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2.

 2.

「――太郎、桃太郎」

 ぼんやりと、自分を呼ぶ声で桃太郎は意識を取り戻した。

 男の声、祖父だ。

 部屋には入らず、襖の向こうから自分を呼んでいる。

 祖母と違い、祖父はほとんど桃太郎の私室には近付かない。部屋に入らないとはいえ、それがこうしてわざわざ呼びに来るなど珍しい。

「はい?」

 寝起きのややかすれた声で、桃太郎は返事をした。

「ちょっと話があるから、居間に来なさい」

「え?」

 桃太郎は突然のことに驚いて聞き返したが、祖父から返事はなかった。

 襖の向こうから、トントンと階段を降りる音が聞こえる。祖父は桃太郎の返事を待たずに行ってしまったようだ。

 咄嗟に桃太郎は起き上がると、机の上に放り投げられた学校の鞄を調べた。

 口は開いていない。開けて中を見てみるが、テスト用紙はちゃんと入ったままだった。

 祖母が自分が寝ている間に勝手に部屋に入って来て、鞄を漁って酷い点数のテスト用紙を見付け祖父に知らせ、祖父が怒っている――まず思い付いた事態は線が薄そうだった。

 ならば、自分は一体なぜ呼ばれているのだろう?

 心当りがない。

 だが、面倒ではあるが、桃太郎は居間に顔を出すことにした。

 今までの経験からして、祖父から呼び出しがあっても怒られたことはないからだ。せいぜい、ああした方がいい、こうしてくれた方が嬉しい、という勧告止まりだ。

 ふう、と息をついて、桃太郎は自室を出て階段を降り、下の階の居間へと向かった。

 居間に入ると、ちゃぶ台を囲んで祖父と祖母が向かい合って座っていた。

 これは毎日食事の席で見ている光景だ。

 何だ、何かと思えば珍しく祖父が夕飯に呼びに来ただけか――。最初、桃太郎はそう思った。

 だが、どうもそうではないようだ。ちゃぶ台の上には茶碗は並んでいない。

 代わりに、握り拳大の布袋がぽつんと置かれているだけだった。

 恐る恐る、祖父母の表情を伺う。

 祖父は神妙な面持ちで、祖母はめそめそと泣きながら、それぞれ座っている。

 そこでようやく、この呼出が異常なものだと桃太郎は察知した。

 そっと居間の掛け時計にも目をやると、時刻は午後の七時前。普段ならばとっくにここで夕食を摂っている時間だが、ちゃぶ台の上はおろか、台所にも夕飯の気配は感じられない。

「……どうしたの?」

 ちゃぶ台の前に座るのが怖くて、桃太郎はとりあえずどちらにともなくそう声をかけた。

「いいから、まずは座りなさい」

 祖父が小さな声で、けれど威厳たっぷりにそう言った。

 心当たりがないのだから仕方がない、桃太郎は恐る恐る、ちゃぶ台の前の座布団の上に座った。

 桃太郎と祖父母が三角形を描くようにちゃぶ台を囲んだ。

「それで、一体何?」

 桃太郎が座って改めて問うと、祖父がおもむろに言った。

「桃太郎よ、鬼退治の時が来た」

「は?」

 桃太郎は祖父の言葉が理解できなかった。

 言っていることは聞き取れた。

 『鬼退治』。日常会話ではまず使わない言葉だが、昔話で有名なあれだ。

 祖父が冗談を言っているのかと桃太郎は思った。

 誰が名付けたのか知らないが、自分の名前が『桃太郎』なのをいいことに、笑えない冗談を言っているものだと思った。

「冗談ではない。桃太郎よ、おまえがやらねばならぬ使命――それを果たす時が来たのだ」

 まるで桃太郎の心を見透かすように、祖父はそう言った。

「ちょっと待って、訳がわからないよ……!」

 思わず桃太郎がちゃぶ台の上に身を乗り出した。そんな桃太郎を祖父は腕で制した。

「落ち着きなさい。今から詳しい話を説明するから」

「説明する」、という言葉に、とりあえず桃太郎は身を引いた。大人しく祖父の言葉の続きを待つ。

「いいか、桃太郎。これは冗談でも何でもない。信じられないことだろうが……おまえは、この世界の人間ではないのだ」

 ぶっ。

 思わず桃太郎が吹き出した。

 何を言うかと思って真面目に、黙って聞いていれば祖父はいい歳をして今時子供でも言わないようなことを。

 だが祖父はそんな桃太郎の様子も無視して続ける。

「おまえは俺達の子供でもない。十五年前――俺が畑を作るために買った土地を耕している時に見付けた異空間への入り口、『渾沌空間』からやって来た見知らぬ男が連れていた赤ん坊がおまえだ、桃太郎」

