とある転生少女の話(タイプ2)
異世界転生。
それは、ある種の勇者譚でしばしば見られる設定。古くは神仏の生まれ変わりとして描かれ、近年の作品では、凡人が死後、異世界で違う人生を歩むための仕掛けとなる。そのすべてが英雄的とはいえないが、よくも悪くも非凡な人生となる仕掛け。それが異世界転生という設定である。
今夜は、そうしたひとつのケースについて語ろうと思う。
彼女の名はサエ。
転生者といっても色々である。サエの場合で言えば、彼女に個人的な『前世』の記憶はほとんどなかった。
これが何を意味するかというと、あまりに現世とかけ離れた情報は、たとえ覚えていても理解できない、活用できないという事になる。剣と魔法のファンタジー世界の人間に地球のコンピュータ・エンジニアリングは理解できないだろうし、また、できても意味がない。その知識を活かすべき電子計算機がまだその時代には存在しないし、概念としても理解するのは難しい。似たものが身の回りの世界にないからだ。
しかし、それでもなお役立つ知識も存在した。主に自然科学に属するものが多かったが。
サエは、摩擦によりパチパチする現象を、静電気が発生していると理解できた。
サエは、炎の色と温度の関係を知っていた。
サエはゼロの概念を持ち、掛け算の九九を駆使して簡単な四則計算なら一発でできた。
現代日本人なら、個人的な記憶以前に当たり前に知っている事。だがそれは、異世界においては当たり前ではなかった。
うっかりその知識の一端を披露しかけたサエだったが、周囲にその話が広がる前にその噂を止める事ができた。
「ねえミーシャ。それは内緒にして、ね?」
「どうして?」
「どうしても。でないと私、すごく困るの」
「……」
「ね?」
「……うん、わかったー」
「ありがとう、ミーシャ」
にぱぁ、と微笑む澄んだ瞳に、サエは罪悪感がグサグサ突き刺さるのを感じつつもしっかり釘をさした。
(あぶない、あぶない)
ミーシャはお隣の幼なじみ。ちょっとくすんだブロンドにブラウンの瞳の娘。
サエと違って普通の村の子なのだけど、まるで姉妹のように育った特別な存在だった。
どうやら、サエの言葉をきちんと受け止め、内緒にしてくれたようだ。
とはいえ、冷や汗を止める事はできなかった。
(ミーシャでよかった。他の子だったら大変な事になってたよ)
「ねえサエ」
「なに、ミーシャ?」
「まほうもひみつ?」
「え、ミーシャ、なんのこと?」
「サエ、まほうつかえるでしょ……まほうもひみつ?」
「なんで知ってるの……う、うん、まほうもひみつ、ひみつだけど」
「うん、わかった」
にぱぁ、と笑うミーシャ。
全く動じていないミーシャを不思議に思い、サエはふと質問してみたのだけど。
すると、驚くべき事がミーシャの口から告げられた。
なんとミーシャは結構前から、サエがこっそり魔法を試しているのも知っていたというのだ。
しかし、それを大人たちにすら「ひみつ」にしている事すら理解しており、ならばと自分も知らぬふりをしていたのだという。
「……」
サエは思わず、呆然としてしまった。
ちなみにこの時点で、二人はまだ幼女である。
前世の情報なんて代物を持っているサエと違い、ミーシャは普通の女の子のはず。
正真正銘のちびっこに余計な気まで使わせてしまった事を、しかも本人の口から告げられてしまった。
(最低。何がチートよ、どんだけおバカよ私!)
