今までの努力が水の泡だ。
まずい、非常にまずいぞ…
「ん?ちょっとよろしいですか」
きゃあ!門番さんが声を掛けてきた!
もうおしまいだ、俺はこのまま野ニートになるしかねえ…
「なにかな」
答えられずに黙っていたら、代わりにカイト氏が応じてくれた。
すげえ!救世主かと思った!
この時ほどカイト氏を頼もしく感じたことは無い。
おりゃ!どうだ下っ端め、この堂々たる樽腹が目に入らぬか!
恐れ多くも領主直営商会の会頭様だぞ!偉いんだぞ!
「行きよりも馬車の数が減っているようですが…いかがされましたか」
「それなら問題無い。急ぎ戻る必要があったので不要な荷は置いてきたのだ」
「左様でしたか、では後ほど回収の手配をいたします」
「うむ、ありがたい」
ふぅ…驚かせやがって、馬車の数なんかどうでもいいだろうが。
下っ端のくせに真面目に仕事なんかするな、給料増えるわけじゃねえぞ。
「ところでその男は何者ですか」
ぎゃあ!油断させておいて不意打ちとは卑怯なり!
しかも口ぶりからして明らかに不審者に思われてる!
実際不審者だからこの門番は優秀だな。
残念無念、俺はこのまま野に帰るしかないのか…
「その方なら問題無い、当家の大切なお客人だ」
草になったつもりで黙っていたら、いつの間にか近くに来てたルチアさんが口添えしてくれた。
すげえ!女神かと思った!
この時ほどルチアさんを神々しく感じたことは無い。
おりゃ!どうだ下っ端め、この魅惑の赤ポニテが目に入らぬか!
恐れ多くも領主のご息女様だぞ!偉いんだぞ!
「へゃ!失礼いたしましたぁ!」
ありゃ、門番さんてば恐縮して声が上擦っちゃったわ。
その姿に俺の怒りは急速に萎み、
かわりに同情心がオギャーっと芽生える。
…勤め人は辛いよね、わかるよ。
「ダスト様、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。
ここからは先触れを出しますので今回だけはどうかご容赦下さい」
頭を下げて謝るルチアさん。
赤ポニテが一緒にひょいと下がって可愛らしい。さわさわしたい。
首に巻きつけて遊んでいるうちにうっかり窒息死したい。
天国行きの切符はここにあったんだ。
「あぁ…」
しかしどうしてルチアさんは俺に対してこんな低姿勢なんだろう。
俺ってば、そんなキレやすい子に見えるんだろうか?
思い当たる節といえばオークを一瞬で皆殺しにしたくらいだけど……あっ。
「構わない、こちらこそ出入りを妨げて申し訳ないことをした」
一応、変な印象を払拭する努力はしてみよう。
「!…やはり!やはり、やはり!貴方様は…!
……あ、失礼いたしました。寛大な御言葉を賜り誠にありがとうございます」
喜色を滲ませながら、再び深く頭を下げる。
ポニテの先っぽが地面の草に触れている。
あの草あとで食べよう。
「ぉ、わ…」
ルチアさんの低頭平身ぶりに門番さんがガクガク震えだす。
その姿に俺の中に芽生えた同情心が成長してハイハイを始める。
…わかる、わかりますよ。
「(…あれ?)」
頭を下げたままのルチアさん。
ガクガクしている門番さん。
シャドーボクシングをしているカイト氏。
もしかして今が鑑定のチャンスじゃないか?
よ、よ~し!
見てやる、見てやるぞ!
【スキル:鑑定 を発動しました】
名前:ルチア・‡・メルメル
種族:人間
性別:女
年齢:18
LV: 37
HP*2 :74
MP*1 :37
力*1 :37
技*2 :74
守*1 :37
速*2 :74
賢*2 :74
魔*2 :74
でたー!
ルチアさんの個人データみーちゃったー!
「人間」で「女」、当たり前だけどこうして見るとすごく興奮する。
同種の雌、つまり身体の構造上は生殖可能な相手ということだ。
生殖行為までもっていけるかはまた別だが…
歳は18か。
俺が2Xだからy離れてることになるのか。
グラフで表すと…まあいいや。
レベルは37と、護衛の騎士よりは低いが一般の商人よりは高い。
(騎士は40代、商人は20~30くらいだった)
やっぱり多少は鍛えているんだろうね。
鍛えている=締まりが良い、と考えるのは正常な思考。
ところで【鑑定】の結果は対象を見ている間しか表示されない。
今の俺はルチアさんを凝視している状態だ。
さすがにこれだけじっくり見ていると、向こうも何事かと思って顔を上げてくる。
「?」
キョトンとして目をぱちぱちさせているルチアさんはマジかわいい。
できることなら世界の終わりまで見つめていたい。
けどこれ以上は不審に思われるな。
次からは物陰からこっそり見るようにしよう。
そっちの方が不審な気もするが。
そういう意味では前方で門番さんに話をしているユリーカちゃんがベストポジションじゃないかしら。
おっしゃ、続けて鑑定しちゃいましょうかね。
楽園の扉はフルオープンですわよ。
【スキル:鑑定 を発動しました】
名前:ユリーカ
種族:人間
性別:女
年齢:19
LV: 25
HP*2 :50
MP*1 :25
力*1 :25
技*1 :25
守*1 :25
速*1 :25
賢*2 :50
魔*0 :0
ほいきた!「人間」「女」!
