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気持ち  作者: さだ 藤
4/7

過去

*浮気

 

「ねぇ、チャル。これには触れないで居て。そうじゃないとお祖母様はここには居られなくなってしまうの」

「やー! お祖母様がいなくなっちゃいやー!!」

「えぇ、そうね。ありがとう。何処にも行かないわ。だから大丈夫。泣き止んで……ね?」


 貴方がこれに、触れない限り。私は何処にもいかないわ。


 好奇心で私が持っていた紙を覗こうとする愛らしい孫に、あぁ、見られてしまったわと思いながらこれ以上はと、たった一つで、一番大事な約束を交わす。

 いやいや、と首を振ってあっちにいけといわんばかりに紙をつっぱねだした孫は、本当に愛おしかった。

 涙を大きな瞳に溜めて、あと一振りで零れ落ちる雫になる。


 うわああぁぁん! 声を上げて泣き叫ぶから、背中に手を当てて体を使って全体を揺らして落ち着かせる。トントンと、背を軽くたたいてなだめながら。


「大丈夫、大丈夫だからね」



 あの時、涙を零し、なだめたいとし子は私の前に立っている。


「お祖母様」


 固い表情で、随分大人になった彼は私に向かう。その手に、紙束を持って。

 毅然とした態度で私に向き合いながら、姿勢とは反対にその口元は違う意味で硬く閉じられている。


「あぁ、やっぱりあなたもそうなのね」


 強張った彼とは反対に、私は笑う。

 胸に湧き上がってくるものは様々なものだったけれど、この年になれば心と顔の表面なんて切り離すことが出来る。

 容易すぎる芸当だ。


 彼は彼に一番良く似ていて、姿形、内面さえ良く似ていた。

 彼は裏切り、そしてまた彼に裏切られる。

 内容は違うけれど、同じ裏切り行為。


 視線をそっと外して、過去を思う。愛した、人を。

 口元は綻びをもったまま。


 時は、過ぎる。あれから時間は経っていた。彼は死に、愛する孫は大人になった。

 心穏やかになるには充分な時だろう。


 けれど、


「私は、約束したはずね? チャルマーズ」


 いつも口にする愛称ではなく彼の名を口にすれば、彼ははっとして声には出さず、口の動きのみで呟いた。


 おばあさま


 浮かべていた笑顔を消し去って。彼の顔をじっくりと眺めて目を細める。

 大きく、なったわね。


「さようなら」


 一言残して私は彼に背を向けた。 


「お祖母様っ!!」

「っ、お祖母様!!」

「これはっ!! これは、大衆には必要なものなのです!」

「ここに、埋もれているままにすべきではないのです!」

「お祖母様!」

「お祖母様!」


「…………おばあ、様」


 私の背に、投げかけられる彼の叫び。

 必要だと叫ぶ声は、けれどどこか不安気に揺れ動いて。


 足を止める事無く私は家を出た。


 何十年と過ごした家を。様々な感情を持ち暮らした家を。


 大きな、家だった。


 愛していた夫。幸せだった過去。子供にも恵まれ、家族、仲が良く穏やかな暮らし。

 そして、露見した、夫の裏切り。浮気。


 この時代、当たり前の事なのかもしれない。王侯貴族の嗜みと。仮にも貴族に籍を置く我家では、なんら不思議ではない事なのかもしれない。


 色々とあって、けれど共に過ごし続けた日々。


 夫が死んで、出てきた遺作。――生前の、あの物は、ただの一角に過ぎなかったのだ。


 いきいきとして綴られた浮気相手への溢れんばかりの愛情。


 事実、最期にはこう書かれていた。


 愛するエリザベスへ、愛を込めて。


 私の名前はエリザベスではなく、まったくの別物。それは愛人の名前。


 彼は私に隠れて笑っていたのだろうか?

 潜めた思いと楽しんだのだろうか?

 いつ判明するのかとスリルを楽しんでいたのだろうか?


 震える手では破ることは容易く思えた。


 過去の裏切りから私の涙など当に消え失せていて。


 溢れる感情は制御が利かなく歪みはしたが、破ることはしなかった。


 この場に留めて世間には知らせない。

 それが、趣味であっても作家をしていた彼への報復となるだろう。


 後の世は私をどう言うのだろうか。


 大衆に支持される彼の作品を、世に出さなかったのは悪女とされるだろうか?

 捨てなかっただけ素晴らしいと誉められるだろうか?

 私にとっての唯一つの誉められた行為だというのだろうか?


 今の時代、女の身でも趣味を嗜み、彼のファンには勿論女性も存在する。


 従って、女性でも私ではなく彼を支持し、真に心から私を理解し、支持してくれる者たちは少数であるだろう。

 むしろ、一人も居ないのかもしれない。



 それでも、私は許すことなど出来はしない。


 誰が、なんと言おうとも。



 ……くだらない、事なのかもしれない。

 それでも、考えみて欲しい。自分が一番愛する人が、自分の知らないところで他の誰かを一番に愛している。

 愛を、囁いている。 


 それに耐えられるのだろうか?

 愛している人が、妻が、夫が、恋人が、……許せることだろうか。


 私には、耐えられない。耐えられなかった。


 それだけ。でも、それほど、の事だった。




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