11 ルチア
メルメル子爵家は西部大平原一帯の守護を司る領主である。
領地は広大だが地味に乏しく、中央の諸貴族に比べて家勢は劣る。
ルチア・‡・メルメルはこの家の次女として生まれ、今年で18になる。
朝焼けを写し取ったかのような鮮やかな真紅の髪。
端整だがやや下がり気味の目元が柔らかな印象を与える、見目麗しい女性だ。
幼い頃より武芸に励み、貴族の令嬢としては些かたおやかさに欠ける。
だが中央の庇護が届かぬ辺境では力は何よりも尊ばれる。
父の子爵はこれを是とし、そんなルチアを溺愛していた。
一般に女性の結婚適齢期は、ある高名な女性に倣って25歳とされている。
もちろん安全とは言い難い環境にあっては実際の結婚年齢はもう少し下がる。
とはいえ命の危機からは縁遠い貴族の娘であるルチアは、まだまだ自由が許される年頃であった。
自由といっても奔放な振る舞いは無く、むしろ慎ましやかな態度は誰の目にも好ましく映っていた。
「困窮する村々に物資を送り届けたい」
だからそう言い出した時、周囲へ与えた戸惑いは大きかった。
昨今の魔物の増大と強大化に伴い、流通の滞っている村々を見かねての言なのだろうが、
領主の娘である彼女が直々に出向くなどまともな発想ではない。
人の生活圏を一歩離れれば、そこはもう魔物が跋扈する危険な土地。
敢えてそこへ踏み出すのは命知らずの冒険者か、千金を夢見る商人。
あるいはそれを狙う盗賊くらいのものである。
そんな所へ令嬢率いる物資を満載した隊商を放り込んだらどうなるか、火を見るよりも明らかだ。
当然ながら子爵は大反対し、何とか思い留まらせようと説得を試みた。
ところが話をするうちルチアの熱意に中てられ、逆に彼女を支持する側に回ってしまった。
これが此度の隊商が敢行された顛末である。
◇
村々の物資不足は予想以上に深刻で、隊商は歓喜をもって迎えられた。
「必ずまた来る、子爵家は決してあなた達を見捨てたりはしないから」
感涙に咽ぶ村人達に見送られ、一路帰途へ着いた。
――その途上、隊商は魔物に遭遇した。
「このっ!」
ミチッ
護衛の騎士が放った斬撃は分厚い皮膚に阻まれ、致命傷には至らない。
ブギャッ!
逆に手負いとなったことで魔物は益々気が荒くなり、太い腕を目茶目茶に振り回す。
「うわっ!」
「一旦距離を取れ!こいつらは頭の出来は良くないぞ」
騎士と相対するのは緑色の体表を持つ直立した豚の魔物。
ご存知オークである。
女を襲う危険な魔物だが、草原に棲む緑オークは、洞穴を住処とする黒オークと違い単独での生活を好む。
基本的に単体で現れるため、武器を扱える者が数名いれば対処可能な魔物だった。
ところが現在一行が遭遇したのは30匹を超える緑オークの群れ。
通常ならあり得ない異常行動だ。
ブゴッ!
「ぐあっ?!」
回り込んだ別のオークが背後から騎士の脚を蹴り折る。
ドサッ
そして男には興味が無いとばかりに打ち捨てる。
オーク達の目当てはその奥にある馬車にあった。
「襲ってきているのはオークなのですね?」
「あぁ、それがどういうわけか異様に数が多い」
中ではルチアと侍女のユリーカが息を潜めていた。
若い女が二人、オークからすれば垂涎ものの獲物だ。
「そう…ですか」
ユリーカの身体ははっきり判るほど震えている。
無理もない。
オークに襲われた女性がどんな目に遭うかは聞き及んでいる。
まして武芸の心得のあるルチアとは違い、ユリーカには抵抗する術すら無い。
彼女の胸中を想うとルチアは居た堪れなくなる。
自分の我侭に付き従ってくれた侍女。
もし彼女がいなければ、子爵とてルチアを隊商へは行かせなかっただろう。
いかに信頼できる家臣とて、男達の中にたった一人若い女を放り込むなどできはしない。
ユリーカはルチアの想いを酌み、危険を承知で自ら同行を申し出てくれたのだ。
そうでなくとも幼少より親しく接してきた気の置けない相手。
ルチアにとって単なる侍女以上の存在だった。
「(せめて…)」
彼女だけは無事に帰してやりたい。
剣の柄に手を触れ、逃がす算段をしているとふと声が掛かる。
「…相手がオークなら私でもお役に立てますね」
小さくともはっきりとした声でユリーカが呟く。
その言葉の意味を図りかねているうちに、ユリーカは馬車の扉に手をかける。
「待て、ユリーカ、何をするつもりだ」
振り向いたその顔には透明な笑みが浮かんでいた。
「大丈夫です、耐えられます、耐えてみせますから」
でも、と続ける。
「もし…もし私の声が聴こえても、決して振り返らないでください」
言い終えると、止める間もなく外へ駆け出してしまう。
彼女の意図は言うまでも無く自らが囮となってルチアを逃がすこと。
「待て!待って!そんな、嫌だ…!」
大切な者が失われる恐怖に危険も忘れて思わず声を上げる。
「ユリーカ!行かないで!」
その悲痛な叫びに応えたのは――
ズムッ
天より来たる衝撃だった。