プロローグ
深い光に満たされ、ただ白だけが広がる空間の底で、一つの魂がゆっくりと意識を取り戻していく。
覚醒と同時に、まるで奔流のように膨大な記憶が流れ込んできた。それは数百年分の重さを持つ情報の濁流だったが、元魔王の魂は冷静にそれを受け止め、まず一つの事実を確かめた。
――体がない。五感がない。身動きも取れない。
視界も聴覚も存在しないのだから、この空間を探ることは最初から不可能だった。
静かに思考だけを回転させていると、やがて外側から何かが届いた。それは耳を通じた音とは違う。魂の奥底を直接揺さぶるような、圧力を伴った“思念”だった。
「ちょっと! やってくれたわね!」
思わず声を出そうとして、すぐに止まる。発声器官がない。しかし相手の言葉は耳がなくても届いている。ならば、と元魔王が思考した瞬間。
「そうよ。よく理解できたわね」
“声”の主は、その思考を読んでいた。
「なるほど、ここでは思考するだけで伝わるのか。実に厄介だな」
生前、彼は言葉を選ぶ習慣を徹底していた。一言一句、意図と矛盾がないか確かめてから口を開くのが常だったのだ。それが今、思考の全てが筒抜けになる。この環境は、彼が経験した中でも群を抜いて不便だった。
「そんなことより、あの魔法はなによ。どうしてワタシもここに来ているのよ」
“声”の主は苛立ちを隠さない。
「先ほどの魔法は、発動者と同じ運命を共有させる創作魔法だ。俺がここに来ることになった以上、お前も道連れになった。それについては、心から謝罪する」
そこで元魔王は一瞬、思考を挟んだ。神が自分の世界に直接干渉してきた以上、反撃を覚悟した上での行動だったのではないかと。
「そんな覚悟なんて微塵もないわよ。大体、ワタシは神様じゃないしね。執行者? 神様達は直接干渉しないから、ワタシが間に入っていただけなのよ」
「なるほど」
「誰のせいでそうなったと思っているのよ」
「俺のせいだというのか?」
「ええ、そうよ。……(詳しい話は私も知らないけど、そういうことにしておかないと面倒だし)」
最後の部分は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。それでも鮮明に届く。
「そうだったのか。だとしたらすまない」
「……あなたって、意外と謙虚なのね。魔王と聞いていたから、もっと傲慢な存在かと思っていたけど」
「どうだろうな。数百年、対等以上の存在に会っていない。こんな風に言葉を交わすのも、久方ぶりの出来事だ。……それで、この後はどうなるんだ?」
「ワタシが行ったのは転生の秘術よ。この術を食らった者は、死を超越した存在であろうとも、魂を別の生へと強制的に送られることになるの」
「俺もその対象になった、ということか」
「そう。あなたを巻き込んだせいで、ワタシまで見知らぬ世界に転生する羽目になったんだから、当然、協力してもらうわよ。最大限にね」
「協力できる内容であれば。具体的には?」
「やって欲しいことは、いたって単純。ワタシを、神にして欲しいのよ」
元魔王の思考が、完全に止まった。
「は? 頭がおかしいのかこいつは……あっ、やべ」
心の中の言葉が、そのまま漏れ出た。慌てて思考を遮断しようとしたが、既に遅い。
「まあ、別にそう思ってもらっても構わないわ。無理に理解しろとは言わないから」
「……随分と寛容なのだな」
「当然でしょ。この空間では隠し事はできない。(あなたはね)相手の思考の断片にまで腹を立てていたら、キリがないわ」
それは確かに道理だった。建前も本音も意味をなさない場所では、余計な感情の起伏はただ疲弊を招くだけだ。
「それで、神になるための具体的な案はあるのか?」
「いくつかあるわ。一つは、信者の数ね。ざっと一億人ほどいれば、まあ、いいんじゃないかしら」
「……次の案を聞きたい」
「まさかのスルー!? ワタシとしては、それが一番簡単だと思うんだけど」
