ルピーとヨフ 歓喜の裏側
生肉が焼ける匂いにルピーは敏感に反応した。肩から小さく飛び降りヨフの目の前に飛び出て虹色の羽先で出店の大きな鹿の腿肉を指す。
「おいヨフ、せっかく祭りに来たんだからあれ食っていこうぜ」
「あんなのいらないよ。僕、脂っこいもの嫌いだし。それよりあっちが見たいな」
ヨフは大通りでやっているらしい兵隊と魔術師のパレードのほうへ歩く向きを変えた。耳のいいルピーにはあんなのはうるさいだけだ。ルピーは舌打ちしようとしたが短い舌先はうまく音を鳴らしことができない。ヨフの肩に留まる。くすんだ水色の髪に隠れた首筋に羽でそっと触れる。
「やめてよ、くすぐったい」
ルピーがこの手の嫌がらせをするのは日常茶飯事だがいまだにヨフは慣れない。しばらく首筋やらを弄くりヨフが怒り出す前にやめる。ルピーは羽を閉じてヨフの横顔を覗き込んだ。少し日焼けした肌にはいくつかにきびができている。正装すれば美少年と言われてもおかしくない顔立ちは長旅の汚れを被ってくずんでいた。髪と同じ水色の瞳だけが太陽の光を跳ね返してリンと輝きを放っている。ルピーはぼろぼろの外套を掴んでいる足の下に砂を掴んで飛び上がった。皮膚に食い込んでしまってかなり痛い。
「……きれいにしろってんだ」
「ん、なんか言った?」
ヨフが水色の瞳でルピーを見上げる。
「なんでもねーよ。しかしうるせぇ場所だな。いくら世界有数の魔法都市つってもここまで平和ボケしてていいのかね」
見渡せばどこもかしこも人だらけだ。そのほとんどの人間はヨフが魔術師であることにすら気づいていないに違いない。
「メギストスは地理的に帝国と遠いし、英雄ヘルメスがいるからね。ちょっとくらい防備を緩めても問題ないんじゃないかな」
「天国に一番近い街、だったっけか? このレベルの魔法都市くらいで笑わせるぜ。まああの壁の向こうにはもっと危ねえ魔法兵器でも眠ってるのかもしれねーがな」
ルピーはクククと低く笑った。
大通りに出たところでヨフは尻餅をついた。前を見ていなかったので正面の誰かに気づかなかったのだ。咄嗟に地面についた手の下に違和感があった。何かに引っ張られているような感覚がある。ヨフは手を離す。
「す、すいません。ええっと……」
少女はこぼれたバスケットの中のフルーツを拾い集めようとするが手が向かうのは見当外れの方向ばかりだった。ヨフが拾ってバスケットに入れてやると重さでそれがわかったのか少女は「ありがとうございます!」ときれいな声で言った。
「どういたしまして。お祭りで人が多いから気をつけてね」
「お気遣いどうも」
立ち上がって歩き出そうとした少女がヨフの肩で意識を止める。
「あ、あの、もしかしてそれ虹色鳥ですか?」
「え」
ヨフはルピーと顔を見合わせる。
「私のこの目に見えるほど強い色なんてずっと昔に本で見た虹色鳥くらいかなと思って……」
「まあ似たようなもんだ」
ヨフの顔は引き攣りかけていた。ルピーは喉元を込み上げてくる笑声を堪える。目尻が緩んだので顔を背けた。
「そうですか。そうですよね、虹色鳥なんて最高峰の使い魔を使役してらっしゃる魔術師さまとばったりお会いできるはずなんてありませんもの」
「……えっと、君は壁の向こうに住んでるの?」
「いいえ、生まれは魔術師様方と同じ向こう側なんですけれど、私には才能がなかったので」
捨てられたのです。とは少女は続けなかった。
「ふーん」
トランペットの音が近づいてくる。パレードの先頭が見えた。
「うぇ……」
ルピーが両羽で耳を塞ぐ。
「し、失礼します。機会があればまたお会いしましょう」
少女がパレードから逃げるように離れていく。見えない分、彼女も耳がいいのかもしれない。足取りは少しふらついている。
ヨフは晴れやかなパレードの中心にいるヘルメス・トリスを見た。あちらからも視線が返ってくる。氷色のヨフの目は時々恐ろしく冷たく映る。ヘルメスはすぐに視線を逸らした。ヨフの前をゆっくりと通り過ぎていく。ヨフはパレードが通りの奥に消えていくまでその後ろ姿をずっと見ていた。
「……行こうか、ルピー」
「ヨフ? どうした」
「ちょっとね」
ヨフは街の外に向けて早足で歩き出す。肉屋もパレードもまるで目に入らないようにどんどん進む。
「おい、何があったんだよ。教えろよ」
答えてくれないので耳を啄ばんだ。
「痛いよ! もう……」
「なあ、教えろってば」
ヨフが大きく溜め息を吐く。
「あるかもしれないよ」
「あ?」
「魔法兵器、それも飛び切りのやつが」
「どういうことだ」
「あの街の地下にはね、魔方陣が張られてるんだ。人の力を少しづつ吸い取るやつだ。多分他の街に比べたら自然死する人の数が飛び切り多いはずだ。あんな大規模な魔方陣を組めるのはヘルメスしかいない」
「……天国に一番近い街、とんだ皮肉だな」
ルピーが笑った。
「それでヨフ、お前は傍観するのかい?」
「あの街は魔法で支えられてるんだ。その代償なんだよ、きっと」
「ああ、そうだろうよ。じゃあ壁の向こうのお偉い魔術師さん達は寿命を払ってると思うか?」
ヨフは黙った。
「俺にもわかったぜ。さっきのガキ、力がほとんど残ってない。お前の言ってるように自然死するのも時間の問題だろうな。案外視力を失くしてるのもその影響なんじゃねーの? んで死にかけのガキを横目に祭りで人集めて金も力もがっぽり儲けて壁の向こう側の魔術師共はウハウハだぜ。理不尽だろ? バカみてぇだろ? ぶち壊してやればいいじゃねーか。お前にはそれができるんだからよ」
足を止める。いま出たばかりの街を振り返る。
「……僕にはどうもできないよ」
呟くような細い声でヨフは言い、次の街を目指して歩き始めた。
沸き立つ街の歓声が背後で聞こえる。ヨフはもう振り返らない。
ダンテ先生のドエス(泣)