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 中村桃太郎なかむらももたろうは落ち込んでいた。

 苦しい受験を乗り越え、今年の春に意気揚々と入学した高校。

 その期末テストの結果が散々だったからだ。

「はぁ……」

 自分の席で溜息をつく桃太郎。そんな桃太郎に近寄る人物が一人。

「どうしたの? 中村君」

「森羅さんか。いや、大したことじゃないよ」

 彼女の名前は森羅絶子しんらぜつこ。桃太郎のクラスメイトである。

「大したことじゃないなら、溜息なんかついちゃダメだよ。気にする人は心配するよ」

 絶子は真剣な表情で桃太郎をたしなめる。

「……そっか。ゴメン」

 桃太郎は素直に謝った。確かに、心配してもらえるのは嬉しいことだが、自分で大したことではないというのは謙遜でもあまりよくないかも知れない。

「それで、一体どうしたの?」

「期末テストの点数が、思ったより悪かったんだ……」

 そう言って、桃太郎は一枚の紙を机の上にそっと差し出した。

 絶子はそれを受け取り拾い上げるとと、他の生徒に見えないように右上を見た。

「……三十五点……」

 小さく呟く。

「ギリギリ赤点回避、ってところかな……」

 ははっ、と桃太郎が乾いた笑いを浮かべる。もはやヤケクソといった体なのだろう。

「勉強、したの?」

「それなりには」

 桃太郎が授業を熱心に聞いているのは絶子も知っている。

「……まあ、中学までのようにはいかないよね。私も、そんなに点数よくないんだ」

 絶子は桃太郎のテスト用紙を伏せて机の上を滑らせ返した。

「点数が上がって、部活も上手くいって、彼女までできる。そんな出来すぎな方法なんてないよね」

 どちらからともなく、二人は溜息をついていた。

「やあやあ、二人して僕を差し置いて、何をしてるんだい?」

 そこへ爽やかに笑って一人の少年が割り込んできた。

「西園寺」

 彼は西園寺さいおんじパイナポー。

「僕達三人揃ってアリー・オブ・ジャンキーネームじゃないか。僕だけ仲間外れは酷いんじゃないか?」

 アリー・オブ・ジャンキーネームとは彼ら三人の同盟である。

 中村桃太郎。

 森羅絶子。

 西園寺パイナポー。

 名字はともかく、名前がアレな三人がお互いを尊重し合うために設立したのがアリー・オブ・ジャンキーネームである。

「テストの点数について話してたんだよ。中間もそうだけど、高校の試験って難しいな、って」

「何だ、そんなことか」

 桃太郎の説明に、西園寺は拍子抜け、といった風に答える。

「そんなことって……さては西園寺、おまえ……」

 ギロリ、と桃太郎がパイナポーに鋭い視線を向ける。

「そう睨むなって。確かに悪くない点数だったが、これでも苦労したんだぜ?」

「嘘つけ」

 桃太郎は不満そうに机に肘をついた。

「西園寺君、部活入ってたでしょ? 調子はどうなの?」

 パイナポーはフラフープ部に入っており、勉強に当てられる時間はそう多くないはずだった。

「お陰様で今度の全国大会のチームに入れてもらえることになったよ」

 ニッと白い歯を見せてパイナポーが笑う。

「あったよ、ここに。点数が上がって、部活も上手くいって、彼女までできる。そんな出来すぎな方法」

 桃太郎がふう、と息をついた。

「フラフープ部ってモテるんでしょ?」

「それはイメージだよ。実際は、男むさい部活さ」

「でも、西園寺君フラフープ似合うし」

「おいおい森羅、僕達アリー・オブ・ジャンキーネームは同盟内恋愛は禁止だぞ?」

 そう言ってパイナポーが肩をすくめる。

「そんなんじゃないもん」

 自分でも失言だと思ったのか、絶子は気持ち顔を赤らめてつん、とそっぽを向いた。

 そんな様子が桃太郎には何だか面白くなかった。

 つい、むすっとした顔をしてしまう。

 さっきまでパイナポーがおどけて自分だけのけ者、と言っていたが、パイナポーが会話に加わると今度は桃太郎が置いてきぼりになりがちだった。

 残念な名前の同名であるアリー・オブ・ジャンキーネームだが、名実ともに残念なのは桃太郎一人だった。

 何だかんだ言って、絶子もパイナポーも名前以外はまともである。

 絶子は清楚な美少女で、入学から数ヶ月の間で男子から密かな人気を集めている。たまに小学生のようにその珍しい名前をネタにからかう男子生徒もいるが、それは絶子の気を引こうとしている者達であることを桃太郎は知っていた。