「一億人の信者が簡単だと言えるほど、俺の感覚は狂っていない」
「熱狂的に信じる必要はないのよ。そうね、ただワタシのことを認知して、少しでも共感さえしてくれれば——そう、そこにいるあなたもよ。この画面でも、紙の媒体でも、なんでも大丈夫。次元の壁なんて、関係ない。応援してくれるだけで、私は十分だからね!」
唐突に、“声”の主は別の何かに語りかけた。
「その言葉は、一体誰に対するものなのだ?」
「少なくともあなたにではないから、気にしないで。二つ目の方法ね。神器っていう私が身につけていた七つの品を見つけ出すことよ。あれがあれば、神々の権能だって使えるようになるの。場所はわからないけれど、人外の品だから、きっとすぐに噂になるわ」
転生の際、その神器も新しい世界のどこかに出現するという。装備者がなくても世界に干渉する力を持ち、神々も看過できない状況を作り出す──強制的に目を向けさせるための仕掛けだった。
「七つを揃えれば、俺が神々の目に留まったように、お前も注視を引くことができると」
「そうよ。最後は、推測が多分に入るけれど——この世界の神様に直接会えれば、あるいは道が開けるかもしれない、というところね」
「では整理しよう。神器を探しながら信者を集め、その過程でこの世界の神に出会えれば、それは御の字。そういうことだな」
「話が早いわね」
「腰を据えて取り組む必要がある以上、まず方針を確認しておくのは当然だ。それで、転生後の合流はどう考えている」
「十中八九、二人とも赤子として産まれるわ」
「それでは、互いを探し当てる手がかりがない」
「そこはほら、例えば、新しい世界で最も高い建物に、十五歳の時に会うとかは?」
「産まれる時期が同一である保証がないなら、時期の限定は得策ではない。時期は外し、世界で最も高い建造物を目指す方向でいこう。共通の暗号があれば、より確実性が増す」
「なら、ワタシのいた上界での呼び名ね。この世界では存在すら認識されていないから、偶然の一致がない限り、確実にあなたに伝わるはずよ」
完璧な計画とは言えない。産まれる場所次第では、最初の一歩から瓦解する可能性もある。それでも、今決められる最善はこれだった。
「そろそろ、転生が始まるわね」
周囲の光量が増した──正確には、視覚器官がないのに、その変化が意識の奥底に直接流れ込んできた。次元そのものが彼を取り込もうとしている感覚。
「最後に確認する。世界を学びながら、最も高い建造物の情報を集める。そしてお前の名を広めながら、合流を目指す。合流後は、共に神器を探し出す。これでいいんだな」
「ええ、そうよ。ワタシの名は『シア』。この世界でどう呼ばれるかは分からないけれど、この名を広めなさい。それが、ワタシを見つける唯一の手がかりだからね。」
「シア、か。承った。必ず見つけ出す」
「良い心がけね。ワタシも必ず見出してみせるわ。あなたという存在を……」
光が耐え難いほどに強くなった瞬間、“声”の主が再び口を開いた。
「あっ。一応伝えておくけれど、あなたの魔力は元の世界からの調整途中だったから、ステータスが壊れちゃってるの。ほぼ数値の変更は今後一切起きなくなるわ。だから、よろしくね」
意識が光に飲み込まれていく直前、元魔王の魂は一つのことを固く誓った。
この“声”の主に再会したときは、必ず「自称女神」という敬称をつけてやろう、と。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
活動報告でも出しているのですが、第一話を大きく改修しました。
内容、設定には一切の改変はないのですが、説明口調の第一話を物語の始まりに変更しています。
前のプロローグが好きな方には申し訳ないですが、そのうち、章間や外伝で1〜4話の話は入れるかもしれないのでご容赦ください。
また、新規の方には申し訳ございませんが二話目以降は、まだ読むのにカロリーが入ります。
重ねてになりますが、ご容赦を・・・