 いくらなんでも話に無理がありすぎる。

「ね、ねえ! いくら何でも冗談でしょ? ねぇ!」

 あまりに話が滑稽すぎて、逆に笑えなかった桃太郎は祖父が狂言を言い出したと思って祖母に助けを求めた。

 だが、祖母は黙って首を振ると、再びおいおいと泣き始めた。

「その男は、おまえと一緒にこの――」

 そう言って、祖父はちゃぶ台の向こう側から布に包まれた一メートル超の棒状の物を取り出した。

「この、天下五剣を俺に託して、死んだ。やがて再び渾沌空間が開いた時に、おまえが『鬼退治』に向かうことになるという運命の予言を残して……」

 祖父が棒の布を払った。そこから出てきたのは、立派な拵えの日本刀だった。

 冗談にしては、小道具まで持ち出して演出が凝りすぎている。少なくとも桃太郎の知っている祖父母は、こんな大掛かりな――いや、つまらない冗談の一つも言わない。

「桃太郎、渾沌空間を抜けておまえが生まれた世界へ帰るのだ。そしてこの天下五剣の一振り――雷光紫電閃ライトニングを手に、仲間を集め『鬼』を退治するのだ」

 そう言って、日本刀――雷光紫電閃を突き出してくる。

 あまりの事態に、桃太郎は言葉に詰まる。だが、吸い寄せられるようにやがておずおずと日本刀に手を伸ばした。

 そして手が日本刀に触れた瞬間、全てが変わった。

 桃太郎の右手に、文字通り電光が走った。

 蛍光灯の灯された室内を、更に明るくバチバチと弾ける雷光が眩く照らす。

 まさに紫電、雷光。

 手品にしては手が凝りすぎている。否、演出ではなく、その日本刀が伝える言葉にできない神秘の力が、桃太郎に祖父の話が真実であることを伝えた。

 やがて、バチバチと弾けていた電光が収まる。

 桃太郎は日本刀をぎゅっと強く握り締めた。

 頭の中には、知らないはずの記憶。

 七色に光る、無重力のような上下左右の感覚を奪う不思議な渾沌空間を抜けた時の感覚。自分を抱きかかえる壮年の男。やがて広がる青空。十五年前の、まだ今より少し若かった祖父の姿。それらが鮮明に映像として思い出せる。

「爺ちゃん、本当なんだね……?」

 祖父が、血の繋がらない育ての親が頷く。

 桃太郎の返事に、祖母がわあ、と声を上げて更に泣いた。

「婆ちゃん……」

 桃太郎は雷光紫電閃を膝下に置くと、そっと祖母の――義理の母の肩に手を置いた。

 昼間、つまらない気の迷いで冷たく当たったことを後悔しながら。

「桃太郎、時間がない。気持ちが固まったら、すぐにでも出発しろ」

「も、ももた……桃太郎、これを持ってお行き……」

 祖母が嗚咽を漏らしながら、ちゃぶ台の上の布袋を桃太郎の方へ差し出してきた。

「これは?」

魔法石マナ・ストーンだよ……。おまえを連れてきたお方のもう一つの置き土産、十五年かけて磨いたんだ……」

 袋を受け取った桃太郎は、その中身を覗いてみた。

 蛍光灯の明かりを受けて、キラキラと光る宝石のような石が何個か詰まっている。

「それは磨けば奇跡を起こす、とだけ伝えられている石だ。どんな力があるのかは俺達も知らない。けれど、きっと嘘ではないだろう、おまえを助けてくれる」

 桃太郎は頷いた。

 しばらく迷ってから、口を開く。

「爺ちゃん、婆ちゃん……俺、行くよ。いや、行かなきゃならないんだよね」

「ああ」

「正直、二人に会えなくなるのも、もうこっちの世界での生活もお終いっていうのも寂しいけど……俺、行かなきゃ」

 行かなきゃ、と自分を追い詰めるように呟く桃太郎の肩を、祖父が笑ってポン、と叩いた。

「行ってこい。少し早いけれど、一人立ちだ。この時のために、おまえを大切に育てたつもりだ」

「どこへ行っても構わないから、元気でいるんだよ……。怪我や病気に気を付けてね……」

 桃太郎は雷光紫電閃と魔法石の布袋を掴むと、すっと立ち上がった。

 ちゃぶ台の前に座る祖父母に背を向ける。

「渾沌空間はどこに現れたの?」

 聞くまでもないことだ。

「俺のトウモロコシ畑だ。十五年前と同じ」

 桃太郎は頷く。

「それじゃあ……散らかしっぱなしだけど、ゴメンね。行ってくるから……さようなら!」

 そう言って、桃太郎は居間を後にした。

 最後は、振り向けなかった。溢れる涙が止まらず、二人に顔を見せることはできなかった。

 日々を精一杯生きていなかった報いだ。

 いつ別れが来てもいいように、毎日笑顔で精一杯生きなかった、報い。

 それがまた悔しくて、桃太郎は泣いた。そして走った。

 目指すのは自分が生まれた世界と、こちらの世界を繋ぐ門、渾沌空間――。

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