サエは自分の迂闊さを内心、全力で罵倒した。
「ごめんねミーシャ、へんな気回させちゃって」
「?」
しっかり気を遣いながら、気遣いやら気を回すという表現は知らないらしい。
妙なところで歳相応なミーシャに苦笑した。
サエはこの時、ミーシャを対等の友として見る事を心に誓った。
サエは慎重に、だけど知識や技術は貪欲に伸ばし続けた。
たとえば魔法。
「ミーシャ、退屈じゃない?」
「ううん、面白い。でもすごいねえ。かみなりって魔法でできるんだ」
「できるよ。でも、雷がどうしてできるのかって知識がないと無理だけどね」
「そうなの?なんで?」
「雷魔法っていうのがないからだよ」
「そうなの?じゃあ、サエはどうして雷が出せるの?」
「雷の正体は神罰でも何でもないんだよ。電気っていうもので、主に雷雲の中で作られる自然現象なの」
「……そうなんだ。じゃあサエは」
「そう。雷雲の中でどうやって雷ができるかを考えて、それを魔法で真似してるんだよ」
「すごいねえ」
「あはは、ただ知ってるだけだよ。凄いのは知識であって、私じゃないよ」
これはミーシャの方が正しい。この世界の誰も知らないはずの事をサエは知っている、この意義は決して小さくない。
伝統だけで伝えられてきた魔法。それはサエは何も知らぬまま、概念レベルから、ゼロから作りなおそうとしていた。
今の時代、魔法は師匠から弟子に伝えられるのが当たり前となっており、新しいものは作られていないし、それが当たり前となっている。サエのような考えは間違いなく大問題であり、通常は育つ前に潰される事すらあった。
しかし独学のサエにそんなもの関係ない。ただ実直に、そして論理的に研究を重ね、自分なりの魔法を編み出していった。
現実的、論理的なサエの方法は、もともと高かったサエの能力を凄まじい勢いで伸ばす事にもなった。もはや魔力だけでも王都の宮廷魔術師たちすら及ばないほどだが、それだけではすまなかった。
雷の例でわかるように、用法などの面でもサエは突き抜けていった。
この世界では、高度な呪文などが必要な魔法は少ないし、あったとしてもそういうシステマチックな魔法は単独で使うものではない事が多い。最も重要なのはイメージなわけで、ゆえに、細かい制御や魔力の節約に目をつむれば完全独学でもOK。
十の歳に達する頃には、サエはおそるべき魔法使いに成長していた。……ただひとつの計算外を除けば。
「サエちゃん、これもやっぱりヒミツ?」
「その方がいいと思う。突然人さらいに売られて遠い街に連れていかれたりしたくなければ……」
「うんわかった、絶対言わない」
なんと、サエとは違うがミーシャも魔法の才能を持っていた。しかも、ありえないほど超強力な。
田舎に強い魔法使いがいないのは、単に才能に乏しいだけではない。まわりに強い魔法使いがいないせいだという。
つまり、近隣に魔法使いの少ない田舎では、強い魔力に触れるチャンスも少ない。サエたちのいるような田舎では魔物や動物よけの防護柵を作るから魔法自体は結構身近なのだけど、他人を目覚めさせるにはもっと桁外れの……そう、宮廷魔道士になるほどの強い魔力の持ち主でないと無理だという。
そんな強い魔力をもつ村人など、まずいないわけで。だから田舎には魔法使いが生まれにくいと。
しかし、するとミーシャは?
(もしかして……これ、私のせい?)
どう考えてもサエの影響、そうとしか思えなかった。
ミーシャはサエの親友であり、魔法のヒミツ特訓中も彼女はバスケット片手でそばにいた。全開のサエの魔力をすぐ横で受け止め、魔法の行使を見てきた唯一の人物なのだ。
そのミーシャにある日突然、強い魔力が芽生えた。
(私のせいだ。ミーシャを巻き込んでしまった)
落ち込むサエと裏腹に、ミーシャはとても喜んだ。やっとサエと本当の意味で、ヒミツを共有できるようになったと。
妙に嬉しそうにサエを抱きしめるミーシャ。その腕の中で、じっとサエも考えて。
そして二人は、共にいる事を誓ったのだった。
強大な魔法使いになった二人だったが、村ではそれを一切隠していた。せいぜい魔法上手の村娘レベルにとどめていた。
二人はヒミツの特訓場所を確保し、訓練を続けていた。しかしその場所は村からはるかに遠く、行き来自体、高度な魔法を使わないと無理な場所にあった。空間魔法の訓練の途中、ミーシャが見つけた場所だった。
村の人々は、二人が森に採取に出かけているのだと信じていた。実際、ある程度魔法が使えたり精霊と話せる者であれば、村人でも結構自由に森を歩けるものだから、そこが疑われる事はまずなかった。
もっとも、実際に二人が森にいるところに遭遇できた者は誰もいなかったのだが。
そこまでして隠したのには、もちろん理由があった。
サエには確信があった。つまり、非凡な能力をもつ村娘など、体よく利用され、食い物にされるだけだという事。
自分には強い魔力と魔法の知識がある。しかし、英雄だの聖女だのと呼ばれるような器ではないし、第一、そういう事を本来やるべきは、たとえ名目だけでも民のためとほざいている王侯貴族どもの仕事だろう。少なくとも、こっちからのこのこ出て行って彼らの仕事を奪ったところで、ろくな結果にはなるまい。
それに。
(まぁ、仮に聖女様がいるとしたら、それは私じゃなくミーシャよね)
サエは、自分がいわば外来者であり異分子と認識していた。言い換えれば、単に魔力が強いだけの異世界出身のド素人。
だけどミーシャは違う。おそらく彼女の才はこの世界のものであり、本物だ。もし世が世なら聖女となっていたのは、間違いなく彼女だろう。
まぁ、サエがそんな話をしたら、当のミーシャにはケラケラ笑われてしまったが。
「わたしが魔法に目覚めたのはサエのおかげだよ?サエがいなかったら、わたしは普通の女の子だよ?考えすぎだって」
「そっかなぁ」
「そうだよ」
確かにミーシャの言う通りでもあった。
いかに才能があろうとも、目覚めなければなんの意味もない。そしてサエがもしいなかったら、なんらかの理由で目覚めのきっかけとなる存在と触れない限り、ミーシャが目覚める事は生涯なかったろう。
だけど、本当にそうなのだろうか?