 パイナポーに至っては今更言うまでもない。

 見せてもらってこそいないが、テストでは全教科ほとんど満点に近い点数を取っているという。

 勉強だけではなく、運動もフラフープ部で活躍中。

 更に美少年とパイナポーは名前以外は完璧であった。

 何となく嫌になった桃太郎は席を立った。

「俺、帰るわ」

「あ、またね、中村君」

「何だ、もう帰るのかい? また明日、中村」

 絶子とパイナポーはそんな桃太郎の不機嫌な様子に気付きもしない。それが余計に桃太郎をイライラさせた。

 そんな子供染みた感情に自身で余計にイライラしながら、桃太郎は鞄を担ぐと教室を出た。

 廊下を歩いて、校門を出ると公道を歩く。

 虚しかった。

 こんなことをしても、現実からは逃げられない。

 テストの点数がよくなるわけではないし、運動ができるようになるわけではない。

 それが実現するためには、今これからの時間を有効に使わなければならない。

 しかも、きっと歯を食いしばって苦しい努力を乗り越えなければ得られないものに違いない。だが、桃太郎にそこまでのやる気を与えてくれるものはなかった。

 悶々としているまま、住宅街の端にある自宅へと着いてしまった。

「ただいま」

 素っ気なくそう言って、玄関をくぐる。

 この家が、この玄関が、余計に桃太郎を陰鬱な気分にさせる。

 なぜ今時この家は「木造です☆」と言わんばかりによく言えば素朴な、悪く言えば加工の甘い造りなのだろう。火を付ければよく燃えそうだ。

 そんなインチキ日本家屋は、雰囲気に合わせて引き戸だった。

 小さい頃遊びに行った友達の家は、どこも開閉式のドアだった。それが小さい頃から名前と一緒に桃太郎にコンプレックスを感じさせる要因の一つでもあった。

 それだけではない。

「おかえり、桃太郎」

 エプロン――いや、あれはそんなカタカナで呼ぶようなお洒落なものではない。あれは割烹着の前掛けだ。それに身を包んだ老婆。桃太郎の祖母だった。

「うん」

 返事だけはして、桃太郎は二階の自室へと上がろうとする。

「そういえば、そろそろ夏休みじゃないかい?」

「うん」

 一瞬動きを止めたが、再び同じ返事を吐くと、桃太郎は階段を登った。

 自室へとやって来た桃太郎は、制服を脱ぐと――しばらく迷ってから――それを勉強机の椅子に掛けた。

 ハンガーに掛けておかないと祖母が後でうるさいが、桃太郎ももう高校生だ。いい加減無断で私室に入ってくるのはやめて欲しい。

 Tシャツにハーフパンツとラフな格好に着替えた桃太郎は、座布団を枕に寝転がった。

 やらなければならないことも、娯楽もやる気がしない。とりあえずふて寝である。

 そのまま寝てしまおうかどうしようか、ぐるぐると回る思考の渦に飲み込まれかけていた桃太郎の部屋に、不意に来訪者があった。

「桃太郎、おまんじゅう食べるかい?」

 考えたそばから、祖母が襖を引いて部屋に入ってきた。

 桃太郎はふっと祖母に背中を向けて寝返りを打った。

「要らないよ、それから、できれば勝手に部屋に入ってこないで」

「……そうかい、ゴメンよ」

 祖母は寂しそうに、けれど気持ち慌てた様子で襖を閉めて出て行った。

 ああは言ったが、季節はそろそろ夏。

 襖を閉めきった部屋は正直、暑い。