ユリーカちゃんとも子作りできるね!やったね!
歳はルチアさんの1コ上、お姉さんだ。
主従で年長年少逆なのいいよね。
きっと子供の頃はそのへんいろいろあったに違いない。
姓は無し、ただのユリーカだ。
まあ俺と同じ姓になるんだから問題ない。
五味…じゃなかったスター。
ユリーカ・スター、あれ…?なんかあんまり良くないぞ。
レベルはごく普通。
魔力がゼロだけどこれは騎士達も同様だった。
商人は全員鑑定したわけではないが、おそらく魔力を持たない人の方が多いんだろう。
俺の魔力987200は相当な規格外のようだ。
…もしかして種馬やるだけで生活できたりしない?
魔力が子供に遺伝するのかは不明だが、
それは実験によって証明すればいいこと。
つまり魔力の無い女性との間に子を設け、その子の魔力を測ればよい。
というわけでユリーカ君、協力してくれたまえ。
にこっ
…?げっ!こっち見てる!?
気付かれてた!
どうやらターゲットBは勘が良いらしい。
今後のストーキングには十分な注意が必要だな。
「ダスト様、こちらでございます」
案内してくれるつもりなのか、近寄って来て手を取ろうとする。
だが待ってほしい、その手は昨日から洗ってないのではなくて?
そう思ったらつい体ごとずらして避けてしまった。
さすがに露骨すぎたかな?
「っ!…申し訳ございません」
明らかな拒絶を受けて、ビクリと身を引っ込める。
そして、ああ…見る間に表情が曇ってゆく。
春の陽光のような笑顔があっという間にレイニーブルー。
人が曇る瞬間を初めて見てしまった。感動した!
そもそも何でユリーカちゃんは俺の手を取ろうと思ったんだ?
俺のことが、す、好き…とか?
いやぁ~!まいったな~!…なわけないか。
すると考えられるのは、これが正式なおもてなしの作法であるという線。
火星の観光案内さんも舟に乗る際「お手をどうぞ」ってしてくれるもんな。
あれが目当ての男って結構いると思う。ボクはしょうらい火星にいきたいです!
だとしたら悪いことしちゃったぞ。
ユリーカちゃんはただ職務を果たそうとしていただけなのに…それもなんか悲しいが、
ともかく業務妨害甚だしい真似をしてしまった。失敗した。
だが失敗はその後のフォローの方が大切だ。
この場合は彼女に職務を遂行させてあげることで埋め合わせできるはず。
「すまない、つい癖でな…あらためて案内願えるか」
スッと手を差し出して仲直りのお申し入れ。
もし叩かれたりしたら立ち直れない、しぬ。
果たしてユリーカちゃんは、その手を――
「はいっ!私でよろしければ喜んで務めさせていただきます!」
取ってくれた!
しかも出会ってから初めて見せる満面の笑みで、だ!
「ありがたい、よろしく頼むよ」
是非とも人生の水先案内人になってもらいたい。
(意訳:一生養ってください)
「あーーっ!」
手を握り合う俺達を見てルチアさんが大きな声を出す。
驚きを隠そうともしない表情でお口をぱくぱくさせている。
まあラブリーな金魚さんね、餌をあげてみようかしら。
ほ~らミミズですよ~。お食べなさいブランブラ~ン……
なんてやったら一発アウトだよね。やらないよ。やりたいよ。
しかし何をそんなに驚いているんだろう?
ちゃんと作法に従って侍女さんに案内してもらおうと……
そうか……作法か。
もしかして差し出す手が左右逆だったのかもしれない。
俺が出したのは右手、つまるところアレを握る手だ。
なるほど、それを女性に差し出してしまったわけだからとんでもないマナー違反だな。
お嬢様的にこれは許されませんわね。
すぐに手を解こうとするも、俺のシコリティハンドはしっかりユリーカちゃんに握られている。
ハンドシェイクされている、ついでに上下にシェイクして欲しい。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや…なんでもない」
なるほど、客に恥をかかせまいとする侍女流のパーフェクト気遣いか。
妖精さんがフィンガーボールで水浴びしちゃっても、その水を迷い無く飲み干すくらいの器の大きさだ。
その水だったら俺も飲みたいけど。
「ぁ~…そんなぁ」
つい騒ぎ立てちゃうルチアさんはまだ心構えが足りないな。
次こそは妖精ドリンクを一滴残らず飲み干すとよい。
そんな感じでユリーカちゃんにしっかりと手を引かれて、
健康で文化的なシティ・ニートへの第一歩を踏み出した。