(もしかしたら)
もしかしたら逆なのかもしれない。そうサエは思った。
つまり、ミーシャという才能だか運命だか知らないが、そういうものが因果のようなものをねじ曲げ、よその世界の人間である自分を呼び寄せたのかもしれない。そんな事をも考えた。
まぁ、確認のしようもない、詮ない考えではあるが。
「サエ、サエ、いるかい?ああミーシャもいたのかい」
「どうしたの?お母さん」
「こんばんわ、おばさま」
「はい、こんばんわ。サエ、村長さんが呼んでいるの。いらっしゃい」
「村長さんが?」
思わずサエは首をかしげた。
「……」
そんなサエとその母親を見るミーシャの目が、ふたりの視界の外でスッと細められた。
「結婚?私がですか?」
「おまえもそろそろ年頃だろう?よくミーシャと森に入ってあれこれ採っておるようだが、そろそろ村の女としての仕事もせねばなるまいて。それで相手だがな」
それは寝耳に水に近かったが、全くの想定外でもなかった。だからサエは迷う事なく返答した。
「お断りします」
「……は?」
「そもそも私は村を出ますので村の男と結婚はできません。そのお話はなかったという事で」
「サエ。おまえ何を言っておるのだ?」
村長は、自分の言葉が途中で遮られたのでムッと眉をつりあげた。が、サエがあまりにも想定外の言葉を投げてくるので、怒りの顔は次第に、呆然としたものに変化していった。
「村を出る?女ひとりで村を出てどうするというのだ?」
「どうするも何も、私は魔法のさらなる修行のために村を出るのですが。
私のためにと考えてくださっているのは誠にありがたく思いますが、そのような次第ですので」
「サエ。おまえはもう少し賢い娘だと思っていたのだがな」
ふうっと村長はためいきをついた。
「……」
その村長の前にいるサエの雰囲気が、あからさまに変化していた。
今まで普通の村娘に見えていたのが、その瞳は魔力がこぼれるような紫に。そしてその全身からも、魔力を帯びた者なら反応せずにはいられないほどの濃厚な魔力が感じられはじめていた。
つまりそれは、サエが魔力の抑制を解除したのだったが……あいにく、瞳の色以外に気づく者はここにはいなかった。
「サエ。おまえやミーシャ程度の魔力や魔法力で魔道士になれるわけがなかろう。井の中の蛙という言葉があるそうだが、まさにおまえたちはその状態だよ。まぁ、村には魔道士などおらぬから、比較する者がないのでわからんのも無理はないがな」
「ええ、そのようですね。もっとも、理解していないのは私でなく村長の方のようですが」
「……なんだと?」
「お怒りになる前にまず、今の私を見てなんとも思われないのですか?」
「……何を言っている?」
皆を切り捨てるようなサエの発言に村長はサエの顔を見たが……そこでサエの紫の瞳に気づいた。
「む?サエ、おまえ目をどうしたのだ?」
「魔力の目映りです。あまりにも大きな魔力が体内に溢れると、それが目に映るもの。結果、私のように黒い瞳の場合、黒紫などに輝くのですよ。ご存知ないのですか?