 その蒸し暑さが、また桃太郎を不快な気分にさせる。同時に、再びそんなつまらない意地を張っている自分に自己嫌悪する。

 だが、不快なものは不快なのだ。

 祖母に恨みはない。

 けれど、どうして自分の育ての親は今の祖母と、畑に出かけているのだろう、昼間は家にいない祖父なのだろう。

 あれは歳のいった両親ではない。本人達が、いつともなく物心ついた時に桃太郎にそう告げていたからおそらくそうなのだろう。

 昔、友達が言っていた。夏休み、祖父母の家に遊びに行くのが楽しみだと。

 そういう普通の感覚が桃太郎にはわからない。自分は年中祖父母の家で暮らしているのだから。

 友達が、鬱陶しい、ゲームで遊んでいると怒る、と文句を言う両親という存在が桃太郎にはいない。

 そんな小さな違いの一つ一つが、いつの頃からか桃太郎は気になって仕方がなかった。

 桃太郎は静かなイライラを胸に抱えたまま、いつの間にか眠りに落ちていた――。


 桃太郎の祖父は畑の世話をしていた。

 夏に採れる予定のトウモロコシ畑の手入れだ。

 別に、この畑で生計を立てているわけではない。日々の生活は年金と会社員をしていた頃の貯金で賄っている。

 この畑は、言わば道楽だ。

 ここで作物を作ること、そしてそれを桃太郎に食べさせることが祖父のささやかな楽しみだった。その一心だけで、専門の知識もないながら何とか続けている趣味である。

 祖父は雑草を引き抜きながら畑を歩いた。

 誰に急かされるわけでもない。仕事をしていた頃とは違う。ノルマもない。

 ゆっくりと、豊かな時間が流れていた。

 しかし、そんな一日もやがて終わる。

 まだ日は沈まないが、そろそろいい時間だ。

 今日はもう終いにして帰ろうと思っていると、視界の端に妙なものが映った。

「これは……?」

 祖父はそれに近付こうとして、本能的に動きを止めた。

 ――これは、危険だ。

 ぐねぐねとした光と闇の渦。明らかに日常にあっていい光景ではない。

 けして年老いた目が見せる幻覚でもなければ、傾き始めた日の光と影が見せる自然現象でもない。

 この世ならざるもの。

 そして祖父はそれに覚えがあった。

 そばにあったビニールシートを広げ、その渦全体を覆うように被せた。

 引き抜いた雑草を乱暴に畑の一角に放り投げる。

 がくがくと震える手で、取り落としそうになりながらポケットからキーを取り出すと、軽トラのドアのロックを解除した。

 慌てて運転席に乗り込むと、キーを差し込みエンジンを掛ける。

 そして桃太郎と祖母のいる家へと軽トラを走らせた。

 やがて桃太郎の祖父は大慌てで家に着くと、桃太郎の祖母の元へ向かった。

「た、大変だ!」

「あら、おかえりなさい」

 笑顔で呑気に祖父を出迎える祖母に、祖父は手をブンブンと振って今が緊急事態であることを伝えた。

「か、渾沌空間カオスゲートが……!」

「かおす……?」

 祖母は一瞬何を言っているのか、という表情をしてから、あぁ、と小さく呻いて口に掌を当てた。

「ついに時が来たようだ……」

 祖父が神妙な面持ちで家に上がり、祖母とすれ違う瞬間、そう呟いた。

「ああ……桃太郎や……」

 祖母は割烹着の前掛けで顔を覆い、さめざめと泣き崩れた。

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