ちなみにこの目映りは、最低でも王宮魔術師クラスの魔力がないと発生しないものだそうです。
村長。私の言いたい事は、この目映りでおわかりですよね?」
ふうっと、サエはためいきをついた。
「今まで隠しておりました事は謝罪いたします。しかしこれは事実です。
現時点の私の魔力でも、既にこの村から直径1リーグ程度の範囲内に魔獣が近寄ってこない状態なのです。私が毎日のようにミーシャと森に入れているのはこのためです。
村長。私は持って生まれたこの自分の能力を、伸ばしたいと考えております。
それに実際問題、今のままでは結婚したとしても胎内の子供が魔力酔いを起こしてしまうかもしれない。将来どうあるとしても、まずこの問題を片付けなくては健康な子供が産めるかもわからないわけで……」
「あっははははははっ!」
村長はサエの言葉を最後まで聞かず、大笑いをはじめた。
「村長。私の言葉を聞いていますか?」
「聞いとる、聞いてるとも、ふふふ。やはり子供は子供じゃのお」
失礼を通り越して、全く相手にされていなかった。
(……そう)
そうこうしているうちに村長の妻やサエの両親もやってきて、四人の会話となった。
「なるほど、よくわかりました。四人とも私の言葉を信じるどころか、聞くつもりすらもないという事ですね?」
「サエ。どうしておまえが結婚を嫌がるのか知らないけどね。それが村の娘の義務なのですよ?知っているでしょう?」
「だから。それができないと言ってるのがわからないの?胎内で子供が魔力酔いを起こした場合、最悪のケースで何が起こるか知ってるでしょう?」
サエの言葉は嘘ではない。大きすぎる魔力の持ち主が子供を宿した場合、あり得る事だった。
だが、子宮内の子供が魔力酔いを起こすレベルの魔力というと、宮廷魔導師でもなかなか難しい。それこそ勇者級の魔力でもなければ、そんな事態はそうそう起こらないのも事実だった。
だから親たちは、サエが何か勘違いをしているのか、それとも結婚したくないがための妄言としか最初から思わなかった。
それはいい。いや、よくないが不幸な誤解だろう。
しかし、ひとの話を聞きもせず、何を言われても笑うだけというのは、いかがなものか。既に人間の会話になっていない。
それでも、しばらくサエは頑張った。
しかし四人の大人たちはサエの言葉を頭から何も聞こうとはせず、ただ笑い飛ばすだけ。しまいには、いいタイミングなので明日にも婚約の発表をしようとのたまうばかりだった。
そんな彼らに、とうとうサエもあきらめ、匙を投げだした。
(ここまでね。せめて円満に出て行きたかったのだけど)
他の事なら妥協してもいい。そうサエは考えた。
しかし、現時点で妊娠すれば命の危険すらあるとわかっているのに、それを、聞いてもらえない。この時点でサエの答えはもう、ひとつしかなかった。
大きくサエはためいきをつき、そして決断した。
「なるほど、皆さんのお考えはよくわかりました」
そう言うとサエは立ち上がった。
「私の話を聞く気がないという事でしたら、私にもこれ以上言うべき言葉はなさそうです。それじゃあ私はこれで」
「ってこら、ちょっと待ちなさい!話はこれからなんだぞ!」
大人たちの言葉を無視して歩き去ろうとするサエを、近くにいた父親が捕まえようとした。
だが。
「なんだこれは!?」
途中で透明な壁にぶつかり、サエに近づけない。
「何驚いてるの、防壁魔法なんて見慣れたものでしょう?」
「防壁?バカなこんな一瞬で……こらサエ!ここを開けなさい!」
ドンドンと叩く。だが、透明な壁はびくともしない。
確かに防壁魔法はそう難しい魔法ではない。村人だってごく弱いものなら作れるわけで、実際、村の周囲には、村が力をあわせて作った魔獣よけの防壁や結界が張られている。彼らだって、伊達にこんな森に近い村で生きているわけではないのだ。
ただ、防壁の強度は魔法使いの能力と、そしてかけた手間に依存して変わる。村のまわりに張られている防壁は、村の全員で力をあわせ、旅の魔道士に作ってもらった魔法陣にエネルギーを充填し、時間をかけてようやく張れるものなのだ。
なのにサエが今、一瞬でパッと作ったらしき防壁の強度は、その村の防壁よりもはるかに、いやそれどころか、そこいらの小都市の防壁なみかそれ以上のものに思われた。
まるで王城の城壁もかくやという強度の壁に触れてはじめて、彼らはサエが本当に、少なくとも村娘レベルではあり得ない力を持っている可能性について、ようやく少し理解し始めた。
だがもう遅い。サエは既に彼らに失望し、決めてしまったのだから。
「サエ、わかったから、わかったからこれを解きなさい!」
「……防壁の種別すら、見てわからないの?」
呆れたような、うんざりしたような顔で、サエは眉をしかめた。
「よく見てみなさい。それは時限つきの防壁、夜中には自動的に解除される。見ればわかるでしょ?
それとも、その程度の見分けもつかないド素人の分際で、ひとの能力を勝手に見極めて未来を決めようとしたのかしら?
ひどいもんね。よくそれで村長なんてやってられるもんだわ」
「なんだと……おまえ、誰に向かってものを言っているのかわかっておるのか?」
「それはこっちのセリフ、誰に向かってものを言ってるのよ、あんた?」
とうとうサエも完全に頭に来たようだった。去りかけていたのを足を止め、そして村長を指さして言った。
「私がその気になれば、現時点でのこんな村、五分かけずに更地に返せるのよね。
それでも私がそうしなかったのは、きちんと義理を通し、あんたたちを立てるためだったんだけど?
私、ちゃんと説明したよね?魔法使いの修行をするって。
その理由も説明したよね?現状で妊娠したら危険かもしれないって。
なのに、こちらの現状をきちんと説明しようとしたのに聞きもせず、私に自殺同然の命令をしようとしたのはどこの誰なの?
ねえ。
そりゃあ、今の私の立場はただの村娘なんだろうけどさ。
いくらなんでも、意味も理由もなく自殺しろって命令を受けるいわれはないんだけど?」
「……」
それは、と言い返そうとした村長をサエは手で制すると、
「そんじゃ、おやすみ」
そう言い捨てると、今度こそサエは去っていった。
一度も振り向かなかったので彼らはサエの表情に気付かなかった。
(……)
サエの悲しげな、寂しげな顔に。
大人四人は確かに封じてきたわけだけど、一刻の油断もならないとサエは感じていた。
村の大人たちは決して馬鹿ではない。油断すれば足元をすくわれる可能性があり、ただちに安全圏まで避難する必要があった。
(……ちっ)
部屋に誰かの気配があった。ふたり。
そのままスルーして去ろうかと思ったが、片方がミーシャだった。そして気配が穏やかなものではない。
一瞬迷ったが、防壁を張ったまま部屋に入った。
「お、戻ってきたな?サエ」
ニヤニヤと笑っているのは、噂の村長の息子様だった。サエは名前すら覚えていないが。
ちなみに顔は悪くない。少なくともこの村にいる限りは。そして性格も実は決して悪いわけではない。
ただし思春期のエロガキ、しかも大きな村の村長の息子である。そのあたりはさすがにお察しだった。
「なんでこの部屋に男がいるのかしら。さっさと出て行きなさい」
「おいおい、未来の旦那様に向かってその態度はなんだおい?」
「旦那様?あっはははは、ほら、ふざけてないで出て行きなさい!」
「ふざけてんのはどっちだこら!いいかげんに」
いいかげんにしろ、と言いつつサエを殴ろうとした息子様だったが、それはできなかった。サエの障壁に拳がぶつかった途端、彼は巨大な何かに殴られたかのように廊下に叩きだされたからだ。
木製の壁が大きな音をたて、彼は崩れ落ちた。
「あらら……怪我はないみたいね。ま、今さらお説教もないでしょ」
それを確認したサエはミーシャの方を見た。既に彼には興味すらないようだった。
「ミーシャ、今のうちに帰ったほうがいいよ。わたしもすぐに移動するから……ミーシャ?」
「……」
ミーシャはサエをまっすぐ見据えると、大きく首を横にふった。
「ミーシャ?」
「わたしも行く」
「……」
「サエが逃げたら、次はわたしでしょ。結局出て行くんなら、今一緒に行く」
「ミーシャ、もう帰れないんだよ。わかってる?」
「サエこそ。わたしたちは一緒、そうでしょ。忘れたの?」
「……」
しばし、ふたりは見つめ合い。
「……そっか。そうだったね。ごめんミーシャ」
「いいの。さ、いこ?」
「うん」
それだけ二人は言うと頷き合い、そして手をとりあった。
「とりあえず、どこいくの?」
「いつものとこ。陣地になってるからね。今夜は頭を冷やして、明日から本格的に準備しよ?」
「おっけー。しゅっぱーつ!」
「うん」
大きな音に気づいた村人が部屋に駆けつけた時。
そこにはもう、誰もいなかった。
彼女らはその足で、遠くて深い森の底にある、ひみつの練習場に空間転移した。
そこはいわゆる魔女の陣地になっていた。二人以外の誰も入れず、そして出られない場所。森自体も、どんな精霊と親しき者でも普通の人間はまず入り込めない奥地であり、しかも、必要とあれば籠城できるだけの設備も取り揃えてあった。
ふたりはそこで二人っきりの小さな宴を行い、そしてぐっすり眠った。
翌日から情報を集めつつ、旅装束や地図などの準備をはじめた。
そして数日後。
「村の情報は何か入った?」
「セリエの町に行商さんがいたよー。外見変えてるからこっちには気づかなかったみたいだけど」
「そう。でも商人相手に油断はダメよ。探してるかもだから」
「うん、わかった」
村人が行方不明になるというのは、そう珍しいニュースではない。
「騎士団だの魔術師だのが出張ってないって事は、ただの行方不明者扱いって事かな」
「そうなの?」
「たぶんだけどね」
「まだ連絡が行ってない、とかじゃないの?」
ミーシャの問いに、サエは微笑んだ。
「十代前半の子供で宮廷魔導師なみの魔力があるなんて事になったら、間違いなく国に売られるでしょう。実際、村が売らなかった場合は強制接収されるんだから、せめて売ってお金にする方が村のためって思うだろうしね」
「ひど……でも、そうかもね」
サエの言葉に、ミーシャも同意した。
「で、そうなったら国軍や騎士団が捜索に出てくると思う。だって、もたもたしてると他国の間者にとられるかもしれないでしょ?」「あ……そっか」
納得げにミーシャも頷いた。
「だから確保を最優先、そりゃもう大急ぎでね。
当然、こんな生やさしい尋ね人レベルじゃすまないと思うの」
「なるほど。それがないって事は、そういう扱いになってないって事なのね」
「そういうこと。ま、可能性だから決めつけるのも危険だけど」
「うんうん」
どうやらミーシャも、サエの言いたい事が理解できたようだった。
「できた、幻惑のリング。これミーシャのぶんね」
「サエのは?」
「私は自分で幻惑魔法使えるから。ま、念のためにもうひとつ作るけどね」
「そっかー」
彼女らはそうしてしっかりと準備を整えていった。生活用品はともかくローブや道具類は不足していたし、何より村を出てきたままでは路銀もなかったからだ。
そして季節が一巡りする頃、彼女たちは旅だった。
村を出た後、サエたちについての公式記録はあまり残っていない。
そもそもサエとミーシャという名前にしても、後年の学者たちの推測から出た名前であり、出身地についても全く別の説もあり、詳しいところは何もわかっていない。
ただ、後年に都市伝説にもなった『レイシャ』なる二人組の女性魔道士と共通する特徴として「とにかく徹底して目立たないように努めていた」点が挙げられる。また、必ず安全を優先する事、攻撃魔法をあまり使用せず、結界や障壁で押し返したり、泥濘に馬車を落とすといった搦め手戦法を多用した点など『レイシャ』とこのふたりの共通点は非常に多い。
ご存知のように、彼女たちは多数の伝説を残しているが、華やかな戦闘によるものはほとんどない。むしろ得体のしれない、魔女じみた暗躍の方が有名である。
たとえば、巨大な侵略軍が唐突にトラブルに見舞われ総崩れになった『泥濘地獄』事件。
たとえば、大規模作戦の直前、唐突に前線の兵士の間で風邪が大流行したという『悪夢の撤退』。
他にもそんな事件が無数に伝えられている。
またこれらの事件のおり、各地に自称・姉妹の治療術師が現れて多くの患者に慕われた事件、今で言う西の国の魔法学校の創設に関わる謎の魔道士姉妹と第一期生たちの青空学級などなど、様々なところに彼女らは現れている。
また、二百年ほど後の話で、強大な魔力を誇るがゆえに非常な長命になった人間の女の話であり、この者の特徴もサエに似ている。しかし魔力が増大しただけで長生きできるという話には確たる証拠がなく、また、過去のふたりの記録では必ずサエが姉でミーシャが妹を自称しているのにこの事件では逆になっているなどいくつかの問題があり、よほどの大事件……たとえばミーシャ側が吸血鬼などになってサエがその妹ポジションに収まった等、そうした変化でもなければ眉唾だろうというのが大方の推測として伝えられている。
(おわり)




